2017年11月20日

拓馬篇−1章1

 複数の机と椅子が整列した教室があった。そこに四人の若者が鎮座する。教卓には四人を見張る白髪まじりの中年が一人いた。中年へ、もっとも体格のよい男子が話しかける。
「先生、どこまで書いたら帰らせてもらえるんじゃ?」
 男子の口調は年寄りじみていた。これが彼のクセだ。中年の教師は苦笑する。
「半分は埋めてくれ。これも作文の練習だ」
「半分かぁ。きついのう」
 男子は机にひじをつき、頭を抱えた。長い髪をポニーテールに結った女子が「簡単だよ」と男子に言う。
「書く内容は決まってる。『もうしません』とか『迷惑かけてごめんなさい』ってことをいろんな言葉で書けばいい」
 反省文はそういうもんなんでしょう、と女子が教師に同意を求める。教師は「極論は、な」と歯切れ悪く肯定した。
 四人の生徒は一ヶ月前、他校の生徒とのいさかいを起こした。原因は他校の不良が不当にデパート内の一画を占拠したことにある。そこの職員と利用客が不良の存在に耐えているとの情報を生徒たちが得て、乱闘を起こすにいたった。怪我人こそ出なかったものの、同じことが繰り返されては教師一同が困る。それゆえ生徒たちは先月に校長の呼出しを食らった。だがその時点では正式な罰を与えられなかった。ポニーテールの女子が、校長の弱点をたくみに利用したせいだ。
 あれから一月を経た校長はなにをきっかけにしたのか、もう一度乱闘に加わった生徒たちを招集した。あらためて事件を反省させるつもりだ。今回は逃げられない、と監督の中年に宣言された生徒たちは「反省文」と印字された紙とにらめっこする事態になった。
 三人の会話を聞いていた、二番目に上背のある男子が矢庭に立つ。
「オレは悪いことをしたとは思っていませんよ!」
 男子が肩を怒らせた。教師は興奮する動物をなだめるように声色を和らげる。
「まあまあ、お前たちが他人のために行動したことは俺がよくわかってる。本当に悪いのは人様に迷惑をかけた連中だ。警察が協力してくれないから仙谷たちが打って出た、その正義感は褒めたい」
 仙谷は昂ぶる感情をいくらかしずめた。しかし不満の色は消えない。教師が仙谷に対抗して眉をしかめる。
「だがな、殴り合いでの解決は感心しない。もっと穏便にだな……」
「交渉が決裂して武力行使になったんです。最初から喧嘩する気はありませんでした」
「喧嘩したことに変わりない。そんな危ないまねはやめてくれ。それが俺たち教員のねがいだ」
 仙谷は教師の言い分に納得できず、ますます不服そうな顔をする。
「事前に本摩先生たちに言っていたら、誰か手伝ってくれましたか?」
「それは……難しいな」
 本摩は自嘲ぎみに肩をすくめ、すとんと落とす。
「いまの先生方は平和主義者ぞろい。荒っぽいことは不向きだ」
「じゃあオレ達でやるしかなかったんじゃないですか」
「うーむ……お前たちにピッタリな先生はいたんだが、ケガで休養中なのが悔やまれる」
 本摩は思い出したように腕時計を確認した。次に反省文の進捗状況を見る。
「とにかく反省文を書きなさい。前回、呼出しを食らった時にうやむやになったのを、校長が掘り返したんだ。なにを言おうと逃げられん。早く書いて家に帰るといい」
 仙谷はそれ以上反論しなかった。本摩に噛み付いたところで、問題児の監督という貧乏くじを引いた教師をさらに困らせるだけ。そうはっきり理解できたのだ。本摩自身は生徒視点での利口な対応を説いているにすぎない。
 生徒たちは黙って反省文に取り組んだ。女子生徒が一番に書きあげ、紙面の大半を文字で埋めた反省文を教卓に置いた。
「お、小山田が一番か」
「買い出しを頼まれてるので、はやく書きました。提出した人から帰っていいですか?」
 女子は教師の帰宅許可が下りた。女子が片付けを始めると、一字も書けていない男子が口をとがらせる。
「ええのぉ、ヤマダは作文が得意で」
「書くことがないなら日記みたいに、その日あったことを順番に書いたら? 朝起きてから不良を倒したことまで」
「日記ぃ〜? もう一月も経っておるんじゃ、忘れた」
「手に汗握る格闘シーンも?」
「それは覚えてるぞ! ほんじゃ、やってみるか」
 反省文の作成に進展のなかった男子がやる気を出す。ヤマダは「シメに謝る言葉をつけておいてね」と付けたした。彼女がリュックサックを持って退室する。それきり室内はテスト時間に通じる静けさになる。
 次に反省文を書き終えた者は、会話にまったく参加しなかった男子だ。女子が出ていったこの場ではもっとも背が低く、髪の色がやや明るい。
「根岸、お前が一番の被害者だったな」
 本摩は憐れみ半分、からかい半分に言う。鼻の上にそばかすを浮かべた男子は、仙谷の頼みで不良退治に加わった。今回の騒動は不本意での参加だ。
「……面倒事に巻きこまれるのは慣れてるんで、どうってことないです」
 これといった反省点のない男子に仙谷が「拓馬、怒ってるか?」と控えめに尋ねる。拓馬は首を横にふった。拓馬が書いた反省箇所は、仙谷の誘いを断れなかったことだった。
「お疲れさん、帰っていいぞ」
「その前に質問」
 本摩が「ん?」と眉を上げた。
「なんで本摩先生が見張り役なんだ? 俺たちの担任じゃないのに」
 本摩は拓馬らの学年の他クラスの担任だ。本摩が「これは内緒なんだがな」と声をひそめる。
「来年度からお前たちの担任を任された。若手な先生たちには荷が重すぎる、との校長の判断だ。羽田校長は本気でお前たちの意識改革をするようだぞ」
 本摩は快活な笑みを見せた。その表情を推察した拓馬が二択に絞る。
「『意識改革』って俺らが優等生になること? それとも校長好みの生徒になること?」
 本摩が「どっちかと言うと後者だろう」と冗談めいて答えた。この学校において、一般的な優等生と校長の理想の生徒は一致しない。校長が特殊な信条を持つことは学校中に知れ渡っていた。
 拓馬は「また面倒が増える」と気怠そうに言う。そして居残る生徒を尻目にして教室を出た。現在地は二階。一階の生徒玄関へ向かう。
 階段を降りると踊り場でしゃがむヤマダが見えた。彼女は階下を見つめている。視線の先には一階の廊下があるだけだ。
「おい、どうしたんだ?」
 女子生徒は拓馬の顔を見上げた。長い束ね髪が床につくかつかないかスレスレになる。
「あ、タッちゃん……いま、人が通っていって。それで、お辞儀された」
「お客さんなんじゃねえの? べつに珍しくねえだろ」
「目、青かったんだ……」
 青い目の客人はそうお目にかかれない。だが彼女の場合はちがった。
「オヤジさんの付き合いでいろんな外国人を見てるだろ。目が青いくらいがなんだ?」
 ヤマダの父親は海外へ長期間出張する仕事に就いていた。現在は退職して地元の飲食店に勤務中だ。いまでも同じ会社に勤めた世界各地の仲間が小山田家へ来訪する。訪問客には、種々様々な目や肌の色をした者もいた。そのことはヤマダと幼馴染である拓馬が記憶している。
「そっか……変だよね。……じゃ、帰る」
 上の空のヤマダがすっくと立ち上がる。彼女は一人で玄関へ向かった。普段なら拓馬に「一緒に帰る?」と、彼女が寄り道する用事があっても聞くのだが。
(あれは目の色に引っ掛かってるんじゃねえな)
 拓馬は十数年に渡る古馴染みの異変を見逃さなかった。彼女が口にしなかった原因を予想してみて、かるい自己嫌悪におちいる。それは校長じみた陳腐な発想だった。

