新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2020年08月31日
1988年国体記念の分室局丸型印(名古屋中央局柳橋分室)
今回の台切手は国体記念の切手です。記念切手への実逓での分室印は少なく、満月印などは稀少なアイテムになります。前回のブログでの記載しましたが、分室では通常郵便物への押印はなくあくまで窓口での押印になりますので、注文消しや窓口で依頼をしないと消印は押印されません。ですが、この局の実逓印は時々見かけます。名古屋駅に近く市場などがあった影響でしょうか。
(局の変遷)
・1939年3月11日〜1945年9月20日=名古屋柳橋郵便局
・1945年9月21日〜1952年8月31日=中村郵便局 柳橋分室
・1952年9月1日〜2012年10月9日=名古屋中央郵便局 柳橋分室
(局の変遷)
・1939年3月11日〜1945年9月20日=名古屋柳橋郵便局
・1945年9月21日〜1952年8月31日=中村郵便局 柳橋分室
・1952年9月1日〜2012年10月9日=名古屋中央郵便局 柳橋分室
2020年08月27日
平成切手シジュウカラ70円の分室局欧文印(天王寺局貯金事務センター内分室)
今回の分室印も郵政民営化に伴い、「貯金事務センター」や「保険事務センター」の名称が無くなるため、さらに支店となる局は分室が持てない、という理由から親局と分室名が両方変更になった分室の改称3日前の欧文印です。天王寺郵便局貯金事務センター内分室から、大阪南郵便局城南寺町分室へ変更になり現在も存在しています。この分室も実逓ではあまり見かけません、分室であるために窓口受付の郵便物のみ(書留など)押印されるからでしょうか。この平成シジュウカラは注文消しにも多く使用されています。
(局の変遷)
・1952年10月16日〜1984年6月30日=天王寺郵便局 貯金局内分室
・1984年7月1日〜2007年7月29日=天王寺郵便局 貯金事務センター内分室
・2007年7月30日〜=大阪南郵便局 城南寺町分室
(局の変遷)
・1952年10月16日〜1984年6月30日=天王寺郵便局 貯金局内分室
・1984年7月1日〜2007年7月29日=天王寺郵便局 貯金事務センター内分室
・2007年7月30日〜=大阪南郵便局 城南寺町分室
2020年08月24日
コブハクチョウ5円の分室局丸型印(マーチャンダイズビル内局大手前分室)
前回に引き続き、今回の消印も郵政民営化に伴い分室の親局が変更になったものです。マーチャンダイズビル内局は大阪東局から東北東へ約1キロの場所にあり、1969年8月25日開設の局です。この分室の消印も実逓ではほとんど見かけません、ほとんどが注文消しです。大阪マーチャンダイズ・マートビルは、1969年竣工の大阪府大阪市中央区大手前1丁目にある複合ビルで、通称「OMMビル」が略称。横幅の長い壁のような外観が特徴的で、米国シカゴにあるマーチャンダイズマートビルをモデルにしています。
(局の変遷)
・1940年6月16日〜1959年3月1日=大阪東郵便局 杉山分室
・1959年3月2日〜2007年7月29日=大阪東郵便局 大手前分室
・2007年7月30日〜2012年3月31日=マーチャンダイズビル内郵便局 大手前分室
(局の変遷)
・1940年6月16日〜1959年3月1日=大阪東郵便局 杉山分室
・1959年3月2日〜2007年7月29日=大阪東郵便局 大手前分室
・2007年7月30日〜2012年3月31日=マーチャンダイズビル内郵便局 大手前分室
2020年08月20日
コブハクチョウ5円の分室局丸型印(西陣局松ヶ崎分室)
今回の分室は2007年10月の郵政民営化を控えて混乱が起きないように郵便局名の変更及び分室の管轄局の再配置が行われ、その際に親局と分室名が変更になった分室です。民営化で「貯金事務センター」「保険事務センター」の名称が無くなることから左京保険事務センター内分室から西陣局松ヶ崎分室へ変更になりました。この分室の変遷を見ますと名称変更ごとに変わっていることがわかります。分室とは区別しにくい実逓ではあまり見かけない分室です。
(局の変遷)
・1942年9月1日〜1949年7月25日=左京郵便局 保険支局内分室
・1949年7月26日〜1984年6月30日=左京郵便局 保険局内分室
・1984年7月1日〜2007年7月29日=左京郵便局 保険事務センター内分室
・2007年7月30日〜2013年3月16日=西陣郵便局 松ヶ崎分室
(局の変遷)
・1942年9月1日〜1949年7月25日=左京郵便局 保険支局内分室
・1949年7月26日〜1984年6月30日=左京郵便局 保険局内分室
・1984年7月1日〜2007年7月29日=左京郵便局 保険事務センター内分室
・2007年7月30日〜2013年3月16日=西陣郵便局 松ヶ崎分室
2020年08月17日
ソメイヨシノ50円の分室局櫛型印(神戸中央局三宮駅内分室)
