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2018年08月04日

拓馬篇−10章3 ★

 拓馬は狐を抱え、職員室前を通り過ぎた。ヤマダを置いてきた空き教室へもどる道中、またも化け物連中が出現する。ただし一体二体がちらほら通せんぼする程度だ。その脇を危なげなくすりぬけて行った。
(なんでさっきだけ、かたまってたんだ?)
 最短ルートは通行止めをくらった。五、六体の異形がその体を盾にしてきたのだ。この現象は単なる偶然ではないように思えてくる。
(俺のジャマをする意味……時間稼ぎか?)
 拓馬が二階の空き教室へ帰還するのを遅らせたかった。そんないやがらせか、もしくは拓馬を疲弊させるつもりだろうか。
(セコいことしてくるんだな)
 持ってまわった仕掛けにめんどくささを感じた。
(まあいいや、いまはシズカさんと合流する!)
 拓馬は空き教室に到着する。戸の窓をのぞくと人影が見えた。毛先が外に跳ねた短髪、学生のような白い半袖シャツ、肩から提げた肩掛け鞄──それらの特徴を持つ人物と拓馬は直接会う機会はすくないが、見間違えることはない。これが拓馬たちの守り手だ。
「シズカさん!」
 拓馬は力いっぱいに戸を引いた。室内にいた若い男性は物柔らかな笑みで入室者を見る。
「拓馬くん、大変だったね。ケガはしてないかい?」
「大丈夫ですっ」
 拓馬は安堵と歓喜を押しとどめながら即答した。拓馬がシズカを観察したところ、彼は手に持った紙切れを見ていたようだった。ヤマダの無地のメモ用紙ではなく、罫線が印字された紙だ。拓馬はその紙がなんなのか気になったものの、先にもうひとりの仲間の姿をさがした。
 教室を見渡すとヤマダの荷物が机上に置かれている。しかし持ち主はいなくなっていた。
「あれ? あいつ、どこに……」
「おれはさっき着いたばかりだけど、この教室にはだれもいなかったよ」
「え……ヤマダがいたはずなんです」
 どこかに行ったのだろうか、と拓馬は心配になる。
(俺のメモ書き、気付かなかったのか?)
 拓馬直筆のメモが落ちてないかと思い、ヤマダが横になっていた付近の床を見る。白い紙は見当たらない。
「彼が連れていったらしい」
 シズカは持っていた紙切れを拓馬に見せる。罫線が引かれた紙には「体育館にて待つ」の一言が書きのこしてあった。その字は、シドのものと似ている。
「俺がヤマダを置いていったせいで……」
 拓馬は自身の選択が誤っていたのだとくやんだ。この教室に寄りつかないのは、下っぱの化け物のみ。連中を指揮する男には無関係なのだと、いまになって気付いた。
(ずっと体育館で待ってるんじゃないのか……)
 赤毛が校内をめぐっても大男または英語教師に遭遇しなかったという。なので、拓馬は勝手に、相手はラスボスらしく最深部に閉じこもっているのだと思っていた。
「その子を捜してくれたんだろ? きみはわるくないさ」
 シズカは拓馬の腕に抱かれた白い狐を受け取る。
「それに、彼はおれにも用事があるんだ。おれが行くまではヤマダさんに危害を加えないと思うよ」
 シズカが狐をなでながら言う。するとぴくりともしなかった狐が目を開ける。そして霧のごとく消えた。
「あ、キツネが……」
「ツキちゃんには一足先に帰ってもらった。いまは弱ってて、一緒に戦えなさそうだ」
「ほんとに生きてたんだ……」
「ああ、この子なら……大男さんにつかまっても殺されはしないと思ってたからね」
「?」
「彼、動物が好きなんだよ。とくにキツネは彼の故郷にいたんで、愛着があるらしい」
「動物好き、か……」
 シドも拓馬の飼い犬相手に愛情をもって接していた。いよいよもって同一人物の確信ができあがっていく。
「やっぱ先生なのか……」
「それを確かめるためにも、体育館に行こう」
 シズカは肩掛け鞄から細長い紙を出した。変な字形の漢字が書いてある。
「それ、おフダですか?」
「そう。異界限定で使える道具だ。この世界にもどってから自作してみたけど、なにも効果が出なかった」
「ここなら使える……と?」
「ああ、異界に近い空間みたいだからね」
 シズカは目を閉じて深呼吸する。これから使用する札はどういう性能なのか拓馬は知らされていないが、彼のすることならきっと意味のあることだと信じた。

 拓馬は移動の準備のため、ヤマダの荷物を持った。さきほど拓馬がヤマダを置いていった際に拓馬が散らかした文具類はリュックサックに収納されてある。七つのピースの置き場も、拓馬が取り出すまえの位置にもどっていた。おそらくヤマダが片付けたのだ。言い換えれば、ヤマダは意識のある状態でシドに連れ去られたことになりうる。
(こわかっただろうに、そばにいてやれなかったな)
 拓馬が教室にいたとしても、あの教師にかなう見込みはゼロ。そうと頭でわかっていながら、自分が友人を守るために善処しなかったことをくやんだ。
 気落ちする拓馬の周りに、もくもくと煙が出てきた。シズカを見ると、彼の持つ札が焼け焦げている。札の上部から徐々に黒くなり、塵と化していた。その塵から色のうすい煙がやおら出て、二人をつつむ。
「この煙はなんです?」
「足が速くなる効果がある。ちゃんと効いてるか、ためしてみよう」
 シズカが廊下に出る。数メートル先に異形が、複数うごめいていた。
「おっと、こんなに歓迎してくれるんだね」
「あいつらニブいんで、逃げきれますよ」
「よし、それじゃ体育館までダッシュで案内してくれるかい」
 拓馬は快諾した。リュックサックを背負い、走り出す。床を蹴る感触がさほど強くないにも関わらず、一歩一歩の進む距離が長かった。野生動物のように軽やかに走れている。拓馬の後ろを追うシズカが「ちゃんと効いてるね」と満足げに言った。
 二人は階段を駆け下りる。階段にも黒い連中はいたが、それらを跳びこさんばかりに駆け抜けた。
「こんなに亡人がいるなんて、びっくりだな」
「もうじん?」
「この黒い生き物のことだよ。異界では亡人が人を襲う事件がたびたびあったんだ」
「凶暴なんですか?」
「それがどうとも言えない。おれには亡人の知り合いがいるんだが、そいつはやさしくて気のいいやつだよ」
「個体差があるってことですか?」
「そうかもね。だから、一概にわるい生き物だとは言えないんだ」
 シズカは異形に理解があるようだ。それを聞いた拓馬がひそかに安心する。
(やっぱり、あの子がビビるような人じゃない)
 銀髪の少女は、過剰な自己防衛に走ったのだ。おそらくそれが司令塔の命令なのだろう。
(それはいいとして……解答、どうしよう)
 シズカの的確な補助の影響で、二人はすぐに体育館前に到着した。扉にはなお問題文の書かれた札がある。シズカが札の文字を指でなぞった。
「これは……向こうの文字か。こういう並びは見たことがないけど……」
「それ、スペルは英語なんです。問題は訳してあります」
 拓馬はリュックサック内にあるヤマダのメモ帳をさがした。メモ帳を見つけると、いま必要なページを開く。それをシズカに渡そうとした。そのときの彼は黒い丸薬を飲む最中で、両手がふさがっていた。
「なんの薬ですか?」
 シズカがペットボトルの水で丸薬を押し流した。口の中が空になった彼は「回復薬だよ」と言う。
「友だちをよぶときに使う元気を、はやく取りもどすためのものなんだ。おれにとっての常備薬だね」
 シズカは拓馬が広げたメモをじっと見た。しばらくして彼がうなずく。それが「メモの内容を理解した」という合図だと拓馬は察する。
「あつめた七つのピースを問題の板にはめて、正しく答えられたら扉が開くみたいです」
 シズカは「なるほど」と納得しながらも、鉄扉を開けようとした。扉はびくともしない。
「おれがくればフリーパスになるかと期待したんだがね」
 ビップ待遇はしてくれないか、と冗談半分でシズカは残念がった。拓馬もその意見には同意である。相手方が必要とする役者はすでにそろった。いつまでも面会の場を封鎖する意味があるだろうか。
 シズカはそれきり問題を解く方向へ事を進めた。拓馬は文字の変換表を提示する。
「これの、丸のついた文字とアルファベットが、解答に使う文字で──」
 説明のさなか、拓馬は表の余白に注目する。ヤマダの字で書いた英単語があるのだ。その語句は表中に丸をつけた字で構成されている。しかしそれは六文字までの記述だった。拓馬はシズカと顔を見合わせる。
「あいつ、答えがわかったんじゃ……?」
「その答えをあてはめてみよう。解答に使うものは……」
 拓馬はピースを収納したリュックサックのポケットを開く。シズカは拓馬が開けたポケットに手を入れた。そこからピースを片手でつかめるだけつかむ。拓馬は作業効率を上げるため、のこるピースをすべて自身の手のひらに乗せた。
 解答をこころみるシズカの手際は良かった。拓馬ではいまだに文字の向きが熟知できていないのに、シズカは表を見なくても正しい向きに直せた。異界の文字が頭にインプットされているらしい。
 シズカが最後のピースに手をかけたとき、彼はそのピースの文字をしげしげと見る。
「のこり一個……入れてみようか」
 シズカはアルファベットの「A」にあたる文字の板をはめる。カチっと音が鳴った。鉄扉にかかった札は透明になって、消える。
「あー、答えが消えちゃったね」
 シズカが淡い落胆の声をあげた。
「なんて答えたんですか?」
「フォルトゥナという女神さまだよ。英語のフォーチュンの語源になってたと思う」
 拓馬はシズカが発声した英単語を最近見聞きしたおぼえがある。
「フォーチュン……?」
「『幸運』とか『運命』って意味だよ」
「あ、『グッドフォーチュン』!」
 追試会場の黒板に書かれていた激励の言葉だ。ヤマダが書きのこした六文字を見てみるに、それらはフォーチュンと綴りが同じである。そのことを知ったいま、拓馬は徒労を感じてしまう。
「黒板に書いてあった英文に、この答えをまぜてたのか……」
「最後のアルファベットだけ、スペルがちがうけどね。でもちがう文字がひとつだけならきみたちがチャレンジしてくれる、と彼は思ったんだろう」
 かぎりなく答えに近いヒントが、拓馬たちの目につく場所に用意してあった。その親切心が、拓馬にはすこし憎らしく映る。
「手のこんだヒントだな……フツーにはげましのフレーズだと思った」
「おなじみのセリフに偽装しやすい言葉を、答えにえらんだのかもね」
 シズカが「それで、だ」と真面目な表情になる。
「これでやっと体育館に入れる。……心の準備はいいかい?」
 拓馬はぎこちなく首を縦にうごかした。緊張するが、もたもたしてはいられない。先へ進まねば、もといた世界にはもどれないのだ。
 シズカはにっこり笑ってみせ、鉄扉を開けた。パッと見たところの館内は無人だ。運動器具もない。人気のない体育館に二人が入る。すると乾いた拍手が鳴りだした。音の出所は壇上だった。
posted by 三利実巳 at 02:00 | Comment(0) | 長編拓馬 

