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2014年02月28日
ペプシ 宣戦布告
かつて、ここまであからさまに同業者(敵対業者)との商品比較をしたCMがあっただろうか?
それも実名、修正無しの商品画像を使用して・・
アメリカの大手飲料水メーカー『ペプシ』が出したCMで『ペプシNEX ZERO』とコカ・コーラ社の『コカ・コーラZERO』を比較してどちらが美味しいかのアンケートをしてその結果を発表するというCMが日本で放映される。
それがこちら
アメリカではこうした手法は日常茶飯事らしいのだが、日本ではあまり馴染みがない
日本では携帯会社がD社(NTTドコモ)、S社(softbank)、A社(Au)などとイニシャルを使用してつながりやすさや人口カバー率を競っているのだが、さすがに実名は使っていない。
そこは日本人ならではの配慮があるのだろう
ここでペプシ社の歴史を紐解いてみよう
ペプシコーラは、1894年にアメリカ合衆国ノースカロライナ州の薬剤師ケイレブ・ブラッドハムが消化不良の治療薬として売り出した飲料に起源を発する。当初の処方では消化酵素のペプシンが含有されていたので、1898年にペプシンに因んでペプシコーラと名前を変更した。
第一次世界大戦頃には全米25州にフランチャイズのボトリング工場を擁するまでに事業拡大したが、大戦中の砂糖相場の乱高下の打撃を受けて1922年に破綻した。ブラッドハムはコカ・コーラ社に会社売却を依頼したが、コカ・コーラを買収したばかりだったアーネスト・ウッドラフは、1ドルの価値もないと判断して拒否。結局、投資家のロイ・メガーゲルがペプシを買収するものの、経営は振るわず1933年に再度会社売却することになる。
この時、ドラッグストアとソーダ・ファウンテンの経営者でコカ・コーラと利益の分配で対立していたチャールズ・ガズがペプシ社を買収、原液の配合をコカ・コーラに類似したものに変え、コーラの瓶より内容量の多いビール瓶に瓶詰めしてコカ・コーラと同じ値段で売る低価格戦略で攻勢に打って出た。これが当たり、ようやくペプシは経営が安定する。
第二次世界大戦下では軍需品として特別扱いされたコカ・コーラに引き離されてしまうものの、コカ・コーラから移籍してきたアル・スティールによって、自動販売機での販売を開始すると再び成長軌道に乗った。
1959年には、かつて顧問弁護士であったリチャード・ニクソン副大統領の紹介でソビエト連邦のニキータ・フルシチョフ書記長にペプシコーラを試飲させることに成功。1970年代にニクソンが大統領に就任、ペプシコーラはソビエト連邦政府と20年間の独占契約をした。これによりソ連と契約した最初のアメリカ製品となる。この後、ソビエト連邦ではペプシコーラは一般的に入手することが可能となり、他の共産圏諸国(東ドイツ、ルーマニアなど)でも販売された。
フリトレーやピザハット、ケンタッキーフライドチキン、タコベルなどを傘下におさめ、清涼飲料水以外の分野にも進出しているが、現在はレストラン事業はペプシコ・インクよりスピンオフし、トライコングローバルレストラン(現ヤム・ブランズ)となっている
※ウィキペディア引用
なるほどなるほど・・
ペプシは何回も経営不振で売却される身だったのに、コカ・コーラ社の味に似せて作ったら経営が安定したってことは真似をして生き延びたってことね。
まあ、美味しければいいんだろうけれど
個人的見解では、zeroとかダイエットコーラ系は好きではない
あの何とも言えない後味感がいただけない。
元祖コーラの方が美味しいし、ピザやハンバーガーとの相性が抜群
『500mlの元祖コーラには角砂糖で言うと32個分も入っているから体に良くない』なんて言う人がいるけど、そんな人はコーラをにまなくてよろしい
コーラは甘いから美味しいのだ
ペプシは薬っぽい感じがするのは俺だけかな
以上、ペプシより赤コーラが大好きなお兄さん(おじさんではない)の小言でした
