アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年02月27日

憑依【実話・不思議】





怖くはない。

まったく怖い話ではないが、
信じがたいことというのはあるのだな、
と改めて思ってしまうような話だ。


神奈川県在住のSさんの話。

二重人格というやつだ。

最も近年の精神医学では、
この言葉はほとんど使わないそうだ。


面倒だが、解離性同一性障害というらしい。


一般に二重人格というのは、
よくあるケースとしては、

幼少期に心的外傷を繰り返し受けたために、
自分で心をガードするために、

記憶の一部が遁走するクセがついてしまうというものだ。


外部から見ると、そういう人は、
あたかも複数の人格を持っているかのような症状になる。


Sさんの場合、
もう一つの人格Aさんがときどき出現するわけだ。


ところが、本人はもちろん、家族も周囲も、
Sさんの幼少期にそうした原因をつくったような
トラウマというものは、どうしても見つからない。


Sさんと、人格Aは、まったく性格が違った。

そもそも身長が違っていた。

Sさんは、170前後だが、
人格Aはかなりそれより身長が高いらしい。

年齢もちがう。

Sさんは30歳台だが、人格Aは10歳若い。


決定的な違いは、言葉である。

Sさんは関東で生まれ育ち、
周囲にも関西人はいない。

が、人格Aはもろに大阪弁を話す。


この人格Aは、突然出現しては消えていくので、
Sさんはさすがに日常生活に重大な支障をきたし、
仕事もまともにできない。

前兆も無いのだ。

しかも、ときどきではなく、頻発する。


そして人格Aが出現している間は、
Sさんは一切の記憶が抜け落ちてしまっている。


たとえば、である。

両親たちと食事をしながら、話をしていたとする。

突然人格Aが出現し、大阪弁でまくしたてる。

まったくそれまでの話とは脈絡が違う話をである。


呆気にとられた家族が見ている前で、
人格Aはひとしきり話終えると、

「じゃあ、俺部屋に戻ってるわ。ごちそうさん。」

と言って、二階のSさんの部屋に行ってしまう。


そこで、はたと人格Aが消え、
Sさんは自分の意識を取り戻す。


Sさんは今まで、家族と食事をしていたのに、
突然自室に立ち尽くしているので、狼狽する。

一体、自分に何が起きたのだ、ということだ。


Sさんは、家族の勧めもあって、
県内の精神科医に見てもらった。


結果、検査入院をしてみよう、
ということになった。

観察治療を同時に行った。


24時間、カメラで観察をし、記録を取るのだが、

この入院の結果、すぐにSさんは、
自分の中にいる人格Aと対話ができるようになった。


スマホを使うのである。

二つのスマホを両手に持ち、Aとして、
またSとして、それぞれ違うスマホをもって、
電話を介して対話することができるようになった。


この方法は、二重人格の場合に
よく使われる手法だそうだ。


数日、これが続いていくうちに、
突然、人格Aが出現しなくなった。

突然である。

そして、
まったく出現することが
無くなってしまったのだ。


これが、
治癒したのかなんなのか、
医師も判断できかねたものの、

出現しなくなったということは、
入院している必要もないわけで、

様子を見て自宅に戻り、
仕事にも復帰しようということになった。


もう退院だ、という日を間近に控えて、

Sさんの病院宛てに、一通の手紙が届いた。

大阪の女性からだ。

まったく見覚えのない名前だ。

それには、こういうことが書かれてあった。


「自分にはAという息子がいる
 (Sさんに出現した、あの人格Aと同名である)。

 Aは交通事故に遭って、長く昏睡状態が続いたが、
 先日奇蹟的に意識が戻った。

 自分たちと話ができるようになると、
 奇妙なことを言い始めた。

 自分にはSという友人がいて、
 神奈川県の〇〇病院に入院しているという。

 ところが家族のだれも、心当たりがない。

 当初、Aの夢だろうと思っていたが、
 息子Aの記憶があまりにも細かいところまで具体的で、

 Sさんの主治医の名前や、家族構成、
 入院日と退院予定日

 と言ったようなものを、それもすらすらと話した。


 A本人は、昏睡時の夢ではない。

 実際に会って話をしたのだ、
 と言い張って譲らない。

 そこで失礼ながら調べてみたところ、
