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たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
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2010年02月13日
中国史上最強の将軍
昨日のこのブログを見に来ていただいた方々のアクセスを見させていただくと、「中国史上最強の将軍」という事で検索されておられる方がいましたので、本日は中国史上最強の将軍について私の思う所を述べたいと思います。

ぱっと、中国史上最強の将軍と言われるとどういった方々を思い浮かべるでしょうか?

私の勝手な想像ですが、項籍(コウセキ 項羽/コウウ とも)、韓信(カンシン)、孫武(ソンブ)、呉起(ゴキ)、楽毅(ガッキ)、ちょっとマニアック所で白起(ハクキ)辺りでしょうか。

もしくは、三国志がやはり人気がありますので、そこに登場する武将でしょうか。

例えば、曹操(ソウソウ)、諸葛亮(ショカツリョウ)、関羽(カンウ)、張飛(チョウヒ)、趙雲(チョウウン)、馬超(バチョウ)、黄忠(コウチュウ)、孫堅(ソンケン)、孫策(ソンサク)、周瑜(シュウユ)、陸遜(リクソン)、呂布(リョフ)…。

私としては上記の将軍は全て優秀な将軍ですが、中国最強というまではいかないような気がします。

項籍はご存じの通り非情過ぎた為多くの部下が離反し、劉邦(リュウホウ)に肝心な所で負けていたり、韓信は国士無双と言われた通り、百戦百勝の名将ですが、結局政争に負けて殺されていたり、孫武は活躍が少なすぎるし、呉起、楽毅、白起は共に自国の内部をまとめ切れなかった為に殺されたり、左遷されたりしてます。

三国志の英雄達においては、曹操は確かに勝率8割を誇る名将ですが、負ける時が派手すぎる。

諸葛亮は三国志演義では名将ですが、正史三国志では戦は余り得意ではなさそう(三国志演義でも北伐は失敗してますしね)ですし、関羽、張飛は戦い方が粗暴すぎる。

趙雲はサイボーグのように戦をこなしますが、それは自分の担当する戦局においてで、全体を眺めた上での戦略、戦術の実行ができない(できたのかも知れませんがしていない)。

馬超、黄忠においては戦争においては一つの駒としての働きしかできず、孫堅、孫策は戦は強くても、軽率な行動が目立つ。(その為二人とも死んでますしね。)

周瑜は赤壁はかなりの活躍を示したがその後の江陵(コウリョウ)の戦い方に疑問があるし、陸遜は君主を制御できず、死んでます。

呂布に至っては知者に操られただけで結局自分の戦ができなかった。

等々、悪口ばかり書きましたが、決して嫌いな訳ではありません。

あくまで、史上最強を考えた場合に見えるマイナスポイントを記載したまでです。

そこで、私の思うこの人が中国史上最強の将軍では?と思う人物は士会(シカイ)です。

この男は晋(シン)の文公(重耳/チョウジ)の晩年の右(国内で最強を誇る武人が就くポスト)になり、その後順調に出世して最後は晋の宰相になります。

戦場における駆け引きはずば抜けていて、この人の部隊が負ける事はありませんでした。

その凄さはヒツ(漢字が表記されません)の戦いに見る事ができます。

当時の中国において、晋は城濮の戦い(ジョウボクノタタカイ)において南の大国、楚軍(ソグン)を破り覇権を手にします。

しかしながらその35年後、ヒツ(漢字が表記されません)の戦いにおいて城濮の戦いと同じ楚軍に大敗を喫し、覇権を楚に渡します。

このヒツの戦いは晋軍の中軍(当時の戦は上軍、中軍、下軍の3編成で攻め込むのが常で、中軍はその主力)は早々と崩れ、下軍は壊滅的なダメージを受けました。
(下軍の将、趙朔/チョウサク はこの時の傷が元で死にます。)

そんな中で上軍を指揮していた士会はその才能を遺憾なく発揮し、無傷で軍を引かせます。

これだけをみても優れた将軍なんですが、この戦以外にも参加した戦は常に勝利を治めるという優秀さ。

また、宰相になり、後世の人達に「晋における最高の宰相」という評価を受けます。
(ちなみに、宰相に就いていたのはたったの2年です。)

内を見事に治め、外に出ては完璧な戦をする。

これこそまさに最強の将軍と言えると考えてます。


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Posted by たか at 04:16 | 春秋時代 | この記事のURL
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