アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2020年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリアーカイブ
プロフィール
斎藤貴志さんの画像
斎藤貴志
プロフィール
日別アーカイブ

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2018年07月20日

アウシュビッツに潜入せよ ポーランド軍大尉ヴィトルト・ピレツキの闘い

かつてとんでもないゴールを設定して、成し遂げた男がいました。



彼の名前はヴィトルト・ピレツキ、ポーランド国内軍(ポーランド語: Armia Krajowa, 略号AK )大尉でした。
※ポーランド国内軍は第二次世界大戦中のポーランドで活動した、ナチス・ドイツの占領軍に対する抵抗組織。
アイキャッチはポーランド国内軍旗 Wikipedeaより拝借



Witold_Pilecki-HP-363x300.jpg


ヴィトルト・ピレツキ大尉



話は第2次世界大戦前後に遡ります。








当時のポーランドの首都ワルシャワはナチスドイツに占領下にあり、降伏したポーランド軍兵士はもとより、一般の市民までもが老若男女を問わ手当たり次第に捕まり、あの悪名高いアウシュビッツ収容所に送られました。







当時のポーランドの首都ワルシャワの状況は、今では信じられませんが普通に歩いているだけでゲシュタポ(ナチの秘密警察)に呼び止められてそのまま逮捕、収容送り(ワパンか)にされてしまう状況だったのです。





今でこそアウシュビッツを初めとする収容所の悲惨性は全世界で常識として知られていますが、当時は徹底的な情報封鎖、情報コントロールのために一般的にはそれほどまで知られていなかったようです。






※現在のアウシュビッツの風景 当時の写真は掲載には向かないと判断しました

Wikipediaより拝借







記録によるとアウシュビッツに送られたユダヤ人の中には、ここからスグに出られる、またはあまり悲惨な場所ではないだろうと楽観的に考えている人もいたそうです。

※このあたりの説明はアウシュビッツに関する報告として有名な医師フランクル氏の報告『霧と夜』に詳しいです。







しかし、本当のところはアウシュビッツの駅について大多数はそのままガス室送りというのは歴史の示す通りです。

そんな最中、ピレツキ大尉は地下に潜って祖国ポーランドの解放のために戦っていました。

何が何でもナチの蛮行を止めさせたい、そのためには彼らの残虐性を世界に発表していく必要があると考えました。







そんなおり、彼は奇想天外の策にでます。なんとワザとナチに捕まり、アウシュビッツ収容所に潜入するという策です。

そして実際にワザとナチに捕まり、アウシュビッツに潜入しました。









普通なら誰もが行きたくない絶望収容所に、意図的に行く、そんなことは崇高なゴールなしでは到底考えられません。



こんなことが実際に実行できる人がこの世界に何人いるのでしょうか。






アウシュビッツでは過酷な尋問や労働に従事させられて、何度も死にかけています。

実際に死んでしまった彼の仲間は多数います。





しかし、それでも彼は生き延びていました。

それは繰り返しますが、祖国の解放というゴールがあったかからです。





ゴールがエネルギーを生み出し、普通ならば死んでもおかしくない状況でも生きることができたのです。

生き残るどころか、数名の看守たちを買収したりして、収容所内で地下組織を結成してラジオで外部に惨状を発信しています。



そして収容所に収容されて948日目、当初のゴールを達成するために脱出しました。

彼が体験した事実は『ヴィトルト報告』として全世界にナチの蛮行を知らしめました。







また彼の報告書が、今私達が当時のアウシュビッツの状況を知る一助となっているのです。

その後ポーランド軍に復帰してワルシャワを巡る戦い(ワルシャワ蜂起)で部隊を率いて戦いました。





彼の舞台は勇猛果敢に戦いましたが、圧倒的火力に勝るドイツ軍、そして本来はワルシャワ市民と伴に戦うはずだったソ連軍の裏切り、その他英仏の裏切りにより降伏を余儀なくされ、再び囚われの身となりました。



