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2018年08月22日

拓馬篇−終章1 ★

 はた迷惑な騒動が鎮まった日の夜、拓馬のもとにシズカの連絡が入った。これまでの出来事について犯人みずからが話すという。そのため、ヤマダとともに話し合いの席を設けてほしいとの依頼だ。その会話は当然、他者に聞かれてはまずい内容である。
「俺かヤマダの家で話しますか」
 と拓馬がたずねたところ、通話者は『場所は気にしなくていいよ』とやんわり否定する。
『きみたち以外の人には、おれの友だちがべつの話を聞かせる。ようは幻術の音声バージョンだね』
「あ、じゃあまた猫がくる?」
『ああ、普通の人には見えない姿で行かせるよ。だから場所はどこでもいい。そのときに必要になるお金は先生が負担してくれるっていうし、すずしくて、気軽に飲み食いできるところがいいんじゃないかな?』
 この提案に拓馬の異存はない。しかし独断では決定できないことだ。相方の余暇のすごし方には制限がある。彼女はしばしば個人経営の喫茶店の手伝いに行くのだから。
 拓馬は「ちょっとヤマダに話します」とシズカにことわりを入れ、一時通話を中断した。携帯電話でヤマダに連絡し、日時と場所を相談する。
「──で、お前の都合のいい日と店はあるか?」
『そうだねー、じゃあ──』
 近場のチェーン店の喫茶店がいい、とヤマダが言う。日取りは土曜日がフリーであり、その日の午前九時の集合にすることになった。最低限の取り決めがすむと彼女はさっさと電話を切った。質問をするのは皆があつまる当日でいい、と割り切っているようだ。
(あいつは、シズカさんの言ってたことを知らないもんな)
 正直なところ、拓馬はシドとの会合が用意できること自体が不可解だ。その要因は、彼とシズカの果し合いが決着した際、シズカの口走った言葉にある。
(先生の被害者は、先生の死をのぞまなかったか……先生が俺らに事情を話すために、先延ばしにしたのか?)
 この疑念を胸に秘めておくにはどうも居たたまれない。拓馬は再開したシズカとの必要連絡がすんだ直後、質問をつっこむ。
「……ところで、先生って結局どうなるんです?」
『ん? 話し合いのまえに聞いちゃうかい?』
 約束の日まで待ちきれない駄々っ子、と言いたげな言い方だった。拓馬は自分がごく自然な疑問をたずねていると思うので、この物言いを少々不服に感じる。
「だって、異界の被害者の希望次第で、先生をころす、なんて物騒なことを言ってたじゃないですか」
『結論から言うと、先生はこれからもこの世界で活動する。おれが死なせる予定はない』
 毅然とした返答だ。その決断の裏には並みならぬ経緯があったように感じられる。
「被害者は、先生をこらしめようとしなかったんですか?」
『そうとも言えるけど、ちょっとちがうな。罪の報い方はちゃんと指定してもらった』
「それはどういう──」
『その質問は先生にしたほうがいい。きっとヤマダさんも先生がこれからどうすごすのか、気になってるだろ? いっしょに聞いてきなよ』
 やはり明確な回答は得られない。いつものことではあるが、拓馬はがっかりした。だまっていると『わるいね』と謝罪の言葉が聞こえてくる。
『きみにイジワルをしたくはないんだが、これは先生の口から言ってほしいことなんだ。きみらと話すうちに、決まってくる行動もあると思う』
「具体的になにをするかって、まだ決めてないんですか?」
『当面のやることは、おれが先生にすすめたよ。でも何ヶ月もかからずに解決の目途が立つと思う。それからあとのことは、きみらにまかせたい。その決定は、きみらの今後に関わるからね』
「はぁ、そうですか……」
『先生との話がすんだら、また連絡をしよう。そのときは先生に質問しきれなかったことや、話してて感じた疑問をおれに言ってくれ』
「はい、そうします。話はこれで──」
『最後にひとつ、聞いていいかい』
 シズカが若干の緊張感をもった声で、聞いてくる。
『拓馬くんは先生のこと、どう思ってる?』
「どうって……」
 主旨がよくわからず、拓馬は口ごもった。
『ああ、おれの聞き方が大ざっぱだったね。ええと、拓馬くんはこれまで先生にだまされたり、ボコボコにやられたりしたわけだけど、うらんでないのかな?』
 そう言われれば拓馬がシドを嫌悪してもおかしくない出来事はそろっている。だが不思議とシドに対する感情は、真相を知るまえとあとで変化がない。彼の誠実な人柄を信じれば、のっぴきならぬ事情があったと思えるからだ。ただし、その信用は彼がたくみに演じてきた一面によるもの。彼の告白次第では信用が強固になりうるし、もろくも崩れ去る可能性はある。
「うらみ……はとくにないです、いまのとこ」
『先生の話を聞いたら、気持ちが変わるかな?』
「はい、たぶん。先生が人騒がせなことをやってきた理由を知って、俺が納得いかなかったら……そのときは怒るかもしれないです」
『うん、それはそうだよね』
「シズカさんはもう、先生の事情は知ってるんですか?」
『ああ、聞いたよ。おれはおおむね納得したけど、拓馬くんもそう思えるとは決まっちゃいない。怒りたかったら怒ってきていいんだ。きみはそれだけの被害を受けたんだから』
 この助言を最後に通信をおえた。シズカの提言はつまり、本音で話し合ってこいということだ。双方に遺恨がのこらないようにする──そのための会合である。
(なにか準備すること……あるか?)
 質問内容をまとめておけばスムーズに質疑応答ができる、とは思うものの、拓馬はやる気が起きなかった。長い一日をすごしたせいで、心身共に疲労がたまっている。
(いいや、その日に考える)
 当日の自分の発想にまかせて、今夜は早々に寝る準備をした。

