2010年09月03日
曹操と劉備
ちょっと、三国志ネタが続きますが…。
実は久しぶりに陳瞬臣さんが書かれた「曹操(ソウソウ)」を読んでいるものですから…。
曹操と劉備(リュウビ)は皆さんもご存じの通り、三国志の中で一方の雄同志。
一般的にはライバルですよね。
三国志演義なんかでも、どうしても相いれない相手として描かれます。
この陳瞬臣さんはそういった所に異論を持っている人なんですね。
以前もこのブログで何度か記載しましたが、この陳瞬臣さんが書かれた「秘本三国志」という本がありますが、この中でも今回読んでいる「曹操」と同じような観点で書かれています。
というのは、「曹操が荊州(ケイシュウ)に南下して劉備を撃破するまで、曹操と劉備には秘密同盟があった」という意見を述べておられます。
曹操が劉備に持ちかけて、これから倒したい勢力に劉備が転がり込み、曹操と戦をするように勧めてそれらを曹操が撃破していくというような筋書きです。
確かに、劉備が曹操の元に転がり込んでから、劉備が頼るその先々と曹操は戦争して、ことごとく勝利しています。
(袁紹/エンショウしかり、劉表/リュウヒョウしかり…)
また、劉備もことごとく逃げおおせています。
確かにあやしいと言えばあやしいですね。
私的にも「こういう考え方もありだな」と思わせる観点です。
というのも、そもそも劉備が曹操陣営から脱出した後の経緯を考えると…。
劉備は曹操の元に転がり込んだ際に皇帝を取り巻く董承(トウショウ)から曹操暗殺計画を持ちかけられ、加担します。
結局、その企てはばれるのですが、ばれた頃には劉備は曹操に進言し、袁術(エンジュツ)討伐に向かい、許都(キョト)にはいなかった為、処刑をまぬがれます。
ただ、曹操は電光石火で劉備を攻めて撃破し、劉備は関羽(カンウ)と家族を残したまま袁紹を頼って北へ去っていきますよね。
その後、曹操と袁紹の官渡(カント)の戦いになるという経緯になります。
このくだりの中でおかしいのは、
まず、『何故曹操は劉備を袁術討伐へ向かわしたか』
という所ですよね。
本来の曹操なら、劉備が許都を抜け出したいことぐらいすぐに看破してしまうと思うのですが…。
劉備が許都を抜けた後すぐに董承一派が捕まって処刑されていますよね。
これもあまりにもタイミングが良すぎるような気がします。
また、劉備は曹操に撃破されますが、その際の布陣に疑問があります。
小沛(ショウハイ)に劉備と張飛(チョウヒ)、下ヒ(カヒ/字が出ない)に関羽と劉備の家族という布陣になります。
曹操のいる許都から劉備が謀反を起こした徐州(ジョシュウ)へ攻め込んだ場合、前線となるのは小沛です。
という事は、関羽が後詰という事になりますね。
普通に考えたら、曹操相手に戦う訳ですから、下ヒは守備兵のみで主力は全て小沛に集めて戦うと思います。
曹操相手に関羽抜きというのはおかしいですよね。
(別働隊を率いさせて曹操の背後を突くとかなら分からないでは無いですが…)
また、劉備と張飛の前線が突破された際、劉備は下ヒに向かうのではなく、迷わず北を目指していますよね。
普通なら小沛で撃破されても下ヒにこもって決戦と考えるのが当たり前のように思うのですが、劉備はとっとと袁紹の勢力圏に向かいます。
これもおかしいですよね。
また、関羽があっさりと曹操に下っている辺りもちょっと怪しいと思います。
なんか、このくだりってすっきりしないんですよね。
三国志演義の作者も恐らくすっきりしなかったと思います。
そこで、劉備を尊王の士という事を大々的にアピールして、関羽は劉備の家族を守るためにやむなく降るという事に落ち着かせたんだと思ってます。
このくだりを、陳瞬臣さんが指摘するように曹操と劉備の間に密約があれば…。
かなりすっきり解決するんですよね。
まず曹操暗殺の企ての所は劉備が曹操にその計画を打ち明け、劉備は袁術討伐に向かうという事で許都を出る。
曹操は董承一派を処刑して、劉備に追手を向ける。
激戦を行い、劉備は徐州を放棄して袁紹を頼る。
劉備としては元々袁紹の元に腰を落ち着けるつもりはハナから無いし、曹操との戦をけしかけて袁紹を滅ぼす為に行くわけですから、袁紹勢力から脱出する際に家族がいない方がいいので、曹操に預けていく。
また、曹操に自分の家族を預ける事によって、曹操が「もしや劉備が裏切ったのでは…」という疑心暗鬼を起こさない為の保険にしておく。
ただ、劉備としてもやはり曹操を100%信用するのも少し恐い所があり、自分の家族の護衛として関羽をつけた。
こういった流れで考えれば本当にこのくだりはすっきりするんですよね。
正直、私は劉備に対して聖人君子のイメージは持っていませんので、陳瞬臣さんの指摘の方がしっくりときます。
本当のところはどうだったかなんてわかりませんし、1800年前の事を事細かく検証する事はほぼ無理でしょう。
だから人それぞれの解釈があって、それが歴史に幅を持たせていると思っています。
私は陳瞬臣さんの劉備と曹操の間に密約があったという説に賛成です。