囚われの身の最中、ドイツは連合国に降伏してピレツキ大尉は釈放されました。








しかし、彼は今度はドイツに変わってポーランドを支配したソ連に戦いを挑みました。

その際に捕まり投獄、そこで最期を遂げました。





ヴィトルト・ピレツキ、とんでもないゴールを設定して成し遂げたポーランドの英雄です。

公安

『公安』

社会が安らかで秩序が保たれていること。公共の安寧。

出典:デジタル大辞泉





いきなりだが読者は、この単語を耳にして何を連想するのだろうか。



公安警察、公安調査庁、はたまた表に出ない闇の組織というイメージを思い浮かべるかもしれない。



それとも何か危険な香りが漂うのだろうか。



某博士も公安警察と某主教団体に関する事案で戦った件が有名だ。











さて、今回は表に出ない繋がりであるコーチ達を紹介したい。



公安は監視対象者からある一定の距離感を保ち、決して表に出てこない。










以上がポイントで、このポイントを踏まえたコーチ達がいる。


彼らは自分たちがコーチであるということを明かさず、さりげなく対象者のエフィカシーを上げている。

※一方で私は看板を掲げているShow the Flag(旗をみせる)側だ。






狙われた獲物は確実に仕留められてしまう。ゴール達成だ。



コーチ検索にもヒットしない。



存在は確認されているが・・・それ以上は詳細不明。








表に出ずに作業に従事(意図的に人々のスコトーマに隠れている)している存在なので、筆者は勝手に苫米地式の『公安』と呼んでいる。



もちろん、その実力は折り紙つきだ。



なぜならば、彼らはもともとの業界でそれなりの地位、ポジションを獲得している。












さらなる高みや世界レベルを目指してコーチングの門を叩いているハイエフィカシー×ハイエフィカシーの存在だ。



先日もある公安コーチと接触した。感想は相変わらずスゴイと感じた。



脳ある鷹は爪を隠すではないが、本当に実力のあるものは表に出てこない。



しかし、見つけるヒントがある。それは上記で示したように周りが結果をだす。コーチングを受けるとなぜかまわりにも良い影響を与えてしまう。












抽象度も高まり、自分の技術を周囲の人々にお裾分けしようとする。

※抽象度については説明を割愛します。



ゆえに、彼らの周りもハイパフォーマンスを発揮し始めるのである。



不思議な臨場感に取り込まれてしまう。











もしからした、そんなコーチがあなたの身近に潜んでいるのかも知れない。

公安

『公安』

社会が安らかで秩序が保たれていること。公共の安寧。

出典:デジタル大辞泉





いきなりだが読者は、この単語を耳にして何を連想するのだろうか。



公安警察、公安調査庁、はたまた表に出ない闇の組織というイメージを思い浮かべるかもしれない。



それとも何か危険な香りが漂うのだろうか。



某博士も公安警察と某主教団体に関する事案で戦った件が有名だ。











さて、今回は表に出ない繋がりであるコーチ達を紹介したい。



公安は監視対象者からある一定の距離感を保ち、決して表に出てこない。










以上がポイントで、このポイントを踏まえたコーチ達がいる。


彼らは自分たちがコーチであるということを明かさず、さりげなく対象者のエフィカシーを上げている。

※一方で私は看板を掲げているShow the Flag(旗をみせる)側だ。






狙われた獲物は確実に仕留められてしまう。ゴール達成だ。



コーチ検索にもヒットしない。



存在は確認されているが・・・それ以上は詳細不明。








表に出ずに作業に従事(意図的に人々のスコトーマに隠れている)している存在なので、筆者は勝手に苫米地式の『公安』と呼んでいる。



もちろん、その実力は折り紙つきだ。



なぜならば、彼らはもともとの業界でそれなりの地位、ポジションを獲得している。












さらなる高みや世界レベルを目指してコーチングの門を叩いているハイエフィカシー×ハイエフィカシーの存在だ。



先日もある公安コーチと接触した。感想は相変わらずスゴイと感じた。



脳ある鷹は爪を隠すではないが、本当に実力のあるものは表に出てこない。



しかし、見つけるヒントがある。それは上記で示したように周りが結果をだす。コーチングを受けるとなぜかまわりにも良い影響を与えてしまう。












抽象度も高まり、自分の技術を周囲の人々にお裾分けしようとする。

※抽象度については説明を割愛します。



ゆえに、彼らの周りもハイパフォーマンスを発揮し始めるのである。



不思議な臨場感に取り込まれてしまう。











もしからした、そんなコーチがあなたの身近に潜んでいるのかも知れない。

セルフコーチング講座in松江018『情報空間と次元』苫米地式コーチング

今回のテーマは『情報空間と次元』でした。



コーチングでたびたび出てくる情報空間について深堀しました。











というのは、ブログの読者から



気功をすると人生が変わることに効果があるのか?