posted by 三利実巳 at 21:40 | Comment(0) | 長編拓馬 

2018年08月18日

拓馬篇−終章◇

「──ほんとうに、それでいいんですね?」
 鞄を肩から提げた異人が、寝台にいる老爺にたずねた。寝台上の座椅子の背もたれによりかかる老爺は「はい……」と諦観の面持ちで返答する。
「この老いぼれの怨みを一瞬晴らせたとて、それがなんになりましょう」
 白髪の老爺は枕元に立つ異人を見つめた。二人は、この場にいる銀髪の男の処遇について話し合っている。
「孤独に生きた六十有余年……その苦しみが、彼の死によって帳消しになるとは思えません。そのような無為なことのために……これからの子どもの笑顔を、うばいたくないのです」
 その会話を傍聴する者は三人。老爺の世話係の女性と、銀髪の男と、男の仲間の少女。
 主題たる銀髪の男は二種類の男性形態があり、現在は教師として潜伏した際の姿──老爺の家族をさらった時とは異なる姿──でいた。服装はこの世界に合わせて、変えている。灰色の外衣に身を包んだ様子は、犯行当時のものとあまり差がなかった。
「その言葉は本心なのですか?」
 無表情な銀髪の男が老爺にはじめて話しかけた。会話はすべて異人まかせにすすめていたためか、老爺は心底おどろいた様子で目を大きくする。その視線は天井と壁の境にある。そこは座椅子によって上体をななめにたもつ老爺の正面にあたる。彼は一向に銀髪の男と目を合わせようとしない。
 異人もまた、銀髪の男の急な発言にびっくりしている。
「先生、どこにうたがう余地があるんだい? この方は孤児の支援をしてきた慈善家だって、知ってるだろう。だから先生には子どもの教育を続けてほしいとおっしゃって──」
「その点は承知しました。しかし腑に落ちないところがあるのです」
「どんなところ?」
「私の正体を明かした時の反応が、とても落ち着いていらっしゃった。それは貴方が事前に私のことを伝えていたせいではありませんか」
 異人は頬をぽりぽりと指でかく。
「んー、そんなことでおれをうたがう?」
「はい。貴方には『私を死なせない』という意志があるようですから、口裏を合わせてもおかしくないと思います」
「まえもって話をしにきてたことはみとめるよ。先生が向こうでどんなにいい教師をやれてたかってことも伝えた。けど『口裏を合わせる』ってのは心外だな。おれが無理やり言わせたみたいじゃないか」
 異人はにこやかに男の指摘を否定した。老爺がひかえめにうなずく。
「自分の心にないことを言ったつもりはありません……この身はすでに老いさらばえ、他人をたすけるどころか自分がたすけられているありさまです。かような立場でいて、他人を救済できる人材を減らすのは愚行でしょう」
 老爺はついに銀髪の男に目を向けた。いささかの緊張はしていたが、皮肉めいた笑みをうかべる。
「それに、他人を教えみちびくことは並大抵の職務でない。長くつづけていけば、そのうち……学ぶ意義を見いだせず反発する者や、だれも信用しようとしない者などと出会う機会があるはずです。そういったかたくなな人も、あなたが根気強く接してください。かれらが納得のいく生き方を見つけるまで、手抜かりなく……これはやりがいのある役目ですが、ときに苦行にもなりうることです。その奉仕が、あなたへの罰──」
 話の途中、老爺が咳きこんだ。のどに痰がからんだらしい。咳がおさまると、老爺は天井をあおぐ。その顔は晴れやかだ。
「この役目を不老のあなたにお任せできるなら、これから救われる子は大勢おりましょうな。なにせ、二つの世界を行き来なさるのですから。あなたの救いを待つ者はきっと、どちらの世界にもいるでしょう」
 老爺は「長話でのどがかわきました」と言い、異人と反対側の枕元に立つ女性に手のひらを向ける。女性はそばの棚に置いていた吸い飲みを持つ。ちいさなジョウロのような形状で、ねながらでも水が飲める道具を、老爺は体を横向きにしてから口をつけた。
 給水中で老爺が話せない間、異人が「わかったかい?」と銀髪の男にたずねる。
「おれが先生の了解なしで一報を入れた理由は、先生の処罰が激しいものにならないか心配したからだ。そこんとこの先生の予想は合ってる。もし被害者が興奮した感情に振り回されて、あなたを『殺してくれ』とたのんできたら……おれは即決する自信がなかった。『もっとよく考えてほしい』と、言ったと思う。じっくり考えたうえでの希望なら、しかたないと思えた」
「被害者が私の処罰を適切に決めるために、貴方が先回りしたのですね?」
「そういうこと。でも、取り越し苦労だったよ」
「貴方が最初に訪問した時も、彼は私の消滅をのぞまなかったのですか」
「そう。いまと同じことをおっしゃってくれたよ。もっとも、先生の近況を知ったその時は、とてもびっくりしておいでで、こんなに流暢にしゃべってもらえなかったけどね」
「私のせいで容体を悪化させてしまったのでしょうか」
「たしかに体に障ったかもしれない。けどクラさんがついてたから大丈夫。ちょっと診たら、かえって元気になったくらいだよ」
 水分補給を終えた老爺が居住まいをもとにもどす。
「はい、高名な魔人に診てもらえて、光栄です。しかし意外でしたな。ここ数十年、めっきり人里にあらわれなくなっていたそうですから、もう人間への関心を失ったものとばかり……」
「外回りは息子くんがやってるのでね。代替わりしたってとこですよ。まあ、本人の周りがちょっとゴタついてたせいもあるんですけど……」
 異人は「ほかに伝えておきたいことはあるかな」と銀髪の男に問う。
「あんまり頻繁にはこれないからさ、いまがチャンスだよ」
「では最後に」
 銀髪の男が老爺に対して、深々とこうべを垂れる。
「私はあらゆる人々を連れ去り、その肉体を亡人に喰わせました。貴方の御家族も、だれひとりとして生き残っていません。彼らに無念の死を遂げさせたことと、貴方につらい幼少期をすごさせたことは、とても許される所業ではありません。いかなる贖罪も、その非道を打ち消す効力はないと存じます」
 老爺は「もういいのです」と謝罪をさえぎる。
「幾万の誠意ある言葉よりも、たった一回の善意ある行動に価値があります」
「無礼を承知で申しあげます。そのような綺麗事だけを述べていて、まことに貴方の心は満たされるのですか?」
 銀髪の男が顔を上げないまま言った。場が凍りつく意見だった。きれいにまとまりそうな談話を、銀髪の男がわざと掻き乱している。
「私はこれから向こうの世界へもどります。二つの世界は時間の流れが決まっておらず、数年、数十年が簡単に過ぎてしまうことがあります。貴方と私がふたたび会うことはもう無いかもしれません。私に言いたいことがあれば、いまのうちにおっしゃってください」
 老爺は男の発言が挑発ではなく気遣いから出た言葉だと察し、こわばった表情をやわらげる。
「……あなたへの憎しみがないと言えばウソになります。なぜわが一族が落ちぶれねばならなかったのかと、嘆きたい気持ちもあります。ですが、そういった感情を爆発させるにしても、歳をとりすぎたのです。言うことがあるとすれば……『あのときなぜ見逃してくれたのか』と聞くくらいでしょうか」
 男は頭を上げる。真顔だった表情に苦渋がにじむ。
「『見逃した』……」
「あなたが屋敷を襲撃したときのことです。わたしの親や叔母が黒い魔物に捕まるなか、わたしは窓掛けで身を隠していました。それは家屋に侵入した者の目をくらませても、外からでは窓越しに見つかってしまうお粗末な隠れ方です。あなたはたしかにわたしを見つけていたのに、捕えようとせず、去っていった」
「その時はすでに撤収の指示を同胞に出していました。子どもひとり程度、いてもいなくとも同じだと思ったのです」
 老爺は落胆した様子で「そうですか……」と力なく答える。
「幼子をあわれんだ、というわけではないと……」
「わかりません。その頃の私は、自分自身の感情に気付けなかったのです」
「そう、でしょうな……あのとき、あなたがいまの自我を持っていたなら、あの悲劇は起こりえなかった」
 老爺の目じりに涙がたまり、耳元へながれていく。
「あぁ、どうして……わたしの家族が犠牲にならなくてはいけなかったのか……」
 それきり老爺は嗚咽をもらすばかりで、言葉らしい言葉が出なかった。世話係の女性が涙ぐんで「今日はこれでお帰りを」と客たちの退室をもとめた。三人の客人は女性が開ける扉をくぐった。最後尾の銀髪の男が室内を振り返る。
「貴方の御意志、しかと受け止めました。その気持ちにそぐうよう、努めてまいります」
 その宣言を老爺はどう思ったのか、確認することなく扉は閉まった。
 三人は一時外へ向かう。その道中、異人は男の背中をたたく。
「ちょーっとご老人には刺激的な言葉があったかな」
「失言をしてしまいましたか」
「いや、いいんだ。腹を割って話したかったのは、お互いさまだろうからね」
 次もその調子でいい、と異人は男に助言した。異人はもう彼自身の世界にいる子らへの謝罪会見を見据えている。男は「気が早いですね」と異人の言葉に難色を示す。
「私はまだ、被害者の願いを具体的にどう着手していけばよいのかつかめずにいます。それが形になったあとで、あの子たちに今後のことも合わせて話したいと思います」
「ああ、ごめん。もっとじっくり飲みこんでていいんだよ」
「すいません、私の思案や決断には時間がかかるもので」
「それはあやまるようなことじゃない。なやんだり迷ったりするのが、正常な人間だ」
 のんびり考えられる場所へ行こう、と異人は暗にこの世界での滞在をほのめかす。
「おれと一緒に行き帰りするぶんには、向こうの時間経過は数分程度ですむからね。よーく考えてよ」
「はい」
 三人は山中に建設された療養場を出た。家屋のない野山へ行き、自然の中を散策する。無言の少女のかたわらで、男性二人は今後の方針を語る。
「うーんと、これは拓馬くんたちとの申し開きがおわってから、先生に言おうと思ってたんだけど……」
「なんでしょう?」
「向こうで先生が最後におそった子、まだ入院しているんだ。もちろんおれが帰ったらその子を復帰させるつもりだよ」
「はい、お願いします」
「ただ、そのあとが大変なんだ。調べてみたら彼、家の事情が複雑でね。先生の手でなんとかできないかな?」
「家庭内の問題は私では対処しかねます。専門家に相談すべきではないかと──」
「なにも家族の問題をまるっと解決しろってことじゃない。子どものほうを、更生させてほしいんだ。先生とは接点がある子だし、どうにか関われるはず。その子をたすけることが、さっき要求された罪滅ぼしになると思わない?」
 男は立ち止まり、しばし考えた。異人と少女は男の動向を見守る。
「ひとりで全部やろうとしなくていい。おれがサポートするし、たのめば拓馬くんたちだって手を貸してくれると思う」
「そうですね……貴方のつてがあれば、懸念がひとつ解消できます」
「お、どんな?」
「被害に遭った子の記憶を一部、封じてもらいたいのです。記憶を保持したままでは、私への憎しみが先立って、更生をほどこすことは不可能だと思います」
「ああ、わかったよ。クラさんにそう言っとく」
 およその計画は決まったが、散策は続く。異人はこまごまとした被害者の少年情報を話しはじめた。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 23:23 | Comment(0) | 長編拓馬 

