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2014年06月27日

脇差(鍔は山城国三条住柏屋四郎左衛門の雲龍図柄)

売切御免


脇 差

山城国三条住柏屋四郎左衛門

「 雲 龍 図 柄 」



実家から発見された脇差を新規登録しました。

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posted by 越後守 at 17:21 | Comment(69) | TrackBack(0) | 刀剣

2014年06月25日

鎧通し

売切御免



緊急速報

(2014年 7月 4日 21時 42分 追加)
追伸:本日21:00前の愛媛県ローカルニュースにて、国宝並びに重要文化財の調査結果が取り上げられました。
国宝一点と重要文化財100数点の所在が不明だということ。
その一つに、豊臣秀頼が作らせ、伊藤博文がどこぞに奉納した刀剣など、刀剣類が多いとのこと。(その写真などは保存されていない)
これも、おそらく、亡き父が怪しい骨董商からこっそり買い求めたものであり、大変珍しい短刀です。特に刀袋は桐柄で、「もしかして・・・」と思わざるを得ない一品と、私は高く評価している次第です。

ご評価のほどよろしくお願いいたします。



鎧通し(よろいどおし)

身幅が狭く重ねが極端に厚く、寸の短い刃長7寸(約21cm)前後で身幅7分(約2.1cm)前後の短刀で、組討ち時にとっさに抜き鎧の隙間を狙うためのもの。合戦では右腰に指すことから「馬手指し(めてざし)」とも呼ばれる。古来より有名なのが粟田口藤四郎吉光の名物「厚(あつし)藤四郎」(東京国立博物館蔵、国宝)で、重ねは約1.1cm。尾張徳川家伝来徳川美術館収蔵の室町期の平安城長吉の作は重ねが約1.7cm。両者とも刃長は7寸前後だが、茎が長く、4寸前後あり、柄なしでも握りやすい肉置きとなっているのが特徴である。新々刀期に入ると時代情勢を反映してか重ねの厚い短刀が再出現するが、古作の如く、全体の姿が手馴れていないが、源清麿が鍛えた左文字写しの作は同時代を代表する鎧通し造りと言われている。鎧通しは人口に膾炙されている割に、重ねの定義も様々で、重ねが3分以上ある短刀ですら遺作が少ない。時代の姿およびその刀工の一般的な作風から逸脱する傾向があるため、刀工鑑定が困難である。また、入念作であるが元来無銘の鎧通しの名品もあり基本的に一騎打ちを行う侍大将クラスの特注品だったと考えられる。




殺傷能力の極めて高そうな

鎧通しをご紹介いたします。


正直あまりお目にかかることのできない

希少な短刀だと思います。

重ねはぶ厚く、切っ先は鋭利で、まさに鎧を突き通す

戦国時代に有効な、鎧武者のとどめをさす強力な武器

殺傷能力が非常に高いことが想像されます。



鞘には唐草模様が入っているようです。


鍔やはばきは木製で、味があります。


どうか、コメントやメールで情報やご評価をお願いいたします。

momocchi1205@gmail.com

〔ヤフオクでの質問に対する回答〕
3つの質問にわかる範囲でお答えします。 @元幅約21mm、先幅約15mm、元重12mm、先重8mm A中茎の錆は落とされているようです。  (亡き父は、所有していた刀剣のほとんどの中茎の錆を落としていました。 B時代は不明ですが、鎧通しとしての機能を考えますと戦国時代である安土桃山時代でないかと想像します。


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posted by 越後守 at 09:50 | Comment(102) | TrackBack(0) | 刀剣

2014年03月10日

鍔 近江守戈幸作 

売切御免

近江守丈(文)幸作と銘のある鍔

重量あり、金属質良く なかなかの品

鍔以外のおまけ付き

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posted by 越後守 at 10:22 | Comment(106) | TrackBack(5) | 刀剣

2014年02月21日

大きく(長く)みえる脇差 一瞬銘刀かと思わせた

売切御免


『銃砲刀剣類登録証』を新規登録したばかりの日本刀(3/3)

三本の無登録刀剣を発見し、『銃砲刀剣類登録証』を新規登録したばかりの刀剣三振り中の一振り

発見当初は実に古い、見事な日本刀に見えました。
波紋は嵐の海の波の様で、実に見事。ですが、銘はありません。あの銘刀「正宗」も実は無銘が多いと言われています。

しかしながら、教育委員会の判定は脇差。拵えに入っていると刀と見間違えるくらい大きく(長く)見えるのです。

さて、状態ですが、刃に錆なく見事だったのですが、実はカツンと私,越後守(ニックネーム)がやってしまって、極少々微細な刃こぼれを切っ先にやってしまいました。(ごめんなさい)
また、刀袋は古く、色褪せなどあり、あまり良いものではありません。
それから、つかの収まり悪く、せっぱに手製のクッションをかませて、収まり良く固定しております。

