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2018年10月15日

水戸の日新塾跡とはどんなとこなのか?

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かつて水戸藩内で最大規模の私塾として、多くの門下生を輩出したとされる日新塾ですが、現在は当時を偲ぶような建物などの遺構はまったく残っていません。ここがどんな場所だったのかを説明する案内板やパネルがあるのみ。

地元の有志の方々によって再建しようという動きもあるようですが、

そもそも「日新塾ってなに?」

ということで、今回は水戸市成沢にあったという日新塾についてのお話です。

日新塾について簡単にまとめると

江戸時代の後期に水戸藩郷士で庄屋だった加倉井砂山が自宅で開いた私塾。いわゆる学校です。水戸藩の学校としては藩校の弘道館が超有名ですが、同じ頃の時期に水戸藩の郊外で日新塾は運営されていました。

個性を伸ばすことを教育方針として、学科は多分野に及んでいました。その評判は高く、近隣はもとより遠方からも塾生が集まったといいます。身分により扱いがはっきりしていた時代ですが、身分に関係なく多くの入塾希望者を受け入れていたそうです。

そうしたこともあってか多いときには100人以上の塾生が学んだといわれており、いくつもの塾舎や寄宿舎が整備され水戸藩内の私塾のなかで最大の規模を誇っていました。そして、幕末や明治時代に活躍する人物を輩出しています。

平成27年には、近世日本の教育遺産群として、弘道館、偕楽園と共に日本遺産に認定されました。

それでは、日新塾跡をご覧ください。

全景
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日新塾についての説明板
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加倉井砂山についての説明板
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建物の間取りの説明板
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行ったのが台風24号通過直後だったため倒木していて見づらかったです。

休憩所もあります。
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母屋が建っていたのだろう場所
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全体的に整備されていて綺麗になっていますが、やはり建物が残っていないのが残念です。もし、残っていたら山口県にある松下村塾のようなスポットとなっていたのでしょうか。



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