2018年04月06日

拓馬篇−4章5 ★

 週末の夜、拓馬は駅近くの小売店で紙パックジュースを購入した。買った飲料は家ではあまり飲む機会のない種類。せっかく買うのなら普段飲まないものを、と思って選んだ。この不明確な購買意欲のとおり、拓馬の外出目的はジュース以外にある。その目的とは、須坂の身辺警護もどきだ。ただし守られる側の了解は得ていない。
 拓馬が家を出る際は、物を買う気などさらさらなかった。いざ来てみると、店の利用客が店の外で待機する少年に視線を投げていく。そのいぶかしげな目が視界に入るたび、拓馬はこのままではよくないと感じた。
(『高校生ぐらいの不審者がうろついてる』って評判になったら、まずいぞ)
 ここは深夜も営業する店だ。時刻は小学生の就寝には早いくらいとはいえ、普通、こんな夜に未成年が店にたむろしない。するとしたら不良だろう。もしも不良らしき少年が才穎高校の生徒だとうわさされれば、教師陣の風当たりが強くなること必至だ。学校の評判を下げる行為は理由の如何《いかん》に問わず、処罰されかねない。
 買い物客の体裁をたもつ拓馬はふたたび店の外に立つ。そこは室外機横の、客の行き来を邪魔しない区画だ。店員がそえたストローをジュースの口に差し、水分補給する。ストローをくわえた状態で、拓馬は駅へ向かう人影を見張った。
(ぜんぜん、連絡こないな……)
 三郎が決めた配置についてから三十分は経っただろうか。連絡をとるのは異常が発生したときのみ、というふうに仲間内で決めてあった。通信機器の使用により、須坂または不審者に見つかるおそれがあったためだ。とくに不審者はどこにひそんでいるかわからない。不用意な行動をひかえる必要があった。
 連絡をとるにふさわしい異常事態には「今晩は須坂が外出しない」こともふくまれる。その異常を察知する係はアパート付近担当の三郎だ。彼がそう判断すれば各自解散になる。音信不通である現状、事は順調にすすんでいるか、三郎があきらめていないかのどちらかのようだ。
 この見張り作戦にはほかにも参加者がいる。家業を切り上げてくるジモンと、拓馬とはべつクラスになった男子である。彼は名木野と親しく、その名木野が拓馬たちを案じるのを知って、今回協力してくれることになった。
 こうして三郎は三人の同志をあつめ、今日の昼間に計画を発表した。その発表には予想外な情報があった。須坂の姉は芸能人だという。水卜《みうら》律子といい、小さな子どものころから俳優業を続ける有名人だと。三郎自身は律子に会ったときに気付かなかったが、あとで同じ場にいたヤマダにそう教えられたそうだ。須坂は家族が有名人だという好奇の目にさらされたくなくて、学校では姉の存在を隠したがっているとか。
(水卜さんか……けっこうキレイな人だよな)
 拓馬は熱心にテレビを見るタチではないが、水卜の活動期間の長さゆえに、彼女の活躍を見かけることがあった。子役時代をすぎてからの役どころはクールビューティ―なものが多く、須坂のとっつきにくさとイメージが被る。その人格はあくまで演技上の性質であり、本来の水卜その人とは異なる。拓馬は三郎の「お姉さんのほうはやさしそう」との説明を受けて、そのように感じた。

