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千倉町久保神社の神楽舞

房総の時間:千倉町久保地区の久保神社の神楽舞です。

昔はおびしゃの行事で神楽舞が奉納されておりそれが現在に伝わっている。当時は区長はじめ各家をまわり厄除け、無病息災を祈願していた。神楽舞は一旦中断したが平成に入って青年会が中心となって復活させた。神楽の頭は大小2基ありいずれも迫力のある表情をしており細部の造りが凝っている。何度か修理しているそうだ。



朱の鳥居がいい。社殿は珍しい茅葺きで独特な組み合わせが印象的。


青年会の方々がいろいろと説明してくれた。たいへん誠意を感じました。伝統芸能を継承している若い人たち立派です。息子と同級の方に出会いました。


夜の神楽舞は不思議な雰囲気がある。曲が多田良岡の神楽舞と似たところがある。もとは同じ系統なのかもしれない。


動画:久保神社の神楽舞。提灯の明かりと神楽舞。昔にタイムスリップしたようだった。



動画:久保神社の神楽舞。帰りに福袋までいただいてハッピーでした。













古茂口日枝神社の獅子神楽

房総の時間:館山市古茂口、日枝神社の獅子神楽です。

五穀豊穣・家内繁栄を祈願して奉納され序の舞・幣束の舞・剣の舞・くずしの舞・民舞を行う。鼓を打つのが珍しい。毎年1月第2(日)の春祈祷と10月の祭礼で奉納される。



日枝神社は高台にあって登り口が城の虎口のようになっている。境内から古茂口・山萩の田園が見渡せる。


獅子神楽の頭。生き物のように見える。


剣の舞の場面。ここの獅子神楽の舞はいぶし銀の味わいがある。しなやかだったり激しかったりの中に隙が無い。相当に修練を積まれていると思う。


動画:古茂口日枝神社の獅子神楽




動画:古茂口日枝神社の獅子神楽

厳島神社の湯立て神事

房総の時間:館山市西川名の厳島神社の湯立て神事です。(1月13日)

海上安全、大漁豊作の神様ですが湯立て神事が行われます。お湯をかけてもらうと1年間病気をせずに無事に過ごせるそうです。洲崎神社よりも威勢のいい湯立てです。この神事は奈良時代の役の行者に由来しており場所によっては潮祭ともいわれるそうです。



神官の入祭。この小さな橋を渡るシーンが気に入っている。左側は太平洋。


続いて氏子総代や役員が入祭。持っているのはお供えの品物。


動画:厳島神社の湯立て神事。思い切りお湯をまき散らす。



神事の後残ったお湯にタオルを漬けて家に持っていく。お風呂に入れて家族が入ると言っていました。素朴で庶民的でなかなかいい神事でした。













洲崎神社の湯立て神事

房総の時間:館山市洲崎神社の湯立て神事(1月7日)です。
このお湯を浴びると風邪をひかず1年間健康に過ごせると言われております。古来からの神事です。



まず神主さんが祈祷をあげる。



禰宜さんが笹の葉で熱湯を振りまく。かかると結構熱い。


そばで動画を撮っていたらお湯でビショビショに。カメラをかばうのに必死でピントが??




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館山市沼:天神社の年越し神輿

房総の時間です。館山市沼にある天神社では年末の夜に神輿を出します。年越し神輿です。この神輿は昨年改修されて新造のようです。大型で実に立派な神輿です。

私的な感想をいうと@神輿の高さと軒幅のバランスが良いA屋根と枡組み部の形がいい。B胴のくびれと蹴込み・囲垣辺りの収まりが美しい。C台輪の寸法が丁度よいため神輿上部が引き立って見える。D彫り物がすごい、銘があるはず。E木組みの細かさ、また金物がいい。いい仕事してますね。一級の美術品です。



沼の天神社と神輿。この風景は大晦日しか見られません。この晩は風がなくてそれほど寒くなかった。


焚火で暖をとる若い衆。青年会ならではの光景。仲間と酒がうまいだろうな。遠くに館山城が見えてまたいい。今回は人数が少なかったようです。


動画:天神社の年越し神輿:まずは神社の境内でモミサシと木遣です。



動画:美術品の様な神輿:館山の祭礼にも出祭する。こんな神輿を担げる人は幸せ。



動画:大晦日の街へ出発。さすがに観衆は少ないけど意気軒昂でした。見に来て良かった。帰宅してさっそく飲みました。




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丸山町加茂神社の大火祭

新年おめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。昨年後期は写真撮影とYOU-TUBE動画にのめりこんでブログが書けませんでした。ファンの方々から「どうしたの」と言われてました。今年はバランスよくやっていきます。動画は当面1000本が目標で現在512本です。いいものをアップしたいです。

