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2019年01月19日

クロア篇−1章5

 クロアは自室にもどり、武装を解こうとした。その際に抱いていた猫を寝台のふちにのせる。猫は脱力した状態で、ふかふかな布団に腹這いになった。その様子を見たレジィが「あ、いいんですか?」と申し訳なさそうに言う。
「お布団のうえは清潔になさったほうが……」
「この子、よごれてる?」
 この子、とは体を小さく変じたベニトラのことだ。よごれらしいよごれは見当たらず、クロアはこの生き物を清いものとして見ていた。
「いえ……ずっと外で生活をしてた子ですし、一回は体を洗ったらいいかな、と」
「うーん、きれいにしておいて損はないわね」
 これから母にも見せるのだから、とクロアは思った。現在、クロアの母はこの国の中心都市へ出かけている。母の帰りは今日の夕方前後。クロアとその父はもともと、本日の職務を終えたあとに居室で母を待つ予定でいた。いまのところ、母の到着の報せは入っていない。
「お母さまが帰ってくるまで、時間はありそうね」
「お風呂に入れさせます?」
「そうしましょう。ベニトラ、お湯は平気?」
 朱色の猫はこっくり頭を上下にうごかした。
 クロアはまず武具を外してかかる。身軽になったのちにレジィとともに風呂場へ行った。そこはクロアの家族が自由にいつでも使用できる場所だ。浴槽の広さは成人が二人ばかし入れるほど。貴人の屋敷の浴場にしてはこじんまりとした規模かもしれない。この領地の財力をもってすれば大浴場を領主一家の風呂場にすることも可能だが、広さよりもむしろ手軽に入浴できる利便性のほうをクロアやクノードは好んでいる。水道からは常にお湯が出せる仕組みになっていて、入浴準備に時間がかからないのだ。
 浴槽内には入浴者の足場となる段差がある。その段差を超えない程度にお湯を入れる。すくなめの湯の中にベニトラを漬けた。ベニトラは浴槽内の段差にあごをのせ、目をつむる。四肢の太い猫は無抵抗をつらぬくようだ。クロアは安心してレジィに入浴介助をたのんだ。

 ベニトラの湯あみが完了した。クロアは洗われたベニトラを抱いて屋敷の居室に集合する。居室はクロアの家族が食事をとったり歓談したりする憩いの場だ。まだクロアの父母はいない。だがダムトは在席している。彼は室内の清掃に取りかかっていた。
 ダムトはクロアと別行動している間、荷台の片付けや飛馬にあずけた荷物の回収などをしていた。それが終わると今度は下男の仕事をこなしている。これは彼の普段の職務のうちだ。クロアはとくに気にせず、椅子に座った。
 クロアは自身の膝にベニトラをのせた。ベニトラは幼獣に変化した以降、ずっとクロアに身を任せている。その無防備さやしぐさは飼い猫となんら変わりない。
「かわいい猫ちゃんですよね〜」
 レジィが朱色の猫の頭をしきりになでる。彼女はすでにこの獣を一家の一員と認め、かわいがっているのだ。
「この子、ヤギのお乳は飲めるんでしょうか?」
「水で充分よ。自在に変化できるほどの強力な魔獣には飲食が必要ないというもの」
「でも、病み上がりでしょう?」
 意外なことにレジィが食い下がる。慈愛の心が人一倍強い者には通説など関係ないようだ。
「なにか栄養になる食べ物をあげてはどうでしょうか」
「うーん、そう言われてみると……精のつくものをあげたらいいわね」
 この獣は見るからに疲労困憊している。最良の状態を早期にとりもどせる方法があるのなら、それを実行するべきだ。招獣をいたわることは招術士の役目でもある。それに、自身の片腕たる従者には気分よくすごしてほしいとクロアは思う。クロアとレジィの意思が合致することは積極的にやっていきたい。
「招獣の場合、体力よりも精気の回復を優先させるといいんだったかしら?」
「はい。精気がもどれば体力も、ケガをしたところも早くよくなるそうです」
 ベニトラには目立った外傷がない。だが赤い石が埋め込まれていた首元には円形のハゲができている。現在小型化したおかげでハゲの面積も小さくはなったが、やはり気にはなる。抜けた毛が生えそろう時間にも、きっと精気の多寡が関係するだろう。
「失った精気を回復するものといったら、なにかしら?」
「術酒……はお酒だからちょっとあぶないですね」
 レジィは猫をめでつつ招獣向きの食事を思案する。
「あ、聖都の清水がありますね。子どもも飲める精気回復薬なんですよ」
「いいわね。もらってきてちょうだい」
 レジィは小躍りしながら退室した。その態度を察するに、ベニトラの面倒を看たくてたまらないようだ。クロアはこの反応が彼女らしいと感じた。
 レジィの性格は世話好きだ。そうなったきっかけは彼女に年下の兄弟がたくさんいること。レジィはクロアより年少でいながら、弟らの世話をこなす姉でもある。愛情豊かな少女は目下の子どもや小動物を見るとほうっておけなくなるらしい。
 そしてなにより、いまのベニトラは愛嬌たっぷりな姿でいる。普通の猫とはちがい、体が骨太だが、その特徴には並みの猫にないかわいげがある。
(ダムトも「かわいい」と思ってるのかしら?)
 クロアはもう片方の側近を見た。彼は雑務中で、長机に茶器を並べている。
「フュリヤ様は聖都からおもどりになったそうです」
 ダムトが言葉を発した。彼はもうじきこの部屋にあらわれる当主とその夫人を待っている。
「もうお見えになってよい頃合いですが……」
 彼の思考には新参の招獣がいない。クロアは彼の反応に素っ気なさを感じた。だが彼がかわいいものに興味のない仕事人間であることはクロアも知っている。いまさらその性情をつつく気になれず、ダムトに話を合わせる。
「みんなにお土産を配っているのかしら」
 母フュリヤは遠出のおりに、家族だけでなく官吏にも土産を買ってくることがある。アンペレが擁する官吏はざっと千人を超える。大人数に配布できる土産となると、たいていはお菓子だ。母は官吏の数の倍ほどの菓子を購入しているはずだが、全員に行き渡ることはまずないらしい。母が土産を持ってきた日にたまたま出勤していた者はもらえる、というざっくりした配布だとか。
「お母さまったらマメよね」
「はい、繊細なお方です。それなのに──」
 ダムトがじっとクロアの顔を見る。
「どうして娘はガサツで荒々しくなったのでしょう」
 彼は無表情のまま女主人にケチをつけた。クロアはぷいっと顔をそむける。
「こんな性格でないと、魔物や悪党を叩き伏せられないでしょ」
 クロアは従者の罵詈をはね返した。ダムトはアンペレ家に仕えて以来、身内には口のわるさを隠そうとしない。特にクロアに対しては顕著だ。彼の刺々しい指導のもと、クロアは悪口にへこたれない図太い精神に育った。
「ああ、きっとダムトのせいね」
 クロアは負けじと嫌味に対抗する。
「あなたと言い合ううちにわたしの心も薄汚れたのだわ」
「俺の責任ですか。ご自身の生来の気質ではないとおっしゃるのですね」
「そうよ。わたしの幼いころにダムトがいなければ、もっと上品な公女になれたはずだわ」
 クロアの記憶はさだかでないが、ダムトが屋敷に来た時期はクロアが五歳前後のころ。そのときから彼は勤続しつづけ、優に十年は経過している。勤めはじめは二十代の青年で、現在もその見た目のままという、彼もまた人ならざる血を引く者だ。ただし本人は素性を一切もらさない。
「俺がいなくても変わらなかったと思いますがねー」
「どうだか。あなた以上に口のよくない者はこの屋敷にいなくってよ」
 会話は平行線をたどる。クロアは話を打ち切り、膝の上で丸くなる獣の横腹をわしわしとなでた。

