2019年07月24日
イスラム教のモスクを見てきました。
近くにあるモスクを見てきました。
特に予約はしていませんでしたが、イマームさんと、日本人ムスリムの方からいろいろとお話をしていただきました。
親切、丁寧にお話をしていただきましたので、いろいろとイスラム教について知ることができました。
この場を借りてお礼申し上げます。
なにげによかったのが、イマームさんのお子さん。高校生かと思われますが、この方とお話をさせていただいているときが特によかったです。
イマームさんは外国人ムスリムですが、奥さんは日本人で、ハーフです。
そのためか、日本人独特の感覚を理解していただけているようで、「ザ・イスラム教徒」という概念から出てくる話とはまた違った観点でお話をしていただきました。
そもそも無償教という名の日本教ともいうべき一般的な日本人の感覚と、特定の宗教に対して特に熱の入っている人との違いというのは大きく、どうも受け入れがたいというか、違和感を感じるところもあるからです。
ただ、彼は、その辺の感覚差が自然と身についているのだと思います。
日本生まれで、多数の日本人の友達を持ち、違いを無意識のうちに理解できるようになっているのでしょう。
別にイスラム教を布教しようという気は全くありませんが、日本人に誤解して理解されている点を払拭すべく説明会などをするのであれば、彼のような人が説明すると、より分かりやすく、受け入れられやすいのではないのかなという気がしました。
いきなり、コーランのことを「クルアーン」とか言われても、それが何なのか私には理解できませんでしたし。
正しいかもしれないけど、日本ではコーランとしか言われていないので、「日本語ではコーラン、我々はクルアーンと呼んでいるものがありますが・・・」みたいな説明だとより受け入れられやすいかと思います。
ただ、いくつか気になる点というのもあり、イスラム教どうなの?という点も帰宅してから出てきました。
全て私一人の考えであり、ぱっと思ったものですから、深い意味はありません。
1.アラー意外を崇拝するな。他の神を崇拝すると、アラーが嫉妬するからだめだ。
全知全能の神であるアラー。なのになぜ、他の神様を崇拝すると嫉妬してしまうのでしょう?
全知全能なら、そんな尻の穴の小さいこと言わずに、寛大に許してやればいいじゃないのと思うんですよね。
複数の神様がいると仮定して、その中でもアラーが最も優れた神であると信じるなら、別に他の人がどうのこうのとあっても、まあ、そのくらいは私の器量でカバーしてあげるよってなんで言えないのかなという疑問がわきました。
唯一の神という観点から行けば、他に神はいないと。であれば、偶像崇拝を否定する理由もよくわかりません。
偶像作ったところで、「まあいいじゃん」位の軽い気持ちで許してやればいいのに。特に偶像がアラーの偶像であればなおさらです。
2.最後の預言者、ムハンマド
25人の預言者がいるということは調べました。一個前がイエスのようです。
別に100人くらいいてもいいんですが、とりあえずムハンマドを最後の預言者と定義します。
でも、明日、別の預言者が出てくるかもしれません。
つまり、今現在最後の預言者であって、明日は最後から二番目の預言者になるかもしれません。
イエスからムハンマドまで570年ほどあるということは、すでに西暦2019年。そろそろ新しい預言者が出てきてもおかしくないと思うんですよね。
もらったパンフレットには、最後の預言者ですごいみたいな感じで書いてありましたけど、次の預言者が出てきたら、いきなりその考え方が否定されてしまうんです。
個人的には、3人の女性がいて、好きにしていいよって言われたら、一番のタイプである女性からアタックしませんか?
そう考えるなら、最後の預言者ではなく、最初の預言者のほうがすごい人、神に愛される預言者という考え方もあると思うんですよね。
3.メッカの巡礼ってアラーではなく、ムハンマドのことを崇拝しているように思えてしまう
メッカはムハンマドの生誕地であるということです。
であれば、それって、ムハンマドを崇拝することになってないだろうかとおもうわけですよ。
アラーだけが神様であって、ムハンマドは単なる預言者でしかないわけですから、メッカではなく、別のところを巡礼するべきだと思うんです。
ヒラー山の洞くつで啓示を受けたのであれば、せめてヒラー山だと思うんですけどね・・・
4.最後の審判で善悪がイーブンにならないのか?