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2017年11月21日

拓馬篇前記−新人6

 男は大力会長の審査を経た。無事に才穎高校の採用試験にこぎつける。すでに大力のほうから大体の男の希望を学校へ伝えてあり、了解を得たという。なにからなにまで順調にいっていると男は感じた。だが油断はできない。男を試験の場へ案内する熟年の女教師は、男を怪訝なまなざしで出迎えてきた。彼女は教頭だという。
 教頭は短すぎる勤務期間を要求してきた男をあまり歓迎していない。開口一番で「裏に大力会長がいるからといって甘くは見ませんよ」と宣戦布告した。その言葉自体は男に異論がなかった。無能な人材を権力に屈して雇用することなど愚の骨頂。その害をこうむる子どもが哀れだ。
 男はにこやかに「承知のうえです」と答えた。内心、この女教師は自身の利益になりにくい存在だと判定する。教頭という地位の高さもあり、もしも校内では彼女の決定権が強いのならまずいことになる。男は不合格認定を食らってしまいそうだ。
(この人が面接官だったら、手強いだろうな)
 懸念を抱えたまま、空き教室にて筆記試験を受ける。問題内容は二種類。高校生が習う主要科目の試験と、社会人としての一般教養の試験。それぞれ持ち時間は三十分で解くという。はじめに高校の範囲の問題を解答し、のちに教養問題に取り組む。はじめの問題が解けたあと、教頭は男の答案を教卓で採点した。
 すべての筆記試験をやり終えたころには教頭の目つきが変化していた。「そこそこやりますね」といった微妙な感心を帯びているようだった。男の手応えはかなりあったので、彼女がそう思うはずだという思い込みの影響で見えただけかもしれない。
 次は面接だ。男は教頭の案内を受け、校長室へと向かった。道中、意外にも教頭が試験に無関係な雑談をする。
「新二年生には身内のパパラッチ被害のせいで転入する生徒がいます。デイルさんが採用されたあかつきには、この生徒の面倒も看ていただきたい所存です。覚悟はよろしいかしら」
 脅しのような忠告だ。しかし裏を返せば、男は才穎高校の教員たりうる人間だと教頭が認めたということでもある。そうでなくては採用後の話をしないだろう。男は「はい」とこころよく返事をした。
 その後は無言の移動がはじまる。上階から足音が響くのがよく聞こえた。男は近くの階段を見上げる。階段の踊り場には女子生徒がいた。彼女は長い黒髪を後頭部の高い位置に結わえている。その髪は女子が急停止すると大きく揺れた。
 女子生徒は目をみはり、男を射るように見つめる。彼女の視線には驚きと好奇が混じっていた。常識に当てはめてみると当然の反応だ。見知らぬ人間が、彼女らのテリトリーを闊歩しているのだから。しかしこの反応が生粋の初対面の人に対するものでないと、男は知っていた。
(少々、予定が狂ったか)
 彼女に既視感を与えぬよう、本採用後は微妙な変装をするつもりだった。今日、出会うのは想定外である。
 男はよそいきの表情をつくろう。女子に向けて頭を下げた。紳士的な会釈をやり終えてみれば、女子の真っ黒な頭頂部が見える。彼女は礼に応えてくれたのだ。その純朴さを男は気に入った。礼には礼を。恩には恩を。そういった礼儀の在り方が共有できる者を見ると、男は懐かしい思いで胸がいっぱいになる。
「デイルさん?」
 先導していた教頭が男に呼びかける。教頭の位置では階段にいる生徒を視認できない。男は仔細を述べず「なんでもありません」と教頭に言う。女子生徒のことは一旦きれいに忘れ、早歩きによって教頭との距離の差をちぢめた。
 教頭が校長室のドアをノックする。教頭はドアを開いたが入室しない。
「どうぞお入りください」
「教頭先生は?」
「わたくしは面接に参加いたしません。筆記試験の採点がありますので」
「そうでしたか。では採点のほど、よろしくお願いします」
 男は必要以上の喜色を浮かべないよう心掛けながら教頭に一礼する。男が校長室に入ると教頭は静かにドアを閉めた。
 室内には応接用のソファに一人の中年男性が座っている。ほかには誰もいない。その中年が立ち上がる。
「やあデイルさん! じつはあなたの面接をする教員がまだ来ていなくてね。それまで私と話さないかね」
 中年は楽しそうだ。仕事ぬきで男を客として歓迎するようである。男は彼が羽田校長であるとは誰にも説明を受けていないため、確認をとる。
「あの、失礼ですが……羽田校長先生でいらっしゃいますか?」
「ああ、失敬失敬。名乗っていませんでしたな。そうです、私が校長の羽田です」
 羽田校長は男を手招きする。彼の招聘に応じた男がソファの前に立った。すると校長は男の手を固く握る。
「いや〜、こんなにハンサムだとは予想外だ!」
 中年は有名人にでも会ったかのような、異様なはしゃぎようを見せた。