そもそもなぜ気功? 



なぜゴールは抽象度が高く、現状を超えていなければならないのか?



などの疑問を頂いたからです。













これらの疑問を俯瞰して解決する視点が情報空間です。



高い抽象度の情報空間に達するゴールのコンフォートゾーンのリアリティを感じるからこそ、とてつもない威力(気、エネルギーを取り出せる)が発揮されます。



言うならば、ゴールに向けてアフターバーナー点火



ホメオスタシスという逆風を一気にかわして見方に付けるには、イメージの中で音速を超えなければなければなりません。















実際に上手に情報空間からエネルギーを落とせれば、ソニックブームを体感します。



ソニックブームとは戦闘機が音速を超えると鳴り響く轟音です。



情報空間からエネルギーを取り出すことに成功すればエフィカシーは急上昇!



それはさまにマインドのソニックブーム。



ただし、それができるようになるためにはしっかりとした知識があった方が効果的です。











情報空間をより身近に感じれば、なぜ私がブログで再三抽象度を上げろ!と指摘したり、話題の鬼谷女子のカラクリが見えてくると思います。



2018年07月08日

苫米地式コーチングを受けてから金銭感覚がおかしくなった話 

苫米地式コーチングを受けて、僕も含め多くのコーチ仲間が体感すること。それは、金前感覚がなんかおかしくなるということ。




僕の場合、その時の自分にとっては高い料金を払って認定コーチ養成講座に申し込んだ。銀行での振り込みを行った際に何かが壊れた。旧来のお金への価値観がぶっ壊れたのだと思う。

申し込む前は、こんな大金を申し込んで本当に大丈夫なのだろうか。高すぎというか、凄すぎでないかと正直思っていた。





しかし、講座が進むにつれ、一桁、二桁お金への金銭感覚がずれてくる。そして、お金に価値はないということに気づく。それで、みな一万円札を破ってしまう(笑)







苫米地博士のパーソナルコーチングは現時点で30分120万円らしい(これからもどんどん上がっていくよ)。最初は何かの冗談かと思うくらい現状から外れた金額だと感じていた。しかし、驚くべきとことに、いつの間にか安すぎると思うようなっていた。なぜならそれ以上の価値があるから。







自己分析するところ僕のお金への感覚、コンフォートゾーンが移行したのだ。正直なところ、自分のコーチング料金ももって値上げしていいんじゃねと思うようになってきた。エフィカシーが上がったのだ。

苫米地さんに洗脳されたのか(笑)





洗脳ではなく社会的価値観からの脱洗脳か。

まあ、なんでもいいや。自分の好きなように自己洗脳すればいいし。





僕に限って言えば不思議なことに、時給900円とか月給30万円とかの求人に入札するのではなく、自分が入札される側になればいいじゃんと考えを改めるようになってきた。苫米地博士の本を読んだり、コーチから言われてきたりした言葉「自分の年収は自分で決めればいい」が腑に落ちてきた。





抽象度の低い話で恐縮だが、僕の周りのコーチは皆一線で活躍している人ばかりだ。それゆえ、多くの人が聞いたらびっくりするような年収を得ている。あの人も、この人も状態だ。そんな人たちに囲まれていると、僕もそうなってないとおかしくない?と感じるようになってくる。それくらい周りの環境は大事だ。




ゴールを設定して、コンフォートゾーンが移行すればあとは、あとは方法が見えてくる。そのことを現在進行形で体感中。

That others may live 〜他を生かすため〜

『That others may live 他を生かすため』にという格言があります。



この言葉は前回ご紹介した航空自衛隊に設置されている航空救難団のモットーです。

300px-UH60J_U125A_KAB002.JPG






とくに航空救難団のメディックと呼ばれる救難員は、雪山や極寒の海で遭難した人を助けるために、パラシュートを使った降下訓練、雪山での遭難救助訓練など信じらないくらい厳しい訓練を実施するそうです。







