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2020年07月30日

時間管理について

いまはカメラ転売を中心に生計を立てています。


実績を話しますと、カメラ転売をスタートして

初月利益12万円、2ヵ月目25万円、3ヵ月目35万円、4ヵ月目50万円

という風に伸びていきました。


そして、カメラ転売を始めて3ヵ月目の途中で脱サラしました。


主にカメラ転売に関して情報発信をしていこうと思います。





よろしくお願いします。

早いもので、2015年も前半戦が終わりますね。

いまから6ヶ月後は、世間はクリスマスイヴということで賑わっていることでしょう。

いまは女子ワールドカップで賑わっています。

彼女たちは、日本を背負って戦っています。



プレッシャーは相当なものでしょう。


日々の中では、家庭を背負って戦っている人も

チームを背負って戦っている人も、大勢いるでしょう。



何か目標を決めて、それに向かって社会正義に反することなく

堂々と戦っている姿は、尊いです。





そこから感動と勇気が生まれ、励まされ、毎日の活力にして生きている人たちがたくさんいます。

私も、人に対して与える事のできる、貢献ができる人間になりたいと強く想い生きています。

おかげさまで、私のコンサルを受けてくださっている方々からのたくさんの報告をいただけると

私は頼りにされていることを強く実感することができ、非常に嬉しいです。







2015年前半戦が終わりを迎えていますが、

ここまでの自分の目標は達成することができたでしょうか?

2015年の目標を定めて、1月1日にスタートを切ったとしたら、それは達成したでしょうか?

もちろん、あと半分残っていますから、これからが勝負です。





しかし、高い目標を定めれば、それを達成することは容易なことではありませんね。

その目標達成を妨げてしまう、障害が存在します。

その障害をしっかりと認識し、それと向き合っていく必要があります。





その、成功に対する障害の一つに

【セルフコントロールができていない】というものがあります。



セルフコントロール(Self-control)とは、自己の意思で感情や欲望を抑制すること。克己、自制とも。より学術的な定義としては、「直接的な外的強制力がない場面で自発的に自己の行動を統制する」行動プロセス、あるいは「自身の行動を指令どおりにしたり自身の衝動を抑制・抑止したりする能力。短期的利得が長期的損失あるいは(短期的利得以上に得られる)長期的利得と対立する状況下、長期的結果を選ぶ能力」



つまり、自分で自分を律するということです。



簡単な例を挙げると、

・健康管理

・金銭管理

・意識管理

・時間管理



これらの管理を怠ってしまえば、成功からかなり遠ざかってしまうでしょう。



健康をなくしてしまえば、全てを失ってしまいます。

もちろん、全ての自己管理が重要ですが、私は特に

時間管理を意識しています。



健康具合、金銭的な余裕、意識の違いは個人個人差がありますが、

1日が24時間というのは、全員に平等に与えられています。



何に何時間費やしているのか?

睡眠時間は何時間で、働いている時間は?趣味の時間は?

その、いましていることは目標達成するために効果的な時間の使い方なのか?





2020年07月24日

焼肉の歴史について

日本人ならば、“焼肉”という単語を聞いて「それってどんな食べ物なの?」と言う人は、ほとんどいないと思います。
どちらかといえば、ジュウッと油を含んだ肉が鉄板や網に触れて放つ音、目に少し沁しみる白い煙がもうもうと立ちのぼる姿、食べごろを知らせる芳しい香りに想いをはせ、口内に唾液をためてしまうことでしょう。
 
では、あらためて「焼肉とはなんですか?」と聞かれたら、あなたは答えることができますか?今回は、その質問に答えられる記事を書いていきたいと思います。

焼肉について学んでいくにあたり、まずは焼肉の誕生についておさえておきたいと思います。

そもそも日本では、縄文時代の頃から肉食の文化があったと言われています。それ以降、西暦675(天武4)年天武天皇の時代の「肉食禁止令」、江戸時代前期、5代将軍徳川綱吉の「生類憐あわれみの令」と、幾度かの肉食禁止令を経験をしますが、肉食文化は時に密やかに、時にブームをおこし続いていきました。
では、現在の“焼肉”が日本に誕生したのはいつごろなのでしょうか?
1933(昭和8)年3月25日の東京朝日新聞(現在の朝日新聞東京版)に「焼肉という風変わりな朝鮮地方の料理」として紹介されたのが始まりではないかと考えられています。当時日本の領土であった朝鮮半島から伝わったといえますね。
その後、1946(昭和21)年に在日朝鮮人の人々が新宿に“明月館”、“食道園”(翌年大阪千日前に移転)を開業しました。これが日本初の焼肉店と言われています(※1930年代に大阪に渡ってきた朝鮮人によって始まったという説もあります)。

焼肉は、昭和になってからポピュラーになった食べ物であり、歴史をひも解くと、すき焼きよりも新しい食べ物だったのです!




