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2018年10月07日

硫黄島が未だに立ち入ることが出来ない開かずの島になっている理由【怖い話】




硫黄島が未だに、
民間開放されてないのはなぜか。

社会常識としては、
硫黄島が軍事上の重要拠点になってるから。

真相は単純。その原理は、
旅館の開かずの間と同じだ。出るんだよ。

夥しい数の英霊が。それも、日米混合で。

硫黄島がベトナム戦争並みの激戦区だったのは、
戦後に左翼とかが頑張ったせいかあまり知られていない。

新しくて『密度』がハンパじゃない古戦場。

しかも、出るのが英霊。

オカルトだけでなく、
政治や軍人遺家族等が織り成す人間的要素が加味される。

それも、日米はもちろん東アジアからも詣でられる。


こういう離島は、硫黄島ほどじゃないけど
アラスカ州のアリューシャン列島にもある。

こちらの方は、島の面積も広いし
要所要所を米国側がきちんとしてて民間人も住んでる。

硫黄島の海みたいに、
大きな戦艦の幽霊船みたいなのが出現したりしないしな。

もし、ゴム筏か何かであの艦船に近づいていったら
今頃どうしてるところだったのかな。


だから、硫黄島から基地が移転することは無い。

何十年経っても、
たとえ防衛省が民営化される日が来ようと、
海運系の華僑や日本の漁師ですら移住できるかは微妙。




俺の姉の旦那が海自で、
2年間硫黄島に出張だったがかなりでるらしいな。

なんか自衛隊でも幽霊対策のルールがあるんだってさ。
寝る前は窓の外に水をいれたコップを置いておく。

朝になるとコップは空っぽになるらしい。

幽霊信じない若い奴がこれやらなかったら、初日深夜に

「熱い〜熱い〜」

と気が狂った様に部屋の壁叩いてたって。

あと土掘るとすぐに人骨がでてくるらしい、
これの回収も仕事。

昼間誰もいないのに軍隊の行進の足音が
迫ってくる事があるらしい。

その時は上官が

「撤収!」

って叫んでみんな逃げるらしい。

ちなみに戦艦の幽霊は見たことないって。



posted by kowaihanashi6515 at 20:36 | TrackBack(0) | 実話系

なまたり「ヤバいよ、あれはだめだよ」【怖い話】




これは俺が中学一年の時の話。

こういうことを言うのも何だがあの頃は楽しかった。

毎週日曜になると友人のAとK、Dと
一緒にいろいろなところへ探検にいっていた。


俺の住んでいた街は、
山間の田舎で過疎化が進み町のいたるところに
空き家や雑木林がありそういうところを探検するのが
俺達は楽しかった。


そしてこれは中学一年の夏休みこと。

俺たちはいつもの様に探検にいっていた。

今回行ったところは町外れの空き家。
外観は塀で囲まれボロボロだが
昔はいい家だったんだろうなと思えるような家だ。


となりには同じくボロボロの神社があり、
かなり雑木林に侵食されいた。

昔はその家に神主が住んでいたというが、
結構前に家系が途絶えたらしい。

それからというもの神社も家も
手入れする人がおらず荒れ果てていた。

俺たちは玄関からその家に入った。

家の中は結構荒らされてて中には落書きや
誰がもってきたかわからないゴミで埋め尽くされていた。


一階を散策しながら

「うわっ、これは歩く場所もねえな」

と俺がぼやいているといち早く二階に登ったAが叫んだ。


「おい!へんな道があるぞ!」

その声に反応しボロボロで底の抜けそうな階段を
みんな二階へ登った。

「道なんてどこにあんの?」

と怪しむKにAは自慢げに窓の外を指差した。

「あれ!塀の向こうの、」

その指差した方にはその家の裏から
神社の方へ伸びる道があった。

その道は雑木林をかき分けたような獣道のようで
神社の裏の山へ伸びていた。

「行ってみようぜ?」

と言うAにもう夕方だよ、という意見もあった。

しかし、新しい探検場所を見つけたワクワク感
かまわずに行くことになった。

塀を乗り越えてその道に行ってみると
二階から見たよりもしっかりしていて石で舗装もされていた。

しかも、蛇のようにくねくねと曲がりくねっているようだった。

どうせすぐに行き止まりになるだろうと思っていたが、
道を進むにつれ徐々にしっかりとした道になっていった。


一回目の道の曲がったとこには
ちっさな石でできた祠があり
俺たちはその祠に目印として木の棒を立てかけた。

だいたい3回くねくねをまがっかところだろうか、