2018年08月03日

拓馬篇−10章◇ ★

 ヤマダが目を開けた。どこかの建物の天井が視界に映る。それがなんの建物なのかわからず、ぼーっとした。
 一秒一秒を経るごとに、寝起きのヤマダは直近の記憶がよみがえっていく。この場は異質な空間だ。ヤマダは古馴染みと新参の仲間と一緒に、大蜘蛛の怪物をどうにかしようとした。そんな危険な冒険を共にした相棒が、声をかけてこない。
「タッちゃん、どこ?」
 返事はなかった。床に寝ていたヤマダはむくりと上体を起こす。教室内に人の姿はない。拓馬はどこかへ行ったのだろうか。まずは椅子に座ろうと思い、床に手をつく。その際に紙にふれた。床に落ちていた紙は、自分が常日頃から使うメモ用紙だった。そこに拓馬の字で書かれた一文がある。
(ここで待っていればいいんだね……)
 メモによって事の次第をつかめた。拓馬の行き先はわかるが、そこへ向かうのは得策でない。もし行きちがいになれば拓馬に余計な心配をかけさせる。なにより、ヤマダは自分で思うほど本調子ではない。この空間で二度も昏倒したのだ。一度めは覚悟のうえで行なった結果だが、二度めはまったくの想定外。もし三度めが自分ひとりのときに発生したなら、命はないかもしれない。
(えーと、わたしのカバンは……)
 ヤマダは自分のリュックサックが手元にないのに気付き、その行方をさがした。私物は机上にある。立ち上がってその机に近づいてみると、さらに隣りの机上に自分の文具が散乱していた。
(タッちゃんが使っていったんだ)
 それらはヤマダへの伝言を書く目的にとどまらず、体育館前のクイズを解こうと苦心した様子もうかがい知れる。
(なぞなぞに飽きちゃって、キツネをさがしに行ったみたい)
 解答に必要なピースも机上に放置されている。これを失っては困るので、ヤマダはリュックサックのポケットにもどした。というのも解答に使う文字自体はすでにメモに控えてある。答えを考えるのにピースは必要でなかった。
(あ、そうだ……ここ、どこの教室?)
 ヤマダは自分の現在位置を把握するため、窓の外を見た。連絡通路がある。それは二階の教室からよく見かける景色だ。
(二階の……試験をやる教室かな?)
 連絡通路が見える角度的に、追試の会場となる教室だと感じた。その確認がてら黒板に注目する。そこには「Wishing you good fortune」と書かれてあった。追試の場でまちがいない。
「『幸運を祈る』……か」
 最初にその文を読んだときは、ごく普通の激励文だと受け流していた。いまでは一種の嫌味だ。怪物が住む学校に囚われていては、幸運もへったくれもない。
 あえて良かったことを挙げるとすれば、幼馴染が日常的に接する世界を垣間見れたこと。だがそれももう充分だ。もはや疲れてしまった。
(……へこたれちゃいけない)
 ヤマダは自身のうしろむきな思考を、反省する。
(タッちゃんはひとりでもがんばってるんだから)
 自分もなにかやらねば、と己を叱咤する。その発想にもとづき、ヤマダは体育館の扉の問題に取りかかった。問題にまつわる資料一式はすでに机上にある。拓馬が座っていたであろう椅子に、腰をおろした。
 最終問題で求められる答えは、幸運をつかさどる女神の名前。かつ、七文字の語句。
(『幸運』って……ラック以外にもあったね)
 解答に思い当たるふしがあり、黒板を再度見る。ヤマダはチョークで書かれた英単語のひとつに着目し、その文字数をひとつずつ数えた。ラックと意味が被る英単語は、七文字だ。
(あ、これかな!)
 これぞと思った英単語を、文字の置き換え表で丸をつけたアルファベットと見比べる。符合するアルファベットを順番に、表の余白に書いた。順調な筆運びだった。しかし六文字めを書いたところで手が止まる。
「最後のスペルが合わないや……」
 惜しいことに、ひとつだけピースと文字がちがう。
(最後の文字を変えたら……女神の名前になるってこと?)
 正答らしき単語が辞書に載っているか、確かめる。静かな室内でページをめくると、紙がこすれ合う音が明瞭に聞こえた。
 ヤマダが辞書を繰るうち、紙では発生しえない音も耳にとどいた。かつん、こつん、と高く乾いた音。その音は廊下から響く。
(タッちゃんがきたの?)
 ヤマダはぬかよろこびした。だがすぐに、拓馬があんな足音を出すだろうか、と冷静に考える。彼の内履きはスポーツシューズだ。あの靴裏のゴムでは、固いものを叩くような音は鳴らない気がする。
(え……じゃあ、だれ?)
 別人の到来を予想したヤマダは、大急ぎで持ち物を片付けた。これは室内の人の気配を消すためであり、逃走準備でもある。
 リュックサックを抱えながら、廊下側の教室の壁を背にして、しゃがむ。この位置なら教室の戸の窓から室内を見られても、発見されにくいと考えた。
 無人をよそおった教室内で、ヤマダは息を殺す。耳をそばだてたところ、足音がやんでいた。
(廊下でとまってる?)
 ヤマダは何十秒か様子をうかがった。物音はまったくしない。自身の衣擦れや呼吸だけが耳に入った。
(べつのところに行った?)
 これ以上、身をひそめていても進展がなさそうだ。そう判断したヤマダは壁からはなれる。その際、机より上に頭があがらないよう注意を払った。
 まずは教室の戸の窓を見上げ、そこになにもないのを確認する。次に廊下の様子を見に、教室前方の戸の窓から確認する。異物は発見できなかった。
(このへんにはいないのかな)
 身をかがめた姿勢のまま、戸をすこし開けた。そっと顔の半分を出してみる。廊下にはなにもいなかった。足音を鳴らした者はほかの教室に入ったか、べつの通路へ行ったかしたのだろう。
(人さわがせだねー)
 心臓によくないことを体験させてくれた対象に不満を抱きつつも、ヤマダは胸をなでおろした。安堵したヤマダは戸を閉める。謎解きを再開しようとして、うしろへ向きなおった。その途端──
「ひぎゃー!」
 と、ヤマダは情けない悲鳴をあげた。教室にいないはずの人影が、そこに立っている。
「亡霊でも見たような顔をしていますね」
 背後にいたのは、銀髪の英語教師だ。突然の教師出現に際して、ヤマダは我をわすれる。
「そりゃおどろくよ! ドッキリ映像だもん! いやホラー演出だよ、ゲームならCERO-B以上になるね!」
 正誤のわからないことを早口でまくしたてた。対する教師はほほえんで、首を左右にゆっくりうごかす。
「貴女のボキャブラリーは私の理解を超えます」
 落ち着きはらった態度だ。ふだん通りのシドの姿を見て、ヤマダは平静を取りもどしてくる。
「あの、先生は……なにしにここへきたの?」
 ヤマダは自分が発した質問でありながら、違和感をおぼえた。本来ならこの二階の教室で、追試を行なう予定だった。その監督者である教師が現れること自体は必然なのだが。
