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冬の子育て

トロントの冬は当たり前だが寒い。

車を使いたくなかった(冬の運転が怖くて落ち込み)ので
ダウンタウンからサブウェイで10分程の
築40年程の古い駅前のアパートに住んでいた。
全部で200所帯は入っている大きな建物だった。

アパートはセントラルヒーティング。
入居時は建築当初からのラジエーターが付いていて、
各部屋はおろか、各戸で温度調節ができなかった。

とにかく暑い炎
暖かいを通り越して暑い。

だから室内では半袖Tシャツ1枚だった。

あまり暑いので、うっかり窓など開けたら大変。


「ほんの一瞬だけ・・・・」


と思って開けた窓。
一度開けたら閉まりません。
瞬時に凍りますから・・・

窓閉めるの一苦労でした。
ドライヤーで溶かして・・・



一度ならず、何度か同じ失敗しましたけども困った


そんな感じなので、まだ幼い頃は出かけるのもたいへーん。
でも家にこもっててもストレスたまりますよね。

赤ちゃんじゃ話し相手にならないし。

独り言の世界。
ちょっと変な人になった気分。

同じ年頃の子供を持つ日本人ママ友とはよく行き来しました。
お互いの家を行き来して、おしゃべりおしゃべり。
1日中しゃべってましたね。

もしくはショッピングモールカバン

広いし平日は空いてるから、
ベビーカーで行っても問題なし。

ただ買い物なんかすると、帰る時は大変。
徒歩圏には友達住んでなかったから、
それぞれ帰りは別れて一人。
日本よりもずっと小さい子供連れにフレンドリーで
駅や電車でもみんな手伝ってくれるし、
子供が泣いてもみんなであやしてくれるので、
気後れすることはないんだけど、
やっぱ一人で出かける身軽さとは違うのよね。

でもお互い子供が小さい時は、
特に冬の間は風邪ばっかり病院

約束してても、どっちかが熱出したりして、駄目になることも多かった。

そうすると、頼りになるのは同じアパートの友人たち。

うちのアパートには娘と同級生こそいなかったけど、
遊び友達は色々いた。

女の子まず、同じフロアのコリアン、チェリー。
娘より2つも年上のお姉さんだったけど、
時々遊んでもらった。
5年生のお兄ちゃんの留学のため、
ソウルからお母さんと3人で2年の予定でトロントに来ていた。
お父さんはソウルでお仕事。

初めはびっくりしたけど、
そういう人が五万といることを知り、もっとびっくりしたブタ
韓国では結構当たり前になってきているらしい。

彼女によると、取り合えず今回は小学校卒業まで2年。
一度韓国に戻り、また2年後トロントに戻ってくる予定なんだそう。
カナダかアメリカの大学に進学させると言ってました。
「みんなそのために小さい時から留学させるのよ」って。

ブタびっくりですー。

息子がちょうど反抗期でね。
お母さんの言うこと聞かないし、
お父さんはいないし・・・

お母さんストレスで胃炎になっちゃって
何も食べられなくなって・・・

よく電話かかってきて、
「ちょっとうち来ない?」

愚痴を聞く役を仰せつかりましたよ。

コリアンフードをよく作ってくれてね。
私辛いの大好きだから、とても嬉しかったです。

息子もバリバリに辛いの食べていて、驚きでした。

さすがに4歳のチェリーは食べてなかったけど・・・


女の子次に娘より一つ年上のシムシム。
パパはヨルダン、ママはエストニアの人でした。
見た目はキンキンの金髪の白人。
やはりロシア系の感じが強く出ていました。
パパのアラビックな感じはあまり感じられず・・・

彼女はとても体が大きくて、
小柄な娘と一緒に遊ぶのが時に不安でした。

しかもママはとてもかしこい人で、
娘に英才教育をしていて、
3歳のシムシムは何でも本を上手に音読することができ・・・

もー、ビックリ。

自転車やスクーターにも上手に乗れて、
もー身体的にも頭脳的にも非常に優れていまして・・・

気後れ。

ママはエストニアの大学で教育学を専攻し、
先生になりたかったんだって。
でも国が貧しく、仕事がないので、
とりあえずアメリカで1年間ナニーをして資金をためようと思ったのだそうで。

アメリカでナニーをする間、
当時アメリカのおもちゃの会社に勤務していた旦那さんと出会い結婚。
トロントに移民してきたというわけ。

シムシムが少し大きくなったら、
カナダの大学で教員免許を取って、
公立校の教師になりたいと言っていました。

きっと今頃は夢をかなえているはず・・・


男の子3人目は一つ年下のニコラス。
パパはカナダ生まれのチャイニーズ、ママはフィリピンからの移民でした。
うちとは別棟だったんだけど、
部屋の位置関係が斜め向かい合わせで、
朝、ベランダ越しに「今日ひまー?遊べるー?」って話をすることも。
でもしばらくしてママがベビーシッターにニコラスを預けて仕事を再開したので、
あまり遊べなくなりましたけど。

ニコラスは体も小さくて、おとなしい男の子だったので、
安心して遊ばせることができました。

ママは臨床検査技師でね。
やっぱ手に職持ってる人はどこへ行っても強いですよ。
治験を取り扱ってる研究所に勤めていてね。
なんでも、検査技師にもランクがあって、
テクニシャンとスペシャリストだったか。
カナダの資格取らないと、スペシャリストにはなれなくて、
テクニシャンだとスペシャリストのアシスタント業務しか出来ないとか。
でも子供が小さいうちはそれでいい、って言って
テクニシャンとしてアルバイトしていました。
毎日ひたすら採血してるよーって。
でも手に職系でうらやましかったです。

この3人がいてくれたので、
冬の間も退屈せずにすみました。

でも娘が4歳になった頃には
チェリーは帰国、
シムシムとニコラスは転居してしまい、
寂しくなってしまいました・・・
うちも程なくして日本に移住することになったのですが。


同じアパートにはもう一人、
日本人ママとボスニア人パパという家族もいました。
子供は娘より2つ半年下の男の子。
ちょっと年が離れていたので、
遊び仲間にはなれませんでしたが、
時々おしゃべりしに行き来したりしていました。

郊外に家を買うのも良いけれど、
子供が小さいうちは、都会のアパート暮らしでよかったと思います。
特に私も移民で、家族や知り合いもあまりいないし、
極寒の長い冬を乗り越えるには、外に出なくても会える仲間がいることは
本当に大きな助けだったと思います。

それがなくて、毎日子供と二人っきりだったら、
まじで育児ノイローゼになってたかも・・・

子供が小さいうちは特に、
お母さんの社交ってとっても大事ですよね。


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