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たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
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2010年03月31日
劉備玄徳の不思議な魅力
もし、タイムマシーンができて過去に行けたなら…。

私が一番会ってみたい人物は劉備玄徳(リュウビゲントク/玄徳は字)です。

有名な話で、三国志には正史の三国志と三国志演義(正史を基にした小説)があり(このブログでも取り上げてきましたが…)、劉備玄徳は三国志演義の前半の主人公です。
(後半は諸葛亮孔明/ショカツリョウコウメイ が主人公のようなもの。)

三国志といわれる時代の三国の一角、蜀(ショク)の皇帝を名乗った男です。

三国志演義では、この人は聖人君子でとにかく誠実。
涙もろく、情に深い君主として描かれています。

まあ、完全な善玉なんですが…。

何故、この人に会ってみたいかというと、そういう善玉の像にあこがれを描いて、会ってみたい訳ではありません。

正直、あの乱世を生き抜いてきた人ですし、しかも、この人ほど多くの苦労をした人もいないのでは…と思って見ると、一筋縄ではいかない人物だったと想像されます。

私が会って見たい理由は…。

この人の戦績を見てみると、黄巾の乱のような素人相手の戦では強かったのかもしれませんが、群雄割拠の世の中における戦争は、8割〜9割は負けてます。

しかも、城や領土を失って放浪する事もしばしば…。

にもかかわらず、関羽(カンウ)、張飛(チョウヒ)、趙雲(チョウウン)等の、当時では超一流の武将や、諸葛亮(ショカツリョウ)等のこちらも当時では超一流の智将が損得勘定抜きでつき従ってます。

「その魅力はいったいどこにあるんだろう?」という疑問をずっと抱いてます。

前漢の中山靖王劉勝(チュウザンセイオウリュウショウ)の末裔とされていて、皇室につながっているなんて話になってますが、これはあくまで自称ですから…。

ちなみに、中山靖王というのはまあ、中山国(チュウザンコク)の王という事で、中山というのは当時の中国にあった地名です。

この劉勝、どんな人だったかというと…。

酒好きかつ女好きであり、淫色に耽った王で、子は50人以上いたそうです。
(孫も合わせて120人以上の子をなしているなんて記載を見た事がありますが、孫ってこの人の子としてカウントしていんだろうか…。)

生年はわからないですが、没年は紀元前113年だそうです。

劉備が活躍した頃は200年前後です。

となると、劉勝の歿後、約300年くらいたった後に現れたのが劉備です。

その頃には劉勝の末裔って何千人いたんでしょうね。

恐らく、そこに目を付けて称したのではないかと勝手にひとり納得しています。

そんな怪しい系譜に対して関羽や張飛、趙雲、諸葛亮と言った面々が忠誠を誓った訳ではないと思います。

むしろ、劉備自身に人を引き付ける魅力があったと考えるべきなんでしょうね。

あの暴れん坊の関羽や張飛が絶対服従した唯一の人ですからね。
(関羽、張飛との出会いについての私見は2009年10月7日の関羽の項に記載させて頂いております。ファンブログ版をご覧の方はリンク集から「私的歴史道seesaa版」をクリックしていただければご覧いただく事が出来ます。)

案外、聖人君子の魅力ではなく、親分肌で兄貴分の魅力をもった男だったんでは?と考えています。

ちなみに、昔は聖人君子像の劉備ばかりでしたが、最近ではそういう書き方をされている方がむしろ減っているのでは?と思います。

どちらにしろ、この人の不思議な魅力は文面ではなく、会って確かめたいと思ってしまう訳です。

Posted by たか at 02:50 | 三国志 | この記事のURL
2010年03月29日
龍馬伝第13話を見て
とうとう、東洋が斬られましたね。

なかなか見せてくれるシーンでした。

いよいよ武市の暴走が本格的に始まりますね。

また、龍馬も脱藩しました。

しんみりと見せる、良いシーンでしたね。

ちょっと、先週までの流れからいきなり駆け足で脱藩まで来たような話になりましたね。

そこの駆け足がちょっと残念でした。
(なんか、今までのストーリーの時間軸のスピードがここだけ、早くなったような…。)

次週から、ちょっと楽しそうですね。

早くみたい気がしています。

Posted by たか at 01:17 | 幕末 | この記事のURL
2010年03月21日
龍馬を斬った男、新説?
先日、幕末関連の小説をまた1冊読み終わりました。

その本は加野厚志氏の書かれた「幕末暗殺剣 龍馬と総司」です。

なかなかおもしろかったですよ。

ちゃきちゃきの新撰組派の私からすれば龍馬と総司がからむだけでも面白いのにこの本の龍馬暗殺犯は今まで私が読んだり見たりしてきたどの誰とも違いました。

私個人としては、龍馬暗殺の黒幕は薩摩藩と踏んでいましたが…。

でましたよ!

