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2017年10月23日

拓馬篇前記ー実澄2

 実澄は喫茶店へ歩を進めていたが、青年に抱えられるレイコの足を見るとべつの行き先を思いつく。
「靴、買ったほうがいいのかしら」
 少女は靴下を履いているが、足をちぢこめていた。毛布代わりにくるまるマフラーの布地内に足先をおさめようとしているらしい。寒がるレイコは「いらない」と言う。
「クツがあったら、一人であるくんでしょ?」
「ええ、そうね。そしたら銀くんがレイコちゃんを抱っこしないでいいし」
「やだ。だっこがいい」
 レイコは纏ったマフラーの下から青年の胸元をつかむ。実澄に被らされた桃色のニット帽子を、彼の太い首に押し付けた。実澄は少女の甘えっぷりに微笑ましくなる。
「あらら、ずいぶん銀くんになついちゃったのね」
 青年の容姿は、はたから見ると威圧的でおそろしい。それは彼が高身長かつ筋骨隆々な外見の影響であり、本人の性格とは無関係。そのことが先入観のない子どもにはわかっているのだ。
「おとうさんとおかあさん、やってくれないもん」
 レイコはぶすくれた。七、八歳くらいの子どもであれば、もう抱っこは卒業させるべきだと考える親もいるだろう。実澄は母親代表として少女の不満を減らそうとする。
「レイコちゃんは大きくなってきてるもの。抱っこをしたくてもなかなかできないわ」
「ちがうの、おとうとが生まれたせいなの」
 いままで自身に注がれていた愛が他者へと移る。その不平を募らせる長男長女の話は無数にある。実澄も耳にする経験があった。実澄はそういった長子に対するタブーな反応を避けながら言葉を選ぶ。
「下の兄弟ができるとお姉ちゃんは甘えづらいのよね」
「しってるの?」
「そういう話は聞くのよ。うちの近所のお姉ちゃんも弟ができた時はそうで……でもいまは逆ね」
「ぎゃくって?」
「いまじゃ弟くんがしっかり者なの。ペットの犬の世話をするし、家事はお姉ちゃんより上手にできるから、お姉ちゃんのほうが家族に甘えてるらしくて。その家のお母さんは『情けない』と言ってた」
 レイコは落ちこんだように「なさけないって、わるいことだよね?」と聞いてくる。実澄は真面目ぶってうなずく。
「そうね、いいことではないでしょうね」
「やだなぁ、わるい子になるの……」
「だけどお父さんやお母さんに全然甘えないのもよくないのよ。レイコちゃんが我慢しすぎてるんじゃないかって、みんな心配になるの」
「でも、『がまんしなさい』って言われる……」
「それはきっと我慢したほうがいいタイミングなのよ」
「がまんしなくていいのは?」
「うーん、親御さんが弟くんから目を離せて、のんびりくつろいでいる時かしらね」
「むずかしいよ……」
「そう、いいタイミングを見分けるのは難しい。だからお姉ちゃんは大変なんだと思う」
「うん」
「『お姉ちゃん』をがんばってるレイコちゃんはえらいね」
 実澄は少女を片腕で軽々持つ青年に視線をうごかす。女二人が会話する間、彼はちっとも参入してこない。
「……この子を抱えてもらってていい?」
「かまわない。この程度の重さは平気だ」
「運んでもらうだけじゃなくてね、しばらく『お兄ちゃん』になってほしいの」
「どういう意味──」
「年上の兄弟がいない長女ちゃんはよく『お兄ちゃんがほしかった』って言うじゃない?」
「いや、知らない」
「そお? でもレイコちゃんは銀くんに甘えたがってる。あなたがいいのよ」
 実澄は「ねーっ」と同意を求めるようにレイコの頭を帽子ごしになでる。レイコは満足げに鼻を鳴らした。
 青年は自身の空いた手を上げ、まじまじと見た。そしてその手でレイコの後頭部を支える。
「こういうことを、やれと?」
「うん、いいわね。でも無理しなくていいの。あなたは自然体でいても、きっと子どもがよろこぶから」
 青年は納得がいかなさそうに口をつぐむ。実澄は彼が優しい性根である自覚がないのだと説明したかったが、喫茶店が目前になったので後回しにした。
「あの店に?」
「ええ、入りましょ」
 実澄がガラス戸を開けて先導する。出入口のマットを踏むと呼鈴のような音が鳴った。入店客の案内をしに女性店員が現れる。実澄の娘くらいの少女だ。
「いらっしゃ……」
 店員はレイコを抱き上げた青年におののいている。実澄は笑って「ちょっとコワモテな連れですよね」と店員の反応を受け流す。
「三名なんですけど、席はあります?」
「は、はい。こちらです……」
 実澄たちは窓際のテーブルに案内された。ソファにレイコが降ろされる。その隣りに青年が座るかと思いきや、彼はテーブルを離れる。
「銀くん、どうしたの?」
「少し、用がある」
「トイレ?」
「そんなところだ」
 青年はレジカウンターへ向かった。実澄は彼がトイレの場所を聞きにいったのかと思い、かまわずレイコの隣りに座る。
「さ、なにを頼みましょうか。夕飯が食べられなくなるといけないから、軽くね」
 実澄はメニュー表を開き、子どもの好きそうなデザート類をレイコに見せた。