この度発見した三振り中、最も期待した一振りでしたが、嫁入り前に傷物にしてしまい申し訳ありません。
ですが、これでお求めやすいお値段で提供できるのではないかと思います。

以上、現状でのお引渡しとなりますが、写真を良く観察して、よろしくご入札下さい。


購入後は、20日以内に愛媛県教育委員会に所有者変更届を必ず提出すること。(愛媛県庁HPで申請書出力、または、ネット申請できると思います。)

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posted by 越後守 at 08:04 | Comment(55) | TrackBack(0) | 刀剣

日本刀ですが、超いけてないボコボコ目立ちます

売切御免

『銃砲刀剣類登録証』を新規登録したばかりの日本刀(2/3)

三本の無登録刀剣を発見し、『銃砲刀剣類登録証』を新規登録したばかりの刀剣三振り中の一振り

刃に小型に突起する、単調〜やや不規則な波紋はあるが、刃に傷目立ち、オーバーな表現をするとボコボコに見える。刃こぼれは無いもよう。
拵えなく、やや平な白鞘に収まっている。

旧持ち主が、つかの部分の鉄を磨いているようで、そこの錆は目立たないのが超痛い。

「ブランド越後守」としては、総合的に超いけてないので、お安く提供したい。

店頭で100万円からする値段の日本刀。そのわずか数%で手に入る価格は実に破格であり、価格的には是非お薦めしたい一振りです。日本刀を所有したい初心者には、お試し商品と言ってもいいのではないでしょうか。

購入後は、20日以内に愛媛県教育委員会に所有者変更届を必ず提出すること。(愛媛県庁HPで申請書出力、または、ネット申請できると思います。)

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posted by 越後守 at 07:52 | Comment(69) | TrackBack(0) | 刀剣

錆びていていけてない脇差だけど

売切御免


『銃砲刀剣類登録証』を新規登録したばかりの脇差(1/3)

三本の無登録刀剣を発見し、『銃砲刀剣類登録証』を新規登録したばかりの刀剣三振り中の一振り

刃に波紋はあるが、錆も目立つ。刃こぼれは無い。
つばなど金具細工良く、渋い。せっぱの一枚は元々付属しているものではなさそうで、プラスチック製に見える。
刀袋はしみや破れある。

旧持ち主が、つかの部分の鉄を磨いているようで、そこの錆は目立たないのが痛い。

「ブランド越後守」としては、総合的にいけてないので、お安く提供したい。

日本刀を所有したい初心者には、拵えが良いこの脇差は、価格的に割安になるため是非お薦めしたい一振りです。

購入後は、20日以内に愛媛県教育委員会に所有者変更届を必ず提出すること。(愛媛県庁HPで申請書出力、または、ネット申請できると思います。)

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posted by 越後守 at 07:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 刀剣

2014年02月10日

脇差 無銘 刀袋鷹刺繍 つば銅造り 拵え装飾品良し

売切れ御免



銃砲刀剣類登録証(昭和44年) 大阪府教育委員会

種別:わきざし

長さ: 53.2 cm

反り: 1.7 cm

目くぎ穴: 1 個

(落札後は20日以内に大阪府教育委員会に所有者変更の届出が必要です) 



波紋は小山が単調に続く

刃こぼれ、刃に錆なし保存良好

つばは銅づくり

つかはサメ皮、装飾良し

刀袋は鷹の刺繍あるが、古く色変色あり



この絶品の脇差を一度ご覧ください
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posted by 越後守 at 10:15 | Comment(78) | TrackBack(0) | 刀剣

2014年02月02日

これが越後守包貞(二代)だ!  