一つの鳥居が見えてきた。

その鳥居は古く赤い塗装もほとんど剥がれ
ほぼ鳥居の形に木が組まれているだけのものだった。

「どうする?」

Dがつぶやいた。

確かにその鳥居以降は異様な空気が流れていて
進むなと第六感が言っていた。

だけど、非日常が与えてくれた高揚感には勝てなかった。

そのつぶやきには誰も答えず俺たちは足を進めた。

今思うとそこで引き返すべきだったのかもしれない。

鳥居を越えるとさっきのよりも
もう少し新しい鳥居が見えてきた。

その鳥居からは階段になっていてまた奥に
前のよりも少し新しい鳥居があるようだった。

「進もうぜ」

それからは異様な雰囲気に飲まれたのか、
俺たちは誰も喋らず黙々と階段を登り続けた。


ただ風の音だろうか、
ザワザワという音だけが聞こえていた。


鳥居は等間隔に、
いや徐々に次の鳥居までの距離は近くなってきている。

また、奥の鳥居に行くほどしっかりとしたものになっていった。

それから15分は登っただろうか、
俺らは、はっとした。

気づくと周りは真っ赤な鳥居が
数え切れないくらい並べられていた。

例えるなら伏見稲荷大社。

だけどあれはそれ以上に赤く綺麗に並んでいた。

「おい、」

Kはそう言った。

その一言で全員言いたいことはわかった。

おかしい、あの廃屋の裏からはこんなところ見えなかったし
こんな場所があるなんで大人も言っていなかった。


「とりあえず、あの白い鳥居が1番上みたいだから、
 その向こうに行ってみよう」

その声に勧められて俺たちは
階段をのぼった先を見ると一つの白い鳥居があった。

それを目指して綺麗な階段を進んだ。

好奇心とはまた違う不思議な気持ちで動いていた。

白い鳥居を抜けると開けた空間があった。

だいたいテニスコート一面分で
その向こうは切り立った崖があった。

その崖にくっつくようにポツンと一つの真っ赤な神社があった。


真上から降り注ぐ強い日の光が
その神社を照らしていてとても綺麗だった。

神社の扉は開かれていてその神社の御神体であるだろう
しめ縄のされた石が見えていた。

神社の中には何か暗い重い空気が流れているように感じた。

そして神社の扉の横には黒い字で

「なまたり」

と書かれていた。


「あの石、もっと近くで見てみようぜ」

その声に勧められて僕とAは足を進めようとしたその時。


Kが俺とAの腕を掴んだ。


「ヤバいよ、あれはだめだよ」

Kは震えながらそう言った。


さっきから気になっていたんだけど
誰が僕らに進めといってるの?

という趣旨の事をまとまらない言葉で伝えた。

その事態を理解したDは叫んだ

「逃げよう!!」

その言葉を皮切りに全員来た道に走り始めた。

白い鳥居を越えてもと来た道を全力で戻る。

風の音だと思っていたザワザワという音が
今では人の話声に聞こえる。

いや、本当に何かの話し声だったのだろう。

よく考えればいろいろとおかしかったんだ。

来る時は夕方だったのに
あの空間は昼間のように日がさしていた。

大体こんなとこに神社があるなんて聞いたことなかった。

そんなことを考えながら
階段を下っているとまたあの声が聞こえた。

「上に戻ろうよ」

全力で走ってるはずなのにしっかりとその声が耳に届く。

誰の声ともとれる誰の声でもない声だった。

俺らは無視してぐねぐねとした道を駆け下りる。

息はあがり恐怖で涙や鼻水が出まくった。

雑木林から飛び出た草や枝が身体に当たり
身体からの赤い液体だらけになった。

だけど怖くて立ち止まる事はできなかった。

何十分走っただろうか。

気づくと俺らは目印を立てた祠の前に戻っていた。


日はすっかり沈み周囲は暗くなっていた。

それから俺らは何も言わず
その日はなにもなかったように帰った。


後日、

そこをまた訪れたが俺らが来た道は
最初からそこが雑木林だったように雑木林になっていた。


あれから何年も経ったが、
俺らの中で誰も亡くなった人はいないし
あの声を聞いたやつもいなかった。

でも、あれ以上進んでいたらどうなっていたかわからなかっただろう。



30年近くも部屋に閉じこもっていた弟【怖い話】



10年程前のことです。

富山県のとある介護タクシー事務所へ所属しており、
今は都内で別の仕事をしている知人Aの話です。

当時勤めていた介護タクシーの事務所では、
家族からの依頼により、
精神障害などで手に負えなくなった方を
自宅から数人がかりで連れ出して、
力ずくで病院へ運送する仕事をしていました。