メディックが実際の救難現場でワイヤーに吊り下げられ降りていく現場はもっと予測不可能な危険に満ちている。いざというときは救いの手を差しのべてくれる教官もいない。それどころか、助けられることを考えてはいけないのである。他でもない自分は助けに来たのだから。たよれる者のいない、たったひとりで、嵐の海や吹雪の山にわけはいってゆき、その極限状況をどうやって切り開き、自分だけでなく、いやむしろまず、OTHERS、他を活かすを、冷静にしかし瞬時のうちに考え、作戦を組み立てたら、果敢に断行して、いまや悪魔の化身に生まれ変わった自然という地獄から生還を試みなければならない。試みるのではない、絶対にサバイバー、遭難者ともに生還しなければならないのだ。それがメディックに課せられた至上命令なのである。

杉山隆男 『兵士を見よ』新潮文庫 P413-414。



rescue_p04_pic_03.jpg





ゆえにメディックになる辛さは、



『目の前に一億円が詰まったジュラルミンケースを十箱積まされた』ときのことにたとえて、これでもう一度、と頼まれても、ためらわずにノーと断るくらいの辛さ



だそうです。




余談ですが、私も若かりし頃、ある組織の訓練において水泳の訓練で一歩間違えれば溺れてしまうというスリリングな経験をしましたが『メディックの方が遥かに苦しい、こんなの大したことはない』というセルフトークを展開して冷静さを保っていた記憶があります。



メディックになるために、毎年4〜6名前後が訓練課程を受講するそうですが、全員揃って卒業できることは稀だそうです。



そのくらい過酷という意味です。






でななぜ、このような過酷な訓練に耐えられるのか?

それが『That others may live 他を生かすため』に表れています。



想像してみてください。






あなたが絶海の孤島で吹雪と高波に囲まれた中で、誰も助けに来れない『もうだめだ』と意識を失う寸前に、空から助けに来てくれる人がいたら。

それがメディックであり、彼らがそんな過酷な状況においても頑張れるのはなぜか?



それは格言どおり他の人の為であろうことに間違いないでしょう。







さて、過酷な状況と人の為という点においてはコーチの役割にも共通します。



コーチの仕事はクライアントのゴールに向けて、エフィカシー(自己能力の自己評価)を高めていくこと。



と言った具合に、時に『ゴール達成しました!』という華々しさだけが伝わりがちですが、実際のセッションは案外と泥臭いものです。







大概のクライアントは悩んでいます。



物理的に大しけの難破船や吹雪の山に取り残されているわけではありませんが、未来が見えない、希望が見えないという点においては情報空間における絶海の孤島での遭難です。






でも、本当は絶海ではなくて脱出ルートがあるよとスコトーマ(心理的盲点)を外す役割もコーチは担っています。



コーチはその状況から救助(救助という表現が適切かどうかは分かりませんが)しなければなりません。



そのためには、メディックがどんな場所にも降りられるという気構えが必要なのと同様に、コーチにも誰、そしてどんなクライアントが来ても大丈夫だという気構えが必要です。





ゆえに、厳しい局面も多々あります。








まずクライアントの人生そのものが掛っています。



クライアントは決して安いとは言えないフィーを払ってまで、なぜそのコーチのセッションを受けたいのか?



人によっては現状の外に一歩を踏み出すことは、とてつもなく怖いことです。








そんな恐怖を味わいたくないというホメオスタシスの抵抗は想像よりも厳しいものです。



下手をするとコーチとクライアントの両方が再起不能という事態もあり得ます。



またクライアントを現状の外に連れていく作業は、それ自体が現状の外の作業なので、どんなに危険な事態が待ち構えているのか計り知れません。








しかし、コーチはメディックが遭難者と伴に生還するのと同じように、無事にクライアントをゴールに導いていかなければなりません。



そこには『That others may live 他を生かすため』と共通する何かがあるように思います。

2018年07月06日

セルフコーチング講座in松江『クライシスサイコロジー』

今回のテーマはクライシスサイコロジー(危機管理心理学)でした。

当講座には教育関係者、医療従事者の方々が多く参加してくれています。




その方々にとってコーチングの知識と技術、非言語クラスでは気功ももちろん役立ちますが、今回はさらに現場で役立てるように『クライシスサイコロジー』をテーマにしました。







