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2017年10月31日

橋下徹 僕の日本維新の会丸山氏に対するツイッター表現に批判があるのは当然だ。

橋下徹 twitter より

僕の日本維新の会丸山氏に対するツイッター表現に批判があるのは当然だ。 - 10月30日のツイート

僕の日本維新の会丸山氏に対するツイッター表現に批判があるのは当然だ。しかしツイッター一つで政治権力にモノ申そうと思えばこれくらいのことをしないとね。笑っちゃうのが僕の表現を批判する多くの人は、安倍さんや僕、その他自分の気に食わない相手には普段悪態の限りをつくしていること。
現在の日本の政治に 関係することで もっとも危惧していることは 希望の党の今後でもなく 立憲民主党の舞い上がりでもなく 橋下徹の暴言では当然なく 左派やリベラルのモラルの低下だ。 少し前までのリベラルは 理論なりセオリーなりがあって それに忠実であったり 正確さを求めたりと その言説に賛成できないことであっても 基本的な姿勢や 少なくとも ことを良い方向へ という気持ちは 感じることができたし 共感することもできたし 評価できた。 しかし 今の左派の動き方 または 動く根拠 行動原理には どうしても 肥大したエゴを感じてしまう。 それはかつての 良識的なリベラルが もっとも嫌悪していたことではないか。 今これほど アンフェアな行動が 良しとされるリベラルは 世界各国を覗いても 歴史を振り返っても 本当にないのではないか。 確かにサイドメニューのような 犯罪や悪事は 右派左派問わずあるし 右派左派問わず 極のつく 初めから暴力を前提にしたものもある。 そういったものはもちろん論外だし 人間のやることに 完璧を求めるのも 多いに稚拙な思考だ。 しかし 加計学園問題での 報道しない自由や リベラル系マスコミの 捏造やその煮え切らない謝罪 など サイドメニューとは言えない 行動原理の根本に関わることには 世の中をよくする とか 人間がもっと幸福になる とか そういった 正しい方向性の 理念が全く感じられない。 その行動から感じられることは エゴしか感じない。 相手より高い立場に立ちたい とか 相手をこらしめることが快感 とか つまり 主観・感情・生存本能のようなものが 行動の原点にあるとしか思えない。 だから 日本の民主主義や人権を守ると言いながら 彼らは 安倍晋三と橋下徹には 基本的人権を認めない。 本人も認める通り 暴言は非難されるが そのような状況にあって 実際の暴力行動には及ばず 暴言にとどめる橋下徹の理性は むしろ 賞賛されて良い。 また 加計学園問題での 報道しない自由は 極めて広義の「暴力」ではないか と考えている。 合法的な暴力の模索の結果といっても良い。 つまり リベラルのモラルの低下とは 根本的な行動原理の変更だ。 客観から主観へ 利他から利己へ そのことが 橋下徹のみならず 社会の様々なものを傷つけて いることに 気付く気配もない。 こう書くと 当然、観念的な思考に慣れておられる方は リベラル全員がアンフェアなのか と言われるかもしれない。 そうではない。 良識的なリベラルは今もいるし 頑張っておられる。 アンフェアな人たちがかなり増えたということだ。 かなり増えたし アンフェアな人たちのほうが 声が大きいので なかなか目立たなかったが この度は 枝野さんが脚光を浴びた。 枝野さんは 非常に柔軟な考えができるし 現実的な認識を踏まえた上で リベラルの必要を説く。 いやみな言い方をあえてすれば しばらく見なかった 善人顔のリベラルが 新鮮だったことが 枝野人気に つながっているのではないか とも思う。
posted by sachi at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2017年10月30日

排除の論理"を批判する東京新聞のセコさ

PRESIDENT Online  より

"排除の論理"を批判する東京新聞のセコさ

なぜ立憲民主党が生まれたのか

総選挙は自民党の大勝に終わった。 それでも安倍晋三首相をはじめとする自民幹部は 「謙虚」という言葉を繰り返している。 それは小池百合子都知事に ギリギリまで振り回されたという 認識があるからだろう。 ジャーナリストの沙鴎一歩氏は 「とにかく野党がだらしなかった」 と指摘する。 この先、政局はどう動くのだろうか――。

大騒ぎをした野党の責任は大きい

「だれが勝ったのかよく分からない」 「これほどメチャクチャになった選挙も珍しい」 「これまでの大騒ぎは何だったのだろう」――。 今回の衆院総選挙に対して、 大方の見方はこんなところではないか。 まず安倍晋三首相が衆院解散を表明し、 対抗して都知事の小池百合子氏が 間髪入れずに新党を立ち上げた。 これが事実上、 選挙戦のスタートだった。 そしてここまでは実に面白かった。 だが、 小池新党と民進党との間で ゴタゴタやっているうちに 小池人気が衰え出し、 代わって小池氏に追い出された 枝野幸男氏の立憲民主党に 人気が集まっていった。 結局、 勝利を収めたのは自民党だった。 それでも自民の面々の顔色はさえない。 漁夫の利で勝っただけで、 自民党が 高い信任を得たとは 言い切れないからである。 とにかく野党がだらしなかった。 それが証拠に安倍首相をはじめとする 自民幹部らは 「謙虚」という言葉を やたらと繰り返している。 今回の衆院選は一体、 何だったのだろうか。 大騒ぎをした野党の責任は大きい。 民進党代表の前原誠司氏と 希望の党代表の小池氏に 焦点を絞って論じてみたい。

民進党は「議員生命」にしか関心がないのか

前原氏は10月25日、 都内で講演した。 その講演の中で、 希望の党が思うように 票を獲得できなかったことを考え、 希望の党との合流自体を 見直す方向性を示し、 「民進党の新たな方向性を定めたい」 と述べた。 当初、前原氏は 民進党をすべて 希望の党に合流させることを 主張していた。 民進党は新しい方向性を求め、 27日に両院議員総会を開き、 30日には全国幹事長会議も開くという。 選挙が終わっても、 ゴタゴタの好きな 民進党の体質は変わらないようだ。 「自分たちの議員生命さえ維持できればいい」 と考えるからだろう。 この際、 民進党には だれのための国会議員であるかを しっかり意識してもらいたい。 国民の信任が得られてこその政治家であり、 政党である。

希望の党との合流「あまりにも奇策」

さて選挙関連の社説の中で、 目立って面白かったのが、 10月23日付の日経新聞の1本社説だ。 冒頭部分では 「いちばんの責任は民進党の前原誠司代表にある」 と指摘している。 そのうえで 「いくら党の支持率が低迷していたとはいえ、 衆院解散の当日という土壇場になって、 野党第1党が できたてほやほやの 新党『希望の党』に合流を決めたのは、 あまりにも奇策だった」と酷評する。 さらに 「有権者に『選挙目当て』とすぐに見透かされ、 7月の都議選に続くブームを当て込んで 希望の党になだれ込んだ候補者は いずれも苦戦を余儀なくされた」とも書く。 当然の結末である。 この日経社説を 民進党の議員や関係者はどう読んだのだろうか。

日経も「野党の自滅」と指摘

さらに日経社説は 「この選挙をひとことで総括すれば 『野党の自滅』である」 と指摘し、 「自民党と公明党を合わせて、 定数の過半数を大幅に上回り、 選挙前と同水準の議席を獲得したとはいえ、 野党候補の乱立に 救われた選挙区も多い。 両党が 『与党の勝利』『安倍政権への全面承認』 と受け止めているとしたら、 大いなる勘違いである」と書く。 そのうえで 「有権者は自公の連立政権に軍配を上げたが、 野党よりはややましという 消極的な支持にすぎない。 自民党に取って代われる受け皿さえあれば、 簡単に見限る程度の支持であることは、 都議選で身に染みたはずだ」 と言及する。その通りである。

