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2014年06月13日
知ると許せる
こんにちは
うちの息子には短気な面があります。
例えば、炒めものをしているとき塩をふったらよく出てこない、するとすぐに癇癪をおこして、
「ちっきしょーっ、うっぜーなお母さんこの塩捨てて」
となります。
湿気が多くて岩塩が固まってるのかな とかは考えないし、ちょっとカンカンっとたたいてみよう、とか、ふたをとってスプーンでいれてみようかな、という方に気はまわりません。
自分の思い通りにいかないとすぐ切れる、怒り出す、という息子の性格に、昔は私も なんでそんなにすぐ起こるのっと腹をたてていました。
しかし発達障害のことなど調べていくうちに、
「あ、これって脳のくせなんだ。病気なんだ。言っても治らないんだ。」
ということが分かってから、あまり腹が立たなくなりました。
そして発達障害の子に頭ごなしに怒鳴るのは逆効果 ということを知ってから、子供達との関係がスムーズにいくようになりました。
これはADHDっぽい主人にも当てはまり、
「多少間違っていると思っても、相手の意見を認めて そうだね と賛成してあげることが必要」
なんだな ということを知ってから、主人との喧嘩も減りました。
そして40年以上許せなかったある人のことが許せるようになりました。
その或る人 というのはうちの母です。
私はすごく小さな子供の頃、自分の空想したことを現実にあったかのように言ってしまったり、ずっと昔のことを昨日あった事のように言ってしまったりすることがありました。
そしてそれを母に
「嘘をついた」
と言われてよく叩かれていました。
自分では嘘をついた記憶はないので、なぜ叩かれているのか分からない状態で、
「ごめんなさい、ごめんなさい、」 と泣きながら謝っていました。
小学生くらいになると、机の上を片ずけなかったり、兄弟げんかをした時など、母は激怒して私たちの髪の毛をつかんで引きずり、外に放り出しました。
「ごめんなさい」
を言うまで家の中には入れてもらえないのですが、だんだん外に出したくらいでは謝らなくなってきたからか、はだかで外にだされる時もありました。
小学生の中学年くらいになっていたので、さすがに恥ずかしくて、自分が悪いと思っていないときでも、とりあえず泣きながら
「ごめんなさい、ごめんなさい、」
と謝っていたのを覚えています。
うちの母は常に子供をぶつための棒を持ち歩いていました。
母曰く、 「手でぶつと自分の手が痛いから。」
母の持つ棒は母の虫の居所によっていつ振り下ろされるか分からないので、私たち兄弟は、母が自分のそばを通る時はビクッとなって身を固くするのが習慣になっていました。
「自分の子供だから生かすも殺すも自分の勝手」 とか、 「ライオンは子供を谷底に突き落とし、上がってきた子だけを育てる」 とか、 「殺人と強盗をしなければ、あとは何をやってもいい」 とか、言うような人でした。
思春期になって、力も母に負けなくなるとそうそうぶたれてばかりということはなくなりましたが、たまに気が狂ったように切れる母はずっと恐怖の対象だったし、私は母のことが嫌いでした。
何でも自分の思い通りにしようとするし、例えそれが間違っていることでも押し通すパワーを持っていました。
こちらが言った何気ない一言をマイナスに受け止め、いきなり切れて怒り出すこともよくありました。
特に母の思い通りになっていかなかった弟は、寝ている間に首を絞められて殺されそうになったこともあるし、母の投げた包丁が妹の頬をかすったこともありました。
「あいつは狂人だから」
弟は言っていましたが、今考えてみると「狂人」ではなく、きっと「障害者」だったんですね。
母もそれまでの人生の中で自分を認めてくれる人にも出会えず、援助もなく、たくさん傷ついてきたんでしょう。
だからあんな、性格障害者のようになってしまったんでしょうね。
今でも私は母のことが好きではないし、父の浮気や別居、弟の家出などの原因になったとも思うし、私自身がかなり長い間こころに傷を持ち続けてしまった元凶にもなっている人だと思っています。
でも「発達障害」を知ってからは、そして母が発達障害のこじれてしまった人なのではないか、と思った時から、私の固くなっていたこころが少し解けたような気がします。
私自身も発達障害っぽかったし、そういう子供達を育てるのも、母は母なりに大変だったんでしょうね。
発達障害なのにそれが分からず、周りの人の理解を得ることができなくて性格障害を起こしてしまっている人、けっこういると思います。
その人の努力だけではどうにもならないんだ。
母もかわいそうな人だったんだ。
今、やっとそう思えるようになりました。
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そして40年以上許せなかった人のことも許せるようになりました。