ボールの投げ方について

握りは個人によって様々であるが、基本的にはボールの外側を握り、投げ抜くときに内側に強い回転を与えて(右投手の場合)左に鋭くえぐるような変化をさせる。サイドスローの場合は、ナックルの握りで投げるとかなりの変化量で横滑りするので、絶対に覚えておきたい。



ストレートより心持ち深めに握ります。
そして真上から見ると反時計回りして見えるように回転をかけます。


一番基礎的な変化球です。反時計回りに回転させます。右打者の外角へ逃げていきます。これでストライクを取るためには、打者の後ろを狙って投げなければいけません。最初からストライクゾーンを狙うと、キャッチャーがダイビングしないと取れないところまで曲がっていきます。


スライダーにはいくつか種類があり、オーバーハンド投手はアウトローめがけて投げるSスライダー、スリークォーター投手・サイドスロー投手は直球を軽く曲げた感じのHスライダー、アンダースロー投手はアウトハイめがけて投げるホップスライダーが武器になります。

思いっきり速い直球を投げようとすると、シュートになります。シュートは胸元へ詰めていく球で、時計回りの回転です。左打席めがけて投げるとストライクゾーンにいきます。最初からストライクゾーンへ投げるとデッドボールになってしまいます。

これをオーバー、スリークォーターから投げられる人はレアです。よって大きな武器となります。オーバー、スリークォーターからの投げ方は現在調査中です。アンダーからは比較的簡単で、シュートをアレンジした感じで投げられます。足元へ向かって曲がる球です。



2020年07月18日

rmコマンドについて

では、Linuxで実際に動作させてみましょう。

まず、なんでも良いのでファイルを作成します。



1

touch test.txt


touchコマンドは空の新規ファイルを作成するコマンドです。


lsコマンドを使用して実際にファイルが作成されたかどうか確認しましょう。lsコマンドとはlistの略でファイルの一覧を表示するときに使います。



1

ls -la



オプションの-laを付けることで詳細な一覧を表示することができます。

実行するとこのようになります。


重要なので、しっかり理解しておきましょう。Linuxの起動に関係するファイルを消すとLinuxが動かなくなる恐れがあります。


/root配下での作業など、重要なファイルがある場所でのrmコマンドは控えましょう。代わりに、mvコマンドの使用をオススメします。

mvとはmoveの略で、ファイルを移動するコマンドです。下記のように使用します。



1
2

mv test.txt /tmp
mv [ファイル名] [移動するディレクトリ]



/tmpディレクトリに移動させて、ファイルを取り除きます。もし間違えた場合でも/tmpディレクトリから復旧させることができます。






2020年07月11日

nikon sp について

SPと聞いて、すぐさまNIKON SPを思いつく人は、結構なNIKON党と言えよう。
レンジファインダー機の最高機種として、いまも多くのファンを魅了する本機は、
ニコンシングルナンバーの祖として知られる“F”と同じ時期に開発され、
どちらかというとFの原型となったカメラである。

当時、一眼レフカメラは、レンジファインダーカメラの格下として扱われ、
よって、NIKKOR-S・C 5cm F1.4レンズ付で 9 万8,000 円(ケース付き)
という値段で売り出されたSPは、NIKONの全ての技術を投入して開発された。
コンピューターに頼る現在と違って、設計から部品の製造、組み立て、
調整まで全て手作業で行われ、2万4千台という台数を作り出した当時の技術には恐れ入る。
第4回フォトキナ(photokina)のM3ショックによって、
小改造を施して出されたS2と違い、SPは世界ナンバー1を目指して開発されただけに、
機械的な工作精度は、現代では製造不可と言われるほど高い。
近年水戸ニコンによって、復刻モデルが出されたが、特にファインダー系を中心として、
かなり苦労し、携わった現代の技術者の当時の技術者への思いが容易に想像つく。

 そんなSPも1957年発売時には諸手を挙げて歓迎されたわけではない。
ニューフェース診断室でも指摘されたように、
少々暗いファインダーや焦点ダイヤルや巻き上げレバーの操作性、
レンズフードを付けた場合のファインダー視野のケラレ、
シャッターボタンの位置と問題はあった。
しかし、そんな問題は、機体の工作精度の高さ、
世界に類を見ないボディーのみで2.8cmから13.cmまでのレンズに対応する
ユニバーサルファインダー、NIKON初のセルフタイマー、
シャッターの精度を高めるために開発した後幕の加速装置と、
そのショックを吸収するサイレントブレーキ、
まさにSPのP(professional)に相応しい性能を有し、
欠点を一蹴するに十分すぎるほどであった。一眼レフに慣れた私たち現代人は、
レンジファインダー機を操作したとき、特にシャッター音に驚くだろう。
ミラーが無いのだから当たり前だが、前期モデルの布幕シャッターの音は、
何とも言えないまさに“ささやくような”音がする。秒8コマをたたき出すD300の方が、
よっぽど即戦力があり、私も使用頻度は高いのだけど、
日曜日の一人散歩などにSPを連れ出すと、それだけで楽しくなる。
それはきっと、SやS2までとは一線を画する絶対的な機械性能と
NIKONの技術陣の魂がそうさせているのだろうと思うときすらある。
 
 有名な吉岡 専造氏も、SPを持ったとき、それまで愛用していたSやS2を
手放してしまったそうだ。
また、自身が所属した朝日新聞東京本社-写真部のカメラを全てSPとFにしてしまったのも、
うなずける。それだけの力がこのカメラにはあるのだ。
この先、NIKONがSPを復刻することは無いだろうし、機体の数は確実に減っていくだろう。
しかし、50年後いや100年後にもこのカメラは確実に存在するはずだ。
(存在して欲しい)人間が、いや日本人が作り出し100%機械仕掛けのこの名機。
世代が変わっても、一部の金持ちのマニアの手元にある投資目的の“タダの機械”
ではなく、その時代時代に興味を持った人が手に届く範囲の値段で市場に出回り、
しかもカメラとしてきちんと動くコンディションを有していて欲しい。
また、私のように幸運にして出会えた人は、オーバーホールをして大事に使って欲しいものだ。
SPを見ながらかつての物作り大国日本に思いをはせていただきたい




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