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2018年01月31日

日本政府の初めての慰安婦関連公式謝罪、そして26年の歳月が流れた 1/30(火) 8:04配信 ハンギョレ新聞

日本政府の初めての慰安婦関連公式謝罪、そして26年の歳月が流れた
1/30(火) 8:04配信 ハンギョレ新聞
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日本政府の初めての慰安婦関連公式謝罪、そして26年の歳月が流れた
宮沢喜一・当時日本首相(左)=資料写真、東亜日報1992年1月30日付(右)
[歴史の中の今日]26年前の今日、1992年1月29日 日本の国会でなされた 日本軍「慰安婦」被害者に対する初の謝罪発言
「私たちはかつて日本軍がこの問題に関与したとのことを否定することはできない」

 日本の国会で初めて日本軍「慰安婦」被害者に対する謝罪発言がなされたのは今日からちょうど26年前の1992年1月29日。当時日本の首相であった宮沢喜一が発言の主人公だ。彼は参議院での演説で、かつて第2次世界大戦中に日本政府が主導して韓国の女性たちに、日本の軍人らと性関係を持たせた事実について謝った。宮沢首相はこの日「私たちは言葉では言いようのない苦痛を味わった方々に心からの反省の意とお詫びの気持ちを表明いたします」と話した。

 宮沢首相の突然の謝罪には背景があった。日帝時に韓国人慰安婦の募集と運営に「日本軍が直接関与」したことを立証する米軍の公式文書が初めて発見されたためだ。そのうえ、文書が公開された時点から約一カ月後の翌年1992年1月16日には、宮沢首相の訪韓が予定されていた。彼は訪韓に前後して計4回、日本軍「慰安婦」被害者に対する謝罪の意を表明した。

 それにもかかわらず、日本軍「慰安婦」被害問題は未だに進行中だ。日本政府が毎度言葉を変えながら、後続措置には中途はんぱな態度を見せてきたためだ。結局、日本側のこうした態度は、日本軍「慰安婦」被害者を2回泣かせる格好になっている。宮沢首相の謝罪もますます無意味な記録になりつつある。

米軍公式文書の内容は?

 日本の国会で日本軍「慰安婦」被害者に対する謝罪発言がなされる一カ月余前の1991年12月21日、韓国政府は駐米韓国大使館から提供された「日本軍慰安婦直接動員」文書を公開した。

 文書は、1944年8月と9月にインドとビルマに駐留した米軍心理戦部隊が作成したものだった。文書には、慰安婦の補充方式と運営現況、日本軍との関係などが詳しく記録されていた。文書の根拠は、慰安婦として強制動員された韓国人女性慰安婦と日本人慰安所運営担当者を対象に実施した米軍側の尋問記録だった。文書の主な内容は次のとおりだ。

 慰安婦の募集には日本軍の許可が必要であり▽慰安婦の国外移動のために日本軍が船を提供し▽日本軍が東南アジア各地の駐留日本軍司令部に慰安婦の交通・食糧・医療などの便宜提供を要請する通行証を発行した▽慰安所は日本軍の部隊別・階級別に自主作成した時刻表により運営され日本軍の厳格な監督の下に性病検診などが行われた。

 (運動記録写真の説明:左上から時計方向に)宮沢喜一当時日本首相の訪韓を控え、10人余りで始まった最初の水曜デモ。1992年1月8日、太平洋戦争犠牲者遺族会会員100人余りが駐韓日本大使館前で「宮沢首相は訪韓に先立ち公式謝罪、犠牲者名簿公開、遺体発掘送還など戦後処理対策を明らかにせよ」と要求し、座り込みを行っている。1991年1月11日、宮沢喜一日本首相の訪韓を翌日に控えた1992年1月15日、日本大使館前で挺身隊問題対策協議会、殉国烈士遺族会など4団体の会員300人余りが宮沢首相の訪韓反対デモを行い、大使館の建物に卵を投げている。1992年1月17日午後、宮沢首相が国会で演説する間、韓国キリスト教青年協議会の会員100人余りが議事堂前で「百拝謝罪、直ちに補償」を要求し、日章旗を燃やしている。

 文書が公開されると韓国国民の怒りが沸き立った。韓国民の間で日本の公式謝罪と補償を要求する声はもちろん、宮沢首相の訪韓に反対する反日デモも各地で行われた。

口先だけの4回の謝罪

 それまでに日本軍「慰安婦」強制動員に、日本の軍部が直接介入したという証拠は日本国内でもすでに何回も提起された。日本政府はこれを否定した。だが、米国立記録保管所と海軍歴史センターなどで公式文書が発見され、日本政府はこれ以上の逃げ口上は難しいと判断したものと見られる。