タグ:実澄

2017年10月24日

拓馬篇前記ー実澄3

 実澄とレイコはそれぞれ注文するものを決めた。実澄が店員を呼ぼうとするとレイコが「おにいちゃんのぶんは?」とさえぎった。
「追加で注文できるから、それで選んでもらいましょ」
「うん……」
 あまり乗り気でないようだ。実澄は彼女の思いに沿う案を考える。
「じゃ、銀くんも食べそうなものをたのむ? フライドポテトだったらみんなでつまめるし」
「うん、ポテト、好き!」
 どうやらレイコは食べたいものを遠慮していたらしい。ポテト一皿は子どもが食べきれる量ではなさそうなので、だれかと共有したいと考えるのはもっともだと実澄は思った。
「ねえ、おにいちゃんはずっとあそこにいるね」
 直近の青年の居所はレジにあった。実澄がそちらを見ると大柄の男性が今なおそこにいる。実澄たちを席へ案内した少女店員もいた。
「店員さんとうまく話せないのかしら。ちょっと行ってくる」
 実澄はレイコに「ここで待っててね」と指示し、テーブルを離れた。青年に近づくと彼が振りむく。
「ミスミ、証人になってほしい」
「え、証人?」
「この店員は私を犯罪者だと疑っている」
 実澄は「え!」と思わず声をあげ、あわてて口をふさいだ。周囲の客にこのことを知られては大変だ。小声で店員に「ほんとうですか?」と尋ねる。店員はうつむいて答えない。実澄は相手が自分の子と同年代なこともあり、できるだけ穏便に話す。
「あの、どうして、彼をそう思ったんです? 見た目はすこし怖いでしょうけれど、それだけで犯罪者だなんて──」
「……あの女の子、靴を履いてなかったから」
 店員がバツのわるそうに答える。
「上着もちゃんと着てないし、家にいたのを攫ってきたんじゃないかと思って」
 言われてみればそういう解釈もできる、と実澄は妙に得心がいった。だが真相はちがう。青年は転落事故を起こした少女を救ったのだ。おまけに店員の指摘には矛盾点もある。
「人攫いが喫茶店でのんびりすると思います? それも攫った子どもと一緒に」
「それは、犯罪者になってみなきゃわからないけど……」
 誤解を撤回するつもりのない返答だ。実澄はカチンとくる。
「そんなに疑うんなら女の子に直接聞いてみればいいでしょう。しっかり受け答えできる子です。あなたが話を聞きおわるまで、わたしたちはあの子から離れています」
 実澄は「さあ、どうぞ」とレイコのいる席へ手を伸ばした。店員はちらっと実澄の顔をうかがう。店員の表情は怯えているよう。実澄は彼女に憐れみの情を抱いたが、ここで引いては青年の名誉に関わると思い、決然とした態度を保った。
 店員がレジを離れる。実澄は店員がレイコに話しかけたのを見届け、災難に遭った青年を見上げた。彼は最初に出会った時の仏頂面のままだ。他人である実澄が立腹を覚えたのだから、当人がなにも感じないとは思いにくい。言いがかりをつけられたことに対し、怒りを表に出さないように努めているのかもしれない。
「いやな思いをさせてしまって、ごめんなさい。ほかの店がよかったわね」
「気にしていない。おかげで興味深い話が聞けた」
 想定外に前向きな発言が出てきた。実澄はこの青年の度量の広さにおどろく。
「え、あ、そうなの……で、興味深い話って?」
「あの店員はレイコの格好以外にも、私を疑う要素を言っていた。最近、子どもが襲われる事件が隣県で頻発したそうだ」
「事件を起こした人とあなたが似てるの?」
「犯人は特定できていない。被害に遭った子が日中に、背の高い色黒の外国人と接触していた、とかなんとか」
「そーんなあやふやな情報で? そういう外国人はいっぱいいるじゃないの。しかも他の県で起きたことなんでしょう」
「現在その土地では被害がやんだ。犯人が別の地方へ移った影響だともいう」
「その犯人が、あなただって?」
「そうだ」
 青年が不敵に笑んだ。その笑みは店員の予想を、馬鹿げた空想として一笑に付すようにも、見事に的中した慧眼の持ち主として褒めているようにも見える。実澄には後者の線が強く感じられた。だが自身の直感を否定する。
「それが事実なら、わざわざ高い所から落っこちてくる子を狙う?」
「さあ、どうだろうな」
 またしても本気か冗談なのか定かにならない態度だ。実澄はこの青年におちょくられていると思いはじめた。
(この状況なのに、ずいぶん余裕があるのね!)
 一歩まちがえれば通報されかねない。身の潔白を完全主張すべき場において、彼の反応は不謹慎きわまる。実澄がわが子をしつけるような心構えをした時、青年は「すまない」と言った。得体の知れない笑みが消えている。
「貴女が私の無実を信じようとする姿を見ていると、なんだかうれしくなって、つい意地悪なことをしてしまった」
 謝罪を受けた実澄は青年を咎める意欲がすっかりしぼんだ。そしてふつふつと笑いがこみあげる。
「ふっふふ……意外と寂しがり屋なのね。立派な大人かと思ったら……誰かにかまってほしくてイタズラする子どもといっしょ」
 実澄は感情の起伏のとぼしい青年が急に不器用な少年に思えた。その認識の変化は実澄にとって意味のあるものだ。
 そこへ少女店員が小走りでやってくる。彼女はレイコから聞き出した言葉を連ね、平謝りした。実澄は赤ら顔の店員をなだめる。
「もう気に病まないでくださいね。まちがいは誰にでもあることですから……」
 実澄たちは退屈そうに待つレイコのもとへもどった。