 あなたの存在が確認できた。

 驚いたわたしたちは、Aの主治医と相談して、
 連名であなたに手紙を出した次第だ。


 Aはまだリハビリでしばらく同じ病院にいるが、
 もし本当にSさんであるなら、
 自分の主治医も後学のためにぜひ会いたいと言っている。


 A本人も会いたいと希望しているので、
 ご足労だが、大阪まで来てはくれないだろうか。」

こんな内容である。


Sさんは、
精神科の掛かりつけだった医者とともに、
すぐに大阪に飛んだそうだ。


そして、入院中のAと、Aの主治医、両親と面会。


SさんとAさんは、周囲の当惑をよそに、
二人で、二重人格時代の話で、
めちゃくちゃ盛り上がったそうである。


この話は、死者の幽霊ではない。


しかし、完全に幽体離脱であり、
一面、憑依現象でもあるわけだ。


生物学的な生命と、霊的な命とは、
まったく別物であるという一つの証拠事例であろう。






posted by kowaihanashi6515 at 13:06 | TrackBack(0) | 実話系

2018年10月07日

硫黄島が未だに立ち入ることが出来ない開かずの島になっている理由【怖い話】




硫黄島が未だに、
民間開放されてないのはなぜか。

社会常識としては、
硫黄島が軍事上の重要拠点になってるから。

真相は単純。その原理は、
旅館の開かずの間と同じだ。出るんだよ。

夥しい数の英霊が。それも、日米混合で。

硫黄島がベトナム戦争並みの激戦区だったのは、
戦後に左翼とかが頑張ったせいかあまり知られていない。

新しくて『密度』がハンパじゃない古戦場。

しかも、出るのが英霊。

オカルトだけでなく、
政治や軍人遺家族等が織り成す人間的要素が加味される。

それも、日米はもちろん東アジアからも詣でられる。


こういう離島は、硫黄島ほどじゃないけど
アラスカ州のアリューシャン列島にもある。

こちらの方は、島の面積も広いし
要所要所を米国側がきちんとしてて民間人も住んでる。

硫黄島の海みたいに、
大きな戦艦の幽霊船みたいなのが出現したりしないしな。

もし、ゴム筏か何かであの艦船に近づいていったら
今頃どうしてるところだったのかな。


だから、硫黄島から基地が移転することは無い。

何十年経っても、
たとえ防衛省が民営化される日が来ようと、
海運系の華僑や日本の漁師ですら移住できるかは微妙。




俺の姉の旦那が海自で、
2年間硫黄島に出張だったがかなりでるらしいな。

なんか自衛隊でも幽霊対策のルールがあるんだってさ。
寝る前は窓の外に水をいれたコップを置いておく。

朝になるとコップは空っぽになるらしい。

幽霊信じない若い奴がこれやらなかったら、初日深夜に

「熱い〜熱い〜」

と気が狂った様に部屋の壁叩いてたって。

あと土掘るとすぐに人骨がでてくるらしい、
これの回収も仕事。

昼間誰もいないのに軍隊の行進の足音が
迫ってくる事があるらしい。

その時は上官が

「撤収!」

って叫んでみんな逃げるらしい。

ちなみに戦艦の幽霊は見たことないって。



posted by kowaihanashi6515 at 20:36 | TrackBack(0) | 実話系

2016年09月22日

心霊スポットの怪異




これは数年前、私が実際に体験した話です。

蝉が土砂降りのように鳴いていた暑い夏のことでした。
仕事を終え帰宅し翌日は休み。
特に何もすることもなく暇を持て余していた私がスマートフォンを触っていると、
友人Aから連絡がありました。

やり取りを交わす中、その流れで遊ぶことになり近所のA家へ行くことに。
しばらくAの家でゲームをしたりして過ごしていたのですが飽きてしまい、
何となくその辺りにあった旅行雑誌を2人で読みながら雑談をしていました。

すると載っていたとある山を見て、Aが何かを思いついたように言い出しました。

「そうだ!あそこのトンネル行ってみないか?暇だしさ。」

私自身も興味があったので、すぐにその場所へ向かうことになりました。
そんなに遠くもないし、何かしらの刺激を求めていた私達はすぐ車に乗り込みました。

Aが言うトンネルは大きな山の中腹辺りにあるトンネルで、
昔から怪しい噂がついて回っている場所でした。

1時間ほどで着くような近さでしたが、時間は既に真夜中。
Aのテンションはトンネルが近づくにつれて上がるばかりで、
私もそんなAのテンションと同調するように気持ちが跳ね上がって行きました。

