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2018年05月27日
拓馬篇−6章1 ☆
拓馬はヤマダと別れた。自宅にたどり着くと玄関口に猫が座っている。全体の毛皮は白いが顔のまん中や耳先、足先が黒い。シャム猫のような柄だ。ヤマダがこの場にいたら、即行でかまいにいきそうである。
あえて拓馬はいつもの調子で玄関に近づいた。猫は逃げない。
(人に馴れてる? それか──)
拓馬は今朝自分がシズカに報告したことを思い出した。この珍客が普通の猫ではないと仮定して、白黒模様の獣のそばでしゃがむ。
「どうした、俺に用か?」
猫はちいさな頭を縦にうごかした。その仕草は偶然か、と拓馬が半信半疑になったところ、猫は玄関の戸に頭をつっこんだ。猫の耳や鼻はするっと戸をすり抜ける。またたく間に胴体が半分見えなくなった。
(シズカさんとこの、化け猫か……)
たびたび駆り出される猫だ。おもに二匹の猫がシズカの指示のもと、諜報活動を行なっているという。拓馬はこの猫たちに何度か会ったことがあるようなのだが、彼らはその都度体毛の模様と色を変えてくるので、どの猫がだれかという区別はついていない。
(なにかを伝えにきたのかな)
拓馬は玄関の鍵を開けた。猫のあとを追おう──と思いきや、猫は玄関内でまた座っていた。勝手に家屋へ侵入するのを遠慮しているのだろうか。鍵のかかった玄関を通過した時点で、不法侵入相当だと拓馬は思うのだが。
「あがっていいよ。シズカさんのおつかいなんだろ?」
『ではお言葉に甘える』
猫は中高年らしき男性の声で答えた。想像以上に高齢な性格の化け猫のようだ。
(化け物なら長生きしてるだろうし……)
と、ギャップがあることを自分なりに納得した。
猫が音もなく廊下にあがる。彼らはもとより実体のない身。通路などあってないようなものだが、そのあたりは人間の常識に合わせてうごいてくれた。
拓馬は玄関の鍵をかけた。現在は拓馬以外の人間の家族は不在。すこし仮眠するつもりだったので、防犯用に用心しておいた。
拓馬が猫にひとこと「すこしまっててくれ」とたのんだ。自室へいき、制服をぬぐ。よごれてもよい私服に着替えた。その格好で、居間の檻で留守番をしていた飼い犬を放す。トーマは拓馬の帰宅を全身でよろこんだ。拓馬の手や顔をなめたり、自身の体を拓馬にこすりつけたりする。ひとしきり犬の歓待を受けおえて、拓馬はソファに移動した。シズカの使いもソファのへりに乗る。位置的に猫は拓馬のななめ後ろにいる。視線を合わせるため、拓馬はソファに片足をのせ、体の向きを変えた。床につけた足にはトーマのあたたかい体が触れている。話をする態勢がととのった。拓馬は精神体な猫に話しかける。
「それで……なんの用事できたんだ?」
予測はついていたが、いちおうの確認をした。万一、この猫がシズカの使者を偽装する異形ということもありうる。シズカからの連絡がない以上、軽率な情報漏えいはさけたかった。
『今朝がたの連絡を受けての返事、と思ってもらいたい』
この言葉によって、拓馬は猫を信用する。
「シズカさんが忙しくて、あんたがその代わりに話をしにきたと?」
『その認識で大差ない。ゆうても、あやつは今晩におぬしと話すつもりでいる』
夜まで待てない理由があるのか──と拓馬は不安がる。
「夜に話してちゃ、手遅れになる?」
『いんや、火急の用ではない。わしが遣わされたのは、言葉では教えきれぬことを見せるため』
「『見せる』?」
『事実を語るためにまぼろしを映し出す。わしの得意分野じゃて』
これができるやつはほかにもいるがの、と老猫は自虐めいて言う。
『いままでわしが知り得たことを、おぬしに見せてしんぜよう』
「へえ、ドキュメンタリー映画みたいなものか?」
