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2015年07月29日

「自信が持てないように仕掛けられているのかも」

人は自信を持てないと自分以外の物や人、例えば、ブランド物や有名企業、有名大学、はたまた自慢できる彼氏・彼女に自信の根拠を求めるようなるのではないでしょうか。
例えば○○会社に勤めているから自分は凄いという考えになります。実際、このような考えの方は多いと思います。しかし、その○○会社との関係が切れた時どうなるのか。おそらく、そこに依存していた分、大きく自信が崩れてしまうのではないでしょうか。

また、ブランド物のバッグを例えに取ると、自分よりが持っているものよりも、他人が自分よりも社会的に評価が高いとされるブランドバッグをもっていった場合、意識にあがるにせよ無意識で判断するにせよ、何らかの劣等感を感じてしまうのではないでしょうか。自分の価値が上がると思わせられて、本当は必要でないバッグを、変に購買意欲を刺激されて、どこかの通販サイトに誘導されてポチッとクリックをしてはいないでしょうか。


残念ながら、この国では自信を持てない、言い換えれば、自己否定する仕掛けが巧妙に仕組まれています。メディアでも、年収ランキング・何歳までに結婚していなかったら問題がある等、そこから外れたまたは適っていない人に対して悪い印象を持つようにプラグラムが組まれています。テレビで言っていたから、それって常識でしょという言葉を疑ってみることも必要かもしれません。


操る側は、こういった問題に気づかせない、問題とさせないように意図的に情報操作している可能性も否めません。

例えば、発信する側がA国の人々はおかしい洗脳されているというイメージを作りだし番組にして流す。受け手は、自分たちはA国民よりも随分ましな生活をしていると思い、A国に対して嫌悪感や優越感を抱く。本当は、気づかないだけで自分たちも洗脳されているかもしれないのに。
むしろ、操る側は、自分たちが洗脳されている事実を悟られないように、あえてA国へ敵愾心を向けさせる。なぜなら、その方が国を統治しやすいから。もっと露骨に言えば、権力を保て我が世の春を謳歌できるから。

では、どうするか。

常識を疑うところから始めてみるといいかもしれません。そして、自分たちも何者かによって、仕掛けられているという視点を常日頃から意識しておくのもいいかもしれません。


2015年07月28日

「ココで諦めるか、それとも明日の自分を信じて諦めずに前に進むか」

人の考えや価値観が変わる前に、また何か新しいことにチャレンジをする時など、ネガティブな感情や体調不良が生じることがあります。脳(無意識)はその人が変わろうとするのを必死で抵抗します。

このネガティブな感情の中に、それまで自分自身が抑圧してきた多くは嫌な感情が含まれる場合があります。例えば、周囲に対する劣等感や自己否定感、あるいは誰かに対する憎しみなどです。長い心の底に沈殿していた感情が咳を斬ったように出てくる場合があります。

新しい自分に生まれ変わるには、それらの感情はクリーニングをされるのが理に適っています。人によると思いますがこの状態はメチャクチャきついです。自信も下がってしまうかもしれません。しかし、「夜明け前が一番暗い」と言われるように、ココを乗り切れば新しい自分に出会うことが出来ます。事態が良くなる前の好転反応だと捉えてみましょう。新しく生まれ変わるために必要なプロセスなのです。私個人的には、マイナスの幅が大きいほど、プラスへの振り幅が大きいと思います。

自分を変えようと必死に頑張ったけど、上手くいかなかったという人もいると思います。その多くはこの状況で諦めたのではないでしょうか。脳は私たちが変わるのを必死で阻止しようと仕掛けてきます。他にも、「めんどくさいな〜」とか、「あの人が操ろうとしている」だとか、いろいろな理由を考えて変化させないように仕掛けてきます。そのくらい人間に備わった本能という機能は強烈です。脳(無意識)に騙されてはいけません。むしろ脳(無意識)を騙し、利用してやるのです。

そこで、苫米地式コーチングでは、だったら本能(脳)を逆手に取ればいいんじゃね!というコンセプトのもと、最初からゴールを達成した側、つまり変化後のあなたが正しいという状態を脳にインプットします。そうすれば、脳は壁にかかった絵画が斜めになっていたら気持ち悪さを感じるように、現状のあなたに気持ち悪さを感じます。

心で感じる得体のない気持ち悪さ、心からは「おかしい、こんなハズではない」という独り言が聞こえてくるでしょう。人によってはもっと強烈な言葉が無意識から湧いてくることでしょう。そうなった時がチャンスです。ここをチャンスだと気づけ、それを活かせるかが人生の分かれ道なのです。ココで諦めるか、それとも明日の自分を信じて諦めずに前に進むかはあなた次第です。
がんばれという言葉はあまり使いたくないけどあえて言う。
もう少しだがんばれ!