 宮沢首相は訪韓2日前の1992年1月14日、首相官邸で韓国特派員を対象に緊急記者会見を行う。この席で彼は「慰安婦として言いようのない苦難に会った方々に対して衷心から謝罪と反省の心を伝えたい」と話した。日本の首相が日本軍「慰安婦」問題について国家の関与を認定し謝罪したのは、これが初めてだった。加藤官房長官もこの日、書記長などと会談する席で被害者に対する補償を示唆する発言もした。

 1月16日に訪韓した宮沢首相は、当時の盧泰愚(ノ・テウ)大統領との大統領府晩餐会でも、慰安婦問題を含む過去の問題に対して謝罪の意を繰り返し明らかにした。宮沢首相は「私は、総理として改めて貴国国民に対して反省とお詫びの気持ちを申し述べたいと思います」と明らかにした。それと共に「私たち日本国民は,まずなによりも,過去の一時期,貴国国民が我が国の行為によって耐え難い苦しみと悲しみを体験された事実を想起し、反省する気持ちを忘ないようにしなければなりません」と話した。

 それだけではなかった。宮沢首相の日本軍「慰安婦」謝罪発言は次の日の国会演説でも続いた。彼は17日午後、国会演説で「我が国と貴国との関係で忘れてはならないのは、数千年にわたる交流のなかで、歴史上の一時期に,我が国が加害者であり、貴国がその被害者だったという事実」としながら「私たちの世代の誤りが繰り返されないよう、次世代に歴史を正しく伝えなくてはならないと感じている」と明らかにした。

 だが、この日の宮沢首相の国会演説は、慰安婦、貿易不均衡是正、在日韓国人の地位など、韓日両国間の懸案問題に対する言及よりは、日本の国際的役割に比重を置いた。これは、宮沢首相の国会演説の関心事が全く違うところにあることを示すものだった。国際問題-地域問題-朝鮮半島問題-両国関係と捉えた演説の順序がこれを裏付けていた。

 日本に戻った宮沢首相は、先に述べたとおり日本の国会で初めて日本軍「慰安婦」に対する謝罪の意を表明する。だが彼は、慰安婦問題に対する謝罪の意は繰り返し明らかにしながらも、日本政府の賠償問題については明確に言及しなかった。

文書が再び発見された

 日本の首相が日本軍「慰安婦」に対して数回形式的に謝るのに終わっただけで、日本政府は問題解決のための具体的な方案は提示しなかった。

 そうする間に、今度は日本で日本軍「慰安婦」に関する文書が再び発見された。日本政府は1992年2月3日、日本防衛庁の防衛研究所図書館から慰安婦および慰安所に関する日本軍資料50点を発見した。3日後の6日と7日にも、日本と韓国で慰安婦動員・管理に首相を含むかつての日本政府首脳部が深く関与していた事実を立証する文書が相次いで発見された。

 特に6日に日本の防衛庁で発見された47種の慰安婦関連文書では、それまで証言のみで伝えられてきた中国人、フィリピン人などの慰安婦強制動員事実も確認できた。これに対して日本政府は「韓国以外の他の国家に対する謝罪などは検討していない」とし、韓国に対しては「国家間賠償はもちろん、個人補償まで法的にすでに解決済み」という既存の立場を守った。そのうえ、宮沢首相の訪韓当時に植民支配被害遺族が行ったデモを問題にするという居直りさえした。

「未完のまま残った」日本政府の初めての公式謝罪

 日本政府は1992年7月6日、ついに日帝末期の慰安婦問題に当時の政府が関与したという事実を公式に認めた。日本政府の報道官にあたる加藤紘一官房長官はこの日の記者会見で「昨年12月から今年6月まで6個の関係部署に保管中の朝鮮半島出身慰安婦関連資料を調査した結果、4部署で合計127件の資料が発見された」と発表した。加藤長官は「これらの資料に基づいて、慰安婦問題に日本政府の関与があったことが認められた」と話した。

 彼は「苦難に会われた方々に私たちの謝罪の気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える」と付け加え、補償などの後続措置を取ることを示唆した。しかし加藤長官は、「慰安婦」募集過程での「強制徴集」については最後まで否定する態度を見せ、自らの調査結果発表を終えた。

日本政府はその後26年が過ぎた2018年現在までも、日本軍「慰安婦」被害者に対するまともな謝罪や補償はしていない。京畿道地域で暮らしていた日本軍「慰安婦」被害者Lさん(89)が今月5日に死亡した。公式に知らされた「生存慰安婦被害者」は31人に減った。

カン・ミンジン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
posted by koko at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 人権
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