タグ:クロア
posted by 三利実巳 at 23:58 | Comment(0) | 長編クロア

2019年01月20日

クロア篇−1章6

 ベニトラ用の飲み水を取りにいったレジィはまだもどらない。クロアはダムトと話していてもまた口喧嘩に発展しそうだと思い、自身の膝でくつろぐ朱色の猫に意識を向ける。この獣はさきほど「人里には住めない」とクロアに告げた。孤高な生き物のような宣言だ。しかし実際の態度はとてもお高くとまった感じには見えない。ベニトラは人に触られることをこばまないのだ。
(いやがる気力が出ないほど、よわっているの?)
 捕縛された魔獣の瞳は疲れきっていた。クロアが猫の顔をのぞくと、やはり目をつむっている。
「よくねむる子ね……」
「本調子ではないのでしょう」
 ダムトがクロアの話にのってきた。主題が魔獣であればクロアへの精神攻撃はしようがないだろうとクロアは思い、会話を発展させる。
「思いきりあばれて、つかれたのかしら?」
「そう、でしょうね。まったく、迷惑な研究者がいたものですね」
 魔獣を攻撃的な性格に変え、各地に放逐した犯人がいる。その目的は不明だ。はっきりわかることは、そのせいで魔獣による被害が続出していることだけ。
「うわさによると、近辺に出没する盗賊団も石付きの魔獣を囲っているとか」
 ダムトがクロアの初耳な情報を提示してきた。クロアはいくつか問いただしたい事項が湧き、まずは根本的な疑念を解消しにかかる。
「まだ盗賊の集団なんているの?」
 この土地はもともと賊に好都合な条件がそろっていた。アンペレの町ではさまざまな物品が作られる。それらの製作物の多くは商品として隣国へ輸出される。アンペレからもっとも近い都市は商売がさかんな場所だ。そこで商品と金銭が行き交う。職人と商人の間で取引される金品を、賊がねらうのだ。そういった事件は過去に数えきれないほど発生しているという。だが隣国は戦士をとうとぶ国風がある。賊をこらしめる戦力は持っているし、現に近ごろ賊を討伐した話はクロアの耳に届いている。
「剣王国の王子が壊滅させたんでしょ?」
「ねぐらのひとつやふたつを潰した程度でしょう。それだけで盗人はいなくなりませんよ」
「なによそれ、またあたらしい盗賊団ができたの?」
「たしかなことはわかりませんが……そうなってもおかしくはないですね。かの勇猛な王子は剣王国内の不届き者を倒せても、この聖王国にはやすやすと乗りこめません。国境の自治を任されるクノード様か、さらに上位の聖王ゴドウィン様の許可が必要になりますからね」
「つまり、この国へ逃げてきた賊がいると言いたいの?」
「はい。危険な場所から逃れてきた者が、より安全な土地に拠点を設けることは自然のなりゆきかと」
 クロアは悪党の群れが再結成したらしい事実に眉をひそめる。
「盗賊のなにがいいんだか!」
「と、言いますと?」
「そういう人たちって、山の中で風呂にも入らずに人をおそって生きるんでしょ? やだわ、そんなの。町の中で仕事して、体をきれいにしてすごすほうがいいじゃない。おいしい料理だってあるんだもの」
「では人を痛めつけることが好きで、粗食で満足できて、仕事と風呂が嫌いな連中が賊になる、ということで納得していただけますか」
 クロアが挙げた盗賊暮らしの難点をダムトがすべて言い換えてしまった。そう言われてしまうとそんな人間もいるのだろう、とクロアはなんだか得心する。
 賊の向き不向きはクロアにはどうでもよい雑談だ。次なる疑問にいく。
「その連中が連れている魔獣は、このベニトラではないのね?」
「ええ、そのような朱色の獣ではないそうです」
「そう……気になるわね」
 石付きの魔獣に関するダムトの話を信じると、その魔獣も現在苦しい状況にあるはず。同様の魔獣を友としたクロアには他人事に思えない。
「それが本当なら助けてあげたいけれど……」
「そのまえに盗賊をどうにかせねばなりませんね」
 賊をどうにかする、とはクロアの中で打倒することとつながる。
「討伐しちゃおうかしら」