2018年08月13日

拓馬篇−10章◆

 シズカは学校内を歩いた。同伴者は常人には見えない姿でいる異界の生き物の二人。ひとりはさきほどまで敵対した者の一味である少女。もうひとりはシズカとは古い友人にあたる男性。彼は少女の仲間と顔見知りだ。再会したおりに友人が発した言葉はいつになく辛辣だった。
(なんだか、非行に走った子どもに会う親みたいだったね)
『……』
 シズカが仲間を呼ぶ時や呼んでいる最中は、互いの気持ちを筒抜けにすることができる。友人はシズカの心の声を聞いているはずだが、反応はない。
(もしかして、責任を感じてる?)
『感じるとも。混乱の種をいたずらにばらまいてしまった』
(でもさ、クラさんが教えなくたって先生はこの世界に渡ってきたんだと思うよ)
『やつがいろんな異人に関わるから、か』
(そう。彼がここにこなかったら、あっちの世界の歴史がゆがんでしまうかもしれない)
『やつが関わる異人とやらも、しょせんやつがいなくとも予定通りに成長するんじゃないか?』
(そのへんはたしかに。そうとも言える)
 つまり、だれも確実なことはわからないのだ。どうするのが異界──正式名称はメディニ──の平和維持につながるのか、正解は存在しえず、よいと思った手段をめいめいにやっていくほかない。
(おれは今回、後手にまわっちゃったけど……これでよかったと思ってるよ。先生の本音が、わかったから)
『どう言っていた?』
(彼の犯行はどれもご主人さまの命令だ。彼自身がのぞんだことじゃない。そして、彼は自分のやってきたことに罪を感じている)
『他者に従順だとは思っていたが、悪事も考えなしにこなす愚か者だったというわけか』
(そうキツくあたらないでよ。いまの彼は、ちゃんと自力で物を考えてる。だからおれに殺されようとしてきたんだ)
 シズカはその自己懲罰の意識を目の当たりにした時、憐憫の情が湧きあがっていた。もとより死なせるつもりはなかったのだが、彼の意志の強さを感じたとたん、その思いを無下にはできないと思った。それが、「被害者の希望の罰を受けにいく」という提案に走った理由だ。この思いつきには善後策を講じねばならないが、いまは友人との話し合いに集中する。
(……先生は、仕えるご主人がまちがってた。相手は同じ種族なんだろうが、そんなの無視して、ひとりで勝手に生きていけばよかったんだ)
 それを実行できた同種の者がいる。そちらは不可抗力で仲間とはぐれ、以後は人間と共存してきた。その暮らしぶりは自由きままだった。
『お前の主張はもっともだ。しかしそうするには個体差が関係するように思う。ウォリーは享楽的な性分ゆえ、同胞をかえりみずとも平気でいられた。そこが銀とは、やつとはちがう』
(先生が仲間思いなのは、おれも感じた)
 こたび捕えた罪人は死を覚悟した時、仲間の少女の身を案じていた。遠回しに、少女をシズカが保護するよう頼んでいたふうにも聞こえた。彼の性格が利他的であることは、付き合いの長くないシズカでも腑に落ちる。
(……先生はマジメすぎたんだ。それをいいことに、先生をあそこまで追いつめたアルジってやつは……ゆるせない)
 シズカが義侠心を昂ぶらせた。罰を受けるべき者はほかに存在するのだ。
『「ゆるせない」、か』
(なんか変?)
『いや……お前がそう心に決めていても、きっと、ゆるすのだろうと思った』
(えー、そんなにおれって気の抜けた男に見える?)
『そう思ってもいい』
(『も』ってなんだい。あ、説明すんのがめんどくさくなったんだろー?)
『長居してはお前の負担になる。もう帰るぞ』
 友人は本当に帰郷してしまった。シズカのうしろには銀髪の少女がのこっている。実体化していない彼女との会話は人目をはばかる。常人からすれば、独り言をぶつくさ言う変人に見られかねないのだ。それゆえ、シズカは無言で来客用の玄関へ向かった。
(出るまえに事務の人に声かけとこうか)
 それが社会人の礼儀だ。しかし玄関には事務員以上の役職にある人物が待ちかまえていた。
「おお、露木さん! いまお帰りになるのですかな」
 校長がシズカを発見するなり話しかけてきた。どうやら露木を出待ちしていたらしい。シズカは校長との会話をどう穏便にすませたらよいか、不安が走る。自分をまっとうな人間として印象付けるには、巧妙なウソを吐かねばならぬ。校長との会話はしたくないと思いながらも、外履きを玄関にのこしてきたため、その障害を避けることはできなかった。
 シズカは内心の焦りや心配を表に出さないよう、営業スマイルを心がける。
「はい、おれはこれで帰ります。校長は、おれになにか用がおありですか?」
「いやなに、冷静になってみると、やっぱりシド先生のことが気になってねえ」
「追試はこれからやると言ってましたよ。とくに問題ないんじゃないですか」
「なにをおっしゃる! 私は追試がおくれた理由とその間の出来事について言っているのだよ」
「ははぁ、あいにく校長が期待するようなことは起きてないみたいですよ」
 校長はあてが外れて、不機嫌そうに眉をしかめる。
「では先生たちはなにをしていたというのだね?」
「ちょっとしたレクリエーションをやってた、ってとこでしょうか」
「試験のまえに、レクを?」
「はい、英語のクイズを解いたり運動したり……そうやって生徒の緊張をほぐそうとしたんですかね」
 平和的な解釈をすればそう表現できる、という部分を突いた説明をシズカがつらねた。我ながらペテン師の素質がある、と若干の罪悪感が生じた。
「だったらそう言えばいいだろうに、なぜ『試験を放棄した』などと──」
「あのとき、試験を受ける子がたおれちゃってたんですよ。その状態じゃ試験はできないから『放棄』なんて強い言葉を使ったんでしょう」
「む、小山田くんがたおれていたとな?」
「そうですよ。先生のうしろで、拓馬くんが彼女を背負ってたはずですけど」
 校長がはにかんで「うっかりしてましたな」と言う。
「いやぁ、シド先生しか目に入ってなかったもので……もしや、露木さんもそばにいらっしゃった?」
「はい、校長のお声はバッチリ聞こえてましたよ。『先生と小山田くんは身持ちが堅い』とかなんとか」
 校長は「お恥ずかしい!」と両手で顔を覆う。
「内輪の話だと思って、好き勝手なことを言ってしまったのです。どうかわすれてください」
 シドひとりの状況であってもあの言動はどうかと思う、という気持ちをシズカはおくびにも出さない。
「はい、ここだけの話にしておきますから、安心してください。校長も、この件はもう蒸し返さないほうがよろしいと思いますよ」
 シズカは自分のでまかせがのちのちバレぬよう、釘を刺した。拓馬たちと口裏を合わせることもできるが、校長の好奇心を抑えるほうが手っ取り早いと思った。
 校長の質問はとだえた。シズカは持参した内履きをぬぐ。学校備え付けのスリッパでは対シドとのやり取りに不備があると思っての装備だ。肩掛け鞄から内履きを包む袋を出した。
 シズカは帰り支度の最中も、校長はまだ玄関にいる。客人の帰りを見送るためだろうか。両手は頬に当てたままだ。校長の中では「恥ずかしい」とさけんだ前後のことが引っ掛かっているようだ。
(もうちょっと明るい気分で別れたほうが、いいかな)
 今後またこの学校に用事ができるともしれない。その際スムーズに事が運べるよう、校長の好印象は得ておきたいとシズカは考えた。
(どうせなら、なにか意味のあることを──)
 校長に言っておきたいことをふっと思いつく。
「あ、シド先生のことなんですけどね」
「な、なんです。蒸し返さないと言ったばかりでは?」