 現在の拓馬たちは個別に見張り活動をしている。須坂の住むアパートから駅までの道のりを、各々が一定の間隔をあけて待機する。須坂の通る経路をおさえる必要はあるが、彼女に見つかってもいけない。とくに姿を見られやすい場所は照明や人通りの多い、駅前だ。駅前は身体的に目立たない者が適任者だといい、拓馬が配置された。
(俺が地味なのはわかるけど──)
 須坂とは日常的に会っている。顔を見られれば気づかれるはずだ。
(バレたらすげえ怒られそう……)
 彼女が拓馬個人へ冷たく当たったことはないものの、性格的にありえそうだと拓馬は憂《うれ》えた。
 手にもつ紙パックがかるくなってきたころ、長髪の女性が店の前を横切っていった。女性の背格好は須坂と似ている。足早に移動すること以外、平常な様子である。
(なにも起きなかったってことかな)
 それは仲間たちが無言をつらぬく現状と合致する。拓馬は彼女を須坂だと推定した。もし推定が確定へ変化した際には「須坂は駅に着いた」と仲間へ伝えることになっている。駅前は通信機器を使う人が多数いる環境ゆえに、不審者に気取られる危険がすくない、との判断にもとづく決定だった。
 須坂らしき人物は電灯がひときわ明るい駅舎へ入る。そこで彼女の姉を待つのだろう。
 須坂が夜に外出する動機は、遠方からくる姉を出迎えるためにある。三郎の人物評によると須坂の姉はおだやかそうだったとか。その人がいれば拓馬らの張りこみが知られても、いくらかの弁護は期待できそうだ。
(お姉さんと須坂が合流するまでは近づけないな)
 須坂だとおぼしき相手が須坂本人なのか、まだ確認しにいけない。いましばらく待機を続行した。
 駅舎に電車が入っていく。拓馬が見張りの任に就いてから何度めの停車だったか。停まった電車がまたうごくころ、駅から人が出てきた。仕事帰りらしき男性や背のちぢこまった老人などが先行する。駅を離れようとする人々の中に、駅舎の外壁にそって移動する者が二人いた。駅の軒先にある照明のおかげで、片方は須坂だとほぼ断定できた。もう一方も女性らしい姿だ。おそらく須坂の姉である。この二人は壁の曲がり角で、身を隠した。
(どうしてすぐに帰らないんだ?)
 拓馬は姉妹の行動に疑問をもち、ある仮説を思いつく。
(電車の中で、変なやつに会ったとか?)
 そう考えた拓馬は紙パックを足元に置き、駅舎から挙動不審な者があらわれるのを見張る。
(あ、須坂が駅についたって連絡……)
 拓馬は事前の打ち合わせを思い出した。しかし連絡をとる間は不審者の監視がしづらくなる。拓馬はどちらを優先するか迷ったが、ひとまず簡単な報せだけ仲間内に送る。返信を確認せずに、携帯型の電子機器をポケットにしまった。
 拓馬はすぐに駅の構内を見る。須坂が見知らぬ二人組と対面していた。相手は男性だ。須坂たちはなにか話しているように見えた。
(あいつ、男嫌いなのに……?)
 その違和感はすぐに消える。急に須坂が彼らに背を向け、走りだした。男連中は須坂につかみかかろうとしており、どうやら須坂が彼らを怒らせたようである。彼女らしいと拓馬は思ったが、悠長にかまえてはいられない。ただちに助けに行こうとした。
 拓馬がうごくより先に、異変が生じた。巨大な人影が、須坂と男性たちの間に割って入る。鍔広の帽子を被った大きな影だ。その人影が、男性二人の襟首をつかむ。黒ずくめの人物は成人男性をひとりずつ片手で持ち上げた。拘束される者たちはうめき声をあげている。その様子に拓馬は既視感をおぼえた。武闘派な教師による不良少年への折檻は、まだ記憶に新しい。
(まさか、先生? でも体型がちがう)
 締め上げられる男性たちは平均的な成人男性の体つきをしている。そんな彼らとは比較にならぬほど、男性らを捕縛する人物の背が高い。そのうえ筋骨隆々なようだ。シドも体格がよい男性とはいえ、あの大男よりは細身かつ身長が低い。あきらかに別人だ。
 大男は捕まえた男性らを放した。痛めつけられた者たちが地面にころがった。
 騒ぎの場へ、須坂の姉が急行する。彼女は大男に頭を下げた。どうやらお礼を言っているらしい。そこに突然、光が放たれた。二人の姿が明るみになる。大男の仕置きを受けた連中がカメラを撮ったようだ。須坂がカメラマンに詰め寄り、口論を起こしている。
(須坂のやつ、さっきから喧嘩ふっかけてるみたいだけど……?)
 いくら須坂が気の強い女子といえど、闘牛のごとき暴れ方を学内では見せていない。彼女が怒るなにかを、男性二人組はやらかしたようだ。
 須坂がカメラを持つ男性と取っ組みあう。相手は男性二人。とても彼女がかなう見込みはない。かなりのムチャをしでかすその度胸はおそらく、大男がそばにいるから成立するものだ。奇妙な信頼関係にある大男が、カメラを男性からもぎ取った。
 カメラを持っていないほうの男性が「返せ!」と叫び、大男に突進する。大男は簡単にいなした。男性の体当たりが空ぶり、いきおいあまって転倒した。
 次にもともとのカメラ所有者が大男に掴みかかる。大男はカメラを掲げた。うばい返されないための行為か、と思いきや、大男の手からバラバラと黒い破片が降る。彼はカメラを握りつぶしたのだ。非常識なまでの握力だ。
 男二人は大男の馬鹿力に臆したらしい。力ない悲鳴をあげながら駅舎へ駆けこんだ。
(で……どっちが須坂の付きまといをしてるやつだったんだ?)
 いま、その確認ができるのは怪力男のみ。拓馬はそちらに問いただすつもりで接近した。
 大男は駅舎から遠ざかろうとする。それを須坂が「待って!」と引き止めた。しかし大男は無情にも走りだす。
(逃がすか!)
 拓馬は必死に追いかけた。学校では俊足を誇る拓馬だが、大男相手にみるみる引き離されてしまった。そのすばやさは獣のよう。世界陸上選手もあわやというほどの走りだ。
 これは追いつけないと拓馬は判断し、大男の遁走を見逃した。全力疾走によってはずんだ呼吸をととのえる。肩で息をするところを、「ねえ」と話しかけられた。その声は須坂である。
「根岸くんでしょ。なんで走ってるの?」
 いよいよ須坂に気付かれた。拓馬は彼女の叱責を回避しうる、適当な返答をのべる。
「……なんでって、トレーニング、だな」
「駅前で短距離走の練習? 人にぶつかったら危ないじゃない」
 至極当然な指摘だった。ランニング程度のかるい運動ならば通用しただろうが、トップスピードを出す走り込みの場にはふさわしくない。拓馬はどう言い繕ったらいいものか迷う。
「あの走っていった男の人、あなたの知り合い?」
 須坂は拓馬のウソを追及せず、大男のことを聞いてきた。これには拓馬が正直に答える。
「知らないな。お前こそどうなんだ?」
 二人のやり取りを須坂の姉がさえぎる。
「ここで長話もなんだから、お店に入らない? お腹へっちゃって……」
 須坂の姉は食事をとるヒマなく妹に会いにきたようだ。姉妹の夕食に他人が入りこむ余地はない。拓馬はこれみよがしに「んじゃあ、俺はこれで」と去ろうとした。が、拓馬の服の裾を美弥が引っ張る。
「ちゃんと話しましょう。聞きたいことがあるし、あなたも私たちに言うことがあるんじゃないの?」
 拓馬は須坂の言葉から、拓馬たちが独断で須坂の見張りをしたことへの謝罪要求をかぎとる。ここで逃げてはあとがこわいと思い、だまってうなずく。これから夕食の同伴をするとなると、三十分は身動きがとれなくなるだろうか。張り込み中の仲間に事情を伝えなくては、と拓馬は考え、一時的に須坂と離れる策を講じる。
「ちょっとゴミ捨ててからでいいかな」
「いいけど、にげないでよ」
「そんなバカなことしないって」
 学校でどやされたくない、と心の中で答えた。拓馬は紙パックを放置した場所へ急いでもどる。ゴミを回収しつつ司令塔へ通話をする。
「三郎、須坂に付きまとってるやつを見かけたよ」
『本当か! 捕まえられたか?』
「それは無理だった。くわしい話はあとでな。今日はもう引き上げよう」
『了解した。帰還しよう』
 ゴミ箱へ紙パックを投入する間に、会話はおわった。歩道で待つ須坂らのほうへ向きなおると、須坂は冷めた視線を投げてくる。
「やっぱり、捜査ごっこしてたの?」
「ああ、勝手についてきてわるかった」
「あなたが謝らなくていい。どうせあの熱血バカに無理を言われたんでしょ」
 意外にも須坂は拓馬への理解を示した。拓馬からの詫びはほしくないのなら、わざわざ場所を移して話をする理由がわからない。
「? そこまでわかってて、どうして俺と話しをしようと?」
「言ったでしょ、おたがいに話すことがあるって。学校じゃ話しにくいから、いまのうちに伝えておきたいの」
 須坂はそれきり姉と「どの店がいい?」と夕飯談義をはじめた。彼女らのうしろを、拓馬はつかずはなれずで追った。

