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2015年03月10日

出石焼 煎茶セット(骨董品

出石焼 煎茶セット(骨董品


出石焼の盈進舎作といえば、白磁で彫り絵が特徴ですが・・・

これは色絵でもしかしたら、中身が違うのかも・・・?!


盈進舎(えいしんしゃ)

 出石の窯業がようやく活気を帯びたのは、江戸も天保年間(1830〜44)のことでした。各所に民間の窯が興り、伊万里風の染付雑器が盛んに焼かれました。白磁もまれに焼かれましたが、やはり全体的にみて江戸期の出石焼は伊万里を模倣した雑器の域を出なかったようです。やがて民窯の多くは幕末を迎え、閉山していきます。
 そしてとうとう、現代の「白すぎる白」のルーツを築いた「盈進舎」が登場します。明治に入り1876年に設立された盈進舎は、幕末の廃藩によって失職した士族の師弟たちを集め、指導者に鍋島藩窯の御細工職人だった名工3名をあてた、いわばエリート集団でした。指導者たちは伊万里の原料にも勝る柿谷陶石との出合いに喜び、鍋島藩窯の技術を注いで、子弟を育て、出石焼を改良していったといいます。その結果、清冽・精緻な白磁が誕生! パリ万国博覧会など内外の博覧会に出品・賞賛を浴び、全国に出石焼の名をとどろかせることとなったのです。
 さて、その後の盈進舎ですが、残念ながら高級品指向が需要と合わず、1885年には解散しています。ただ、盈進舎の残した遺産は大きく、これ以降人々は伊万里から脱却し、出石焼のアイデンティティー(=白磁)を持ち得たのでした。明治以降も窯元の興亡は続きますが、試験所を設けたり、積極的に技術改良を進めています。 
 苦難のなか、ドラマチックに展開しながら庶民の日用雑器を焼き続けた出石焼。やがて、先進産地の量産攻勢に押され、しだいに趣味的なやきものが主流となってきました。現在は、作家活動をする人あり、伝統の白磁彫刻を極める窯あり、軽やかな日常の器を作る窯ありと、白磁をめぐる多彩な試みが展開されています。

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