「簡単に言ってくれますね。いつも兵力不足をなげいているというのに」
「いいじゃない、強い招獣が味方になったんだもの。わたしひとりでもやっつけにいけそうよ」
「またそんなムチャを……」
 部屋の戸が叩かれる。クロアの計画はここで一時頓挫した。
 クロアの父であるクノードが入室する。その後ろにレジィがおり、彼女は底の高さのある皿を持ってきた。その皿にそそいだ水がベニトラの栄養剤だ。レジィは深皿を床に置く。
「おいしいお水ですよ〜」
 彼女はクロアの膝にいる猫に笑顔で話しかけた。その顔にはレジィが幼い子どもと接するときと似た慈しみがある。彼女にとってこの獣は愛すべき対象と化しているらしい。
 クロアはベニトラを皿のそばに下ろした。ベニトラは鼻づらを水につっこみ、音を立てて水を舌ですくいとる。その様子を見たレジィが「かわいぃ〜」と身悶えした。上座に着いたクノードが臣下の無邪気さに苦笑する。
「見た目がかわいらしくとも魔獣だ。そのことを忘れてはいけないよ」
 レジィは「はい……」と気落ちした。彼女も招獣を持つ術士ゆえに、招獣の危険性は学んでいる。術士と招獣はあくまで対等な関係だ。招獣側に不服があったなら、いつでも術士に逆らえる。それゆえ、仲間だからと無防備に接することは推奨できなかった。
 クロアは従者へのなぐさめとばかりにひとつ提案する。
「わたしと一緒にいるときは、その子をぞんぶんにかわいがっていいわ」
 レジィは表情をぱっと明るくした。クロアはほほえみ返す。
「わたしがくだした相手なんですもの、ふたたび牙をむいた時はわたしが責任をもって成敗します。……ね、お父さま」
 クノードは力強くうなずいた。父は娘の力量を熟知しているし、なにより招術士は招獣の力に制限をかけることができる。招術を理解し、招獣の変化を見抜ける者であれば、みずからの招獣に倒されることはまずない。
「もしその招獣に反逆の意思が見えたときは力を抑制しなさい。招術士にはできるはずだ」
「はい、心得ました」
 と、クロアは即答したものの、実際どうやればいいのかはよくわかっていなかった。これはあとで人に聞けばよい、と楽観した。
 ベニトラはクロアたちの会話に意を介さず、水をなめ干す。
「我が望みは果たされた」
 言うやいなや、こてんとその場に寝ころぶ。クロアは「のぞみ?」と首をかしげた。この獣が「なにかをしてほしい」と言ったおぼえはないのだが。
「あ、そういえば……この子が出したなぞかけ……」
 レジィはベニトラの発言に思い当たるふしがあったらしい。クノードがうなずく。
「水が欲しい、ということだったのかね」
 レジィの発想を受けたクノードが推測する。
「空からは雨が降ってくる。地面から湧水が出る。水は草木を育て、人や動物の生活にも欠かせない」
 父の解説のおかげで、クロアはなぞなぞを出されていたことを思い出し、その意味を理解できた。まわりくどい表現をする招獣に、めんどくささをおぼえる。
「それならそうとはっきり言えばよろしいのに」
 クロアは人の話を聞いているのかわからない猫に言う。
「レジィが気を利かせなかったら、だれも水をあげませんでしたわ」
「素直じゃないんだろう」
 クノードが娘の援護をする。言われっぱなしの獣はそしらぬ顔で昼寝をつづけた。その頭をレジィがなでる。
「不器用な子なんですね〜」
 レジィはひとしきり猫を愛撫すると、空になった皿を片付けにいった。クロアは小さな獣をあやまって踏まぬよう、ふたたび自身の膝に乗せる。獣はつねに無抵抗だ。
 クロアはいたずら心から、ベニトラの長い尾をつまんだ。ぷらぷら振ってみる。朱色の獣はうっすら目を開けた。だが、なされるがままにねむる。
「おとなしい子……本当に町を荒らしたやつなのかしら?」
「本当はのんびり屋なのかもしれないね」
 獣への警戒心を持ちつづけていたクノードが態度をやわらげる。彼も徐々にベニトラのことを受け入れているようだ。
 みなが新参の獣に慣れてきたとき、戸を叩かれた。何者かの入室を知らせる音だった。