※現状かそれともゴール側を正とするのか、人間の本能はより臨場感の強い方を正とします。現状がどうあっても、心の中でゴール側の臨場感が勝った場合は、脳は外の世界をそちらに合わせるように作用します。本能だから強烈です。


2015年07月25日

「コーチングと間合い」

今回は苫米地式コーチングによってなぜクライアントが変化出来てしまうのか間合いをポイントに説明したいと思います。


私たちコーチは間合いをとても大事にします。間合いとは、自分と相手との距離感だと思ってください。
間合いが近すぎると、下手をしたらコーチが怪我をする、また遠すぎれば技が決まらない。徐々に、間合いを詰めていき、ココだという瞬間で相手に一気に技を仕掛けます。武道でも、相手の攻撃をかわす、または技を有効に仕掛けるために重要とされています。


例えば、コーチングのセッション中でも間合いがしっかりと取れていないと、コーチがクライアントのマイナスに引きずられてしまい、ミイラ取りがミイラになってしまう場合があります。


クライアントは時として、「過去や現状の辛い話」、「マイナスの話題」でコーチに向かってきます。その場合、コーチは後ろに引いて間合いを保つ。反対に、間合いを開けられたら逆に詰めていく。そして、ココだという点で技を仕掛けてクライアントを未来に投げ飛ばすのです。


例えとして、スペインの闘牛では、物理空間において牛が闘牛士に向かって物凄い勢いで向かってきます。「あっ、ぶつかる」という瞬間で闘牛士はサラッと身をかわして、牛は前に突っ込んでいく。同様に、クライアントは過去への固執から未来へと情報空間で物凄い勢いで向かってきます「あっ、ぶつかる」と思う瞬間にコーチは身をかわす。そして、クライアントは自分の力で未来側に突き進んでいく。なので、向かってくる力が大きければ多きいほど効果があるのです。私もマイナス500くらいの力でコーチに向かっていったから、プラス500へ勝手に飛んで行ったのです。


また、苫米地式の値段が他のコーチングと比べて高いのもこの点にあります。料金が高ければ高いほどクライアントの向かってくる本気度が違う。もう、「やるしかない」と本気で、物凄い勢いで向かってくるから、その力を利用してゴール側に投げ飛ばすのです。


合気道や古武術みたいですねと言われますが、まさにその通りです。詳しいことは、言えませんがコーチは古武術を通じて、間合いの取り方を体感しています。


今日はそんなご紹介でした。

2015年07月23日

「コーチング受けてどうなったか」

苫米地式コーチングを受けて半年、僕の心がどのように変化していったのか書ける範囲で記したいと思います。


コーチングを受ける前の僕の心は−500くらいの状態、人生に行き詰ったような、先が全く見えないような、他の人に言わせると幽霊に取りつかれたような状態でした。−500だと視界は認識できるけど、自分がそこにいない、力が入っていないような感覚を味わいます。体がふわふわ浮いていて心はどこにあるのか分かりません(世間一般で言われている絶望とはこのような状態をいうのかもしれません)。どうしたら現状を変えられるか、どうすれば抜け出せるかばかりを四六時中考えていました。ゴールだって見つかっていませんでした。


2月に初めてコーチングを受ける前夜、僕は本当に変わるのかなと期待と同時に大きな不安を抱えて東京行きの夜行列車に乗りました。今だから言いますけど、プリウスが買えてしまうような金額を投資しました。なのに「何も変わらなかったらどうしよう」という不安があったのも事実です。ある方に「でも、今から斎藤さんの人生は変わるんですよね」と見送られました。

その後、セッションを終えて、都内を歩いていたら「こんな経験が出来るなんてある意味超ラッキーじゃね」と微かに思った記憶があります。そう思えるくらいその場は凄かった。この辺から、心がプラス軸に舵を切ったのだと思います。舵ついでにいうと東京湾が綺麗でした。


効果を圧倒的に体感したのは3回目の後くらいです。地元に帰ってきた時の、あの気持ち悪い感覚は今でも強く印象に残っています。いわゆる、認知的不協和という状態です。体はだるい、熱は出る、もっと辛かったのはネガティブな感情がオンパレード出てくる、もう二度と味わいなくない経験です。冷静に考えれば好転反応で、そのくらい心が動いたということです。