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2017年11月22日

拓馬篇前記−校長6

 校長と大力会長が交わした約束の通り、大力の電話は三月になってからかかってきた。大力がくだんの教師志望者を鑑定したところ、大いに有望な若者だと評定がくだる。校長はほっと胸をなでおろした。これで八巻が安心して治療に専念できるだろう。
 若者は男ぶりもなかなかよいらしい。圭緒という大力の娘は人見知りをしないのだが、彼と目があったとたんに恥ずかしがったという。校長は若者を非常に有能な人材だと思った。それは当初の目的とはちがう面での評価だ。
(年頃の女子がときめきを感じる教師! これはいい!)
 女子ウケのよい教師がいないわけではない。入院中の八巻は背が高く、顔立ちも整っているので、女子生徒からの評判はよい。ただ、彼は四角四面な考えの持ち主だ。女子生徒がいろめき立つ前に「生徒は異性として見られない」と釘をさしてしまう。若気の至りを拒絶する姿勢は正しい教職員の在り方だ。しかし恋に発展する可能性を完膚なきまでに潰す点が校長には残念であった。
 大力の印象によれば、デイルという若者は物言いが柔らかい紳士だそうだ。彼なら生徒の恋心の芽をそっとそのままにしてくれそうである。これは校長の求めていた絶妙な対応だ。教師と生徒との愛を奨励するのは倫理的にまずい面があるのだが、精神的な結びつきだけの恋はとくに問題がない──と校長は考えている。プラトニックラブこそが、校長が生徒に求める異性交遊である。
 ただし大力はデイルの欠点もあげた。それはデイルが一学期のみの就労を希望したことだ。この申し出は予期していなかった。大力は「その後は八巻さんが復職すればよかろう」と提案しており、校長はその意見に同意した。そのうえで短期間勤務の利点を考える。
(一学期限定か……この短さでは確実に悲恋に終わる!)
 美形の教師が生徒らの心にその存在を残す。それが彼女らの肥やしとなり次の恋へのステップアップとなる。もしかしたら数年後に町中で再会し、恋が再燃するドラマも──そのように校長は想像の翼をはばたかせ、相手方の希望を好意的に受け止めた。
 これらの考えはすべて、伝聞で知った内容から発展させたことだ。校長の予想と現実の乖離がいきすぎていないかを調べるには、それなりに工夫せねばならない。
 そこで校長はデイルの採用試験日に、仙谷ら武闘派生徒に反省文の再提出を強要した。
(小山田くんは作文が手早く書けるそうだが、はっきりした終了時刻はわからん)
 もしもデイルが「持っている」人物であれば、きっと難物の女子と接触が起きる。この女子はフラグだけは乱立する生徒だ。あとは若者の運次第。校長は試験では測れない若者の恋愛運をも見定めようとした。
 ついでに採用試験の面接官である本摩を生徒の見張り役とダブルブッキングすることで、わざと面接の時間に間に合わなくさせる。遅刻の時間を利用して、校長は自分の仕掛けたテスト結果を把握するつもりだ。
 反省文を書くべき生徒のうち、作文が不得意な子もいる。それゆえ本摩は面接に来れない可能性もある。その時は校長の一存で面接の合否を決めてしまうつもりだ。もはや大力の連絡をとった時点で、デイルの採用は決定していた。
 校長室の戸が廊下から叩かれた。教頭先生が例の若者を連れてくる。校長は若者の出で立ちの特異さに注目した。白髪ほど色は抜けていない灰色の髪、色素のうすい髪をより際立たせる褐色の肌、宝石のごとききらめきのある青い瞳。それらの要素は一八〇センチを超える立派な身体と端正な顔に付随する。
(な、なんたるイケメン……!)
 それでいて物腰は丁寧、かつ誠実さがにじみ出ている。大力の娘が頬を染めるのも無理からぬ色男だ。世の女性の大多数が好みそうな好漢である。
 校長はデイルに簡単な挨拶をした。校長が握手を求めた時のデイルは若干気後れしているようだったが、校長は気にしなかった。さっそくソファに座り、対談する。
「面接官がくるまで、なにを話しておこうか……」
 校長は喋りたいことが多すぎて整理がつかないでいた。デイルが「でしたら私のほうから」と切り出す。
「さきほど、こちらの生徒とお会いしました。私が会釈をすると頭を下げてくれまして、とても気持ちのよい子でしたよ」
「ほほう! それは男子かね、女子かね?」
「女子生徒でした。ポニーテールの……」
 校長は小さくガッツポーズをする。やはりあの女子はフラグを立ててきたのだ。
「それはこういう子ではなかったかね」
 校長は前もって用意した写真を一枚、テーブルに置いた。吊り目が印象的な、狐顔の女子が写っている。デイルはひと目見て「そうです」と答える。
「どうして、彼女の写真をお持ちなんです?」
「いやはや、きみがこの女子と関わり合いをもちそうだと感じたのだよ」
 校長は正直に言った。その根拠は女子の特異体質にあるのだが、なぜかデイルは目を大きく見開き、放心の様子を見せた。
「おや、なにかまずいことを言いましたかな」
「いえ、すこし驚いただけです」
「ほう、驚いたとな?」
 校長が前のめりになった。デイルはためらいつつも、口を開く。
「私はすこし前に彼女と町中で会ったことがあるのです」
 校長はのけぞった。今日だけでなく、学外でも二人の接触があったという。
(こんなコンボをかましてくるとは……!)
 校長は好奇心の勢いがありあまり、テーブルに両手をつく。
「で、で、その時はなにがあったのだね?」
「とくにはなにも。私が落し物をしたのを、彼女が拾ってくれました。きっと彼女は覚えていませんから、どうかここだけの話にしてください」
 校長は彼の想像が現実をふまえていないと思い、憤る。
「こんな男前をつかまえておいて、覚えてないわけがないだろうっ!」
「暗がりでしたし、顔はよく見えなかったと思います」
 校長の熱っぽさとは反対に、デイルは冷静だ。校長はつられてクールダウンする。
「そ、それはそうかもしないがね。だったらなぜきみは小山田くんの顔がわかるんだ?」
 デイルは事もなげに「夜目が利きます」と自身の視力を誇る。
「私の身体能力が一般人を凌駕すると、大力会長がお伝えしたとお聞きしました。納得していただけますか?」
「むう、そのようだね……わかった、小山田くんには内緒にしよう」
 校長は縁のある二人をあえてそっとしておくことにした。だが前情報はいくらでも提供する。
「その小山田くんのことなんだがね──」
 校長が女子生徒をとりまく環境を説明しようとしたところ、ノックが鳴る。白髪混じりのベテラン教師が入室してきた。
「遅れました! これでも生徒たちはがんばってくれたんですよ?」
 彼が面接官役の本摩だ。校長はそのようにデイルに紹介した。
(話せなかったことはまた時間を見つけて伝えよう)
 三人は本来の目的である教員採用の面接にとりかかった。

