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2019年06月15日

なぜ水戸の回天神社に鰊蔵?

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前回紹介した水戸のあじさいまつりの会場となっている保和苑のとなりに回天神社という神社あります。
ここは幕末の混乱していた時期に犠牲となった方々を祀っている神社なのですが、その一角に神社には似つかわしくない建物が建っています。

それは、、、

「鰊蔵」

本来は肥料用の鰊を入れておく蔵だったそうですが、なぜここに?

今回はこの鰊蔵についての記事です。

天狗党降伏そして鰊蔵へ

1864年、なかなか攘夷を実行に移さない幕府に業を煮やした人達が、筑波山で挙兵するという事件が起こりました。世にいう「天狗党の乱」です。

「幕府に攘夷の実行を促す」

という高い志を持っての行動でしたが、急速に集結してくる同志の一部からは軍資金の不足を補うために周辺の町村を襲うものも現れます。そのことで、徐々に「天狗党は暴徒集団」というイメージがついてしまいます。

そして幕府は、天狗党を討伐することを決め、討伐軍を差し向けます。

討伐軍や対立する諸生党との戦いで窮地に立たされた天狗党は、かつて尊王攘夷を主導した先代水戸藩主徳川斉昭の子、徳川慶喜を頼みの綱として京へ向かいます。水戸出身の慶喜にならば自分達の想いをきっとわかってくれるだろうと。

が、、、

実は討伐軍を指揮していたの徳川慶喜だったという衝撃的な事実。ついに敦賀の地で降伏します。

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天狗党が辿ったルート

そして、捕らえられた天狗党員が処刑されるまでの間、収容されたのがこの鰊蔵でした。

劣悪な環境だった鰊蔵

このときに捕らえられたのは800人余り。50人位づつに分けられて複数の狭い鰊蔵に押し込まれたといいます。

季節は冬。日本海に面する敦賀の厳しい寒さのなか、許された衣類は下帯のみ。与えられた食事は握り飯ひとつと白湯が一杯。

主要なメンバー以外には足枷が付けられ、蔵からは一歩たりとも出ることは許されず、用便も蔵のなかに置かれた桶で済ましたそうです。

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鰊蔵の内部は窓も無く薄暗い

魚の腐敗臭と汚物からの悪臭が漂う劣悪な環境のなか、病に倒れ命を落とす人もいたほどでした。

今なお残る絶筆

後に複数あった蔵の1棟が、水戸の回天神社に移築され天狗党にまつわる資料館とされます。

劣悪な環境のなかでも志を忘れなかったのか、蔵の壁には天狗党員が書いたとされる文字が残されています。

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「叶」という文字が書かれています

天狗党の乱に対する処罰は熾烈を極め本人達のみならずその家族にもおよび「幕末の悲劇」といわれました。

水戸のあじさいまつりに行った際には、ちょっと立ち寄って幕末の志士達の想いを感じてみてはいかがでしょうか?

回天神社の鰊蔵

水戸市松本町
駐車場:あり
トイレ:あり
料金:無料
所要時間:10分程
アクセス:水戸駅から車で15分位
混雑度:空いてました
満足度:★★★☆☆



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