クライシスサイコロジーは、その名のとおりクライシス(危機)に直面した時に役立ちます。

一方で、ストレスフルな日常生活を送っている方にも役立ちます。





過剰なストレスにより低下したIQを如何にして上げていくのか、つまりは動物みたいな情動優位の状態から、前頭前野を働かせた人間の思考に戻していく為の奥義です。

クライシスサイコロジーを役立てて、どのような局面が生じても健やか、かつ未来志向の自分を手に入れてもらいたいです。





動画をご覧になった方々も、自分はもとより、この知識を大切な人を守る為に役立ててもらいたいです。




2018年06月23日

神経症に対する意外なアプローチ方

神経症に対するアプローチ法についての続きです。









前回は、本の傷が気になったけど『止観瞑想』で対処した話を書きました。



止観瞑想によって、抽象度(IQを高めて)、前頭前野を活性化させて、大脳辺縁系の情報処理に介入します。









さて、本が汚れた、またはそれ以外のショッキングな出来事に遭遇すると私たちのIQは低下します。



IQ(Intelligence Quotient)に関しては、世間一般では知能指数を意味して、その値は絶対的だと認識されています。









しかし、IQは相対的です。



先のショッキングな出来事に遭遇した時や、お酒を飲んだ時に明らかにIQは低下します。



ショッキングな出来事に対しては、特定の考えが強迫観念のようにこびり付いたり、不安になったり、イライラして怒りやすくなります。











お酒を飲んだらIQが低下して理性が飛びます。

※IQは高めることも可能です。









よくスパイ小説で、政治家や政府の高官などの重要人物をターゲットにして、お酒をベロンベロンに酔わせて、その人が部屋に帰るとベッドに美女が横たわっているというシーンがあります。



そして、ちょっと油断した瞬間に秘密警察が入って来てシーンを写真に収めるという描写があります。



そんな場面が本当にあるのかどうかは分かりませんが、大概の男性であれば油断してしまうでしょう。









これもIQが下がったために生じます。



IQの低下により、重要人物もスキャンダル等で後々大変なことなんか忘れて煩悩に負けてしまうわけです。









あと、私が新卒で入った職場の人の実例ですが、バス停を持って帰ってくる人がいます(笑)