さて房総の時間ですが本年のトップは丸山町加茂神社の大火祭です。
大晦日の夜に行われます。境内で大火を燃やし1年を締めくくる行事ですがなかなかいいものです。燃え盛る炎を眺めながら1年を振りかえっておごそかな気持ちになります。



動画:丸山町加茂神社の大火祭



動画:丸山町加茂神社の大火祭




神主さんが松明をもって拝殿から出てきます。不思議な光景です。



火は勢いよく燃えています。消防団が側に待機しています。実際は火以外は真っ暗ですが明るく撮りました。私的にはここで太鼓があるといいと思います。



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房総のお寺(3)鏡忍寺

房総の時間:鴨川の鏡忍寺です。
鏡忍寺は日蓮聖人の「小松原の法難」の跡に建てた日蓮宗の寺です。

文永元年(1264)夕暮れに日蓮聖人一行10名ほどが天津城主工藤氏の屋敷へ向かっていた。花房を出て小松原にさしかかったところ数百人の軍勢が聖人一行を襲った。

日蓮聖人を敵視していた豪族の東条派だった。剛力の弟子・鏡忍房日暁は松の木を引き抜いて防戦したが力尽き打ち死にした。日蓮聖人も額に三寸の傷をうけた。危機を知って救援にきた天津城主工藤氏によって助かったが工藤氏も討ち死にした。

この「小松原の法難」から17年後弘安4年(1281)に工藤氏の子息がこの場所に妙隆山鏡忍寺を建立した。境内にはこの難にあったとき鬼子母神が現れて日蓮を救ったという巨木・降神槙[こうじんのまき]が残っている。




鏡忍寺の総門両側には土塁のような盛り土がある。



仁王門。小松原の法難から750年になるという。



まだ新しい祖師堂。2月11日に水行式が行われる。祖師堂内部のは波の伊八の彫刻がある。



降神槙(こうじんのまき)。ここに鬼子母神が現れて日蓮を救ったという。



本堂の建築がなかなかいい。本堂に続く庫裡の玄関はお気に入り。



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房総のお寺(2)誕生寺

房総の時間:誕生寺です。

誕生寺(たんじょうじ)は千葉県鴨川市小湊にあります。日蓮宗の大本山で小湊山誕生寺と称し日蓮の誕生の地に建立されました。
日蓮聖人は貞応元年(1222)小湊の海辺の家で生まれ幼名を善日麿といい12歳までこの地で暮らしたそうです。

後に弟子の日家上人が建治2年(1276)に聖人生家跡に寺を建立し日蓮誕生寺としました。明応7年と元禄16年の2回の大地震大津波で日蓮誕生寺が水没したため現在の地に移りました。

26代目の日孝上人が水戸光圀や徳川綱条の援助を受けて七堂伽藍を建て小湊山誕生寺としましたが宝暦8年の大火により仁王門のみを残して全山を焼失しました。
49代目の日闡上人が弘化3年(1846)に現存する祖師堂を再建し当時関東最大でした。昭和から平成にかけて50万人講を行い諸堂を復興して平成4年に落慶式を行いました。


総門。総門から両側に灯篭が並んでいる。道路の脇にある。駐車場が少ないので海側の有料駐車場に置いた。



仁王門1706年(宝永3年)建立され平成3年に改修。宝暦8年の大火に残った誕生寺最古の建物。仁王像は上総の松崎法橋の作。


祖師堂1842年(天保13年)建立。入母屋造りで総欅造り18間4面。江戸城改修用として伊達藩が江戸へ運ぶ途中遭難し流れた材料を譲りうけたという。奥に日蓮像が安置される。明治天皇の奥方様や御生母の寄進されたものがある。


祖師堂を横から見る。相当大きくて彫刻も素晴らしい。内部は撮影禁止。















房総のお寺(1)清澄寺

房総の時間:房総の主なお寺を紹介します。久しぶりに地元に帰りました。まずは清澄寺(せいちょうじ)です。

清澄寺は、千葉県鴨川市清澄(きよすみ)にある日蓮宗の大本山。山号は千光山。日蓮が出家し後に立教開宗した寺。清澄寺、誕生寺、久遠寺、池上本門寺は日蓮宗四霊場とされています。

本尊は虚空蔵菩薩であり日本三大虚空蔵菩薩の一つ。京都醍醐三宝院の別院でもあるので菊の御紋章を許されています。

清澄寺の主な歴史は
●771年(宝亀2年)、旅の僧が当地を訪れて虚空蔵菩薩を祀る寺を建て信仰の場となった。
●836年(承和3年)、慈覚大師(大武佐不動にも出てくる高僧)が訪れて寺を再興し、天台宗とする。

●1233年(天福元年):日蓮が12歳の時清澄寺で出家した。
●1253年(建長5年):6月2日(旧暦4月28日)に清澄寺で日蓮が30才で日蓮宗を立教し開宗した。