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2017年11月23日

拓馬篇前記−校長7

 校長はわざと面接時間に遅れさせた本摩を加え、デイルと話しこんだ。本摩は常識的な教師だ。彼が投げる質問はとても普通だった。
 才穎高校に勤めたいと思った理由、他の業種から教職へ転向するきっかけ、勤務する間にできる目標といった、ほかの職種の面接でも聞きそうなことばかり。デイルはそつなく答えた。校長も気になっていた転職の要因は「上司の勧め」だという。
「上司のお子さんが教師を目指していたのですが、訳があってあきらめることになったのです。せっかく教材が余っているので、興味があったら勉強してみないか、と勧められました」
 もともとデイルは学ぶことが好きであり、警備業のかたわら勉学に励んだという。本摩はデイルの嗜好と最初に身を投じた業界との不一致を指摘する。
「勉強が好きなら、インテリ方面に進もうとは思いませんでした? たとえば研究職とか」
 純粋な疑問だ。教師志望者はほほえんで「それは無理でした」と答える。
「私は浅く広く学ぶのがちょうど良いのだと自覚しています。一つの分野をとことん突きつめることは性に合わないと思いまして」
「デイルさんは英語の科目を担当するんですよね。それは母国語だから、深く研究はしていないと?」
「大学の教授が学会で発表するような言語学の造詣には自信がありません。ですが高校生が学ぶ範囲の、実用性のある外国語でしたら勉強していますし、生徒に教えられると思います」
 若者はよどみなく返答した。落ち着いた答弁にはベテランさながらの安心感がある。校長は彼を採用する妥当性を獲得しつつ、聞き専にまわっていた。
「それと教職には関係のないことですが、私の母国はいちおう日本です」
「そうなんですか。では帰化されたと」
「はい、両親が。ですから名前と見た目がこれでも、日本人です」
 デイルは日本国籍を所有する。だがのちのちアメリカへ行く約束を親類と交わしたのだという。その約束を守るために一学期だけの教師になりたがっているのだ。
「この短い期間でも、不都合はないでしょうか?」
 校長は「ぜんぜんかまわないとも!」と力説する。
「ケガで入院中の教師がいてね、一学期が終わるころには復帰できるはずなのだよ。彼の不在のあいだ、危険な行動をする生徒たちを見守ってほしい」
 もちろんずっといてくれればなお良いが、と校長は言葉をそえた。校長は八巻の代替のみを求めてはいない。若者の個を尊重したいことを表現した。その思いが通じたようで、デイルは「うれしいお言葉かけです」と顔をほころばせた。
 校長が見たところ、面接の感触は上々だ。校長は最後に住居について話す。
「デイルさんのお住まいはとなりの県だね。通勤が大変じゃないかね?」
「そうでしょうか。片道一時間以上かけて通勤通学する人は大勢いると聞きます。私の場合も常識の範囲内だと思います」
「通勤時間は短いにこしたことはないだろう。もしよかったら私が運営するアパートに引越さないかね」
「校長先生の?」
 デイルは視線をそらした。考え事をしているらしい。校長はここぞとばかりにセールストークをはじめる。
「家具家電は一通りそろっていて、すぐにでも住めるのだよ。月々の家賃は相場の半値だ。わるい話じゃないと思うがね」
「はい、とても条件のよいお話だと思います。いつごろ入居できますか?」
「今日でもいいが──」
 デイルはやんわり首を横にふる。
「それは急すぎますね。まずは家の者に事情を伝えようと思います」
「それもそうだね。入居のときは私が案内してあげたいから、あとで合否結果と一緒に連絡させてもらってよいかな?
「はい、お待ちしております」
 校長はもはやデイルが合格した前提でいた。そのことに本摩はツッコミを入れず、静観する。彼もデイルが教師として充分な人格をそなえていると判断したのだ。
 面接は終わった。デイルは「今日はお時間をいただきまして、ありがとうございます」と慇懃な礼を述べ、退室した。校長室に残った二人は顔を見合わせる。
「本摩先生、デイルさんをどう思いましたかな?」
「いい人そうですね。どこに行っても通用しそうな印象を受けました」
 校長は自分がほめられたようなうれしさがこみ上げる。
「なにせ大力会長が『なんなら自分が雇いたい』と言うぐらいですからな!」
「それは教職としてですか?」
「ええ、会長の高校生の娘さんが通う学校に行かせてもよいな、と思ったそうな」
「あんなにカッコよくっちゃ、娘さんが惚れないか心配になりそうなもんですが」
 本摩は「カッコいいといえば」となにやら首をかしげる。
「デイルさん、肌や髪の色はちがうけれど……八巻先生に似てませんでした?」
「え、そうかね?」
「デイルさんのほうが目つきが優しいですけどね。でも全体の顔立ちや背格好は八巻先生っぽかったですよ」
 校長は直近の記憶を掘り起こした。両者の体格がほぼ同じだったのはたしかだ。顔が似ていたとはあまり感じない。
「体つきはそっくりだが……顔はどうだったか」
「あれだけカラーリングがちがうと雰囲気も変わってきますね」
「むう、それに八巻くんはよくメガネをかけていたしな……伊達の」
「デイルさんも仕事中はメガネをかけたいんでしたっけ」
 その希望は面と向かって言われたことだ。青い目は他者から珍獣のごとく見られそうなので、サングラスをかけて授業にのぞみたいと。レンズの色が暗いと周囲に威圧感を与えてしまうため、黄色のレンズにするとも言った。
「あとは白いシャツが色黒の肌に合わないから、濃い色のシャツを着たいと……」
「気にしすぎだとは思うがねえ、それで彼の意欲が維持されるならかまわんとも」
 校長はデイルのファッションの希望を二つ返事で承諾した。もともと才穎高校は自由な校風である。他校では禁止されがちな染髪を許可しているのだ。ましてやコンプレックスを隠す服装くらい、好きなだけやってくれてよかった。
「あんなに容姿が優れた人でも、自分の見た目に不満があるんですかね」
「控えめな性格のようだから、目立つのがイヤなんだろうね」
 二人が憶測を飛ばしていると教頭が入室してきた。彼女は答案を手にしている。
「筆記試験の件で報告しにまいりました」
「おお、及第点には届いたかね?」
 教頭は眉間にくっきりとしたしわを寄せた。校長は合格ラインを下回ったのかと不安になる。今回の試験内容は教頭に調整してもらったため、ごまかしは利かない。
(『大男、総身に知恵が回りかね』と言うしな……)
 どうやって教頭を説得しよう、と校長が策を考えた。が、「満点です」という悔しそうな声が出るとその思考はふっとぶ。
「え、いま、なんと?」
「答案の二つとも、満点でした。少々、ハードルを下げすぎてしまったようです」
 前回受けた新人があまりに不甲斐なかったので、と教頭は試験の難易度が下がった原因を告げた。その新人とは八巻の欠員補充として入れた社会科教師のことだ。
「ヤスくんがいなかったとしても合格はしたんじゃないかね?」
「そうだとは思いますけど……あまりよい出題ではなかったと、反省しております」
「そんなことはない! 私たちが想像する以上に彼が優秀だっただけじゃあないか」
 容姿、運動能力、人柄に、知能まで優れているときた。こういった人物は、引き替えに恋話が成立しないジンクスはあるのだが──
(成立しなくてもいい。生徒たちの心のよりどころになってくれればいいんだ)
 校長は名実ともに教員の仲間入りをする若者に、ささやかな期待を寄せた。

