アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
プロフィール

たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
リンク集

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2010年05月20日
空城の計
三国志の名場面の一つとして「空城の計」があります。

昔から芝居などでもしばしば上演されたりもしています。

諸葛亮(ショカツリョウ)の施した計略の中でも有名なものですね。

経緯としては…

第一次北伐の際、先発の司令官に抜擢した馬謖(バショク)が大敗したので、孔明は全軍に撤退命令を出すのですが、そこへ司馬懿仲達(シバイチュウタツ)の率いる15万の大軍が攻めよせてきました。

対する孔明は西城という小さな城で撤退の指揮をとっていましたが、主力は全て前線に出払っていた為、城内には弱卒ばかりの2500の兵のみという状況。

早馬がひっきりなしに司馬懿軍の接近を知らせ、浮足立った城内の将兵は「すぐさま撤退を!」と口々に進言しますが、孔明は「待て待て。わしにいい考えがある。いまさら逃げた所で、すぐに捕まってしまう。ここはわしに任せておけ。」と言います。

孔明の指示は、全ての将兵を物陰に潜ませた上、全ての城門を開け放ち、城内には人がいないように見せかけます。

また、20人程の兵に農民の身なりをさせて、城門の辺りを箒で掃いているよう命じました。

孔明自身は、道士の服に着替え、少年二人を連れ城楼に上がり、香を焚き琴を奏で始めました。

一方、仲達の元には物見から報告を受けると自分の目で確かめると言って前線に出て自分の目で確かめると、物見の言った通りだった為、「孔明は元々用心深い男。危険をおかすような男ではない。これには何か計略があるに違いない。迂闊に攻め込んだらとんでもない事になる。」と言って、全軍を撤退させました。

城内の兵は中立つ軍が引いていくのを見て改めて孔明の智謀に感嘆したという話なんですが…。

初めてこのくだりを読んだ時、私の中では、かなり?マークでした。

というのも、小城に15万の兵で攻め込んで、城門が全て開かれ、おかしな状況だったとしても、撤退するんだろうか?という疑問が浮かびました。

兵法に照らし合わせて考えると、ここで司馬懿軍が取る戦略は包囲ですよね。

何故撤退する必要があるんだろう?という疑問が浮かびました。

司馬懿が背後を取られる心配をしたのであれば、おかしいですよね。

撤退する蜀軍を追ってきた訳ですから。

そこに孔明がいて、15万の大軍を率いていて「なんで撤退なん?」というのが正直な私の感想でした。

しかしながら、この疑問はすぐに解けました。

要はフィクションだったんですね。

悪い言い方をすれば、ウソ。

このエピソードは三国志演義のみに出てくる話で、孔明を天才軍師にしたてる為に造られた話でした。

気持ちはわかりますが…。

造るのであれば、もっとつじつまを合わせて造るべきとおもう今日この頃です。
(司馬懿が可哀そうですね。)

Posted by たか at 02:51 | 三国志 | この記事のURL
>> 次へ

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。