『そうじゃ。多少脚色は入るが……抵抗はないか?』
「ん? なんで?」
『幻術なんぞ体験したことはなかろうに、不気味ではないのか?』
現状、拓馬はしゃべる猫と接している。そんな状況を受け入れる自分が、いまさら故意の幻覚を見せられて、取り乱すだろうかと自問する。
(不気味なもの……は、見るときは見るしなぁ)
幼少時のトラウマがかすかによみがえった。悪意をもった霊が拓馬を自宅まで追ってきたことがあるのだ。その原因は拓馬がうっかり霊に注目してしまったせいだと記憶している。それにくらべて、見る者をどうこうする気のない幻影はおそれるに足らないように感じた。ただし、苦手な映像自体はある。
「まあ、グロテスクなもんを見せられたらイヤだけど……」
『それは安心されよ。しょっきんぐ映像は出てこぬ』
「ならいいや」
『かるいのう』
老猫は拓馬の感性が常人離れしていると言いたげだ。おそらく霊視という特性がもたらす人格形成への影響を想定していないのだ。そればかりは感覚を共有できる者がほぼいないため、わかれと言うほうが無理である。
拓馬は自分が非日常的な能力をおそれぬ理由を、もっともらしく言ってみる。
「シズカさんがいいと思ってやることなら……平気だと思う」
『そうか。信頼しておるのだな』
老猫はしっぽをうねらせて『映画といえばの』となにか思いつく。
『なれーしょんの種類は変更可能じゃぞ。若いおなごの声にしようか?』
「あんたがラクな方法でいいよ」
『そうか、ではこのままでやるぞ』
「どうやって見るんだ? スクリーンがぽんっと空中に出るのか?」
『それはめんどくさいんじゃ』
老猫は技術的に不可能ではないと示唆する。その言い方がなんだか人間くさくて、拓馬は老猫に親しみをおぼえた。
『おぬしが夢を見るのと同じ要領で、映像を流すぞ』
老猫は拓馬に、横になって目をつむるよう指示した。老猫もへりのうえで腹這いになる。
『りら〜っくすじゃ』
拓馬は言われるままにソファに寝転がり、目をとじた。今朝からの疲労を感じる。そのせいで、なんだか寝てしまいそうになる。
「これ、ねたらダメだよな?」
『大丈夫じゃ。そうなれば夢見のほうをチョチョイといじるまで』
寝落ちしても問題はないと知り、拓馬はだいぶ気楽になった。
『これからある男のいめーじを伝えるぞ。おぬしの近辺に出没しておる男と、同一だと思われるやからじゃ』
暗い視界が徐々に明るんでいく。目を閉じても見える光景は、色のない世界だった。
あえて拓馬はいつもの調子で玄関に近づいた。猫は逃げない。
(人に馴れてる? それか──)
拓馬は今朝自分がシズカに報告したことを思い出した。この珍客が普通の猫ではないと仮定して、白黒模様の獣のそばでしゃがむ。
「どうした、俺に用か?」
猫はちいさな頭を縦にうごかした。その仕草は偶然か、と拓馬が半信半疑になったところ、猫は玄関の戸に頭をつっこんだ。猫の耳や鼻はするっと戸をすり抜ける。またたく間に胴体が半分見えなくなった。
(シズカさんとこの、化け猫か……)
たびたび駆り出される猫だ。おもに二匹の猫がシズカの指示のもと、諜報活動を行なっているという。拓馬はこの猫たちに何度か会ったことがあるようなのだが、彼らはその都度体毛の模様と色を変えてくるので、どの猫がだれかという区別はついていない。
(なにかを伝えにきたのかな)
拓馬は玄関の鍵を開けた。猫のあとを追おう──と思いきや、猫は玄関内でまた座っていた。勝手に家屋へ侵入するのを遠慮しているのだろうか。鍵のかかった玄関を通過した時点で、不法侵入相当だと拓馬は思うのだが。
「あがっていいよ。シズカさんのおつかいなんだろ?」
『ではお言葉に甘える』
猫は中高年らしき男性の声で答えた。想像以上に高齢な性格の化け猫のようだ。