小池氏「私自身にもおごりや慢心があった」

一方、 24日付の東京新聞の社説は、 「希望の党敗北」とのタイトルで 「都知事の仕事に専念を」 との見出しを付けている。 社説のリードには 「東京都民を置き去りにしたような振る舞いが 不興を買ったのだろう。 小池百合子知事が 率いる希望の党の敗北。 知事としての求心力の低下は 避けられまい。 都民のための都政に専念することを望む」 とある。 そのうえで社説本文は 「小池氏は出張先のパリで 『私自身にもおごりや慢心があった』 と反省の弁を述べた。 だが、もはや『都民ファースト』のスローガンが信用を取り戻すのは簡単ではあるまい」 と書き出す。

「民主主義が担保されていない」

東京社説は 中盤で希望の党が 逆風にさらされたことに言及し、 その理由についてこう指摘する。 「都民ファの組織運営を巡る情報公開が 不十分なこと。 議員個人としての自由な意見表明や 調査活動が制約されていること。 つまり、 党内の民主主義が 担保されていないという 痛烈な批判だった」 情報の公開が不十分で、 議員の意見表明や 調査活動が制約されていることは あるのかもしれない。 ただ希望の党は できたてのほやほやである。 安倍首相の突然の解散に打って出るために かなりの急ごしらえだった。 党として安定するのはこれからだった。 そこを 「党内の民主主義が担保されていない」 と言い切るのはいかがなものだろうか。

「排除の論理」が立憲民主党を生んだ

さらに東京新聞は 「合流組に対し、 違憲の疑いが強い安全保障関連法や 憲法改正を支持するよう踏み絵を迫り、 排除の論理を打ち出した」 とも指摘している。 しかし 排除の論理で 考え方の違う議員を選別した結果、 選挙戦自体が 分かりやすくなった。 だからこそ立憲民主党も生まれたのである。 その点を 東京新聞はどう考えているのか。 社説を担当する論説委員たちの論議が、 不十分である気がしてならない。 続けて東京社説は 「政治理念や政策よりも、 小池人気にあやかることが 結集軸のようにも見えた。 多様な言論を認めない 不寛容を印象付けたのも、 都民ファの体質に似ているといえる」 と批判する。 だが、 理念と政策抜きで 小池人気だけ集まってきた 議員連中を選別したのが、 排除の論理であることを忘れないでほしい。

「安易な離合集散を繰り返すな」

次に26日付の読売新聞の社説を取り上げる。 タイトルは 「立民と希望」で、見出しは 「安易な離合集散を繰り返すな」である。 社説の中盤で 「公示前勢力を下回った希望の党の 両院議員懇談会で、 小池代表は『排除』発言について陳謝した。 今後の党運営を 国会議員に委ねる考えも示した。 出席者からは辞任を求める声も上がったが、 小池氏は代表を続投する意向を表明した」 と書く。 そのうえで読売社説は 排除の論理の是非をこう論じていく。 「疑問なのは、 憲法改正や 安全保障関連法容認を 掲げた公約を認めて、 公認を得て当選しながら、 なお反発する議員がいることだ」 「同じ党に所属する以上、 基本理念と政策の一致は欠かせない。 小池氏の発言に行き過ぎがあったとはいえ、 路線や政策などでの選別自体は 否定すべきではない」

緊張感を失わせた野党の責任は大きい

この主張には大賛成である。 これまで沙鴎一歩も指摘してきたが、 民進党やその前身の民主党は、 保守派と革新派とが同居する 寄り合い所帯だった。 それが最大の欠点であった。 それゆえ党としての安定性に 欠いていたのである。 だから一度は政権を取りながら、 内紛を繰り返してきた。 単純に排除の論理を否定する 東京新聞の社説とは違い、 読売社説は物事の是非の判断が きちんとできている。 続けて 「離党や解党に言及する落選者もいる。 『小池人気』 にすがって入党したのに、 全責任を小池氏にかぶせるのは 身勝手ではないか」 とも訴えている。これも納得できる。 さらに読売社説は後半で 「立民、希望、無所属で当選した 民進党出身者は計108人だ。 衆院解散時の97人を上回った。 こうした人材を活用・育成し、 政策立案力を高める必要がある」 と強調し、 「安倍内閣の下では、 政権を担える野党の不在が続く。 政権選択選挙である衆院選で、 緊張感を失わせた野党の責任は大きい」 と野党の責任をはっきりと示している。 まったく、その通りで賛成だ。
やはり 東京新聞はわからない。 何をしたいか どんなものに向かおうとしてるのかが わからない。 それが右であれ左であれ その当事者自身の利益である方向に 向かっていると認められるのであれば 自分の考えといかに隔たっていても 理解はできる。 しかし 東京新聞は 自らの利益の方向に 向かっているとは 思えないということだ。 東京社説は 希望の党が 逆風にさらされた理由について 情報公開や自由な意見表明などの 党内の民主主義が 担保されていないからだという そして 違憲の疑いが強い安全保障関連法や 憲法改正を支持するよう踏み絵を迫り、 排除の論理を打ち出した としている。 これらの 東京新聞が うまくいかなかった理由として あげていることはどれも 新しい党の 「定義づけ」 の行為ではないか。 つまり 結局 東京新聞は かつての民進党が 問題なく うまくいっていたという 認識なのだろうか。 自民党が もりかけで 支持を30パーセント台まで 落とした時 民進党は支持率をあげるどころか 自民党よりさらに支持を落とした。 それは誰の目にも 健全な野党として民進党は 機能していないことは 明々白々だった。 そしてその民進党の問題は 党内の主義主張に 幅がありすぎることだ ということは かなり 共通の認識に なっていたのではないか。 だから 民進党と同じ轍を踏まないように 新党は 性格づけ 定義を明確にするのは 至極当然の行動ではないか。 立憲民主の躍進も 定義の確立に寄るところが 大きいのではないか。 つまり そこで必要なのは 新党の創設者の 党の理念 党の定義の確立だ。 その時点で民主主義という次元ではない。 東京新聞は そういった理念の確立よりも 「民主主義」 の方が大切だと言う。 創設者の創設の理念よりも 創設者の人気にあやかろうと 集まってきた人たちの 多様な意見を尊重しろと言う。 その結果 おこる状態を あるべき姿だと思うのだろうか。 その結果おこる状態とは 民進党の状態と同じではないのか。 東京新聞の「民主主義」 とは何だろうか。 民主主義とは 新党を創設する人間が その自分が作ろうとする党の理念を 民に問うことが必要なのだろうか。 民進党から希望に移った人は 創設者ではないのだ。 創設の理念を提示する人ではなくて 創設の理念の下に集まった人なのだ。 共有された理念のもとで 諸々の問題を処理解決する手立てとして 民主主義ならわかるし当然だ。 民主主義とは確かに良いものだ。 しかし 良いものだからといって どこに置いても 良いものとしての機能を 発揮するわけではない。 当たり前だ。 その 「置く場所が違う」 ということは 「執拗な質問」 にも言えないか。
posted by sachi at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2017年10月29日

あなたは『嫌われる勇気』を誤解している

PRESIDENT Online より

あなたは『嫌われる勇気』を誤解している

「アドラー心理学」を解説し、世界中で350万部を越えるベストセラーになった『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)。その内容を「身勝手な振る舞いを勧めるもの」と解釈している人もいるようだが、著者の岸見一郎氏は「それは誤解です」と断言する。新著『アドラーをじっくり読む』(中公新書ラクレ)の内容を踏まえつつ、徹底解説してもらった――。