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それも実名、修正無しの商品画像を使用して・・
アメリカの大手飲料水メーカー『ペプシ』が出したCMで『ペプシNEX ZERO』とコカ・コーラ社の『コカ・コーラZERO』を比較してどちらが美味しいかのアンケートをしてその結果を発表するというCMが日本で放映される。
それがこちら
アメリカではこうした手法は日常茶飯事らしいのだが、日本ではあまり馴染みがない
日本では携帯会社がD社(NTTドコモ)、S社(softbank)、A社(Au)などとイニシャルを使用してつながりやすさや人口カバー率を競っているのだが、さすがに実名は使っていない。
そこは日本人ならではの配慮があるのだろう
ここでペプシ社の歴史を紐解いてみよう
ペプシコーラは、1894年にアメリカ合衆国ノースカロライナ州の薬剤師ケイレブ・ブラッドハムが消化不良の治療薬として売り出した飲料に起源を発する。当初の処方では消化酵素のペプシンが含有されていたので、1898年にペプシンに因んでペプシコーラと名前を変更した。
第一次世界大戦頃には全米25州にフランチャイズのボトリング工場を擁するまでに事業拡大したが、大戦中の砂糖相場の乱高下の打撃を受けて1922年に破綻した。ブラッドハムはコカ・コーラ社に会社売却を依頼したが、コカ・コーラを買収したばかりだったアーネスト・ウッドラフは、1ドルの価値もないと判断して拒否。結局、投資家のロイ・メガーゲルがペプシを買収するものの、経営は振るわず1933年に再度会社売却することになる。
この時、ドラッグストアとソーダ・ファウンテンの経営者でコカ・コーラと利益の分配で対立していたチャールズ・ガズがペプシ社を買収、原液の配合をコカ・コーラに類似したものに変え、コーラの瓶より内容量の多いビール瓶に瓶詰めしてコカ・コーラと同じ値段で売る低価格戦略で攻勢に打って出た。これが当たり、ようやくペプシは経営が安定する。
第二次世界大戦下では軍需品として特別扱いされたコカ・コーラに引き離されてしまうものの、コカ・コーラから移籍してきたアル・スティールによって、自動販売機での販売を開始すると再び成長軌道に乗った。
1959年には、かつて顧問弁護士であったリチャード・ニクソン副大統領の紹介でソビエト連邦のニキータ・フルシチョフ書記長にペプシコーラを試飲させることに成功。1970年代にニクソンが大統領に就任、ペプシコーラはソビエト連邦政府と20年間の独占契約をした。これによりソ連と契約した最初のアメリカ製品となる。この後、ソビエト連邦ではペプシコーラは一般的に入手することが可能となり、他の共産圏諸国(東ドイツ、ルーマニアなど)でも販売された。
フリトレーやピザハット、ケンタッキーフライドチキン、タコベルなどを傘下におさめ、清涼飲料水以外の分野にも進出しているが、現在はレストラン事業はペプシコ・インクよりスピンオフし、トライコングローバルレストラン(現ヤム・ブランズ)となっている
※ウィキペディア引用
なるほどなるほど・・
ペプシは何回も経営不振で売却される身だったのに、コカ・コーラ社の味に似せて作ったら経営が安定したってことは真似をして生き延びたってことね。
まあ、美味しければいいんだろうけれど
個人的見解では、zeroとかダイエットコーラ系は好きではない
あの何とも言えない後味感がいただけない。
元祖コーラの方が美味しいし、ピザやハンバーガーとの相性が抜群
『500mlの元祖コーラには角砂糖で言うと32個分も入っているから体に良くない』なんて言う人がいるけど、そんな人はコーラをにまなくてよろしい
コーラは甘いから美味しいのだ
以上、ペプシより赤コーラが大好きなお兄さん(おじさんではない)の小言でした
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