2012年08月18日
2012.7.7~奇跡の島(ボホール島)
昔、17〜8年位前の困窮時代、フィリピンのテレビは3〜4局のP国内テレビのみで、
ケーブルTVは、観る事の出来ない身分時代の話、深夜P国内放送のエンディングは、
音楽はP国、国歌!画面はP国内の世界遺産や、各所の美しい海や観光名所を映し出し
ていた。今の困窮したマニラでの生活とTVでの美しい画面との違和感の中で苦しんだ。
今まで、唯マニラで女の尻を追っかけたり、女以外では、色んな事で騙され続けたが、
その都度経験を積みフィリピンを理解出来たと錯覚して来た。・・本当にアホでしょ〜〓
違和感の意味は自分が終焉の場所と決めたフィリピンを何一つ理解出来てなかった事。
マニラの夜観光はガイドにも負けない知識だが。マニラ以外の地では知識が無い
終焉の地を唯、観光するだけでも、俺には昔、苦しんだ違和感から開放される大事な
旅なのです。自分が原点で愛した、・・・・・・素顔のフィリピンを旅する。・・です。何のヘンテツも無い写真ですが。先月の豪雨で道路も流されたのか?アスファルトが無い!
でも、俺、この町から遠い小さな家の家族に心を馳せる。・・どの様な家族が住んでるのかナ〜血盟記念碑<ブラッド・コンパ>1565年スペイン初代フィリピン総督レガスピはボホール島民と信頼関係
を築いた。それに応えたフィリピン首長シカツナは互いの腕を切り血をワインに注ぎ入れ、飲み干し、
血盟約を交わした記念碑がこの、ブラッド・コンパ(血盟記念碑)しかし、スペインは300年以上、
植民地支配をした。逆に解釈すると、フィリピンの悲しい植民地時代の始まりを記念した碑なのか?1565年、447年前のこのボホール海峡は、当時もこのままの姿で横たわっていたのかナァ〜!我々も、今更必要ないが。永遠誓い(過去に何回も誓わされた!)血盟記念で1枚
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