posted by 三利実巳 at 21:21 | Comment(0) | 長編拓馬 

2018年04月08日

拓馬篇−4章◆ ★

 美弥の姉──律子はチェーン店での遅まきの夕食を注文し終えた。美弥は姉とともに、同席者の男子と向かい合う状態で、テーブル席に着いている。
 律子は初対面の少年に声をかける。
「おごってあげるけど……なにも頼まなくていいの?」
「おかまいなく……」
 この男子は一向に律子と目線を合わせない。角度的には顔を合わせても、べつのところに視線をやっているように見えた。そんなふうに、男性が律子を直視できない理由はある。律子は子役上がりの女優である。成長してからは容貌にますます磨きが入り、その容姿を前にして照れてしまうのだ。あるいは著名な人物と出会った興奮をおさえる、ということありえそうだ。
 ところが、根岸からは浮ついた感情が伝わってこなかった。美弥には彼の反応が純粋な人見知りのように感じた。あるいは女性慣れしていないウブな少年のようでもある。
(女の免疫があると思ってたけど)
 根岸という男子は女子生徒との交友がある。そのやり取りの印象では、彼はどこかしら女子を異性に見ていないふしがあった。とくにヤマダとあだ名される女子との仲が顕著だ。ヤマダは樺島融子という歌手と似た容姿をしており、その歌手は人を選ぶタイプの美人だ。最大公約数的に好かれる律子とはちがった魅力の持ち主とはいえ、そういった美人に似た女子を友とする男子なのだ。彼ならば律子相手にも平然と接すると美弥は期待していた。
(仙谷のほうはぜんぜん、いつもと変わらなかったのに)
 仙谷とは大型連休中、個人経営の喫茶店で鉢合わせになった。そのときの彼は店の従業員で、料理を運んだり食器を片づけたりといった雑用をしていた。その店は本来、女性従業員ばかり勤めている。仙谷は繁忙期の助っ人に入ったのだという。男性店員がいない店だと思って安心していた美弥には衝撃的な出会いだった。
 そのときの美弥は律子同伴で店を訪れており、仙谷の興味は美弥にばかり注がれた。彼の関心は、美弥が知らぬ間に遭遇する不審人物にあった。その態度は学校で見かけた様子と同じであり、美貌の有名人がそばにいても仙谷は意に介さなかった。
 仙谷の質問を受けるさなか、律子は正直に不審者の存在におじけづくことを話した。それを知ったときの仙谷は、カッコいいところを美女に見せようという虚栄心なく、義憤に駆られていた。その熱意を美弥はうっとうしいと感じた。その反面、この男子は打算抜きで行動する人物だと信じるようになった。
 律子に群がる男にはよく、律子を利用する目的で近づく者がいる。そいつらは律子に損な役回りをさせることで、自己の満足を得ようとするのだ。今晩駅舎で遭遇した二人組がまさにそうだ。彼らは有名人の私生活を暴露しようとした記者。ああいう詮索をするやからを、美弥は嫌う。他人が知らなくてもよいことを根掘り葉掘りほじくる無粋さといい、有る事ない事を書きたてるでたらめさもヘドが出るほど汚らわしく思っている。そういった心無い記者のせいで美弥は以前いた学校から追い出され、転校する事態になった。今日会った連中が、美弥の環境を変えた記者と同一かはわからないが、美弥は自分の受けた不合理を怒りに転換せずにはいられなかった。
 そういった利己的な男どもがいたせいで、美弥は男性を毛嫌いするようになった。しかしそう見下げ果てなくてもいい男性もいると、最近の美弥は考え直しつつある。
 根岸はバツがわるそうに「二人は姉妹で合ってるか?」と美弥にたずねてきた。そんなことは仙谷から聞いているだろうが、これはあくまで確認だ。
「ええ、姉妹よ」
「お姉さんの名字は水卜《みうら》……だよな。芸名?」
 根岸は姉妹の名乗る姓がちがうのを理由に、まことの姉妹かどうか確証を得られなかったらしい。美弥は「昔は母の名字を名乗っていたの」と事実を話す。
「水卜で名前が通ってるから、戸籍の名前が変わっても仕事ではそのままにしてる」
「お母さんが再婚して、須坂になったと?」
「そう思ってていい」
 美弥は真相を明かさなかった。母が他界したあと、父が娘二人を引き取ったことは、この場ではなんの用も成さない情報だ。いま話すべきは、複雑な身の上話ではない。
 歓談中とは言えない空気の中、律子の注文した料理が運ばれてきた。美弥の姉がひとり、夕食を食べる。
「なんだか悪いわね、一人だけ食べて」
「いいの、私は根岸くんと話がしたいから」
 優しい声色とは裏腹に、美弥は根岸への詰問の姿勢をとる。対する根岸は冷水の入ったコップに口をつけた。
「今日は何人で捜査ごっこをやってたの?」
「全員の名前をあげろってか?」
 根岸は美弥相手には遠慮のない語勢で言ってくる。若干反抗的な態度とも取れなくはないが、美弥は根岸のことを話の通じる相手だと認めているので、そこは見過ごす。
「べつに、だいたいは想像つくから言わなくてもいい」
「じゃあなんで聞いた?」
「あなたもその仲間も、こんなことしててなんになるの? それがわからない」
「三郎の気がすむようにしてるんだ。あいつが騒がなきゃ、俺だって家でおとなしくしてるよ」
 仙谷がいなければ根岸は捜査ごっこをしない。その明言は、根岸が自発的に美弥たちを助けようとしていないことを指している。それが常識的な姿勢とはいえ、美弥は根岸の非協力的な発言に落胆する。
「……そう。じゃ、私がへんな男につきまとわれてると知っても、なにもしたくはないのね」
「なにもしないってことはない」
 根岸は決然と言いきる。
「そういう変質者の対処が上手な知り合いがいるんだ。その人に相談はする」
「へえ、じゃあその人にはこのことを言ってあるの?」
「もう知ってるよ。須坂が駅に行った帰りに、倒れてる成石を見つけたって。それからは成石をおそった犯人を捜してくれてる」
 美弥のあずかり知らぬところで協力者がいる。その事実を知った美弥は胸がかるくなった気した。この土地では、他者に救いの手をのばす者がこんなにもいるのだ。以前の美弥の環境では考えられないことだ。
「その知り合いは警官だ。もし犯人の特徴がわかるなら、その人に伝えれば早く解決できると思う。なにか教えてくれるか?」
「で、私があなたに教えたことは仙谷くんにも伝えるの?」
 美弥は半分冗談で質問した。根岸は「そうなるな」とあっさり認める。
「あいつに言ったところで、どうなるもんでもなさそうだけど……言わなきゃあいつは納得しねえから」
「めんどくさい友だちなのね」
「まーな。でもイヤなとこがひとつあるからって拒んでいられないだろ? そんなんじゃ、だれとも人付き合いができなくなるし──」
 ずいぶん大人びた思想だと美弥は思った。自身はのぞまぬ危険に、友人の要求で立ち向かわされるのを、たった一つの友人の短所として大目に見る。その度量の広さは感嘆に値する。
(冷めてるみたいでも、お人好しね……)
 根岸は他者への関心のうすい人間に見えるが、ひとたび親しくなってしまえば情け深い性格が出てくるようだ。その情が、美弥にも発揮されるのだろうか。そんなことを美弥が思ううち、話題は警官への情報提供向けの聴取に変わる。
「今日出くわした、へんな男って二種類いたよな。カメラを持ってた男二人と、馬鹿力な大男」
「あなた、ずっと見てたの?」
「ああ、見張ってた」
 根岸は臆面もなく白状した。美弥が彼を非難するつもりがないことは前もって伝えたため、発言に遠慮や虚飾はしていないようだ。
「須坂はどっちが成石に手ぇ出したやつだと思う?」
「それは大男のほうね」
「なんでそう思う?」
「カメラマンのほうは記者だもの。雑誌のネタさがしにお姉ちゃんを尾行してたわけ。妹の私のほうを追いかけないと思う。今日だってあいつらは電車に乗って、お姉ちゃんのことを調べてたし……」
「そう、か……いまのとこ、須坂が駅にいく道中に不審者が出てるもんな」
 根岸は苦々しい顔で美弥の意見に同意した。その反応の意図が不明である。
「大男が犯人だと、都合がわるいの?」
「そりゃあ、あんなに強いやつは俺らにゃどうしようもないからな。普通の警官でもムリあるぞ」
 大男は怪力のうえに俊敏さもあわせ持っていた。並大抵の武道修練者では対抗できなさそうだ。ならば根岸の知人だという警官も、太刀打ちできないのではないか。
「じゃあ、あなたの知り合いもお手上げ?」
 美弥は率直な疑問を投げた。そこに根岸たちの実力不足をなじる意図はない。「そうだ」と根岸が答えるものと予想していたが、意外にも彼は「いや、大丈夫」と言う。
「居所さえわかれば、あの人はとっつかまえてくれる」
「そんなに強い人なの?」
「強い仲間がいっぱいいる人だよ」
 警官の仲間、といえば同職の警官か。現在の美弥の被害の度合いからは、ひとりの警官さえ動員できる気がしない。夜に出歩かなければいい──そんな短絡的な自衛策を講じられて、あとは無視を決めこまれそうだ。美弥は根岸の主張が絵空事に感じる。
「まだ事件にもなってないのに、警官がたくさんうごける?」
「そのへんは企業秘密ってことで、聞かないでくれるか」
「むりなら『無理』だと言っていいのよ」
「気休めで言ってるんじゃない」
 根岸はやや強い口調で否定した。彼は甘言を弄しているわけではないらしい。
「とにかく、いまはすこしでも手がかりがほしい」
 きつく当たったのを反省してか、根岸の声がやさしくなる。
「あの帽子の男がお前をつけまわす理由、なんか心当たりあるか?」
「ぜんぜんない。いままで会ったことだってないもの」
「目的がさっぱりわかんねえんだな」
「私を守ってくれてるみたいだけど、どうしてなのかがわからきなゃ、不気味で……」
「良い人ぶってるすきを狙って、なにかされでもしたら──」
 不穏なことを言いかける根岸に「ねえ」と律子が口をはさむ。律子はすっかり食事を食べきっていた。
「わたしたち、しばらく会わないほうがいいのかしら?」
 その案は美弥も考えていたことだ。しかし実行するには姉の負担も大きい。
「今日会った男の人、美弥がわたしと会うときに現れるんでしょう。わたしたちが会うのをやめたらいなくなるんじゃない?」
 美弥はしばし姉を見つめた。律子の訪問は律子自身の心の安定のためにしていることだ。彼女がもっとも信頼する者が妹であり、そう自負するがゆえに美弥も姉の来訪を止めないでいた。
「……そうね、それが無難かも。でも、いいの?」
「美弥が心配で会いにきていたけれど、そのせいで心配事が増えるんじゃ意味ないもの」
 律子の言い分と美弥の考えが正反対になっている。これは根岸という第三者に向けての虚勢だと、美弥は判断した。大の女優が未成年の子どもを心の支えにしている、などという弱さをひけらかしたくないのだ。
 律子の承諾を美弥が反対する理由はない。だが賛同を確信できない他人はいる。
「根岸くんもそれでいい?」
「へ? なんで俺に聞くんだ」
 根岸は呆然とした。当然といえば当然だ。彼も被害者のうちである。美弥は彼を経由して仙谷に伝えてもらうつもりで、話をすすめる。
「あの男の人がいなくなったら、捜査ごっこができなくなるでしょ」
「それは俺の趣味じゃない。俺も、騒ぎの原因がなくなれば御の字だよ」
「じゃあ、決まりね」
 根岸の同意を得ての決定なら、仙谷も納得がいくはず。美弥は大男とは別種の騒がしい人物が鎮静化するのを期待した。