 女子生徒の困惑をよそに、男性教師はとびっきりの笑みを見せる。
「貴女を連れ去りにきました」
 ヤマダはぽかんとした。その宣言はとっくに果たされた行為だと思っていたためだ。
 ヤマダが呆然としているとシドも呆気にとられる。
「おや、今度はおどろきませんか」
「だってもう、連れこんでるよね。このヘンな学校に」
「これが私の仕業だと、貴女は思っていると?」
「うん、きっかけはこれ」
 ヤマダがスカートのポケットに手をつっこむ。職員室で入手した小瓶を、蓋と瓶の底を指で持ちながら出した。それはシドの仕事机の引き出しにあったものだ。
 小瓶には紫色の宝石のかけらが入っている。ヤマダはその割れた宝石の残骸を見つめる。
「これ、うちのお母さんが持ってたものだよね?」
 ヤマダは自分でもおどろくほど自然体で質問をはじめた。小瓶を発見した当初は、持ち主にどう問いただしていいやら混乱していた。
(こうなったら、腹くくるしかない)
 もう開き直った。この武闘派な教師と会ったが最後、逃げられはしない。だったらやれるだけのことをしてやろう、という捨て身の覚悟ができあがっていた。
「先生にはあげてないはずなの。先生がこの学校にくるまえに、お母さんがべつの男の人にあげたから」
 母が家族に話した内容では、その男性は小さな女の子の命を救った若者だったという。母が彼と話を深めていくうちに彼を気に入り、出会った記念として小瓶を渡したそうだ。また、その男性は父をしのぐほど体が大きかったとも聞いた。そして彼は、銀髪で、色黒の、青い目をした人だったらしい。
「その男の人が……先生なんでしょ?」
 教師と大男は体格が完全に別物だ。それをわかっていて、ヤマダは二人が同じ人物であると断定する。
「いまとはちがう、大男の姿で、お母さんと会ってた」
 並みの人間ではできない変装である。そんな荒唐無稽な話を是とする根拠は、エリーと名付けた化け物にある。
「……先生はエリーの、黒いオバケの子の仲間なんでしょう。……人間じゃないから、どんな姿にも変身できる。だってエリーが、わたしたちのまえで人に化けたんだから」
 ヤマダが一方的な質問を展開した。返答をはさめるだけの間隔をあけているのだが、聞き手の反応はない。
「あの子たちは人を食うって、ここで会った異界の人が言ってた。本当なの? 教えてよ、先生!」
 質問の締めにショッキングな内容をたずねた。正直なところ、その問いの返答は期待していない。ただ無反応をつらぬく相手の心をうごかしたかった。
 待望の返答は、せまりくる手のひらだった。ヤマダは反射的に背を向ける。やはり逃走はできず、大きな手がヤマダの首をつかむ。逃げようと前へ出した足は空振りした。
(うぅ……わかっちゃいたけど……)
 頸動脈を押さえられて、瞬時に死の恐怖が体中を走る。ヤマダは手にもつ荷物すべてを手放した。両手を使って、自分の首を絞める手を引きはがそうとする。懸命にもがくが、指一本とて離れる気配はない。力の差は歴然だった。
(このまま、負けたくない……)
 絶望的な苦境に立たされながらも、一矢報いてやりたい、という闘志がふつふつ湧く。しかしその思いを成就するだけの力がなかった。
 シドの右腕がヤマダを両腕ごと拘束した。そして彼の顔がヤマダの耳に触れる。
「貴女の思っていることがすべて真実だとしたら、どうしますか?」
 ヤマダの全身に鳥肌が立った。これは耳元でささやかれたことへの拒絶反応だ。
(ちかい! 悪寒がする!)
 このような不快な状況下において、唯一の安息がうまれた。ヤマダの首をつかむ手がゆるんだのだ。生命の危機を脱したおかげで、ヤマダの体のこわばりがいくらか解消された。
 ヤマダの首を絞めていたシドの左手が、徐々に顔のほうへ上がる。肌をすべっていく感触が、ヤマダの嫌悪感を最大限に増幅させた。
「助平! 色魔! けだもの! 色事師! 淫乱教師ーっ! わたしの体が目当てで、だましてたんだなーっ!」
 渾身の罵倒を浴びせた。暴言を吐かれた側はかすかに笑い「やはりボキャブラリーが豊かですね」と感心した。余裕綽綽な態度だ。
(くそっ、勝利を確信した悪党の余裕か!)
 言葉での反撃は効き目がなかった。そうこうしている間にも彼の左手はヤマダの顔にせまってくる。指輪をはめた人差し指が口元に近付いた。
(ええい、これが最終手段!)
 ヤマダはその指先に噛みつく。大抵、手をかまれた者はひるむ。その隙に逃げられれば、と一縷の望みをかけたが、手は遠ざからない。何度か噛みなおしてみる。手を噛まれた相手が痛がる素振りはない。
(だったら手加減しない! 噛みちぎるつもりでやってやる!)
 全力で噛もうとして口を開けた。すると指は口深くに侵入する。歯が指輪にがちっと当たった。指輪を噛んだせいでできた隙間に、中指も入る。二本の指で舌を押さえられた。
「貴女の指摘は半分正解で半分外れです」
 体中から、とくに口から黒い煙のようなものが立ちこめる。
「いまの私は貴女の肉体にみなぎる活力を必要としていますが、それが目的で人里にまぎれているのではありません」
 煙が放出していくにつれ、ヤマダの全身が脱力感に見舞われる。エリーと名付けた少女が人型へ変ずるにあたり、ヤマダが力を分けた時と同じ感覚だ。あの時も黒い異形に全身を抱えられ、口をふさがれた。
(これが、補給スタイル……?)
 口内に指を入れるのも力をうばう態勢だったか、と理解した時にはもう遅かった。立つ力を失い、化けの皮がはがれた教師に体をあずける。ヤマダの元気が失われたせいか、煙がうすれていく。そしてシドの手は口元を離れた。唾液にまみれたはずの指はぬれていなかった。
 混濁する意識の中、重いまぶたを閉じる。床をとらえていた足裏の感触が消えた。代わりに背中とひざ裏に重力を感じ、体の片側にぬくもりが伝わってきた。横抱きにされているらしい。
(どこに、つれてく……)
 そう聞きたかったが、声は出なかった。最後のあがきとして、握りこぶしをシドの胸に当てた。ずり落ちる拳の小指に、硬い感触がした。それは小さな宝石を三つあしらったネクタイピン。小山田家の亡き長男が将来的に使うために作られ、父の友人が父に贈ったものだ。現在は期限付きでシドに貸し出している。
(まだ、使ってるんだ……)
 自分が与えたものを、身に着けている──その事実はヤマダの胸にほんのり温かみを生じさせた。
「次に貴女が目覚めたとき……すべてが終わっています」
 廊下に響く足音にかさねて、男性の低い声が聞こえる。
「最良の結末が訪れることを祈りなさい」
 どんな表情で発した言葉なのか、もうわからない。その声色はどこまでもやさしかった。

