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posted by fanblog

2017年08月12日

☆☆☆Honda History with HondaJet Intro by Mr.Fujino☆☆☆

☆☆☆Honda History with HondaJet Intro by Mr.Fujino☆☆☆

☆☆☆Honda History with HondaJet Intro by
Mr.Fujino☆☆☆


https://youtu.be/Xgx17u27tQs




Published on Dec 10, 2015

Category Autos & Vehicles
License Standard YouTube License



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WGHP NEWSMAKER: MICHIMASA FUJINO,
HONDAJET


https://youtu.be/QGusHpBTMiU



Published on Nov 5, 2013
Neill McNeill's Newsmaker Interview of HondaJet CEO Michimasa Fujino as aired in WGHP's 10pm Newscast 11/5/13
WGHP-TV FOX8 Greensboro/High Point/Winston-Salem, North Carolina
http://www.myfox8.com

Category Entertainment
License Standard YouTube License




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藤野 道格 経歴

http://syacho-keireki.jp/fujino-michimasa/
 
2016年5月29日

藤野 道格−本田技研工業株式会社 常務執行役員
本田技研工業株式会社 常務執行役員の藤野 道格さんの経歴・プロフィールです。

―基礎情報―
名前:藤野 道格(ふじの みちまさ)
生年月日:
出身地:
卒業高校:
卒業大学:東京大学工学部
現在の役職:常務執行役員

―職歴―
     本田技研工業株式会社 入社、ホンダ基礎技術研究センター
     ホンダジェットプロジェクトリーダー
     ホンダジェット販売会社ホンダエアクラフトカンパニー(米国) 初代社長
     本田技研工業株式会社 執行役員、ホンダエアクラフトカンパニー・エル・エル・シー 取締役社長
2016年4月 本田技研工業株式会社 常務執行役員(現任)
2016年4月 ホンダエアクラフトカンパニー・エル・エル・シー 取締役社長(現任)

※EDINET提出の有価証券報告書などから作成しております。



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http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130329/274019/?rt=nocnt

JTNインタビュー

藤野 道格氏(米Honda Aircraft社 社長兼CEO<上>

物理法則に従って、常識を破る


荻原博之=日経ものづくり  2013/04/08 00:00  1/2ページ

出典:日経ものづくり、2012年4月号、pp.4-6(記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)

ホンダが創業時からの「夢」とする航空機事業。その夢を受け継ぎ、「HondaJet」として叶えたのが、米Honda Aircraft社 社長兼CEOを務める藤野道格氏、その人だ。計画では、2012年中に量産を始め、2013年後半に供給を開始する。そんな同機の開発は、常識との闘いの連続だった。藤野氏が手掛けてきた技術開発の真髄に、日経ものづくりが迫ったインタビューを2回に渡って紹介する。(聞き手は日経ものづくり編集長 荻原博之)

「HondaJet」は、小さい都市間を直接結ぶ交通システムというコンセプトの下で開発しました。ビジネスマンが出張などで日常的に使うことを想定し、低料金で利用できることと、乗客スペースを広げることを大きな目標として掲げたんです。

しかし、この2つの設計要件って、矛盾していますよね。利用料金を下げるには燃料消費を減らさなければなりませんし、乗客のスペースを増やすには機体を大きくして客室を広げなければなりませんから。

 つまり、HondaJetの開発では相反する設計要件を同時に実現しなければならなかったのです。それには普通のジェット機と同じことをしていてはダメ。ブレークスルーが求められました。それが、エンジンを胴体ではなく主翼に取り付けるという、あの常識破りの形だったんです。

 ただ、あまりに常識とかけ離れた形なので、当初は、大多数が実現不可能と反対していました。ですから、ほとんどの人が「できない」ということを必死に証明したがるんですが、私の中には「できる」というロジックがありました。

 飛行機という乗り物は物理法則に従って飛びます。逆に言えば、物理法則から逸脱することはあり得ません。主翼にエンジンを取り付けるというアイデアも適当に思い付いたわけではなく、物理法則に基づいて考えたものです。理論的なバックグラウンドの下、計算や実験を繰り返した末にたどり着いた結果なんです。

 特に日本では、誰もやっていないような新しい研究を始めようとすると、必ず「他にやっているところはあるか」と聞かれます。これに対し「米国のA社がやっています」とか「米航空宇宙局(NASA)がやっています」と答えると「よし、やれ」、逆に「世界中で他にやっているところはありません」と返すと「じゃあ、可能性がないからやめろ」となる。本当の研究というのは、逆だと思いませんか。



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「選手生命が終わるぞ」

だから、私は最初の論文をそんな日本ではなく米国で発表することにしたんです。とはいえ内容が内容ですから、投稿する前にNASAにいる米国の友人に見てもらいました。すると、「君の言うことは分かる。だけど、もし万一間違っていたら、選手生命が終わるぞ。あまりリスクを冒さない方がいい」と忠告されました。そこで、私は論文を何度も何度も見直し、結局、書き上げてから投稿するまでに1年を費やしました。