 対談のめどがつき、美弥たちは喫茶店を出る。店の外で根岸が「アパートまでおくろうか」と提案したが、その必要はないと美弥はことわる。
「あなたも早く帰ったら? 仙谷くんとつもる話があるんじゃないの」
「まあ、今日あったことは知らせるつもりだけど……あ、そうだ」
 根岸は大男の身体的特徴をたずねてきた。間近で目撃した美弥でしか知り得ぬことを聞きだそうとしているのだ。だが美弥は根岸が気付いた以上のことは言えない。大男はあまりに突然な登場を果たしたため、念入りな観察ができなかった。
「ごめんなさい。あんまり、見てなかった」
「顔も見えなかったか?」
「顔? そういえば──」
 目元がまったくわからなかった。あれは、黒いレンズの眼鏡をかけていたのだろうか。
「たぶん、サングラスをかけてた。そのせいで、ぜんぜん顔がわからない」
「こんな夜に、サングラスを?」
「変装かしらね、お姉ちゃんもよくかけるし」
 律子がバッグから濃い色のレンズの眼鏡を出してみせる。彼女は駅で美弥と会うまで、そのサングラスをかけていた。もちろん変装目当てである。
 根岸はうーんとうなる。疑問がさらに疑問をよんでいるようだ。
「そういう変装って、自分を知ってるだれかに、自分だと気付かれたくないからやることだろ?」
「お姉ちゃんの場合はそうね。だったらなに、あのサングラスの男も、有名人だっていうの?」
「いや……その、水卜さんの知り合いかもしれないと思って」
 その可能性はある。顔の広い律子を慕う者が、ふびんな女性とその妹を守ろうとする、という可能性が。
「須坂たちの知ってる人のなかに、あんなゴツイ男はいるかな?」
「ううん、知らない。お姉ちゃんはどう?」
 律子は首を横にふる。
「ああいう筋肉質な男の人とは仕事で何人か会ったことあるけど、ちがう人ね。まず、声がはじめて聞く感じだった──」
 根岸が「あの男、しゃべってたのか?」と美弥に聞いた。遠巻きに見ていた彼には知り得ないことだ。美弥はサングラスの男の言動を根岸に説明する。
「えっと、たしか……記者のカメラを壊したときに『二度と近づくな』って、連中をおどしてた。私が食ってかかったから、あいつらが私たちの敵だと、あのサングラスの人は思ったんでしょうね」
 現段階では、奇妙な男は美弥たちを助けてくれている。そのことを知った根岸は「話を聞いてるだけだといい人っぽいんだがなぁ」と割り切れない感想を述べた。
「私たちがわかるのはこのくらいね。あとはダメもとで警察官の人にも言っておいて」
「ああ、そうする」
 事情聴取に満足がいった根岸は帰路についた。美弥も下宿先へ向かうつもりで姉の様子を見る。律子はなぜだかほほえんでいた。
「お姉ちゃん?」
「男の子とも、ふつうに話せてるのね」
 律子は美弥の男性への態度が軟化したことによろこんでいるらしい。言外に恋話めいた冷やかしを美弥は感じた。姉が妙な期待を持たぬよう、先手を打つ。
「あの子は……私に興味がないから、あんまり男だと思わずに話せるみたい」
「そうなの? 最初はなんだか照れてるみたいだったけれど」
「あれはお姉ちゃんを意識してたのよ。学校じゃ、ああはならない」
 美弥はアパートを目指しつつ、学校でのクラスメイトの話をした。その話はこれまでにも何度か告げてある。今日はとりわけ、美弥のまわりで起きる事件に首をつっこむ生徒について紹介した。
 今回の帰り道は、倒れている人を発見しなかった。本日あの大男が襲撃した対象は記者二人だけ。それも憎たらしい連中を成敗してくれたのだ。美弥は胸がすく思いがした。