posted by 三利実巳 at 23:00 | Comment(0) | 長編拓馬 

2018年08月02日

拓馬篇−10章2 ★

 防音部屋のような静寂さの中、拓馬は自分のすべきことを思い悩む。
(シズカさんを待つにしても、ぼーっとしているわけにいかないよな)
 この場でやれること。それは体育館の扉に設置してあった最終問題の答え探しだ。
(七文字の単語を答えるんだっけか……?)
 七つの解答用の小道具はそろっている。しかし解答は未着手だ。おそらくヤマダもまだ答えの候補を見つけていない。
(ちょっくら考えてみるか)
 問題の訳文のメモや、問題を訳す際に参考にした異界の文字一覧表などはすべてヤマダが所有している。それらは、ヤマダの枕として利用中のリュックサックに入れてある。
(枕代わりはやめとこう)
 気を利かせたつもりだったが、結果的に物事を煩雑にするだけにおわった。拓馬は「ごめんな」とつぶやきながら、そっとヤマダの頭を床におろす。彼女の荷物を持ち、席に着いた。必要な文具類一式を机にならべる。そのうちのリング式のメモ帳を開いた。パラパラとページをめくり、この場に関わる記載をさがす。ストンと折りたたんだ紙が机に落ちた。紙を開いてみると、それは異界の文字をアルファベットに置き換える表だった。文字に七箇所、丸が描いてある。
(この七文字……で合ってるか、いちおう確認しとくか)
 拓馬は現物の解答用ピースをさがした。文具類があった収納スペースには見当たらない。リュックサックの外側についた正面ポケットに硬い感触があり、そこのファスナーを開くと文字の書いたピースがあった。鷲づかみで机上へ取り出す。ピースの向きはなにが正しいのかわからないため、一覧表を見ながらととのえていった。
(丸をつけたところ……と対応してるな)
 次にこのピースを使って解くべき問題文のメモをさがす。一覧表をはさんでいたメモ帳に、記載があった。
(幸運の女神の名前……か)
 拓馬には心当たりがない分野だ。
(この答えはたぶん、和名じゃないよな)
 母音は「U」「A」「O」の三つ、母音のまえにつくべき子音は「F」「R」「N」「T」の四つ。「N」を「ん」と読むのなら子音と母音の数は合う。だが「ん」のつく四文字の女神は記憶にない。そもそも日本の神さまは長い名前が多く、四文字では足りない。
(日本で『幸運』っつうざっくりした運担当の神さまはいない気がするし……)
 運は運でも商売運であったり恋愛運、健康運なりと、日本ではよく細分化されている。神さまも分業しているのだ。
(やっぱ西洋か)
 外国の名前ならば、解答に必要とする子音はどれも母音なしで発音できる。どんな配列だろうと名前として読めそうだ。
(総当たりでためすとしたら、何通りになるんだろ?)
 拓馬は適当なメモ用紙を出した。数学でならった計算式を書いていく。
(異なる七つの文字を、一列にならべるのは、七の階乗か)
 七かける六かける五……と続いて二まで書いた。本来の数式では一もかけるのだが、答えを出す際には無意味な計算ゆえに省略した。
(五〇四〇通り……ひとつずつ一秒間でためしたとしても、一時間はかかるな)
 一時間は三六〇〇秒。そうと知っているので大ざっぱな算定が簡単にできた。しかし知らぬ知識はどれだけ頭をなやませてもわかるはずがない。
(シド先生が作った問題だと、いじわるはしてこないと思うんだけどな)
 あの素直な教師ならきっと、どこかに答えを用意している──たとえば彼が拓馬たちに持たせた辞書に。
(箱の問題で一個、辞書に答えが載ってるのがあったな)
 それは拓馬が答えを導いた問題だ。問題文にある英単語を、辞書で調べるだけで解答できた。そんなふうに、辞書を検索すれば見つかる答えなのかもしれない。拓馬は辞書を引っ張りだした。キーワードとなる「God」をさがす。項目はあったが、その用例にそれらしい女神の名前は書いてなかった。
(ダメか……)
 そう何度も同じ手段は通じないらしい。あきらめてほかの可能性を考えていくと、他力本願的な発想に行き着く。
(もしかして、シズカさんが知ってる言葉なのか?)
 赤毛の洞察では、体育館前の問題はシズカ向けにつくられているという。異界の文字で表記した問題文だけでなく、答えもシズカ用であるのなら、拓馬たちの長考は休憩と同じことになる。
(やっぱりキツネを見つけようかな……)
 シズカの到来を恐れる少女の言動をかえりみるに、異形はこの教室に近寄らない、シズカとはもうすこしで合流がかなう。拓馬がヤマダを置いて、狐捜索に出かけてもよい条件はそろっている。
(しばらくここにいて、なんともなかったんだし……)
 拓馬は数分前まで蜘蛛の住処だった校舎を見る。窓越しに確認したところ、蜘蛛も黒い化け物たちもいなかった。
(いまがチャンスじゃないか?)
 拓馬はヤマダ向けの書置きをする。拓馬の不在中、寝起きの彼女が拓馬を捜しに教室を離れる事態はありうる。そうならないよう、配慮した。
 拓馬は紙に「俺が戻るまでここにいろ」と自身の名を添えて書く。その紙をヤマダの腹に置いた。謎解きに使った文具類は帰ってきたときにまた使うと思い、そのまま放置した。
 廊下を出ると、こちらの校舎にも黒い化け物が一体も見当たらなかった。
(あの赤毛がなにかしたのか?)
 拓馬はこの好都合な状況を、別行動する同志がつくりだしたものだと仮説を立てておいた。胸中の謎を処理できた拓馬は連絡通路を通り、白い糸が残る校舎に立った。こちらの廊下を一見したところ、廊下の端と端は糸の被害がすくないようだ。拓馬の位置にちかい末端の部屋は自習用の学習室である。
(こっちのほうは、指差されてなかったな)
 少女が示した狐の居場所を思うに、この階の両端は不在だと直感した。
(普通の教室から見ていこう)
 手始めに直近の教室に入る。室内に糸はなく、異形の姿もない。拓馬は安心して教室を調べた。教卓の下、机と椅子の間、掃除ロッカーの中などをくまなくしらべた。ひととおり目を通して、獣はいないと判断する。
(この教室はハズレだ)
 次の教室に移る。隣の教室は二つあるうちのひとつの戸口に糸が絡まっていた。もう一方の戸は無事だったため、そこから入室する。出入口が片方のみの教室にいて、拓馬は緊張した。
(ここで入口に化け物が出てきたら、どうすっかな)
 自身の状況をあやぶんだが、危険な存在は現れず、杞憂ですんだ。この教室も丹念に捜索したが不発だったため、次へと向かう。
 三つめの教室は戸口が両方とも糸で覆われていた。拓馬は糸の被害が比較的すくない引き戸を左右に揺さぶり、糸をはがす。がたがたと何度も戸をうごかしたのち、入室できた。
 糸で覆われた教室に入ったとたん、教卓の下にある白い物陰が目についた。犬や猫が寝入る仕草のように、丸まったなにか。
(キツネか!)
 拓馬は歓心をおさえながら教卓に接近した。かがんでみるとその白い物体は獣だとわかった。分厚い尻尾はまぎれもなく狐のもの。拓馬は狐をやさしく抱き上げた。狐は呼吸をしておらず、うごいていない。まるで死骸のようだ。だが体の熱は失われていないように感じた。これがエリーと名付けられた異形の言う、生きても死んでもいない状態か。この仮死状態はヤマダかシズカが接触すると解除されるという。
(ねてるヤマダに触らせても、復活するのかな?)
 ささやかな疑問を持ちつつ、拓馬は狐を抱いて空き教室へもどる。白い糸の張った廊下をふたたび行き、連絡通路へ出る。するとさっきまでいなかった異形が床からぬっと顔を出した。拓馬は面食らう。それが一体だけでなく、複数体が一挙に出現したため、足を止めざるをえなかった。黒い物体たちは道をふさいでいるのだ。
(これは突っ切れないな……)
 拓馬は迂回ルートを通ることに決めた。即座に思いついた経路は二種類。一階の連絡通路を通り二階にもどるか、二階職員室付近の連絡通路を通るか。
(階段の上り下りは地味にキツい……)
 体力の温存が図れる、職員室前経路を選ぶことにした。化け物たちは動作の緩慢な連中なようで、拓馬の脚力についてこれず、拓馬は難なく逃走できた。