これも後に器物破損罪などで下手をすれば検挙される蓋然性が高いです。



しかし、なぜそんなことをしでかしてしまうのかと言えば、これまたアルコール摂取によりIQが低下したためです。









なお、その職場は逮捕権を持つ組織なのですが、IQが下がったために逆に逮捕される未遂の出来事をしでかしてしまうのです。















さて、前回の復習と補足はここまでにします。



今回は本そのものの機能(役割)についてです。



と同時にここでゴール設定が必要となります。









良い悪いは別として、私の場合はゴールと関係がある本を読んでいます。



それゆえ、本に対して、ゴール達成への知識を得る情報媒体としての機能を与えています。









純粋に情報を得ることだけが目的なので、汚れてしまっても機能を果たせます。



『なので良し!』です。









もし本に関して、インテリアとしての役割を与えれば汚れは気になるでしょう、しかし、今回の私がその本に与えた機能は情報収集です。



『情報収取が目的なので、それで良し!』なのです。









『でも』という雑念が湧いて来たらすかさず『D』 とラべリングします。



心の中で『D』 と叫びます。



『D』 Delusionは雑念を意味します。







ラべリングをすることで前頭前野が活性化してIQが高まります。



意識にあげれば書き換え可能であり、これは神経症を引き起こすであろうと推測される脳のベースラインへの強制介入を意味します。









その元となるのがゴール設定です。



神経症であろうが、なかろうが毎日を楽しく、幸せに生きるというゴールを設定します。











それは神経症と闘わない、受け入れて生きていくことを意味します。



受け入れるとは抽象度を上げることを意味します。











多くの人が神経症を辛く感じるのは、自分で症状をコントロールできないからです。



しかし、抽象度を高めていけば、このシリーズで書いたようにコントロール可能になります。











例えば、神経症で苦しむ自分、反対に健全に健やかに生きる自分がいるとしましょう。



抽象度を一段上げれば、どちらでも選べる自分がいます。

※LUBをとる



そのどちらでも選べる自分の抽象度から神経症を止めた自分を選びます。











言い換えれば、ゴールのコンフォートゾーンの自分を神経症をやめた自分に設定して、その臨場感を高めていくということ。



これにより前回の記事で書いた前頭前野の前頭前野の認識パターン(ブリーフシステム)が書き換わります。















以上、今回のシリーズをまとめると、神経症に対しては抽象度(IQ)を高める。



前頭前野による介入が高い効果を発揮すると考えられます。









そして何よりゴールが大切です。



今後ともこの分野の研究は続けていきたいと思います。

2018年06月14日

神経症に至るブリーフシステム

前回の本の傷みが気になった話の続きです。








先日、本がいきなり水浸しになってショックを受けたけど、しかし、今回はあまり気にならなかったという話を書きました。





今回は、ではなぜあまり気にならなかったのか?















その理由は抽象度を上げて状況を俯瞰したからです。



止観瞑想という方法で対処しました。









止観瞑想とは煩悩や情動(感情)を脇に置いて、一段上の抽象度から自らを省みる瞑想です。



なぜ自分は本が水浸しになって、それが気になるのかルーツ(縁起)を辿っていく方法です。











まずは逆腹式呼吸等で徹底的にリラックスをします。



徹底的なリラックスは変性意識を高めて、囚われの情動から離れることができます。また、方法は後日開示しますが、この状態だからこそ自分自身を書き換えることもできます。











そこで明らかになったことは、まず万物は流転するということ。未来永劫物事が同じ形で在る事はないという事実を前提として思い出しました。



諸行無常です。









神経症が酷かった頃の私はこの前提を間違えていまいた。



『物事が思い通りにならなければならない』というブリーフシステム(信念体系)です。









とかく人間はこのブリーフシステムから反することを是正しようと試みます。



時には、戦争さえも引き起こします。











しかし、今振り返れば常に縁起は流れ諸行無常であり空なので、この世に実体そのものがない。



このことが分からずに自然(宇宙)を相手に無駄な戦いを挑んでいたわけです。



無明です。今振り返れば単にバカだったとなりますが、当時は前述のブリーフシステムのためにそうは思えなかった。







人間はスコトーマの原理から外れた対象は認識できないという原理です。













ではなぜ、そのようなブリーフシステムが構築されたのか?



それに対しても止観瞑想です。













それは神経症が発生した当時は受験生であったので不安や焦りがありました。



不安や焦りはあってもいいのですが、当時の私としてはそれを認めることができなかった。













一方で、不安や焦りを感じることは、すなわち負けを認めることであり、それは許されないというブリーフシステムもあったのです。



ブリーシステムは一つではなく階層性があります。









『物事が思い通りにならなければならない』というブリーフシステムがあり、他にも『不安や焦りを感じることは、すなわち負けを認めることであり、それは許されない』というブリーフシステムがありました。





これらが悪い方向に依存的に働いて神経症を引き起こしたと推測します。











ではなぜ『不安や焦りを感じることは、すなわち負けを認めることであり、それは許されない』というブリーフシステムが構築されたのでしょうか?



