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たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
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2010年03月18日
龍馬の剣の腕
いやあ〜びっくりしました。

昨日私のブログに訪問頂いた方々のリンク元を見ていますと多くの方が「龍馬 剣術 流派」といったキーワードで訪問頂きました。

ちなみにこのキーワードで約60名の方に訪問頂きました。

ありがとうございます。

しかも、ご覧頂いたページは2009年11月20日に記載した「剣術流派の源流」という記事と、2010年3月7日に記載しました「玄武館 北辰一刀流」という記事でした。
(ちなみに、ファンブログをご覧の方はリンク集から私的歴史道seesaa版をクリックいただければ「剣術流派の源流」の記事をご覧いただく事が出来ます。)

何か龍馬の剣術に関するTVでもあったんでしょうか?

ちなみに、他の剣術関連では沖田総司の三段突きを検索されている方もよくご訪問頂きます。
(2010年2月5日「天下無双の三段突き」)

剣術はかなり興味を持たれているんですね。

ちなみに坂本龍馬、剣の腕については諸説ありますね。

大きく分けるとかなりの達人だったという説と、実は二流だったという説。

以前もこのブログのどこかで記載しましたが、龍馬が北辰一刀流で得た免許で現存しているのは「北辰一刀流長刀法目録」のみ。
(この目録の名前を忘れたのでネットで検索して見つけました!RYOMA DNA.NET/http://www.ryomadna.net/という所に記載されてました。)

これは北辰一刀流における薙刀の初伝だそうです。
(これはRYOMA DNA.NETにも載ってましたが何かの本で読んで知ってました。)

初伝というのはどうも剣豪龍馬のイメージからは遠いですが…。

これだけを見て「龍馬はやっぱり剣の腕は二流」と決めつけるのはちょっと早計です。

龍馬は日根野弁治から小栗流皆伝目録「小栗流和兵法三箇條」をしっかりと貰ってます。

龍馬伝でも出入りしてますよね、日根野道場。

まあ、北辰一刀流ではないですが…。

剣の腕はそれなりにあったのだと思われます。

北辰一刀流の免許も現存しているのが初伝のみと言うだけで、恐らく他の免許も取得していたんでしょうね。

ちなみに…千葉定吉の娘佐那さんは、「父は坂本さんを塾頭に任じ、北辰一刀流目録を与えました」と言っていたそうです。

この人、龍馬が死んだ後も「私は龍馬の妻」と言い張っていたそうです。

結納も交わしたとか…。

そうなると、お龍さんの立場は…。

坂本龍馬が寺田屋で負傷してお龍さんと湯治に出かけますが、これが日本で最初のハネムーンらしいですよ。

となると???

お佐那さんは…。

龍馬が妻と認めていない事になり、悪い言い方をすれば妄想癖があったのでしょうか…。

いずれにせよ、お佐那さんが言っている龍馬の塾頭説、北辰一刀流免許皆伝というのは少し胡散臭いような気がしてます。

剣の腕としては北辰一刀流では測れませんが、小栗流免許という事でそれなりに腕が立ったんでしょうね。

ちなみに、龍馬の剣の腕は二流という人の意見としては寺田屋で襲われた際に剣ではなくピストルを使っているという所を指摘する人が多いようですが…。

普通、ピストル持ってたらピストル使いますよね。

しかも、屋内では刀は扱いにくいですし…。

ピストルは音も威嚇効果がありますし…。

大体、昔の家屋は天井が低いですしね。
(寺田屋も低いです。)

この事を以て龍馬の剣は二流というのはちょっと無理があると思います。

剣の腕の評価ってどういう場面を想定するかで変わってくると思います。

道場においては、龍馬はそこそこやったでしょう。

しかしながら、真剣を持っての斬り合いとなれば…恐らく弱かったんじゃないかなと私は思ってます。


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Posted by たか at 01:58 | 幕末 | この記事のURL
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