この本における龍馬暗殺の黒幕は長州藩でした!

龍馬暗殺犯人の不確かさが物語っている事は、黒幕が龍馬と同志と思われている人で、明治政府においてかなりの力をもった人であると確信している私が長州ではなく薩摩藩をあやしいと踏んでいたのは訳があります。

それは、長州には凄腕の人斬りがぱっと浮かばないという事です。

練兵館塾頭を経験した新道無念流の桂小五郎はご存じの通り、逃げの桂。

実際に人を斬った事がないんですね。

道場剣術は強くても真剣ではちょっと厳しいと言わざるを得ません。

それに引き換え、薩摩藩には泣く子も黙る人斬り半次郎こと中村半次郎がいます。

長州も臭いけど、実行できるのは薩摩だよな…。
長州で人斬りの達人って誰なんだろう…。

なんて考えていた私に、ズバッと答えを与えてくれたのがこの本でした。

実は、私はあまり詳しく知らない人なんですが…。

神代直人(コウジロナオト)という剣豪でした。

勿論黒幕は桂小五郎。

読み終わった私は「成程…。」と思ったのですが、だからと言って長州説が一番と思っている訳ではありません。

でもこの本は、これはこれで、かなり面白かったですよ!

おすすめの本ですね。

これから神代直人を調べていきたいと考えております。

Wikipediaで調べた所、この人が出てくる小説は「花神」、「世に棲む日日」という本だそうです。

いずれも、司馬遼太郎氏が書かれた小説です。

個人的には司馬遼太郎氏の小説は私には合わず、ちょっと気が進まないのですが…。

読んでみようとは思います…。

ちなみに、「花神」は大村益次郎を書いた物、「世に棲む日日」は吉田松陰と高杉晋作を描いた物との事です。

どちらの人物も今の私には魅力の少ない人なんですが…。
(でも、靖国神社に言った際に大村益次郎の像があった時はテンションがあがって写真におさめましたよ!)

読んでみます。

読みますとも!!

Posted by たか at 04:56 | 幕末 | この記事のURL
2010年03月20日
万夫不当の張飛
張飛(チョウヒ)字を益徳(三国志演義では翼徳)は劉備(リュウビ)の片腕として活躍した万夫不当の猛将です。

ちなみに、万夫不当とは「兵一万人に匹敵する」という意味です。

正直、私は疑問に思っている所が多い武将でもあります。

まず、この人の字(アザナ)ですが、正史の三国志では益徳(エキトク)、三国志演義では翼徳(ヨクトク)となっています。

何故、字を変える必要があったんでしょうか?

例えば、中国は皇帝になった人等と字がかぶる場合、身分の低い方の人の漢字を変えるというような事はあるんですが、益徳の場合、私の知る限り、該当者がいないんですよね。

後に劉備政権ができる益州の字とかぶるので変えたのでしょうか???

理解できません。

また、この男は大概「バカ」、「酒豪」、「粗暴」という形で描かれます。

酒豪はそうなんでしょう。

粗暴というのも、自分の目上の人に対してはへいこらするが、目下の者に関しては容赦がなく、部下をよく殴り殺したりしていたそうですから納得がいきます。
(劉備にも「部下を殺しすぎる」と注意されてますしね。)

でも、この人、バカだったんでしょうか…。

この人の戦争、策を弄しているものもあり、それが当たってます。

曹操軍(ソウソウグン)劉岱(リュウタイ)を破った際、長坂橋での仁王立ちの際、厳顔(ゲンガン)を生け捕った際等々…。

案外、頭も切れたんじゃないでしょうか?

また、自分のしていない事で悪名をかぶったりしてます。

三国志演義では督郵が劉備に賄賂を要求した為、張飛が督郵を木につるして鞭打った事になってますが、正史の記載では劉備が鞭打ってます。

劉備の聖人君子像を壊さない為に乱暴者の張飛にさせたのでしょうが…。

このあたりを上手くとり、北方謙三氏は北方三国志の中で切れやすい劉備に対し、劉備が切れそうになったら先に自分が切れて暴力を振るうという形で張飛を描いておられます。

秀逸と思います。

私は、この張飛はかなり好きな武将です。

今まで読んだ三国志の中で一番好きな張飛は「北方三国志」の張飛ですかね。

憎め無さと悲哀を背負ったかっこいい武将として描かれています。

読まれてない方は一度読まれてはいかがでしょうか?