その人というのは私の母です。
うちの息子には短気な面があります。
例えば、炒めものをしているとき塩をふったらよく出てこない、するとすぐに癇癪をおこして、
「ちっきしょーっ、うっぜーなお母さんこの塩捨てて」
となります。
湿気が多くて岩塩が固まってるのかな とかは考えないし、ちょっとカンカンっとたたいてみよう、とか、ふたをとってスプーンでいれてみようかな、という方に気はまわりません。
自分の思い通りにいかないとすぐ切れる、怒り出す、という息子の性格に、昔は私も なんでそんなにすぐ起こるのっと腹をたてていました。
しかし発達障害のことなど調べていくうちに、
「あ、これって脳のくせなんだ。病気なんだ。言っても治らないんだ。」
ということが分かってから、あまり腹が立たなくなりました。
そして発達障害の子に頭ごなしに怒鳴るのは逆効果 ということを知ってから、子供達との関係がスムーズにいくようになりました。
これはADHDっぽい主人にも当てはまり、
「多少間違っていると思っても、相手の意見を認めて そうだね と賛成してあげることが必要」
なんだな ということを知ってから、主人との喧嘩も減りました。
そして40年以上許せなかったある人のことが許せるようになりました。
その或る人 というのはうちの母です。
私はすごく小さな子供の頃、自分の空想したことを現実にあったかのように言ってしまったり、ずっと昔のことを昨日あった事のように言ってしまったりすることがありました。
そしてそれを母に
「嘘をついた」
と言われてよく叩かれていました。
自分では嘘をついた記憶はないので、なぜ叩かれているのか分からない状態で、
「ごめんなさい、ごめんなさい、」 と泣きながら謝っていました。
小学生くらいになると、机の上を片ずけなかったり、兄弟げんかをした時など、母は激怒して私たちの髪の毛をつかんで引きずり、外に放り出しました。
「ごめんなさい」
を言うまで家の中には入れてもらえないのですが、だんだん外に出したくらいでは謝らなくなってきたからか、はだかで外にだされる時もありました。
小学生の中学年くらいになっていたので、さすがに恥ずかしくて、自分が悪いと思っていないときでも、とりあえず泣きながら
「ごめんなさい、ごめんなさい、」
と謝っていたのを覚えています。
うちの母は常に子供をぶつための棒を持ち歩いていました。
母曰く、 「手でぶつと自分の手が痛いから。」
母の持つ棒は母の虫の居所によっていつ振り下ろされるか分からないので、私たち兄弟は、母が自分のそばを通る時はビクッとなって身を固くするのが習慣になっていました。
「自分の子供だから生かすも殺すも自分の勝手」 とか、 「ライオンは子供を谷底に突き落とし、上がってきた子だけを育てる」 とか、 「殺人と強盗をしなければ、あとは何をやってもいい」 とか、言うような人でした。
思春期になって、力も母に負けなくなるとそうそうぶたれてばかりということはなくなりましたが、たまに気が狂ったように切れる母はずっと恐怖の対象だったし、私は母のことが嫌いでした。
何でも自分の思い通りにしようとするし、例えそれが間違っていることでも押し通すパワーを持っていました。
こちらが言った何気ない一言をマイナスに受け止め、いきなり切れて怒り出すこともよくありました。
特に母の思い通りになっていかなかった弟は、寝ている間に首を絞められて殺されそうになったこともあるし、母の投げた包丁が妹の頬をかすったこともありました。
「あいつは狂人だから」
弟は言っていましたが、今考えてみると「狂人」ではなく、きっと「障害者」だったんですね。
母もそれまでの人生の中で自分を認めてくれる人にも出会えず、援助もなく、たくさん傷ついてきたんでしょう。
だからあんな、性格障害者のようになってしまったんでしょうね。
今でも私は母のことが好きではないし、父の浮気や別居、弟の家出などの原因になったとも思うし、私自身がかなり長い間こころに傷を持ち続けてしまった元凶にもなっている人だと思っています。
でも「発達障害」を知ってからは、そして母が発達障害のこじれてしまった人なのではないか、と思った時から、私の固くなっていたこころが少し解けたような気がします。
私自身も発達障害っぽかったし、そういう子供達を育てるのも、母は母なりに大変だったんでしょうね。
発達障害なのにそれが分からず、周りの人の理解を得ることができなくて性格障害を起こしてしまっている人、けっこういると思います。
その人の努力だけではどうにもならないんだ。
母もかわいそうな人だったんだ。
今、やっとそう思えるようになりました。
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その人というのは私の母です。