2010年05月11日
龍馬はどんな人?
最近、大河ドラマの影響で、私のブログに訪問して頂ける方々も、龍馬関連で検索されて訪問して頂くケースが多いです。
本当に、ありがたい話です。
リンク元をたどると、どういった検索エンジンで、どういった言葉で検索されたのか、何ページ目に表示されたのかが見れるのですが、その際に、その検索でヒットした他のHPやブログも表示されます。
そこで、色々と興味を持って見るのですが…。
本当に龍馬という男は多くの方に議論されてますね。
凄い事です。
龍馬を語っている人を分類すると大体傾向が見えます。
1.龍馬を神格化して手放しでほめる人
2.そこに反発して手放しでけなす人
3.龍馬は武士というより商人という人
4.龍馬の認める部分と認めない部分をもっている人
などでしょうか。
まず、1の龍馬を手放しでほめる人は、恐らくそのほとんどは「竜馬が行く」を読んだ人か、もしくはそれを読んでかなり影響された人が書いた小説や漫画を読んだ人でしょうか。
正直それはかなりのフィクションです。
司馬遼太郎氏自身「竜馬」というフィクションを書いたと認めてますし…。
(だから字が龍馬ではない。)
ちょっと危険な龍馬ファンですね。
2の龍馬を手放しでけなす人はそれを知っていて、手放しで龍馬をほめる人に反感を持っている人でしょうね。
(もしくは単純に人気をねたんでる人か…。)
3の龍馬は商人という人に関しては、これはある意味当たっているのですが…ただ、私が読んだ記事の中には「むしろ龍馬は松下幸之助のような商人…云々」と記載してる人がいました。
私も、龍馬の発想は商人と思いますが、これに関しては…。
確かに龍馬の発想は商人的ですが、松下幸之助と比べるとその足元にも及ばないですね。
だって、亀山社中はずっと経営難ですし、挙句の果てには倒産してますしね…。
世界のPanasonicを造った松下幸之助氏と比べるのは失礼というものでしょう。
4の龍馬の認める部分と認めない部分をもった人については…。
私もこの部類に入るのかもしれませんが(2の龍馬を手放しでほめる人に反感をもつというのも結構あります。)、要は、剣の腕はいまいちも薩長同盟、船中八策、大政奉還は認めるとか…。
正直、刀を抜かなかった龍馬の剣の腕を測る事はできないのですが…。
(ですから、このブログでは、私はこう思うって所を記載しましたが…。興味のある方は2010年3月18日に記載してますので、ご覧ください。)
私としては、このブログで結構龍馬の悪口を書いてきましたが、根本的な所としては、それほど嫌いではなく、単に「龍馬という男は点でしか物事を見る事が出来なかったのでは?」と思ってます。
その根拠としては…。
まずは亀山社中と薩長同盟。
これは武器を長州に入れて、長州の武力を増強する目的と、お金を儲けたいという事を商人的発想で結びつけた結果の事と思われますが、明らかに武力討幕の片棒を担いでますよね。
次に暗殺される頃の龍馬は武力討幕を回避する為に動いています。
薩長同盟と亀山社中の頃の龍馬の動きは、明らかに薩摩と長州の武力討幕を助けている動きですが、暗殺される頃は武力討幕を回避する方向に動いている。
年代で行くと、
1865年5月頃、亀山社中発足、1866年1月22日薩長同盟、1867年11月15日龍馬暗殺。
わずか2年半程の間に考えが180°変わっている訳です。
これをどう見るかですね。
このブログでも何度か記載しましたが、坂本龍馬は死の商人(武器を売って利益を得る商人)だった訳です。
それが戦争をしない方向に動くのにわずか2年ほど。
死の商人の頃は、やっぱりグラバーに乗せられていたのでしょうか。
どんどん武器を売って…。
でも利益が出てないので、どうも商売としてはうまく行ってないですよね。
そこが亀山社中のあやしさです。
海援隊の頃に「いろは丸事件」で大金をせしめた(いわゆる当たり屋)事がありますが、これなんかは、この時本当にお金に困っていたんでは?なんて思ってしまいますが…。
(残っている記録を読むと、どうも海援隊側の操船に問題があったようですし…。)
私の考えでは、その場その場で考え方がころころ変わる男ですね。
(正直、頭の回転は速かったのかも知れませんが、頭の良い男ではないと思います。)
このブログで以前に書いた通り、私の龍馬観は…。
昔は龍馬の事が好きだったのですが、知れば知るほど嫌いになった男です。
結局、考えに一貫性がなかったのでは?という所に行きついたのが、そもそもの嫌いになっていく発端だったんですが…。
龍馬を英雄視した小説等は、暗殺された頃の龍馬の考え方(武力討幕を阻止する動き)から逆算して書いていった物で、一貫してそれを貫いていたとして書かれるので、先見性があり、信念を貫いた男というイメージを与えますが、実際は違ったと思ってます。
ただ、彼がいなければ薩摩と長州が手を結べなかった訳で、犬猿の仲だった薩摩と長州の手を結ばせたという所は、彼の大きな功績と言えると思います。
これが無ければ、倒幕はできないですからね。
(勿論、倒幕が良かったのか悪かったのかの議論はここでは省きます。)
結局彼は英雄なんですが、多くの人が手放しでほめるのは、「彼の行動を全て良いように取りすぎやで!」って言いたくなるんです。
結局、私の中の龍馬像は…。
かなりのミーハーで、少ししか知らない事でもかなり知っているように見せ、大風呂敷を広げるのが得意な中身の薄い男。
でも、その子供っぽさが人を惹きつけてやまない仁徳につながる不思議な魅力をもった男。