「別件です。彼、今月でこの学校を退職する予定でしたよね?」
 校長は乙女のような恥じらいぶりから一転、ベテランな職員の顔つきにもどる。
「そうです。名残惜しいですが、かねてからの先生の希望なので……」
「もしかすると、まだこちらに残れるかもしれません」
「おお、事情が変わったのですか?」
「ええ、まだ確定じゃないんですけど……もし先生自身が復職のお願いをしてきたら、聞いていただきたいと思いまして」
「それはもう! 断る理由がありませんな!」
 校長が満面の笑みで断言する。学校の長がそう言うのであれば安心だ。シズカは「これもここだけの話にしてください」と念押しして、玄関を出た。
 真夏の外は暑い。どこか人目につかないところへ行って、移動用の友を呼ぼうかとシズカは思った。
「ねえ、わたしたち、ここにのこっていいの?」
 無言でいた少女が質問してきた。彼女はシズカと校長との会話を聞けても、友人との会話を聞けていない。それゆえシズカがどうしてシドが復職すると思いいたったのか、知らないのだ。
 シズカは返答のまえに、校内の手近な木陰へ入った。周囲に人がいないのを確認し、白い烏を呼び出した。実体のない獣を手中に抱く。獣の質量を手に感じると、スーッと暑さがやわらいでいった。これが生身の人間を疑似的な精神体へ変化させる技だ。この姿であれば普通の人には気づかれずに少女と会話できる。
「そうだよ。きっと、きみらはこっちの世界にいられる」
「仲間、消すかもしれないって……」
「ありえないわけじゃない。おれが余計なことを思いついちゃったからね」
「ヨケイ?」
「先生が自分の被害者に会って、罰を受けるということ。正直、あの場に立つまでそんなことを言うつもりはなかった。おれとしちゃ、先生にはこっそり教師業をつづけてほしかったんだが……」
「どうして?」
 少女がもっともな質問をしてきた。シズカは彼女らに一抹の罪悪感をかかえており、この問いにはきちんと答えるべきだと判断する。
「この話は先生には内緒にしてほしいんだ、できる?」
「うん」
「彼はこれから、いろんな人を育てていく。メディニの伝承につたわる女武芸者や、おれも今後どうなるか知らない罪人……果ては、過去の先生の犯行をはばんだ勇者まで」
「かこの……? いみ、わかんない」
「うん、おれも頭がこんがらがるよ。そういうところがこちらとメディニの特徴なんだ。個体それぞれに異なる時間軸を持ってるんだよ」
「やっぱり、わかんない」
「わからなくていい。そのほうが、気楽に活動できると思う」
 シズカは少女の無垢さをうらやましく感じた。いろんな情報にがんじがらめになっている身では、常に行動に迷いが出る。その悩ましさがないほうが楽だと思った。
「カンタンに言うと、おれは先生の未来の一部を知ってるってことだ。他人の話を聞いただけだがね」
「ミライ……」
「先生も、とある教え子の未来の一部を知っているはずだよ。こっちは先生自身が見聞きしてる。もう会ってるかな? なんて──」
 シズカは両者が対面済みだとは思っていなかった。この近辺はシズカの化け猫らが何度か探索している。これは該当の異人捜しのための派遣ではなく、主要目的は別にあったが、その際にそれらしい異人を見たとの報告は聞いていない。似た人はいても、伝え聞く壮健さはまるでない人物を発見するのが関の山だ。
 しかし少女は「そうかも」と意外な同調を見せる。
「仲間、はじめてヤマダに『シド』ってよばれたとき、とってもおどろいたんだって。メディニで、そのなまえをきかれたことがあって……」
 それはシズカがいま想定している人物でなくとも、起こりうることだ。これにはシズカが冷静に少女の説明を補足する。
「むかしは意味不明だった言葉が、未来の自分を指す名前だったと先生は知ったんだね」
「うん。ゆびわだって、ずっとくびからさげてたのに、『そのゆびわを左手にはめてた』っていってた」
 指輪について言及をした異人──シズカが知るかぎり、それは過去のシドの犯行を阻止した男性に当てはまる。なぜ少女がそのことを口にするのだろう、とシズカは確認しにかかる。
「えっと、そのメディニで先生を『シド』とよんだり指輪のことを言ったりした人……もう先生と会ってる?」
「うん」
 シズカは突然、血の気が引く思いがした。互いの過去と未来に関わる存在同士、すでに会っていたとは。
「先生は……その子をどう思ってる?」
「どうって?」
「殺そうと思わなかった? だって、その子は先生のジャマをした人なんだ。いなくなれば、当時の失敗をなかったことにできる……そうは考えないかい?」
 自身ののぞまぬ過去を変える──その空想はだれしも思いえがいたことがあるだろう。ああすればよかった、こうしたらよかったと、後悔することは多々起きる。過去の改変に挑戦できる環境に置かれて、その誘惑に心をゆさぶられない者がいるだろうか。
 少女は首をかしげて「おもってないとおもう」とこともなげに言う。
「その異人は、仲間をすくったから」
「仲間……先生のことを?」
「うん、とめてくれた」
「先生は、拉致に失敗してよかったと思ってる?」
「うん……あるじさまにしられたら、よくないけど」
 少女は主人に気兼ねして、しょぼくれた調子で仲間の反意を吐露した。彼女にとっては心苦しい本音なのだろう。しかしシズカはだいぶ気持ちがあかるくなる。
「そうか。そう思っているんだったら、いい」
「どこがいいの?」
「先生がご主人さまの命令を本気でイヤがってるってことさ。その気持ちはまだご主人さまに伝えてないんだろ?」
「いえない。ウラギリになっちゃう」
「言えばご主人さまを裏切る……とは決まっちゃいない。ご主人さまも、きみたちの気持ちを知ったら変われるかもしれないよ」
「ほんとに?」
「ああ、ご主人さまがきみたちを大切に思っているんなら、仲間みんなが気分よくいられるようにがんばってくれるはずだよ」
「それって、ミライできまってる?」
 少女がなかなか鋭い質問をしてきた。シズカは苦笑いする。
「ごめん、これはおれがテキトーに言ってることだ。なんの根拠もないよ」
「そう……」
「でも、努力はするよ。みんなが納得のいく未来になるように」
 クサイセリフを吐いたシズカは急に恥ずかしくなった。木陰をはなれ、道路を出る。目的地はシドに集合場所として告げた喫茶店である。もともと、少女と談義する予定は考えていなかった。
「えっと、おれの話……先生には内緒にしてね。いや、先生を止めてくれた異人と、ご主人さまのことは言っても問題ないんだけど……」
「なにをいっちゃだめ?」
「うーん、そのほかの未来の教え子のことかな」
「どんな子だっけ……」
「あ、うん……思い出さなくていいよ。わすれててくれ」
 少女の記憶力は存外普通だとわかり、シズカは気が楽になった。
(ま、この子がバラしても先生の性格なら平気そうだな)
 シドはあるべき運命にあらがわない気質のように見えた。そのきっかけは彼がシズカのことを「天意を有する者」だと見做したことにある。
(お天道さまの意志、ねえ……)
 かつてはあったのかもしれない。シズカが現在通うメディニでは、自分の事跡が伝説と化している。その伝説を人々が当たり前のごとく後世に伝えていく様子からは、自分の行動はそうあるべくして起きたことのように思えた。
(ま、おれの好きなようにやってくだけさ)
 その自由意思はいまも過去も変わらない。ちがいは、行動が周囲に可視化されているかいないか程度の差だ。天意の有無も、他者が評価するしないによって変わる程度の、うつろうものではないかとシズカは思った。