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2017年11月26日

拓馬篇前記−校長8

 面接終了後、校長はデイルへ合格の一報を知らせるのと同時にアパートの見学日候補を伝えた。直近の土曜日はどうか、と言うと彼はすぐに「わかりました」と答える。
「その日から入居してもよろしいでしょうか」
 校長は自分が先日そう提案した身でいながら、即答できなかった。すでに彼にはアパートに住んでもらう心積もりだったし、彼が乗り気ならそれは良いことだ。しかし実態を一つも見せずにいきなり部屋に住め、というのは常識はずれのような気がした。そんな言葉がポンと出てしまったのは、その場の勢いによるものだ。前言を撤回したほうがよいと思えた。
 校長は礼儀として「内装を見てから決めていいのだよ」とは言ってみた。すると彼は「校長が勧めてくださる住居なら心配はありません」と気のいい返事をする。なかなか人心をくすぐる言い方がわかっているようだ。そもそも数ヶ月の仮住まいなのだから、そこまで慎重に選ばなくてもよさそうなものである。校長は当初の提案を変更せずにおいた。
 二人の待ち合わせはアパートから徒歩圏内の最寄駅にした。そこで校長は隣県から来るデイルを迎える。彼は事前に告げた時間通りに現れた。片手には黒いビジネス鞄を、反対の手にはキャスターのついたトランクケースを引くスーツ姿だ。まるきり出張に訪れたビジネスマンに見える。ただし目元にある黄色のサングラスと、ジャケットからのぞく黒に近い灰色のシャツは、一般的な会社員の風体とは程遠かった。これが彼の理想とする校内での格好なのだろう。
「私服でもよかったのだがね」
 校長は青年の服装を雑談の起点としつつ、町中を歩いた。目指すは私財を投じて建設した宿舎だ。
「これが私の普段着です。荷物が減りますし問題ないかと思います」
 校長はもったいないと感じる。この若者はモデル並みに見栄えしそうなのだが。
「うむむ、オシャレには興味ないのかね?」
「はい。ファッションセンスというものには縁がないので」
「それは意外だなぁ……」
「学ぶ必要のない知識だと割り切っていますから」
「むう、そのぐらいストイックでないと文武両道ではいられないか」
 すべての分野で平均以上を保ちつつ、最高の仕事をこなすことは非現実的だ。とある一流のエンジニアは毎日同じ柄のシャツとズボンを着て生活するらしい。自分に合う服の色、流行、服の組み合わせなどの思考時間を惜しむからそうするのだ。節約した時間をも活用することで、さらなる仕事の成果をあげられるのだろう。ある面で優秀な成績を残すには、どこかでリソースを減らさねばならぬという一例だ。
 デイルは一流の武芸者だと大力会長が絶賛した。デイルはさらに一定の知識や人格を求められる教師をやろうとしている。彼は二十代の若さながらも充分すぎるほどに能力を拡張してきた。これはあらゆるものを犠牲にして成り立つ境地だろう。その代償となる一般的、常識的な部分は欠けていても仕方がないのだ。
「その様子だと、きみは時間があれば体を鍛えたり勉強したりしてきたのかね」
「はい」
「修行僧みたいだねえ。あまり遊んでこなかったようだが……仕事には関係しない、楽しいと思うものはあるのかね?」
「楽しい……」
 デイルは静かに視線をあげた。電信柱の上に羽を休める鳶(とんび)を真顔で見ている。
「動物は好きです。これは楽しいもののうちに入るでしょうか?」
 求道者的な若者は存外かわいい趣味持ちだ。校長はギャップを感じる一方で安心する。
「ああ、入るとも。愛らしい動物とふれあうおかげで、毎日元気に働ける人もいるからね」
「校長は私の活力のもとをおたずねになったのですか」
 デイルはほほえみながら校長の顔色をうかがった。校長は自分の質問が適切でなかったとかえりみる。
「そうだね、生きがいと言ったほうがわかりやすかったかな。これがあれば元気が出る、といったものを持つ人は強い。教師はパワフルな生徒たちにぶつかっていく仕事だからね。どんなにへこたれても立ちなおれる方法があると頼もしいのだよ」
 むろん「仕事が生きがい」という人もいるがね、と校長は年若い人からは同意を得にくい例も出した。デイルはさびしそうに笑う。