最後の審判の時に、善悪がポイント制により決まるようです。
これで、善行が上回ると天国行きらしいです。しかもそれは天秤により測られるそうです。
であれば、同じポイントとなる可能性があるわけです。
でも、これに対する回答がありません。
うーん・・・絶対に同じにならないという否定の証明か、同じになったときの判断方法の定義がないといけないと思うんですけどね。
5.極地の信者のことを全く考えていない
全知全能の神であるアラーですが、ラマダンで断食するときのことです。
極地で断食する人たちのことを全く考えてないんです。
北極や南極にちかい極地では、太陽が全く顔を出さない極夜や、太陽が全く沈まない白夜があります。
この時期にラマダンがあった場合、極地に住む信者たちは全滅します。
全滅することを望んだ宗教というのも珍しいので、楽しいかもしれませんが、一般的には違うはずです。
全知全能ならその辺考えておいてくれてもいいはずなのに、なぜ考えてくれないのでしょう?
太陽が出ている間は水すら飲んではいけないということですから、白夜の時は一か月間飲み食いできませんので、必ず餓死することでしょう。
まあ、もともとがメッカ、つまり、サウジアラビアで出てきた宗教ですから、こんなこと考えてないんだと思うんですけどね。
6.コーランが言葉の変化についていってない
コーランはアラビア語で書かれたものとなっています。まぁ、それは預言者が受けた啓示に基づき書いているわけで、それから翻訳したら意味が変わってしまうという話があります。
まあこれはこれでいいです。理解できるので。
ただ、当時の言葉と今の言葉で言葉が異なるという問題がすでに出ています。
この点についての対応がさなれているのでしょうか?
問題になっているということですから、すでに対応されていないということが証明できたわけです。
こういう点についてもケアできるような仕組みができていないのはどうなんでしょうかね。
7.お祈りのタイミングが5回のところと3回のところがある
イランではお祈りは一日3回です。でも、一般に5回といわれます。
なぜと聞いても答えが返ってきませんでした。
どっちでもいいけど、どっちか正しい回数位決めておいてほしいです。
ぱっといろいろと話を聞いて、おや???と思うところも
なんかいろいろと詰めが甘い気がした素朴なな疑問でした。
それと、個人的にちょっと気にくわなかった点が私がイスラム教を勉強しようとした理由を否定されたことです。
私は、あくまでモロッコ人彼女がイスラム教なので、その彼女とうまくいくように。また、彼女に不便がないようにイスラム教を勉強しようとしたのですが、いきなりそれを否定されました。
まずは、自分がイスラム教の正しいことを行い、それからダメなことを学ぶべきであるという話でした。
いやいや、私は彼女がストレスなく生活できるように勉強したいだけなのに、まずはそんなことより、自らがイスラム教徒として正しいことをするべきであるとか言われましても・・・
なぜ否定されてしまうのかが全くわかりません。
これについては個人的にはかなりイラっと来ました。
だから、いろいろと疑問点で出てきてしまうのでしようかね?
他人の為に、好きな人のために何かしてあげたいという気持ちは持ってはいけない宗教なのか、それとも、そういうのは関係なく、行動することが求められるのか?