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2018年08月08日

拓馬篇−10章6 ★

 シズカと拓馬は壇上へ向かう。壇上にてヤマダが演台にもたれかける様子を拓馬は記憶していた。いま見てみると彼女は壇上で横たわっている。
「あれ? あいつ、体勢が変わってるような……」
 拓馬たちが体育館にきたとき、彼女は壇上にある演台にもたれかかっていたはずだ。
「おれがああしたんだ。ヤマダさんから力を分けてもらうときに、ちょっと姿勢をくずさせちゃってね。変なことはしてないから、信じてくれよ?」
「わかってますよ」
 拓馬はシズカの潔白を疑わなかった。次に拓馬は壇へのぼる方法を考える。式典のときにはよく移動式の短い階段が設置されるが、現在は撤去されてあった。それがないと一メートルは高さのある壇からの上り下りが穏便にできない。
「壇にあがる用の階段、さがしてきましょうか?」
「二人がかりなら無くてもいいんじゃないかな。おれが壇にのぼるから、拓馬くんは下でヤマダさんをおぶってほしい」
 シズカが壇に両手をついた。ぐっと体を持ち上げ、壇上に片足ずつのせる。壇へのぼったシズカはさっそく、ヤマダの背後から彼女の両腕を持った。
「それじゃ、下ろそう」
 壇の縁までヤマダを引きずる。そこで方向をかえ、被救護者の両足を下ろす。拓馬は壇に背を向け、前傾姿勢になる。そのとき、銀髪の二人も壇の付近にいることに気付いた。彼らは拓馬たちには無関心のようだ。
(ヤマダを運ぶのを手伝う、って感じじゃないな)
 拓馬は自身の体に人一人分の重さが加わるのを感じながら、二人の動向を見守った。シドが壇の壁をうごかす。そこには式典で使われるパイプ椅子と滑り止め用の薄いマットが収納されている。壇下の格納庫にエリーが入った。壇上にいるシズカは不思議がって「この下に、なにかあるの?」と拓馬にたずねた。
「あ、壇の下はちょっとした倉庫になってて……」
「へえ、倉庫?」
 学校の造りに詳しくないシズカが壇上からおりた。彼は開いた壇の壁の奥を見つめる。
「これは言われなきゃ気付かないぞ。ここに、術の仕掛けがあるのかい?」
 シズカがシドに問うと「はい、あります」とほほえんだ。死闘を演じたあとでいながら、シドはすっかり平時の篤実な教師にもどっている。まだ腕が痛む拓馬には信じがたい早変わりだ。
(切り替えがはえーな……)
 人のよい教師と無骨な大男、その二つを演じ分けた者のなせる業なのかもしれなかった。

 拓馬が周囲のなごやかさに置いてけぼりを食う中、格納庫からエリーが出てきた。その両腕に平たく丸い石がある。その形状は一段だけの鏡餅のよう。不思議なことに、淡い光をはなっていた。シズカが発光する石に注目する。
「それがこの空間をたもつ術具か」
「はい。手元にあるものでつくりました」
「器用なことをするもんだね。これを壊したら帰れるのかい?」
「そうなのですが……ここで解除すると、元の世界の体育館に行き着くかもしれません」
「ん? なんかまずい?」
「人目につくかと……部活動をする子たちがいますから」
「そっか、せめて体育館は出ておこう」
 シズカがヤマダのリュックサックを回収し、鉄扉を開ける。一行は一時、館外へ出た。全員が通路へ出ると、シズカは鉄扉を閉める。
「ここでいい? それとも、試験をする教室まで行くかい?」
「ここにします。この場なら人目についても、体育館から出てきたのだと思われそうですし」
 少女が抱える奇妙な石を、シドが受け取る。彼が持ったとたんに石の光は失われ、粉々に砕けた。砕けた石の粉は消えてなくなる。彼の手中には紫色のガラス片だけがのこった。
(あ、小瓶に入ってたやつ……)
 シドの仕事机にあった石と同じものだ。赤毛が言った「石が空間をつくる補助になっている」という見立ては正しかったようだ。
 周囲に熱気がこもってくる。外から蝉の鳴き声が聞こえた。そしてたったいま出た館内からも、ボールが床をつく音や人の走る音も鳴った。生命の気配がもどってきたのだ。
(もどるときって、案外フツーなんだな)
 拓馬とヤマダが異空間に連れてこられたときは気絶させられていた。その落差を意外に感じつつも、拓馬は安堵の一息をついた。
 さいわい、体育館前には人がだれもいなかった。そこでシドが「いかがしますか?」とシズカに今後の行動を問う。
「その、私の償いはいつ──」
「それはあと! まずはいまやることをやってかからないとね」
「と、言いますと?」
「ヤマダさんの追試を優先しよう。そうしなきゃ、彼女が夏休みをすごせないんだろ?」
「おっしゃる通りですが、いまのオヤマダさんは試験ができる体調ではないと思います」
 拓馬の背には就寝中のヤマダがいる。いろんな人から元気を吸われて、現在はヘロヘロな状態にちがいない。これは試験の日を改めたほうが無難そうである。
「ほかの日にずらせることって──」
 拓馬が提案しかけたのをシズカが「ちょっと待った」とさえぎる。
「すぐに復活できる方法がある。おれの友だちを呼ぶんだ」
「シズカさんの友だちって、疲労回復までできるんですか?」
「うん、体調不良はなんでも治療できる知人がひとり、ね」
「はー、そら便利な……」
「その代わり、おれがしんどくなる」
 シズカは冗談めいて言った。だが本当のことだ。拓馬はそういった現象に立ち会っている。一時的にヤマダの仲間になった武者が、ヤマダの力を借りて戦い、ヤマダがたおれる事態になったのと同じ理屈だ。
「わかりました。その手でいきましょう」
 シドは二つ返事でシズカにしたがう。一同は二階の空き教室へ向かうことになった。
 エリーはシドの背後からおぶさるかのように、彼の両肩に腕をのせる。ヤマダを背負う拓馬の真似をしているようだった。シドは仲間の行動に一言もふれない。なので拓馬とシズカも言及しなかった。