その後については以前もFBに投稿しましたが「騙された!」という感覚がやって来ました。「自分は凄いのに何で!おかしくね?もっとできるでしょ」というメッセージが心の奥底から湧いてきました。視界にも、力が戻ってきました。


4回目を終えてからの帰りの新幹線で「僕がコーチングをしたら、どんな人でも良くできる。間違いない!」という圧倒的な自信を得ました。いつの間にか、心の指針はプラスを指して、しかも(ここが重要)いつの間にかゴールが見つかっていました。

考え事も上にあげた「どうやって、この状態から抜け出すのか」ではなく、誰に頼まれたわけでもなく「どうやったら社会に機能を果たせるか。価値を提供できるか」に変わっていました。本屋に行ってもどうやったら僕個人の所得を上げられるか、儲かるかという類の本ではなく、いかに社会の役に立てるか、世の中を良くすることが出来るかというテーマの本が目につくようになりました。価値は与えられるものではなく、創るものだとこの頃から考えるようになりました。


面白いことに、人間関係も変化が訪れます。それまで、仲良かった人とは徐々に疎遠になりましたが、その代わり新しい出会いがたくさんやって来ました。心の状態により周りに表れる人も変わってくると断言できます。また、不思議なことにラッキー出来事ばかりが飛び込んでくるようになりました。


この頃になると、不思議なことに車で同席した人、電話でお話をさせて頂いた人から「斎藤さんと話すと、なんだがやる気が湧いてきた!」立て続けに言われるようになりました。どんな話をしたかというと、正直なところただの世間話です(非言語で何かが伝わったのでしょう)。


そして、先日最終セッションを終えました。東京の街を歩いていたら大学生の頃、初めてココに来た時のウキウキした感覚を体感していました。「このような感覚を味わえる日が来るなんて二度と来ないだろうと」思っていただけに圧倒的な感動でした。気が付いたら感性も鋭くなり、音が立体的に聞こえたり、音楽がぼやけて色に見えたりしていました。


また、2月に「これから変わるのですね」と言ってくれた方が、激変ぶりに驚いておられました。自分では分からないけど、他人はそのように感じるらしいです。控えめに見積もって+500くらいでしょうか。


なんで、当時と今では世界が違って見えるのでしょうかと師に尋ねました。返ってきた答えは「ただ、心が変わっただけ」とのことです。今ならわかるのですが、本当にただそれだけのことです。心で世界を認識しているからそこ、世界や現実は違って見えるのです。


面白いことに、−500から始まった冒険が+500になり、いつの間にか僕自身がコーチになってクライアントを持ち、その方々から報告を受けるたびに、ビックリみたいな毎日を過ごしています。

この記事を読んでまあそんな世界もあるのだなと思っていただければ喜びます。

2015年07月16日

「親や先生が子どもに与える影響力」

ピグマリオン効果言い、例えば、成績の良くない小学3年のA君が先生に「君は才能を開花させる素晴らしい児童だ、成績も上がると」期待をかけてもらえた結果、実際に才能を開花させ成績を上げてしまうという実験報告がある。



A君にとって先生は影響力のある人間に間違いはない。先生から期待された結果、児童のセルフイメージ(人間はその人のセルフイメージのとおりの人間になる)が出来る素晴らしい児童に書き換わり、その通りに現実が動いて行くのだろう。先生の側も無意識にこの児童の才能が開花するに向かわせる言葉や態度を投げかけていると思われるが。期待してくれたのがたまたますれ違ったサラリーマンだったなかなかそうはいかない。その人との関係性が遠く臨場感が無いので言葉は響かないのである。



反対に、B君がいて、彼は「君は忘れ物が多く、成績も芳しくない。このままだと駄目だよと」言われた続けた場合はどうなるだろうか。おそらく自己判断能力の備わっていない小学生のB君は「そうか僕はダメな児童なんだ」と思い込み、そのようなセルフイメージを作ってしまう。しかもこれが、家庭訪問で親が先生から言われて、そのことをB君に伝えればダブルパンチとなるだろう。