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Posted by たか at 03:39 | 三国志 | この記事のURL
2010年03月18日
龍馬の剣の腕
いやあ〜びっくりしました。

昨日私のブログに訪問頂いた方々のリンク元を見ていますと多くの方が「龍馬 剣術 流派」といったキーワードで訪問頂きました。

ちなみにこのキーワードで約60名の方に訪問頂きました。

ありがとうございます。

しかも、ご覧頂いたページは2009年11月20日に記載した「剣術流派の源流」という記事と、2010年3月7日に記載しました「玄武館 北辰一刀流」という記事でした。
(ちなみに、ファンブログをご覧の方はリンク集から私的歴史道seesaa版をクリックいただければ「剣術流派の源流」の記事をご覧いただく事が出来ます。)

何か龍馬の剣術に関するTVでもあったんでしょうか?

ちなみに、他の剣術関連では沖田総司の三段突きを検索されている方もよくご訪問頂きます。
(2010年2月5日「天下無双の三段突き」)

剣術はかなり興味を持たれているんですね。

ちなみに坂本龍馬、剣の腕については諸説ありますね。

大きく分けるとかなりの達人だったという説と、実は二流だったという説。

以前もこのブログのどこかで記載しましたが、龍馬が北辰一刀流で得た免許で現存しているのは「北辰一刀流長刀法目録」のみ。
(この目録の名前を忘れたのでネットで検索して見つけました!RYOMA DNA.NET/http://www.ryomadna.net/という所に記載されてました。)

これは北辰一刀流における薙刀の初伝だそうです。
(これはRYOMA DNA.NETにも載ってましたが何かの本で読んで知ってました。)

初伝というのはどうも剣豪龍馬のイメージからは遠いですが…。

これだけを見て「龍馬はやっぱり剣の腕は二流」と決めつけるのはちょっと早計です。

龍馬は日根野弁治から小栗流皆伝目録「小栗流和兵法三箇條」をしっかりと貰ってます。

龍馬伝でも出入りしてますよね、日根野道場。

まあ、北辰一刀流ではないですが…。

剣の腕はそれなりにあったのだと思われます。

北辰一刀流の免許も現存しているのが初伝のみと言うだけで、恐らく他の免許も取得していたんでしょうね。

ちなみに…千葉定吉の娘佐那さんは、「父は坂本さんを塾頭に任じ、北辰一刀流目録を与えました」と言っていたそうです。

この人、龍馬が死んだ後も「私は龍馬の妻」と言い張っていたそうです。

結納も交わしたとか…。

そうなると、お龍さんの立場は…。

坂本龍馬が寺田屋で負傷してお龍さんと湯治に出かけますが、これが日本で最初のハネムーンらしいですよ。

となると???

お佐那さんは…。

龍馬が妻と認めていない事になり、悪い言い方をすれば妄想癖があったのでしょうか…。

いずれにせよ、お佐那さんが言っている龍馬の塾頭説、北辰一刀流免許皆伝というのは少し胡散臭いような気がしてます。

剣の腕としては北辰一刀流では測れませんが、小栗流免許という事でそれなりに腕が立ったんでしょうね。

ちなみに、龍馬の剣の腕は二流という人の意見としては寺田屋で襲われた際に剣ではなくピストルを使っているという所を指摘する人が多いようですが…。

普通、ピストル持ってたらピストル使いますよね。

しかも、屋内では刀は扱いにくいですし…。

ピストルは音も威嚇効果がありますし…。

大体、昔の家屋は天井が低いですしね。
(寺田屋も低いです。)

この事を以て龍馬の剣は二流というのはちょっと無理があると思います。

剣の腕の評価ってどういう場面を想定するかで変わってくると思います。

道場においては、龍馬はそこそこやったでしょう。

しかしながら、真剣を持っての斬り合いとなれば…恐らく弱かったんじゃないかなと私は思ってます。


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Posted by たか at 01:58 | 幕末 | この記事のURL
2010年03月17日
最後の将軍徳川慶喜
徳川慶喜はご存じの通り徳川家最後の将軍です。