「私は『仕事がいきがい』だと言えそうにありませんね……」
「それは教師を長く続けられないからかね?」
「はい。一学期を終えて、この国を発ったら……むかしの稼業にもどるつもりです」
「どんな仕事なのか聞いてもいいかな?」
 デイルは校長の見たことのない険しさをただよわせる。見る人によっては不機嫌とは捉えられない程度の変化だ。校長は彼の不興を買ってしまったのだと焦る。
「ムリに言わなくていい。国がちがえば説明しにくい仕事もあるだろう」
「はい……表現がむずかしいです。この仕事は私の身体能力をフルに活用する、とだけ言えます」
 若者の機嫌が元通りになった。校長はほっとする。
(ふう、気まずいままでアパートの紹介はしづらいからねえ)
 校長はデイルの詮索はやめた。まだ二回しか顔を合わせていない相手だ。つっこんだことを聞きすぎたのかもしれない。校長は方向性を変え、彼の拒む理由のないアパートについて紹介をはじめる。
「これから見せる住居はね、ロフト部屋があるのだよ。物を置くスペースは多いほどいいだろうと思って設計したんだ。長く教師をやればいろいろ入り用になるからね」
「才穎高校の教員のために建てたのですか?」
「ああ、社宅みたいなものだ。だけど生徒も希望すれば住める」
「自宅から通えない生徒が利用するのですね」
「そのとおり。来年度からも一人、生徒が入居する。この子は複雑な事情を持った女子生徒でね……」
「身内のパパラッチ被害のせいで転入する生徒、ですか?」
 校長からは彼に伝えていない情報だ。校長の知らぬ間にデイルに知らせた人物がいるらしい。あまり口外できる内容ではないので、知っている教師はごく一部。彼と単独で接触した既知の者というと、教頭か。
「おや、もう知っていたのかね」
「はい、面接の日に教頭先生からそうお聞きしました。私が採用されれば、その生徒の面倒も看てほしいと。この指示は校長のお考えなのでしょうか?」
「いや、私は決定事項だとは考えていないよ。きみに看てくれたらうれしいとは思うが、いかんせん、男嫌いな女の子のようでね」
 転入のいきさつを知れば無理もない拒絶だった。無辜の子どもとその姉妹が、心無い男性の飯の種になっているという。その男性には、女子生徒の父親も含んでいた。ただし父親は今回の事件と直接の関係はない。困っている娘への援助を一切しないという他人同然の人物らしい。
「教頭は女性だからなんとも感じなかったんだろうねえ。だけど私たち男の身ではどう接していいものか」
「その生徒と男性職員が関わることは避けたいのですね」
「そうなのだよ。よかれと思って接することも彼女の負担になってしまう。だから彼女の担任を女性にしようかと迷っているところだ」
「迷う? なぜですか」
 デイルは「女性一択だ」と思っているようだ。校長もほかのクラス構成を考えなければ彼と同じ考えでいただろう。
「生徒同士の関わりを考慮すると、担任は男性だと決めたクラスに彼女を入れたいと思うのだよ」
「そのクラスの生徒は優しい子が多いと?」
「まあそういうことだ。ハートの熱い子が多くて……その中に、きみに監督してほしい子がいるんだが」
「わかりました。ではまとめて見守ることにします」
 嫌な顔をせずにデイルは引き受けた。追加の依頼であっても気前よく承知してくれるのを、校長はすまなく思う。
「いろいろと難題を押しつけてしまってわるいね。就業時間外の行動が多くなってしまうだろうに、手当てを出してあげられないのが心苦しい」
「いえ、もとより一部の生徒の見守りは承知していますので」
「そこでだ、特別にきみの家賃はタダにしたい──」
「そういった配慮は生徒にしてあげてください。彼らは一人暮らしをするだけでも大変でしょうから」
 校長は家賃の全額免除を断られるとは思っていなかった。おまけにその免除はより弱き者にせよ、と勧めるとは。無欲な生き仏を前にして、校長は頭の下がる思いがこみあげる。
(こんなに殊勝な若者がいるものだなぁ!)
 ほんの数ヶ月しかいられないのを惜しく感じた。だが正直にそう言っては彼を苦しめるだけだ。校長は当たり障りのない、アパートの設備について話していく。そうして社宅兼学生寮のアパートに到着した。