タグ:実澄

2017年10月25日

拓馬篇前記−実澄4

 実澄たちのテーブルにようやく飲食物が届いた。さすがに応対する店員は嫌疑をかけてきた少女とは別の人だったが、どこかよそよそしい。やはり一悶着あったために場の雰囲気を悪くしたのだろう。実澄はこの店で長居できそうにないと感じた。
(頼んだものを食べたら、もう出たほうがいいかも……)
 誰が悪いとは明確に言えない一件だったものの、当分この喫茶店は出入りしないでおくのが無難そうだ。
 実澄の憂慮をよそに、隣りのレイコはフライドポテトをもくもく食べる。この子は口に物が入っていると喋らなくなるようだ。帽子を被った青年が自分から話すことは無いので、実澄が黙っていると皆が言葉を発さないままになる。この状況は実澄にとって居心地が良くない。誰からも歓迎されない中年という図式がありありと浮き上がる。
 黙す青年は飲み食いの姿勢を見せなかった。彼が暇そうにするのをいいことに、実澄は手ごろな疑問を投げかける。
「そういえば、どうしてあの店員さんが銀くんを怪しんでるとわかったの?」
 入店時に店員がビビる様子こそあったが、よからぬ推測をぶつくさ言った覚えは実澄にない。しかし青年は「聞こえた」と事もなげに言う。
「厨房に隠れれば客に聞こえないと思ったのだろうが──」
「そんなに耳がいいの? ほかのお客さんだってしゃべってるのに」
「やろうと意識すれば特定の音を抽出できる」
「じゃあなに、店員さんの陰口を聞いたから文句を言いにいったの?」
「陰口で終わるなら放っておける。電話をかけそうだったから止めさせた」
「警察に電話を?」
「おそらく違う。友人に確認しようとしたのだろうが、そこからどう状況が変わるか予測できなかった」
「電話相手の人が警察に連絡するかも、て感じに?」
「その通り。ミスミは理解が早いな」
 前触れなく褒められた実澄は少々照れた。するとレイコが首をかしげて「ケーサツ?」と会話に加わる。
「あたしたち、わるいことしたの?」
「してないのよ。悪い事をしてる人じゃないかと勘違いされたの」
「だからさっきのおねえちゃん、へんなこと聞いてきたんだね」
 実澄は店員の質問内容が気になった。だが蒸し返すメリットはないと判断して話題を変える。
「それにしても銀くんの聴力はすごいのね。そんなラジオの選局みたいなこと、普通はできない」
「そうか。私は訓練を積んだから、やれている」
「なんのための訓練?」
「戦闘」
 青年の体躯を見れば武芸家は妥当なところだ。だが一般的な武術において、そのような研ぎ澄まされた聴力が必要になるだろうか。実澄は武道に詳しくないながらも不思議に思う。
「普通の戦いじゃ、そこまで耳の良さは求められないと思うんだけど……」
「私の師匠は普通じゃなかった。それだけのことだ」
「曲芸じみたことを教える人なの?」
「……そう捉えてもいい」
「ほかにどんなことを教えてもらった?」
「武術という武術はだいたい……」
「それは自分から師事したの? それとも周りがそうしろって?」
「両方だ。私の大切な方が『学べ』と命じて、私は教えを乞いに放浪した」
「戦う方法を身に着けるためだけに?」
「戦闘技術以外にも学んだ。読み書きのほかに算術、薬学、医術──」
 実澄は青年が思った以上に英才教育を受けているように感じ、「そんなに?」と驚嘆した。青年は「大したことじゃない」と謙遜する。
「義務教育で習う、算数や理科と似たようなものだ。専門家の域には及ばない」
「でも、お薬の知識なんて習わないわ。銀くんは病人や怪我人を治療できるの?」
「必要にせまられれば、やる。他人に任せられるならやりたくはない。疲れる」
 「疲れる」という言葉に実澄は引っ掛かった。レイコをずっと抱えていても疲労を感じなさそうな彼に、不似合いなセリフだと思う。
「うーん、その疲れは体力的な疲れとはちがうもの?」
「気疲れに近い」
「まあそうよね、他人の体を診るってことは簡単じゃないもの」
「それと私は今でこそ力加減ができるが、昔はちがった」
 青年が自身の手のひらを見つめる。
「私は、物心ついた時から馬鹿力だった。この手は簡単に人を殺せてしまう」
 彼の体格ならば誇張表現ではなさそうだ。実澄は青年の告白を静かに受け止めた。
「人と触れる時はいつも『死』を感じる。私の気の迷いで、失うはずでなかった命を奪うのではないかと、不安になる」
「不安を感じながら人と接するから疲れる、ということ?」
「そうだ。杞憂だと思われればそれまでだが」
 実澄は彼の心境を取り越し苦労だとは思えなかった。彼は熊を素手で倒せそうな青年である。身体的には熊が彼の下位にあたると仮定して、熊が人間と接する場面を見たらどう感じるか。いつ人間が傷を負うかヒヤヒヤするだろうことは想像に難くない。そしてそのヒヤリとする実体験は実澄にもある。
「んー、わたしは見ての通りのヘナチョコだから……筋肉ムキムキな人の心配はよくわからない。でもね、『ヘタに触れると壊れそう』だと思ったものはあるの」
 実澄はプリンをつつくレイコに視線を落とす。
「生まれたばかりの子どもは首が据わってなくて、抱っこすると頭がグラグラするの。銀くんは知ってる?」
「……知識としては、知っている」
「皮膚が薄くて、なんでもないことで血がにじんじゃったりしてね。肌を掻いても傷つかないようにちっちゃな手袋をさせて……気をつけることはたくさんあった。そういう心配と似てるのかしら?」
「……わからない。そんな高尚なことと同じにしてはいけない気がする」
「高尚? 子どもを育てることが?」
 実澄は若い男性には稀な考えだと感じた。ただ、それを口に出せば失礼な偏見に当たるかと思い、確認の言葉だけにとどめる。青年は「表現がおかしいだろうか?」と聞き返した。実澄は青年に笑いかける。
「そんなことない! 育ててくれた親がいるから、こうしてわたしたちが会えてるんだもの。すばらしいことよ」
「そう、か……」
 青年は窓の外を見つめた。雪がまだ降っている。実澄は内心、この降雪を口実にしておけば店にいられそうだと思った。
(銀くんは無口そうに見えてもけっこう喋ってくれるし……夕方のチャイムまでここにいる?)
 実澄は店員との悶着後の鬱々した気分がどこかへ行ってしまい、次なる青年への質問をひねり出そうとした。

