広告

posted by fanblog

2019年01月19日

反射炉ってなに?那珂湊反射炉跡

D98ECCCB-743D-433C-804A-D83E82A5C331.jpeg

水戸市のお隣、ひたちなか市那珂湊に「水戸藩主だった徳川斉昭が作らせた反射炉の復元模型があるよ」と聞きまして、「反射炉ってなに?」ということで見に行ってきました。

大砲を作るのだ!

反射炉とは幕末に日本各地で作られた鉄を溶かして精錬するための炉です。那珂湊にも徳川斉昭によって2基建造されました。

反射炉は高性能の鉄製大砲を作るために欠かせないものでした。幕末の頃、日本で作られていた大砲は青銅製の臼砲と呼ばれる砲身の短いもので、射程距離が短く威力が乏しかったといいます。射程距離が長い威力のある大砲が当時必要でした。

鎖国をしていた日本ですが、この頃になるとペリーをはじめとした外国の方々が頻繁にやってきます。そして「早く開国しろ!」と迫ります。まったくもって余計なお世話ですが、「断ったら撃つぞ!」という強引な勢いで黒船を差し向けてきます。

これにより国中が開国するかどうかで大混乱となるわけですが、外国なんてを追い払えという攘夷派だった徳川斉昭は「対抗するには強力な武器が必要だ!高性能の鉄製大砲が必要だ!」と考えます。

まずは反射炉を建造しよう!

そこで、オランダの技術を導入して先行して建造していた佐賀藩の協力を得て1855年に1号炉、1857年に2号炉を完成させました。外国を追い払うための武器を作るのに外国の技術に頼らざるを得なっかたところが情けないところですが、、、

こうして作られた大砲は幕府に献上されるなどして活用されましたが、安政の大獄で斉昭が失脚すると操業が中断されてしまいす。その後、操業を再開しますが程なくして水戸藩の内部抗争の激戦地となり反射炉は破壊されてしまったといいます。

現在残っているのは、昭和12年に地元の有志たちによって当時の煉瓦を使い実物に近い形で復元されたものです。反射炉の近くには、耐火煉瓦を焼いた窯も復元されています。

平成16年に茨城県指定史跡に指定されました。

那珂湊反射炉

D90F628C-0107-40AE-BC1B-7068B117E4B4.jpeg
説明板

138D61A2-EBB0-41AD-845C-FF9734665955.jpeg
高さ15M

D8AFF881-33CD-4D4C-8D04-270B26A462CF.jpeg
製造されていた大砲

8E214AC8-FEDF-4DB3-B175-A6C88C98D0D1.jpeg
煉瓦を焼いた窯

概要

那珂湊反射炉
ひたちなか市
駐車場:あり
トイレ:あり
料金:無料
滞在時間:10分
混雑度:散歩中のおじさんが一人
アクセス:水戸駅から車で40分位
満足度:★★★☆☆



☆水戸周辺の宿を探すなら☆
国内&海外ホテル予約『トリバゴ』


☆応援ありがとうございます☆

水戸市ランキング
にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 水戸情報へ
にほんブログ村

☆ブログサークル☆
ブロトピ:更新しました
ブロトピ:地域のこと教えてください。
ブロトピ:ブログを更新したらここで紹介!
ブロトピ:国内旅行
ブロトピ:ブログ更新通知をどうぞ!
ブロトピ:更新しました!!
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
http://fanblogs.jp/tb/8483278
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
ファン
検索
<< 2019年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。