私はこの人、嫌いです。

佐幕派の私ですが、どうしても許せない所がこの人にはあります。

徳川家康の再来なんて言われてますが、そこまですごいかな?なんて思います。

将軍後見職の折は政治総裁職の松平春嶽と共に文久の改革と呼ばれる幕政改革を行い、京都守護職の設置や参勤交代の緩和等を行い、なかなかの政治手腕を見せています。

また、将軍職に就いた後も、朝廷との交渉等においても政治手腕を発揮し、勅許を得ずに兵庫開港を声明した慶喜を糾弾するはずだった薩摩・越前・土佐・宇和島の四侯会議を解散に追い込んだりしています。


が、この人の嫌いな所は…。

この人は自分の事しか考えていないような所がちらつきます。

天狗党の乱では自分を支持していた武田耕雲斎ら実家・水戸藩の家臣たちを切り捨てたり、大政奉還にしても当時の朝廷に行政能力がないと判断し、どうせ自分が主導で政治を行う事になるなんて考えている節があったり…。

なんか好感が持てないんですね。

最大のきらいな所は、この人、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が形勢不利になったと見るやまだ兵力を十分に保持しているにも関わらず、江戸へ逃げ帰ってるんですよね。

連れて行ったのは会津藩松平容保、桑名藩松平定敬と、なんとなんと、陣中に伴った愛人…。

しかも、前線で戦っている兵を置き去りにしてですよ!

こいつは人の命をなんだと思ってるんでしょうね。

大将のいない軍が崩壊するのは自明の理です。

逃げるのはいいし、恭順の姿勢を示すのもいい。

でもそれは兵をまとめて帰るべきなんです。

自分の為に戦っている兵をほったらかしにして逃げるなんて人としても武士としても言語道断です。

慶喜が取ったこの行動の為にどれだけ多くの人が死んだか…。

本当に最低の将軍で、最低の大将です。

本当に、大っ嫌いですね。

ちなみに、「慶喜」は「よしのぶ」、「けいき」、「よしひさ」と3つの読み方が残っているそうです。
(本人も色々と使っているそうです。)

本人はけいきと呼ばれる事を好んだそうですが…。

名前って何通りもあるものなんでしょうか?

ひとつじゃないのかな…。


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Posted by たか at 01:39 | 幕末 | この記事のURL
2010年03月15日
龍馬伝第11話を見て
今回の龍馬、かなりレベルアップしましたね。

もう、銅の剣どころではないですね。

土佐勤皇党も結成されました。

来週はとうとう脱藩ですか…。

龍馬、武市、弥太郎、象二郎、東洋と、人間関係がどんどん緊迫してきましたね。

ちょっと、面白く感じてきました。

武市道場の沸騰、土佐勤皇党の熱さ…。

なかなかいい演出だったと思います。

しかし、いくら江戸で起こったこととはいえ、幕末におけるかなり大きな事件である桜田門外の変があんな一瞬で終わってしまうとは…。

今回の放送で一番印象に残ったのは「土佐で生まれ育ったが、どんどん自分の居場所が無くなっていく」といった所ですかね。

まあ、実際の龍馬もそういった感傷をもっていたんでしょうね。

ちょっと福山龍馬に愛着がわいてきました。

あれっ!!でもこのドラマで安政の大獄ってありましたっけ???

Posted by たか at 14:05 | 幕末 | この記事のURL
2010年03月11日
魯粛は伊達じゃない!
一般的に読まれている三国志として三国志演義がありますが、多くの人はこの本を読んで三国志と理解しています。

三国志演義を読まれた方は魯粛(ロシュク)という武将を恐らく人が良く、劉備(リュウビ)勢力に振り回された無能な男と考えていると思われます。

しかしながら、この男、かなりの男なんですよね、実は…。

私がこれまで読んだ本では、この人は諸葛亮(ショカツリョウ)が劉備に天下三分の計を解きますが、それ以前に似たような思想をもっていたんですね。

彼の場合は天下二分の計なんですが…。

要は長江流域を孫権(ソンケン)が領土とし、北の曹操(ソウソウ)と雌雄を決するというもの。

それが、劉備が転がり込んできた事によって、荊州を劉備に貸し与えて、ある意味天下三分の形を作る事を考えた人なんですね。
(ただ、天下二分の際は蜀も含んでますが、この三分の場合は蜀を含みませんが…。)