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実は久しぶりに陳瞬臣さんが書かれた「曹操(ソウソウ)」を読んでいるものですから…。
曹操と劉備(リュウビ)は皆さんもご存じの通り、三国志の中で一方の雄同志。
一般的にはライバルですよね。
三国志演義なんかでも、どうしても相いれない相手として描かれます。
この陳瞬臣さんはそういった所に異論を持っている人なんですね。
以前もこのブログで何度か記載しましたが、この陳瞬臣さんが書かれた「秘本三国志」という本がありますが、この中でも今回読んでいる「曹操」と同じような観点で書かれています。
というのは、「曹操が荊州(ケイシュウ)に南下して劉備を撃破するまで、曹操と劉備には秘密同盟があった」という意見を述べておられます。
曹操が劉備に持ちかけて、これから倒したい勢力に劉備が転がり込み、曹操と戦をするように勧めてそれらを曹操が撃破していくというような筋書きです。
確かに、劉備が曹操の元に転がり込んでから、劉備が頼るその先々と曹操は戦争して、ことごとく勝利しています。
(袁紹/エンショウしかり、劉表/リュウヒョウしかり…)
また、劉備もことごとく逃げおおせています。
確かにあやしいと言えばあやしいですね。
私的にも「こういう考え方もありだな」と思わせる観点です。
というのも、そもそも劉備が曹操陣営から脱出した後の経緯を考えると…。
劉備は曹操の元に転がり込んだ際に皇帝を取り巻く董承(トウショウ)から曹操暗殺計画を持ちかけられ、加担します。
結局、その企てはばれるのですが、ばれた頃には劉備は曹操に進言し、袁術(エンジュツ)討伐に向かい、許都(キョト)にはいなかった為、処刑をまぬがれます。
ただ、曹操は電光石火で劉備を攻めて撃破し、劉備は関羽(カンウ)と家族を残したまま袁紹を頼って北へ去っていきますよね。
その後、曹操と袁紹の官渡(カント)の戦いになるという経緯になります。
このくだりの中でおかしいのは、
まず、『何故曹操は劉備を袁術討伐へ向かわしたか』
という所ですよね。
本来の曹操なら、劉備が許都を抜け出したいことぐらいすぐに看破してしまうと思うのですが…。
劉備が許都を抜けた後すぐに董承一派が捕まって処刑されていますよね。
これもあまりにもタイミングが良すぎるような気がします。
また、劉備は曹操に撃破されますが、その際の布陣に疑問があります。
小沛(ショウハイ)に劉備と張飛(チョウヒ)、下ヒ(カヒ/字が出ない)に関羽と劉備の家族という布陣になります。
曹操のいる許都から劉備が謀反を起こした徐州(ジョシュウ)へ攻め込んだ場合、前線となるのは小沛です。
という事は、関羽が後詰という事になりますね。
普通に考えたら、曹操相手に戦う訳ですから、下ヒは守備兵のみで主力は全て小沛に集めて戦うと思います。
曹操相手に関羽抜きというのはおかしいですよね。
(別働隊を率いさせて曹操の背後を突くとかなら分からないでは無いですが…)
また、劉備と張飛の前線が突破された際、劉備は下ヒに向かうのではなく、迷わず北を目指していますよね。
普通なら小沛で撃破されても下ヒにこもって決戦と考えるのが当たり前のように思うのですが、劉備はとっとと袁紹の勢力圏に向かいます。
これもおかしいですよね。
また、関羽があっさりと曹操に下っている辺りもちょっと怪しいと思います。
なんか、このくだりってすっきりしないんですよね。
三国志演義の作者も恐らくすっきりしなかったと思います。
そこで、劉備を尊王の士という事を大々的にアピールして、関羽は劉備の家族を守るためにやむなく降るという事に落ち着かせたんだと思ってます。
このくだりを、陳瞬臣さんが指摘するように曹操と劉備の間に密約があれば…。
かなりすっきり解決するんですよね。
まず曹操暗殺の企ての所は劉備が曹操にその計画を打ち明け、劉備は袁術討伐に向かうという事で許都を出る。
曹操は董承一派を処刑して、劉備に追手を向ける。
激戦を行い、劉備は徐州を放棄して袁紹を頼る。
劉備としては元々袁紹の元に腰を落ち着けるつもりはハナから無いし、曹操との戦をけしかけて袁紹を滅ぼす為に行くわけですから、袁紹勢力から脱出する際に家族がいない方がいいので、曹操に預けていく。
また、曹操に自分の家族を預ける事によって、曹操が「もしや劉備が裏切ったのでは…」という疑心暗鬼を起こさない為の保険にしておく。
ただ、劉備としてもやはり曹操を100%信用するのも少し恐い所があり、自分の家族の護衛として関羽をつけた。
こういった流れで考えれば本当にこのくだりはすっきりするんですよね。
正直、私は劉備に対して聖人君子のイメージは持っていませんので、陳瞬臣さんの指摘の方がしっくりときます。
本当のところはどうだったかなんてわかりませんし、1800年前の事を事細かく検証する事はほぼ無理でしょう。
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