2010年08月27日
斎藤一という不思議な人
今、大河ドラマでは龍馬伝をしてますが…。
近藤、土方、沖田であろう人達は出てきますが…。
龍馬伝のキャストを見ると近藤勇しか出ていません。
まあ、画面では土方と思われる人、沖田と思われる人が出ていますが…。
せめて永倉、斉藤、原田くらいは出てほしいな…なんて思っています。
そんな事を考えていたら斎藤一の記事を書きたくなりました。
斎藤一は新撰組では三番隊隊長や撃剣師範などを務めた人で、明治に入っても西南戦争なんかで活躍している人ですね。
新撰組の中でも、その剣の腕はかなり上(一説によると最強だったという話)のランクだったそうですね。
斎藤一の写真をご覧になったことはおありでしょうか…。
こう言っては失礼ですが、かなりな異相ですよね。
耳はとがり、肌や表情から、結構無機質な感じをうける人です。
多くの人をあやめてきた事が表情に出てるんですかね。
でも、この人、なかなか謎な人ですね。
新撰組の全身、浪士組を結成した際に入隊しているはずですね。
(まあ、試衛館以来の近藤の同志という説もありますが…)
でも、あの清河八郎が結成した浪士組のメンバーではないですよね。
大体、剣の流派からして、無外流と一刀流という説がありますね。
(無外流の方が有力のようですが…)
この人の謎の行動はいくらかありますが…。
まずは御陵衛士ですね。
この人は伊東甲子太郎の起こした御陵衛士について行ってますが、後に新撰組に戻ります。
一応、これは新撰組からのスパイという事になってますが…。
真相は謎ですね。
また、戊辰戦争で新撰組は会津から仙台、函館と転戦していきますが、この人は会津藩に残りましたね。
一説によると会津藩の密偵だったという話ですが…。
(維新後も、会津藩と運命を共にして移封となった斗南藩士として会津藩士について行ってますもんね。)
あながち、笑い飛ばせない話ですね。
(数年前に大河ドラマで放送された「新撰組!」では会津の松平容保とマンツーマンで謁見して虎徹を近藤に届ける役目をしてますしね。ある意味、完全に会津の密偵として描かれていたような…。)
浅田次郎氏の「壬生義士伝」では、斎藤一は左利きで龍馬暗殺の実行犯となってますが…。
ただ、Wikipediaを見ていると、以下のような記載があります。
特技の「左片手一本突き」から、斎藤は左利きだったという説もあるが、史実である可能性は低い。後世、小説家などの創作のなかで左利きとされているものもあるが、中島登の残した絵図の描写では、右利きの者と同じ位置で刀を構えている。
まあ、Wikipediaだけに、絶対正しいとは言えませんが…。
私もこのブログを立ち上げた頃に記載した龍馬暗殺1(2009年9月23日の記載 ファンブログ版をご覧の方はリンク集より私的歴史道seesaa版に飛んでいただければご覧いただく事が出来ます。)でも記載しましたが、龍馬暗殺の実行犯ではないのと、この人が左利きだったら、もっと左利きという話が有名になっていると思われますので、彼の左利き説はあり得ないと考えています。
維新後は東京で警視官になって警視局の警部補になったそうですが、西南戦争で抜刀隊として参加し、天才的な剣技と指揮力薩摩を圧倒したそうですね。
その後は東京高等師範学校で守衛なんかをしていたそうですね。
彼の最後は大正4年(1915年9月28日)に胃潰瘍の為死んだそうですが、その最後は突然起き上がって床の間に正座をして死んだそうですね。(享年72歳)
ちなみに…
永倉は晩年、その弟子に「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と語ったそうです。
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龍馬の謎 サザエさん家の不思議
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龍馬伝のキャストを見ると近藤勇しか出ていません。
まあ、画面では土方と思われる人、沖田と思われる人が出ていますが…。
せめて永倉、斉藤、原田くらいは出てほしいな…なんて思っています。
そんな事を考えていたら斎藤一の記事を書きたくなりました。
斎藤一は新撰組では三番隊隊長や撃剣師範などを務めた人で、明治に入っても西南戦争なんかで活躍している人ですね。
新撰組の中でも、その剣の腕はかなり上(一説によると最強だったという話)のランクだったそうですね。
斎藤一の写真をご覧になったことはおありでしょうか…。
こう言っては失礼ですが、かなりな異相ですよね。
耳はとがり、肌や表情から、結構無機質な感じをうける人です。
多くの人をあやめてきた事が表情に出てるんですかね。
でも、この人、なかなか謎な人ですね。
新撰組の全身、浪士組を結成した際に入隊しているはずですね。
(まあ、試衛館以来の近藤の同志という説もありますが…)
でも、あの清河八郎が結成した浪士組のメンバーではないですよね。
大体、剣の流派からして、無外流と一刀流という説がありますね。
(無外流の方が有力のようですが…)
この人の謎の行動はいくらかありますが…。
まずは御陵衛士ですね。
この人は伊東甲子太郎の起こした御陵衛士について行ってますが、後に新撰組に戻ります。
一応、これは新撰組からのスパイという事になってますが…。
真相は謎ですね。
また、戊辰戦争で新撰組は会津から仙台、函館と転戦していきますが、この人は会津藩に残りましたね。
一説によると会津藩の密偵だったという話ですが…。
(維新後も、会津藩と運命を共にして移封となった斗南藩士として会津藩士について行ってますもんね。)
あながち、笑い飛ばせない話ですね。
(数年前に大河ドラマで放送された「新撰組!」では会津の松平容保とマンツーマンで謁見して虎徹を近藤に届ける役目をしてますしね。ある意味、完全に会津の密偵として描かれていたような…。)
浅田次郎氏の「壬生義士伝」では、斎藤一は左利きで龍馬暗殺の実行犯となってますが…。
ただ、Wikipediaを見ていると、以下のような記載があります。
特技の「左片手一本突き」から、斎藤は左利きだったという説もあるが、史実である可能性は低い。後世、小説家などの創作のなかで左利きとされているものもあるが、中島登の残した絵図の描写では、右利きの者と同じ位置で刀を構えている。
まあ、Wikipediaだけに、絶対正しいとは言えませんが…。
私もこのブログを立ち上げた頃に記載した龍馬暗殺1(2009年9月23日の記載 ファンブログ版をご覧の方はリンク集より私的歴史道seesaa版に飛んでいただければご覧いただく事が出来ます。)でも記載しましたが、龍馬暗殺の実行犯ではないのと、この人が左利きだったら、もっと左利きという話が有名になっていると思われますので、彼の左利き説はあり得ないと考えています。
維新後は東京で警視官になって警視局の警部補になったそうですが、西南戦争で抜刀隊として参加し、天才的な剣技と指揮力薩摩を圧倒したそうですね。
その後は東京高等師範学校で守衛なんかをしていたそうですね。
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ちなみに…
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