よくわかりません。
ただ、やはり多少なりとも勉強して、ストレスのない生活を送らせてあげたいとは思います。
宗教的なことをいろいろと書いてしまいましたので、読者がいないのはわかっていますが、変なコメントをいただいた場合、個人的に気にくわないコメントがあった場合、独断で削除しますのでご了承ください。
宗教的なものについては、いろいろと論争になりやすいし、結論が無いことも多いので、無用なコメント論争とかしたくありませんから。
特に予約はしていませんでしたが、イマームさんと、日本人ムスリムの方からいろいろとお話をしていただきました。
親切、丁寧にお話をしていただきましたので、いろいろとイスラム教について知ることができました。
この場を借りてお礼申し上げます。
なにげによかったのが、イマームさんのお子さん。高校生かと思われますが、この方とお話をさせていただいているときが特によかったです。
イマームさんは外国人ムスリムですが、奥さんは日本人で、ハーフです。
そのためか、日本人独特の感覚を理解していただけているようで、「ザ・イスラム教徒」という概念から出てくる話とはまた違った観点でお話をしていただきました。
そもそも無償教という名の日本教ともいうべき一般的な日本人の感覚と、特定の宗教に対して特に熱の入っている人との違いというのは大きく、どうも受け入れがたいというか、違和感を感じるところもあるからです。
ただ、彼は、その辺の感覚差が自然と身についているのだと思います。
日本生まれで、多数の日本人の友達を持ち、違いを無意識のうちに理解できるようになっているのでしょう。
別にイスラム教を布教しようという気は全くありませんが、日本人に誤解して理解されている点を払拭すべく説明会などをするのであれば、彼のような人が説明すると、より分かりやすく、受け入れられやすいのではないのかなという気がしました。
いきなり、コーランのことを「クルアーン」とか言われても、それが何なのか私には理解できませんでしたし。
正しいかもしれないけど、日本ではコーランとしか言われていないので、「日本語ではコーラン、我々はクルアーンと呼んでいるものがありますが・・・」みたいな説明だとより受け入れられやすいかと思います。
ただ、いくつか気になる点というのもあり、イスラム教どうなの?という点も帰宅してから出てきました。
全て私一人の考えであり、ぱっと思ったものですから、深い意味はありません。
1.アラー意外を崇拝するな。他の神を崇拝すると、アラーが嫉妬するからだめだ。
全知全能の神であるアラー。なのになぜ、他の神様を崇拝すると嫉妬してしまうのでしょう?
全知全能なら、そんな尻の穴の小さいこと言わずに、寛大に許してやればいいじゃないのと思うんですよね。
複数の神様がいると仮定して、その中でもアラーが最も優れた神であると信じるなら、別に他の人がどうのこうのとあっても、まあ、そのくらいは私の器量でカバーしてあげるよってなんで言えないのかなという疑問がわきました。
唯一の神という観点から行けば、他に神はいないと。であれば、偶像崇拝を否定する理由もよくわかりません。
偶像作ったところで、「まあいいじゃん」位の軽い気持ちで許してやればいいのに。特に偶像がアラーの偶像であればなおさらです。
2.最後の預言者、ムハンマド
25人の預言者がいるということは調べました。一個前がイエスのようです。
別に100人くらいいてもいいんですが、とりあえずムハンマドを最後の預言者と定義します。
でも、明日、別の預言者が出てくるかもしれません。
つまり、今現在最後の預言者であって、明日は最後から二番目の預言者になるかもしれません。
イエスからムハンマドまで570年ほどあるということは、すでに西暦2019年。そろそろ新しい預言者が出てきてもおかしくないと思うんですよね。
もらったパンフレットには、最後の預言者ですごいみたいな感じで書いてありましたけど、次の預言者が出てきたら、いきなりその考え方が否定されてしまうんです。
個人的には、3人の女性がいて、好きにしていいよって言われたら、一番のタイプである女性からアタックしませんか?
そう考えるなら、最後の預言者ではなく、最初の預言者のほうがすごい人、神に愛される預言者という考え方もあると思うんですよね。
3.メッカの巡礼ってアラーではなく、ムハンマドのことを崇拝しているように思えてしまう
メッカはムハンマドの生誕地であるということです。
であれば、それって、ムハンマドを崇拝することになってないだろうかとおもうわけですよ。
アラーだけが神様であって、ムハンマドは単なる預言者でしかないわけですから、メッカではなく、別のところを巡礼するべきだと思うんです。
ヒラー山の洞くつで啓示を受けたのであれば、せめてヒラー山だと思うんですけどね・・・
4.最後の審判で善悪がイーブンにならないのか?
