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たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
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2010年04月06日
本能寺の変、黒幕一人消します?
日本史において、これほど未来の日本に影響を与えた事件は無いのでは?
なんて思えるのが本能寺の変です。

この事件、それほど重要な事件であるにも関わらず、今なお謎の多い事件ではあります。

まず、光秀の単独行動なのか?もしくは黒幕がいたのか?といった部分からして明白ではありません。

事件後の光秀の無計画さを考えると単独犯かも知れませんが…私としてはやはり黒幕がいたんじゃないかな?と思ってます。

以前、2009年11月10日のブログで「本能寺の変、光秀の勝算」という記事を書きましたが、単独犯(野望説)ではない理由についてはそちらに記載しています。
(ファンブログ版をご覧の方はリンク集から私的歴史道seesaa版をクリックしていただければご覧頂く事が出来ます。)

現在、黒幕説を取られている方々の中で有名なのは下記方々。

1.朝廷
2.羽柴秀吉
3.徳川家康
4.足利義昭


この中で、朝廷はありうる事ですし、羽柴秀吉はそもそも信長が討たれる状況(少人数で滞在する)をお膳立てした人物。
しかも、中国大返しという離れ業をしたタイミングからも、黒幕ではないとは言い切れません。

徳川家康はかなりの少人数で畿内にいたにも関わらず逃げおおせている辺り、あやしいにおいもします。

という事で、先ほど挙げた1〜3はいまだに私の中ではグレーです。

しかしながら足利義昭に関しては…黒幕ではなかったと考えられます。

彼は本能寺の変が起こった時点で毛利家にやっかいになってます。

もし、彼が黒幕であるならば当然、毛利家を抱き込んでいるはずです。

本能寺の変が起こった際、通説では光秀が毛利家に宛てた密使が間違って秀吉の陣営に入ってしまったという事になってます。

これだけを考えたら、毛利家との連携がありそうな匂いがしますが…。

普通、密使が陣営を間違えるでしょうか?

最もあり得ない話と思います。

この話はフィクションの匂いがしますね。

ただ、光秀は当然毛利家にも密使を送ったとは考えられます。

理由としては、織田軍団の敵でもありますし、今後手を握る事も視野に入れないといけない勢力ですからね。

その為、密使を毛利に放ったからと言って、光秀と毛利のラインが出来上がっていたと考えるのは早計と思います。

一番注目しなければいけない事は、秀吉が毛利と和議を結んだ事と考えます。

もし、足利義昭がこの一件に絡んでいたら、毛利家を抱き込んでいるはずなので、当然ここでの和議は考えられません。

毛利家は、強気に秀吉との決戦を望むはずです。

また、本能寺の変を知った毛利家は秀吉の追撃について議論してますが、ここも当然、追撃をするはずです。

が、実際は小早川隆景の「秀吉に恩を売る」という主張が通り、追撃をしていませんよね。
(でも吉川元春は追撃論で、採用されなかった彼はへそを曲げて隠居しますが…。)

こういう状況から考えると、足利義昭が黒幕という説は根本的に無理があると考えます。

まあ、実際に事が起こった際に毛利家が足利義昭を裏切ったと考える事もできますが…。

どうでしょう。

光秀と完全なラインが出来上がっているのでしたら、秀吉を追撃して、上手くいけば尼崎辺りまで毛利の領地にすることができた状況を捨てますかね。

私は、そんなことはできないと思います。

という事は、やはり光秀との共謀はなかったと考えるのが自然と思われます。

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