●1618年(元和4年):徳川家康の命により僧仲恩防が拝領し真言宗に改宗した。仲恩防は元里見家の医師の子で里見改易後に僧となり修業を重ねた。ある時家康と宗教の問答をして信頼を得た。仲恩防は清澄寺を与えられたが家康は江戸の南側の守りとして重要性を考えたともいわれる。里見家後期の医師は小倉某だったが子供が僧になったと聞いた。それが仲恩防なのか。別人なのか詳細は不明。

●1949年(昭和24年):真言宗清澄寺31世岩村住職が末寺のほとんどと縁を切り真言宗智山派から日蓮宗に戻した。

清澄寺を囲むように摩尼山(妙見山)・寶珠山・如意山・ 露地山・金剛山・鷄莽山・獨鈷山・富士山の八つの山が並び清澄八山と呼ばれている。正確には清澄山と言う山はなく全部の意味で清澄山と言っている。一番高いのが妙見山383mで本堂付近は約310mで冬場はかなり冷える。また清澄山は本土で一番早く初日の出が拝めるる所。



仁王門。扁額の淵には竜の彫刻がある。



正面は本堂、右は鐘楼。広い境内、敷いてある踏み石は昔の銀座の石畳と粋人情報を聞いた。



日蓮上人の銅像。この旭の森で日蓮宗を立教・開宗した。粋人情報:ここの階段は関取が寄贈し初渡りは双葉山だったという。




高台の天富神社から見る富士。富士百景のひとつになっている。また仁衛門島も見える。(杉の木は出来れば切ってほしいけど)













房総の神社(9)洲崎神社

房総の時間:洲崎神社です。館山市洲崎にあります。

祭神は天比理乃当ス(あまのひりのめのみこと)。安房神社の祭神天太玉命(あまのふとだまのみこと)の奥様で、元は洲ノ神(すさきのかみ)といいました。旦那様の天太玉命、孫の天富命(あめのとみのみこと)も合祀されています。

神武天皇の時代(約2600年前)、天富命が祖母天比理乃当スの鏡を神体として御手洗山(119m)に祀ったのが洲崎神社の起源と言われています。

治承四年源頼朝が洲崎神社に武運を祈願し、後に鎌倉幕府を開いたので神田を寄進しています。また頼朝の妻政子の安産祈願のため、安房国の家臣安西三郎景益が派遣されています。源氏の信仰があつく江戸各地に分祀されているようです。

幕末には房総沿岸の警備を行った老中松平定信が「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納しています。江戸時代まで隣の養老寺が別当寺になっていました。養老寺にも頼朝伝説や役行者の伝説があります。大房岬にもあるが役行者の祠は独特です。養老寺は小さいお寺ですが「南総里見八犬伝」にも出ていい雰囲気があります。

明治になって県社へ列格。昭和47年(1972年)御手洗山が「洲崎神社自然林」として千葉県指定の天然記念物となっています。

海岸の一の鳥居、御手洗山ふもとの二の鳥居、仁王門をくぐって130段の階段を上ると本殿があり聖域と言う感じがします。拝殿でお参りをすると「安房国一宮」の扁額があり不思議に思いましたが後から納得しました。

天比理乃当ス(あまのひりのめのみこと)は元は洲ノ神(すさきのかみ)で近くの洲の宮神社の祭神でもあります。洲の宮神社と洲崎神社は一体の神社で洲崎神社が拝殿の一宮、洲の宮神社が奥殿の二の宮になるということだそうです。

さらに安房神社とは夫婦なのでここも「安房国一宮」というのだそうです。ちなみに安房国司祭のとき、安房神社と洲の宮神社の神輿は夫婦で一緒に出祭しモミサシも一緒にしています。



二の鳥居から見る。随身門や御手洗山が見える。一の鳥居は海岸にある。



随身門をくぐり130段の急な石段を上がると御手洗山に本殿がある。途中で休まないと無理。息が上がって太ももがつってくる。



本殿は三間社流れ造りといい屋根の反りが特徴。境内には長宮(ながみや)・金比羅神社・稲荷神社がある。夏祭に鹿島踊り・ミノコ踊りが奉納される。お年寄りが唄い子供たちが踊るのはなかなかいいものです。




本殿から太平洋が一望で、晴れていれば富士山や大島が見える。この階段は手摺りが無いと下りはきついです。夏祭の神輿の階段下りはすごいと感心する。




役行者が海上安全のため洲崎と横須賀に置いたという御神石。以前は海の中でしたが今は岡に上げてあります。役行者(役小角)にはいろいろな伝説が残されています。@元は朝廷に仕えていたが不思議な妖術を使うため嫌われて伊豆の大島に流された。A夜になると大房岬へ飛んできて祠を掘って大武佐不動明王を祀った。A養老年間に天変地異が起きた時7日7晩祈祷して地底の大蛇を退治して鎮めた。などなどです。各地に役行者の石像があります。


大武佐不動(瀧淵神社)




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