売切御免


日本美術刀剣保存協会未鑑定 掘り出し物 日本刀

刃長:二尺一寸五分五厘) 反り:寸三分 穴2 

白鞘入り

二代 越後守包貞の作



 この越後守包貞(二代)は押川光俊殿(明治32年6月3日生)が所有していたもので、高知県にて、昭和21年11月22日に刀剣類所持許可證を受理されおり、その古い許可証も私が所有しております。その許可証の備考にはB級とみられる文字があります。(写真で閲覧できるようにしておきます。)
 旧所有者の押川光俊殿は、押ノ川の大資産家で、泥谷俊壯をやとって経営した大病院が宿毛病院であります。押川光俊の母勢以が結核にかかって、病院がないため手おくれとなって死亡し、その時設備のととのった大病院の必要さを痛感した押川氏は、母の供養のためにもと、全財産をそそぎ宿毛の街の西はずれに大正14年、入院室52(ベッド250)内科、外科、小児科、産婦人科、面積五反歩余という大病院を建て泥谷俊壯や医学博士平井進をやとって、病院経営をはじめました。しかし、病院経営は思うようにいかず、ついに赤字となリ、昭和5年に押川氏は病院を手ばなし、泥谷氏が経営していたが戦時中に日本医療団宿毛病院となり、更に終戦後県立宿毛病院となりましたが、今日、はたけんみん病院として現在に至っています。

その他にはインターネットで(http://fujihara.cocolog−nifty.com/tanka/2012/03/post−aac4.html)
 「(前略)内務省は義勇隊の編成を進め、5月末組織完了を目指した。そうして義勇隊は、敵が四国に上陸した時、小銃等の武器はなくても、竹槍、鎌等を持って戦う気概を養う為、海岸や河原において銃剣術と同じような竹槍訓練を行なった。宿毛町においては押ノ川出身の押川光俊中尉を隊長とし、軍隊経験者10名が指導者となり、100名位の男子が橋上小学校で合宿して竹槍訓練を受けていた。三八式歩兵銃は少しはあったがほとんど竹槍で、食糧はニノ宮地区の奉仕があり、終戦迄訓練が続いた。(宇須々木 松岡長吉氏談)=(ウエブサイト「宿毛市史【近代、現代編−軍事−宿毛湾の防備】)。」とあります。

また、押川家の参考資料として、(http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=EUiEJlf_naUJ&p=%E6%8A%BC%E5%B7%9D+%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E5%AE%88%E5%8C%85%E8%B2%9E&u=www.eonet.ne.jp%2F%7Ebusyo%2Fsengoku%2Fl_o.htm)
押川正重(おしのかわ まさしげ) ????〜????
○権左衛門
◇父:押川内蔵助
 土佐・一条氏臣にて、代々押之川城主の家柄。しかし、土佐・長宗我部氏の侵攻に従い、1575年以降これに従う。1600年長宗我部氏没落後は藤堂高虎の下に身を寄せ、その臣藤堂玄蕃良重に仕える。大坂の陣にも出陣。夏の陣にて良重が重傷を負った際、これをかついで、戦場を離脱、高虎に賞される。同年1000石を賜るが、分知を願い出、親兄弟に分け与えた。

私が父から相続した御刀は、父が生前、私に次のように伝えました。
「これは、宿毛の病院経営者から購入したものだが、その方は城持ちの家柄で大変な金持ちだった。関ヶ原の合戦後は藤堂家の家臣で、藤堂家から譲り受けたといわれる銘刀だということだ。」
インターネットでそれらの歴史を調べることができました。父の伝えた話は、歴史的にも繋がり整合性のとれることでした。

その刀は、或は実践で使われた、または試し切りされたことは否めませんし、父が刀磨ぎに出したことは否めません。
ですから、B級とみられる備考は正直に言って、本当にB級という意味で、当時されていた評価だったのかもしれません。
しかし、父が刀磨ぎに出したのかもしれませんが、現在は刃に錆や刃こぼれはございません。

また、日本美術保存協会の鑑定は受けてないし、折角の重要刀剣としてのお墨付きも受けてはおりません。
ですが、私が銘や波紋や白鞘のつくりをみても、二代目、越後守包貞であることは明白ですし、これを見て下さる刀好きの方やプロの方は見間違うはずはないでしょう。ですから、鑑定の必要はありません。 素人に売るのではないのですから。

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二代 越後守包貞 ヤフオク出品画像
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box−l−fwvdgax3il2xq3giqveshvc3zu−1001&uniqid=fc2e4b10−6772−41f2−86c4−7a6737594355



トラックバック(越後守包貞/出品物ではありません/鑑別の参考として閲覧して下さい)
http://samurai−nippon.net/V−1122/index.html
http://www.sanmei.com/contents/media/T60103_S2820_PUP.htm
 http://kendonews.at.webry.info/201304/article_154.html
http://www.samurai-nippon.net/V-695/
posted by 越後守 at 10:38 | Comment(133) | TrackBack(0) | 刀剣
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