posted by 三利実巳 at 03:21 | Comment(0) | 長編拓馬 

2018年04月13日

拓馬篇−4章6 ★

 拓馬が不審な大男を見かけた翌週、仲間内にそのことが知れ渡っていた。三郎に一報入れた情報がすぐに伝播したらしい。その結果、拓馬が登校した直後に、早速千智に捕まった。
 だが千智は大男でなく、須坂の実姉である水卜律子を話題にとりあげた。顔の小ささや着ていた服など、拓馬には興味のない質問ばかりだ。千智にとって律子はあこがれの芸能人なようで、話はホームルーム開始まで続いた。
 午前の授業が終わってなお千智の情熱は冷めなかった。拓馬は彼女と一緒に昼食をとる。
「記者ってのは芸能人を追いかけて、他県までくるんだな」
「知らない? 水卜律子のスキャンダル!」
 千智はゴシップを周知の事実のように言い放つ。芸能関連にうとい拓馬には初耳だった。
「何ヶ月前だったか、同業の男と熱愛してるとさわがれたの。写真もおさえられたって」
「へー、めでたい話……じゃないのか?」
「全然! 相手の男にはほかにパートナーがいたんだから」
 拓馬は耳を疑った。拓馬が会った女性は略奪愛をしでかす毒婦に見えなかったのだ。
「浮気だなんだってテレビでも言われてたはずよ。それで味を占めた連中が、新しい特ダネを集めにきてたんじゃないの」
 水卜が須坂と会うのは週末の夜。意中の人のもとへ足繁く通っているとの邪推が成り立つ。若く美しい芸能人にはありがちな話だ。
「でもあれ、やらせかなにかに決まってる」
 千智が息巻いた。他人の恋愛模様をそこまで言い切れるのか、と拓馬は疑問をいだく。
「なんでウソだとわかるんだ?」
「水卜さんの理想の男性像と全然ちがうもん。雑誌で『知的で優しい人が好み』だと言ってたのよ。あの俳優崩れったら、クイズ番組でおバカタレントといい勝負するバカ」
 知的で優しい男性、と聞いて拓馬はシドを連想した。この場ではだまっておく。
「だいたい、ヤツはまぐれでヒット作を出した程度の落ちぶれた俳優よ。売れっ子で美人な水卜さんがなびかないって」
「じゃ、なんで一緒にいた?」
「罠よワナ! 水卜さんを使って、ヤツが返り咲こうとしてるんでしょ」
「そんなの、水卜さんが否定したらそれで終わりの話だろ?」
「ヤツは話題を集めれば仕事がもらえると思ってんじゃないの。バカだから目先のことしか考えられないのよ」
 千智の意見は理屈に合っているようだ。ただしその根底には「あんな男は水卜律子にふさわしくない」という感情論がある。千智の願望が多分にふくんでいるやもしれず、拓馬は話半分に聞いておいた。
 千智の熱弁が一段落ついたとき、三郎が声をかけてくる。
「くだんの不審者に出会ったときのこと、くわしく話してくれるか?」
 朝は千智に拓馬を奪われ、聞き損ねた質問なのだろう。拓馬はかるく首をかしげる。
「もう全部伝えたよ。あいつは須坂の周りをうろついてる。たぶん須坂を守ってるんだろうけど、理由はさっぱりだ」
「うーむ、襲われた成石はめぐり合わせがわるかった、ということか……」
「須坂はしばらく姉と会わないそうだ。それで大男が現れなかったら一件落着だろ?」
「腑に落ちないが、様子を見てみるか。……協力に感謝する」
 三郎は引きさがった。三郎の話が終わったのを見届けた千智が再度拓馬に話しかける。
「例の男の人を見たんでしょ。どんな人?」
「俺が見たのはシルエットだけだよ。須坂も、男がサングラスをかけてたせいで顔はわからなかったとさ」
「なぁんだ、カッコイイのかわかんないのね」
「カッコイイ、わるいはどうでもいいだろ。いまんとこストーカーだぞ、そいつ」
「そう? かよわい女の子を影で守るのってステキじゃない。あたしも守られてみたい」
 拓馬は思わず出そうになった言葉を飲みくだした。男顔負けの脚力をもつ千智へ「お前は守られる必要がない」と言えば不機嫌になるのは目に見えていた。
「あ、本物のカッコイイ人がきたわ」
 千智の視線は教室の出入り口にある。そこに褐色の肌の教師がいた。手には花柄の包みがある。彼のシックな装いにそぐわない模様だが、拓馬はその包みに見覚えがあった。ヤマダの私物だ。ヤマダが慌てた様子で、持ち物を届けに来た人物に駆けよる。
「先生! その弁当、だれから?」
「貴女のお母さんから預かりました。家にわすれていったそうですね」
「うん、そうなの。届けてくれてありがとう」
 ヤマダは弁当を受け取った。教師が去るために足を引くのを、ヤマダが引き留める。
「あれ……先生、指輪は?」
「え? ああ、ありますよ」
 シドはズポンのポケットから指輪を出した。彼はいつも白い宝石のついた指輪を左手の人差し指にはめていた。
「手をよごしたので、指輪を外して、洗ったままにしていました。よく気付きましたね」
「存在感あるからね、その指輪……タイピンとケンカしないデザインでよかった」
 シドのみぞおち付近にはネクタイピンが装着してある。その装飾品は拓馬たちが不良少年と争ったあとに見かけるようになった。三色の宝石がはめこんであるのが特徴的だ。
「ええ、こちらのタイピンはとても役に立っています。ところで、この宝石になにか由来や意味はあるのでしょうか?」
「なんかあるらしいんだけど、はっきりしたことは知らない。それ、気になる?」
「実は校長がたいへん興味津々でして」
「だったらオヤジに聞いてよ。もし校長と一緒に聞くならジモンちの店でね」
 千智は二人のやり取りを食い入るように見ている。かと思うと深いため息をつく。
「シド先生ってヤマちゃんがお気に入りよね。ちょっと妬けちゃう」
「そうか? いろんな女子に絡まれてるが」
 その中には須坂の姿もあった。ただし彼女の場合はシドから話しかけており、むしろシドは須坂を気にしているように拓馬は感じた。
「そりゃそうだけど、あの二人が一緒なことが多くない? 体育祭の前後がとくに」
「あんときは先生、体操着が無かったからな。その貸し借りのときに接点は増えるさ」
「必要なときに必要な助けをしてあげる、てのがポイント高いのね。見習わなくちゃ」
 千智は拓馬の主旨とは異なる理解を示した。拓馬はその読解を議論する気は起きない。かわりに千智の想い人だといわれる人物について、疑問が生じる。
「そういや、よその学校にいる彼氏はどうなってんだ?」
 千智は人差し指を立てて左右に振る。
「やぁね、校長避けに言ってる彼氏でしょ」
 千智は恋話好きな校長を遠ざける目的で、他校に恋人がいるという建前を吹聴していた。学外に恋愛対象がいれば校長の観測から外れる、という理屈だ。
「多少は仲がよくなきゃ偽装できないだろ?」
「そうは言うけどねえ、あっちはあたしよか拓馬が好きなのよ」
 拓馬は反射的に防御の姿勢をとる。千智はまちがって伝わった語意を弁解する。
「べつにホモホモしい意味じゃなくてね。拓馬は去年、空手の大会に参加してたでしょ。そこであんたが負かした子。おぼえてる?」
「いや、ぜんぜん……」
 拓馬は自身が空手部に所属することさえわすれかけていた。今年から部員が自分だけになってしまい、現在は廃部同然の状態だ。
「今年は拓馬が出ないで県大会で優勝したから、悔しがってね。『あいつを倒さなくては本当の勝利はない』と意気込んでたわ」
「そう言われてもな……部員が卒業して、いなくなっちまったんだから出ようがない」
「個人の部で出場できたじゃない。拓馬ならいい成績だせたんじゃないの」
「俺は順位や勝ち負けに興味ねえんだ。普通に生活できりゃそれでいい」
 拓馬が空手部に入部した理由は自己鍛錬であったり、周囲に流された結果であったりする。大会で優勝を目指す、といった欲求は皆無。そこが陸上部で好成績をのこす千智とは価値観が異なる部分だ。
 そうこう話すうちに二人の昼食が終わる。拓馬はヤマダの様子を見た。すでにシドとは話がつき、彼女は自席へ着くところだった。その席とまわりはなぜか物で散らかっている。拓馬は荒れたヤマダの席へ近づく。
「なんでこんなに物をぶちまけてるんだ?」
「それが、弁当だけじゃなくて財布もわすれて。百円でものこってないか探してた」
 おそらく、弁当がない代替案として昼食を買おうと考えたのだろう。昼食代さがしに荷物を漁った、という経緯だ。ヤマダは整理をはじめる。拓馬も床に落ちた物をひろおうとして、小さな巾着袋をもつ。水色がかった灰色の生地でできている。袋の中央をつまむと細長く硬い物の感触がした。
「それ、中にアメジストのかけらがある」
「紫水晶か。病気に効くとかなんとか、ミスミさんが言ってた気がする」
 ヤマダの母は護符やパワーストーンに関心のある人だ。その影響でヤマダもお守りを常に所持している。
「そうそう、お母さんが私にくれた原石の残り。ほしかったらあげるよ」
「遠慮する。こういうので俺にくる災難が防げるとは思わねえから」
「苦労人の星の下で生まれた子には、効き目ないだろうね」
 ヤマダは笑いながらも着実に収納を進めた。すっきり整頓ができて、ようやく弁当の包みを開ける。ラップにくるんだサンドイッチが並んでいた。そのひとつを拓馬に差し出す。
「これはあげる。サブちゃんのわがままに付きあってくれたお礼ね」
「お、いいのか」
 拓馬は素直に受け取った。ヤマダがサンドイッチを昼食に持ってくるときは大抵多めに用意する。それは友人に与える分だ。たとえ昼食時に満腹でサンドイッチが食べられなくとも、放課後に食べるおやつにちょうどよい。
「お礼といや、シド先生のタイピン──」
「あれはわたしがもってたやつ」
「やっぱりか。たしかノブさんが使ってた」
「そう。オヤジがもう仕事でスーツを着る機会がないから、わたしにくれたタイピンね。まえにタッちゃんにあげようとしたら、いらないって言われた」
「ものすごく高そうで、もらえなかったな」
 子どもが使うには高価すぎる素材でできた品物だった、と拓馬は記憶している。
「あげちゃっていいのか?」
「それがね、先生があんまりノリ気じゃなくて、一学期の間だけ貸すことになった」
「ノブさんには了解をもらったか?」
「『お前の好きにしろ』ってさ。わたしが持ってても使わないし、アグレッシブでジェントルな人に使われるのが一番いいんだよ」
 ヤマダは相容れなさそうな形容詞を並べたが、二つともシドには適合する。あのように活発に動き回る人がそもそもネクタイピンを使わないのが奇妙なくらいだ。
「先生にはちょうどいいか。タイピンがあったらネクタイを損しなくてすんだだろうし」
「あー、あのネクタイはわたしが貰ったよ」
「直すのか?」
「生地を再利用して小物にするつもり」
 ヤマダは「思い出の品になるよ」と付け加える。アレを思い出にしていいものか、と拓馬は心配しつつ席にもどる。不良の件も不審者のことも、これで収まった。平々凡々に過ごせる開放感に浸り、午後の授業を受けた。

