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2014年06月30日

顔を覚えるのは苦手。。。よくあるごちゃごちゃ

これは、、

私のような、人の顔を覚えるのが超苦手!でなくても、
ありがちな、、ごちゃごちゃ。


以前、長女の園のクラスで、ギャルママっぽい方が二人いまして、
それが私の脳内でごちゃごちゃで、区別がつかないことよくありました。


先日、学校の委員で、顔写真と名前を載せる資料を作る際に、
皆で、「おや?」と考え込んだこと。
それは同じ係の人二人が、微妙に似ていて、どっちがどっちか分からなくなって。

二人とも、知的なイメージとめがね。そして、苗字が佐藤や高橋、田中・・・的な
よくある苗字で。

その場にいたほかのママさんも、「あれれ、、、よくある苗字でお覚えていたのに、どちらもよくある苗字ですね!」
とおっしゃっていた。

私も同じように、脳内でごちゃごちゃ。



逆に、「珍しい苗字の人」が数人いると、そこでごちゃごちゃになって、誰が○○さんか、分からなくなるときもあります^^;


そんな感じで、なんとなくイメージで一緒くたにしちゃうことって、ありますねえ。



無意識のうちに、イメージでカテゴリ化して、覚えちゃうのでしょうね。
その辺りを踏まえて、
ギャルママだけど、、Aさんはこういう特徴があって、Bさんはこういう違いがある、
のような、プラスαの観察を心がけると、
少しは、こういうごちゃごちゃを防げるかな??



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2014年06月28日

顔を覚えるのは苦手。。。道でばったり出会ったら

ほんの数回会った後に、別の場所でばったり会う。。。これは苦手なパターンの一つですね。

しかし、私に限らず、このパターンで、相手を思い出せない人は、割といる気がします。
私の悪いところは、自分を過剰に責めて落ち込むこと。

ここで気をつけているのは、
相手を認識しているのに無視をした」
と思わせないようにすること。


自分で怖いのは、無意識にこういう振る舞いを取ってしまうことがあるのです。

「あれ?知っている人かも?どうだろう??」となって、
相手を凝視する。。
「もしかして、○○さん?でも、違ったらどうしよう。。。。下手に声かけないほうがいいか。。。」
と考えつつ、じっと見たうえで、そっぽを向く。

この振る舞い、相手の目にはどう映るでしょう?

あくまでも、気づかなかったから、声かけなかった、でいいのです。
「気づかない」自体にも罪悪感を感じていた私でしたが、
気づかないって、他の人にもよくあります。

意識的に、それをアピールしてます^^;

ぱっとみて、とっさに認識できなければ、すぐに視線をはずす。
ぱっとみて、すぐに認識できたら、挨拶する。


さて、相手が自分に声をかけてきた場合。
「あれれ〜この人誰だっけ?」にも、いくつかありますよね。

1.本当にどこのどなたなの???
2.多分、あのつながりか、このつながりか。。(候補いくつか)
3.ああ、あの会関係ね!
4.うん、あの人だわ、でも名前だけ思い出せなーい。



3.4.なら、なんとかなります。
3.なら、その会の話をすることできるし。

1.2.あたりだと、相手の言葉から、必死に推理しながら、
表向きは、笑顔。
とにかくボロが出ないように。。
相手が一方的に話してくれると、助かるんですけどねえ。

そうでもないときは、元気とにこやかさを意識して、
「あ!どもども〜」と、相手を見た瞬間にぱあっと笑顔。←これ大事!
手を軽く上げたり、会釈したりと体も動かしつつ、
足を止めずにそのまま進んでいく、、
用事があるんだなと思ってもらえれば、挨拶だけでよい気もするし。

・・・でしのいでいます^^;

親戚で地元で顔広いおじさんがいましてね。
顔広いから、いろんな人に声をかけられるけど、
おじさん、もうそんなに覚えていられない。
そのおじさんの振る舞いも参考にしています。

道端で私がおじさんと歩いていたら、
A「あ、○○さん!」
おじさん「ん?(振り返りAさんの顔を見た途端) ああ!ご無沙汰してます!(ご無沙汰かどうかはなんとなく認識できるらしい)」
A「いえいえ、こちらこそ〜、先日はお世話になって」
おじさん「いいんです、いいんです、また、ゆっくり会いましょうね!」
A「はい〜」

そのやり取りはとても自然で。
ああ、お知り合いなんだな、と特に違和感も感じずにそのやり取りを眺めていました。

その後でおじさん
「もう、顔覚えられなくてね〜。今の誰なんだろうねえ。」

え、そうなの?Σ( ̄ロ ̄lll)

お、おじさん、それ見習わせてください!