タグ:実澄

2017年10月27日

拓馬篇前記−実澄5

「ね、銀くんの親御さんはどんな人か、聞いていい?」
「私を生んだ親……はわからない」
 孤児──この質問はまずかったかな、と実澄は後悔した。
「だが育ての親……のような方はいる」
 青年はそれまでの会話と同じ調子で自己紹介している。己の出自に引け目を感じていないらしい。実澄は気を取りなおして会話を続ける。
「その人が『勉強してこい』と言ったの?」
「そうだ。その方は、人前に出られる姿じゃなかった。それで私を単独で人里に向かわせた」
 人に見せられない姿──実澄は包帯でグルグル巻きにされた人間をイメージした。
(レイコちゃんに聞かせたらよくない話も出てきそう)
 聞けば聞くほど複雑な経歴が掘り出される青年だ。この話には彼が言いにくそうにする素振りがないものの、膨らませるのは物騒かもしれない。実澄はもう少し自分が話しやすい話題を考える。
(親……子……あ、あれが使えそう)
 実澄は自分の鞄の中をさぐった。ポケットティッシュにサンドされたガラスの小瓶を見つける。それをテーブルに置いた。小瓶には細長い紫色の水晶のかけらが詰まっている。レイコがスプーンを持ったまま「それなに?」と尋ねた。
「これはわたしが娘に贈ったお守りのかけら。はじめはもっと大きなアメジストだったんだけどね」
「ほうせき?」
「うん、宝石。でも壊れちゃった。これが娘を守ってくれたと思うと捨てるに捨てられなくて。こうして持ってる」
「ちっちゃくても、きれーだよ!」
「もっと見てみる? かけらは尖ってるから、瓶に入れたままにしてね」
 レイコは食器を手放した。空いた手で小瓶をいろんな角度からながめる。
「これがどうしておまもりになるの?」
 実澄が答えようとしたところ、「宝石には力がある」と青年が代弁する。
「昔からそのように言い伝えられてきた。ミスミ、この紫水晶にはどんな力がある?」
「紫水晶は魔除けの石なんだって。病気にも効くらしいの」
「ミスミの子は体が弱いのか?」
 実澄は言葉につまる。想定した流れとは異なる質問を受けたせいだ。しかし、もともとは自分からこの会話に持っていこうとした。なのになぜ、迷いが生じるのか。
 さらりと「そうなの」とすますか、心ゆくまで打ち明けるか。その対応の差は、相手への信頼の差でもある。自分が一方的に話すのなら、前者のフラットな言い方でよいと思ったのだ。それが青年から問われると後者でなくてはいけないように感じる。青年はすでに彼自身の繊細な事情をいくつも述べた。もはや表面上の交流を徹底しなくてもよい相手ではなかろうか。
「……わたしの子どもはみんな体が弱くって、産まれるまで元気が持たない子や、産まれても早く旅立ってしまう子が多かった」
 レイコに配慮し、直接的な表現を避けた。実澄はその身に宿した命を振り返る。
「最初に生まれた子は男の子で、すくすく育ってたんだけれど、なにがいけなかったのか……急に神さまに連れていかれた。そこからね、ずっとわたしのそばに死神が張りつくようになったの」
 子の夭逝、流産、死産。それらが続き、いつしか実澄は比喩でなく死神がいると思っていた。それゆえ効果の不確かな護符や天然石にすがった。
「今いる娘も、本当は二人のはずだったの。先に産まれてきた子は息をしてなくって、そのまま……」
 産声がなかった時の落胆。また命の抜け殻を抱く恐怖。慣れたくはない出来事を思い出すと実澄の鼻腔がつんとした。
「でも、もう一人の子は元気に育ってくれた。元気すぎるくらい」
 暗い死の過去を終わらせ、実澄は明るい生の現在を語る。
「よく、危ないことをしでかして、学校の先生に叱られるみたい」
 それは最近聞いた話だ。危険ではあってもその行為に救われた人もいるというから、実澄は「先生を困らせないようにね」と軽く注意するだけにした。
「わたしだってあの子が大和撫子になるようにがんばったのよ? 生け花とかお裁縫とか女の子らしいことを学ばせて……ケガをしやすいことには関わらせなかった」
 娘の幼馴染は武道を学んでいた。その影響で娘も同じ道場に行きたがった。夫は賛同したが、実澄はかたくなに拒否した。なにかの拍子に、娘を失うかもしれないと恐れたせいだ。事例は少ないとはいえ武道練習の最中に命を落とすことはあるのだ。
「でも、子どもは親の思い通りにならないものね」
 娘は隠れて武術を習っていたのを実澄は知っていた。指導したのは娘の幼馴染と、夫の友人。彼らの厚意まで拒むのは行き過ぎだと自覚し、黙認している。
「あれがあの子の個性なんだから。生きていてくれるだけでありがたいの」
 諦観とはちがう、新しい心境だ。その境地にいたるまでに何年かかったか、もはや覚えていない。実澄は自分の度量が一回り大きくなった実感が生じた。
「個性……か」
 青年がつぶやく。実澄は「どうかした?」と尋ねたが、彼は首を横に振るだけだった。
 実澄の話に聴き入っていた青年がおもむろに帽子を取る。なんだろう、と実澄はじっと観察した。彼は首にかけたチェーンを服の下から出す。隠れていた鎖の輪が、頭からくぐり抜けていく。彼の長めな銀色の襟足もつられて持ちあがった。その輪には白い宝石のついた指輪がぶら下がっている。
「……私の親にあたる方は、私にこれをくれた」
 青年は装飾品をテーブルに置いた。指輪の宝石には矢印のような紋様が入っている。その紋様は石の中に刻まれたあった。
「変わった宝石ね、どうやって中に模様ができたのかしら?」
「わからない。私が生まれ出る前に造られたものだ」
 青年は指輪をレイコの手元に寄せた。「触っていい」と彼が言うと、レイコは指輪と鎖をうれしそうにいじり始めた。女の子は光り物が好き、という傾向は普遍的なようだ。
「その模様は持つ者に勇気を奮い立たせ、白い石は生命力を与えると言われる」
 勇気と生命力──効能こそちがうが、実澄は娘に贈った紫水晶と似ていると思った。「こうなってほしい」という親の願いがこもった贈り物だ。
「勇気を持った、丈夫な子……男の子にはピッタリね!」
 青年は実澄の感想について意見しなかった。ただその表情には驚きと希望が見え隠れしたように実澄には感じられた。