ベストセラーゆえ生まれた「誤解」

『嫌われる勇気』が 世の中の多くの人に読まれていることは、 とてもうれしいことです。 しかしながら、 一方で、気がかりなこともあります。 それは、 アドラー心理学に対する 誤解が広まっているのではないか―― ということです。 なかでも特に気になるのが、 「共同体への貢献」 という考えへの誤解です。 そもそも アドラー心理学は 非常にシンプルなので、 かえって誤解されやすい心理学です。 正しく理解するには、 3つの方法があると私は考えています。 それはすなわち、 対話形式でまとめられた本を読むこと、 質疑応答の形になった本を読むこと、 そして、 アドラーの原著にあたることです。 『嫌われる勇気』 『幸せになる勇気』 (いずれもダイヤモンド社) は、対話篇としてまとめたものです。 質疑応答については、 私は講演会でも長い時間を とることがあります。 SNSでのやりとりもしてきました。 しかし、 最後の原著にあたることは、 なかなか難しいものです。

原著がそもそも誤解されやすい

アドラー心理学が 誤解を受けやすい理由の一つが、 この原著の作り方にあります。 アドラーには多数の著書がありますが、 アドラーは書くことに あまり執着がなかったため、 その多くが「聞き書き」であり、 講演録を編集者がまとめたものが多いのです。 それゆえ、 原著といえども、 各章の問題のつながりが はっきりしなかったり、 重複していたりして、 必ずしも整合性がない箇所があります。 これではなかなか 正確な読み解きはできません。 ですので、 新著『アドラーをじっくり読む』では、 代表作をいくつか選んで、 概要を紹介しました。 実は、本書のタイトルを当初 『アドラーを正しく読む」 にしようという案もありました。 それくらい、 これまでアドラーの著作が 「正しく」読まれていない、 と痛感していたからなのですが、 まずは「じっくり」 読むことが必要だと思います。 もとより、 私の解釈なので、 私とはまったく 異なった読み方をする人は おられるでしょうが、 今後、原著を読む時の 「羅針盤」のような役割を 果たせたらと思います。

リーダーこそ間違いやすい

さて、冒頭に述べた 「共同体への貢献」 という観点で話を進めましょう。 アドラーのいう 「共同体」 とは、 どこかの会社、 学校やチームなど、 ただ一つの具体的な共同体に 限定されるものではありません。 これはアドラー理解のための 重要なポイントです。 さしあたって、 自分が属する 家族、学校、職場、社会、国家、人類であり、 過去・現在・未来のすべての人類、 さらには生きているものも 生きていないものも含めた この宇宙の全体を指しています。 しかしながら、 現在、経営者をはじめ 組織のリーダーが説明する 「貢献感」は以下のようなものに なってはいないでしょうか。 自身の経営する会社、 運営する組織といった固有の 「共同体」へ「貢献」する気持ちを 持つことが、 従業員や部下を幸せへと導く――。 貢献感を持つことは大切ですが、 リーダーがこのように 考えることは危険なことがあります。 なぜこのようなことを言うか、 説明しましょう。 アドラー心理学は 「使用の心理学」 といわれることがあるのですが、 その意味を誤解している人がいます。 この「使用」とは、 「アドラー心理学を使う」 という意味ではありません。 アドラー心理学の 教えはシンプルですが、 それが教える技法を使うと、 他者がみるみる変わることを知った人が、 アドラー心理学が 「使える」ことに驚くのです。 しかし、 「使用の心理学」 というのは そういう意味ではありません。 大切なことは 何が与えられたかではなく、 与えられたものをどう 「使う」かだということであり、 人は誰でも自分の生を 選びうるという意味なのです。 そもそも 人を操作するために、 アドラー心理学を使えると 考えることは、 正しい理解とは とても言えないのです。 ですから、 リーダーが共同体への貢献を語る時、 従業員や部下を貢献させようとしていないかに注意しなければなりません。

共同体とは「理想」のもの

「共同体」、 そして「共同体感覚」こそ、 自分が環境をどう捉えるかで 幸福になれるかどうかが決まるという、 アドラー心理学の 大切な概念です。 先述しましたが、 共同体とは、 具体的なある一つの共同体ではないのです。 あらゆる意味で垣根を越えた 「理想」の共同体であり、 一つの組織ではなく、 もっと大きな共同体に 所属していると感じていることが、 「共同体感覚」 ということです。 したがって、 共同体への貢献は 特定のある共同体への貢献にとどまりません。 理想主義者であるアドラーは、 それほど理想的な 「共同体感覚」 を求めていたのです。 共同体に所属する人の観点で言えば、 特定の組織や 誰かから承認されればいい というわけではなく、 常により大きな共同体の 利害を念頭に置いて 行動しなければなりませんし、 嫌われようと 何をしてもいい というようなことにも もちろんなりません。 共同体への貢献と言う時、 その貢献によって得られる 「貢献感」は、 決して他人から 押し付けられたものであってはいけません。 貢献感も、 共同体と同じくアドラー心理学の キーワードの一つです。 貢献感を持てば 自分に価値が感じられ、 自分に価値を感じられれば、 課題に取り組む勇気を持つことできる。 この貢献感は 自らの内側から得られるように ならなければ意味がありません。 つまり、 働くことでも、勉強でも、 老いた親への介護であっても、 自分が「貢献している」 という実感を持つことが大切なので、 貢献感は決して 他者から強いられたものであっては いけないのです。

会社という共同体をどう考えるか

アドラーが使う共同体という言葉は ドイツ語ではゲマインシャフトです。 これは ゲゼルシャフト と対比して使われます。 簡単に言うと、 ゲマインシャフトとは 家族や地縁といった共同体組織です。 ゲゼルシャフトとは、 会社をはじめとする 産業や文明での営みを前提とした、 人為的目的をもって 作られた機能的な共同体です。 この区別に従えば、会社組織は、 ゲゼルシャフトです。 しかしながら、 特に日本の企業は、組織への 「貢献」や「忠誠」や 家族的なつながりを求めた、 ゲマインシャフトのような ――あくまでも「のような」―― あり方を続けてきました。 ところで、先に見たように、 アドラーは、 共同体=ゲマインシャフトという言葉を 使っていますから、 会社組織という共同体も ゲマインシャフトになります。 これはどう解すればいいでしょうか。 私の父は 昭和ひと桁生まれの会社員でしたが、 父の会社では 元旦に社員一同が集まって 年頭の挨拶をする慣習がありました。 さすがに 今ではそんな会社はないでしょうが、 通勤電車でも 会社のバッジを付けていたり、 昼休みにも 社員証を下げていたりする人などは、 企業へ忠誠を誓い、 それによって 誇りを得ているのではないでしょうか。 過剰なまでの忠節を提供し、 人生を担保されているかのように見えます。

閉じられた組織は行き詰まる

新卒一括採用、 終身雇用の時代では、 会社へすべてをささげることが、 一つの人生のモデルだったのはたしかでしょう。 しかし、 会社という一つの共同体への貢献は、 それを失った途端に 人を空虚な存在にしてしまいます。 モーレツ社員だった サラリーマンが定年退職後に 行きどころを失ってしまうのも、 そのためです。 ところが、 アドラーがゲマインシャフト という言葉を使う時、 その意味は既存の共同体ではなく、 外へと広がっていく共同体です。 内部では一体感があるけれども、 外に対しては閉鎖的であるという 普通の意味での ゲマインシャフトではないのです。 生き方が多様化した今、 一つの共同体だけへの貢献は、 外部には 敵対的であることを助長し、 その意味でそのような貢献は 危険なものになります。 新卒採用でも、 会社に忠誠を誓う人材を選んでいては、 今後組織は 行き詰まってしまうのではないか と思います。 以前、 旅行代理店で 講演をしたことがありましたが、 その日は たまたま新入社員の 面接試験の日でした。 面接を待つ学生の中に、 アジアの民族衣装を着た人がいました。 その企業の社員と 講演後に話したところ、 「あの子はとらない」 と断言しました。 「奇をてらった人間はいらない」 ということです。 企業へどっぷりと 忠誠を誓う人間しか採用されない ――それでいいのでしょうか。