なぜB君の事例を取り上げたかというと、それは僕自身がそのような体験をしたからだ。自分でいうのもなんだけど小学校1、2年までは勉強も良くでき、運動もできる子どもだったと記憶している。それは担任の先生が良いところを見つけて、それを僕や他の児童にフィードバックしてくれる先生だったからだ。
しかし3年生の担任はどちらかというとネガティブフィードバックをしてくる先生だった。家庭訪問の後に、キマって母から先生からこう言われたと注意を受けた。その結果、今思えば先生に言われたとおりに成績がガタ落ちした。それまでは痩せていたのに、ストレスによる過食の為か急に太りだし、おまけに目も悪くなった。



最近教育関係者と関わることによって知ったことだが、多くの母親にとって学校の先生の評価は”絶対”らしい。その先生にちょっとでも注意をされると(たとえ根拠のないものであっても)、自分が注意されたようにショックを受けてしまい、そのショックを子どもに向けてしまうらしい(お母さんのエフィカシーの話はここではおいておく)。おそらく僕の母も同じだったのだろう。



学校の先生の意見は絶対なのか。権威のいうことは絶対なのか。物事を一面でしか計っていないのではないか。案外先生もテキトーに評価しているだけかもしれない。
一度よく考えてみてもらいたい。



我が子は他の子は違ってあたりまえ。それが価値であると、お父さんお母さんが認めることで、その子の未来は間違いなく輝きだす。


最後に、もちろん学校の内外に関わらず素晴らしい先生がいることも間違いない。そういう先生に巡り合えた子どもは超ラッキーだね。

2015年07月13日

「やっぱり与える人が成功するのですね」


先日The Japan Timesレジスタードマークを読んでいたら本の街として有名な神保町にあるGlitch Coffeeという珈琲屋さんの紹介記事を見つけた。私にとって珈琲は旬な話題、なので英語の勉強ついでに記事を読んでみた。


この記事で紹介されているオーナーの鈴木さんは日本の珈琲界における新たなムーブメント(スペシャリティコーヒーというらしい)の火付け役であり、また自らが得た焙煎技術や知識を秘伝とするのではなく、積極的に同業者に教え、なんと焙煎機までも開放しているとのこと。「同業者を拒むのではなく、迎え入れることにより新たな価値がテーブルに生まれ、それまでの普通ではなかったことが新しい基準になる(意訳)」という言葉が印象に残った。


それで、僕もヤバい感動した!ということで、前回に翻訳篇で書かせてもらった地元松江市の珈琲屋さんにGlitch Coffeeを知っているかと聞いてみた。そしたらなんと!!!カウンターの前にGlitch Coffeeのショップカードと、これまた鈴木さんの師匠と共同で価値を生み出されているショコラティエのチョコレートがお土産として出されたではないか。この場面(さりげなく、サッと出してくるところが粋だった)。

地元の珈琲屋さんも、この素晴らしい鈴木さんに会いたくて先日東京に行った時に訪店したらしい(残念ながらタイミングが悪くお会いできなかったらしいが)。


ここで分かったことは、やっぱり与える人こそが成功するという事実だ。鈴木さんのように抽象度が高く、自分の成功のみならず、関係する人々や業界の成功を願い行動を起こしている人が成功するのだろう。

The Japan Timesレジスタードマークの記事
http://www.japantimes.co.jp/life/2015/07/03/food/subtly-subversive-coffee-tokyos-book-district/#.VaO1zo0w_4h

Glith Coffeesん のFace Book
https://www.facebook.com/glitchcoffee

2015年07月11日

「そもそもなんでコーチングに興味を持ったのか」

いきなり暗い話から始まって恐縮ですが、大学生の頃、日本の自殺者が過去最悪になったとニュースになっていました。この豊かな国日本で、何でもそろっているこの国で、なぜ年間にそれだけの人々が命を絶つのか?戦争をしているわけでもあるまいし何故なんだ?と疑問が頭の中に引っかかっていました。

仮説として、お金や健康の問題によって皆が将来に希望がもてなくなり人生を諦めた末の選択なのかと考えていました。希望さえもてたら、今より未来が素晴らしいと思えるなら、この人たちは自ら命を絶つことはなかったのかもしれない、日本がそんな国であってほしくはない。皆にこの国を嫌いになってほしくないと思っていました。何とかする手だてはないのかと心のどこかで思っていましたが、そんな力もなく方法も知りませんでした。


その後、社会人になりその様なことを考える暇さえなくなるほどの激務となり、ある時、うつ状態であると診断されました。うつになった僕自身はリアルに希望が持てないを体験しました。通院しても良くなったように見せかけて実は良くなっていない病状、薬だけが増えていく現実・・・。頼んでもいないのに勝手にネガティブな感情に支配される。体が思いなど・・・今思えば結構大変でした。さすがに私はそこまで思うに至りませんでしたが、これは自ら命を絶つ人が出てもおかしくないと痛感させられました。


