アフィリエイト広告を利用しています
記事ランキング
  1. 1. no img コロナでPTA役員活動どころではない
  2. 2. no img 長女入園
  3. 3. no img とりあえずランチは、、 結婚に対する不信感。
  4. 4. no img 人見知りはどうしたって人見知り
  5. 5. no img 長女年中 そろそろ習い事。。
最新記事
スポンサーサイト
<< 2023年01月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

広告

posted by fanblog

2017年10月30日

しあわせ像

先日、かなり連絡をとりあっていなかった幼馴染から
再婚した旨の報告があった。

お互いに再婚同士、子供はいない。
今回はペースが合う相手のようで。
言葉はそんなに多くないけど、多くないからこそなんだか安心感が伝わってきた。


かなり昔の話だが、彼女が初婚のとき、、
彼女が結婚して2年くらいだったかな、
そこで私と久々にゆっくりと会うことになる。

そのときは私はまだ独身。「結婚なんかしない!」という思考のときだった。
彼女は、、「結婚したい!とは思わないけど、
この人はと思う相手と良い関係をはぐくむ形が『結婚』ならばそれを受け入れる。」
だった。それはそれでよいなと思った。

さて、久々に彼女に会った当時、
友「家を買うことになって」という話になった。
友「周りはそれが幸せというけれど、、、私はどうもそう思えなくて・・・ぴいちゃんだったら家買いたいと思う?」

私「私はずっと賃貸だったから、どうもピンとこない。あと、どっかにどっしり根を下ろすイメージがあって、なんか苦手かも。。」と20年前の私の率直な感じ方を話した。
(ちなみに今は私は持ち家。その後10年以上たって、考え方が当時から変わったというよりは、ほかの考え方を受け入れる部分がちょっと増えたというか。)


友「だよね。。私もそうなの。でも、周りはそうじゃなくて。家を買うことで安心が得られるとか幸せとか、、、。でも私はむしろ根を下ろす、、なんだかそこから逃げられない感じがあって、、でも夫も夫の家族にも伝わらなくて、むしろ私を説得しようとしている。ぴいちゃんなら、ちょっと話しただけでこの感覚分かってくれるのに」

私はなんといっていいかわからず、、

さらに
友「夫は私からすると、普通の家庭で育ち、マイホームで、普通に学校行って普通に就職して、毎日真面目に働いて、、、私にはなかった『普通』がたくさんあってそこに惹かれたのだけれど、
私も『普通』の幸せになれる?あきらめきったものが手に入る?なんて思ったのだけれど、
そもそも私の土台が違っていたのか。。。」

「あとね、やたら実家に集合するのも苦手。義姉さんが近所にいて小さい子がいて、そこの家も来るの。
あ、義理姉さんは良くしてくれるよ、ほかの家族の人たちも、、
私が親が早くに離婚したことを知っているから、むしろ家庭の温かさを教えようとしてくれている感じで。
うん、いい人たちだよね。。でもね、悲しいことに私はそれがつらく感じてしまうの」

「だから、そこまでしなくていいですよー、といっても、『遠慮しないで』だし。夫には私なりに話したけれど、どうしても理解してもらず。最近は実家集合の際は、しんどく感じる時は、『風邪気味で調子悪い』と、夫にウソをつかないといけないの。そうしないと、あっさりと『いかない』ことを受け入れてもらえないから、でもね、、それを続けてやったら、『妊娠した?』となったのよ。。。早く子供産んでほしいんだって。。あ、できてないけどね。私、、子供ほしくない。。。」

「あとね、びっくりしたのが、誕生日にいちいち実家で祝うの。私のもよ。この前、私の誕生日のときはやんわり断ったけど、やはり「遠慮しすぎ!」だし。。」

久々とはいえ、彼女は一気に諸々を吐き出すように話した。


私も彼女も親が離婚していて、
その、、、離婚につながる家庭の一部にありがちな「あるある」でも似たところがあった。
「あるある」の話は長くなるので書かないが。

今の私は、、、義理母が私の誕生日にケーキを買ってきてくれる。
ただ、このあたりの背景は、、義理母の主旨がとてもうなづけて、
拒否反応を感じず、むしろありがたく受け入れている。
この話は、後ほど書くとして。。