今回も前回と同じ分室ですが、灘局三宮駅内分室の後に親局が神戸中央局へ変更になった際の消印です。現在は駅内が削除されています。ソメイヨシノ50円は昭和56年1月の郵便料金改正を控えて前年の10月に発行された、ツバキ30円、アブラナとモンシロチョウ40円と同時に発行されました。この動植物国宝図案1980年シリーズ(日専より)では図案の統一として低額面切手は植物をモチーフとして意匠を用いています。当初は封書用だったと思われますが書状料金が60円になったことから適応額面がなくなり、キリのよい数字切手として使われました。消印は神戸中央局三宮駅内分室の櫛型印です。
(局の変遷)
・1945年6月11日〜1967年11月5日=灘郵便局 三宮駅内分室
・1967年11年6日〜2011年7月28日=神戸中央郵便局 三宮駅内分室
・2011年7月19日〜=神戸中央郵便局 三宮分室
(局の変遷)
・1945年6月11日〜1967年11月5日=灘郵便局 三宮駅内分室
・1967年11年6日〜2011年7月28日=神戸中央郵便局 三宮駅内分室
・2011年7月19日〜=神戸中央郵便局 三宮分室
2020年08月13日
日光陽明門40円赤の分室局櫛型印(灘局三宮駅内分室)
前回のブログで神戸中央局三宮分室の櫛型印を紹介しましたが、今回の分室が現在もある神戸中央局三宮分室になります、昭和32年当時は灘局の分室でした。日光東照宮陽明門40円赤は書状速達用として発行された切手ですので櫛型印が多いのですが、発行当時の外信船便書状が20グラムで40円でしたので欧文印も多く存在しています。この切手では昭和30年代の和文機械印が非常に稀少で封書用であるために、30円の円覚寺舎利殿より難しいでしょう。消印は灘局三宮駅内分室の櫛型印です。当時の親局である灘局の前にも違う親局だったようですが今回は省略いたします。
(局の変遷)
・1945年6月11日〜1967年11月5日=灘郵便局 三宮駅内分室
・1967年11年6日〜2011年7月28日=神戸中央郵便局 三宮駅内分室
・2011年7月19日〜=神戸中央郵便局 三宮分室
(局の変遷)
・1945年6月11日〜1967年11月5日=灘郵便局 三宮駅内分室
・1967年11年6日〜2011年7月28日=神戸中央郵便局 三宮駅内分室
・2011年7月19日〜=神戸中央郵便局 三宮分室
2020年08月10日
金魚35円のD欄分室名入り櫛型印(神戸中央局三宮分室)
35円金魚の発行枚数は約5億枚(日専より)ですが、主に書状速達や外信航空書状(第1地域宛=中国・台湾・香港・マカオ・朝鮮、グアム・ビルマ・マラヤ・フィルピン・タイ・アラスカ、2枚貼りで第3地域=アメリカ・ハワイ・カナダ・オーストラリア)に使用されましたが、ほとんどが第2地域宛で第1地域は少ないようです。前回の弥勒菩薩像茶同様に発行枚数が多いのですが今となっては難しくなります。また、当時の紙質が悪く目打ち欠けやオレスレなどが多く満足な使用済みは少ないと思います。消印は神戸中央局三宮分室のD欄分室名入り櫛型印で、おそらく速達用だったのでしょう。この分室は現在存在する三宮分室とはまったく別の分室です。
(局の変遷)
・1949年3月15日〜1958年9月26日
(局の変遷)
・1949年3月15日〜1958年9月26日
2020年08月06日
弥勒菩薩像50円茶田型の分室局櫛型印(大阪中央局高等裁判所内分室)
弥勒菩薩像50円茶の発行は昭和27年6月で昭和41年12月発行の弥勒菩薩像小豆まで実に15年近く発行されてきた切手です。それなりに多くの枚数が発行されていますが今となっては収集は難しいようです、発行目的は主に書留用ですが外信や小包などにも使用されています。従って使用済みで多いのは櫛型印ですが印面が暗いために中々判読できない消印が多いのです。今回の消印は昭和30年の大阪中央局高等裁判所内分室の櫛型印で、消印のかかり具合から別納であると推測できます。この分室は郵政民営化に伴い、「支店となる局は分室を持てない」という事情で北浜局の分室になっています。
(局の変遷)
・1929年4月21日〜1947年5月31日=大阪中央郵便局 控訴院内分室
・1947年6月1日〜2007年7月29日=大阪中央郵便局 高等裁判所内分室
・2007年7月30日〜=北浜郵便局 高等裁判所内分室
(局の変遷)
・1929年4月21日〜1947年5月31日=大阪中央郵便局 控訴院内分室
・1947年6月1日〜2007年7月29日=大阪中央郵便局 高等裁判所内分室
・2007年7月30日〜=北浜郵便局 高等裁判所内分室
2020年08月03日
平成切手オシドリ50円の分室局丸型印(大崎局NTT関東病院内分室)
NTT東日本関東病院は、東京都品川区で東日本電信電話(NTT東日本)が運営する企業立病院で、1999年それまでの関東逓信病院(かんとうていしんびょういん)から改称されました。病院は1952年1月、日本電信電話公社の職域病院、関東逓信病院として開設されています。消印は大崎局NTT関東病院内分室の丸型印、年号部アンダーバー入りです。アンダーバー付き消印は郵便局会社の窓口で押印される郵便物のみになります。
(局の変遷)
・1959年10月1日〜1999年11月30日=大崎郵便局 関東逓信病院内分室
・1999年12月1日〜2014年6月28日=大崎郵便局 NTT関東病院内分室
(局の変遷)
・1959年10月1日〜1999年11月30日=大崎郵便局 関東逓信病院内分室
・1999年12月1日〜2014年6月28日=大崎郵便局 NTT関東病院内分室