タグ:クロア
posted by 三利実巳 at 23:23 | Comment(0) | 長編クロア

2019年01月22日

クロア篇−1章7

 居室に二人の女性が現れた。レジィと貴婦人。この婦人がアンペレ公夫人のフュリヤだ。外見年齢はクロアのすこし上といったところ。母は父に嫁いだときから容貌が変わらないそうだ。その若々しさの原因は彼女が受け継ぐ魔障の血にある。フュリヤは父親が人でない者だった。そんな片親と人間の親をもつ子は半魔とよばれ、その多くは不老長寿だという。
 フュリヤはいつも顔以外の肌を一切見せぬ衣装を纏っている。外出の際は顔さえも薄絹で覆い隠した。過剰なまでに露出を抑えるには理由がある。夫以外の異性を色気で惑わせないためだ。彼女自身は普通に過ごしていても、美貌と魅惑的な肉体に心を乱される男性が出るのだ。この特性も、フュリヤの父親が関係するらしいとクロアは聞いている。
 フュリヤは帰宅の挨拶をし、夫の近くの席に座った。手には菓子箱がある。
「これは聖都で流行りのお菓子なんですって。お食べになります?」
「みんなで食べよう。レジィも座って食べなさい」
「ご相伴にあずかります」
 レジィはクロアの隣りに座った。お茶会に参加する従者がいる一方で、ダムトは当主と夫人に茶を配る。彼と同格なレジィはお茶くみ係をダムトに一任した。
 少女従者はクロアの膝にいる獣をなでる。フュリヤがレジィの行動を見ると、見慣れぬ生き物がいることに気付く。
「まあ、その猫はどこで見つけたの?」
「町の上を飛んでいましたの」
 フュリヤはきょとんとする。どうもクロアが普通の捨て猫を拾ってきたものだと考えていたらしい。
「猫が空を飛ぶ……?」
「それを飛馬で追いかけて、捕まえましたわ」
 フュリヤはクロアの猫が普通の動物ではないと理解し、
「では住民の苦情が出ていた、魔獣?」
 とたずねた。クロアはうなずく。
「はい、石付きの魔獣でした」
 クロアはベニトラの両脇を抱え上げた。指の先で、赤い石が付着していた痕跡を示す。
「ここの毛のハゲた部分に赤い石がくっついていましたの」
 フュリヤは猫の喉元にある小さな円形脱毛の部位を見た。すると憐れみの表情を浮かべる。
「かわいそうに。毛が生えそろうのにどれくらい時間がかかるのかしら」
「ゆっくり休ませればそのうち元通りになりますわ」
「そう……でも、そのままでいいの? 布でも巻いたら……」
「この子は体の大きさを自由に変えますから、普通の布はまずいですわね。首が絞まってしまいます」
 ダムトがクロアの茶を注ぎはじめた。同時に「招獣の専門店に行かれてはどうです」と提案する。
「招獣の変身に合わせて伸びちぢみする首輪があると聞きます」
「あら、便利なものがあるのね」
「いまのベニトラは野生の魔獣と見分けがつきませんし、招獣だという証明も兼ねて、購入を検討されてはいかがです?」
「いいわね。明日、店の者を屋敷によべるかしら……」
 クロアは周囲の教育方針のもと、外出をする機会がすくない。着る服を選んだり髪の毛を切ったりするにしても、外部からそれ専門の人をまねく。屋敷内で日常のすべてをすませるのだ。ただし演劇鑑賞や領内の祭りの見物などは別だ。実施できる場所が限定される催し物に参加する場合、外出の許可がおりた。
「出かけたらいい」
 クロアは耳をうたがった。発言者の男性の顔を見る。父は慈愛に満ちた視線を娘にそそぐ。
「招獣の専門店にはきっとクロアのいい刺激になるものがある。じかに見てきてもかまわない」
「よろしいんですの? わたし、私用な外出は……」
「ああ、いいとも」
 クロアは喜色満面になり、クロアの分の茶をそそぎおえた従者の腕をつかむ。
「よーし、明日はお出かけよ!」
 ダムトはなぜか首をひねる。
「ええ、それで満足されるのでしたら……」
「なあに? もったいぶった言い方ね」
 クロアはダムトの腕を放した。彼はレジィの茶を用意しはじめる。ダムトは会話を続ける気がない、と見たクロアはさきほどの上機嫌が吹っ飛ぶ。
「言いたいことがあるんなら言いなさい」
「この場では言いにくいことかと」
「お父さまやお母さまに隠し立てすることが、わたしにあると言うの?」
 クロアが詰問した。ダムトは下男の務めを中断すると、クロアを正視する。
「……盗賊討伐はいかがします?」
 クロアがすっかり失念していた話題だ。その計画も早期に取りかかりたい事柄である。
「その件は情報収集が先決ね」
 その役目を担う人物はこの男性従者だ。クロアは言外の前提をもって話をすすめる。
「住処や団員数や所有する兵器諸々、調べてちょうだい」
「承りました」
 クノードが「盗賊討伐?」といぶかしむ。優しげな顔にかげりがのぼりはじめた。
「まさか、またクロアが危険なことに首をつっこむつもりじゃないだろうね?」
「ダムトが一緒ですし、いまはベニトラもいます。ご安心なさって」
 クロアは本気でそう思っていた。だが父の表情は和らがない。
「今日の魔獣退治は相手が一体だから送り出せたが、敵が複数となると話はちがってくる状況によっては、飛獣に乗って逃げることができないかもしれない」
「その危険はわかっております。それゆえ斥候を出して、敵勢を把握するのですわ」
「私の指示なしで、か?」
 途端に張りつめた空気が形成される。ダムトがレジィの茶を注ぐ音が部屋に響いた。
「クロアが民衆のためを思って努力していることはわかっている。だが勝手な判断はいけない。斥候を偵察に向かわせることさえ、私にうかがいを立てるべきなんだ」
「私に割り当てた従者への命令は好きにしてよい、とおっしゃったのに?」
「たしかにダムトとレジィへの指示内容はクロアの自由だ。だけど条件を言っただろう? 危険だとわかっていることをさせないこと、無理難題を押しつけないこと……それと、私の意思に反する命令はしないこと」
 おもに三つめの条件に抵触する、とクノードは言いたげだ。しかしクロアはそこをひっくり返す。
「盗賊が討たれれば人々はよろこびます。そのよろこびがお父さまの望みではないと言うの?」
 領民の幸福こそが領主の幸福。これは為政者がすべからく抱くべき仁愛の心だ。仁政をほどこす父には的確な反論だとクロアは思った。
「結果はいい。私が不満なのはその過程だ」
 しかしクノードは堪えていない。
「私の後継者を危険にさらすわけにはいかない。せめて多くの手練れがそろわなければ、心許ないんだ」
「そうはおっしゃるけれど、このアンペレにわたしを凌ぐ強者がおりますか? 新兵の募集をかけたって満足のいく人員が集まらない町ですのに」
 それが工都と謳われるアンペレの最大の欠点だ。職人を目指しに訪れる者はいても、武人になろうとする者は内外問わずすくない。だからこそ、父の認可が下りる条件は実質不可能だと言ってよい。
 クノードは憮然とした面持ちになる。
「……討伐に向けて募集をかけなさい。それで人が来なければ諦めるんだ」
「そんな、受け身のままでは盗賊に好き勝手されるだけですわ」
「大きな被害があったときは聖都から援軍を要請できる」
 それは最大の後ろ盾だ。この町が自衛力にとぼしくても存続できる理由である。
「クロアが危ない思いをする必要はない。わかったね、この話はおしまいだ」
 クノードは次にフュリヤに話題を振る。聖都の学校で学ぶ、クロアの妹と弟のことを尋ねた。今回のフュリヤの外出目的はクロアと歳の離れた幼い家族に会うこと。その話をするつもりでクロアたちが居室に集合したのだ。
 クロアは父の言い付けを承服しかねた。それゆえ両親の話に加わらず、ただ茶と甘い菓子をほおばった。

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posted by 三利実巳 at 01:20 | Comment(0) | 長編クロア