でも、彼女初婚の際は、私は結婚すら全く考えず、
むしろ自分の親の影響で「結婚なんてしたくない。」
なので、「誕生日に実家で祝ってもらう」という話も、それは私もやだなあ、と思った。


なんというか、私も彼女も、その当時は、
世間一般の「幸せな家庭像」が理解しきれなかった。

ただ「この形をしていれば幸せなの」という風に見えてしまい、
そのまねっこをしているようで、イヤだった。

だから当時の彼女の葛藤はとても腑に落ちた。
私もそう。形をなぞることに抵抗を感じた。。。。


私は自分と似たような相手と一時期付き合ったのだが、
あまりにも「一般的な幸せ像に対する抵抗感の強さ」も一致していて、
それはそれでしんどい感じになっていった。
その経験によって、私は「このままでもいけない」と感じるようになった。

形をなぞるだけでもいいのかもしれない。
ある一定の安心感を得るためには。
それさえも放棄したら、どんどんダメになる。。

と思った。



今の夫は、私と似たような家庭環境なので、通じる部分はある。
そして、前彼と違い、
「せめて形はちゃんとしないと、自分たちの場合どんどん平気で落ちるよね」
という感覚がお互いにあり、
傍から見たら、割と普通な感じの家庭にはなっていると思う。

子供たちは、そんな背景すら想像つかないんだろうけどね。
想像つくような人生になっても、それは大変そうだしなあ。。。

そして義母と義父はそれぞれもろもろあって再婚同士で、
私たちと同様、
「幸せ像の形をなぞる価値」みたいなものを感じていて、
それを踏まえて、誕生日会をするし、
しみじみとその「形」に対して感謝する。

それが伝わってくるし、
義母の「子供たちのためにこの形をしておくと、子供たちがもしもこの先の人生で何かあったときに乗り越えるパワーになるかもしれないからね」
という言葉が私は共感できたので、
その「形」をなぞることを選択した。


私の友達は離婚後、自分とペースが合う相手と再婚し、
のんびり生活しているらしい。
「幸せの形をなぞらなければならない」という束縛からも解放されて。


私の場合は、夫や義父母ともに、それぞれの背景から、
「せめて子供たちのためには幸せの形を作って、土台にしたいね」となっている。

たまたま私は子供がいるから、後者になっているけれど、
たぶん、子供を産む、ということになっていなければ、
私はもう一つの人生として、彼女と同様な方向性に安堵を感じていただろう。

と、相変わらずのまとまりのない文になってしまったな。。
ただ思いつくまま入力して読み返していないので。

結局、しあわせ像 なんて、正解はないし、
何が良くて何が悪いかなんかも、
それぞれの人生の背景によっても、いろいろ変わるよね。

しあわせ像も、むつかしいもので、
「こうでなくちゃしあわせでないのよ」と人に押し付けたり、
「私、この形の通りなんで、しあわせなんです!」となるのもどうかなだし(って、本人自身つらいだろうし)

いくつかの経験を踏まえてしみじみ感じられる安心感。
人それぞれだと思うが、自分にとっての何かが分かればいいよね。

子供にも押し付けにならないよう、土台のパワーにつながる程度でもいいのかな。
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6905098
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
カテゴリアーカイブ
最新コメント
プロフィール
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ コミュニケーション障害へ
にほんブログ村

にほんブログ村
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ
にほんブログ村
ぴいぴいさんの画像
ぴいぴい
ぴいぴいです。 うだうだといろいろと吐き出しています。 吐き出すのが目的です。
プロフィール
検索
タグクラウド
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。