2011年06月15日
天正十年(1582)6月15日坂本城落城&安土城焼失の日。
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天正十年(1582)6月15日坂本城落城&安土城焼失の日。
13日の山崎の戦いで秀吉に負けた明智光秀が、敗走中に土民の槍にかかり落命しました事は先日述べました。
その日に安土城守将・明智秀満の元へ山崎の敗報が届いたと伝わります。その後秀満は翌十四日未明に安土城を発し、坂本城へと向かいました。
明智一族は秀満に委ねられる事となったが、坂本城は既に秀吉勢に包囲されていました。秀満は防戦する一方で明智家の家宝を「戦火で焼失するは心もとない」と秀吉軍・堀秀政の家老に送り届けます。
その処理が済むと光秀や自身の妻子を刺殺した後、坂本城に火を放って自刃と伝わる。享年四十六歳(諸説あり)。
一方、安土城では秀満退去後に信長の息子・信雄と蒲生氏郷が入城するが、何故か? 信雄は安土城に火を放ち、この日天守は焼け落ちてしまいました。
天正十年(1582)6月15日坂本城落城&安土城焼失の日。
13日の山崎の戦いで秀吉に負けた明智光秀が、敗走中に土民の槍にかかり落命しました事は先日述べました。
その日に安土城守将・明智秀満の元へ山崎の敗報が届いたと伝わります。その後秀満は翌十四日未明に安土城を発し、坂本城へと向かいました。
明智一族は秀満に委ねられる事となったが、坂本城は既に秀吉勢に包囲されていました。秀満は防戦する一方で明智家の家宝を「戦火で焼失するは心もとない」と秀吉軍・堀秀政の家老に送り届けます。
その処理が済むと光秀や自身の妻子を刺殺した後、坂本城に火を放って自刃と伝わる。享年四十六歳(諸説あり)。
一方、安土城では秀満退去後に信長の息子・信雄と蒲生氏郷が入城するが、何故か? 信雄は安土城に火を放ち、この日天守は焼け落ちてしまいました。