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2018年08月01日

拓馬篇−10章1 ★

 拓馬とヤマダは無口な仲間を連れて、蜘蛛がねぐらとする校舎にもどった。二階へ続く階段は依然として極太の白い糸で装飾されている。これが大蜘蛛の縄張りだ。その範囲は二つの校舎をつなぐ連絡通路にはおよんでいない。
 拓馬たちが階段をのぼりきる直前、ヤマダが仲間に引き入れた武者の霊が前方へ行く。彼は下向きに矢を弓につがえていた。臨戦態勢のようだ。
(見えてなくても、わかるのか)
 武者はすでに異形の気配を捕捉している。その証に、武者は二階廊下へ出るとすぐさま矢を放った。奇怪な音が響く。蜘蛛のうなり声だろうか。音が止むのを待たずに武者は二本目の矢を撃った。武者は自発的に健闘する。その様子に拓馬の胸がおどる。
「本当にやっつけてくれそうだな」
 拓馬がヤマダに同意を求めたところ、彼女は両手をひざにつき、つらそうに立っている。
「どうした? 調子がわるいのか」
「いきなり、体が重くなってきて……」
「やせ我慢してたんじゃないか?」
 ヤマダは拓馬の足を引っ張るまいと、無理をしていたのかもしれない。なにせ彼女は少女の異形に活力をうばわれていた。その回復が未完全なのだと拓馬は推しはかった。
「ううん、急に、だよ」
「そうか? とりあえず、ここの蜘蛛を退散させたら休むか」
 蜘蛛退治をすぐに放棄してもよいのだが、武者を止める方法がわからなかった。そのため拓馬は物陰から人外の闘争を見守った。
 当初は武者の優勢に見えた。だが蜘蛛がねばり、糸を武者の体にまきつけて、弓攻撃を妨害する。身動きの取れにくくなった武者は跳び、窓へぶつかる──と思いきや窓をすり抜けた。糸でつながっていた蜘蛛もつられて外へ行く。二体の人外は落下せず、すっと掻き消えていった。
(いなくなった?)
 拓馬はあわてて窓に駆け寄る。地面にも宙にも、彼らの姿はない。ひょっとしたらこの窓なら外に出られるのだろうか。そんな淡い期待から窓を開ける。外へ手を出そうとするも、見えない壁に押し返された。
(窓の外は行けないのか?)
 一階は中庭に出られるため、おそらく一階の窓ならこんな妨害はされない。二階以上の高さになると、出入りが禁じられるようだ。
(なんであいつらだけ……?)
 人外たちのみが忽然と消えたことに拓馬は釈然としなかった。だが目下の目的は狐の捜索である。狐捜しをはばむ障害がなくなったいま、やるべきことはひとつだ。
「とにかく、順番に教室を──」
 見ていく、と拓馬が言いかけた。振り返るとヤマダの姿がない。視線を下へずらしてみると、彼女は階段上で突っ伏していた。段の角が彼女の頬に当たっている。
「おいおい、そんなとこで寝るな!」
 倒れるなら床にしとけ、と小言を言いながら、拓馬は介抱しにむかった。以前ジュンがノブにやっていた、意識不明者を運ぶ方法にならう。まずはヤマダの体を仰向きにする。脇の下へ自分の腕を通して彼女に腕組みをさせ、その両腕を持って二階へ引き上げる。彼女が背負うリュックサックを下ろし、上半身を壁に寄りかからせた。
(ここで休ませて、いいのか?)
 安全な場所へ移りたいが、どこが適切な休憩場所だか判断しようがなかった。通常、体調不良の者は保健室で休むものだ。しかし保健室とて異形がいつ出現するか知れたものではない。
(ヘタにうろつくのも危険だしな……)
 人ひとりを運びながらの移動は体力を消耗する。そのうえ、襲撃を受けた際の逃走にも支障が出る。おまけに場所を移動すればするほど、異形との遭遇率も高まるだろう。むやみな移動は避けるべきだ。危険がせまるまでは待機するのが賢明だと拓馬は考えた。
 いつでもうごけるよう、拓馬はヤマダのリュックサックを背負った。横から、上から、下から異形が現れないかと周囲に気を配る。
 視界による警戒を続けて数分が経つ。まだなにも起きない。この後もあたりに平穏が続くようなら、ねむる女子を置いて狐捜索に行けるが──
(でも目をはなした隙をつかれるってこと、きっとあるよなぁ)
 異形は神出鬼没。ものの数秒であっても、連中は無抵抗な人間に接近できるはずだ。
(ムチャする意味はないな……)
 拓馬はおとなしく待機を続けた。

 拓馬自身にも若干の睡魔がにじり寄ってきたころ、足音が聞こえた。人のようだ。その根拠は三つ。異形は足を鳴らさない。幽霊は地に足をつけて歩かなかった。赤毛は飛行で移動する。となると、それ以外の人、あるいは人型の異形だ。
(さっきの女の子なら、いいんだが)
 現状、男のほうがくると抵抗すらできずにやられる。拓馬は自分たちに協力的な少女の到来に期待を寄せた。
 足音の出所は連絡通路。拓馬が通路へ一点集中すると、銀髪の少女を発見した。シド及び大男でないことを拓馬はよろこんだ。
 少女は拓馬のもとにくる。ねむるヤマダを見て、不思議そうに拓馬の顔をのぞく。
「こんなところにヤマダをいさせていいの?」
「安全な場所がどこだかわかんねーんだ。お前、知ってるか?」
「はじめに、ここへきたときにいたとこ。あそこがいいよ」
「追試をやる予定だった教室のことか?」
「うん、むこうのすみのへや。あそこはいちばん境《さかい》がうすくなってて、外をこわがる仲間はちかよらない」
「俺らが最初にいた教室が安全なのか……」
 言われてみれば、拓馬たちが気絶している間は何者にもおそわれなかった。それが黒い異形たちにとっての不可侵な領域ゆえか。
「それに、シズカはあのへやにくる。使いがそこからきてた」
 安全圏かつシズカとの合流場所──とくれば絶好の休憩場所だ。
「それを早く教えてくれよ!」
 拓馬は明朗に言い、ヤマダを横抱きで持ち上げた。シドのように軽々とはいかないが、空き教室までは持ちこたえられる。一気に駆け抜けようとしたものの、少女が「わたしがもとうか?」とたずねてきた。
「え……お前が、こいつを?」
「うん」
 エリーは拓馬と同じ持ち方でヤマダを抱えた。そのさまはシドと同じく、重さを苦にしない屈強さがある。拓馬はちょっとした敗北感を覚える。
「お前たちはみんな力持ちなのか?」
「たぶん、そう」
 こともなげに答えられてしまった。少女は先天的な能力の優秀さを誇る様子なく歩きだした。拓馬も空き教室へ移動を開始する。少女のとなりで歩く最中、ヤマダが倒れた原因について少女にたずねてみる。
「武者の霊を連れて蜘蛛を追っ払ったら、ヤマダが倒れちまったんだ。なんでだろうな」
「しえき、してたから、かな」
「なんだ、その『しえき』って。はたらかせるっていう意味の『使役』か?」
「そう。シズカのつかいとおなじ」
 シズカに例えられると拓馬は納得がいった。シズカも、自身の活力と引き換えに異界の獣を呼び出し、活動させている。その関係を構築する術を、ヤマダが意識せずに行なっていた、ということになる。
「あの武者も……ヤマダの力をつかって、蜘蛛と戦ったのか」
「そう。それに、わたしがヤマダから力をとってたせいもあるかも」
 その見解は拓馬もうすうす勘付いていた。ふと、なぜ少女がヤマダの力を欲したのか気になりはじめる。
「そういえば、なんでお前は人から力を吸い取ろうとしてた?」
「おはなし、するため……」
「本当に、それだけか?」
 会話だけなら黒い化け物の状態でもできはしていた。発話がスムーズにいかない不便さはあっただろうが、会話が成立しないほどではなかったと拓馬は思う。
「化け物の姿でもしゃべれただろ?」
「うん……」
「お前が人に化ける目的……俺らと話をすること以外にもあったんじゃないか?」
「わかんない。そうしろっていわれた」
「お前が人に化けると、いいことがあるのか?」
「たぶん、そう」
 少女自身がよくわからないでやっていたことらしい。その目的は司令塔に聞くほかに手立てはなさそうだ。少女に命令をくだす者──そのことに拓馬の意識が向いたとき、とある疑念が再燃する。
(赤毛とは『シド先生が犯人だ』って話をしたけど……確認はとってないな)
 拓馬は確実に少女が知っている質問をしかける。
「お前に指示だしてる仲間って、先生なのか?」
 少女は答えない。そのへんは口止めされているのだろうか。
「もうだいたいわかってんだ。言ってくれてもよくないか?」
「いっちゃだめっていわれてる」
「マジメなやつだな……」
 彼女の実直さはかの英語教師と似通っている。その態度が暫定的な返答としておき、拓馬たちは二階の空き教室に着いた。拓馬は教室の後方の床にリュックサックを置く。
「この上にそいつの頭がのるように、寝かせてくれるか」
 ヤマダを運んできた者は床に両膝をつき、そっとヤマダをおろした。
「手伝ってくれて、ありがとうな」
 拓馬は感謝ついでに、さらなる依頼をする。
「なぁ、こいつを見ててくれないか?」
「どうして?」
「俺はキツネを捜しにいく。そのためにあそこから蜘蛛を追いだしたんだしな」
「できない」
 意外にも少女がきっぱり断る。
「もうじき、シズカがくる。わたしは会っちゃいけない」
「人間じゃないからって、シズカさんは誰彼かまわず倒す人じゃないぞ」
 少女はすっくと立ち、なにもいわずに教室を飛び出した。その動作が俊敏だったために、拓馬が引き止める隙はなかった。
(そんなにシズカさんって、人以外には危険な存在なのか?)
 赤毛もシズカを忌避していた。あちらは裏であくどいことをしていそうなので、シズカに成敗される事態は理解できる。しかし少女のほうはいまひとつ、シズカが打倒すべき意義を見いだせなかった。
 遠ざかる足音を聞きながら、拓馬は幼馴染を見る。
(どうするかな……)
 教室で時間をつぶすか、単独で行動するか。どちらが最善なのか決めかね、ひとまず適当な椅子に座って、考えることにした。
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2018年07月27日

