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たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
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2010年05月13日
三国一の色男、周瑜公瑾
周瑜公瑾(シュウユコウキン/公瑾は字)は呉の国建国の功臣です。

三国志演義では諸葛亮(ショカツリョウ)の引き立て役にされ、不当な評価を後世に残した可哀そうな智将です。

正史三国志においては、あまり人の見かけを記載していないのですが、この男に関しては特に「美周郎」と呼ばれたと記載があります。

かなり外見が美しい男だったんでしょうね。

主君である孫策(ソンサク)とは義兄弟ですね。

というのも、孫策の妻と周瑜の妻が姉妹ですから…。

映画「レッドクリフ」では主役でした。

三国志演義においては、本当に不当に陥れられています。

赤壁の戦いにおける彼は、無残にも諸葛亮の引き立て役にさせられてますね。

諸葛亮の才能をねたみ、諸葛亮をなんとか殺そうとしてそのすべてを諸葛亮に見切られ、逆に全て返されています。

諸葛亮を危険視したのかも知れませんが、そんな男ではないと思いますが…。

正史においては、「寛大な性格で、人の心をつかむのが旨かった」と記載されています。

呉の宿将である程普(テイフ)は、周瑜が若輩者であるにも関わらず、自分と同等の地位にいる事に反感を持ち、周瑜とは折り合いが悪く度々周瑜を侮辱していたようですが、周瑜はそんな程普にたいしてあくまで膝を屈して謙譲の姿勢で接した為、程普も感服し、周瑜を尊重するようになったというエピソードも正史に見られます。

そんな周瑜は三国志演義において傲慢で、短慮で、諸葛亮の才を妬むという形で記載されています。

これはひどすぎますよね。

程普に対する姿から見ても、周瑜という男はそんな傲慢でもなく、短慮でもなく、本当に自身を慎む男だった事が分かります。

以前、魯粛(ロシュク)について記載(2010年3月11日「魯粛は伊達じゃない!)しましたが、三国志演義というのは時に人の能力や人格を曲げてまで、諸葛亮を引き立てるように記載されてます。

曹操なんかも、かなり曲げて記載されてますね。

三国志演義の作者は作家としてはかなり優秀ですが、あまりにも人物を曲げて記載している事が多いですね。

その為、無駄に恨みを買ったり、バカにされてきた武将の何と多い事か…。

周瑜という男は程普が言ったとされる次の言葉で全てが表されていると思います。

「周瑜は上等な酒のような人物。知らぬ間に酔わされてしまう。」

なかなか奥ゆかしい男だったようですね。

また、そんな彼は音楽にも精通してました。

正史にあるエピソードですが、宴会で酒に酔っていても、演奏者(当時の宴会の場は、人が曲を演奏している中で酒を飲んでいました。)が僅かでも間違えば、周瑜は気づいたそうです。

その為当時の人々は「曲に誤りあれば周郎が振り向く」という歌を造ったそうです。

なかなかの風流人ですね。

戦においては鬼謀を発揮する智将、人との付き合いでは寛大で慎み深く、音楽に精通した風流人、そしてさらにかなりのイケメン。

何とも文句のつけようのない男ですね。

この人は36歳という若さで死にましたが、もっと長生きしていれば、歴史はかなり変わっていたと思わせる人物ですね。

Posted by たか at 00:46 | 三国志 | この記事のURL
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