というわけです。





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2014年06月26日

霧やら靄やら霞やら

前記事の続き

この、、、霧やら云々は、
新生児を見てもなんとなく似た様なものを感じます。
ママのお腹から外界に出る刺激って、結構なものだと思うんです。
けど、その霧があるから、
ある世界の中でまどろんでいるような。。。
お腹空いたり、オムツ替えのときは、その霧を超えて、本人も認識できるのかなー。

そして、大きくなるにつれて、霧が薄くなり、自分の手足の存在を感じたり。。。

などと、妄想していました。

この視点だと、うちの長女は生まれたときから、ほとんど霧の無い子だったなあ。。。
新生児時代から、ひどいギャン泣きちゃん。
他の子がお腹いっぱいになってまどろんでいるときでも、長女は必死で外界を探ろうとしている。
この話は別に書こう。


多分ね、この、、自分と周囲との間に存在する霧っぽいものは、
何種類かあると思います。
さっき書いた、新生児ちゃんの霧とは違って。

私の場合、2段階あるようで。

1.作られた自分と、外界との間に存在する霧。

2.作られた自分と、本当の自己との間に存在する霧。

うーーん、うまく言葉にできない!

「作られた自分」、、、というのは、、えーーっと、防御回路などで、生きるために構築された自分という名の回路。

「本来の自分」というのは、そういった回路をとっぱらった状態の素の自分。



まず、私は、「作られた自分」と「本来の自分」のギャップが大きいです。
なので、2.の霧の存在を感じざる得ないくらい、ギャップが大きい。

そして、1.の霧は学校に上がってから、少しずつ薄くなりましたが、
2.の霧はさほど薄くなっていないので、
そのあたりで、ギクシャク、しんどさを感じています。


たまに、2.の霧が薄くなることがありますので、
そのときに、可能な限り、自分の感覚を言語化にするようにしだしてから、
2.に関するしんどさが、少しずつ和らいできた気がするこの数年。


2.の存在に気づいたのは、中2くらいのころです。
なぜか突然、2.の霧がゼロになった瞬間があったのです。
ただいつもの学校の帰り道を友達と歩いていただけなのに、

そのときの思考のクリアさといったら。
自分というものが、しっかりと把握できる安心感。

ああ、私は私だ!

という明快さ。

数分で戻っちゃいましたが。

ただ、その場にいた友人に、
「あれ?今、私、本当の私だよ!ああ、でも、もう戻っちゃう。いつもの私は私じゃ無くて、今が本当の私なの!」
的なことを言ったので、「気味悪い!」といわれましたが。。

この出来事があったので、2.にも着目しています。






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自分と周囲との間に存在する、霧やら靄やら霞やら

先日の記事 「逆に、これでいい、と思えた瞬間」
自分で書いといて、その後、たまに思い返します。


ある時期まで、周囲との間に靄っぽいのがあって、
意識しないと、周囲を認識しにくかった私。

今でも、靄っぽいのは残っていますが。


それで、上記の記事で、
社会に出て、「ああ、これでいい」という安心感を抱けた瞬間は、
思い返すと、
靄の外を気にせず、靄の世界を楽しむことができる状態
にとても似ているなあと。

ある時期まで、自分の世界の中でとことん楽しんでいました。
本当に、「とことん」

ただ、、学校へ行き、次第に、靄が薄くなるときがあり、周囲が見えてきたあたりから、
しんどさが一気に増します。


それまでしんどさはあったけれど、それは自分の感覚よりも、
家庭環境。
毎日のように、父親の怒鳴り声を聞いていた環境なので、
そっちの種類のしんどさも子供の頃から抱えています。

しかし、自分の世界に没頭できているときは、楽しかったのです。

親は放置気味な部分もあったので、それは逆に当時の私にはのびのび没頭できる要素で。


上の記事での、あの瞬間は、子供の頃の、自分の世界をとことん楽しめた感覚を再び味わえて、
とてもほっとしたのでしょうね。


ちなみに、、、この靄やら霧やら。。。
私は物心ついてから、こういう感じのぼやっとして自分をつつむような、周囲との隔たりを作る存在?を
「霧や靄のような。。。幕みたいなもの」と言語化していましたが。