拓馬篇−9章◆

 羽田校長はひとり、校長室の自席で物思いにふけっていた。彼の頭は現在行われている追試にある。
(ふふふ……よもやあの二人だけの時間ができようとは!)
 追試の監督者は若い男性教師、追試を受ける者は女子生徒。たがいに親しい間柄だ。双方ともに奥手な性分ゆえに、大それたことが起きるはずもない。ただ校長はあの二人が一緒にいるというだけで幸福な気持ちになれた。
(うーん、シドくんは最後までよいネタを提供してくれたな)
 新人教師はこの学期で離職する約束になっている。校長は内心ずっと居てほしいと思っているが、無理を言って相手を困らせることはしたくない。そのため教師の要望通りに任期を終わらせようと考えている。去りゆく教師の置き土産が、今日の追試だ。
(追試はどうなっているかな)
 ごく普通の筆記試験に決まっている。そうとわかっていながら、校長は二人の様子を確かめたくて、腰を浮かした。その時、電話が鳴る。電話機のランプは事務室からの内線を示していた。校長は受話器を取る。
「もしもし、校長です」
『いま、警察官を名乗る方がお越しになっています。捜査のために校内を出歩く許可を得たいとのことです。いかが致しますか?』
 女性事務員が校長に判断を仰いでいる。この学校で警察沙汰になるような出来事があっただろうか、と校長は疑問に思う。
「警察官……?」
『はい、警察手帳をお持ちでした』
「直接会って決めよう。その方は事務室にいるのかね?」
『はい、お待ちいただいております』
「すぐに向かう。もうすこし待ってもらいたまえ」
 電話を切った校長はすぐさま廊下へ出た。事務室は校長室の隣りである。校長が事務室の戸口へ向かったところ、事務室の来客応対用のアクリル窓のそばに若い男性がいた。二十代の半ばといった年頃だが、白いワイシャツとスラックス姿は学生のようにも見える。
「あ、校長先生、はじめまして」
 肩掛け鞄を掛けた男性が一礼した。校長も礼儀としてお辞儀をする。
「はい、私が校長の羽田ですが……あなたはどういう警察の方なんですか?」
 警官を名乗る男性は穏やかな表情で鞄から手帳を出す。校長は若い警官の姓名と顔写真を見せられた。名字に目をやったあと、警官の所属する地名に注目した。
「おれは露木(つゆき)と言います」
「露木さん、ですか。あなたは他県の警察官でいらっしゃるようだが」
「そうなんです。こちらはおれの管轄外なんですけど、うちの県で起きた事件と同じことがこの地区にも発生しまして、その捜査にうかがったんです」
「ほう、どんな事件なのか、聞いてもよろしいかな?」
「高校生が襲われて、昏睡状態におちいる事件です」
 意識不明になった自校の生徒というと、校長の耳に入ってはいない。
「失礼ですが、たずねる学校をお間違えでは? うちの生徒に、そんな被害を受けた子は──」
「ええ、被害者は他校の生徒ですよ。けれど、こちらの教師や生徒とも関わりのある子です」
「うちの教師と生徒……」
 他校との交流は校長の知らぬところで多々起きている。部活の練習試合なり展覧会なり、多岐に渡る。
「その関わりは部活動で……ですか?」
「いえ、ハッキリ言ってしまえば喧嘩ですね」
 校長が即座に思いついたのは、他校の少年と乱闘を起こした教師と生徒たちだ。敵対した少年たちのうち、ひとりは近隣の名だたる学校の所属だと聞いている。
「まさか雒英(らくえい)の生徒のことですか?」
 露木はにっこり笑いながらうなずく。
「ご明察のとおりです。そちらの学校では有益な情報が得られませんので、こちらに足を運びました。なに、捜査と言っても簡単なこと。事情を知っていそうな人のお話を聞くだけです。騒ぎになるようなことはしませんから、協力していただけますか?」
 露木が温厚な表情でたずねてくる。校長が断る理由はない。しかし憂慮すべきことがある。
「露木さんの所望する教師と生徒は学校にいるんですが、いまは大事な試験中でして」
「話すのは試験が終わってからでかまいません。その試験会場を教えてもらえますか?」
「では私が案内しましょう。露木さんのことは私から監督者に伝えます」
 露木は「ご親切にありがとうございます」と謝辞を述べ、階段をのぼる校長のあとについていった。
 二人は追試を行なっている教室へ着いた。廊下から様子をさぐってみるも、中に人はいない。
「おや? もう終わったんだろうか……」
 校長は空き教室へ入ってみた。黒板には生徒への激励の言葉が英語で綴ってある。追試が終了しているのなら、真面目な監督者が消していそうな痕跡だ。
「んん? シド先生らしくないな、これは」
 校長がとまどっているかたわら、露木は教卓へ接近する。教卓に残された紙切れを一枚手に取った。それを真剣な目つきで見ている。
「どうやらほかの場所で試験をやっているみたいですね」
「なんと。そんなことが書いてあるのですか?」
「いや、この紙自体はおれへの招待状ですよ」
 露木が紙を校長に見せる。罫線の印字された紙に「Dear Mr.T Please come see me. from S」と書いてあった。
「『ミスターT』……ツユキのTですか」
「そうみたいですね。おれ宛てに『会いにきてくれ』と言っています」
「あなたはシド先生とお知り合いなんですか?」
「ええ、まあ……過去を知っている仲ですよ」
 校長は露木を見る目が変わる。一介の公務員だと思っていたが、一気に身内のような親近感が湧く。
「ほう! どういった経緯で──」
 二人の関係を校長がさぐろうとしたが、露木は「校長先生」と校長の言葉に被せてくる。
「案内していただいて、ありがとうございました」
 露木は笑顔で会釈する。その和やかな雰囲気に校長が飲まれそうになった。
(いかん! はぐらかれるところだった)
 露木は不自然に会話を打ち切ろうとしている。事情聴取すべき対象が不在で、その行方も知れないというのに。
「なにをおっしゃる。そのメモ書きには場所が書いていないでしょう?」
「目星はついています。あとはおれに任せて、校長先生にはお引き取り願いましょう。彼は校長の手引きなしでも、おれに会ってくれるみたいです」
 露木はあからさまに校長の同伴をこばみ出した。そんなことで引き下がる校長ではない。
「事情を説明したまえ。なぜシド先生は露木さんの訪問があると知っていたのだね?」
「今日でなくてはいけなかったのです。すくなくとも彼の都合ではね」
「先生は露木さんが学校に来るとは一言も言わなかった。どうして彼は私たちに知らせなかったとお思いで?」
「お互いの意思疎通がうまく取れなかったんですよ。おれは正面切って彼と話し合いたいのですが、彼はそうでないらしい」
「先生がそういったシャイボーイだとは思えませんな」
「申し訳ない。これ以上の問答はご免こうむります」
 露木は紙切れを持ったまま、廊下へ出ようとした。校長はあわてて引き止める。
「露木さん、どこへ行かれる?」
「先生のもとへいそぎます。彼を待たせてはあとが怖いので」
 露木が早足で立ち去った。彼の歩行には迷いがない。
(本当に先生たちの居場所を知っている……?)
 と思ったのも束の間で、外部の男性はトイレへ入っていく。校長はがっくりした。
(いそぐんじゃないのかね!)
 しかし好都合である。トイレ内では逃げ場がない。窓からの逃走も、二階では容易にできないことだ。校長はこっそり男子トイレへ足を踏み入れた。人影はない。ドアのある洋式トイレに隠れたかと思い、ドアを開けてみる。鍵の手応えはなく、中に人もいなかった。
(もしや窓から脱出を?)
 そんな常人離れした運動能力をもつ人なのか、と半信半疑になりながら、校長は窓を全開にする。興奮していたせいで、レール上を移動する窓が少々跳ね返った。
 校舎の外には露木の姿がなかった。代わりに下校途中らしき生徒が歩いている。
(いない……ではアレか、いないと見せかけて天井に張り付くやつ!)
 校長は窓の上を見上げる。ここにはいない。こちらは入口から視界に入る位置なので、いないのは最初からわかっていた。
(うしろか!)
 校長は相手の身軽さに対抗して、機敏に振り向く。
「ザッツ・ニンジャ!」
 校長は頭に思いついた語句を適当に発した。非日常的な状況に置かれていて、気分が高揚しているせいだ。言葉自体に意味はない。
 しかし意気揚々と見た天井にも、人の姿はなかった。
(じゃあアレだ。隙を見て、すでにここを出たと!)
 追跡者がなにかに注意を逸らしている合間を縫って、逃走する──そんなスパイじみたアクションを校長は想像した。即座にトイレの出入り口へ行き、あたりを見回す。
「ザッツ・ニ──」
 ちょっと気に入ってきたワードを校長は途中で止めた。長身の男子生徒が目の前にいる。校長は露木以外の人が通りがかるとは思っていなかった。そのため、自身の態度は変質者に見えていないものかと一気に冷静になる。
 ばったり会った男子生徒は校長のよく知る人物だった。先の期末試験で、またもトップの成績をおさめた秀才である。
「お、おや、椙守くんかね」
「はい、そうですが……」
 椙守は校長を怪しんでいる。「なにをひとりで盛り上がっているんだ」と言わんばかりに冷めた目だ。校長は名誉の回復を図るまえに、露木の行方をたずねる。
「このトイレから、二十代の男の人が出てこなかったかね?」
「いえ、僕は見ていません」
「むむむ、そうか……」
 校長の予想はことごとく外れた。露木はまことに消えてしまったようだ。
「あの、校長はどうしてここに……?」
 椙守は当然の疑問を口にする。校長が校長室から遠いトイレへわざわざ行く理由がないのだ。正直に事情を話しても、この現実主義者な生徒は信じてくれないだろう。それどころか校長を変人あつかいしかねない──もうすでにそう見られている自覚はあったが、別種の変人属性を付与されたくなかった。
 校長は追究を回避するため、椙守の機嫌をとりにかかる。
「いやはや、きみはまたまた優秀な試験結果を出したそうだね。すごいことだよ」
 しかし椙守の表情は変わらない。
「いつものことですから」
 彼の胸に校長の言葉はまったく響いていない。校長は新種の噂をもとにアプローチをしかける。
「きみは学校の成績に出にくいこともがんばっているようだね」
「うちの花屋のことですか?」
「それもあるが、特筆すべきはきみの肉体改造だよ。ずいぶん、たくましくなってきたんじゃないか?」
 椙守は運動のできない秀才タイプであったが、ここ最近は筋トレにめざめているという。正直なところ、その成果が体に反映されているのか、校長はわからない。彼の身体にはからっきし関心がなかったので、比較できる記憶がないのだ。
 生徒が求めているであろう褒め言葉をかけると、椙守はようやく少年らしい素直なよろこびを表に出す。
「え……わかるんですか?」
「ああ! 男らしさが増してきたようだ。その調子でいけば小山田くんもきみを放っておかなくなるだろうね」
 校長の差し出がましい感想は椙守の喜色を吹き飛ばした。だがさっきまではなかった照れが内在している。
「そんなやましい気持ちでやってるんじゃありません」
「ははは、そうかね。これは失礼なことを言ってしまった。おじさんの冗談だと思って、わすれてほしい」
「校長が言うと冗談に聞こえません」
 椙守はぷいっと顔をそむけて、男子トイレへすすむ。校長の目論見通り、どうにか話をはぐらかせた。
(ふぅ、あの子にはやはり小山田くんの話題が効果テキメンのようだ)
 その女子生徒は、英語の追試を受ける対象である。しかし試験会場に生徒はいなかった。彼女も大事な用事をすっぽかす人間ではないはずだが。
(先生と生徒の二人で……どこかへ行った?)
 そうとしか考えられない。この推測に至った校長は打ち震えた。
(なんということだ……!)
 校長の全身に、熱い感情が駆け巡る。
(愛の逃避行か!)
 校長はにやけた顔をさげて、校舎内を巡回しはじめた。とうに露木の行方はどうでもよくなっている。校長の脳内には、純情な教師と生徒の親しげな場面が展開されていた。