赤壁の戦いにおいては、曹操から挑戦状をたたきつけられた段階では孫権陣営では和平派と開戦派に分かれていて、和平派の方が有利だったようです。

その中で、魯粛は断固開戦を唱えます。

最終は周瑜(シュウユ/彼もバリバリの開戦派)も会議の場に駆けつけて議論が沸騰するのですが、その席で、孫権が衣装を変えると言って席を立ちます。

その際に魯粛は孫権についていき、行ったセリフがいかしてます。

自分の主君に対し「降伏してもいいんですよ。私や他の重臣達はそれぞれそれなりの高位に就く事ができます。でもあなたはどうですか?せいぜい身の回りの世話をしてくれる人をつけてもらい、寂しい生活を強いられますよ。」なんて事を言ったらしい。

これは降伏した場合、孫権に再起の力を与えないように飼い殺しにするという事ではなくて、家格の問題なんですね。

孫権の重臣達と孫権を比べると、孫家という家格は数段落ちます。

当時の中国はバリバリの儒教社会。

まだまだ家格が物を言う時代だったんですね。

この魯粛の脅し?も孫権に開戦を決断させた一因だったんでしょうね。

主君にここまで言える魯粛ってすごいと思いませんか?

あの三国志演義で孫権と劉備の間で板挟みになって苦しむ弱気な魯粛とはまた一味も二味も違いますよね。

三国志演義の作者は魯粛に恨みがあった訳ではないでしょうが、彼のせいで魯粛は気弱で人のいい無能な人になってしまったんですね。

可哀そうです。

忘れている人も多いかと思いますが、赤壁の戦いにおける孫権軍の参謀長が魯粛です。

どうです?ちょっとは見直しましたか?
(ってそんな事知ってるよ!なんてツッコミも聞こえてきそうですが…。)


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Posted by たか at 03:02 | 三国志 | この記事のURL
2010年03月10日
万里の長城の悲しさ
今現在、宇宙から唯一見える建造物として世界遺産にも登録されている万里の長城ですが、一般的には秦の始皇帝が造ったことになってます。

が、現存する長城はどうも明の時代に造られたそうです。

始皇帝の頃は今の長城よりも北に位置し、土製だったそうです。
(今のように高くもなかったそうです。)

そもそも、この長城は始皇帝も(現存とは違う場所だそうですが)端から端まで造った訳ではなく、戦国時代に北の異民族から自領を守る為に各国が造っていた長城があり、始皇帝は単にそれをつなぎ合わせただけという物です。

何故、今よりも城壁が低かったかというと、元々、北の異民族の侵攻を防ぐために造られたので、異民族は馬に良く乗り、攻めて来た事から、馬が越えられない土塀を造るというのが元の発想です。

その為、それほど高い城壁で無くてよかったんですが…。

この長城、何が悲しいかというと…。

始皇帝は中国を統一した後、この事業に取り掛かりますが、結果的に見れば結局は「自分の力が及ぶ範囲はここまで!」という線を引いただけに終わってしまってます。

いくら始皇帝とはいえ、無限に領土を広げる事は無理なのはわかってますが…。

結局異民族を平らげる事が出来なかったんですね。

そのあたりに、私はこの万里の長城という建造物の悲しさを感じてしまいます。

現存する万里の長城は始皇帝が造った物ではないですが、一度行ってみたいと考えています。


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2010年03月08日
龍馬伝第10話を見て
ずいぶんと話が進んできましたね。

まあ、10話ですもんね。

とうとう来週は土佐勤皇党ですか。

どうでもいいけど、加尾が「龍馬さんには大志がある」みたいな事を言ってましたが…。

この龍馬伝を見る限り今までの放送で龍馬に大志ってあったかな?

恐らく、このドラマの描き方としては龍馬は色々な事を経験するうちに倒幕への思想と、そのやり方といった事が確立されていくという所を描きたいんだと思うのですが、この時点での龍馬の大志という言葉にかなりの違和感を感じたのですが…。

僕だけでしょうか?

まあいいか。

今回も、武市の攘夷に突っ走る熱い気持ちと、その為に出てくる犠牲と、その犠牲を指摘する龍馬の言葉と…多くの葛藤を抱えながら藩論を攘夷に変えようとする所がなかなか秀逸な演出でしたね。

でもこの龍馬。

なんか本当に真面目すぎますね。

もっとチャライ男と思うのですが…。

それは置いておいて…。

これを見ていると私が感じている攘夷派、倒幕派という人達に思う不快感を理解していただけるかもしれませんね。

今後、高杉晋作、大久保利通、西郷隆盛あたりがどんなキャラクター付けされ、どんな形で描かれるのか…ちょっと楽しみです。


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Posted by たか at 01:18 | 幕末 | この記事のURL
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