山に着いて中腹まで向かう道中、
フロントガラスに水滴が付くようになりました。ジトっと張り付くように降る霧雨の中、
対向車もないまま山を登りました。

車内にはBGMとしてAの好きなバンドの曲を流していました。

その曲は音楽に詳しくない私でも聞き覚えのある有名なものでしたが、
所々にか細い女性の声が入っていました。

はっきりとした感じではなく「ファー」とか「アァー」といった感じの声です。
その時の私は、そういう曲で女性がコーラスをしているのだろうと聞き流していました。
相変わらず弱くも強くもならない雨が降り続く中、もうそろそろトンネルに着く頃合いだったと思います。
Aが言いました。

「この曲、さっきから変な声が聞こえない?」

Aが言うには何度も聞いている曲だったので違和感にはすぐに気付いたらしいのですが、
私を怖がらせるわけにはいかないと思い黙っていたようです。

ところがその変な声が入る部分が、トンネルに近づくにつれ徐々に増えてきていたのです。

Aにそう言われると確かにおかしい。声が増えてきているのもあるし、
微妙にですがその声のボリュームも上がってきているような…?

肌が粟立つ感覚を覚えながらも車は止まることなく走り続けます。
「あの道を曲がるとトンネルがあるらしい」
とAが言ったその直後、唐突にブレーキが踏まれ思わず前へとつんのめります。

「どうしたんだよ?!危ないだろ!」
と言うとAは
「今、誰かに足を掴まれた…。」
と無表情で私に言いました。

これは危ないと思った私達はすぐさまに下山しました。
目的地はすぐそこでしたが到着する前からこんな状態では絶対に良くないことが起きる。
帰りの車内ではBGMはかけませんでした。

下山してすぐ近くにあったコンビニへ車を停めました。
そのまま帰ることも出来たのですが、
それらしい体験は2人とも初めてのことだったので動揺してしまい、
明るくなるぐらいまではコンビニでちょっとゆっくりすることにしたのです。

気が昂ぶっていたからか、車を降りる時には気付かなかったのですが、
車内に戻った時。Aが「うわあ!」と叫びました。

なんだよと駆け寄ると運転席、Aの足元に置かれているシートがぐっしょりと濡れていました。
助手席側、後部座席のシートは無事です。

何故かAの座っていた席のシートだけが濡れていました。

私は
「なんか漏らしたんじゃないの?」
などと気を紛らわせようと冗談を言ったのですが、A自身になにも変化はありません。
座席は濡れてはおらず、ただシートだけが濡れていたのです。
Aは濡れたシートをジッと見つめたまま無言でした。

とりあえずそのシートはボンネットの上に置いて、朝になるまでその場で待機していました。
特にこれといった会話もなく、Aも黙りがちになっていたので私も無理に話しかけたりはしませんでした。

そうしてやっと朝になり、これでもう大丈夫だろう、
さぁ帰ろうかとどこかで安堵した気持ちになった私達は、
駐車場を出て信号待ちをしていました。

私達には一瞬何が起きたか分かりませんでした。
ただ強い衝撃が後ろから来て、私達は前へ打ち付けられていました。
Aはエアバックに埋もれていたと思います。

衝撃の正体は、後ろから来た軽自動車による追突事故でした。
私はそれが原因で腰を痛めヘルニアになり、Aは無事だったのですが乗っていた車は廃車になりました。
どうして見通しの良い朝の交差点でそんな追突事故が起きたのか検討もつきません。
軽自動車の運転手は、ボーッとしていて気づいたら追突していたと言います。

あれから一切そういった場所に行くことは無くなりました。
Aとは今でも連絡を取っていますが、あの当時のことは話しません。
posted by kowaihanashi6515 at 21:49 | TrackBack(0) | 実話系
検索
最新記事
カテゴリーアーカイブ
リンク集
タグクラウド
日別アーカイブ
写真ギャラリー
QRコード
<< 2023年10月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。