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2018年07月26日

拓馬篇−9章6 ★


 拓馬はヤマダと二人きりになる。現在は自分たちを守る者のいない状況だ。
「行っちまったな……」
 脇腹が寒くなるような、心もとなさを拓馬は感じる。
「お前はあいつと一緒にいるべきだと思うか?」
「いたらたのもしいけど、しょうがないよ」
 ヤマダはケロっとした顔でいる。
「一度、大きい蜘蛛を見てみよう。たおさなくてもキツネ捜しができるかもしれない」
「そうだな。でも危なそうだったらすぐ逃げよう」
 その判断は保身とシズカへの配慮をふくむ。
「シズカさん、俺らがやられてまで仲間を助けてほしいとは思わないだろうから」
 拓馬たちは赤毛が向かった校舎の逆へ進む。一階の廊下にはなんの姿もないので階段を上がる。銀髪の少女が示した場所は二階か、それ以上の階だ。二階を確認して異常がなければ三階に──と画策したのもむなしく、階段の踊り場に白い糸が垂れていた。
 階段にある異物は縄のように太い。階下から見上げた廊下にも、その白い糸は点在する。
「この糸……普通じゃなさそう」
 ヤマダは筆箱から鉛筆を出し、一際太さのある糸にくっつけた。鉛筆を引っ張ると糸が引き寄せられる。その粘度は高く、ヤマダが鉛筆をぐいぐい引っ張ってもはがれない。彼女が何秒か格闘して、やっと糸と鉛筆が離れた。鉛筆には細かな糸が付着している。
「お餅みたいにくっついて、伸びる糸だね」
 ヤマダは糸の特性を検分する。
「これに足を取られたら、逃げられないかも」
「この糸を避けつつ大蜘蛛からも逃げる、ってのはキツいな」
 二人は周囲の環境が自分たちに不利だと確認した。次に警戒対象を発見すべく階段を上がる。階段を上がってすぐの壁に身を隠す。
 先頭に立つ拓馬は廊下の奥を見る。床も天井も、白い糸が張り巡らされていた。その中に、黒くうごめくものを見つける。全身が毛羽立ち、長い足が何本も生えている。尋常でなく大きな蜘蛛だ。
 ヤマダも拓馬の後ろで、蜘蛛を観察する。
「どこかの教室に入るか、反対方向をむいてくれたら部分的に捜せるけど……」
「それで教室を調べられても、出るときにあいつがいたんじゃ立ち往生しちまうぞ」
「じゃ、三階に行ってみる? きっと赤毛さんはここで引き返してて、見落としがあると思う」
「そうしたいが……」
 蜘蛛は拓馬たちのいるほうへ移動してくる。速度はおそいが、侵入者を察知したときの行動は予想がつかない。
「近づいてきてるな。俺らに気付いたら、なにしてくるか……」
「ちょっとタイミングがわるいね。いったん引こうか?」
「そうしよう」
 二人はきた道をもどった。一階に着き、ヤマダが無人の教室を指さす。
「ここの教室から見てく?」
「うーん、そうだな……」
 拓馬は一階にはなにもないと思った。おそらく赤毛はこちらの教室を一通り見ただろう。それに狐の居場所を知る少女は一階を指差してはいなかった。
 拓馬はなんとなく窓越しに中庭を見た。噴水の前に、銀髪の少女が立っている。
「……いや、もう一回あいつにキツネのことを聞いてみよう」
「あ、あの子ね」
 ヤマダは窓を見、中庭へ出た。一時、別行動をとった少女に話しかける。
「ねえ、エリー。また質問してもいい?」
 少女は「うん」と承諾した。
「白いキツネがどこにいるか知らない?」
 拓馬たちがいた校舎の二階を指して「あのへん」と答えた。ヤマダは眉を落とす。
「やっぱり蜘蛛をどうにかしなきゃいけないんだね……」
「バケモノ退治、する?」
「わたしたちにそんな力はないよ。協力してくれる相手がいたらいいけど……」
「強いバケモノ、あっちにいる」
 エリーは拓馬たちの関心になかった場所を指す。そこは一階の校長室のようだ。
「あのバケモノ、仲間をたおそうとするから……うごけなくされた。キツネみたいに」
「確認するけど、そのバケモノは赤毛さんじゃないんだね?」
「うん。ぜんぜんちがう」
 赤毛とは別個体の、異形をたおしうる化け物がいる。そいつがはたして拓馬たちに協力するか、敵となるかは未知数だ。
「あなたがさわったら、おきるよ」
 少女は簡単に言ってくれるが、その行為には危険がともなう。目覚めた化け物が拓馬たちを攻撃するかもしれないのだ。
「……試すか?」
 拓馬は危険性をわかったうえで、ヤマダにたずねた。彼女は緊張気味に「やってみる」と答えた。