2019年01月23日

クロア篇−2章1

 クロアは自室の寝台で朝を迎えた。寝返りをうつと、手にあたたかいものが当たる。ほわほわした毛皮だ。毛皮をもちいた衣類や小物なぞ持っていただろうか、と不思議に思ったクロアは目を開ける。枕のそばに、朱色で縞柄の毛玉が置いてある。毛玉には長い尾と丸みを帯びた耳がついていた。
(ネコ……?)
 クロアはこのような獣を飼っている認識がなかった。
(どこから入ってきたのかしら……)
 どうしてこの動物が自室にいるのか、クロアは思い出そうとした。とりあえず猫に触れて、体にきざんだ記憶を刺激してみる。
 クロアはほわほわした猫の毛をなでる。何度か繰り返していくと、猫はうすく目を開けた。そしてなにも言わずに二度寝をする。その冷めたような、あるいは愛撫を受け入れているかのような反応には見覚えがあった。
(あ……この子は昨日……)
 クロアの記憶がもどってくる。町に危険物が侵入した際に鳴る警報、飛馬で空を駆ける感覚、町を襲撃した魔獣を山中の洞窟まで追い詰めたときに見た、魔獣の牙。目まぐるしい一日の思い出だ。それらが脳裏によみがえったクロアは上体を起こした。乱れた掛け布団を直しつつ、昨晩の自室の様子を想起する。
 就寝前、猫型の魔獣は寝台の布団の上にいた。その位置はクロアの足元だった。それが今朝、クロアの頭のちかくに移動している。猫がこうする理由はおもに二つあるだろう。クロアは自分が信じたいほうの理由を口にする。
「あら、わたしの顔をながめたくて、こっちで寝たの?」
 ベニトラは半開きの目でクロアを見る。
「おぬしは寝相がわるい」
 姿は愛らしい幼獣が、クロアの寝住まいをたしなめた。クロアはかよわき者に迷惑をかけた気がして、無性にはずかしくなる。
「ごめんなさいね、寝相は自分の気持ちじゃどうにもできないわ」
「それゆえ、こちらの寝場所を変えた」
 先日の荒々しい魔獣の態度がどこへやら。クロアはベニトラを押しつぶすか蹴りとばすかしただろうに、この獣はその失態に反抗する意思がない。実に寛容だ。クロアはすっかりベニトラを自身の保護者のひとりとして信用しはじめた。
(うーん、この寝方じゃあこの子がかわいそうね)
 ベニトラはいまの位置取りが安全だと思っているらしい。が、クロアはそこでは不十分だと思った。なぜならクロアが寝返りをうった際にベニトラにさわったからだ。クロアが寝台にいるかぎり、寝台上に完全な安置はない。ベニトラが棚や椅子で寝ればクロアと接触せずにすむはずだが、そうしなかった理由は。
「あなた、お布団の上でねるのが好きなの?」
「どこでも寝れる。だがやわらかいものは寝心地がいい」
「それなら、あなた用の寝場所を用意しましょうか。どれくらいの広さがいい?」
「いまのこの身がおさまるほどに」
「わかったわ。考えてみる」
 ベニトラと言葉を交わすたび、クロアはこの猫が野生の魔獣とは異なるという印象を受けた。妙に人間への理解が深いのだ。
 そもそも、ベニトラの名は招術士が付けたと言っていた。つまり、クロアに出会う以前からだれかの招獣だったということだ。魔獣は複数の術士と招獣の関係を持つことができるので、それ自体は珍しいことではない。だがベニトラはこれまで、石付きの魔獣として人々に恐怖を植えつける害獣でいた。
「ねえ、どうして石付きの魔獣なんかになったの?」
「……」
「だれも助けてくれなかった? 前の招術士は?」
「知らん。とうに、呼ばれなくなった」
「そう……」
 空を飛べる招獣は移動手段として珍重する。そんな有用な招獣を招術士が長期間放置する事態──考えうる可能性を、クロアはあえて言葉にしなかった。
 とはいえ、ベニトラの招術士には興味がある。クロアはその人物を聞きだそうと思ったが、自室の戸が叩かれたせいで意識がそちらに向く。音の出所は廊下でない。クロアの部屋と隣接する部屋のほうだ。隣室はレジィの寝室である。そこは女性従者の部屋として長年使われている。
「クロアさま、入ります」
 クロアが「どうぞ」と言うとレジィが入室する。彼女はすでに普段着を着ていた。レジィの裁量でクロアも身支度を整える。顔を洗ったり、服を着替えたりしたのち、鏡台の前に移動する。そこで自身の長い髪をレジィにすいてもらった。
 レジィは複数の年下の兄弟を世話してきた少女。クロアの身支度を整える手つきも慣れたものだ。レジィはクロアより年少でいながら、時々母親を思わせる雰囲気がある。クロアは口にこそ出さないが、レジィは将来良い母になるだろうと感じていた。同時に、さびしさもこみあげた。
 従者とは、良き母と両立できない職務。レジィが母になるのはつまり、クロアの従者ではいられなくなることを意味した。そういった別離をクロアは経験している。いずれはおとずれる別れだが、いまはその未来から目をそむけた。

