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タグ / 水戸

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水戸黄門生誕の地!光圀を救った「三木之次」 [2019/07/24 19:07]
江戸時代の頃、現在の水戸駅ホームのあたりにあったとされる初代水戸藩主徳川頼房の家臣だった三木之次の屋敷。そこで生まれ5歳まで之次の子として育てられたのが水戸黄門こと徳川光圀です。 現在は、屋敷のあった場所からやや北側に、生誕の地として水戸黄門神社が建立されています。 藩主の子であったはずの光圀ですが、なぜ家臣の屋敷で生まれ、しばらくのあいだ家臣の子として育てられたのでしょうか? 神社の側にある記念碑と黄門像 こちらが水戸黄門神社 こじんま..
水戸の名君徳川斉昭の銅像 [2019/07/20 10:58]
弘道館の向い側、旧水戸城の大手橋の手前にある遠くを指し示す武士の銅像。これは水戸藩第9代藩主徳川斉昭の銅像です。 全国的にはさほど知名度は高くありませんが、江戸幕府最後の将軍“徳川慶喜”のお父さんであり、水戸では徳川光圀と並び名君と称される有名な人物です。 徳川斉昭の光と陰 水戸藩第9代藩主となった徳川斉昭は、日本最大の藩校といわれた弘道館を作り教育に力を入れると共に、日本三名園のひとつ偕楽園を作り領民の憩いの場としました。有能な人物の才能を見出し下士層..
水戸城跡にあった大日本史編纂の地 [2019/07/04 09:42]
水戸城の二の丸。かつてここには水戸彰考館という建物がありました。徳川光圀によって始められた大日本史編纂事業の拠点となった場所です。 はじめ彰考館は江戸の小石川藩邸に設置されましたが、光圀の隠居後は水戸城内に移転されました。 名君として名高い徳川光圀ですが、若かりし頃は素行が悪くかぶき者と呼ばれてそうです。位の高い人なりの苦労があったのでしょうか???ですが、1冊の本に出会ったことでそれまでの行動を改めて学問に目覚めます。 そして始めたのが日本の歴史を..
なぜ水戸の回天神社に鰊蔵? [2019/06/15 21:17]
前回紹介した水戸のあじさいまつりの会場となっている保和苑のとなりに回天神社という神社あります。 ここは幕末の混乱していた時期に犠牲となった方々を祀っている神社なのですが、その一角に神社には似つかわしくない建物が建っています。 それは、、、 「鰊蔵」 本来は肥料用の鰊を入れておく蔵だったそうですが、なぜここに? 今回はこの鰊蔵についての記事です。 天狗党降伏そして鰊蔵へ 1864年、なかなか攘夷を実行に移さない幕府に業を煮やした人達が、..

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