 結果として、「飛行機設計上の重要な発見だ」という非常に高い評価を受け、私の論文はすぐに学会誌に掲載されました。専門家に認められたことで、私は間違っていなかったと、自分の進めてきた開発の方向性に自信が持てるようになったのです。

 こうしたホンダの飛行機プロジェクトが立ち上がったのは、入社2年めのときでした。航空学科出身の私はメンバーの1人として招集されましたが、最初は「参加したくない」と断ったんです。というのも、私は就活していたときから、日本の飛行機メーカーには行かないと決めていましたから。航空学科出身なのに、です。

 私は大学を卒業したら、自分でコンセプトを考え、自分で設計できるような仕事に挑戦してみたかった。それができるのは、日本では飛行機ではなくクルマだろうと、ホンダに就職しました。だから、飛行機をやれと言われても、すぐには首を縦に振れなかったんです。もちろん、会社としては、私のような一兵卒のわがままなどいちいち聞いてはくれませんから、直ちに異動になりましたけど。


(下に続く)

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130329/274020/?i_cid=nbptec_sied_rel 

JTNインタビュー
藤野 道格氏(米Honda Aircraft社 社長兼CEO)<下>


飛行機の仕事、本当は天職だった

荻原博之=日経ものづくり 2013/04/15 00:00  1/2ページ

出典:日経ものづくり、2012年4月号、pp.4-6(記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)

ホンダが創業時からの「夢」とする航空機事業。その夢を受け継ぎ、「HondaJet」として叶えたのが、米Honda Aircraft社 社長兼CEOを務める藤野道格氏、その人だ。計画では、2012年中に量産を始め、2013年後半に供給を開始する。そんな同機の開発は、常識との闘いの連続だった。藤野氏が手掛けてきた技術開発の真髄に、日経ものづくりが迫ったインタビューの第2回。(聞き手は日経ものづくり編集長 荻原博之)

ホンダの飛行機プロジェクトが立ち上がってから約10年後、私がプロジェクト・リーダーになったときには、毎日ミーティングを開いて議論し、多くのメンバーの意見を聞きました。ところが、これを半年くらい続けても、何も生まれないんです。毎回、みんな言いたいことだけを言っておしまい。そこで、私は方向を180度転換し、ミーティングをやめることにしました。そして自分の信念と経験に基づいて、私自信がプロジェクトにとって正しいと思うことをやるように変えたんです。

よく考えてみると、飛行機の開発というのはコンセンサスだけで決めていくような性格のものではありません。殊に飛行機においては、雑談の中から偶然革新的な飛行機が生まれる、というようなことはまずないと思います。

前回申し上げたように相反する設計要件を実現していかなければなりませんから、何より判断力や決断力が必要になります。だからこそ、私は自分の造りたいと思う飛行機を思い描き、それを実現するんだという強い信念の下、自分の物差し、自分の価値基準で進めていこうと開発の考え方を切り換えたのです。

結果的に、このマネジメント・スタイルがあの形を生むことへとつながっていきました。コンセンサスだけを得ながら進めていたら、あの形には到達できなかったと思います。

このプロジェクトは1986年に立ち上がり、2002年に論文が認められ、そして2012年に量産を始めるといった具合に四半世紀にわたるものです。当然、その間にはいろいろなことがありました。事業化のメドが一向に立たない、会社からはアウトプットすら期待されない、会社にも世の中にも貢献していない…。自分は一体、何をやっているんだろうと、思い悩んだ時期が何度もありました。


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時間をかけて客観的な判断を

しかし今振り返ると、こうしたつらい時期の経験によって、より高いレベルに達するための努力や、トコトン追い詰められてもあきらめずに続ける忍耐力が身に付いたと思います。

 そして何より、今は飛行機の仕事というものが、「本当は自分の天職だったのか」と思うようになりました。技術はもちろんですが、今までの人生経験の中で学んできた全てのことが、私を飛行設計という道へと自然と導いてくれたのではないか、と感じています。

 前回、就職の経緯をお話ししましたが、30代前半の頃はとにかくクルマに戻りたいとか、会社を辞めて他の職業に就きたいとか、いろいろなことを考えました。しかし今では、これからの人生も飛行機の仕事に携わりたい、もし他の会社に移ることになっても飛行機の仕事を続けたいと思えるようになったんです。

 結局、私が就活していたときやプロジェクトに呼ばれたときの「(飛行機は)やりたくない」という判断は、経験も未熟な年齢においての短絡的な判断であって、客観的な判断とはいえないでしょう。与えられた環境の中で一生懸命に仕事をし、いろいろな経験を積んでいくことで、自分の持っている本当の適性や能力が磨かれていきます。そのとき初めて、自分のやるべき仕事の意味や意義が理解できるようになる。つまり、自分に対する客観的な判断ができるようになるのだと思います。

 ですから、よく若いエンジニアが「この仕事は自分には向いていません」とか「自分のやりたい仕事と全く違うので変えてください」とか言ってくるときには、まだそういう判断は早いよ、と諭しています。自分の本当の適性や能力を判断できるようになるのはまだまだ先、もっと経験を積んでからである、と。



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