 拓馬たちは階段に向かう。廊下にて、後ろ手を組みながら歩く中年男性に遭遇した。この中年は校長である。額の面積が広い彼は拓馬たち一行に気付くと、早歩きで接近してくる。
「おお、シド先生! それにも露木さんも。お二人はお話ができましたかな」
「ええ、まあ……」
 校長はシドの背にいるエリーに気づかずに話す。彼女は常人に見えない姿でいるらしい。
「いやはや、二人とも忽然と消えてしまったからどうしたものかと──」
「校長、勝手に追試を放棄して、申し訳ありません」
「いや、気にしないでくれたまえ」
 低頭するシドに対し、校長は太っ腹なおおらかさで応じる。
「きみにはふかーい事情があったのだと思う。仔細は聞くまい、無粋ゆえ!」
 校長はいたく上機嫌だ。なにかうれしいことがあったのだろうか。
「成績は期日までに出してくれればいい。細かいことにはこだわらんよ」
「お許しいただけるのですか?」
「そうとも! きみと小山田くんは身持ちが堅いから、安心して見ていられるというものだ」
 校長は「存分に逢瀬を楽しみたまえ!」と言いのこし、スキップしていった。
(なんかカンちがいしてるみたいだな……)
 教師と生徒が試験をすっぽかす間、その二人がいちゃいちゃしていた、とでも校長は思ったらしい。その能天気さのおかげで不可思議な事情を不問にされた。それは痛い腹をさぐられたくない拓馬たちにとって幸運である。しかし──
「これが現実か……」
 と拓馬はぼやき、全身に疲労を感じた。念願の帰郷に際して出迎えてくれた人があれでは、ありがたみがうすれた。
「二人は校長公認の仲?」
 シズカは真顔でシドにたずねる。質問された側は首を横にふる。
「校長の偏見です。私にはそういった感情がありません」
「うん、それはおれの知り合いからも聞いてる。でもヤマダさんのほうは?」
「オヤマダさんも、校長が考えるような色恋の情はないと思います」
「そうなの?」
 シズカは拓馬に聞いてきた。拓馬もはっきりしたことはわからない。
「俺もどうなのか、ちょっと……友だち感覚だとは思うんですけど」
「じゃ、校長さんの思いこみのおかげで責任追及を回避できたわけか。結果オーライだね」
 以降、三人はだれともすれちがわずに二階の空き教室に到着した。シズカが教室内の椅子をうごかす。
「ここにヤマダさんを座らせてくれ」
 拓馬はヤマダを席に着かせた。シズカはヤマダの荷物をそばの机に置く。
「友人を呼ぶまえに、先生に聞いておこうか」
「なんでしょう?」
「先生の仕事って、いま立てこんでる?」
「いえ、この追試に関わること以外は、いそがしくありません。なぜそれをお聞きになるのです?」
「先生の仕事がおわったら、おれと一緒に向こうへいこうかと思って」
 罪人の表情がけわしくなる。
「あちらで、私の被害者に会うのですね?」
「ああ、まずはこれまでの犯行とその動機を聞かせてもらう。そのあと被害者に会って、被害者希望の罰を受ける。その段取りでいいかい?」
「貴方の意向に従います」
「いい返事だ。おれは近所の喫茶店にいるんで、あとで合流しよう。案内はちゃんとつけるからね」
「案内は遠慮します。この子を、貴方に同伴させますので」
 シドの背に乗っていた少女が床に立った。シズカは「わかった」と了承する。
「そうしてくれるとたすかる。おれも力の消費っぷりがひどいんだ」
 シズカは目を閉じた。口元を手でおおうと、シズカの周りの景色がゆがむ。ゆがみは人の形を成し、人らしい色が着く。着色後、白いコートを着た黒髪の男がシズカのとなりに現れた。無表情な男性に、シズカが笑いかける。
「クラさん、薬を分けてくれる?」
 うねった長い髪の男は懐に手を入れ、小さな包みを出す。
「……お前が直接、精気を渡せばいいだろうに」
「用事はそれだけじゃない。この子の体をちょっと治してほしいんだ」
 シズカは包みを受け取るかたわら、拓馬を指さした。長髪の男性は拓馬をじっと見る。
「腕にあざができているな……」
 拓馬は自身の前腕を見てみた。たしかにナックルに触れた部分は赤紫色に変色している。
「お前がついていながら、ケガをさせたのか」
「むかしの教え子くんにナックルをあげたろ? あれを食らった子なんだ、療術で全回復しておいてよ」
 男性はシドの顔を直視する。シドは一礼して「お久しぶりです」と言った。
「こんな男は知らん」
「え……」
「私が術を教えた男はもっと素朴で、心やさしい若者だった。他者をなげき悲しませるようなやつは知らん」
 男性はシドの過去を責めている。そうと知ったシドは「返す言葉はありません」と一言答え、男性から顔をそむけた。
 かつての教え子を叱責した男性が、拓馬の右手首をつかんだ。前腕部分をさわられると痛みが走る。
「いっ……そのへん、モロに食らったとこなんで……」
「わかった。すぐに治す」
 男性の手があたたかくなる。あたたかみは右腕から背中へ伝わり、左腕まで達する。その感覚に拓馬は既視感をおぼえる。
(あれ? この感じ、はじめてじゃないような)
 拓馬の父がケガの回復をはやめてくれるときも、このようなあたたかい力を感じていた。拓馬が負傷部分を見ると、すっかり肌の色がもとにもどっている。
(もしかして、父さんの力もリョウジュツってやつなのかな)
 その疑問を男性にたずねてみたかったが、彼は治療を終えるとさっさと教室を出てしまった。出ていく背中に対し、シドが「治療していただき、ありがとうございます」と謝辞をのべた。
 拓馬の治療の間にシズカはヤマダの服薬はすませたようで「拓馬くんには夜に連絡するね」と言って、彼も退室した。この場は教師と二名の生徒だけになる。
「ネギシさんは、ここにいますか?」
 教師は突然な質問をしてきた。彼の言わんとすることは、拓馬の想像がついた。
「オヤマダさんを一人にしては気が休まらないでしょう。この教室で読書や宿題をして、時間をつぶしていてもかまいません」
 シドは「試験の準備をしてきます」と言って教室を出た。拓馬は教室にのこるか帰るか、選択を迫られている。
(心配っちゃ心配だけど……)
 シドの目的はシズカに打倒されること。拓馬たちはそのダシに使われたのだ。拓馬がシドを警戒する必要はない。だがほかに懸念はあった。
(こいつがちゃんと家に帰れるかってことが心配かな?)
 拓馬は本日何度目の居眠りをしたかわからない女子を見る。弱っている彼女をひとりで帰らせるのは心もとない。一緒に帰宅するか、と拓馬は考えた。
 居残りを決意した拓馬は自分の荷物を取りにいく。自席にあった鞄を持った。その際、ふと現在の時刻が気になって、教室内の時計を見る。あの異空間に二、三時間は閉じこめられていたように感じたのだが、時計の針はせいぜい三十分ほどしかうごいていない。
(あの中だと時間の流れ方がちがうのか?)
 シズカに聞いた異界の特徴によれば、あちらで何年すごそうしても、もとの世界では数分程度の時間経過ですむのだという。異界の特性に近いという異空間も、似たようなものなのだろう。
 ひとつ疑問が解消できた拓馬は空き教室へもどる。このときにはヤマダが起きていた。彼女は狐につままれたような顔で、拓馬を見る。
「ねえタッちゃん、わたしはここでずっとねてた?」
「いや、いろんなとこでねてたよ。ここの下の教室とか、向かいの校舎の階段とか」
 拓馬が具体的な就寝場所をあげていく。ヤマダは拓馬と共通の記憶を有していることを知って、笑顔になる。
「あ、じゃあ夢じゃないんだね、あれ」
「ああ、くわしい話は追試がおわったあとでな。俺もここにのこるから」
 ヤマダが試験に集中できるよう、拓馬は彼女の視界に入らない位置を陣取った。拓馬の時間つぶし方法は、夏休みの宿題だ。国語の問題集をひらき、課題に指定されたページをさがした。
 拓馬が自習の姿勢をとる中、シドが追試用の問題と答案用紙を持ってくる。ヤマダは緊張した面持ちでシドを見ていた。彼が渡す紙を、無言で受け取っていた。
「貴女が解答を終えれば試験終了です。一発合格できるよう、がんばってください」
 シドは教卓に着いた。ヤマダは一言も発さずに試験問題を解きはじめる。拓馬も宿題に手をつけた。
 ときおり、時刻の確認がてらシドを見る。その様子はさっきまで熾烈な戦いを行なった者とは思えないほど、おだやかだった。
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2018年08月07日

