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2016年04月11日

神風特攻隊と戦艦「ミズーリ」ウィリアム・キャラハン(William McCombe Callaghan)艦長

沖縄戦まっ最中の1945年(昭和20年)4月11日14:42、
喜界島沖に展開していた戦艦ミズーリに対して
特攻機(爆装零戦)1機が海面上6mの超低空飛行で右舷甲板メインデッキ下のフレーム169に突入した。
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突入機の500ポンド爆弾は爆発しなかったが、右翼は第3副砲塔上にぶつかり、燃料に引火した。
艦は表面に損傷を受けたが、速やかに鎮火した。(この攻撃の跡は現在も船体に残っている。)

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<戦艦ミズーリの甲板の今も右舷艦尾付近に残る凹み>









突入機の飛行士の遺体の一部が40mm機銃座から回収され、ウィリアム・キャラハン艦長はこの飛行士を、
名誉を持って自らの任務を全うしたとして海軍式の水葬で弔うことを決定した(ウィリアム・キャラハン艦長自身も日本とアメリカの戦争によって、実兄のダニエル・J・キャラハン少将(Daniel Judson Callaghan)を1942年11月13日のガダルカナル島沖(第三次ソロモン海戦)で戦艦「霧島」の砲撃により戦死に至らしめられており、敵国日本に対する感情は尋常ではないものがあったに違いないにもかかわらず…)。

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<Adm William McCombe Callaghan (August 8, 1897 – July 8, 1991)>


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<特攻により分解し、戦艦「ミズーリ」甲板上に飛び散った日本兵の遺体>


また当然のように乗組員からも反対もあったが、
キャラハン艦長は「敵兵でも死んだら敵ではない。国のために命を捧げた勇士である。これは艦長の意志である。丁重に葬ってやりたい」と艦内に放送し、星条旗に日の丸を描かせて遺体を包み、翌12日、礼砲5発、全員敬礼をして水葬をおこなった。

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<翌4月12日に行われた海軍葬で水葬される日本兵>



この飛行士の官姓名は長らく不詳であったが、ミズーリ記念館の調査の結果、
鹿屋航空基地を出撃した第五建武隊の石野節雄二等兵曹の機であったと判明した(同時に突入した、同じく第五建武隊の石井兼吉二等兵曹の可能性もある−突入できなかった機は、対空砲火により撃墜された)。

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<石野二飛曹からの打電によると… 14時39分、突然視界に…喜界島南方に展開していた敵艦(第58機動部隊第4隊)を発見。 米軍側も零戦2機を確認し、戦闘機をスクランブル発進。 石野二飛曹は14時41分に「テキセントウキミユ」と打電し、その2分後の14時43分、敵機の攻撃および対空砲火を掻い潜り戦艦ミズーリに突入した>

自らの兄弟も敵国である日本によって殺され、
激戦のさなか、自分の生命の安全も全く保障されていない状況下で、
しかも自分たちを殺すために突入してきた敵兵である日本兵に対して、礼を尽くした配慮をすることは、
かなり困難を伴ったのではないかと想像される。







後日談・・・
この水葬から、56年目にあたる平成13年(2001年)4月12日、特攻隊員の家族らを招いて、
真珠湾に係留中のミズーリ艦上で特攻隊員の慰霊祭を開催された。
高齢で出席できない石野二等飛行兵曹の遺族に代わり、ともに鹿屋基地を出撃して戦死した隊長の矢口重寿中尉(当時23歳・茨城県出身)、曽我部隆・二等飛行兵曹(当時19歳・愛媛県出身)や石野二等飛行兵曹の叔父(敵空母に体当たりをして自爆)の遺族が出席、艦長の長男や元乗組員たちと対面した。

 「キャラハン艦長の人道的な配慮に一言お礼を言いたい」と、日本側遺族の一人として出席した松山市在住の曽我部隆さんの姉・鎌田淳子さんは、「弟・隆とともに亡くなった甥の石野節雄が、半世紀以上過ぎてもこのように手厚く葬られていたことを知り、ようやく心の区切りがついた気がします」とアメリカ側の温かい配慮に感謝したという。 




At 2:42 PM on April 11, 1945, off the coast of Kikaijima Island, a Japanese fighter pilot in an A6M5c Zero launched a kamikaze attack on the USS Missouri. Bill Obitz, a Seaman at the time, recalled that the attacking plane approached at an extreme angle and estimated that it was 20 feet (6 m) above the water. Although struck by intense antiaircraft fire, the plane survived and struck the ship's starboard side at frame 169 below the main deck. While the impact of one of the plane's wings started a fire at 5-inch mount number 3, its 500-pound bomb did not detonate, so the damage was minimal. There were no American casualties, but the Japanese pilot died. Parts of the plane's wreckage and the top half of the pilot's body landed on board the Missouri.The plane's wing was turned over to the crew to be cut up for souvenirs.


Despite protests from some of his crew, Callaghan insisted that the young Japanese airman had done his job to the best of his ability, with honor, and deserved a military funeral.Stephen Cromwell, a corpsman at the time, later recalled, "I was able to recover his body and I called up to the bridge to ask if I should throw it overboard ... Captain Callaghan said, ‘No, when we secure, take it down to the sick bay, and we'll have a burial for him tomorrow.’" Ivan Dexter, another crew member, gave his account of events to Herb Fahr, recalling that the top half of the Japanese pilot's body was scattered over the deck, while the bottom half fell with the rest of the plane into the sea. What remained of the body was brought to sick bay for examination, and various Missouri crew took souvenirs from the clothing, including the helmet, scarf, and jacket. Following examination, the remains were placed in a canvas bag with dummy shell casings to weigh it down.


The following day, the Japanese pilot received a military funeral at sea. An improvised Japanese flag, sewn by one of the ship's bosun's mates, covered the bag holding the man's remains.The ship's chaplain committed the body to the sea and the six pallbearers let it slide overboard, accompanied by a volley of rifle fire.Fahr wrote, "There was still much bitterness on the part of many in the crew, but now, the honorable thing was done." According to Lee Collins, visitor operations director for the Battleship Missouri Memorial, Callaghan said that the ceremony was simply a tribute to "a fellow warrior who had displayed courage and devotion, and who had paid the ultimate sacrifice with his life, fighting for his country."





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