タグ:実澄

2017年10月28日

拓馬篇前記ー実澄6

 実澄はレイコの興味から外れた小瓶を手に取る。
「どこの親も願掛けはするのかしら。銀くんがその指輪にこめた想いのままの子に育ってくれて、親御さんは喜んでるでしょうね」
「そう、ならいいが……私は、あの方の期待に応えていないと思う」
 青年はまことにそう感じているようで、声色がすこし沈んだ。実澄は彼をそんなふうに落ち込ませる存在に反発心が湧く。
「そんなのゼータクな話よ! あなたは優しくて素直だし、努力家で──」
「ミスミがそう思っているだけだ」
「優しくない人が、ベランダから落ちる子どもを助ける? 素直じゃない人が、こうして悩みをさらけ出すと思う?」
 青年は答えない。彼の認識にブレが生まれているのだろう。実澄は自己肯定感の低い相手に畳みかける。
「親御さんが指示したから、いろんなことを勉強したんでしょ?」
「……そうだ」
「それで、曲芸みたいな音の聞き分けだってできるようになったんでしょう?」
「……一応は戦闘技術の一環だ」
「なんでもいいわ、普通の人ができっこない技よ。その習得は簡単じゃなかったと思うけれど、どうだった?」
「ああ、難しかった。ほかにも『覚えが悪い』とよく叱られた」
「それでも、できるように努力したのよね」
 青年が頭を上下にゆすった。実澄はそれを肯定と受け止める。
「あなたにはいいところがいっぱいあるじゃないの。ほかになにが足りないっていうの?」
「欠けた能力の特定は、難しい。それでも、あの方が満足していないことはわかる」
 実澄は青年と年齢の近い別人を連想した。以前に自宅で面倒を看ていた若者だ。彼は親の過大な期待を受け続け、その重荷に耐えられずに家を出た。その人物は実澄からすれば、とても真面目で辛抱強い子であった。
「知り合いにいるわ、親が自分勝手な望みを押しつけてきたという人。親は『不出来な子だ』ときつく当たってたみたいだけど、それはちがう。二人のやりたいことや得意なことが合わなかっただけ……」
 実澄はわが子に強制した習い事の数々を顧みる。茶道や華道を習わせて、娘は楽しんでいたか。娘の希望通りに武道の稽古に行かせたほうが充実できたのではないか。
「わたしも、子どもに自分のわがままを聞かせてしまったから、ちょっとはわかる。『あの子はあの時、本当はああしたかったんだろう』って」
 娘はペットを飼いたいと言ったこともあった。幼馴染の家には犬がおり、娘はその家庭をうらやましく思ったからだ。実澄はペットが先に逝く悲哀を最大のデメリットとして挙げ、「悲しい思いはしたくないでしょ?」と娘を説き伏せた。しかし本当に娘を想っての決定だったか。愛する者が肉塊と化す瞬間を目の当たりにしたくなかったのは──ほかならぬ実澄だ。自分の意思をさも娘のためだと騙る。それがまことに娘に益をもたらすのか、娘自身が決めることなのに。
「子どもがやりたがったことを否定してきておいて、一つも悔やまない親なんて人でなしよ。『あなたのためだからこうしなさい』と言いくるめていても、それは自分のためでしかないんだから」
 みずからが犯してきた詭弁だ。その罪に気付けない親が世の中にどれだけいることか。
「だからね、銀くんは……親御さんのことが大事なのはわかるし、その気持ちはすばらしいんだけど……自分がやりたいことをやれているの?」
「わからない。あの方の願いを叶える以外の、私のしたいことは……」
 青年の視線がレイコの手中の指輪にいく。この場において、あの指輪が彼の育ての親を象徴するようだ。
「じゃあ、親御さんがよろこぶことをしている時は楽しい?」
「半々……だが今では……」
「楽しくないの?」
 青年はうつむく。うなずいたようでもあるが、はっきりしない。彼はこれまでハキハキと答えてきた。言葉を濁すのはやはり、心にないことを強いられているからではないかと実澄は感じる。
「その調子じゃ、親と自分のどちらもダメになっちゃうかもしれない」
「あの方も、ダメになる?」
「そう。もし親御さんがあなたのやりたくないことを無理強いさせているんなら、断って。そのうち無理がたたって、あなたの心が弱ってしまう」
「心……?」
「心がくじけたら、親御さんの望みを叶えてあげられなくなる。それだと二人とも困るでしょう? だからお互いに『こうやりたい』と主張し合って、二人が納得のいく方法を見つけたほうがいい。わたしはそう思うの。でもわたしは銀くんの親御さんがどんな人だか知らないから、このアドバイスはまちがってるかもしれない」
 実澄は紫水晶のかけらの入った小瓶を青年寄りにテーブルに置く。
「この小瓶は銀くんにあげる。これを見て、誰かがこんな説教をしてたと……思い出してくれればうれしい。わたしがどんなに熱っぽく喋ったって、決めるのは銀くんだからね」
 青年が小瓶をそっと握った。大きな手に包まれると小瓶はいっそう小さく見える。
「……娘のお守りなんだろう?」
「いいの。娘はもう元気すぎるくらいだもの。無いほうが落ち着いてくれるかも」
 実澄がにこやかに冗談を言うと、青年の表情もやわらぐ。
「……わかった。もらっておく」
 青年は小瓶を上着のポケットに入れた。ふいに「いいなぁ」と甲高い声があがる。
「あたしも、ほしい」
 レイコが鎖の通った指輪を小さな指に入れた状態で言った。彼女は宝石類をうらやましっているが、実澄の手持ちにはない。
「うーん、レイコちゃんの分はないの……あ、そうそう」
 実澄はレイコたちと会う前に訪れた店を思い出した。一人で利用するのはどうかと思い、あきらめた体験サービスがある。
「アクセサリーを作れるお店があるの。図工は得意?」
「うん、トクイ! どんなものを作るの?」
「キーホルダーとか、ペンダントね。銀くんの首飾りでいえば指輪の部分を作るの」
「おにいちゃんの、ゆびわ?」
「やってみる?」
「うん!」
「それはよかった。銀くんもどう? 三人が会った記念に」
 青年は「細かい作業は苦手だ」と渋る。
「同行するだけならかまわないが」
「ええ、それでおねがい。……ほら、こんな感じでイヤだと思うことは『イヤだ』って、親御さんに言うのよ?」
 一瞬、青年がハッとしたように目を見開いた。そしてかすかに笑い、「わかった」と答えた。

