2018年08月03日

拓馬篇−10章◇ ★

 ヤマダが目を開けた。どこかの建物の天井が視界に映る。それがなんの建物なのかわからず、ぼーっとした。
 一秒一秒を経るごとに、寝起きのヤマダは直近の記憶がよみがえっていく。この場は異質な空間だ。ヤマダは古馴染みと新参の仲間と一緒に、大蜘蛛の怪物をどうにかしようとした。そんな危険な冒険を共にした相棒が、声をかけてこない。
「タッちゃん、どこ?」
 返事はなかった。床に寝ていたヤマダはむくりと上体を起こす。教室内に人の姿はない。拓馬はどこかへ行ったのだろうか。まずは椅子に座ろうと思い、床に手をつく。その際に紙にふれた。床に落ちていた紙は、自分が常日頃から使うメモ用紙だった。そこに拓馬の字で書かれた一文がある。
(ここで待っていればいいんだね……)
 メモによって事の次第をつかめた。拓馬の行き先はわかるが、そこへ向かうのは得策でない。もし行きちがいになれば拓馬に余計な心配をかけさせる。なにより、ヤマダは自分で思うほど本調子ではない。この空間で二度も昏倒したのだ。一度めは覚悟のうえで行なった結果だが、二度めはまったくの想定外。もし三度めが自分ひとりのときに発生したなら、命はないかもしれない。
(えーと、わたしのカバンは……)
 ヤマダは自分のリュックサックが手元にないのに気付き、その行方をさがした。私物は机上にある。立ち上がってその机に近づいてみると、さらに隣りの机上に自分の文具が散乱していた。
(タッちゃんが使っていったんだ)
 それらはヤマダへの伝言を書く目的にとどまらず、体育館前のクイズを解こうと苦心した様子もうかがい知れる。
(なぞなぞに飽きちゃって、キツネをさがしに行ったみたい)
 解答に必要なピースも机上に放置されている。これを失っては困るので、ヤマダはリュックサックのポケットにもどした。というのも解答に使う文字自体はすでにメモに控えてある。答えを考えるのにピースは必要でなかった。
(あ、そうだ……ここ、どこの教室?)
 ヤマダは自分の現在位置を把握するため、窓の外を見た。連絡通路がある。それは二階の教室からよく見かける景色だ。
(二階の……試験をやる教室かな?)
 連絡通路が見える角度的に、追試の会場となる教室だと感じた。その確認がてら黒板に注目する。そこには「Wishing you good fortune」と書かれてあった。追試の場でまちがいない。
「『幸運を祈る』……か」
 最初にその文を読んだときは、ごく普通の激励文だと受け流していた。いまでは一種の嫌味だ。怪物が住む学校に囚われていては、幸運もへったくれもない。
 あえて良かったことを挙げるとすれば、幼馴染が日常的に接する世界を垣間見れたこと。だがそれももう充分だ。もはや疲れてしまった。
(……へこたれちゃいけない)
 ヤマダは自身のうしろむきな思考を、反省する。
(タッちゃんはひとりでもがんばってるんだから)
 自分もなにかやらねば、と己を叱咤する。その発想にもとづき、ヤマダは体育館の扉の問題に取りかかった。問題にまつわる資料一式はすでに机上にある。拓馬が座っていたであろう椅子に、腰をおろした。
 最終問題で求められる答えは、幸運をつかさどる女神の名前。かつ、七文字の語句。
(『幸運』って……ラック以外にもあったね)
 解答に思い当たるふしがあり、黒板を再度見る。ヤマダはチョークで書かれた英単語のひとつに着目し、その文字数をひとつずつ数えた。ラックと意味が被る英単語は、七文字だ。
(あ、これかな!)
 これぞと思った英単語を、文字の置き換え表で丸をつけたアルファベットと見比べる。符合するアルファベットを順番に、表の余白に書いた。順調な筆運びだった。しかし六文字めを書いたところで手が止まる。
「最後のスペルが合わないや……」
 惜しいことに、ひとつだけピースと文字がちがう。
(最後の文字を変えたら……女神の名前になるってこと?)
 正答らしき単語が辞書に載っているか、確かめる。静かな室内でページをめくると、紙がこすれ合う音が明瞭に聞こえた。
 ヤマダが辞書を繰るうち、紙では発生しえない音も耳にとどいた。かつん、こつん、と高く乾いた音。その音は廊下から響く。
(タッちゃんがきたの?)
 ヤマダはぬかよろこびした。だがすぐに、拓馬があんな足音を出すだろうか、と冷静に考える。彼の内履きはスポーツシューズだ。あの靴裏のゴムでは、固いものを叩くような音は鳴らない気がする。
(え……じゃあ、だれ?)