そんな中、テレビを見ていたら元祖コーチと言われる故ルー・タイス氏が映像で出演されており、コンフォートゾーン(快適な空間)やスコトマ(盲点)、エフィカシー(能力の自己評価)について説明していました。常に最高の自分をイメージしていれば、現実はその通りになると言っていたのを覚えています。説明が科学的かつ論理的で、ここに病状が良くなる鍵があるのでは直感で思いました。早速、ルーの本を読み、ルーのパートナーである苫米地博士の本を読んだりして、うつから抜け出すために勉強していました。一般的に、うつ状態では難しいことは頭に入ってこないと言われていますが、なぜか理論がスイスイと頭に入ってきました。そして、病気の状態がコンフォートゾーンだと気づかされました。僕の心が病気をつくっていると。だって、うつであれば合法的に会社を休めて、傷病手当がもらえるし、今思えば無意識は実に最適な答えを見つけてくれたのだと思います。


また何よりも、ゴール設定がキモであると学び、良くも悪くもイメージしたとおりに現実が追いつくと学びました。未来のゴールをイメージしたとたん生きる力が湧いてきたのを覚えています。また激務の時に、体調を崩すという自分の姿をイメージしていました。そうしたら結果的に本当にそうなってしまったということを実感しました。


じゃあ、うつを辞めようとゴール設定をして健康に働いている自分、ついでにルーにお礼を述べている自分をイメージしました。そうしたら面白いことに、脳が勝手に減薬の方法を見つけたり、認知療法を見つけたり、英語人格をアバターでつくったりと次々にクリエイティブに作動してくれました。この時は、正直なところ俺の脳ってすげえ!と思いました。そして当然のごとく体調は回復して社会復帰を果たしていました。療養期間中せっかく英語の勉強をしたのだからこの分野を活かしたいと思いイメージをしていたら、実際にそれを活かす仕事についていました。ちなみに島根県で英語を活かせる求人なんて滅多にありません。

その後、もっとこの理論について知りたいと思った僕はTPIEレジスタードマーク Tice Principle in Excellenceレジスタードマークというセルフコーチングプログラムを受講しました。しかも、当時は本当に雲の上の存在だと思っていたルーに実際に会い、お礼を述べていました。「あなたのお蔭で、私の未来は変わると確信する」と直に述べさせて頂いたのを覚えています。同時に、この理論を広めて各人がゴール設定をして未来に希望を持てれば、世の中に希望を持たせることが出来ると確信して、うつを減らせて自殺者を減らすことにもつながるだろうと思いました。

いつかは僕もルーのようにマインドの使い方を人々に教えて、理想の人生を生きてもらうための助けになりたいとふと思ったのを覚えています。

その後いろいろありましたが、気が付いたら苫米地式のコーチ(捕)であるという今に繋がってこの記事を書いております。素晴らしい人たちとの縁起が繋がり、人生は切り開いていくもの、イメージしたことが現実になるという毎日を実感しております。

私のゴールの一つに世界中の人々がwant toで生き、フルに能力を発揮できる世界の構築です。サブゴールとしてうつという概念を無くすです。

ゴール達成のために役割を果たしていこうと思います。

「情熱とチョコレート」


先日とあるチョコレートを頂いた。尾道の某島にあるチョコレート工場でつくられた一品とのこと。もちろん、チョコレートが好きで好きでたまらない人がつくったのだろう。

チョコレートを食べた瞬間、一気に元気になった。その日は疲れが溜まっていたけど、食べた瞬間に一気に体全体にエネルギーが伝わり衝撃となってズガーンと突き抜けていく感じを受けた。なんというか白い環がMach2.5くらいの速度で突き抜けていった。


チョコレートの有名ブランドと言われるゴディバやピエールマルコリー二、ジャンポールエヴァンを食しても感じたことのない衝撃を受けた。美味しいのは当たり前で、それらとは次元が違う。

作り手のチョコレートに対する圧倒的な情熱や、そのチョコレートが私が手元に届くまでに関わったカカオを採取した人、日本に運んできた人などのエネルギーが今この一点に集中したという感じだ。それらと私が共鳴したのだろう。無意識にでた独り言は「マジかよ」であり、それくらい私にとっては凄かった。

あの衝撃は今でも忘れられない。

モノや作品に魂が込められるって本当だ。
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