タグ:実澄

2017年10月29日

拓馬篇前記ー実澄7

 実澄たちは一時間近く喫茶店で過ごした。店を出ると外は薄暗くなっていて、街灯がともりはじめる。雪は止みつつあったが寒さは増していた。
 青年に抱えられたレイコは寒そうに体をちぢこめている。実澄が貸したニット帽子とマフラーだけではレイコの体、特に足は寒さをしのげない。実澄は少女を心配し、彼女が履く靴下をなでた。数分前に暖かい店内にいたというのに、温かさはもう感じない。
「アクセサリー作り、やめましょうか……お家の人が帰ってきてるかもしれないし」
 実澄は自分で発した言葉によって、あらたな気がかりな点が浮き彫りになる。レイコの保護は実澄が勝手にやっていること。その旨を誰にも伝えていない。予定より早くレイコの保護者が帰宅した場合、いるはずの子どもが不在であれば慌てるに決まっている。その手落ちに今になって気付いた。レイコのいた部屋の玄関にでも書置きを残すべきだったのだ。
 実澄が失態を感じているとは露知らず、レイコは「えー」と嫌がった。彼女はまだ遊んでいたいらしい。その思いを実澄はむげにしたくないのだが、一度マンションに戻らねば気が済まない。
「ミスミ、少しだけレイコを預かってほしい」
 青年がいきなり実澄にレイコを差し出してきた。
「どこに行くにせよ、レイコのこの格好は良くないんだろう?」
「ええ、そうだけど……」
 実澄は青年に言われるままにレイコを抱き上げた。ずっしりとした重さは何年も前に経験したものと似ている。子どもにすべてを託される責任と充実感が再来した。
(うれしい、けど……やっぱりキツい)
 この状態を十数分と維持するのはやはり無理、と実澄は自身の非力さを痛感した。
 身軽になった青年は黒いジャケットを脱いだ。もともと見えていた群青の半袖シャツの下に灰色の長袖インナーがのぞく。その格好は春か秋での適切な格好だ。
「この上着をレイコに着させよう。マフラーは足元にくるめば、なんとかならないか」
「でも、今度はあなたが──」
「寒いのは平気だ。この程度で参るようなヤワな体じゃない」
 青年が着るインナーは彼のたくましい体のラインを浮き上がらせている。頑丈にはちがいないという説得力があった。
「うん……ありがとう」
 実澄は青年にレイコを預けた。その際にマフラーを取る。レイコの体温が残るマフラーを、彼女の膝から下の部分に巻いた。ずり落ちないよう、膝に近いほうのマフラーの端を折り返す。
「レイコちゃん、寒くない?」
「うん、あったかい!」
 黒の上着ですっぽり包まれたレイコが元気よく答える。急場の防寒対策はやり終えた。
「ね、お家の人がマンションにいるかどうか、一度見てみましょうよ」
「いたら、おわかれ?」
 レイコは名残惜しそうにたずねる。実澄は不確実な可能性を挙げることにした。
「もし親御さんが『いいよ』と言ってくれたら、お店に行きましょ」
「おかあさんが……いうかなぁ」
「ところで、何時まで遊びにきたお家にいられるの?」
「おとまりするの。だからなんじでもいい」
「そう。だったらレイコちゃんのお母さん次第ね」
 レイコは「むー」と不満げな声を鳴らす。どうも彼女の母親は実澄ほどゆるい人物ではないようだ。
 三人は来た道をもどることに決めた。だが数歩進んだところで青年が足を止める。彼は後方を振りむく。
「あれは、レイコの知り合いか?」
 ランニングをしているかのように走る女性がやって来た。だがその服装はとても運動用には見えない。動きにくそうな、裾の長いコートを羽織っている。