おそらくは、過去に(と言っても幼少期に)大切なモノが傷ついて大きなショックを受けた、かつ大きな恥辱を味わった。



または小学生の頃にイジメられた経験が関連しているのかもしれません。









いずれにせよ、それらが当時の私にとっての耐えがたい記憶として大きな不安を抱かせ、自信も喪失させたと考えます。











しかし、その不安を押し込むためや、もう二度と同じような情動を味わってはいけないと、防衛機制として変な思い込み(ブリーフ:信念)が構築されたと推測します。













機能脳科学的に観ると、幼少期のイヤな出来事がエピソード記憶として側頭葉に投げ込まれた。



エピソード記憶とは『個人が経験した出来事に関する記憶』です。





エピソード記憶が投げ込まれる際に、海馬と前頭前野、前帯状皮質、尾状核とのネットワークが作用して、長期記憶として側頭葉に投げ込まれます。













とは言え、何でもかんでも長期記憶になるわけではありません。



海馬が側頭葉に投げ込む記憶の選別を行ないます。



そして、どのような記憶が選ばれるのかというと失敗の記憶です。



幼少期の記憶やイジメられた体験を私の脳は失敗と見なしたのです。















一方で、記憶を思いだす際はその逆で、後年、受験時の不安が引き金となり、このエピソード記憶として側頭葉に格納されている記憶にアクセスして、情動だけを引っ張り出したと推測されます。





この状態に対して『早く健全な状態にならなければならない』というまた別のブリーフシステムが打ち消そうとして神経症特有の強迫観念を生じさせました。













強迫観念は前回説明したように、『家の鍵を閉めたのに、もしかしたら閉め忘れたかも』という雑念が異常に気になる状態です。



もしくは、『手にばい菌が付着したかもと、何度も何度も手を洗ってしまう状態です(一方で、もうそんなことはないという認識もあります)』



そんなことはないと頭では分かっているけど、それ以上に不安が大きくて、不安を打ち消そうとする心理状態です。











強迫観念の情報的原因は、前述の海馬が記憶をする際に伴う前頭前野、前帯状皮質、尾状核との間におけるネットワークエラー、信号処理の異常だと考えられます。









また思い出した情動記憶に対して海馬に隣接する扁桃体という部位が強めたり、弱めたりします。











例えるなら、海馬はダムの操作員であり、扁桃体は放水管理者です。



側頭葉というダムから、放水管理者が『水力を増せ』と命令すれば操作員は『了解』バルブを一杯に広げて、水が大量に放出されます。



この様な感じで扁桃体から嫌な記憶を増幅して思い出すのです。













ただし、海馬と扁桃体の連係プレーだけでは、一時的には嫌な記憶が増幅するだけです。



しかし、海馬と扁桃体の連係プレーが強迫観念として繰り返され、そこに前頭前野が絡んで人格レベルのブリーフシステムを構成したのです。











これにより、神経症は病気ではないのですが、しかし、極めて病的に近い人格を引き起こしてしまったと考えられます。





この結果、ブリーフシステムに反することがあるとキレたり、鬱っぽくなっていました。





これらは明らかに認識パターンの異常であり、ブリーフシステムのエラーです。













このエラーに対して、このように前頭前野をフル回転させて、つまり抽象度の一段高い所から『なぜ自分は本が傷んで気になったのか』を観ることが止観瞑想です。





詳細は、後日書きますが、この前頭前野を働かせるという点が、イヤな記憶と、その記憶が織りなす神経症という自己イメージを書き換えるのに重要な役割を果たします。













2018年06月13日

神経症とブリーフシステム その書き換え

※昨日のメルマガ記事を加筆・修正しました。なお、今回は専門用語を頻用しております。



久しぶりに私ごとの記事を書いてみようと思います。











先日、買ったばかりの本が傷んでしまいました。







一冊は、カバンの中に収納していたコーラが爆発(笑)して、コーラまみれになりました。



もう一冊は、先日雨の中、都内を歩いていたらカバンが濡れて、中に収納されていた本も濡れてしまいました。本の防水処理を忘れていました。



経年劣化で本が傷む、汚れることは受け入れられるのですが、買ったばかりの本が傷む、汚れることは私としてはショックでした。







以前の自分であれば、本の汚れが気になって、新しく本を買い替えていたことでしょう。













しかし今回はその必要はなかった。なぜならば、意図的にブリーフシステム(信念体系)を書き換えることに成功したからです。





ブリーフシステムとは、ある人のものの見方や考え方とそれに付随する行動性向からなる信念の体系です。







さて、私の実体験を交えながら神経症について解説していきたいと思います。



プロフィール欄にあるように、私は神経症でした。









でしたと書いた理由は、今は良くなったからです。









神経症とは現代の医学から見れば病気ではない、けど正常ではないという心の状態です。



※今は神経症とは言わずに○○障害というようですが、神経症という表記で統一します。









有名なのが強迫神経症です。例えば、外出の際に、鍵を閉めたハズなのに、もしかしたら閉め忘れたかもしれないという考え(観念)が頭から離れない状態、異常に気になる状態です。