(化け物なら長生きしてるだろうし……)
と、ギャップがあることを自分なりに納得した。
猫が音もなく廊下にあがる。彼らはもとより実体のない身。通路などあってないようなものだが、そのあたりは人間の常識に合わせてうごいてくれた。
拓馬は玄関の鍵をかけた。現在は拓馬以外の人間の家族は不在。すこし仮眠するつもりだったので、防犯用に用心しておいた。
拓馬が猫にひとこと「すこしまっててくれ」とたのんだ。自室へいき、制服をぬぐ。よごれてもよい私服に着替えた。その格好で、居間の檻で留守番をしていた飼い犬を放す。トーマは拓馬の帰宅を全身でよろこんだ。拓馬の手や顔をなめたり、自身の体を拓馬にこすりつけたりする。ひとしきり犬の歓待を受けおえて、拓馬はソファに移動した。シズカの使いもソファのへりに乗る。位置的に猫は拓馬のななめ後ろにいる。視線を合わせるため、拓馬はソファに片足をのせ、体の向きを変えた。床につけた足にはトーマのあたたかい体が触れている。話をする態勢がととのった。拓馬は精神体な猫に話しかける。
「それで……なんの用事できたんだ?」
予測はついていたが、いちおうの確認をした。万一、この猫がシズカの使者を偽装する異形ということもありうる。シズカからの連絡がない以上、軽率な情報漏えいはさけたかった。
『今朝がたの連絡を受けての返事、と思ってもらいたい』
この言葉によって、拓馬は猫を信用する。
「シズカさんが忙しくて、あんたがその代わりに話をしにきたと?」
『その認識で大差ない。ゆうても、あやつは今晩におぬしと話すつもりでいる』
夜まで待てない理由があるのか──と拓馬は不安がる。
「夜に話してちゃ、手遅れになる?」
『いんや、火急の用ではない。わしが遣わされたのは、言葉では教えきれぬことを見せるため』
「『見せる』?」
『事実を語るためにまぼろしを映し出す。わしの得意分野じゃて』
これができるやつはほかにもいるがの、と老猫は自虐めいて言う。
『いままでわしが知り得たことを、おぬしに見せてしんぜよう』
「へえ、ドキュメンタリー映画みたいなものか?」
『そうじゃ。多少脚色は入るが……抵抗はないか?』
「ん? なんで?」
『幻術なんぞ体験したことはなかろうに、不気味ではないのか?』
現状、拓馬はしゃべる猫と接している。そんな状況を受け入れる自分が、いまさら故意の幻覚を見せられて、取り乱すだろうかと自問する。
(不気味なもの……は、見るときは見るしなぁ)
幼少時のトラウマがかすかによみがえった。悪意をもった霊が拓馬を自宅まで追ってきたことがあるのだ。その原因は拓馬がうっかり霊に注目してしまったせいだと記憶している。それにくらべて、見る者をどうこうする気のない幻影はおそれるに足らないように感じた。ただし、苦手な映像自体はある。
「まあ、グロテスクなもんを見せられたらイヤだけど……」
『それは安心されよ。しょっきんぐ映像は出てこぬ』
「ならいいや」
『かるいのう』
老猫は拓馬の感性が常人離れしていると言いたげだ。おそらく霊視という特性がもたらす人格形成への影響を想定していないのだ。そればかりは感覚を共有できる者がほぼいないため、わかれと言うほうが無理である。
拓馬は自分が非日常的な能力をおそれぬ理由を、もっともらしく言ってみる。
「シズカさんがいいと思ってやることなら……平気だと思う」
『そうか。信頼しておるのだな』
老猫はしっぽをうねらせて『映画といえばの』となにか思いつく。
『なれーしょんの種類は変更可能じゃぞ。若いおなごの声にしようか?』
「あんたがラクな方法でいいよ」
『そうか、ではこのままでやるぞ』
「どうやって見るんだ? スクリーンがぽんっと空中に出るのか?」
『それはめんどくさいんじゃ』