posted by 三利実巳 at 02:00 | Comment(0) | 長編拓馬 

2018年04月19日

拓馬篇−5章◇

 平日の夜、夕食時をややすぎたころ。ノブは客が使った鉄板の周りを整理した。使用済みの食器をかさね、コンパクトになった食器類を盆に置く。卓上の清掃をするまえに一度食器を引っ込めようと思い、盆を持ち上げた。そこへ最年少な店員が「校長!」とさけぶのを耳にする。
(ん? 校長?)
 年若い店員は高校生。彼が通う学校はノブの娘の通学先でもある。ノブは学校関連の客が来店したのかと思い、玄関を見た。娘と同年の店員が、二人の客を案内している。一人は恰幅のよい中年。ふくよかな体型のほか、電灯にもとにかがやく額はまさしく才穎高校の校長の特徴をそなえていた。もう一人は中年につきしたがう背の高い偉丈夫。ノブはこの長身の男性に注目した。とくに彼のネクタイに差してある、タイピンに。
(ちゃんと、使われてるんだな)
 娘に渡って以来、ここ数年は箱に入れたままだった物だ。ノブの思惑としては、このようなかたちでふたたび目にするとは思っていなかった。
 先だって娘が「これを先生にあげたい」と言い出した。その時はノブの胸がざわついていた。それは他人が身に着けるにはふさわしくない、個人的な想いがつまった装身具なのだ。ノブはその仔細をついぞ子に告げることはなかった。それゆえ、この世にただ一つのタイピンが、ただのきれいなアクセサリーだと娘が見做すのも無理はなかった。
 ノブが清掃途中のテーブルを離れた直後、校長が「この席はどうかね?」と未整理の卓上を指した。案内役の現役高校生たるジモンが「まだ片付け中なもんで」と断りを入れる。校長が笑顔で「それでいいのだよ」と言う。
「小山田さんとおしゃべりがしたくてね。のんびーり仕事をしてもらってかまわないんだが、どうだろう?」
「はあ……ノブさん、どうする?」
 ジモンが厨房にむかうノブにたずねた。さいわい客入りのピークはすぎている。人手が一人いないも同然になっても、店に迷惑をかけるおそれはなさそうだ。
「客の言うとおりにしよう」
 ノブは奇妙な提案を受け入れた。この店は大衆向けのお好み焼屋。学校の長が生徒の保護者と真面目に対談するにはそぐわない場だ。そのため、重苦しい話題はしないものとノブは予測した。
 ノブは食器を流し台に放置し、食卓の清掃道具を持ち出す。卓上を拭く布巾と、アルコール除菌用のスプレーと、鉄板にのこる食材のカスやコゲをこそげ落とすヘラなどだ。一式を持って、校長らが待つテーブルへ移動した。
 ノブが二人の学校関係者がいる卓上を見ると、鉄板の外にも油よごれがある。客が手をよごすまえに、そこから掃除することにした。「いま拭きますんでね」と校長らに宣告したのちにスプレーをふきかける。作業中のノブに、校長は「私たちにおどろかれたかね」と気さくに話しはじめる。
「これはプライベートで来ているので、気楽に接してもらえるとありがたいのだがね」
「冷やかしじゃないんなら、どれだけ来てくれてもかまわんですよ」
「もちろん、注文はしますとも」
 校長が手ずからメニュー表を若手教師に渡す。
「シド先生、好きなのを選んでいいよ」
 教師はメニューを受け取りはしたが、「勝手がわからないもので」と開かない。
「校長がお決めになったのと同じものを、お願いします」
「なんだね、きみはお好み焼を食べたことがないのかね?」
「こういうお店での飲食は、あまりしたことがなくて」
「ほんとにきみは『遊ぶ』という経験が足りておらんな」
「不勉強で申しわけありません」
「あやまるようなことじゃないが……まあいい、私が選んであげよう」
 校長はメニュー表をながめだした。ノブは自身の立場上、校長の雑談よりも注文を優先するべきだと考え、そのまま清掃作業をつづける。
(『のんびりやってくれ』か)
 校長はそんな注文をノブ個人につけた。気持ちだけ念入りに掃除することにする。
 ひとしきり拭き掃除がおわり、鉄板の清浄にかかった。ヘラを使って鉄板上のカスをあつめる。簡単に取れるものはさっさとゴミ入れに入れた。ヘラだけでは取れない、こびりついた焦げには水をかける。そのまま熱していくとよごれが取れるようになる。
「このミックス玉にしようか。最初から二人前のものをたのんでしまおう」
 校長が注文を決めた。ノブはオーダーの確認を校長でなく部下のほうにする。
「ミックスで、よろしいんで?」
「はい。お願いします」
 人のよい笑顔で承諾された。校長に注文を委任した側はまことにその決定にしたがうつもりだ。ノブは清掃の手を止める。わすれぬうちに注文票に書きつけ、オーダーを出した。ほかの客の注文から先に取りかかってほしい、とそえて。
 ノブが厨房からもどってくると、さっそく校長が話を再開する。
「あなたの娘さんがこちらの先生と親しいのを、ご存知だろうか?」
「そうでしょうな。家でも話は聞きますんで」
「では彼のタイピンのことも?」
「そりゃ聞きましたよ。なんせおれが使ってたもんです。あいつは家族が大事にしてたもんを勝手に他人にはやりません」
「そこが不思議でねえ」
 校長はヘラで掻き出されたよごれの行き先をじっと見ている。
「どうして男物のタイピンを娘さんにあげたんです? どうせ使わないなら、あなたがずっと持っていてもよかったでしょうに」
 もっともな指摘ではある。が、わざわざ店に来てまで質問する内容だろうか。ノブは「そんなことを聞きに?」と口に出しかけた。しかし客商売でぶしつけな物言いはひかえるべきである。
「あれはおれの子どもに持たせたかったんですよ」
 率直な理由を明かした。しかしこれだけでは説明不足。あらたに質問を受けてしまうので、補足をする。
「おれの気の早い友人がむかし、息子用に用意してくれました。あいにくウチは男の子が育たなかったもんで、娘にやったわけですよ」
 ノブは最低限必要な返答をしておいた。これで理屈は通るはずだし、その説明は自身の判断理由とも合致している。ノブは長話を必要はないと見て、清掃の仕上げにかかった。
「『育たなかった』……?」
 校長がぼそっとつぶやいた。ノブはあえて伏せた事実を掘り返されると察し、鉄板に油をなじませる手が止まった。
「それは『生まれてはいた』ということですかな」
「息子が……ですか?」
「ええ。いくら友人が厚意で用意してくれたものといっても、まだ居もしない子どものために、これだけ立派なタイピンを仕立てるとは思えんのでね」
「どっかの売れ残りを押しつけられただけかも」
 ノブは可能性が無いとわかっている仮説を提起した。追究をかわす一助になると思ってのわるあがきだ。しかし「それはないと思います」と教師が両断してしまう。
「私は貴方の御夫人とお会いしています。御夫人はタイピンにある宝石の名前に、なんらかの思い入れがあるように見受けられました」
 正直者な妻を立脚地とされてはノブの分がわるい。いよいよごまかしは利かなくなってきた、とノブは覚悟を決めた。
「貴方がた夫妻にとって、特別な意味がこもっているのではありませんか」
「それを知ってどうする」
「単純な興味です。貴方が教えたくないのでしたら、私もこれ以上はお尋ねしません」
 言いたくない、という感情はノブ自身の嫌悪からくるものではない。それを聞かされた他人が不快な思いをするのではないかという気がかりゆえ。
(この先生は、きっと大丈夫だ)
 不穏な要素はすでに校長が推測のうちに指摘している。それを知ってなお好奇心を隠さないのは、彼がまことに知りたいと思っているからにちがいない。
「メシがまずくなっても責任は取れんぜ」
