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2018年01月22日

[寄稿] 韓国軍のベトナム民間人虐殺50周年等ハンギョレ新聞のベトナム戦争に関係する記事がとてもよかった。

「同性間は性暴力ではない」警察の理解不足、根強く 男性やLGBT、知識に欠ける対応で二次被害も
1/22(月) 11:31配信 西日本新聞
「同性間は性暴力ではない」警察の理解不足、根強く 男性やLGBT、知識に欠ける対応で二次被害も
熊本市で開いた相談員の養成講座で、性的少数者の性暴力被害の実態を報告するレイプクライシス・ネットワーク代表の岡田実穂さん(中央)=昨年11月
 2017年7月施行の改正刑法で強制性交等罪が新設され、女性に限っていた性暴力被害者の対象が広がり、性別を問わず適用されるようになった。参院の付帯決議は「被害の相談、捜査、公判のあらゆる過程で男性や性的少数者に対し偏見に基づく不当な扱いをしないことを関係機関に徹底させること」と盛り込んだが、警察や相談窓口の理解不足は根強く、啓発は緒に就いたばかりだ。性的少数者(LGBT)や男性の被害者を支援する団体が相談員向け講座を開くなど、九州でも取り組みが始まった。

⇒【画像】男子生徒の被害、相談されたら?「なぜ逃げなかった」は言ってはダメ

 昨秋、熊本市で開かれた講習会。「警察に相談しても同性間で起きたことは性暴力ではないとして、真剣に受け止めてもらえないなどの相談が目立つ」。青森市のNGO「レイプクライシス・ネットワーク」の岡田実穂代表が、性的少数者や男性の被害者の声を代弁した。

 電話相談員に「女同士なら仲直りできる」と言われたり、自助グループの会合に「同性愛者は来ないで」と参加を拒まれたりする事例もあり、岡田代表は「LGBTに関する知識に欠ける対応で二次被害に遭う当事者は多い」と指摘した。

「性暴力被害者は女性、加害者は男性」認識根強く
 同ネットワークは2008年から、被害者の電話相談や警察署への同行支援などに取り組んでいる。相談者の8割超が自治体のドメスティックバイオレンス(DV)の相談窓口など他機関に相談したことがあり、支援を断られたり、差別的な扱いを受けたりしたと訴えるという。

 刑法が改正されても「性暴力被害者は女性、加害者は男性」との認識は根強い。相談員を15年以上務める女性(62)は「自分の中の思い込みを問い直さないと、排除につながってしまう。現場の体制が整っていない危機感がある」と述べた。

 警察庁によると、昨年1〜11月の強制性交等罪(7月の改正前は強姦(ごうかん)罪)事件の認知件数は1032件で、うち男性被害者は15人(7月以降)。LGBT当事者の被害に関する統計はないという。一方、宝塚大の日高庸晴教授(社会疫学)がLGBT当事者約1万5千人を対象にしたアンケートでは、8・3%が性暴力被害の経験があると回答。バイセクシュアル(両性愛者)女性が23・7%、レズビアン(女性同性愛者)が15・3%、ゲイ(男性同性愛者)6・6%などだった。

 郷田真樹弁護士(福岡県)は「捜査機関や弁護士、相談員への研修やシェルターの確保、相談機関と医療機関の連携も必要だ」と提言する。
「被害は潜在化している 実態調査急げ」 レイプクライシス・ネットワーク 岡田実穂代表の話
 両性愛や同性愛、生まれたときに割り当てられた性別とは異なる性別で生きようとするトランスジェンダー、他者に対し性的欲求を抱かない無性愛などのLGBT当事者は、性暴力被害のリスクが高い。少数者であることから弱者と認識され、暴力をぶつけてもよい対象と取られがちだ。

 加害者の中にはLGBT当事者への嫌悪感を抱いていて、「矯正」させようと暴力を振るうケースもある。セクシュアリティー(性の在り方)を社会に隠している人は、加害者による暴露を恐れ、弱みを握られる形で被害を受けることも少なくない。

 相談の中で、自身が受けた行為について「これは性暴力というのでしょうか」と、被害を被害と認識できない男性やLGBT当事者もいる。「被害者は女性」とされ続けたことが大きな理由だ。国が被害の実態調査をして、性別にかかわらずさまざまな事案があり得ることを示さなければ、潜在的な被害者の支援につながらない。 (談)