 別人の到来を予想したヤマダは、大急ぎで持ち物を片付けた。これは室内の人の気配を消すためであり、逃走準備でもある。
 リュックサックを抱えながら、廊下側の教室の壁を背にして、しゃがむ。この位置なら教室の戸の窓から室内を見られても、発見されにくいと考えた。
 無人をよそおった教室内で、ヤマダは息を殺す。耳をそばだてたところ、足音がやんでいた。
(廊下でとまってる?)
 ヤマダは何十秒か様子をうかがった。物音はまったくしない。自身の衣擦れや呼吸だけが耳に入った。
(べつのところに行った?)
 これ以上、身をひそめていても進展がなさそうだ。そう判断したヤマダは壁からはなれる。その際、机より上に頭があがらないよう注意を払った。
 まずは教室の戸の窓を見上げ、そこになにもないのを確認する。次に廊下の様子を見に、教室前方の戸の窓から確認する。異物は発見できなかった。
(このへんにはいないのかな)
 身をかがめた姿勢のまま、戸をすこし開けた。そっと顔の半分を出してみる。廊下にはなにもいなかった。足音を鳴らした者はほかの教室に入ったか、べつの通路へ行ったかしたのだろう。
(人さわがせだねー)
 心臓によくないことを体験させてくれた対象に不満を抱きつつも、ヤマダは胸をなでおろした。安堵したヤマダは戸を閉める。謎解きを再開しようとして、うしろへ向きなおった。その途端──
「ひぎゃー!」
 と、ヤマダは情けない悲鳴をあげた。教室にいないはずの人影が、そこに立っている。
「亡霊でも見たような顔をしていますね」
 背後にいたのは、銀髪の英語教師だ。突然の教師出現に際して、ヤマダは我をわすれる。
「そりゃおどろくよ! ドッキリ映像だもん! いやホラー演出だよ、ゲームならCERO-B以上になるね!」
 正誤のわからないことを早口でまくしたてた。対する教師はほほえんで、首を左右にゆっくりうごかす。
「貴女のボキャブラリーは私の理解を超えます」
 落ち着きはらった態度だ。ふだん通りのシドの姿を見て、ヤマダは平静を取りもどしてくる。
「あの、先生は……なにしにここへきたの?」
 ヤマダは自分が発した質問でありながら、違和感をおぼえた。本来ならこの二階の教室で、追試を行なう予定だった。その監督者である教師が現れること自体は必然なのだが。
 女子生徒の困惑をよそに、男性教師はとびっきりの笑みを見せる。
「貴女を連れ去りにきました」
 ヤマダはぽかんとした。その宣言はとっくに果たされた行為だと思っていたためだ。
 ヤマダが呆然としているとシドも呆気にとられる。
「おや、今度はおどろきませんか」
「だってもう、連れこんでるよね。このヘンな学校に」
「これが私の仕業だと、貴女は思っていると?」
「うん、きっかけはこれ」
 ヤマダがスカートのポケットに手をつっこむ。職員室で入手した小瓶を、蓋と瓶の底を指で持ちながら出した。それはシドの仕事机の引き出しにあったものだ。
 小瓶には紫色の宝石のかけらが入っている。ヤマダはその割れた宝石の残骸を見つめる。
「これ、うちのお母さんが持ってたものだよね?」
 ヤマダは自分でもおどろくほど自然体で質問をはじめた。小瓶を発見した当初は、持ち主にどう問いただしていいやら混乱していた。
(こうなったら、腹くくるしかない)
 もう開き直った。この武闘派な教師と会ったが最後、逃げられはしない。だったらやれるだけのことをしてやろう、という捨て身の覚悟ができあがっていた。
「先生にはあげてないはずなの。先生がこの学校にくるまえに、お母さんがべつの男の人にあげたから」
 母が家族に話した内容では、その男性は小さな女の子の命を救った若者だったという。母が彼と話を深めていくうちに彼を気に入り、出会った記念として小瓶を渡したそうだ。また、その男性は父をしのぐほど体が大きかったとも聞いた。そして彼は、銀髪で、色黒の、青い目をした人だったらしい。
「その男の人が……先生なんでしょ?」
 教師と大男は体格が完全に別物だ。それをわかっていて、ヤマダは二人が同じ人物であると断定する。
「いまとはちがう、大男の姿で、お母さんと会ってた」
 並みの人間ではできない変装である。そんな荒唐無稽な話を是とする根拠は、エリーと名付けた化け物にある。
「……先生はエリーの、黒いオバケの子の仲間なんでしょう。……人間じゃないから、どんな姿にも変身できる。だってエリーが、わたしたちのまえで人に化けたんだから」
 ヤマダが一方的な質問を展開した。返答をはさめるだけの間隔をあけているのだが、聞き手の反応はない。
「あの子たちは人を食うって、ここで会った異界の人が言ってた。本当なの? 教えてよ、先生!」
 質問の締めにショッキングな内容をたずねた。正直なところ、その問いの返答は期待していない。ただ無反応をつらぬく相手の心をうごかしたかった。
 待望の返答は、せまりくる手のひらだった。ヤマダは反射的に背を向ける。やはり逃走はできず、大きな手がヤマダの首をつかむ。逃げようと前へ出した足は空振りした。
(うぅ……わかっちゃいたけど……)
 頸動脈を押さえられて、瞬時に死の恐怖が体中を走る。ヤマダは手にもつ荷物すべてを手放した。両手を使って、自分の首を絞める手を引きはがそうとする。懸命にもがくが、指一本とて離れる気配はない。力の差は歴然だった。
(このまま、負けたくない……)
 絶望的な苦境に立たされながらも、一矢報いてやりたい、という闘志がふつふつ湧く。しかしその思いを成就するだけの力がなかった。
 シドの右腕がヤマダを両腕ごと拘束した。そして彼の顔がヤマダの耳に触れる。
「貴女の思っていることがすべて真実だとしたら、どうしますか?」
 ヤマダの全身に鳥肌が立った。これは耳元でささやかれたことへの拒絶反応だ。
(ちかい! 悪寒がする!)