タグ:クロア
posted by 三利実巳 at 19:00 | Comment(0) | 長編クロア

2019年01月24日

クロア篇−2章2

 朝の支度の最中、クロアは異変に気付いた。いつもの寝覚めのお茶が用意されていない。お茶出しの担当者はダムト。彼の姿が見えないのだ。不審に思ったクロアはレジィに彼の所在を尋ねた。レジィはクロアに耳打ちする。
「手始めに賊のねぐらをさがす、と言って出かけました」
 クロアは己の眉が上がるさまを鏡で見てとれた。
「今日の夕方にはもどるそうです」
「お父さまが反対なさったのに?」
「はい。クロアさまはきっと引き下がらないだろうから、と……」
「ふふん、よくわかってるわね」
 ダムトの欠点は口の悪さのみ。それ以外、雑務から荒事にいたるまで期待以上の仕事をこなす男だ。
「態度がわるくても頭は回るから重宝するわ」
 ダムトの腕っぷしは強いのだが、彼の能力は護衛よりも斥候に適している。情報収集能力はさることながら、身を隠す術や望遠の術を扱え、小回りの利く飛獣を有する。これらの長所を活かせば、偵察を担う偵吏、町中で噂を集める稗官でも十二分に務まるだろう。
「ダムトのはたらきを無駄にしないよう、戦士を集めなくちゃね」
 言うのは簡単だ。しかし、たやすく成果を挙げられないことはクロアもわかっている。
「どう人を集めようかしら」
「お触れを出したり、同業組合で斡旋してもらったりしてはどうです?」
 同業組合とは種々様々な職種の人員募集を代行する場だ。工房の職人や飲食店の従業員、町の警備兵の追加補充など、あらゆる職務の紹介が一挙に任されている。この町の求人は近隣の都市にも公表されるので、町の外から働き手が来ることがある。その形態は裏を返せば、ほかの土地との待遇差が比較検討されやすいことも意味する。
「うーん、組合で紹介してもらうとなると……」
「なにか問題があるんですか?」
「報酬の相場がよくわからないの」
 クロアは金銭感覚がそなわっていない。参考までにレジィやダムトの給金を聞いたとしても、通年で雇用される者と一時的な傭兵では勝手が異なる。
「あんまり安いと人がこないし、高すぎるのもよくないわ」
「そうですか? 公女がお出しになる募集なら、奮発しても──」
「ほかの募集にいく予定だった人手をごっそり奪ってしまうもの」
「あ〜、よその求人の邪魔をしないようにしたいんですね?」
「そう。それに、実力のない人たちもくるかもしれないし、その選別をどうするかって考えると……手を出しにくいわね」
 これらの懸念はクロアの知識と経験不足が起因する。父は戦士の募集を許可したものの、その募集に協力してくれるわけではない。すべてクロアが取り仕切ることになる。領主が公女の要望に消極的なので、それは仕方がなかった。
 クロアが前途を思いなやむかたわら、レジィは普段の明るい調子をたもつ。
「では地道に勧誘します?」
 クロアは少女の発想にびっくりした。自分はそう簡単に外出できない立場だと思っており、町を練り歩く行為は不可能だと見做していた。だが昨日、その規制が緩和されたことを思い出す。
「そうね……わたしは外に出てもいいと言われたんだったわ」
 ただしクノードが「行ってもいい」と具体的に指定した場所は一か所のみ。この町にある招獣の専門店だ。ほかの店や場所への訪問には言及されておらず、たしかな外出許可が下りたとは言えない状態だ。クロアはそのあいまいな指示を拡大解釈する。
「お父さまはわたしがお店を見に行くことだけをお考えでいらしたけれど、町の中ならどこへ行ってもいいわよね。そうでなくちゃ強い戦士なんて見つからないもの」
「はい。旅人のいそうな場所に行って、強そうな人を捜してみますか?」
「そうね、剣王国から聖都へ出稼ぎに行く戦士なんかがねらい目ね。ビンボーそうなのは特にいいわ」
「それじゃ、午前の仕事が終わったら外出しましょうよ」
 仕事、と聞いてクロアのやる気ががくっと落ちる。クロアは休日以外、午前の職務はかならずこなすことにしていた。午後もやるときはやるが、後日に回してもよい職務内容が多いので、そちらは任意で行なう。だがクロアは昨日の職務をほとんどやれていない。ベニトラに関わるあまり、仕事は後回しになっていた。その分の蓄積を考えると、とても午前中で終われるとは思えなかった。
「え、えーと、今日はどんなことをするの?」
「魔獣の被害があった建物の修復費用の確認と、魔獣を討伐した結果報告書の作成ですね」
「それだけ? 昨日、わたしがやれなかった仕事はたまってないの?」
「はい。クロアさまが魔獣退治にむかっててできなかった分は、クノードさまがおやりになったそうです」
「そう……お父さまが代わりになさってくれたのね」
 その発言は実態と相違があることをクロアは自覚していた。クロアが担当する職務はあくまで領主の補佐。領主が行なう職務のうち、平易なものは公女に回される形式だ。公女がいなければ仕事はすべて領主かその補佐役にいく。つまり、公女が領主の代わりを一部担当しているだけなのだ。
 しかし今日の職務は事情がちがう。ひとつだけ、代替の効かない仕事がある。
「報告書はわたしにしか書けないわ。とっととやってしまいましょう」
「はい、まず朝餉をとりましょうね」
 クロアの朝食は一家専用の居室に用意される。クロアの希望次第では、自室で食べることもできる。
「クノードさまたちとご一緒に食べます?」
「んー、顔は出しておくべきね」
 クロアは父との言い合いの件を気にする。
「まだふてくされてると思われたくないわ」
 クロアは自室を出る際、寝台へ振り返る。ベニトラはのびのびと腹を天井に向けていた。この獣はもっと休んでいたいらしい。
(ムリに連れていく必要はないわね)
 クロアが放置しようとしたところ、猫はころんと体を起こす。四肢を布団につけて、ぐぐっと前足を伸ばした。伸びをしたかと思うと、なにを言うでもなく、クロアのあとをついてきた。

