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たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
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2010年05月10日
龍馬伝19話を見て
とうとう、山内容堂の怪物っぷりが発揮されてきましたね。

土佐勤皇党の粛清が始まりました。

山内容堂はドラマの中でもあった通り、風向きを見るに非常に敏な人でした。

武市半平太を吉田東洋を殺した男としてずっと許さないくせに、攘夷の気風が高いうちはうまく使い、風向きが変わった瞬間粛清するという、人としてはかなり冷酷ですが、うまく立ち回った男ですよね。

さすがは山内一豊の子孫!!

この冷酷さは、武市半平太が下士の出だからですよね。

やっぱり山内家は下士をかなり嫌っていたんですよ。

まあ、下士は元々長曾我部の配下ですもんね。
けっして山内家の配下ではない。

山内一豊が土佐に赴任してきた際に、結構反乱おこしたりしましたもんね。

江戸時代初期において、外様である山内一豊にとってはかなり恐ろしい事だったでしょうね。

反乱なんかを起こすと「その土地を治める能力がない。」なんて難癖つけられてお家断絶なんて事も、かなりな確立である訳ですからね。

土佐藩は代を重ねるごとにそういった恨みが積み重なっていったんでしょうね。

そういった所が、使い捨てにしてもなんとも思わない所以でしょうね。

この山内容堂は幕末四賢侯のひとりですが、現代の人からみれば「どこがやねん!!腹黒すぎ!!」なんて言いたくなるかもしれませんが、まあ、こんなもんですよ。

全体的に見れば山内容堂は、常にスポットライトを浴びる役回りを通ってきたんですからね。

この後の放送でも出くるでしょうが、徳川家に大政奉還の建白書を提出するのもこの人ですしね。
(原案は龍馬)

やっぱり賢侯ですかね。

しかし放送後半の武市はかっこよく描きましたね。

死を覚悟して土佐に帰るという形に仕上げましたか。

成程成程。

以蔵もとうとう追い詰められましたね。

来週、再来週ぐらいは土佐勤皇党の粛清という事で、ちょっと凄惨なシーンになりそうですね。

Posted by たか at 00:06 | 幕末 | この記事のURL
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