 ノブは他人行儀の外ヅラをはずした。「手帳を取ってくる」と客に言い置き、テーブルを離れた。ノブの手帳にはタイピンのことをメモした紙が綴ってある。廃棄するには忍びなく、かといって家に放置しておけば娘に見られそうだと考え、鞄に入れっぱなしにしているのだ。
 ノブが従業員用更衣室から手帳をたずさえ、もどる。教職員のいるテーブルには清掃道具が片付けられ、かわりに注文した具材の入ったボウルが置かれていた。お冷とおしぼり、取り皿に箸も用意してある。
「ありゃ、もう来ちまったか」
「ジモンくんのお母さんが支度してくれてね」
「なぁ先生がた、おれが焼こうか?」
「焼きながらでは手帳が読めないのではないかね」
「んじゃ、ページだけ開いとくから見てくれよ」
 ノブは教師陣が知りたがっている部分をめくり、それを色黒の教師に渡した。校長に手帳をやらなかったのは、この中年なら目当てのページ以外も勝手に見そうだと警戒したためだ。
「トウレンセキ……?」
 教師がつぶやいた。手帳をのぞき見る校長も「ほほう、その赤っぽい石がかね」とタイピンの宝石について口にした。ノブはお好み焼を調理しつつ説明を加える。
「宝石の和名でも英名でも、頭文字を抜きだせば言葉ができるってえ仕掛けだ。むかしのヨーロッパでそういう暗号が流行ったとかなんとか」
 校長が「おお、リガードジュエリー!」と興奮する。
「貴族の間で告白のかわりに用いられたという! ロマンチックなアイテムですな」
「ウチのは色恋関係ないけどな」
 校長はいささかがっかりしたようで「まあ息子さん用ですしな」と声の調子が下がった。教師は校長の反応を気に留めず、順繰りに宝石名を読みあげた。そこから導きだされる言葉は──
「『トオル』……」
 教師がよぶ名に、ノブは胸を衝かれる。親しい知人以外、生きていたことさえ知られていない存在の名前だ。
「それが、貴方の息子さんの名前なのですか?」
「そうさ。最初に生まれた子なんだ」
「そのことを、娘さんは知っておいでですか」
「兄や姉がいたことは伝えてある。けど、そのタイピンに兄貴の名前が隠れてるとは教えてない。だから、娘が先生にそれをやったことに深い理由はないんだ」
 ノブがはじめてこの教師と会った時、彼のネクタイに大きな切れ込みができていた。そのネクタイを最近娘が家に持ってきた折、その損害の理由をたずねてみると、娘がタイピンを教師に使わせる意味がわかった。教師がタイピンを着用していればネクタイは無事であったはず、という教訓から出た行動だと。
「べつに『兄だと思うくらい好き』とか『小山田家の息子になれ』とかいう、校長がよろこびそうな裏のメッセージはねえからな?」
 ノブは校長に釘を刺した。校長は「そこは断言できないでしょう」と反論する。
「彼女はなかなか目ざとい子です。どこかでタイピンの意味を知ったのやも」
「つっても一学期かぎりの貸し出しだろ? プレゼントじゃねえんだから」
「むむむ、なぜそうも否定される?」
「それが現実的だと思うからさ。ウチの娘は校長みたいな頭はしてないんでな」
 いろんな意味で、とノブはこれみよがしに校長の広い額を凝視した。校長は露出した頭皮を手でおおう。
「まったく、親子そろってハゲネタいじりがお好きなようですな」
「いやすまんね。おれもあいつも、校長が嫌いでやってるんじゃあない。ペチペチさわってみたいなーぐらいの愛情はあるんですよ」
「私はいじられても気にしないタチだがね、大事な話をそうやって煙にまくのはいかがなものですかな」
「大事なことはもう話したじゃないですか。おれには早死にした長男がいて、その形見がシド先生の着けてるタイピンだって」
 再度深刻な過去を打ち明けても、場の空気が重くなっていない。ノブはこの状況を意外に感じた。息子のことを話す前は「聞き手を不愉快にさせてしまう」と気乗りしなかったが、話を傾聴した校長も教師も、来店時の様子と変わりないように見える。しょせんは他人事の昔話だ。過去にノブが経験した悲憤は、他者にとってはその程度のものだと、気が楽になった。
 ノブはお好み焼をヘラでひっくり返した。片面がうまく焼きあがっている。完成までもうしばらく話ができそうだ。ノブは教師の胸元を見る。
「なんだったら先生、そのタイピンをもらってくれないか?」
「こんなに貴重なものを、よろしいのですか?」
「いいんだよ、おれらには必要ないんだ」
「思い出の品でしょう?」
「先生たちと話してると、昔を引きずってちゃいけねえと思えてきてな」
 その思いはこれまでに薄々湧き上がっていたものだ。きっかけが、ようやく巡ってきた。
「おれには娘がいる。何人も子どもはいなくなっちまったけど、あいつだけは元気でいてくれてるんだ。いつまでも最初の子に囚われてたんじゃ、いま生きてる娘がかわいそうな気がするんだよ」
 教師が悲痛な面持ちをした。ノブは彼に精神的負担のかかる提案をしてしまったと悔いる。
「そんないわくつきのもんを持っていたかねえよな。先生は質屋じゃないんだし」
「いえ、そこは気になりませんが……」
「じゃ、どこに引っ掛かってる?」
「とても失礼なことを言ってしまいますが、それでもよろしいですか」
「ああ、いいぜ。正直に言ってくれ」
「もし娘さんが若くに亡くなったとしても、このタイピンを手放したいと思いますか?」
 ノブは唖然とした。このやさしげな教師が物騒な未来をつきつけてくるとは予想だにしていなかった。
「人の生き死には予測できません。老いた者から先に逝くとはさだまっていない……それはお子さんを亡くされた貴方がよくご存知のはずです」
「言いたいことはわかるが……なんでそんなことを気にする?」
「私はいずれこの国を発つつもりです。あとで『タイピンを返してほしい』と貴方がお思いになっても、取り返しがつきません」
 教師の問いは彼なりの誠意だとノブは理解した。他国へ行く相手に譲渡してもいいのかと、彼は言いたいのだろう。
「うーん、そう言われると惜しいような」
「でしょう? ですからこのタイピンは予定通り、私が才穎高校を去る時に残していきます」
「いやぁ、そこまで気を遣ってもらえるとは思わなかったな」
 娘が死没する未来を持ち出されたノブは内心「なにを言うんだこいつは」と教師を不審がっていた。この教師は娘の生死を取り沙汰しているのではない。子の形見を手放した際にノブが後悔しやすい状況が、娘の早世だと教師が思っただけのことだ。ノブがそう解釈すると、かえって教師の印象がよくなる。
「ずいぶん想像力のある人なんだな。よく他人のことをそれだけ考えられるもんだ」
「ほめられるようなことではありません。私はこの職に就くまで、あまりにも鈍感に生きてきましたから」
「鈍感?」
 このワードに校長は「にぶいのは恋のほうだろう!」と強い興味を示した。校長は校内でいかに新任教師の彼が女子に好かれているかをのべた。それ以降は校長の一人語りとなる。ノブへの質問は出尽くしたと見えて、ノブはお好み焼を切り分けると「あとは好きに食べてくれ」とテーブルをはなれた。
 業務にもどるノブを、教師がさびしそうな顔で見送る。彼はいったいなんの同情をまだいだいているのだろう、とノブは不思議がった。
(たくさん子どもを亡くしたと、言っちまったせいかな)
 教師が予想したであろう長男以外にも、ノブは夭折した子の存在を明かした。それは事実であるし、別段不幸ぶるつもりはなかったのだが、やはりあわれな親に映るのか。
(ま、どーでもいいな)
 身の上を知る教員が増えたからといって、なにが変わるわけでもない。ノブは教師の視線を差し置き、客が去ったばかりのテーブルの清掃に取りかかった。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 07:00 | Comment(0) | 長編拓馬 