押し付けられた「貢献」にだまされてはいけない

共同体に貢献することは あくまでも自分の問題です。 組織のリーダーが 貢献感を 部下や従業員に持たせようとするのであれば 問題です。 残念なことに、 過重労働による自殺や、 病気についてのニュースが あとを絶ちません。 「死ぬくらいなら辞めればいい」 と言えば、 話はそんなに 簡単な問題でないと言われます。 特定の「共同体」へ貢献することが、 その人のすべてを作ってしまうという 日本人のキャリア形成の 構造的な問題が背景にあるからです。 リーダーが 恐怖に基づいて貢献を強いるのであれば、 それがおかしいことに 気づくことは 容易かもしれませんが、 話が厄介なのは、 部下に自発的に貢献するように 仕向けることがあるからです。 上司は言うのです。 「私はやれとは言ってない、 あくまでも部下が 自発的に貢献しようとしたのだ」と。 こうして、 自発的な貢献が押し付けられます。 職場で「貢献感」を強調することは、 「ブラック企業」 の論理に近づきます。 いわゆるブラック企業と呼ばれる会社が、 会社にとって都合のいい 「貢献感」を社員に押しつけている 現実があります。 新国立競技場の建設現場で 働いていた方が自殺した事件も とても痛ましいものです。 「東京オリンピック」へ ボランティアとして参加することを、 じつは巧みに 「上」から押し付けようとする働きが あることはとても正しいとは言えません。 巧みな貢献感の 強要に断固として、 自分の中から 湧き出る言葉で 反論できるようになってほしいと願っています。 そのために、 自分が所属する共同体を越えた、 もっと大きく普遍性のある 「共同体への貢献感」を見いだし、 一歩を踏み出すことが、 「幸せになる勇気」なのです。

「嫌われる勇気」を持とう

最後に、 「嫌われる勇気」 という言葉への誤解についても 触れておきましょう。 嫌われる勇気とは、 人のことを考えない嫌われ者が 「嫌われてもいい」 と身勝手に振る舞うことを 勧める言葉ではありませんし、 嫌われても言うべきことは 言わないといけないと、 他者に自分の考えを 押し付けることでもありません。 現実の人間関係への不安を抱え、 貢献感を持てないでいる人、 他人との関わりを恐れている人に 「嫌われることを恐れずに」、 幸せへと飛び出していくことを 後押しする言葉なのです。 その勇気はむしろ 部下の立場にある人こそ 持たなければなりません。 嫌われることを恐れ、 上司の間違いを指摘せず 反論しなくなれば、 組織は衰退していきます。
言い尽くされたことだが 「嫌われる勇気」 は確かに名著だ。 この本を 読めば読むほど 感じるが アドラーを説明して 解説して納得させることは 心理学者よりも 哲学者の方が適任だ。 それは アドラーの言葉の 誤解されやすさにある。 普通の人間が ドイツ語以外の言語で アドラーの本を読んでも 正確に解釈することは かなり 難しいのではないかと思う。 その意味で 哲学者で 心理学にも造詣の深い人物が 日本人にアドラーを紹介することは とても意義深い。 だから こういった 読者の反応に応じた 岸見さんの解説や補足は 非常に意味がある。
posted by sachi at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理

2017年10月28日

田原総一郎ブログ 小池百合子の本当の目論見は、どこで外れたのか?

田原総一郎ブログ より

小池百合子の本当の目論見は、どこで外れたのか?

第48回衆議院選挙が22日、投開票された。 与党は、自民党、公明党あわせて 313議席という勝利に終わった。 安倍晋三首相は、 「衆院選、勝敗ラインは与党過半数」 、 つまり自公あわせて 233議席以上と言っていたのだから、 3分2を超える議席の獲得は、 大勝利と言っていいだろう。 自民党が一時の劣勢から、 ここまで挽回した要因はいったい何なのか。 ひとつ目は、 自民党が成果としてアピールした 「アベノミクス」に、 各党が対案を打ち出せなかったことだ、 と僕は思う。 以前にも話したことだが、 アメリカ、イギリス、フランスなど、 欧米の先進国は2大政党だ。 ひとつは、自由経済をうながし、 政府は社会に深く介入しない、 つまり小さな政府を目指す 「保守政党」。 対する 「リベラル政党」は、 社会保障に厚い大きな政府を志向する。 保守政党の政権で 自由競争が続くと格差が広がり、 不満が高まる。 そこで選挙を行うと、 社会保障が厚いリベラル政党が勝つ。 政権をとったリベラル政権は、 社会保障や福祉に、 どんどん税金を投入する。 当然、財政が悪化する。 そこで財政再建のため、 小さい政府を志向する保守政党が 次の選挙では勝つ。 こうして、政権交代が起きていくのだ。 だが自民党というのは、 保守政党でありながら、 経済面ではリベラルだ。 自由経済主義ではないのだ。 これは、 日本人が自由経済を嫌いなことに要因がある、 と僕は考えている。 だから、 かつて竹中平蔵さんらが 「新自由主義」を掲げたとき、 国民はたいへんな拒否反応をみせたのだ。 そのため日本の政党は、 自民党を含めてみんな 経済面ではリベラルになった。 みんなリベラルなのだから、 野党が対案が出せないのも仕方ないだろう。 いま、自民党は消費税を2%引き上げ、 10%にしようとしている。 これに対して、野党はもちろん大反対だ。 だがしかし、 そもそも消費税を10%にするということは、 三党合意で決定したことだ。 民主党の野田佳彦政権のときのことである。 だから、野党の態度は、 反対するための反対に思えるのだ。 そもそも欧州では、 消費税率20%前後が当たり前である。 日本の財政を考えても、 消費増税反対には まったくリアリティがない。 さて、 自民党が挽回した要因の もうひとつの理由だ。 それは、 東京都知事の小池百合子さんにある、 と僕は考えている。 希望の党と民進党が合流した際、 「全員を受け入れる気はさらさらない」と、 小池さんが言った。 この冷たい発言が、 最後まで尾を引いた。 なぜ、こんな言い方をしてしまったのか。 実は、この発言の前に小池さんは、 若狭勝議員と細野豪志議員が 画策していた新党立ち上げについて、 ばっさりと 「リセットします」と言い放っていた。 ここまでは、 メディアにも国民にも受けていた。 小池さんは これに気をよくしたのではないか。 だから、 わざと厳しい言い方を してしまったのではないか。 希望の党が野党第1党となり、 自公が過半数割れすることを 小池さん自身、 目論んでいたのだろう。 もっと言えば、 安倍首相が退陣、 石破茂さんがそのあとを引き継いだところで、 自民党と連立する、 という青写真だ。 以前、僕は、 「『小池さん』という人は、 非常に不思議な存在だ」 「党にビジョンがなくても、 「小池さん自身がビジョンになれる」 と書いたことがある。 小池さん自身が、 「希望の党」の象徴なのだ。 だからこそ、この発言は痛かった。 今回の選挙は、 与党の勝利に終わった。 だが国民は、 安倍政権を選んだのではない。 ほかに選択肢がなかっただけだ。 そのことを、 安倍さんは肝に銘じてほしい。 長期政権のゆるみから、 森友・加計学園問題が起きた。 一時は政権の危機になった。 そのことを、 安倍さんはちゃんと自覚しなければならない。 いい気になってはいけないのだ。
内容の全てに賛成ではないが 読む価値のある文章だ。 田原さんの視点は 他の人が設定しない位置にある。 そして 歴史観が優れている。 野党がすることをなくしてしまうのが 自民党の戦略と言えなくもないが、 それはある意味では 当然のことで オリジナルが 自民党だろうが野党だろうが 良いと思うことは なんでもやるというのは 基本的に正しい。 自民党は野党のアイデアに 何か少しの変化やオプションを加えて 政策にしてしまうこともある。 だから野党も そういったことをやればいいのに 何かこだわりがあるのかやらない。 だから 憲法改正は賛成だが 安倍政権の下の改正は反対などと わけのわからないロジックに迷い込んでしまう。 それは確かに 今までの解釈改憲とか 安保法制の扱いに それなりの問題を感じ その延長線上であることを根拠に 安倍政権の下では となるのだろうが 普通に聞けば 反対のための反対ととられかねない。 むしろ 改憲案の中身で もっと 主張をはっきりさせるべきところだ。 小池さんのことについては 大きな尺度で見れば まだ成功もしていないし 失敗もしていないと見るので 田原さんの論に 賛成も反対もしない。 しかし これは半分妄想だが 小池希望の党が 大勝利をおさめていたら どうなっていたかを 考えると ちょっと恐ろしい気がする のも確かだ。 旧民進党の 議員の多くは 小池さんを差し置いて 自分たちの力であることを 誇示するだろう。 そして 結局主導権を得ようとして ガバナンスの効かない 民進党と同じ状態に なっていたのではないかと 希望の党の 両院懇談会の様子を聞けば 想像できる。 つまり 選挙に勝っても負けても 選挙後の両院懇談会は あまり変わらなかったと思っている。 だから 長い目で見れば 希望の党は まだ始まってもいないし 終わってもいない。 旧民党出身者は なにをやっても 結局自分たちの支持を 落とすだけなので とりあえず好きなことを してればいい。 旧民進党出身者が 妥当安倍政権と言えば言うほど 安倍政権は 延々と続くのではないか と思われるほど レベルが低い。 救いようがないことが 希望の党にいったことで さらに明らかになった。 もう一つ 田原さんの論に 異論を挟むとすれば 安倍政権の評価であるが そもそも世論調査で出てくる 数字は 安倍政権に限って言えば かなり あてにならないのではないか ということだ。 安倍政権支持を隠す人は 案外多い。 (トランプさんもそうだったようだが 中身の意味はかなり違うと思うが) 結局安倍政権が続いて欲しいと 思ってはいても 正面切って支持しているとは 言いたくない心理があるようだ。 それがなぜかは 一概には言えないが 一つには 安倍首相には多少右翼的なイメージが絡むため 素直に支持していると言いづらい面がある。 また 経済的な恩恵をある程度受けている場合 隠しておいてさらに頑張って欲しい、 また、支持が高くなりすぎると 経済政策が緊縮の方に向かうのではないかと 考える人もいるようだ。 とにかく安倍さんは 女性にはわかりにくいと 感じられてしまうし 硬くて真面目な性格だから 小泉さんのような 人気というわけにはいかないと思うが 実は確実に安定感を むしろ強めているのではないか もりかけ問題にしても 多くの人は批判はしても 本当に大変な問題だとは 思っていない。 むしろそのために やめてもらっては困るという人が 今回の大勝利に つなげたのではないかとも考える。
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2017年10月27日