他にも抑うつ神経症と言われる、うつ病のように元気がなくなる、けど、うつ病ほどはしんどくないという神経症もあります。





調べてみれば分かると思いますが、いろいろな神経症があります。









神経症者は、自分が囚われてしまったこと、気になったことを振り払うためにエネルギーを要します。



そのために思考にエネルギーを妻い過ぎて、疲弊しやすい体質になります。







または、神経症はムリゲーなブリーフシステムという脳の情報処理システムエラーが原因と考えられますが、一方で物理的に脳の働きを制御しようと薬が処方されます。しかし薬の副作用はかなり強烈です。







眠気やだるさ、喉の渇き、集中力低下などに苛まされます。



結果、ますます疲れやすい、覇気がない人間になっていきます。



今思えば私も良く『お前は覇気がない』と周囲から言われたものでした。











何で囚われてしまうのかというと完璧主義、『かくあるべし』というブリーフシステムが要因です。



その原因はセルフエスティームの低さと記憶が原因です。



セルフエスティームとは、自分の存在やポジションに対する自己評価です。自尊心とも言います。











おそらくは、ココロのどこかにセルフエスティームが低くなるような、つまり存在を否定された強烈な感情を伴う記憶(情動記憶)があったのでしょう。



その裏返しで、『自分は完璧でないと人から評価してもらえない』というブリーフ(信念)が形成されました。











またセルフエスティームが低いとは、自分で自分を低く見積もっています。でも、セルフエスティームが低いゆえにそのことを受け入れることができません。



逆説的にいうと、プライドが高いから受け入れることができないと言い換えても差し支えはありません。



ここで言うプライドとは、低いセルフエスティームの裏返しでできた虚勢です。











受け入れたら負け、自我が崩壊してしまうという恐怖があるからです。



セルフエスティームが低い、しかしその現実は受け入れることはできない、そのネジレが完璧主義を生み出していると考えます。



完璧であらねばならないというブリーフシステムは、そうしないと自分がみじめ(と見做される)になる、さらにいうと自分が無くなってしまうという恐怖心に由来します。









また、『本当はやりたくないけど、周囲から評価してもうために、やらなければならない』という強制的モチベーションもあります。



なので、ブリーフシステムから逸脱した考えや、時には自分に対して批判的(認めてくれない)人間に対してさえも排除しようとセルフ・レギュレーション(自己規制)が働きます。



そのコンフォートゾーンを維持しようとココロが働きます。





コンフォートゾーンとは、その人にとって慣れ親しんだ、心地よい空間や状態です。ただし、自分にとって快適でなくてもコンフォートゾーンです。







しかし、これが異常に働いて、ブリーフに合致しない考え(観念)を過剰に打ち消そうとした結果、強迫観念が生じます。



また考え方も、スコトーマを生みやすい白か黒かの二分思考になります。



二分思考ついでに言うと、調子が良い時と悪い時の幅が大きく、この幅もコンフォートゾーンです。









調子がいい時は人生がスイスイと進んでいる感じがします。でも、ココロの底では、『調子がいい状態はおかしい』と感じているので、何かのトラブルがあるとそれを引き金として、大きく心身の状態を崩してしまします。



人生これの繰り返しなので、まるでコピーのような人生、無間地獄です。



余談ですが、摂食障害に苦しむ女の子も神経症的なブリーフシステムが垣間見れます。









その中身は完璧(な外見)でないと周りから評価をされない。人と比べて惨めな劣等感を感じてしまう恐れがあるように思えます。



もちろんこれも過去の強烈な感情を伴った記憶(情動記憶)が関連しています。



神経症がひどくなってくると病気と言わなくとも、かなり生きづらくなります。









日常生活を送っていくことが精いっぱいになってしまうのです。



以上、体験者は語るでした。







長くなりそうなので続きはまた別の機会に書きます。
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。