メインとなる大部分の仕事は、
通常の介護患者の運送をしているので
普段はそんな事まではやらないのですが、
身内を世間に大っぴらにしたくないという

地域性のためか、
そのような強制的な運送の依頼が
ぽつぽつと来ていたそうです。

そんなある日、
市内で何店舗も手広く経営しているような有力者から、

「私の弟を連れ出して欲しい」

との依頼があり、
早速、指定された家に向かいました。

依頼者からの説明によれば、
弟さんはイジメか何かで高校を中退して以降、
30年近くも仕事へ就いておらず、

40代後半の今に至るまで、
ずっと部屋に閉じこもっているそうです。

両親はもう30年以上前に離婚しており、
依頼者も奨学制度で大学に入って以降は独立。

弟さんは70歳前後の母親と二人で暮らしており、
母親は年齢を誤魔化しながらパートなどをして
生計を立てていたそうです。

依頼者は独立して家を出て以降も、時々実家に出向いては、
弟さんを働くよう諭すことに挑戦してきましたが、
会うことすら難しく、母親は母親で、

「本人が辛いと思っているなら無理をさせない方がいい」

と、逆に依頼者へ言う始末。

埒が明かないまま今に至っておりました。

年老いた母親一人だけでは、
二人の生活を養っていくのには
難しいのが目に見えているため、

依頼者は数ヶ月に一度の仕送りをして、
生活の足しにしてもらっていました。

しかし・・・

半年ほど前から母親がパートを
休みがちになっていると耳にしました。

心配になって実家に行くと、
家へ入れてすらもらえず、
何度行っても門前払いばかり。

やむなく最終手段として、
介護タクシー事務所へ依頼してきたそうです。

連絡を受けた知人Aは、
同僚二人と依頼者の計4人で実家へ向かいました。

説明にあった通り、

「おーい!開けろよ!」

「何かあったのか?心配してるんだぞ!」

と、玄関で依頼者が声を張り上げてドアをバンバン叩いても、
ほとんど聞き取れない位のか細い声で、

「入って来ないで・・・

 うちらは心配しなくても大丈夫だから・・・」

と、母親らしき年老いた女性が玄関越しに返答するばかり。

それが最後通告だったようで、

「こりゃ、もうダメだ。

 裏から入って力ずくで連れ出して欲しい」

と、依頼者は知人Aらへ決心を伝えてきました。

依頼者の案内で庭に回り、
腐りかけて弱くなった雨戸を外して中に踏み込みました。

入ってみると、一階はしばらく掃除していなかったようで、
あちこちにゴミが散乱し、異臭すら放っていました。

台所には汚い食器がそのままシンクの流しに放置されており、
ハエが何匹も飛んでいました。

一階の各部屋を回りましたが、
さっきまで呼び掛けに返答していた母親の姿も見えず。

どうやら二階へ行ったのだろうということで、
4人は階段から二階へ上りました。

依頼者によれば、

「二階の手前は倉庫代わりに使っているので、
 恐らくそこには居ない。
 弟が昔から閉じこもっているのは奥の部屋」

ということだったので、
奥の部屋の襖に手を掛けました。

中から何か引っ掛けられているようで、
なかなか開きませんでした。

やむを得ないので依頼者の承諾の元、
襖を持ち上げて外してみました。

その時・・・

中からカビ臭いような生臭いような異臭が漂ってきて、
知人Aは吐き気すらしたそうです。

部屋の中には布団が敷かれており、
母親と一緒に40代の弟が、
まるで子供のように添い寝をしていました。

無理矢理に二人を引き離した時、
弟は子供のように泣きじゃくって抵抗し、
取り押さえるのに難儀したそうです。

母親が、「やめて!乱暴はやめて!!」

と泣きながら必死で止めようとしてきましたが、
それを依頼者が制止しました。

知人Aは弟を介護タクシーへ乗せるのを同僚達に任せ、
取り乱す母親と依頼者のやり取りを見つつ、
部屋の中を見回しました。

まるで昭和50年代あたりから
時が止まっているような部屋で、
子供の読むような漫画やプラモデルなどが大量に置かれ、
テレビも無く、ましてゲーム機や電話も無く、
現代を象徴するような物や、外界との接点を持つ物が、
何一つない異質な部屋でした。

それより異様だったのは、
シミだらけで黄色を通り越して
黒ずみでペラペラになった布団と、
半裸になっている母親の姿。

依頼者には黙っていましたが、複数の状況を見るに、
長年に渡って母親と弟は近親相姦をしていたのでは・・・
と感じたそうです。

30年近くも部屋に閉じこもっていた弟と、
無責任に溺愛していた母親。

地方の片隅にはまだこのような異空間がひっそりとあったのです。
posted by kowaihanashi6515 at 19:29 | TrackBack(0) | 人怖
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