橋下徹 丸山という口のきき方も知らない若造が勘違いしてきた

橋下徹twitter     より

橋下徹 丸山という口のきき方も知らない若造が 勘違いしてきた

@維新国会議員にも 丸山という口のきき方も知らない若造が 勘違いしてきた。 国会議員は永田町病にすぐかかる。 丸山も自分の力で当選したと錯覚している。 お前が勝てたのは松井さんが 知事をやっているからだ。ボケ! 代表選を求めるにも言い方があるやろ。ボケ! こいつには一度注意したのにあかんな。 A維新も代表選をやればいいが、 松井さんは手を挙げないだろうね。 国政政党の代表なんて 松井さんには何のメリットもない。 しんどいことだけやらされて 国会議員に高い給料にふんだんの活動費、 破格の身分を与えるだけ。 維新の国会議員が代表に就いて 次の選挙で維新は消滅。 B地方議員の大阪維新の会は、 大阪での実績があるので 代表・執行部が変わっても 何とかなるかもしれない。 それでも行政権を握る首長が 重要であることにかわりはない。 他方、弱小野党の国政政党日本維新の会で 松井さんが降りたら日本維新の会は終わり。 C大阪維新の会はしらんけど、 日本維新の会では 国会議員は 松井さんに代表をお願いする立場だろ。 永田町にいると政党の代表は 誰もがやりたいポジションだと思い込む。 大阪からすれば 日本維新の会の代表なんてやりたくないわ、 丸山のボケ。 結局国会議員、 特に丸山がお願いするという落ちになるだろう。 D丸山のボケも含む 『大阪』の日本維新の会国会議員が 何故当選できるか。 それは大阪府政市政が 大阪では報道され、 そして実際府民市民が 府政市政の前進を感じているからだ。 一度大阪維新と 日本維新を切り離して、 丸山のボケに大阪維新の力を 学ばせるしかなさそうだ。 それとまず言葉遣いから学べ、ボケ!
橋下徹が嫌いな方々には 橋下徹の言説を わざわざこうして並べるのは とても不愉快かもしれない。 そこはお許し願うとして ぜひ 嫌いな方は嫌いなままでいいので 一つの考えとして お聞きいただきたい。 橋下徹を面白いと思う人間が どう面白いと思うか ということの 一つの形だが 政治家というものの あり方についての 話でもある。 それは 確かに 普通の人が 職場や学校などの ある程度社会的な場所で 30やそこらの若造捕まえて 「ボケ」 を連呼するのは いかがなものかという 「常識」 の存在も認めるし そのことに異論はない。 ちなみに 「ボケ」は 今回のツイートで9回連呼されていると TBSラジオで荒川強啓さんが言っていた。 「ボケ」9回連呼は 確かに多いが もちろん回数が少なかったら 良いという問題ではない。 9回の「ボケ」に何を見るか これが 良いか悪いかの判断はさておき 見るべきものは 感受性の 質と強さだと思っている。 橋下徹は 高い発信力を持っている。 それは 橋下徹の好き嫌いに関わりなく 誰もが認めるところだし 嫌いな人の嫌いな所以も 発信力の高さと深く関係する。 発信力が 外への力だとすると 内への力は感受性だ。 橋下徹の発信力は優れているが その発信力の元は 並外れた強烈な感受性に 支えられている と見ている。 つまり 強い内への力があればこそ 強い外への力に なり得るということ。 そして 外へ力が発揮されるところでは 普段は内への力の片鱗を なかなか見られないものだが 時々ある程度偶発的に 片鱗を垣間見ることができる。 「ボケ」 とは その片鱗だ。 橋下徹は相手を 「ボケ」と感じたのだ。 橋下徹の面白さは つまり感受性の強さだ。 これは政治家にとって 大事なものだ。 様々なものから 様々な情報を 感じ取ったり 読み取ったりする。 人一倍それが強ければ 高度な状況判断ができて 人を動かすことができる存在になる。 しかし 橋下徹の言う 「ボケ」 とか 「ガラクタ」 の類の政治家は 根本的に その 受け取る力が弱い。 物事をよく見て 様々な要素を総合して 自分の出方や言い方 またそういったもののタイミングを 考えているようには 到底見えない。 民進党出身者が 小池人気にあやかって 希望の党入りをしたにも関わらず 選挙でうまくいかないと 小池辞任を要求したり ボケ議員が 松井おろしを画策したり 道徳論とか 善悪の問題以前に 仕組みの理解や洞察の問題だ。 仕組みの理解や洞察がないから 出来上がった仕組みの上にあぐらをかいて その仕組みは何食わぬ顔で利用するが その成り立ちを考えたり その仕組みを維持するための 労力や知的コストについては 考えようとしない、 自分には関係のない 誰かがやることだと思っている。 しかし自分の都合に合わなければ 文句は言う。 こういったことは 人間性の問題とも言えるが 元は 内への力の弱さ・感受性の弱さ・洞察力の 貧弱さからくる。 政治家の仕事とは つまるところ 人を動かすことだ。 歴史的には 無理やり力で動かそうとする人も多くいた。 しかし 今はそれは効率のいい方法ではないし 今はそれでは結果的に 自分が排除されてしまう可能性の方が高い。 良い人の動かし方とは 「気持ちよく動いてもらう」 のが理想でベストだ。 そこまで理想的な状態は少ないとしても 人を動かすには また人に動いてもらうために必要なのは 人というものの深い理解と洞察 政治の仕組みの深い理解と洞察だ。 橋下徹の怒りを買うような ボケやガラクタが 単に道徳的道義的に 問題だといっているのではない。 問題は 政治家としての適正を 著しく欠いているのではないかということだ。 それは本人にとっても 世の中にとっても不幸なことだ。 人を動かせない政治家が 人を動かすためにとることを考えれば 策略・謀略・うそ、良くて利益供与だ。 つまり世の中の害になるしか無くなってくる。 学校の成績が良くて 学歴が高く 様々な能力に恵まれていて 順風満帆の人生を送ってきても この洞察や感受性のダメな人間はいる。 たまにいるのではない 結構いる。 そしてさらに悪いことには 本人はそれに気づかない。 順風満帆な生き方をしてきて 自分はどんな分野でも 世間一般より能力があると 結構本気で思っていたりする。 官僚の中には あらゆる事務処理能力に長けていても そういった人を動かしたりするのが 苦手だから 官僚になったという人の話も 聞いたことがある しかし 官僚から政治家になった人の中には そういうことに全く気づかないが故に 政治家に転身した人がいる。 確かに 「ボケ」だ。 感受性がボケている。 そういった人たちの 対極にいる 強い感受性を持っているのが 橋下徹であり 小泉進次郎なのだ。
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2017年10月26日