「銀くんはどうしてそう思ったの?」
「あの女性が『レイコ』と何度もつぶやいているように聞こえた」
 それを聞いたレイコは「おかあさん?」と声を張り上げた。急いでいる女性が立ち止まり、「レイコ?」と聞き返す。
「レイコ! なんで部屋で待っていないの?」
 女性が駆けてくる。実澄と青年の顔を交互に見て、「あなたたちは?」と不審そうに質問した。実澄はほがらかな笑顔をつくる。
「わたしたち、レイコちゃんを預かっていたんです。この子、マンションの部屋にもどれなくなっていて」
「どうして? あそこはオートロックもないのに」
 女性は見るからに警戒心をあらわにする。実澄は喫茶店の店員が「人攫い」と疑ってきた苦い体験を髣髴した。経緯を説明しても信じてもらえなさそうな雰囲気の中、青年は「レイコがベランダから落ちた」と言う。
「野良猫を触ろうとして、ベランダの柵を渡った時に転落した。そこで私たちが保護した」
「猫? そんなはずない。あの部屋には飼い猫がいる! その子と遊びたいからレイコは出かけなかったのに」
「貴女がどう思おうとそれが事実だ」
 青年の堂々とした態度を前にして、女性は威勢が削がれる。女性が「本当なの?」とレイコに聞いた。レイコはこっくりうなずく。
「ほんと。だって、あのおうちのネコちゃんはにげちゃうんだもん」
 レイコがおびえたふうに答えた。女性は肩をいからせて「バカ!」と一喝する。
「だからってベランダに出ちゃダメでしょ! 危ないって言ったじゃない!」
 くぅん、と犬のような悲しげな声をレイコが出した。
「電話をかけてもぜんぜん出ないから来てみたら! バカなことして他人様に迷惑かけてたの?」
「えぅ……」
 レイコはいまにも泣きだしそうだ。実澄は女性の叱責をもっともだと思いながらも、その仲裁をする。
「それくらいで充分だと思いますよ。レイコちゃん、もう柵にはのぼらないよね?」
「……うん。しない」
「危ないこと、やらないもんね?」
「うん」
「うん、いい子」
 実澄はレイコの頭をなでた。ニット帽子のてっぺんに付けた房がゆれる。レイコの母が「それ……」とつぶやく。
「あなたたちが、この子が寒くならないようにと、貸してたんですか?」
「ええ、そうです。ありあわせのものですけど」
 レイコの母は上着を着ていない青年を見、頭を深く下げる。
「すいません! いろいろ娘によくしてもらったのに、疑ってかかったりして」
「いいんです、娘さんを大事に想ってのことだと思いますから」
「そう、でしょうか……?」
 双方のわだかまりが解け、青年が「どうする」と実澄に問う。
「この場でレイコを引き渡すか? それとも私がマンションまで送るか」
 レイコは「え……」と小さな抗議をした。実澄はレイコの母に少女の思いを伝える。
「あの、これから雑貨屋さんでレイコちゃんとアクセサリーを作る約束をしたんです。約束を守らせてもらってもいいでしょうか?」
 レイコの母は戸惑う。娘に「したいの?」と聞くとレイコはひかえめにうなずく。
「ねえ、おねがい。もうミスミとおにいちゃんにあえないかもしれないから……」
 レイコは声をふるわせつつ懇願した。レイコの母が深いため息をつく。
「そのお店、なんて名前で、どこにあるんです?」
「え?」
 実澄とレイコの声が重なった。レイコの母がぽりぽりと頭をかく。
「あとで迎えに行きますよ。レイコの上着と靴を持って!」
 恥ずかしそうにレイコの母が言い、レイコは「おかあさんだいすき!」と屈託なく答えた。