ってとこですかね。
本当に、ありがたい話です。
リンク元をたどると、どういった検索エンジンで、どういった言葉で検索されたのか、何ページ目に表示されたのかが見れるのですが、その際に、その検索でヒットした他のHPやブログも表示されます。
そこで、色々と興味を持って見るのですが…。
本当に龍馬という男は多くの方に議論されてますね。
凄い事です。
龍馬を語っている人を分類すると大体傾向が見えます。
1.龍馬を神格化して手放しでほめる人
2.そこに反発して手放しでけなす人
3.龍馬は武士というより商人という人
4.龍馬の認める部分と認めない部分をもっている人
などでしょうか。
まず、1の龍馬を手放しでほめる人は、恐らくそのほとんどは「竜馬が行く」を読んだ人か、もしくはそれを読んでかなり影響された人が書いた小説や漫画を読んだ人でしょうか。
正直それはかなりのフィクションです。
司馬遼太郎氏自身「竜馬」というフィクションを書いたと認めてますし…。
(だから字が龍馬ではない。)
ちょっと危険な龍馬ファンですね。
2の龍馬を手放しでけなす人はそれを知っていて、手放しで龍馬をほめる人に反感を持っている人でしょうね。
(もしくは単純に人気をねたんでる人か…。)
3の龍馬は商人という人に関しては、これはある意味当たっているのですが…ただ、私が読んだ記事の中には「むしろ龍馬は松下幸之助のような商人…云々」と記載してる人がいました。
私も、龍馬の発想は商人と思いますが、これに関しては…。
確かに龍馬の発想は商人的ですが、松下幸之助と比べるとその足元にも及ばないですね。
だって、亀山社中はずっと経営難ですし、挙句の果てには倒産してますしね…。
世界のPanasonicを造った松下幸之助氏と比べるのは失礼というものでしょう。
4の龍馬の認める部分と認めない部分をもった人については…。
私もこの部類に入るのかもしれませんが(2の龍馬を手放しでほめる人に反感をもつというのも結構あります。)、要は、剣の腕はいまいちも薩長同盟、船中八策、大政奉還は認めるとか…。
正直、刀を抜かなかった龍馬の剣の腕を測る事はできないのですが…。
(ですから、このブログでは、私はこう思うって所を記載しましたが…。興味のある方は2010年3月18日に記載してますので、ご覧ください。)
私としては、このブログで結構龍馬の悪口を書いてきましたが、根本的な所としては、それほど嫌いではなく、単に「龍馬という男は点でしか物事を見る事が出来なかったのでは?」と思ってます。
その根拠としては…。
まずは亀山社中と薩長同盟。
これは武器を長州に入れて、長州の武力を増強する目的と、お金を儲けたいという事を商人的発想で結びつけた結果の事と思われますが、明らかに武力討幕の片棒を担いでますよね。
次に暗殺される頃の龍馬は武力討幕を回避する為に動いています。
薩長同盟と亀山社中の頃の龍馬の動きは、明らかに薩摩と長州の武力討幕を助けている動きですが、暗殺される頃は武力討幕を回避する方向に動いている。
年代で行くと、
1865年5月頃、亀山社中発足、1866年1月22日薩長同盟、1867年11月15日龍馬暗殺。
わずか2年半程の間に考えが180°変わっている訳です。
これをどう見るかですね。
このブログでも何度か記載しましたが、坂本龍馬は死の商人(武器を売って利益を得る商人)だった訳です。
それが戦争をしない方向に動くのにわずか2年ほど。
死の商人の頃は、やっぱりグラバーに乗せられていたのでしょうか。
どんどん武器を売って…。
でも利益が出てないので、どうも商売としてはうまく行ってないですよね。
そこが亀山社中のあやしさです。
海援隊の頃に「いろは丸事件」で大金をせしめた(いわゆる当たり屋)事がありますが、これなんかは、この時本当にお金に困っていたんでは?なんて思ってしまいますが…。
(残っている記録を読むと、どうも海援隊側の操船に問題があったようですし…。)
私の考えでは、その場その場で考え方がころころ変わる男ですね。
(正直、頭の回転は速かったのかも知れませんが、頭の良い男ではないと思います。)
このブログで以前に書いた通り、私の龍馬観は…。
昔は龍馬の事が好きだったのですが、知れば知るほど嫌いになった男です。
結局、考えに一貫性がなかったのでは?という所に行きついたのが、そもそもの嫌いになっていく発端だったんですが…。
龍馬を英雄視した小説等は、暗殺された頃の龍馬の考え方(武力討幕を阻止する動き)から逆算して書いていった物で、一貫してそれを貫いていたとして書かれるので、先見性があり、信念を貫いた男というイメージを与えますが、実際は違ったと思ってます。
ただ、彼がいなければ薩摩と長州が手を結べなかった訳で、犬猿の仲だった薩摩と長州の手を結ばせたという所は、彼の大きな功績と言えると思います。
これが無ければ、倒幕はできないですからね。
(勿論、倒幕が良かったのか悪かったのかの議論はここでは省きます。)
結局彼は英雄なんですが、多くの人が手放しでほめるのは、「彼の行動を全て良いように取りすぎやで!」って言いたくなるんです。
結局、私の中の龍馬像は…。
かなりのミーハーで、少ししか知らない事でもかなり知っているように見せ、大風呂敷を広げるのが得意な中身の薄い男。
でも、その子供っぽさが人を惹きつけてやまない仁徳につながる不思議な魅力をもった男。
ってとこですかね。
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