坂本龍一のキュレーションで聴いて、見て、感じるグレン・グールド

T JAPAN The New York Times Style Magazine    より

坂本龍一のキュレーションで 聴いて、見て、感じる グレン・グールド

20世紀、最も個性的なピアニストと称されたグレン・グールド。その生誕85周年を記念したライブやエキジビションなどの特別企画が、坂本龍一氏のキュレーションで開催。T JAPAN webのチケット先行発売も!

1932年にカナダに生まれ、 1982年、50歳の誕生日の9日後に 脳卒中のため急逝したピアニスト、 グレン・グールド。 「20世紀でもっとも個性的なピアニスト」 「孤高のピアニスト」 「斬新な解釈でバッハ演奏を一新した」 など、彼を称賛する言葉は数多い。 14歳でピアニストとして国内デビュー、 17歳で米国デビューし、 同年録音した バッハの『ゴールドベルク変奏曲』 によって一躍、その名声を高めた。  2017年、カナダのグレン・グールド財団は、世界各地でグレン・グールド生誕85周年を記念した企画展やコンサートを開催してきた。その掉尾を飾るのが、12月に東京・草月ホールとカナダ大使館で開催される『Glenn Gould Gathering』だ。 キュレーターを務めるのは、 グールドの コンピレーションアルバムの選曲を 務めたこともある坂本龍一。 幼少期からグールドの音楽性と 個性的な演奏スタイルに憧れ、 つねにグールドを敬愛してきたという。 『Glenn Gould Gathering』は、 そんな坂本のキュレーションらしく、 多彩な表現レイヤーによって グレン・グールドの 音楽世界を体感するしかけとなった。 坂本自身も出演するライブには、 長年親交のある ドイツのサウンド・アーティスト、 アルヴァ・ノト、 オーストラリアのエレクロト・アーティスト、 クリスチャン・フェネスなど、 注目のアーティストが 海外から集結。 さらには グールド研究の第一人者である宮澤淳一、 批評家の浅田彰 ほかが出演するークセッションや、 サウンド・インスタレーションを 含むエキジビション、 関連作品の上映と、 アニバーサリー・イヤーの 締めくくりにふさわしい豪華な コンテンツが用意されている。 映像・会場構成を手がけるのは、 坂本との共同制作もある高谷史郎。 最新テクノロジーによる 映像インスタレーションや パフォーマンスなど、 多面的な活動を続けるアーティストだ。 国内外の最新・最高のクリエイターたちが 敬愛の念をこめて腕をふるう特別企画は、 グレン・グールドのファンならずとも 心躍らずにはいられない。 12月、目も耳も、 心までも刺激する “グレン・グールドの世界”に触れてみては。 Glenn Gould Gathering <ライブ> 期日:12月15日(金)・16日(土)・17日(日) 会場:草月ホール <トークセッション> 期日:12月15日(金)・16日(土)・17日(日) 会場:草月会館2階談話室 ゲスト: 12月15日(金)宮澤淳一 12月16日(土)國崎晋、坂本龍一 12月17日(日)浅田彰、宮澤淳一 料金: ライブ<指定席>&トークセッション <自由席> \10,000(税込) ライブ<指定席> \8,500(税込) トークセッション<自由席>¥1,500(税込) チケット販売: T JAPAN web先行発売 10月20日(金)12:00〜 専用URL:https://l-tike.com/st1/tjapn-ggg  ※受付期間:11月9日(木)23:59まで。  ※先着20枚のみ(上記各チケット枚数限定あり)。  売り切れ次第終了となります。 ほか、各種プレイガイド先行発売 10月20日 (金)12:00〜 一般発売 11月11日(土)〜 ※年齢制限は設けていませんが、3歳以上の方はチケットが必要です。 ※お一人さま4枚まで。 ※セットチケットのトークセッションは、ライブ公演日のご入場に限ります。 ※トークセッションは先着順の自由席となります。 問い合わせ: DISK GARAGE TEL. 050-5533-0888(平日12:00〜19:00) ――――――――――――――――――――――――――― エキジビション (無料) 期日:12月13日(水)〜12月17日(日) 会場:草月プラザ 関連作品上映 (無料) 期日:12月13日(水)〜12月17日(日) 会場:草月会館/カナダ大使館 オスカー・ピーターソン シアター
ピアニストも 作曲家と同じように 時代のスタイルがあって その時代にはもてはやされるが 時代をすぎると あまり取り上げられなくなる人もいる。 しかし 時代を超えて 愛されるピアニストは 少数だが確実に存在する。 現代の、特に若いピアニストは 非常に内容も安定していて 技術的にも申し分ない人が多い。 「大人」な弾き方をする。 決して悪いことではない。 しかし 流石に グレングールドのような 一つの何かに 極端なこだわり見せ そこに 全く独自の 美意識を展開するスタイルの ピアニストはいない。 もっとも 現代のピアニストにいないだけではなく この先も出ないのかもしれない。 そういうものに 坂本龍一が反応するのは 全く驚くことではない。 坂本龍一が どうグレングールドを楽しむのか そこに何を見ているかの それは知りたい。
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橋下徹 憲法改正論議や安全保障論議が現実的なものになるという結果を生み出したことは日本にとって良かった

BLOGOS  より

橋下徹 憲法改正論議や安全保障論議が現実的なものになるという結果を生み出したことは日本にとって良かった - 10月23日のツイート

小池さんと 前原さんにとっては 敗北だろうが、 民進党を2つのグループに整理し、 政党を行ったり 来たりするチョロネズミが 駆除され、 今後の国会においては 憲法改正論議や 安全保障論議が現実的なものになる という結果を生み出したことは 日本にとって良かった。 両名の大功績。 二大政党制への道のりは長い。
確かにその通りだ。 日本の国にとって お二人は 大功績だ。 人間の自我は 基本的に 利己的なものだ なんだかんだ言っても 自我は利己的でなくては 生存の危機に直面する。 しかし 潜在意識 意図せずに行う行動を含め 潜在意識の中には かなり 利己的なものから離れた 深い理想を追求するものがあって 時々顔を出すもの。 お二人にとっては とりあえず 失敗だと お考えだろうが 少し意識の深いところでは 十分な素晴らしい お仕事をしている。 決して偶然ではない。 直接 憲法改正とか 安全保障関連の論議が進みやすいとか そう言ったことは 当然だが もっと大きなところで 日本の政治・日本人の政治意識が 少しではあっても 確実に成長・成熟する方向に 進めていることが 本当に評価されるべきことだ。 深い自己への信頼を持って これからも進めてほしい。
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「レイプ被害の救済システム整備を」 伊藤詩織さん会見