 このような不快な状況下において、唯一の安息がうまれた。ヤマダの首をつかむ手がゆるんだのだ。生命の危機を脱したおかげで、ヤマダの体のこわばりがいくらか解消された。
 ヤマダの首を絞めていたシドの左手が、徐々に顔のほうへ上がる。肌をすべっていく感触が、ヤマダの嫌悪感を最大限に増幅させた。
「助平! 色魔! けだもの! 色事師! 淫乱教師ーっ! わたしの体が目当てで、だましてたんだなーっ!」
 渾身の罵倒を浴びせた。暴言を吐かれた側はかすかに笑い「やはりボキャブラリーが豊かですね」と感心した。余裕綽綽な態度だ。
(くそっ、勝利を確信した悪党の余裕か!)
 言葉での反撃は効き目がなかった。そうこうしている間にも彼の左手はヤマダの顔にせまってくる。指輪をはめた人差し指が口元に近付いた。
(ええい、これが最終手段!)
 ヤマダはその指先に噛みつく。大抵、手をかまれた者はひるむ。その隙に逃げられれば、と一縷の望みをかけたが、手は遠ざからない。何度か噛みなおしてみる。手を噛まれた相手が痛がる素振りはない。
(だったら手加減しない! 噛みちぎるつもりでやってやる!)
 全力で噛もうとして口を開けた。すると指は口深くに侵入する。歯が指輪にがちっと当たった。指輪を噛んだせいでできた隙間に、中指も入る。二本の指で舌を押さえられた。
「貴女の指摘は半分正解で半分外れです」
 体中から、とくに口から黒い煙のようなものが立ちこめる。
「いまの私は貴女の肉体にみなぎる活力を必要としていますが、それが目的で人里にまぎれているのではありません」
 煙が放出していくにつれ、ヤマダの全身が脱力感に見舞われる。エリーと名付けた少女が人型へ変ずるにあたり、ヤマダが力を分けた時と同じ感覚だ。あの時も黒い異形に全身を抱えられ、口をふさがれた。
(これが、補給スタイル……?)
 口内に指を入れるのも力をうばう態勢だったか、と理解した時にはもう遅かった。立つ力を失い、化けの皮がはがれた教師に体をあずける。ヤマダの元気が失われたせいか、煙がうすれていく。そしてシドの手は口元を離れた。唾液にまみれたはずの指はぬれていなかった。
 混濁する意識の中、重いまぶたを閉じる。床をとらえていた足裏の感触が消えた。代わりに背中とひざ裏に重力を感じ、体の片側にぬくもりが伝わってきた。横抱きにされているらしい。
(どこに、つれてく……)
 そう聞きたかったが、声は出なかった。最後のあがきとして、握りこぶしをシドの胸に当てた。ずり落ちる拳の小指に、硬い感触がした。それは小さな宝石を三つあしらったネクタイピン。小山田家の亡き長男が将来的に使うために作られ、父の友人が父に贈ったものだ。現在は期限付きでシドに貸し出している。
(まだ、使ってるんだ……)
 自分が与えたものを、身に着けている──その事実はヤマダの胸にほんのり温かみを生じさせた。
「次に貴女が目覚めたとき……すべてが終わっています」
 廊下に響く足音にかさねて、男性の低い声が聞こえる。
「最良の結末が訪れることを祈りなさい」
 どんな表情で発した言葉なのか、もうわからない。その声色はどこまでもやさしかった。

posted by 三利実巳 at 23:00 | Comment(0) | 長編拓馬 
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