老猫は技術的に不可能ではないと示唆する。その言い方がなんだか人間くさくて、拓馬は老猫に親しみをおぼえた。
『おぬしが夢を見るのと同じ要領で、映像を流すぞ』
老猫は拓馬に、横になって目をつむるよう指示した。老猫もへりのうえで腹這いになる。
『りら〜っくすじゃ』
拓馬は言われるままにソファに寝転がり、目をとじた。今朝からの疲労を感じる。そのせいで、なんだか寝てしまいそうになる。
「これ、ねたらダメだよな?」
『大丈夫じゃ。そうなれば夢見のほうをチョチョイといじるまで』
寝落ちしても問題はないと知り、拓馬はだいぶ気楽になった。
『これからある男のいめーじを伝えるぞ。おぬしの近辺に出没しておる男と、同一だと思われるやからじゃ』
暗い視界が徐々に明るんでいく。目を閉じても見える光景は、色のない世界だった。
タグ:拓馬
2018年05月30日
拓馬篇−6章2 ★
まぶたを閉じた視界にモノトーンの景色がひろがる。拓馬が真っ先に視認したものは、机に向かう男性の姿だ。周囲にも机と椅子がならぶ中、男性はひとり、開いた本を見たり紙になにかを書いたりしていた。
『これはこやつが勉強しておるところじゃ』
拓馬は「こやつ」という老猫の表現に引っ掛かった。老猫はその男性のことを教えにきたというのに、名前を明かさないでいる。
『わるく思わんでくれ。こやつには本名がないのじゃ』
(え、俺はまだなにも……)
『いまはおぬしの心の声がわしに届く』
(俺の気持ちがつつぬけになってる?)
幻を見ることよりも不気味な状態だ。拓馬がそう感じると『安心せい』と老猫が言う。
『わしに聞きたい、と思ったことが伝わる』
そう聞いた拓馬は安心した。口に出さなくていいぶん、かえって便利な会話方法である。
視界が男性に接近する。その風貌が明瞭になる。年のころは二十歳前後だろうか。華やかさはないが、角ばった顔や太い首からはたくましさがうかがい知れる。かなり発達した体躯だ。それらは拓馬が知る、帽子を被った大男のイメージと通じる。
『こやつはとある異人に拾われた男……「異人」というのは、おぬしらの世界に住む人間が、わしらの世界にきたときの呼び名じゃ』
(その異人はシズカさん……ではない?)
『そう、べつの異人。こちらの説明は割愛させてもらうぞ』
(名前や国籍は言えないのか?)
拓馬にとっての異人という語句には、どうしてもシズカが念頭に出る。混同を避けるために、区別のつく情報がほしいと思った。
『差しつかえない。この時代をさかのぼったころの日本人で、穂村圭《ほむらけい》という。おなごながら体術に秀でておった』
映像の男性は顔をあげた。彼が横を向く視線のさきに、女性があらわれる。女性の年齢は男性と同じくらいの若さだ。男性が大柄なせいでか、かなりの小柄に見えた。そして白黒の世界でもはっきりわかる、黒髪を有している。彼女が日本人だという前情報も、拓馬の確信に役立っているのだろう。
『この異人はこやつを放っておいてはならぬと考え、わしの住処に連れてきよった』
(どういう理由で保護したんだ?)
『人を殺《あや》めかけた』
拓馬は悪寒を感じた。殺人未遂──そんな凶悪なことをしでかす男なのか、と。
『こやつ自身は人を死なせるつもりがなかった。生まれながらに備わった力を、うまく使えなかっただけなんじゃ。それゆえ教育をほどこそうと、このおなごの異人は考えた』
黒髪の女性が男性のとなりの席に座った。二人がならぶと、その髪と肌の色の濃度差が如実に出る。男性は比較的、髪の色が薄くて肌の色が濃いようだ。女性は彼に笑顔で話しかけているが、男性の仏頂面は変わらない。
『こんな顔でもな、こやつはよろこんでおるんじゃぞ。この異人を姉のように慕っておったでな』
(それはいいんだけど……人殺しをさせないための勉強って、座学でできることか?)