朝日新聞デジタル より

「レイプ被害の救済システム整備を」 伊藤詩織さん会見

レイプ被害を訴えている ジャーナリストの伊藤詩織さん(28)が 手記を出版し、 東京・有楽町の日本外国特派員協会で24日、 会見した。 伊藤さんは姓は明らかにしていなかったが、 10月に手記 「ブラックボックス」(文芸春秋刊) を出版したことを機に公表。 英語と日本語でスピーチし、 「捜査や司法のシステムの改正に加え、 社会の意識を変えていくこと、 レイプ被害にあった人を 救済するシステムの整備が必要だ」と話した。 伊藤さんは2015年4月、 就職相談のため、 元TBS記者の男性と都内で飲食した際に、 意識を失い 望まない性行為をされたとして、 警察に告訴。 準強姦(ごうかん)容疑で捜査されたが、 嫌疑不十分で不起訴処分となった。 今年5月に検察審査会に 不服の申し立てをしたが、 9月に「不起訴相当」の議決が出た。 この際、男性は 「一連の経過で 犯罪行為を認定されたことは一度もなく、 今回でこの案件は完全に終結した。 一部報道などで名誉が著しく傷つけられ、 法的措置も検討している」とコメントした。 会見で伊藤さんは、 警察が 「よくあることで捜査するのは難しい」 となかなか 被害届を出させてくれなかった ことなどをあげ、 「警察にも検察にもたくさんの ブラックボックスがあることがわかった」。 「日本では7月に改正刑法が施行されたが、 強制性交罪も、 被害者が抵抗できないほどの 暴行・脅迫を受けたと証明できないと 罪に問えないことは変わらない。 3年後の見直しでさらなる議論が必要だ」 と述べた。 また、今年5月に会見したことに触れ 「公にしてからバッシングを受けて、 前のように生活できなくなった。 しかし、 隠れなければならないのは被害者ではない。 話すことで良い方向に変えていきたい。 特定の誰かやシステムを非難するだけでは変わらない」と話した。(河原理子) ■伊藤詩織さん会見、一問一答の抜粋 Q(イタリアの放送局) アメリカでもイタリアでも世界中で、レイプは問題になっている。日本で、他の女性から、連帯の言葉や今の状況を変えようというサポートの言葉はあったか。 A(伊藤詩織さん) 日本では女性の弁護士からたくさん連絡があったが、組織・団体からはなかったと思う。イギリスの団体から連絡をもらい会いに行き、話す機会はあった。 Q(フランスの新聞) この件について日本の女性と話したとき、シンパシーがあまりないことに驚いた。女性のなかで連帯の気持ちがないことは問題と考えるか。また、国会でも議論されるべきだと思うか。 A この件について、女性からもバッシングやネガティブなコメントを受けた。この社会で生きる女性はある意味で忍耐強いものを持っており、これしかないと思ってしまっているのではないか。ジェンダー平等についてスウェーデンで取材したら、警察でも女性が30%を占めていた。日本社会では女性の地位が違う。機会があれば、違う意見を持っている女性と話して、どういう背景があるのか聞いてみたい。  二つ目の質問については、当時の警視庁刑事部長に(取材を試みているが)答えをもらえていないし、ブラックボックスがたくさんあるので、国会でも議論してもらえればと思う。 Q(イギリス 新聞) レイプ被害を公にして社会を変えようとする強さはどこから来るのか。また、日本のジャーナリズムはアクセスジャーナリズムで、人々の苦悩や葛藤をすくいあげる力が少ないのではないかと思うが、どう考えるか。 A 私は自分のことを強いとは一切思っていない。警察に行くときから迷った。だが、自分のなかで真実にフタをしてしまったら、真実を伝えるジャーナリストとして働けない。これを個人的なことだとは考えなかった。自分が経験したことに偽りはなく、受けた傷は真実。これがもし妹に起きたら……。自分が話さなかったために同じことが起きたら、とても苦しい。  2点目については、同じことを考えてきた。なかなか聞き取れない声をくみ取れなかったことは残念だ。報道の自由度ランキングでも日本は70位以下だ。
ことの内容を踏まえれば 当然言葉を慎重に選ばなくてはならない。 真偽については あえて触れないが 一般論を言えば この件を 社会全体に訴えたければ 選挙期間中を避けたほうが よかったのではないか。 選挙期間中に 広告が出るのは かえって マイナスだったのではないか。 「李下に冠を正さず」 を重んじる日本人は多い。 そして 李下に冠を正すことだけでも 非難を受ける対象になることを考えると 時期を外した方が 信頼性を高めたと思う。
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2017年10月24日