検索していると、似たような単語に、この感覚を表している方が割りといらっしゃいまして。

とても興味深く感じました。

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最近の私の人見知り

基本、人見知りではありますが、

細々とできる範囲でママとのかかわり・・・

私の場合、学校や園の役員ですね。

それに参加していくうちに、自分の傾向を把握できてきました。


人見知りが改善したわけじゃありません。


とりあえず、ある回数、その空間に参加すると
自分の中で、その空間に対する回路が生まれて、
自分なりの過ごし方を確立できる、

という傾向です。


これが分かるだけでも、大分違います。
最初の1,2回で、なじめずに終わっても、
以前なら、そこで絶望的に落ち込んだり、
うろたえて、もっと失態したり。

でも今なら、「あともうちょっとだけがんばろう。」
という気持ちには慣れるのです。



そこまでの回数、関われないと、人見知りのままで終わっちゃいますが、
まあ、、それはそれで、そういう縁というもので。


これでもしんどい部分はありますが、
自分はこういうペースで行くのがいいんだろうなあ。




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2014年06月23日

そもそも日常生活で簡単に落ち込むということ

これが通常モードだと思っていたのですが、

そもそも、日常の些細なことで、簡単に落ち込める、
ずるずると引きずって、しんどくなりながら、目の前のこなすのに必死。


…と時点で、これは通常じゃないんだよなあ。。。

とふと考える。

とはいえ、やることは次々と目の前に並んでいて、

どんどん疲れが蓄積される。


どうってことないことで、簡単に心が折れて、すごく悲しくなったり、怖くなったり。。
最近は、そのどうってことが起きないように、必死で予防策考えたり、
心が折れたら、どうやりすごそうか、と考えたり。。

いやいやそもそも、そんなことで落ち込む状態がどうなの?と。


自分が感じている以上に、自分は弱っているのかもしれない。


うーん、どうすればいいんでしょ?



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2014年06月22日

人見知りママが役員になったら 3

前記事の続き

ママたちのような反応は、学生時代にも周囲でありまして、それが苦手で理解できなかったので、
「どうして、わざわざ余計な会話で回り道するんだろう」って
思っていたのです。

仕事を始めたら、むしろ私の感覚が腑に落ちる雰囲気で、とても動きやすかった。
凸凹な私の凸の部分を、のびのびと出すことができたので。


たとえば、「この1000ピースの無地のパズルを完成させて」という作業が発生したら、
私、「はーい」とそのまま引き受けて、黙々とやります。苦じゃないのです。
でも、ママさんたちは、そうではない。

まず、
A「そもそも、なぜ1000ピースを完成させなければならないのか?」
B「こんな作業をひとりでやるのはおかしい!」
が出てくるのですね。

先日役員でもAが出てきて、その場の雰囲気で、「大変だし、意味があると思えないから廃止にしよう」となり、
後日、前役員がそれを聞きつけて「これは (長い説明) ・・・なので、意味があるので廃止にしないで」と。
これで1週間のロス。

私は、作業が発生している時点で
「この作業がボリュームあるし、意味が今ひとつわからないけど、現時点で存在しているのなら、私の知らないところできちんと意味があるのだろう」
と解釈して、そのままを受け止めちゃうことが多いのです。


また、Bにしては、単純作業のキャパが、私はやたらでかいので、
もしも、「皆がいやがっているなら、私は苦じゃないから一人でやっちゃおう」
さっさとやったら、それはかえって浮いてしまうし。

これが以前の職場だと
「おお、○○さん、スイッチ入ったねー^^」とそっと見守り、
その成果を見て、おおーと喜ぶ
だったのにね。



それで、仕事中は、学生時代の周囲の女の子の反応はきっと「子供だったからなんだ」
だって、社会に出たら、ああいう反応をする人は少ない。
皆成長していくんだ。

と思ったのです。

そして、出産してママ世界へ。。。あれれれ?学生時代と変わらぬこの雰囲気。。。
これで、結構、愕然として、、、愕然というかショック大きいというか。
ああ、、、またあのしんどい学生時代を味わうの?と思って憂鬱になったのです。


とまあ、、そんな凸凹な自分のメガネは、このように感じ取っているのです。
タグ:役員


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2014年06月21日

人見知りママが役員になったら 2

前記事の続き

その辺でモヤったのは。。

私はSEの経験で、スケジュールを作成して進捗を随時チェックは難なくできるのですが、
これを周囲ができるとは限らない。
あちこちにメモなどで情報がバラバラで、
会話レベルで、それらの情報を伝えて、
その場の会話で対策を考える傾向を、今回の役員で感じました。



私はこういう流れ苦手です。
あたまごちゃごちゃになります。
皆さん、よくやれるなあ。ここが自分と周囲との差なんだろうなあ。。


それで、スケジュールを作成して、点在する情報を一枚にまとめると、
私が周囲を差し置いて、率先してやっちゃった雰囲気で。。
そのスケジュールを見て、
「これをこうするといいかも」
「この予定も追加して」
というのならいいんだけど、

それ以前に
「ごめんね、作ってもらっちゃって。」
→(私の脳内)なんで謝るのー?自分が便利だと思って作っただけなのに。ごめんねと言わせてしまうのなら、やらないほうが良かったのかな?

