2011年11月14日
戦国武将!伊東祐堯の墓
清武町の船引神社でヤッコソウを見た帰りです。

船引神社から500mほど東へ行くと、「市指定史跡 伊東祐堯公墓」と書かれてる標識発見!


伊東祐堯公墓標識

気になったので階段を上っていくことに・・・汗

テクテク・・・
階段脇にはどんぐりコロコロ〜

1分もかからずに広場に到着です。


伊東祐堯公墓

広場には数十本のサクラの木が植えてありました。
サクラの季節に来るのも良いですね〜

そして広場の奥にはお墓が並んでいました幽霊
戦国武将の伊東祐堯(いとうすけたか)の墓です。

子供や家臣の墓も並んでいましたよ幽霊

看板に書かれていたのは・・・

                伊東祐堯公墓


伊東氏は工藤祐経(すけつね)を祖とし、祐経の子祐時から伊東姓を称した。元来伊豆にいて日向地頭職を任じられていたが」、建武二(1335)年、六代祐持が都於郡(とのこおり:現西都市)に下向してから日向にその基盤を築いた。

文安三(1446)年、都於郡城主となった十一代祐堯は武威を奪って四方に侵攻を開始、日知屋、門川、清武、田野の伊東氏族を攻めて勢力を吸収、戦国時代に突入すると日向平定をめざし、下向前からの日向勢力である土持氏を攻撃し、遠く県庄(延岡)へ圧迫して、島津氏と対峙するまでの強大な勢力となった。

文明十七(1485)年、飫肥の島津攻撃に出陣する子、祐国(すけくに)を見送った後、ここ清武城で病死した。

伊東氏にとって日向に強力な地盤を築いた英主である。


という事です。

歴史好きなら、この後の伊東家の物語も興味を惹かれますね。
調べてみると面白いですよ〜笑い


伊藤家略系図 & 墓石配置図

伊藤家の略系図を見ると伊東マンショが出てきますね〜

伊東マンショは安土桃山時代〜江戸時代にかけての人物です。
豊臣秀吉とも出会ったりして、色々調べてみると面白いです笑顔

話が長くなるので自分で調べて下さいねウインク


家臣の墓?

周りには家臣らしき人物の墓もありました。

表札には「??、長倉垂水一族供養碑」って書かれてあります。

色々調べてみると家臣同士の争いもあったみたいですね!

戦国時代って言うと、織田信長や豊臣秀吉のことは教科書に出てきますけど・・・地元の戦国武将のことは知らなかったりして・・落ち込み

宮崎の戦国時代を語るなら伊東氏の事は知っておかなきゃね〜メモ


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本清武町 旬ナビ速報観光みやざき
http://www.kanko-miyazaki.jp/sokuho/shinwa/himuka/2005.02/kiyotake.htm


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Posted by tabibi at 23:55 | 宮崎の自然・その他 | この記事のURL | コメント(0)

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