拓馬篇−10章5 ★

 シズカはヤマダのいる壇上へ駆ける。その進路に、長身の男が立ちふさがる。彼もシズカの作戦は予想がついているのか、シズカの進行をはばもうとした。
 シズカが呼び出した猿が、全身を使って敵の足にまとわりつく。猿は両手両足を使い、敵の捕縛に徹する。つまり、無防備な状態だ。敵はその隙を見逃すことなく、猿の背に鉄拳を落とす。鈍い音が鳴る。重い一撃をもらった猿は床に伏した。
「ごめん、エーコちゃん!」
 シズカがさけんだ。それと同時に一枚の札をシドに向ける。札は上下にやぶけ、分かれた隙間から渦を巻く風が生まれる。渦は散り散りになった札を巻きこみ、床と並行にのびる竜巻となった。横向きの竜巻はシドの腹部に命中する。質量のある長身が、軽々と体育館の後方へ押しやられた。
(こんなこともできるのか!)
 拓馬はシズカ自身に魔法的な攻撃手段があるとは思っていなかった。それゆえ「なんでそれを最初から使わないんですか!」と大声でたずねる。
「俺をあてにしなくたって──」
「これじゃ先生はたおせない。ジリ貧になるんだ!」
 あとは任せたよ、とシズカが改めて壇上をめざした。シドは館内の用具室の前まで飛ばされ、片膝を付く状態だ。しかしすっと立ち上がる。彼は無傷のようだ。シズカの読みどおり、あの程度の攻撃では屈さないらしい。
 拓馬はちらっと猿の様子を確認した。ついさっきまでシドと格闘した猿はまだたおれている。いま、敵に立ち向かえるのは拓馬だけだ。
(俺が、先生を止める……?)
 無謀な挑戦だとわかっていた。だが、こうして拓馬がまごつく間にも、シドはまたシズカにねらいをさだめている。ここで臆してはシズカが負けてしまい、拓馬とヤマダも敵に拉致されることとなる。皆が不幸になるのだ。
(四の五の言ってられないな……!)
 拓馬は自身をふるいたたせ、背負っていたリュックサックを壁際へ放り投げた。そしてシズカとシドの直線上をふさぐように立つ。
「先生、手合せをたのむ!」
 このフレーズは以前、拓馬以外の者が発していた。強い者が好きな三郎だ。この男子はシドの強さにほれこみ、何度か組手を要求したことがある。そのときに笑顔で応じた教師の面影は、すでになかった。
 元教師は生徒を障害物として避けようとする。拓馬は両腕をのばして、シドの進行をさえぎる。彼の青い目が拓馬に向けられる。
「どきなさい!」
 威圧する命令と蹴りが飛来する。拓馬はとっさに両腕を縦にして、防御する。きたる衝撃は重く、数歩後ろへのけぞる。しかし痛みは感じなかった。腕がしびれる感覚もない。
(これが、札の効果か)
 猛攻を無痛ですませるとはおどろきだ。そのことを知った拓馬は気がかるくなった。これならシズカのねらい通り、時間を稼げる。
 シドは次に右拳を振るう。拓馬はシズカの助言にしたがい、ナックルに触れないように避ける。しかし鉄拳は二つもある。ひとつめを回避したあとの連撃を想定して、拓馬は左拳の挙動に注意をはらった。
 突然、敵方の姿が視界から消えた。直後に拓馬の視野が転回する。床の感覚がなくなった、かと思うと、仰向けでたおれてしまった。どうやら足払いをかけられたらしい。シドの拳を警戒するあまり、足元がお留守になっていたのだ。
「貴方も素直が過ぎるようですね」
 その言葉とともに、シドの左拳が拓馬のみぞおちへ落ちる。拓馬は緊急的に腕で攻撃を受け止めた。拳の衝撃は人体をつらぬき、床までとどく。床の振動で拓馬の体がすこし跳ねた。その衝撃にたがわず、この攻撃は骨が折れんばかりに痛い。きっと札の援助がない状態で受ければ本当に折れていたのだろう。
 拓馬は急所に一撃を食らい、瞬間的に呼吸ができなくなった。思わずむせる。しかし、ひるんでいるヒマはなかった。敵の追い打ちがこないうちに、体勢を立て直さねばならない。拓馬は体を転がし、うつ伏せの状態になる。
(まだ、足止めしないと……)
 その一心で床に両手をつき、上体を持ち上げる。この隙に攻撃がこないものかと顔を上げた。するとシドの横顔が見える。敵の注意はすでに壇上のシズカにある。拓馬のことは戦闘不能者と見做しているらしい。
(行かせるか!)
 拓馬の両手が床をはなれ、片膝をつく。そのとき、進撃を防ぐべき者の足が止まった。彼はなぜかシズカのいない方向へ跳ぶ。シドがいた場所に、薄茶色の巨大な獣が降り立つ。体高がシド並みに高い、尋常でない大きさの獣だ。その体躯や顔つきは狼に似ている。
(これが、先生をたおせる仲間?)
 巨狼は巨躯に似つかわしくない軽やかさで敵に跳びかかった。シドが鉄拳で迎撃する。巨狼は打ちこまれる拳をまったく意に介さず、分厚い毛皮で受けとめる。そのまま太い前足をシドの両方の二の腕に、強靭な後ろ足をシドの両足へ乗せた。
──捕縛の成功だ。

 シドはナックルを放り、巨狼の足を手でどかそうとする。巨狼の体重がシドの怪力に勝るのか、縛が解かれる様子は微塵もない。これでシドを生かすも殺すも、巨狼次第となる。
 巨狼を使役するシズカが、仰向けになったシドに接近する。
「やっと捕まえた。さ、おれたちを元の世界へ帰してくれ」
 シズカはほほえみながら言う。対するシドは無表情だ。
「私を消せば術は解除され、すべて元通りになります」
 消す、ということは死ぬことと同義だろうか。拓馬はシズカの顔色を見て、シドの真意をさぐろうとした。
 シズカの表情が凍る。
「……死ぬ気かい?」
 やはり物々しい申し出だったのだ。拓馬は二人ののっぴきならない会話を見守る。
「昔の私の呼び名をご存知ならば、重ねた罪状も知っておいででしょう。……早く断罪を。貴方にはその力と天意がある」
 決然とした物言いを前にし、シズカも真剣な顔つきになる。
「ほかに、言いのこすことは?」
 シズカの言葉は暗に、シドの要求を飲むようにも聞こえた。拓馬はまことにシドが誅滅されるのかと思うと、それが妥当な処遇なのかもしれないという納得と、この数ヶ月親交のあった人物がこの世界にも異界にも存在しなくなることへの同情がないまぜになった。
「……エリーと名付けられた同胞がいます。あの子は人を傷つけたことがありません。おそらく、これからも他者に危害を加えることはないでしょう。それをどうか胸に留めおいてください」
 シズカが重々しくうなずく。その仕草を見届けたシドは目を閉じる。それまで巨狼の脚を除けようと抵抗した手が、床へ投げだされる。
「もっと早く、こうするべきでした」
 淡々とした声が響いた。その言葉は心から出てきたものだと拓馬は感じた。
(先生が、この空間をつくった理由……)
 赤毛が推測した、ヤマダの力を確認する試験場ではない。シドみずからが討たれるために用意した墓場──その意図が、彼の懺悔からうかがい知れた。
 シズカはだまってしまい、シドもまた耳目を閉じている。両者の決定に拓馬は口をはさめる立場ではないが、率直に「どうするんですか?」とシズカにたずねた。
「どうするかは──」
 不意に鉄扉の開く音が鳴った。扉を開け放った者は銀髪の少女だった。拓馬がそう認識したときには、彼女がシズカめがけて跳びついていた。シドを拘束する巨狼が迎撃の姿勢を見せる。だが「アオちゃん、待て!」と主人のおあずけを食らう。巨狼の助けをこばんだシズカは、少女の体当たりを受け止めて、たおれた。
「消さないで! おねがい!」
 少女はシズカにしがみつき、精一杯の助命を求めた。
「隠れるように言ったはず!」
 シドの怒号が飛ぶ。これが拓馬がはじめて見る、彼のはっきりとした負の感情だった。
 怒気を浴びた少女は肩をすぼめる。それでも彼女はシズカから離れない。
 たおれていたシズカは頭を上げた。少女と目線が合う。
「きみがエリーっていう子?」
 エリーは「うん」と答えた。シズカが「それなら話は早い」とにっこり笑う。
「最初からきみの仲間を消す気はないよ。だから安心してくれ」
 この言葉には少女だけでなく、拓馬も胸のつっかえがなくなる思いがした。
 シズカが「おりてくれるかな」と少女に頼む。エリーは素直にしたがった。
 シズカは体を起こした。巨狼に命令を出し、シドを解放する。寝そべるシドに、少女が嬉々として抱きついた。そのかたわらには巨狼が控える。この獣は人型の異形を見張っているらしい。シズカが巨狼ののどをなでて「もう大丈夫」と警戒心をゆるめさせた。
 シドが片膝を立てて座り、シズカをにらむ。
「どういうつもりですか?」
 シズカは巨狼から手をはなした。その表情は平常通り、緊迫感のない顔だ。
「おれは……罪の重さを理解し、悔いている者を、頭ごなしに罰する気にはなれない」
「罰さずに、どうするのです?」
「おれの役目はあくまで罪人の逮捕。あとは役人や被害者に罰を決めてもらうよ。といっても役人は異界のもこっちの世界のも、あなたの犯行を把握しきれちゃいない。おまけにこっちの被害者は被害当時の記憶を消しちゃったしで、身柄を渡せる相手は異界の被害者になるな」
 シズカは犯人を罰を受けないまま釈放するつもりはないようだ。それを知ったシドは憤怒の面持ちをやめ、自身にすがる少女をあわれんだ目で見る。少女は一転して不安顔になった。
「正当な報いです。わかってください」
 シドは少女をさとした。そのやり取りを見たシズカが語り出す。
「本当に罪を悔いているんなら、おれに処断されるのはお門ちがいだ。そんなラクな方法をとるまえに、あなたが会える限りの被害者の生き残りに詫びるんだ。たとえばあなたに家族を奪われた男の子は、おれの時間軸だと老いて病に伏せっていた。だけど立派に生きている。まずはその人に、あなたが会えるのなら償ってもらおう。おれが手を下すのは、被害者がそう望んだときだけだ」
 シズカはしゃがんだ。おびえた目で見る少女に、シズカは悲しく笑ってみせる。
「彼はいろんな人の、大事な家族をうばってしまった。それはきみにとっての彼と同じくらい、大切な人だった。だから、彼は謝らなくちゃいけない」
「消しちゃうの?」
「そうならない、とは約束できない。おれはそれが適切な罰だとは思わないがね」
 シズカが立ち上がり、今度は拓馬を見る。
「ヤマダさんを担いでもらっていいかい? おれも手伝うからさ、早いとこ帰ろう」
「でも、帰るには先生を……」
 たおさなくてはいけない、と言おうとする拓馬を、シズカが人差し指を立てて止める。
「方法はそれだけじゃない。ちゃんと本人が術の解き方を知っているはずさ。なにせ、おれの知り合いの弟子なんだ。正規の解除方法がわからない危険な術なんて、教わらないと思うよ」
 シズカは「それじゃ解除をよろしく」とシドに言いつけた。そして薄茶の巨体生物が消え去る。シドへの抑止力となる獣を、シズカが帰らせたのだ。そのことに拓馬はおどろく。
「え、いいんですか? あの狼をもう帰らせて」
「だいじょーぶ、先生は襲ってこないよ。彼がやりたかったことは、おれたちを連れ去ることじゃなかったんだからさ」
 シズカも拓馬と同じ心境にいたっていたのだ。拓馬はうなずいて「俺もそう思います」と答えた。
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2018年08月05日