『ああ、それはちょいと話が前後するのう。こやつは言葉をろくに知らなかったゆえ、最初に基礎的な学習をさせたのじゃ』
(意志疎通をとるために、か)
『しかるのちに武術の稽古をつけ、力の使い方を学んでいった。この異人が稽古相手をしておったが、見てのとおりの体格差。おまけに筋力はこやつのほうがすぐれておる。これではまともに教えようがない』
(ああ、俺もそう思う)
『じゃから、こやつと身体的にちょうど合う男が呼ばれた』
あらたに体格のよい人物がやってきた。頭にターバンを巻いた、どことなくアラビアンな格好の男性だ。大男よりは体型が細いようだ。そう見える一因は、彼の腰に提げた大きな曲刀にもあるのだろうか。
『この剣士がこやつを鍛えた師範。剣にかぎらずなんでも武器を扱えるやつじゃて、広く浅く教えたようじゃ。わしはそのしごきを見ておらんので、映像には出せん』
剣士は二人のまえを通りすぎていった。剣士が去った方向からまた別の人物が出てくる。その人は白衣のようなコートを羽織っていた。コートの片方の腕部分が不自然にはためく。
『この方の片腕は戦で失った──』
(いくさで……)
『……これが、わしの住処の家主じゃ。シズカとも仲がよい』
隻腕の人物が机上の紙を手にとった。紙をながめおえると、男性になにやら話している。
『この家主もこやつの勉学を見てやった。こやつがおぬしらの世界へ行くすべを学んだのも、この方の教えによる』
(なんでそんなことまで教えたんだ?)
『こやつが強くのぞんだ。こやつが異人にあこがれて、おぬしらの世界に興味を持ったのじゃと、このときは思っておった』
(いまはどう思ってる?)
『……わしからは言えん。教えてよいという指示は受けておらぬゆえ』
(そこはシズカさんに聞けってことか?)
『そういうことじゃ。これで最低限の職務は果たした。しばらく質問を受けつけよう』
映像はそのままに、老猫の解説がなくなった。拓馬は胸にわだかまりがあるのを感じている。質問の機会をのがしてはいけないと思い、懸命にその違和感の正体をさぐる。すると映像を見るまえに気付けなかった不思議がひとつ見つかった。
(どうして、この男と俺の町にうろつく大男が同じやつだとわかったんだ?)
共通する点は体格と、異なる世界を行き来する技術があるという二点。それだけで断定できるほど、この二点はめずらしい特徴なのだろうか。
『そうさな、厳密には同一人物と言えん。その可能性がきわめて高いだけじゃ』
(可能性でもいい、根拠はあるんだろ?)
『この近辺でこやつを見かけた』
(え、いつ?)
『おぬしがこやつの存在を知るまえじゃ』
つまり、事の発端である成石の襲撃よりむかしのことだ。しかし拓馬は心当たりがない。
『ほれ、黒い化け物を見たと言うておったのじゃろ』
(そうだったっけ……)
『シズカに確認してみい。あやつはマメじゃから記録をつけておるはず』
映像が暗転していく。これで質疑はおわったのかと思いきや、べつのカットで大男が映しだされた。彼は鍔《つば》の広い帽子を被った姿で直立している。その顔は色の濃いサングラスのせいで見えない。
『ここでのこやつはこんな感じじゃな。色メガネをはずしてやると、こうじゃ』
映像の男性がてずからサングラスを取った。拓馬が冒頭に見た、勉強中の男性と同じ顔つきだ。
『この顔をようおぼえておきなされ』
(俺がこいつの顔をおぼえて、なにか意味があるのか?)
『仮定を確定にちかい状態にしておくと、次の仮定を吟味しやすい』
(次の仮定?)