「私何もしてないよね・・。何かできることがあったら言って!」
→(以前の私の脳内なら)ええ何を言えばいいんだろう?! それに、何もできてないなんて思っていないのにー。
→(今の私の脳内)ああ、お約束の言葉なんだよね。「うん、ありがとう^^ 」


私がSEだったころは、こういう会話なかったです。
こういう言葉をかけなくても、別に特に波風経たず、皆が最終目標に向かって、できることをやっていたので、
むしろ、
こういう言葉をいうほうが、波風経つ感じだったの。

えーっと、職場の反応をたとえるなら
「ごめんね、作ってもらっちゃって。」
→謝るなら、黙って作れ。謝らなくても、これからがんばればいい。*ありがとうならいいと思う。

「私何もしてないよね・・。何かできることがあったら言って!」
→何もしていないのは一目瞭然。それを気にして口にする時間があるなら動いてくれー

みたいな。。あ、あくまでも一つの例ですよ。


それくらい、、、ママたちの反応と、職場での反応にギャップがありまして。


続く

タグ:役員


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人見知りママが役員になったら 1

人見知りには、いくつか種類があって、
私は、その中の、とあるパターンの人見知り。

まだまだ分析中だけど。


ずーっと、感じながらも、言語化できていなかったことが、
今朝、突然、言語化したので書いてみる。


役員になり、、例えば3人ほどで、同じ担当をやることになった。

SEやっていたころと違う、と思ったのは、

歩調を合わせることに、意識を倍そそがないといけないこと。

私が感じただけで、
実際は違うかもしれないけれど・・・


SEやっていた頃は、進捗に意識を向けていて、
目標に向かって、どこまで進んでいるか、
足りないのは何か、問題は何か?
を、「成果」に着目していたのです。


でも、役員やっていて思ったのは、
「あの人がここまでやっているのに、自分はやれていない」
を気にする人が多いなあ、ということ。
成果よりも、、、自分と周囲の働きの差?


あ、これ、私目線ですからね。


一般的に、これが普通なのかも??


私はこの点は気にしないのです。
とりあえず、目標・・・進む先と現状をメンバーで共有できていれば、
あとは、動ける人が動く。

能力や使える時間は、人それぞれ異なる。

動けない人は、「今週は用事があって参加できないけど、来週手伝える」と
予定さえ明確にしていれば、いいんです。
来週の作業に、その人の力を投入できます。

それでも問題があれば、他に協力を要請すればいい。
動けない人は、「動けるようになったら、がんばろう」と思っていればいい。
(ここで、楽してさぼろうとか、連絡なしに欠席するのは問題外)


ここで、ママたちとのギャップを感じるのです。


続く
タグ:役員


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突然ソワソワした二つの瞬間

急にしんどいことに気づいた瞬間みたいな…



自分の中で印象に残っている瞬間。。。
突然、当たり前のものがしんどく感じられた瞬間。

それまでは特に気づかなかったのに。。。

いや、しんどいのを自覚していなかったのに、ふと急に自覚した瞬間、だな。
それをふりかえってみました。


印象に残っている瞬間 1


ひとつは、小2。
学校が終わった後、一人でふらふら近所を歩いていた。

なんだろう、歩いているとしんどいなあ、しんどいなあ。

ふと、下をうつむいてみた。
周囲が視界に入りにくくなり、自分の足元が見える。

この状態で歩いてみた。たまに前見てぶつからないようにはしたけれど。

そしたら、割と楽なのに気づいた。


「そうか、周りが見えないように、うつむいて歩くといいんだ」

それから10年以上、外を一人で歩くときは、うつむくようになった。
顔を上げると、自分がどこを見ていいのか分からない、どんな顔をすればいいのか分からない。

これについては、社会に出てから少しずつ和らいだ。
今は大分マシになった。



印象に残っている瞬間2


もうひとつは中一。

それまでの私は人好き絶好調で、誰にでも自分が楽しいと感じる話を一方的にしていた。
それはそれで自分はしんどくなかったのだ。

そして、同じ部活の子とたまたま二人きりで移動する道で。
一方的に話していた私。
相手も、それなりに受け答えしていた。。というか、大人しくて受身な感じ。

急に、頭が真っ白になった、
「私、何を話せばいいのかわからない」
それまで勝手にぽんぽんと浮かんで、それを口に出していたのに、
なぜだかこの瞬間から、「よほど親しくない相手には何を話せばいいのかわからない」という感覚が
恐怖レベルに感じられるようになった。

この感覚が、今でも割りと引きずっているなあ。




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