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2019年01月25日

クロア篇−2章3

 クロアは猫に擬態したベニトラとともに居室へ入った。室内にはすでに家族が着席している。父と母、そして母方の祖母。父たちが笑顔で「おはよう」と挨拶してくる。クロアもそつなく返事をした。
 クロアの家族はこの三人以外にもいる。妹と、弟。妹たちは聖都の学生寮で寝泊まりするので、この場に集まることは最近とんとない。現在、アンペレに在住する公子公女はクロアだけだ。
 クロアの後ろを追いかけてきた猫は食卓の下にもぐりこんだ。一家の視界外にてくつろぎはじめる。この獣は人間の邪魔にならぬ場所でゴロゴロするつもりなのだろう。クロアは猫の良識を信じ、自由にさせた。
 クロアが食卓に着く。そのとき、目の端に異物を捕捉する。家族ではない老爺が、部屋のすみに居るのだ。クロアは思わず顔をしかめる。
「カスバン、こんな早くになんの用?」
 かの老爺は先代の領主にも仕えていた高官である。いまなお現領主の補佐役を務める。忠臣と言って差し支えない人物だ。その評判と功績自体は称揚すべきことなのだろうが、クロアは彼を嫌悪している。この老爺の実直さはクロアにとってわずらわしく感じることが多々あるのだ。
 老爺は鉄面皮の口元をうごかす。
「今朝からダムトの姿が見えません」
 やはりクロアの素行をつつく話題をしかけてきた。クロアは身構える。この老爺はこれからご飯のまずくなるような指摘をしてくるにちがいないと思った。
「クロア様なら行方をご存知かと思いまして──」
「ダムトなら調べものをしに出かけましたわ」
 クロアは老爺の質疑がただの談話で済むよう、当たり障りなく答える。
「夕刻までにはもどるそうですから、あなたが心配する必要はなくってよ」
 だから部屋から出ていけ、といった旨をクロアは言いたかった。しかし高官を邪険に追い返す行為は父の手前、できなかった。
「私めが知りたいのは、なにが目的でダムトを派遣なさったか、ということです」
 老爺はクロアが伏せた核心を突こうとしてくる。それが癪に障ったクロアは臣下をにらみつける。
「ダムトはあなたの部下ではありませんの。わたしの直属の護衛です。出過ぎた詮索はおよしなさい」
「どうやら他言できないご様子」
 舌戦に長けた老爺はクロアの非難を物ともしない。
「伯にお聞かせできぬことを指示なさったのですかな?」
 伯とはクノードのことだ。各地の領主は自分の臣下、および領民からそう呼ばれる。ほかにもいろいろ呼び方はあるが、礼にのっとった範囲ならば各々の好きに呼んでよいことになっている。
「おおかた、野盗退治のために偵察に行かせたのでしょう?」
 老爺は無表情だった顔に静かな怒りをのぼらせる。
「伯のご意思を無視したその指示こそ、出過ぎた越権行為というものですぞ」
「あら、お父さまは兵が集まれば討伐に行ってよいとおおせになったのよ」
 クロアも負けじと反論する。
「どうせ行くのですから、物事の順番が前後したって同じことですわ」
「そうはおっしゃいますが、使いものになる戦士がどれだけ集まりましょう」
 老爺は数歩、前に進みでる。
「アンペレの正規兵の中でもっとも強い者と同等……それくらいは戦えませぬと、伯はご安心になりますまい」
 この町の精鋭と同格の技量を持つ者、となると、それは実際に両者を戦わせてみなくては判別がつかない。つまり、老爺はクロアの集めた戦士の実力を試したいようだ。クロアは彼の主張が自分にとって好都合だと思う。
「わかりましたわ。うちの最強の戦士と手合わせして、勝った者を登用するという条件でよろしいわね?」
 どうしようかと二の足を踏んでいた事柄が、どんどん先に進むような快調さをクロアは感じた。次なる課題は実際に戦士の実力をはかる試験官の選出だ。これにはクロアの一案がある。
「ま、最強といえばわたしなのでしょうけど……」
 一対一の戦闘ではクロアがこの町で随一の実力者だと自負していた。しかし今回の試験官には不適当だともわかっている。
「わたしが相手では不満でしょ?」
「ええ。クロア様が戦士の獲得に執着なさるあまり、わざと負けることも考えられますゆえ」
 クロアが不正をはたらく可能性が無いとは言えない。だがそれを老爺が臆面もなく当人に告げるとは、不敬に相当する。クロアは臣下の態度をあげつらってもよかったが、やめておいた。むしろ強気な提案をしたほうが自分にとって有利になる、と判断する。
「だったら力試しを担当する武官はそちらで決めてちょうだい」
 そう、試験官選びはこの高官に押し付けてしまえばよいのだ。だれもが結果に納得するし、クロアの負担が軽減する。一挙両得である。
 老爺は片眉をあげた。口答えはせず「いいでしょう」と承諾する。
「私のほうで戦士の腕試しをする者を捜します。クロア様は挑戦者を『多数』お集めになってください」
 多数、という言葉を老爺は強調してきた。クロアは彼がどの程度の人数を多いと思うのか、予測がつかない。
「いったい何人必要なの?」
「合格者は五人以上……どうですかな伯、何名の豪傑がおればよいとお考えになりますか?」
 急に話をふられたクノードが生返事する。
「ああ、五人、でいいんじゃないかな」
 よく考えてはいなさそうな、適当な回答だ。募兵をかけろ、と言った本人といえど、実際に何人の精鋭が必要か、という勘定はしていなかったようだ。討伐対象の勢力を把握できていない状況では無理もなかった。
「期限は決めないから、気長に待ちなさい」
 悠長な言葉だ。実際問題、有能な傭兵がすぐ現れる保証はない。クロアは早期にケリをつけたい気持ちをこらえ、父の言葉にしたがうことにした。
「討伐の褒賞金は融通するが、法外な額にしないように」
「はい、心得ましたわ」
 正式な合意が成立した。家族の団らんを阻害してきた官吏は「失礼いたします」と退室する。閉まる戸を、クロアは誇らしい気持ちで見つめた。
「ふーんだ、偉ぶれるのもいまのうちよ」
 老爺は五人の猛者が集合することなど無理だと決めてかかっている。その思い込みが崩してみせる。クロアは賊の捕縛にかける情熱と同等かそれ以上に、老爺への反抗心をたぎらせた。