『なぜこやつがおぬしらの世界にくることになったか、そのいきさつをシズカが今夜、告げる。こちらの話は断言できる裏付けがないゆえ、参考として聞いてもらいたい』
幻影が遠のく。一面暗い視界になると拓馬は目を開けた。老猫はまだソファにいる。
『では失礼するぞ』
老猫が壁をすりぬけた。姿が見えなくなるのを待ってから、拓馬は寝返りをうつ。シズカの話を集中して聞けるよう、いまは休むことにした。寝入るまでの間、脳裏には圭という女性と大男のやり取りが思いうかぶ。
(『姉のように慕ってた』……か)
拓馬には実の姉がいる。だが姉は拓馬が慕えるような人柄ではない。家事はできないしドジは踏むしで、拓馬はよくその尻拭いをさせられる。そのことに嫌悪感をいだくことはないものの、姉というものが頼れる存在だという認識は皆無。老猫が言う姉の定義と、自分の姉との乖離に、おかしみを感じた。
『これはこやつが勉強しておるところじゃ』
拓馬は「こやつ」という老猫の表現に引っ掛かった。老猫はその男性のことを教えにきたというのに、名前を明かさないでいる。
『わるく思わんでくれ。こやつには本名がないのじゃ』
(え、俺はまだなにも……)
『いまはおぬしの心の声がわしに届く』
(俺の気持ちがつつぬけになってる?)
幻を見ることよりも不気味な状態だ。拓馬がそう感じると『安心せい』と老猫が言う。
『わしに聞きたい、と思ったことが伝わる』
そう聞いた拓馬は安心した。口に出さなくていいぶん、かえって便利な会話方法である。
視界が男性に接近する。その風貌が明瞭になる。年のころは二十歳前後だろうか。華やかさはないが、角ばった顔や太い首からはたくましさがうかがい知れる。かなり発達した体躯だ。それらは拓馬が知る、帽子を被った大男のイメージと通じる。
『こやつはとある異人に拾われた男……「異人」というのは、おぬしらの世界に住む人間が、わしらの世界にきたときの呼び名じゃ』
(その異人はシズカさん……ではない?)
『そう、べつの異人。こちらの説明は割愛させてもらうぞ』
(名前や国籍は言えないのか?)
拓馬にとっての異人という語句には、どうしてもシズカが念頭に出る。混同を避けるために、区別のつく情報がほしいと思った。
『差しつかえない。この時代をさかのぼったころの日本人で、穂村圭《ほむらけい》という。おなごながら体術に秀でておった』
映像の男性は顔をあげた。彼が横を向く視線のさきに、女性があらわれる。女性の年齢は男性と同じくらいの若さだ。男性が大柄なせいでか、かなりの小柄に見えた。そして白黒の世界でもはっきりわかる、黒髪を有している。彼女が日本人だという前情報も、拓馬の確信に役立っているのだろう。
『この異人はこやつを放っておいてはならぬと考え、わしの住処に連れてきよった』
(どういう理由で保護したんだ?)
『人を殺《あや》めかけた』
拓馬は悪寒を感じた。殺人未遂──そんな凶悪なことをしでかす男なのか、と。
『こやつ自身は人を死なせるつもりがなかった。生まれながらに備わった力を、うまく使えなかっただけなんじゃ。それゆえ教育をほどこそうと、このおなごの異人は考えた』
黒髪の女性が男性のとなりの席に座った。二人がならぶと、その髪と肌の色の濃度差が如実に出る。男性は比較的、髪の色が薄くて肌の色が濃いようだ。女性は彼に笑顔で話しかけているが、男性の仏頂面は変わらない。
『こんな顔でもな、こやつはよろこんでおるんじゃぞ。この異人を姉のように慕っておったでな』
(それはいいんだけど……人殺しをさせないための勉強って、座学でできることか?)