タグ:実澄

2017年10月30日

拓馬篇前記ー実澄8

 実澄がレイコに手作りをすすめたのはレジンアクセサリーだった。雑貨屋では既製品が陳列され、その片隅に曜日限定の体験コーナーが設けてある。そこで特製の樹脂小物を作るつもりだったが──
「これ、かわいい!」
 レイコは出来合いのものに一目ぼれした。猫の顔を模した金色の空枠にレジンを注いだペンダントだ。レジンで描いたイラストにヒゲは無く、顔の下半分が白っぽく、簡略化された口だか鼻が細長い逆三角形になっている。そのデザインはミミズクのようにも見えた。そこがレイコには「かわったネコちゃん!」だとして希少価値を見出したらしい。売り物をレイコが気に入り、購入する方向性で落ち着いてしまった。
 買うだけでは実澄は物足りなかった。別種の体験コーナーにはほかにマグカップの絵付けがある。利用客はおらず、すぐに着手できそうだ。
「ねえ、カップに絵を描いてみない?」
 青年が「私にデザインのセンスはない」と嫌々ながらも合意を得る。急遽カップ作りを進めた。作業台の座席につき、三つの白いカップに平等に三人の手を加える。レイコは思ったままに動物やオレンジ色の太陽などを描き、実澄は店にあるイラスト見本を見ながらレイコがつくった空白に絵を描き、絵がヘタだと主張する青年は文字を書いた。アルファベットで、カップの裏底には三人の名前を記し、それぞれのカップの持ち主となる者の名前をコップの最下段に書く。そうしてオーブンレンジによる焼き付けを待った。待ち時間は三十分。三人は最後の雑談をした。思いのほか、青年が一連の体験について興味を示す。
「焼き付け……というと専用の窯を使うのかと思った」
「それは本格的なお店ね。ここは家庭でもできることをやるの」
「ミスミは家でやれない事情があるのか?」
「道具をそろえるのがね……一回やっておしまいにするなら、こういうお店でやったほうがお手軽でしょう? 余った専用のペンや絵の具の処分にも困るし」
「そうか、道具の片付けと管理が問題か」
 青年は整理整頓の観点で実澄の考えに同調した。「片付け」の単語が出ると、それまで上機嫌だったレイコがしょんぼりする。
「おかたづけ……してない」
「あのマンションの部屋のこと?」
「うん、本とかおもちゃ、ちらかったまま……おかあさんにまた、おこられる」
 レイコは作業台にあごをのせる。これからくるであろう叱責を思うと気分が落ちこんでしまった。実澄はそのわかりやすい感情の変化が愛らしいと感じる。
「だいじょうぶ、お母さんはレイコちゃんがお片付けできなかった理由をわかってるもの」
「そうかなぁ……」
「それにね、お母さんが叱ることには良いこともあるの」
「ほんとに〜?」
 レイコは頬を机にくっつけ、疑いのまなざしを実澄にそそいだ。
「本当。レイコちゃんはこうして元気でいるけれど、これって奇跡なのよ。銀くんがいなかったら大ケガをしてた。いまごろはたぶん『痛い痛い』と言って、ずっと病院のベッドで寝てたのよ」
「いたいの、ヤダなぁ」
「だけどお母さんが真剣に叱ってくれたから、もう危ないことはしないと思えるのよね?」
「うん、こわいもん」
「ほら、レイコちゃんは大ケガをしないですむ方法を見つけたでしょ。お母さんの言い付けを守るから、ケガをせずに元気でいられるの」
「でもミスミ、おにいちゃんにはちがうこといってなかった?」
 たしかに実澄は青年に「親の言うことばかり聞いてはダメ」といった話をした。なかなか鋭い指摘だと感心する。
「いいツッコミだわ。それはね、銀くんがもう大人だからよ。なにをしていいか、悪いかを一人でも考えられる年頃なの。このぐらい大きくなったらね、親の言うことをつっぱねちゃってもいいの!」
「いいの? おかあさんやおとうさんにきらわれない?」
「ちょっとカゲキなことを言うけどね、嫌われてもいいとわたしは思う。子どもはいずれ、親から離れていくものなんだから」
「あたし、はなれたくない……」
「レイコちゃんはあと十年くらい、ご両親と一緒にいたらいいでしょうね。十年経った頃にはきっと、物事の善し悪しがわかってくる。レイコちゃんは賢いから」
「えへへー」
 褒められたレイコが機嫌を直し、しゃきっと背を伸ばした。靴のない足をぶらぶらさせる。きょろきょろと周りを見て、自身の母を見つける。
「あ、おかあさん!」
 レイコは靴がないのをおかまいなしに床を駆けた。すると「あー、汚いでしょ!」と母の叱りを受ける。レイコはにっこりした顔で「ごめんなさい」と謝った。

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