2018年04月27日

拓馬篇−5章◆ ★

 日付がもうじき変わるころ、ヤマダは夜道を歩いていた。その動機は父が勤務先の店でわすれてきた手帳を取りにいくこと。いまの父は酩酊しており、足元がふらつくありさまだったので、娘が代わりに店まで向かう。娘を送り出す父は例の大男の出没を心配し、家にある木刀を持っていくよう勧めたが、ヤマダは断った。そんな棒切れで対処できる相手ではないとわかっていたからだ。それに、大男が気に掛ける少女はしばらく夜間の外出をしない。その男が出る可能性は低かった。

 ヤマダが歩を進めていると、街灯の光の中に影がよぎる。ヤマダはびっくりして、足を止めた。目を凝らし、影が何者なのか確認する。背の高い人だ。高い位置にあるつば広の帽子、父以上に大きな体。それらの特徴をありのままに目にすると、ヤマダの全身に緊張が走った。
 噂に聞いた対象が、いる。よもやあらわれはしないと思っていた存在だ。
(引き返す?)
 だが遺失物を一晩放置しておくわけにはいかない。店にはせっかちな店員がいる。その人物はジモンの母。彼女は息子とちがって効率的、かつ人情に欠けた速断をする場合がある。この状況下で起こりうるのは、店内の清掃の邪魔になる遺失物をばっさり廃棄すること。というのも、店の本格的な清掃は従業員が帰ったあとにジモン一家がおこなう。それゆえ、忘れ物を回収するならいまがチャンスだ。
 どうしたものかとヤマダは迷う。
(でも、あの人におそわれると決まっちゃいないし……)
 まだこちらに勘付いていないのかもしれない。ここは待機し、大男に先行させることにした。ヤマダは電灯付きの電信柱の影に隠れる。
(だいたい、あの人がわたしを捕まえる意味がある?)
 大男は不審者ではあるが、変質者とは毛色のちがった人物。なんらかの信条にもとづいて行動する男性であり、その行動理由にヤマダは抵触しないはずだ。そのように考え、ヤマダは平常心をとりもどした。
 問題の人影が見えなくなる。不可解な対象は遠のいた。ヤマダが歩こうとしたとき、後方に奇異な気配を感じた。体を圧迫するなにか。
(なにもいないはず……)
 と思いつつも、右拳を思いきり後ろへ振る。放った裏拳は、なにかに接触する。
(え、人?)
 ヤマダの右手は大きな手の中に収まった。何者かが拳を受け止めたのだ。その人物は、ヤマダの視界では顔が入りきらなかった。いま見えるのは、厚い胸元だ。
「……よく、気が付いた」
 低い声だった。ヤマダが声の主を見上げてみる。相手の目元は黒いレンズの眼鏡でおおわれていた。暗い夜にもかかわらずサングラスをかけた大男。拓馬が伝えてくれた通りの外見だ。ヤマダは瞬時に自身の危急をさとった。
「大人しくしていれば痛いことはしない」
 次の瞬間、視界が旋回した。大男に腕を引っ張られ、ヤマダは背後をとられる。痛めつけない、との宣言と捕縛術のごとき行動は言行が一致していない。そう感じたヤマダは不信がこみあげる。
「わたしを捕まえて、なにする気だ!」
 ヤマダはさけんだ。その行為には、緊急事態を近隣住民へ伝える意図もあった。
「力を分けてもらう」
 案外、大男は素直に答えた。話せばわかる人かも、とヤマダは希望が湧く。だがその言葉の意味はよくわからない。
「チカラって? 栄養ドリンクじゃダメ?」
「……こちらの人間が摂る栄養では足りん」
「『こちら』って……じゃあ、あなたはちがう世界の人?」
 拓馬には年上の知人がおり、その人物が訪れたという異世界がある。その知人はそこから特殊な犬猫らを呼び出し、日々人助けをしているのだ。彼は拓馬の知り合いゆえに、ヤマダは直接話を交わした経験がない。かの人物に、いろいろとたずねてみたいという知的好奇心をずっとおさえていた。欲求を満たせる人物がこの場にいる。ヤマダは大男への恐怖よりも好奇が上回ってきた。
「いずれわかる」
 大男の手のひらがヤマダの顎に当たる。彼の指がヤマダの頬をつつんだ。思いのほかソフトに触れられており、ヤマダはこの態勢に危険を感じなかった。そのまま話を続ける。
「力をあなたにあげたら、わたしはどうなるの?」
「どうもしない。眠くなるだけだ」
「いまねちゃったらマズイよ。オヤジの忘れ物を取りにいくところなんだから」
 大男は返答しない。ヤマダがあまりに普通に物を言うので、彼が当惑したかのような雰囲気が伝わった。ヤマダ自身も、この状況下で平常心をたもつ己が奇特だと思う。なぜだか、彼とは常識的な出会い方をすれば友人になれる気さえしていた。ヤマダは大男への理解を深めたいと考えたが、徐々に体の力が抜けてきて、思考がにぶくなる。
(ほんとに、眠気がきた……)
 大男の宣告通りだ。彼が手にかけた被害者のように、野宿させられてしまうのだろうか。ヤマダは外でねたくない、と意思表明したかった。しかし声が出なかった。
 ヤマダが睡魔におそわれる中、かすかに人の声が耳にとどく。声は一種類のみ。電話を通じての会話中らしい。電話中の人物がヤマダの視界に入る。ヤマダは内心驚いた。あの長めな金髪は三郎たちが挑んだ不良集団のリーダーだ。
「……このあたりの野郎だってわかってる──」
 金髪はずんずんとヤマダたちのいるほうへ近寄ってくる。彼は通話に夢中になっているのか、ヤマダたちを視認できる範囲に入っても反応はない。
「…………あんな暴力教師にビビってられるか! 情けねえ──」
 自分を痛めつけた者たちへの報復を画策しているようだ。その場にいたヤマダも対象だろう。ヤマダはこの現況こそをマズイと感じた。こちらは穏便にすませられそうにない。
「馬鹿なことを……」
 頭上より憤慨が混じる声が漏れる。大男の非難は金髪がヤマダらの目の前を通過する際に発せられた。至近距離での発話があっても、金髪は無人のごとき態度をつらぬく。
(もしかして、わたしたちが見えてない?)
 姿が消え、発した言葉も常人には感知できない──それは人ならざる者たちが有する特徴だ。どういうわけか、ヤマダもその同類と化しているらしかった。
 金髪の少年は暗がりに溶けた。ヤマダは眠気で立つ力を失い、体の重心を後方に預ける。ヤマダを拘束する両手が離れた。大男は自由になった手で、ヤマダの腹部を支え、頭をなでる。ヤマダは彼の行為を不快に感じなかった。むしろ庇護されているような安心感を得た。
 ヤマダは睡魔に屈し、まぶたを落とす。本格的に寝に入ると大男に体を持ち上げられた。その抱え方は横抱きだった。
(先生……?)
 ヤマダはいまの自身の姿勢をもとに、金髪らと衝突した直後のことを思い出した。あのときも、ヤマダは横抱きで運ばれ、その移動中をねてすごした。偶然だろうか、と考えるうちに意識が混濁してしまい、それ以上の思考はとだえた。

posted by 三利実巳 at 23:55 | Comment(0) | 長編拓馬 
プロフィール
長編の習一篇は他サイトで大部分が投稿済(未完)です。現ブログにてざっくり投稿(完結)しましたが、下記リンクはまだ貼っておきます。
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三利実巳
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