タグ:羽田校長

2017年11月27日

拓馬篇前記−新人7

 男は電話口で、自分が才穎高校の教員に相成ることを知った。また校長の厚意により、校長所有の宿舎に居を移すと決める。この決定は当初の未来予想になかったことだ。男は渡りに船の提案だと思った。高校の隣県にある繁沢の住宅から通うよりもずっと目的が果たしやすくなる。いまの居住地はとある厄介な人物に知られてしまい、いつ鉢合わせになるかと気が気でなかった。もちろん個人的に部屋を借りても良かったのだが、その人物の調査能力の前では時間稼ぎにもなるかどうか。その点、校長の管理する住宅は不動産屋ではおおっぴらに紹介されていないという。数ヶ月を乗りきる確率は、いくらか上がる。
(うまくいきすぎている……)
 男はこうあるべきだと運命づけられていたのだろうか。すべては偶然の積み重ねで成り立っていた。
 才穎高校の校長の欲する人員が自分に適合したこと、その校長は自身の上司のさらに上司と繋がりがあったこと、自身の上司からあらたな職種として教師を勧められたこと、その上司の身内に教師志望者がいたこと。これらはまったく男の予期しなかった一連の流れだ。そのいずれかが欠落していれば、男は才穎高校の職員になれなかった。
(私はどうあるのが、天の思し召しなんだろうか?)
 男は神仏を信仰してはいないが、天命の存在は信じていた。生き物すべてに、あらかじめ定められた本分がある。それはこの国で育った恩師が言っていたことだ。
(ケイ……私は、天命に逆らわない)
 務めを果たすのが是か、失敗するのが是か。こたび仕損じれば次はない。その時は、彼女に顔見せできるかもしれない。だがそうなれば自分に使命を課した主人には背くことになる。それもまた、男の本意ではない事態だ。男は自己判断では己の肯定すべき行ないがわからなかった。
 入居日、男は持っていけるだけの勉強道具や衣類をトランクケースにまとめて出かける。繁沢の娘も同伴し、彼女に見送られて電車に乗った。男を兄のごとく慕う娘は、男との別居をさびしがった。だが「遊びに来てもいい」と男が言うと、いつもの明るい調子にもどってくれた。それでも去年までの快活ぶりは抑圧されているようだった。感情のかげりの原因は、男との別れが迫ることにあった。
(いいんだ。私の居場所は、シゲさんたちにない)
 はじめから同じ道をたどれる同行者ではなかった。男の仲間はべつにいる。その仲間を尊重することは、自分だけができる役割だ。
(あるじが頼れる者は私しかいない)
 厳密にはほかにも主人が使役する同胞はいる。だが、主人は男をもっとも厚遇していた。男が左手にはめた指輪がその証拠だ。白い宝石のついたこの指輪をもって、男はこれから為すことの正当性を見出した。
 到着駅で羽田校長と合流する。徒歩のすえに着いた住居は三階建てだった。ロフト部屋があるため一階分の天井が普通の一階よりも高くなる。その影響で、外観は他の民家の倍以上抜きんでていた。
 校長と男は淡いオレンジ色のブロック塀に囲まれた敷地内へ入る。男に用意した部屋は一階だという。大家である校長が部屋の鍵を開けようとして金属音を鳴らす。男はその後ろで待った。
 男は周囲の景観を知りたいと思い、その意識は作業中の校長から外れた。すると人の肉声が耳に入る。声のする方向を見た。塀の奥に二人の女性の気配がする。
『同じアパートの人?』
『知らない。荷物を持ってるし今日から住むんじゃないの』
 どちらも若い女性の声だ。二人は友人か姉妹だと男は予想を立てた。片方がこの宿舎を利用していると思われる。塀に身を潜める様子から推察するに、校長らを警戒していることがうかがい知れた。この宿舎に住み慣れた人ならば人目をはばからずに帰宅するところだ。
(恥ずかしがり屋か、まだ入居して日の浅い人か……)
 ここへくる道中、今年から宿舎を活用する女子生徒が話題にのぼった。その当人ではないかと男は思った。
『先生なのかしら』
『染髪OKだからって、あんなにやっちゃって』
『ちょっと怖そうね』
 男の後ろ姿を一目見た女性たちが第一印象を話しあっている。フォーマルなスーツを着ていようと、この髪の色で人となりの想像をふくらませられるのだ。
(髪を染めても、いいんだったな)
 この国のほぼすべてを占める黒髪に変えたなら、もっと普通な教員になれるのだろう。だが自分の姿をいじることは好きでない。できるかぎり、主人が自分だと認識できる部分は保持したかった。それが非合理的な愚行であっても。
 ガチャっと開錠の音が鳴る。男の集中は姿の見えない女性たちから逸れた。校長が玄関の扉を開けて「さあ入って」と言い、男は新居に足を踏み入れた。わずかにワックスの香りがたちこめる。清掃済みの証である紙が下駄箱の上に置いてあった。
「この紙はもういらないから、捨てていいよ」
「はい。ゴミだしの時に捨てます」
 校長はこまごまとした室内の説明をはじめた。玄関をあがってすぐの物置の場所、天井が低めな台所、その上に位置するロフト、ロフトへ上がる階段兼棚、天井の高い部屋を有効活用したロフトベッドなど、不動産の仲介人のごとき丁寧さで紹介する。
「あと、ここは一階だからねえ。二階の住民によっては物音がするらしいのだよ。だいたい天井に近いロフト部屋かロフトベッドにいる時に、上の階の人が騒がしくすると気になるんだとか。もしうるさかったら私に言ってくれたまえ。ちゃんと注意するから」
「この部屋の上はどなたがお住まいなのですか?」
「ああ、ここへ来る時に話した女子生徒だよ。あの子だったらそんなに騒ぐことはないと思うんだがね」
 この場所の真上が例の女子の部屋。彼女と学外で接触するかはともかく、男は心に留め置いた。
「週末はお姉さんが会いにきているそうだよ。金土日あたりは、多少にぎやかしくなるかもしれんね」
「そうですか。では週末に起きる物音には苦情を出しません」
「やさしい男だね、きみは」
 一通りの内装の紹介をすませると、校長は次に学校の話をする。
「授業の開始は四月の初旬をすぎたころだが、いまのうちに授業のカリキュラムの相談をしておきたいのだよ。来週の月曜から学校に来てもらえるかね?」
「はい。授業で教える範囲とその進行速度などは私もうかがいたいと思っていました」
「そうかそうか、真面目だねえ」
 校長は満足げに笑む。
「あとはすこし気が早いが、始業式の時には新任者にステージに立ってもらうあいさつをよくやっているんだ。けれどきみの場合は一学期だけだから──」
「私は遠慮します。皆さんの貴重なお時間はとらせません」
「貴重かどうかはおいとくが、きみならそう言うと思っていたよ」
 男はもう自身の性格が伝わっているのを意外だと感じる。
「目立ちたくないという気持ちが筒抜けになっていましたか」
「ああ、わかるよ。そのサングラスなんかは自分の目の色を気にするから着けてるんだろう? すまないがそれは式典の場には相応しくないなぁ」
「そうですね……」
「きみには式典の参加を無理強いしない。まあ興味があったらこっそりのぞいてくれたまえ。全校生徒が一か所に集まる日はすくないからね」
 校長は学校のことは来週にまた話すと言い、帰っていった。男は居室のすみに置いたトランクケースを開ける。中の筆記用具を使い、校長が話した指示をメモ書きした。そして文具類はロフトベッド下の勉強机へ、替えのシャツはロフト下のクローゼットへと収納をはじめる。掃除の好きな男には、こういった整理の時間もささやかな楽しみだった。
(自分の役目など考えなくてもいいから、好きなのか……?)
 掃除について思考をめぐらしてみる。この部屋には掃除道具がないことに気付いた。家具家電が備えついているとはいっても、雑事の道具までは付属しないのだ。男は荷物が整理できると日用品を求めて外出した。