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2019年01月26日

クロア篇−2章4

 クロアが苦手とする老爺は去った。クロアはあらためて食卓に気持ちを向ける。すると家長が困ったかのように視線を机上に落としている。
「あまりカスバンを悪く思わないでくれ」
 クノードは老爺の対応を弁護する。これはクロアの予想できていた父の反応だ。
「彼もクロアに大事があってはいけないと心配しているんだ」
「いいえ、その表現は正しくありません」
 クロアはあの高官がそんな人情家ではないという自信がある。
「あの者が案じるのはアンペレの将来だけ。領地をとりまとめる旗頭(はたがしら)の血筋さえ保てたら、ほかのことはどうでもよいのですわ」
「それは……」
 父にも心当たりがあるらしく、言葉を濁した。クロアはさらに続ける。
「カスバンはこのわたしに、そこらへんの良家や商家の息子の縁談を持ちこむのですよ。名前だけの凡夫なぞ、わたしに釣り合うはずがありませんわ」
 クロアは夫の条件を不当に高望みしているつもりはなかった。なぜならクロアは次期領主である。だがクロア自身はあいにく政治能力に秀でていない。ならばこそ伴侶には自分の短所を補える知恵者を求めたいと考えている。並大抵の男性を婿にとる気は毛頭ないのだ。
 このようなクロアの意に反して、老爺が婿候補として挙げる人物はどれも凡人だった。まるでクロアの為政方針は平々凡々でよいと言わんばかりの選出だ。それがクロアにはおもしろくない。
「これでもあの者がわたしを気遣っているとおっしゃるの?」
「……なかなか言うようになったね」
「ええ、言いますわ。お父さまがガツンとお言いにならないんですもの。だからあの老骨は調子に乗るんですのよ」
 クノードは一転してにこやかに笑う。
「その勝気な性格はいったいどこからきたんだろうね」
「さあ……きっとダムトの影響ですわ」
 クロアは先日の従者との小競り合いを思い出す。
「ダムトと一緒にいると口が減らなくなりますの」
「彼はクロアの情操教育には良くない男だったかな」
「いまさらお気づきになっても遅いですわよ」
 クロアが笑って言い返した。その一言によって家族の談笑が巻き起こる。やっと重い空気が晴れて、クロアは朝食に口をつけた。

 朝食後、クロアは自身と従者用の執務室にこもった。午前中はこうして従者とともに事務に従事する。それがクロアの果たすべき義務だ。だがクロアに付き添う従者のほうは、本来の職務とは言いにくかった。
 従者はもともと、クロアの護衛と世話のために設置された職分だった。それがいまではクロアの事務作業にたずさわる。そういった補佐も職務の一環となった。いわば公女の補佐官だ。
 従者のあらたな職務追加は、クロアが日々の公務を課せられたときに行なわれた。その際、従者とは別個にクロア用の文官を付けるか、という話は持ちあがったらしい。だが、自然消滅した。当時は試験的に公女の事務作業を導入する段階だったので、政務専門の官吏は必要ないと判断されたのだ。
(仕事の量はだんだん増えてきてるのよね)
 最初のころは学問が優先された。そのため事務仕事はおままごとのような平易かつ少量で済んでいた。年を経るごとにあれやこれよと量が増え、とうとう学習に使っていた時間が丸々職務に取って代わるまでになった。
 そろそろクロアお付きの文官が用意されてしかるべき環境になりつつある。なのに、増員は検討されていない。その原因は、クロアに付きあう従者が事務作業にも優秀だったことにある。彼らに任せておけばよいという認識がクロア以外の者たちにこびりついていた。
(うーん、でもレジィは……)
 年若い従者はけっして不出来ではない。彼女の物覚えのよさはクロアをはるかに超えている。経験を積めば前任者以上の優秀な補佐役になりうる人材だ。しかし現段階では、クロアの短所を補填するまでには成長していない。就任から一年程度では無理もないことだ。ただ、彼女の成長を待つにはクロアの心の余裕が足りなかった。
 クロアは文書作成と数字の確認が苦手だ。とくに文章をまとめる作業には時間と労力を多大に吸われる。ダムトが不在な今日、クロアは自身のいたらなさを痛感する。
(ダムトがいたら、もっと楽なんだけれど……)
 報告書に必要な情報は彼と共有できている。忘れっぽいクロアでは要点に抜けが出るのを、ダムトがおぎない、そして文章の体裁をととのえる──そんな助けが、いまは期待できない。
(戦士だけじゃなくて、政務の助っ人も勧誘しようかしら?)
 自身の不得意分野を長所とする人材を、この機会に見つけたい。クロアはそう思ったが、文官の登用は今回の勧誘と方向性がちがうことに気付く。この件は外部から呼びこまずとも、すでに仕官している者の中から選んでもよい。さいわい文官には不足していない町だ。現在の部署から異動しても業務に支障がない程度の、普通な者でいい。そこそこに仕事ができて、クロアに忠実な者をひとり、公女の側近に引き抜く。そんな願望を胸に秘めながら、遅い筆運びをどうにか継続する。昼食時にはようやく今日の職務をまっとうできた。
 クロアの仕事の成果を、レジィがほかの部署へ提出しにいった。それが終われば彼女は昼食を執務室まで運んでくれることになっている。
 クロアは食事にありつくまでの待ち時間を、ベニトラと触れあいながらすごす。この獣は職務遂行中の二人を尻目に、室内をうろうろ闊歩してみたり窓辺で日向ぼっこしたりと遊んでいた。その自由さをクロアはうらやましいと思った。こんなふうに安全な場所で、高貴な者に飼われる獣は、いいものである。これといった義務はなく、ただそこに居るだけでよいのだ。しかしベニトラ自身は安逸をむさぼることを良しとする気質かどうか、まだわからない。初日は真逆なことを言っていたおぼえがある。
「ねえあなた、山や野原ですごすのがいいって、言ってたのよね?」
 クロアは自身の膝の上で横たわる獣に話しかけた。朱色の猫はクロアに腹を見せた状態で、太い尻尾をぽふぽふとクロアの手に当てる。
「いかにも」
「家の中にいたんじゃ、退屈でしょう。どうしてわたしのそばにいてくれるの?」
「他出の念、いまだ湧かず」
「まだ外が恋しくないわけね?」
「そうだ」
「そう。ちょうどよかったわ。今日は午後からあなたに必要なお買い物もしたいの。それまではわたしについてきてね」
 猫はクロアの顔を見上げた。喉元の毛のハゲた部分を前足で触れる。
「ここを隠すものを買うと?」
「そうよ。きっと首輪を買うことになるわ。だけど首輪がイヤなら足輪でもいいの。あなたが招獣だってことを人がカンタンに見分けられるものを身につけてほしいのよ」
「承知した」
 ベニトラはクロアの膝を離れ、空中を浮遊する。そのまま日当たりのよい窓辺で外をながめだした。クロアは膝のぬくもりが冷める感触に、わずかなさびしさがこみあげる。しかしレジィが入室してくると、その感情はかき消された。

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