『ああ、それはちょいと話が前後するのう。こやつは言葉をろくに知らなかったゆえ、最初に基礎的な学習をさせたのじゃ』
(意志疎通をとるために、か)
『しかるのちに武術の稽古をつけ、力の使い方を学んでいった。この異人が稽古相手をしておったが、見てのとおりの体格差。おまけに筋力はこやつのほうがすぐれておる。これではまともに教えようがない』
(ああ、俺もそう思う)
『じゃから、こやつと身体的にちょうど合う男が呼ばれた』
あらたに体格のよい人物がやってきた。頭にターバンを巻いた、どことなくアラビアンな格好の男性だ。大男よりは体型が細いようだ。そう見える一因は、彼の腰に提げた大きな曲刀にもあるのだろうか。
『この剣士がこやつを鍛えた師範。剣にかぎらずなんでも武器を扱えるやつじゃて、広く浅く教えたようじゃ。わしはそのしごきを見ておらんので、映像には出せん』
剣士は二人のまえを通りすぎていった。剣士が去った方向からまた別の人物が出てくる。その人は白衣のようなコートを羽織っていた。コートの片方の腕部分が不自然にはためく。
『この方の片腕は戦で失った──』
(いくさで……)
『……これが、わしの住処の家主じゃ。シズカとも仲がよい』
隻腕の人物が机上の紙を手にとった。紙をながめおえると、男性になにやら話している。
『この家主もこやつの勉学を見てやった。こやつがおぬしらの世界へ行くすべを学んだのも、この方の教えによる』
(なんでそんなことまで教えたんだ?)
『こやつが強くのぞんだ。こやつが異人にあこがれて、おぬしらの世界に興味を持ったのじゃと、このときは思っておった』
(いまはどう思ってる?)
『……わしからは言えん。教えてよいという指示は受けておらぬゆえ』
(そこはシズカさんに聞けってことか?)
『そういうことじゃ。これで最低限の職務は果たした。しばらく質問を受けつけよう』
映像はそのままに、老猫の解説がなくなった。拓馬は胸にわだかまりがあるのを感じている。質問の機会をのがしてはいけないと思い、懸命にその違和感の正体をさぐる。すると映像を見るまえに気付けなかった不思議がひとつ見つかった。
(どうして、この男と俺の町にうろつく大男が同じやつだとわかったんだ?)
共通する点は体格と、異なる世界を行き来する技術があるという二点。それだけで断定できるほど、この二点はめずらしい特徴なのだろうか。
『そうさな、厳密には同一人物と言えん。その可能性がきわめて高いだけじゃ』
(可能性でもいい、根拠はあるんだろ?)
『この近辺でこやつを見かけた』
(え、いつ?)
『おぬしがこやつの存在を知るまえじゃ』
つまり、事の発端である成石の襲撃よりむかしのことだ。しかし拓馬は心当たりがない。
『ほれ、黒い化け物を見たと言うておったのじゃろ』
(そうだったっけ……)
『シズカに確認してみい。あやつはマメじゃから記録をつけておるはず』
映像が暗転していく。これで質疑はおわったのかと思いきや、べつのカットで大男が映しだされた。彼は鍔《つば》の広い帽子を被った姿で直立している。その顔は色の濃いサングラスのせいで見えない。
『ここでのこやつはこんな感じじゃな。色メガネをはずしてやると、こうじゃ』
映像の男性がてずからサングラスを取った。拓馬が冒頭に見た、勉強中の男性と同じ顔つきだ。
『この顔をようおぼえておきなされ』
(俺がこいつの顔をおぼえて、なにか意味があるのか?)
『仮定を確定にちかい状態にしておくと、次の仮定を吟味しやすい』
(次の仮定?)
『なぜこやつがおぬしらの世界にくることになったか、そのいきさつをシズカが今夜、告げる。こちらの話は断言できる裏付けがないゆえ、参考として聞いてもらいたい』
幻影が遠のく。一面暗い視界になると拓馬は目を開けた。老猫はまだソファにいる。
『では失礼するぞ』
老猫が壁をすりぬけた。姿が見えなくなるのを待ってから、拓馬は寝返りをうつ。シズカの話を集中して聞けるよう、いまは休むことにした。寝入るまでの間、脳裏には圭という女性と大男のやり取りが思いうかぶ。
(『姉のように慕ってた』……か)
拓馬には実の姉がいる。だが姉は拓馬が慕えるような人柄ではない。家事はできないしドジは踏むしで、拓馬はよくその尻拭いをさせられる。そのことに嫌悪感をいだくことはないものの、姉というものが頼れる存在だという認識は皆無。老猫が言う姉の定義と、自分の姉との乖離に、おかしみを感じた。