 二人は校長室へむかう。校舎内は黒い人影の異形が廊下をうろついていたが、さいわい校長室の付近になにもいない。二人は駆け足で校長室前へ移動した。
 校長室の入口には両開きの扉がある。その扉には西洋風な金ピカのドアノブがついていた。拓馬がドアノブに手をかけてみると、鍵はかかっておらず、すんなり開いた。
 扉を開けたなり、拓馬は室内の異物を発見した。校長の椅子に人が座っている。それは学校関係者ではない。袖口を絞った着物の上に、胸から腹を防護する鎧を着た男。頭部は頭頂の後方が膨らんだ頭巾で覆われている。
「戦国武将か? あんまり立派な甲冑じゃないけど」
「烏帽子《えぼし》を被ってるから、もっと昔の人かも」
 二人は武者の様子をうかがう。武者は椅子に腰かけたまま目をつむり、微動だにしない。
「この人、固まってるね」
「さわると目を覚ますらしいが……お前の印象だと、こいつは安全そうか?」
「イヤな感じはしないよ」
「なら悪霊じゃないのかもな……」
「起きていきなり攻撃されたらこわいね。弓を持ってるよ」
 武者の手には弓が、背中には矢筒がある。筒の中の矢数は数本程度。だが人外の持ち物に物理的な数は関係しないかもしれない。ひとたび拓馬たちを敵と認めれば延々射かける危険はある。
「わかった。逃げ道を用意しとこう」
 拓馬はすぐに逃げられるよう、校長室のドアを開いた状態を保つ。
「ここを開けておく。危ないと感じたらすぐに走ってこい」
 ヤマダはうなずいた。そうして武者の向かって右側から近づく。小さな鉄板を繋げた鎧に、指先をちょんちょんと当ててみる。
「本当に鎧だ!」
 ヤマダがはしゃいだ。彼女は次に烏帽子を手のひらでポンポンと触った。だんだんヤマダは物怖じしなくなり、しまいには武者の顎鬚《あごひげ》をぴんぴん引っ張った。
「なかなか起きないね」
 ヤマダは武者の顎をさすりつつ、拓馬を見る。当初の警戒心は完全に消えていた。そんな無防備な態度をとっていると突然、ヤマダの手を、武者がつかんだ。
 ヤマダがびくんと体を震わせ、長い髪を振るう。武者が覚醒したのを、彼女も気付いた。
(こいつはどう出る?)
 拓馬は息を呑んだ。武者は無言でヤマダを見据えている。無礼な接触をしたせいで怒ったか、と拓馬は内心ヒヤヒヤした。
「追いはらってほしい物の怪《もののけ》がいるの」
 武者に手を握られるヤマダが嘆願する。
「お願い、ついてきて!」
 武者はヤマダの手を放し、矢筒に手をかける。拓馬は武者が攻撃をしかけるのかと思い、「こっちにこい!」とヤマダに逃走を促す。彼女は拓馬めがけて走るが、足を止める。
「タッちゃん、うしろ!」
 必死な呼びかけだ。異常事態を察した拓馬が後方を向く。目の前に黒い異形がいた。拓馬はぎょっとした。あとずさり、ヤマダのもとへ走る。二人は応接用のソファの影に隠れた。
 袋の鼠になってなお、拓馬は逃走経路を考える。武者の後ろには窓がある。そこから脱出できそうだ。しかし窓へ近づくには、武者の注意を逸らさねばならない。武者が異形の相手をする隙をつけばなんとかなりそうだ。
 武者は矢をつがえ、狙いを異形にさだめる。拓馬は声をひそめて「窓から逃げるぞ」と言い、そろりそろりと移動する。二人が校長の机に身を寄せたとき、空気を切り裂く音が鳴った。
 矢が異形を射止める。命中した部分に大きな風穴があく。体を保てなくなった異形は床に沈み、あとかたもなく消えた。一撃で異形を葬った早業に二人は感心する。だが決着が予想以上に早くついてしまった。
「えーと、窓と廊下の、どっちに逃げる?」
 ヤマダが拓馬にたずねた。どちらにしても逃げ切れるとは考えにくい。武者の放つ矢を避ける方法はないのだ。二人がまごついていると武者は片膝をつき、弓を床に置いた。敵意がないことの表れのようだ。
「武者のおじさんはわたしたちを守ってくれたのかな?」
「たぶんな。あとは蜘蛛の住処までついてくるかどうか……」
「よーし、行ってみよう」
 二人が校長室を出る。武者は浮遊して追ってきた。ヤマダの依頼を受けるつもりらしい。
「助けてもらえそうだな」
「それはうれしいんだけど、なにか意思表示してくれたらいいのにね」
 武者は無言かつ無表情。口も堅く閉じていた。
「タッちゃんが見える幽霊も無口なんだっけ?」
「幽霊の声は聞こえないな。俺が小さいころはしゃべってたような気もするんだが」
「武者のおじさんは口がうごいてないから、たぶんわたしたちが『聞こえない』んじゃなくて『話してない』んだろうね」
「言葉が通じねえのかな? 昔の人みたいだし」
「わたしの言葉がわからないんだったら、どうしてついてきてくれるんだろ?」
 拓馬は赤毛の言葉を思い出した。この空間において、ヤマダの願いが実現されるという不思議な力が存在する。それが武者の霊にも適用されたか。しかしその不確かな予想を本人に告げていいものか、拓馬はなやむ。
「心は通じるんだよ、きっと」
 拓馬が適当に答えた。ヤマダはぽかんとする。拓馬らしからぬ発言だと思ったのだろう。しかし彼女は同調する。
「やっぱりハートは大事だね」
 そう言って、握りこぶしを左胸に数回当てた。
 拓馬たちは武者を引き連れ、蜘蛛の住まう区画へ向かう。順路は噴水の前を通る道だ。。そこに銀髪の少女はいない。
「あの子、どこ行ったのかな」
「放っておいて平気だろ。ここは黒い連中のテリトリーなんだから」
 彼女ひとりで行動しても危険はない。同じ仲間がうろつく中、害する敵といえば大蜘蛛と武者だ。蜘蛛は糸の存在でおよその潜伏位置がわかるし、武者は拓馬たちのそばにいるとわかっている。武者を連れて蜘蛛を退治しようとする者の前からいなくなるのは正しい判断だ。
「わたしらといるほうが危険だもんね」
 ヤマダも拓馬と同じ心情に至った。
posted by 三利実巳 at 20:00 | Comment(0) | 長編拓馬 
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