広告

posted by fanblog

2018年10月08日

水戸9代藩主徳川斉昭が追鳥狩をした場所「千束原追鳥狩本陣跡」

30C1B3D0-958E-4E72-93FE-05CF274CFB31.jpeg

藩政改革を成功させ名君と名高き水戸9代藩主徳川斉昭でしたが、晩年の生活は決して輝かしいものではありませんでした。その原因となったひとつにここ千束原で行われた追鳥狩りにあるようです。

68752BD9-E8DA-47CB-B80F-19C0CC6D887F.jpeg

イケイケだった徳川斉昭

江戸時代も後半、ペリーが黒船でやってくる少し前のこと、鎖国していた日本の周辺にも外国船が出没するようになりました。あるときにはイギリス人が水戸藩領内の大津浜(現在の北茨城市)に上陸するという事件も起きました。お隣の清国は英国とのアヘン戦争に敗れて列強諸国に植民地化されていきます。

そんな外国からの脅威が差し迫っていた時代、幼い頃から水戸学を学び「外国を追い払え」と強硬な攘夷派だった斉昭は、国民皆兵路線を唱えて西洋近代兵器の国産化を進めていきます。なんと、戦車の開発までもしていました。

そして、、、

その後の運命を変えてしまう大規模な軍事演習“追鳥狩り”を実施します。

幕府もビビった追鳥狩り

追鳥狩りとは、ただ単に鳥を追いかけて狩るというものではなく、武士が軍装して雑兵が追い立てた鳥を弓や銃で狩りをする狩猟形式の軍事演習です。斉昭はこの追鳥狩りを千束原、千波原、堀原で9回も実施します。そのなかで遺構として残っているのはここ千束原だけです。

千束原で行われた追鳥狩りでは、騎士3千、雑兵約2万人が参加したといわれ、その勇ましさは舌筆に尽くし難いものだったそうです。他藩からも視察に来るほどの評判でした。

斉昭は、おそらく「これで外国を追い払ってやる!やっつけてやる!ビビらせてやる!」と思ったのかもしれません。

ところが、、、

ビビったのは外国ではなく味方のはずの幕府でした。

「江戸から近い水戸でなにやってんの?」
「そんなに大勢の兵と武器を集めて謀叛でもするつもりか?」
「他の藩が真似するだろ!」

と言ったかどうかはわかりませんが、

程なくして斉昭には「家督を息子に譲り隠居して謹慎しなさい」という命令が下ります。謀叛などするつもりもなく、ただただ外国に対抗するべく軍を強くしようとした斉昭の思いは、、、届かず・・・

いくら御三家であっても藩が強力な軍事力を持つことを幕府は見逃せなかったのでしょう。

その後、黒船来航により再び表舞台で活躍する機会が訪れますが、大老の井伊直弼との対立により再び失脚。そして、61歳でこの世を去ります。

千束原で行われた追鳥狩りのときに本陣が置かれた塚はその後、烈公の杜と呼ばれ明治の頃に常磐神社となりました。

以上、千束原追鳥狩本陣跡の紹介でした。

概要

千束原追鳥狩本陣跡
水戸市元石川町
駐車場:なし
トイレ:なし



☆応援よろしくお願いします☆

水戸市ランキング
にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 水戸情報へ
にほんブログ村
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
http://fanblogs.jp/tb/8178666
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
ファン
検索
最新記事
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
☆いつも応援ありがとうございます☆ 水戸市ランキング
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。