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2014年04月03日

那須高原伝説と神秘の名所旧跡・殺生石を訪ねて

このブログは那須高原とその周辺の話題や情報を中心に、那須高原の見どこるを個人的見解でご紹介しています。

つまり那須高原一帯の・遊・楽・案内ですかね!?観光の参考になれば幸いです。今回は那須湯本周辺の「殺生石」を訪ねました。



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史跡「殺生石」は那須湯本にあり、昔から「九尾の狐」伝説のある場所です。

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周辺は硫黄の匂いが漂い、古くからこの殺生石の上を飛ぶ鳥もいなかったという言い伝えがありました。ガスの影響ですかね。

石の香や   夏草赤く  露あつし     松尾芭蕉 


周りには大小様々な岩がありその一つ一つには「いわく」があります。
殺生石は「白面金毛九尾の狐」の狐伝説(九尾の狐伝説)として知られている。
インド・中国・日本の三国をまたがる雄大な歴史を背景に美女や妖怪などが登場する怪奇で広大なスケールとして描かれています。また殺生石の情景は多くの文人たちにより数多くの文芸作品となり全国的にも知られている史跡のひとつでもあります。伝説のお話は平安時代初期、鳥羽帝の御代。インド・中国を荒らし回った九尾の狐はやがて日本に渡来「玉藻の前」という美女に化身し帝の寵愛を受けすようになりました。帝の命を奪い日本を我が物にしようとした玉藻の前は、陰陽師の阿部泰成によってその正体を見破られ白面金毛九尾の狐の姿となってこの那須野が原へ逃げ込んだのです。これを知った朝廷は上野介広常、三浦介義純の両名に命じ九尾の狐を退治させました。狐は死して巨石と化しその怨念は毒気となって人や家畜、鳥獣をも殺し続けたのです。室町時代になってこれを伝え聞いた名僧源翁和尚はこの地を訪ね済度、教化を授け持っていた杖で一喝すると、石は三つに割れ一つは会津へ、一つは備後へと飛んでいき、残った一つがこの殺生石であると伝えられています。・・・・

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那須温泉の由来・・

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「千体地蔵」・・・

DSCN5446.jpg


すごい数のお地蔵が鎮座しています・・・・

DSCN5459.jpg


「盲蛇石」・・・
昔、五左衛門という湯守が長く厳しい冬を越すために山に薪を採りに行きました、その帰り道五右衛門がこの殺生川原で一休みしていると、2メートルを超える大きな蛇に出会いました。大きな蛇の瑪は白く濁り盲の蛇でした。かわいそうに思った五右衛門はこれでは冬を越せないだろうと蛇のためにススキと小枝で小屋を作ってあげました。次の年蛇のことを忘れなかった五右衛門は。湯殿開きの日に小屋に来て蛇をさがしました、しかし蛇の姿はどこにもなくかわりにキラキラと光り輝く湯の花がありました、盲蛇に対する暖かい気持ちが神に通じ湯の花の作り方を教えてくれたのでた。・・その後・・・・・・省略  「盲蛇石」の由来・・・

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