拓馬篇−10章4 ★

「It's so great!」
 壇上より、拍手とともに称賛の声があがった。壇上の演台の奥には笑みをたたえた銀髪の教師が立っている。いつもの黒シャツに黄色のサングラスを身に着けた格好だ。異形の少女の話では大男が待ち受けるはずだが、拓馬はおどろかなかった。これは想定しえた一場面だ。
(やっぱりか……)
 みずから正体をあきらかにしていても、教師は人の良さそうな演技を継続している。その対応が殊更彼の空恐ろしさを助長させた。
 不気味な人物がいる演台の側面に、ヤマダが座っていた。演台にもたれかかっている。例のごとく元気を吸われて、ねむっているのだろう。
(しばらく起きなさそうか)
 無事だと知れただけ、一安心できた。彼女を拉致した者が拍手をとめる。
「皆さん、よくたどり着きました」
 偽りの教師は気さくな調子を維持する。
「ツユキさん、貴方にもお越しいただけて感激しています」
 シズカも対抗してか温厚な顔をする。
「お招きありがとう。えーと、あなたのことはなんて呼んだらいいかな。『シド』さん、『ジルベル』さん、それとも『スタール』さんか」
 拓馬には聞きおぼえのない名前が出た。それは銀髪の教師が教師に扮する以前に使っていた名前におぼしい。
「どれでも結構です。すべて、私の名ではありません」
「そうかい。じゃあシドさん、あなたに聞こう。今年の一月から発生した高校生が昏睡する事件と、先月に同じ症状になった小田切くんの件、すべてあなたがしたことか?」
 オダギリ、という名も拓馬は初耳だった。しかしその名に心当たりはある。
(『オダ』ってよぱれてた金髪の本名かな?)
 あの不良少年が現在どうしているか、知らない。病院に搬送された以後、シズカがその居場所を突きとめたはずだが、そこがどこかはまだ教えてもらっていなかった。
 私服警官に問われた教師から笑顔が消える。
「聞いてどうします。私が『はい』と答えて、逮捕できる証拠はありますか?」
「ないね。でもおれは警官だからここにきたんじゃない」
「ではどんな動機です?」
「異人の代表として、あなたを止める」
 その立ち位置こそが、シズカを警官の職に向かわせた理由だ。
「私を制するおつもりなら、屈服させてください。手段は問いません」
「決闘をしようってことかい?」
「はい」
「ご指名がおれ一人だけじゃないなら受けよう」
「もとよりそのつもりです。どうぞ、だれを呼ぶか選んでください。三分待ちましょう」
 シドが懐中時計を手にする。彼が時計をいじる光景を、拓馬ははじめて見た。
「拓馬くん、おりいって頼みがある!」
 シズカは拓馬の両肩をつかむ。
「おれは猿の友だちを呼ぶ。でもこの子じゃ彼はたおせない。あくまで足止め係だ」
「足止め?」
「そうとも。先生をたおすには、ほかの子の助けがいるんだ」
「どうして最初から強いやつを呼ばないんですか?」
「ここへくるまでに力を使いすぎた。回復薬を飲んでも、その子を呼ぶにはすこーし力が足りない」
「じゃ、どうやって力を回復するんです?」
「ヤマダさんから借りる。見たところだいぶ弱ってるが、それでも充分だ」
 拓馬は壇上のヤマダを見ようとした。が、シズカの両手が拓馬の両頬をおさえたせいで、視線をずらせなかった。
「おれがヤマダさんに近づければ勝てる。でも先生はきっとおれのジャマをしてくるはず。だから、だれかが先生の注意を引く必要がある」
「それが、猿の友だち?」
「そう。それと、きみもだよ」
 シズカは無理難題を要求してきた。拓馬はその期待が現実的でないことを、あわてて伝える。
「ムチャ言わないでください! あの人、拳法の達人をあっさり負かしてるんですよ」
「勝たなくていい。負けなきゃいいんだ」
「どっちにしても無理です」
「大丈夫、おれがきみの体を強化しておくよ。この札の力で」
 シズカは肩掛け鞄から札を二枚出した。漢字らしき模様が墨で書かれた札だ。一枚はさきほど見た模様だが、もう一枚は別物のようだ。
「さっき廊下で使ったのと同じ種類もある。効果は期待できるだろ?」
 拓馬は脚力が増幅された体験により、札があれば俊敏性においてシドに遅れをとらない希望が見えてくる。
「はい、まあ……もうひとつのはなんですか?」
「こっちは防御力を高めるんだけど、先生相手だと注意事項が──」
 シズカが話しおわらない間に「三分が経ちます」と無情なタイムアップ宣告がくだる。
「準備はよろしいですか?」
 シドは自身の提示した約束事を守ろうとしている。シズカは拓馬との相談と戦闘支度が完了していない。にもかかわらず、一歩まえへ出る。
「ああ、いいよ。あなたの相手はこの子だ」
 シズカが立つ前方に、こげ茶色の猿が現れる。大きさは一般的なニホンザルと同程度の、人の背の半分。その身に赤い法被を着て、顔にお面を被っている。
 シドが奇異な外見の獣を一瞥した。あまり興味がなさそうに目をつむると、サングラスを外し、それを演台に置く。
「結構。その小さな体でどれほど持つか、試してみましょう」
 シズカが「バレてるかな?」と猿が本命の対戦相手ではないことをつぶやいた。だが前言撤回するかのように声を張り上げる。
「おれたちが勝ったらもとの世界に帰してもらおう。でも、あなたが勝ったらどうするつもりだ?」
「私と同行を願います。我が主《あるじ》がお待ちです」
「そのアルジさんの目的はなんだ? 世界平和のため、というわけじゃなさそうだが」
「答えられません。質問は以上でよろしいですか」
 演台から離れた手には銀色に光るなにかがあった。なんらかの取っ手部分のような、金属製のもの。それを見たシズカがまた別の質問をする。
「そのナックル、おれの知人があなたに造ってあげた物かい?」
「そうです。術が不得意な私に合わせていただいた武器です」
「それは悪事の手助けをするために造った道具じゃない。自分と他者を守るために与えられたはずだ」
「御託を聞くつもりはありません」
 壇上よりシドが飛びおりた。彼がシズカめがけて駆ける。もう話し合いは無しのようだ。その唐突な戦闘開始ぶりに拓馬はとまどう。
(うわ、まだシズカさんの援護をもらってないのに……)
 襲来する者と対峙する者、二人の間に猿が入る。猿は両手の爪を急激に長くのばした。生やした爪で襲来者を威嚇する。シズカは「いまのうちに」と札を二枚広げた。札が二枚、同時に塵となる。
「速さと耐久力を高めておいた。これで戦いやすくなるはずだ。でも注意点がある。あの先生のナックルは食らわないようにしてくれ」
 早口でシズカは説明をすませると、壇上に向かって走りだした。

posted by 三利実巳 at 23:55 | Comment(0) | 長編拓馬 
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