最後の審判の時に、善悪がポイント制により決まるようです。
これで、善行が上回ると天国行きらしいです。しかもそれは天秤により測られるそうです。
であれば、同じポイントとなる可能性があるわけです。
でも、これに対する回答がありません。
うーん・・・絶対に同じにならないという否定の証明か、同じになったときの判断方法の定義がないといけないと思うんですけどね。
5.極地の信者のことを全く考えていない
全知全能の神であるアラーですが、ラマダンで断食するときのことです。
極地で断食する人たちのことを全く考えてないんです。
北極や南極にちかい極地では、太陽が全く顔を出さない極夜や、太陽が全く沈まない白夜があります。
この時期にラマダンがあった場合、極地に住む信者たちは全滅します。
全滅することを望んだ宗教というのも珍しいので、楽しいかもしれませんが、一般的には違うはずです。
全知全能ならその辺考えておいてくれてもいいはずなのに、なぜ考えてくれないのでしょう?
太陽が出ている間は水すら飲んではいけないということですから、白夜の時は一か月間飲み食いできませんので、必ず餓死することでしょう。
まあ、もともとがメッカ、つまり、サウジアラビアで出てきた宗教ですから、こんなこと考えてないんだと思うんですけどね。
6.コーランが言葉の変化についていってない
コーランはアラビア語で書かれたものとなっています。まぁ、それは預言者が受けた啓示に基づき書いているわけで、それから翻訳したら意味が変わってしまうという話があります。
まあこれはこれでいいです。理解できるので。
ただ、当時の言葉と今の言葉で言葉が異なるという問題がすでに出ています。
この点についての対応がさなれているのでしょうか?
問題になっているということですから、すでに対応されていないということが証明できたわけです。
こういう点についてもケアできるような仕組みができていないのはどうなんでしょうかね。
7.お祈りのタイミングが5回のところと3回のところがある
イランではお祈りは一日3回です。でも、一般に5回といわれます。
なぜと聞いても答えが返ってきませんでした。
どっちでもいいけど、どっちか正しい回数位決めておいてほしいです。
ぱっといろいろと話を聞いて、おや???と思うところも
なんかいろいろと詰めが甘い気がした素朴なな疑問でした。
それと、個人的にちょっと気にくわなかった点が私がイスラム教を勉強しようとした理由を否定されたことです。
私は、あくまでモロッコ人彼女がイスラム教なので、その彼女とうまくいくように。また、彼女に不便がないようにイスラム教を勉強しようとしたのですが、いきなりそれを否定されました。
まずは、自分がイスラム教の正しいことを行い、それからダメなことを学ぶべきであるという話でした。
いやいや、私は彼女がストレスなく生活できるように勉強したいだけなのに、まずはそんなことより、自らがイスラム教徒として正しいことをするべきであるとか言われましても・・・
なぜ否定されてしまうのかが全くわかりません。
これについては個人的にはかなりイラっと来ました。
だから、いろいろと疑問点で出てきてしまうのでしようかね?
他人の為に、好きな人のために何かしてあげたいという気持ちは持ってはいけない宗教なのか、それとも、そういうのは関係なく、行動することが求められるのか?
よくわかりません。
ただ、やはり多少なりとも勉強して、ストレスのない生活を送らせてあげたいとは思います。
宗教的なことをいろいろと書いてしまいましたので、読者がいないのはわかっていますが、変なコメントをいただいた場合、個人的に気にくわないコメントがあった場合、独断で削除しますのでご了承ください。
宗教的なものについては、いろいろと論争になりやすいし、結論が無いことも多いので、無用なコメント論争とかしたくありませんから。
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