小泉進次郎「新聞に軽減税率はおかしい」 生中継で発言、ネット「よく言った」

     より

小泉進次郎「新聞に軽減税率はおかしい」 生中継で発言、ネット「よく言った」

2017年10月22日投開票の 衆議院議員選挙で、 神奈川11区で当選した 自民党の小泉進次郎氏(36)が 各テレビ局の選挙特番の生中継で、 新聞が「軽減税率」 の対象となっていることに異議を唱えた。 小泉氏は これを主張し続けているにも関わらず、 テレビや新聞ではなかなか報じてもらえないと 訴えた。 生中継を活用した国民への訴えに、 「よく言った」などと反響を呼んでいる。 新聞協会 「活字文化の維持、普及にとって不可欠」 軽減税率とは、 消費税率引き上げに伴う低所得者対策で、 消費税が現行の8%から10%に引き上げられる2019年10月1日から実施される予定。 軽減税率の対象となっているのは、 (1)酒類・外食を除く飲食料品 (2)週2回以上発行される新聞 (定期購読契約に基づくもの)で、 税率は8%のまま据え置きとなる。 対象となる新聞は、 「一定の題号を用い、 政治、経済、社会、文化等に関する 一般社会的事実を掲載する」 ものとされている。 日本新聞協会の公式サイトによると、 新聞に軽減税率が必要な理由は、 「ニュースや知識を得るための負担を減らすため」 「読者の負担を軽くすることは、活字文化の維持、普及にとって不可欠」 であるため。 2015年には消費税の軽減税率制度に関して、 「わが国の民主主義と文化の基盤となっている新聞(電子媒体を含む)については、知識への課税は最小限度にとどめるという社会政策上の観点から書籍、雑誌等とともに軽減税率を適用すべきである」 と声明を発表している。 なお、 現時点で有料の電子版の新聞は対象外となっている。 しかし、 小泉氏はこれに異議を唱える。 22日の選挙特番の中継で 最初にこの件について触れたのは、 TBS系「激突!与野党大決戦 選挙スタジアム2017」 だった。 星浩キャスターからの 自民党は財政再建を先送りにしているのでは という質問に、 「消費税の関係で言わせてもらうと」 と話を切り出した。 「私は新聞が軽減税率対象っておかしいと思います。 これテレビ新聞はほとんど報じてくれないんですよね。 消費増税を訴える新聞が、 自分たちの消費増税を負担しないという事を あまり報じないっていうのはフェアじゃない」 星キャスターから 「軽減税率の見直し、是非訴えて欲しい」 と声を掛けられ、 小泉氏は 「今回の選挙でもね...」 と話を続けようとするも、 別の出演者から 「進次郎さん、ありがとうございました」 と遮られて中継は終了。 「すみません、お時間が来てしまいました」 というアナウンス後、 台風情報へ話が切り替わった。 「『報道されない』からこその手法」 続くテレビ東京系 「TXN衆院選SP 池上彰の総選挙ライブ」 では、 ジャーナリストの池上彰さんから 自民党の中で 安倍晋三首相に批判的なことを 言えなくなっているのではないかと問われた。 小泉氏は 「新聞の軽減税率反対だって言ってもね、なかなかテレビで報じてもらえないんですよ。新聞なんかほとんど書かないんですよ」 と嘆くも、中継はそこで終了。 池上さんは 「後でちゃんと報じますから」と、 事前取材での 小泉氏の同様の発言を オンエアすることを約束した。 その後 放送された事前に撮影された 小泉氏と池上さんの対談では、 「新聞が軽減税率の適用対象というのは、 増税を訴えている 新聞が軽減されるって 筋通ってないですよね。 他の業界で軽減税率を適用されるのは、 食品を抜かせば新聞だけですよ。 これおかしいと思いますよ。 これはね、ずーっと訴えてきてるんです」 と主張。池上さんから 「新聞社を敵に回しますね」 と言われても動じず、 「これを敵に回すとしたら、 新聞社のジャーナリズムって そんなもんなんだなと思いますね」 と言い切った。 「新聞の主張を国民の皆さんに伝える上で、 筋通っているか通っていないかって すごく大事じゃないですか。 国民の7、8割が新聞を読んでいて、 『これは食べるものと 同じくらい日々欠かせないものだから 増税されたら困る』 っていう声があるなら分かります」 と説明すると、 池上さんは 「新聞社がそういう主張をしていますよね」 と相槌を打った。 「逆じゃないですか。 どんどん新聞が読まれなくなっていく。 そういうこと考えたらね、僕はおかしいと」 と主張を貫き、国民へ議論を促した。 さらに日本テレビ系 「ZERO×選挙2017」では、 村尾伸尚キャスターから 自民党は 財政再建を本気で取り組む覚悟があるか との質問がされた。 小泉氏は 消費税の使い方を変えたいという 安倍首相の訴えを引き合いに、 消費税の集め方も変えるべきと指摘した。 「消費増税をしろしろと言っている新聞は 消費増税を負担しないんですよ。 おかしくないですか? だけどこれは テレビも新聞も ほとんど流してくれませんよ。 私は消費増税をやれと言っているんだったら、 自分たちだって消費増税を 受け入れるべきだと思いますよ」 と主張。 「メディアも含めて議論していきたい」 と返す村尾キャスターに、 「是非村尾さん、 この問題は テレビもなかなか色々なところに 忖度があるのか、 あまり報じてくれないんですけど。 是非ですね、 これ本当になぜ 食品以外は新聞だけなのかっていうのは、 是非期待していますから」 と語り、 その後は別の出演者からの質問に移った。 「ほとんど報じてくれない」 という新聞の軽減税率問題を、 あえて テレビの生中継で訴えた小泉氏について、 ツイッター上でも 「テレビでそれをよく言ったなという感じ」 「編集しようのない生放送で 新聞軽減税率問題を ぶっ込む小泉進次郎はやり手やなぁ」 「『報道されない』からこそ、 この手法なんでしょうね」 など反響を呼んでいる。 同日夜、 首都圏で放送のあった NHK「2017衆院選 開票速報」、 テレビ朝日系「選挙ステーション」、 フジテレビ系「FNN選挙特番 ニッポンの決断!2017」 の選挙特番でも 小泉氏のインタビューが中継されたが、消費税については話題に上らなかった。
もう20年以上前の話になるが 国内のあるプロのクラシック音楽の演奏団体の メンバーから聞いた話だが その団体は 他のクラシック音楽の演奏団体と同様に 経済的に決して楽ではない。 だから 公的な助成金での演奏会も行うし 文化庁の助成で行われる 学校の芸術鑑賞会などに参加することもある。 しかし 公的な助成に頼りすぎることは よくないししていない。 自分たちの考えが 必ずしも 時の政権の主張と同じとは限らないし 多額の助成を受けることで 自分たちの主張が 鈍ったり 抑えられたりすることがあっては ならないからだ。 という旨の話を聞いたことがある。 その団体は ジャンルはオーケストラではない オーケストラほど メジャーなジャンルではないが 子供から大人まで 多くの人がよく耳にするジャンルで 決して マイナーなジャンルでもない。 そして そのジャンルでは確かにトップレベルで 歴史も長くCDもかなり出ている。 考え方としては 真ん中よりは 多少左寄りで 反戦平和などの主張が 見え隠れすることはあるが 演奏作品の中に感じられるだけで その主張が作品を差し置いて 強調されることはないので 偏っているという印象はない。 ちなみに その団体の演奏会では 天皇陛下はじめ 皇族方も 複数回お見かけした。 だから 偏向報道の問題とか 新聞がもはや生活の必需品ではない とかより まず 大切なことは 表現の自由・言論の自由なのだ。 そして 報道や言論・表現に関わる団体であれば 公的なお金の仕組みなどとは 一歩距離を置くくらいの 良識が問われて良い。 『李下に冠を正さず』だ。 軽減税率が 適用になるということは 国民の税金が そこに入るということと 本質的には同じだ。 そこで報道される内容は 全くそのための影響を受けない とは言い難い。 そこは報道機関の側が 慎重になるべきことだ。 会社にとって経済的な問題は確かに 重要な問題だが 朝日新聞社員の平均年収が 1262万円であることを考えると、 そんなに経済的な手当が 必要とも思えない。 社会全体のためにも、 報道機関自身のためにも 言論・表現の自由は もっと大切に扱われるべきだ。 こちらもご参考に
posted by sachi at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2017年10月23日

小泉進次郎氏、遊説で国民の「飽き」や「不信感」を感じたと説明

日本経済新聞  より

小泉進次郎氏、遊説で国民の「飽き」や「不信感」を感じたと説明

自民党の 小泉進次郎筆頭副幹事長は22日夜、 NHK番組に出演し、 今回の衆院選の 遊説における 聴衆の反応について 「全国で感じたのは おごりや緩みだけではなく、 『飽き』だ」 と述べた。 学校法人 「加計学園」の問題などに関し 「不信感を持っている方々が全国にいる」 との認識も示した。 安倍晋三政権は信任を得られたか、 との問いに答えた。 来秋の党総裁選で 安倍首相の3選を支持するか、 との問いには 「政治の世界は何が起こるか分からない。 来年のことを話すのは早いのではないか」 と述べた。
「飽き」 という分析は正しい。 長期政権の辛いところは その「飽き」。 どんなに正しいことをやっていても 「飽き」に勝つのは大変だ。 しかし これは 楽観論というのとは すこしニュアンスが 違うのだが 安倍内閣を 支持するかしないかといえば 半分くらいは もう飽きたし あまり面白いことも言わなくて つまらないから 支持しないと答えるが 支持はしないけど 首相は 安倍さんにやっててもらわなくては 困るという人は結構多いようだ。 つまり 政策とか政策の結果でいえば 結構実際には支持されているのだが 性格がつまらないと感じている という人が案外多いようだ。 そういうことを 複数の人が語っていて それなりに 気持ちは わかるなあと思っていた。 それが 今回の結果を見れば 全くなるほどなのだ。 これは 逆に考えれば つまらない性格なのに 票は取るんだから 立派だといえなくもない。 なんだかんだ言っても 結構評価されて 実際には 政権も支持されていると 見ることもできる 実は 一つのいい形 なのかもしれない。 強いて言えば 何か 強めの ワンポイントが あっても良いのだろう。
posted by sachi at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治
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