タグ:新人

2017年11月30日

拓馬篇前記−美弥1

「あ、部屋に入ったみたい」
 美弥は自分の仮宿をかこむブロック塀に身を潜めている。自分が現在住むアパートには、さきほどまでいた人影があった。顔だけを出してみるとその姿が消えている。
「いまのうちに行こう」
 美弥は同じく隠れていた姉の律子に呼びかける。律子は鍔のある帽子を被り、風邪予防の白いマスクをした状態だ。「うん」と小声で答えたあと、美弥たちは二階の自室へ向かった。
 数分前に美弥がアパートへもどろうとした際、大家かつ学長の中年と見たことのない人物が建物の前にいた。美弥が注目したのは後者だ。灰色の短髪をもつ、背の高い男性。顔は見えなかった。だが老人ではなさそうな、背すじのまっすぐとしたグレーのスーツ姿だ。美弥がパッと見たところ、男性の染めているらしい頭髪が悪印象だった。
 美弥は不審な男性が派手好みの不良ではないかと邪推する。姉を連れている状態では、そんなあやしげな人と関わり合いを持ちたくなかった。そのため自室への到着を一時遅らせる。律子も人目を避けたい立ち場ゆえに、妹の対処に同調した。
 律子はここへ来るまでに一時間あまり電車に揺られてきた。昨日の仕事が夜遅くまで長引き、一晩寝てから美弥に会いに来た。仕事疲れも残る律子は温かい飲み物を飲みたがる。そこで、部屋に着いた姉妹は一服することにした。まずは台所にいく。市販のティーパックを陶器のカップに入れ、電気ポットのお湯を注ぐ。二人分の茶ができたら居間の座卓を囲んだ。
 美弥は湯気のたつ茶を口にふくむ。熱い茶をのどに通すと、体の内側から温まっていく。この時の美弥は自分のすさんだ気持ちが多少うるおう感覚がした。
 律子も茶を飲むと「ふう」とリラックスした声を出す。だが憂い顔だ。
「さっきの男の人……この下の部屋に住むんじゃない?」
「まあ、位置的にそうかも」
「あんまり物音を立てると怒られるかしら」
「そんなのことまで考えていたら、なにもできなくなるでしょ」
 美弥は姉の気にしいぶりにやきもきする。
「ふつうにしていればいいの。それで文句を言ってくる人なんか、『自分で家を建ててそこに住め』って言い返してやるわ」
 美弥がいつになく強気な発言をする。さきほどの男性がクレーマーだとわかる手がかりはないが、いまの美弥にはだれもが敵になりうる認識があった。
 美弥の荒々しさは生来のものではない。新年が明けてから芽生え、常駐する感情だ。事の発端は姉の女優業にある。
 律子は幼い時分から役者としてスクリーンの舞台に出ていた。美しさゆえに成人後もその人気は衰えず、芸能界に所属する。そのプライベートを知りたがるやからも、自然と増えた。
 今年のはじめ、律子はふとしたきっかけで同業の異性と食事をすることになった。相手は一度は時代の寵児となった人物だそうだ。しかし不祥事をやらかしてしまい「干された」人間でもあった。現在は律子ほど華々しい仕事が来ない、落ちぶれた俳優に成り下がっている。そのことで、律子に仕事の相談をしたかったらしい。彼は律子とは一回り歳の離れた既婚者だ。幼い子どももいる。律子は彼の家族を不憫に思い、彼らの暮らしが上向くのなら、という一心で同行した。恋愛感情など露にもない。
 だがその俳優とのゴシップ記事がでっち上げられた。店へ向かう最中の二人を撮られたのだ。それを不倫だなんだとやじられた。ただ男女が町中で歩いただけで、よくもまあこじつけられるものだ。
 あろうことか、俳優はこの騒動をチャンスにしてふたたび表舞台に映った。記者による隠し撮りのタイミングの良さもあり、彼らはグルだったのではないか。そう美弥は疑ったし、そのように律子を弁護する者もいた。だがその抗弁がさらに騒ぎを悪化させた。
 律子のことを根掘り葉掘り知りたがる人々がいる。その層へ売りつける目的の記事を書く連中もいる。無駄に行動力のある記者たちが、真実をさぐりに美弥の身辺までやってきた。
 律子と美弥は名乗る名字が異なる。家族だとは傍目にわからないはずなのだが、どういうわけだか連中は美弥の学生寮に押しかけてきた。美弥は身内に芸能人がいることを秘匿していたため、学校側はこの異常事態に大いにおどろいた。そして美弥をうとんじた。
 美弥は学校関係者の薄情さに失望した。美弥は被害者なのに、罪人であるかのように彼らは切り捨てた。その対応を憎く感じたが、教師陣が冷酷だったわけではないのかもしれない。寮にいる生徒が騒ぎ、その保護者が過剰に反応した影響だったとも、美弥は推測している。だがあそこの教員たちが美弥を守ってくれなかったことは事実だ。美弥は学校から追い出されるかたちで、この宿舎へ移住することとなった。
 美弥の環境の変化は、一言で言ってしまえば姉のとばっちりによるものだ。しかし美弥は姉の非を追及する気がない。律子は善意をほどこしただけなのだ。それを悪意で返した相手が究極の悪である。そうとわかっているから、やり場のない怒りをためこんでいる。諸悪の根源にあたる落ちぶれ男が目の前にいたのなら、その俳優崩れ顔を何発でも叩いてやりたいくらいだ。美弥はかつてない攻撃性を秘めながら日常を過ごしていた。

タグ:美弥
プロフィール
長編の習一篇は他サイトで大部分が投稿済(未完)です。現ブログにてざっくり投稿(完結)しましたが、下記リンクはまだ貼っておきます。
三利実巳の画像
三利実巳
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