西日本新聞社

Hankyoreh
ハンギョレ新聞さんがベトナム虐殺・性暴力被害者に対して罪を償うべきとのとても良い記事を書いていたので魚拓しました。日本に旧日本軍の虐殺性暴力の責任をとって貰ううえでもとても良いことだと思います。
[寄稿] 韓国軍のベトナム民間人虐殺50周年
1/21(日) 8:22配信 ハンギョレ新聞
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[寄稿] 韓国軍のベトナム民間人虐殺50周年
昨年12月28日ベトナム・ホイアン市の共同墓地内にある「コムアン虐殺」犠牲者集団墓地。韓国軍は1968年1月30日、ホイアン市コムアン区の砂丘に村民11人を立たせ銃を乱射して虐殺した=キム・ジンス記者
 他人の不幸のおかげで肥えた暮らしを享受することになり傲慢になれば、その不幸にほおかむりをしていたくなる。日本が「慰安婦」問題の解決にほおかむりしているように、私たちも日本に要求する真実と正義の鏡としてのベトナム民間人虐殺を凝視しようとしていないのはそのためだ。政府レベルの謝罪は、2001年金大中(キム・デジュン)大統領の「不幸な戦争に参加して、不本意にベトナム人に苦痛を与えたことについて申し訳なく考える」という発言に留まっている。

 週刊ハンギョレ21の最近号(1196号)は「1968クアンナム大虐殺」特集を載せた。表紙の写真を見ただけで背筋が寒くなる。半世紀前、韓国軍の銃と手榴弾で母親と幼い妹をはじめ、家族19人を一度に失った69歳のレタヌンイ氏だ。ハンギョレ21は、韓ベ平和財団との共同企画で、三回にわたり「1968クアンナム!クアンナム!」記事を連載する。今回の号には「1968クアンナム大虐殺地図」とともに、犠牲者の追悼を望む韓国人のための「クアンナム・巡礼の道1コース」を紹介している。

 1999年にハンギョレ21のベトナム通信員として活動し、「ごめんなさいベトナム」シリーズを連載したク・スジョン博士(現在、韓ベ平和財団常任理事)によれば、韓国軍が犯したベトナム民間人虐殺は80件余りに達し、クアンナム省だけで4千人余り、全体では5省で9千人余りが犠牲になったという。コ・ギョンテ・ハンギョレ記者は、「記録したい熱望で始めた」と序文で明らかにした本『1968年2月12日』(ベトナム フォンニィ・フォンニャット虐殺、そして世界)で「韓国軍海兵隊員が若い女性を裸にして乳房をえぐり取り殺したといううわさ」に関し記録した後、このように書いた。

 「1948年済州(チェジュ)4・3事件から20年が経過していた。1980年5月の光州(クァンジュ)抗争の12年前だった。1968年2月12日のベトナムは、済州と光州の中間に位置していた。その日の午後2時頃、フォンニィ・フォンニャット村では済州4・3事件の時間が再現された。5月の光州の時間が流れた。19歳の娘、ウンウイェンティタンは裸で畑に倒れてうめいていた。両方の胸はメッタ切りにされ血が流れていた。左腕も同じだった。20年前に済州に入ってきた討伐隊員のように、12年後に光州に投入された空輸部隊員のように、村に入ってきた韓国軍海兵隊員は暴悪だった。過去の討伐隊員と、未来の空輸部隊員と、その日の海兵隊員は顔付きも似ていたし同じ言語を使った…」

 韓国は、1964年から1973年まで最大で5万人の兵力をベトナムの戦場に派遣した。米国以外の派兵国家であるオーストラリア、ニュージーランド、スペイン、タイ、フィリピン、台湾の全兵力の3倍に達した韓国軍は、戦争期間を通じて兵力32万人余りがベトナムの地を踏んだ。朝鮮半島とベトナムは、中国の長い影響の下で漢字文化圏になったという点、その他にも似ている点が多い。19世紀の西勢東占で共に植民地になり、日帝の崩壊で期待した民族解放は、それぞれ38度線と17度線の分断につながった。強大国間の冷戦の担保になって、同族どうしが戦争をしたことまで似ていた。二つの戦争には共に米国が介入したが、朝鮮戦争が「勝者なき戦争」で分断状態が持続したのに対し、ベトナムは統一されたという差がある。この差はどこから始まったのだろうか?ホーチミンという傑出した指導者、ベトナムの歴史に綿々と流れる抗争精神と理念の違いを緩くした村の共同体意識を挙げることはできるが、ベトナムにある密林が朝鮮半島にはない代わりに、ベトナムにはない苛酷な冬が朝鮮半島にはあるという自然条件の差が最も重要だったのかも知れない。

 『百年の急進』で韓国に紹介された中国の温鐵軍氏は、世界を植民宗主国であるヨーロッパ、植民化された大陸のアメリカとオセアニアとアフリカの半分、そして原住民大陸であるアジアの3つに分ける。(「緑色評論」2018年1・2月号)アジアの同じ原住民の間柄であり、怨恨関係のないベトナムの地を韓国軍はなぜ軍靴で踏んだのだろうか?今は70歳を越えているが、半世紀前には紅顔の若者たちは、釜山港を出航した輸送船が東・南シナ海をすぎる時、真っ黒な夜の海を眺めて孤独と恐怖に震えただろう。彼らのうち5千人余りは生きては帰って来られず、1万人余りは負傷し、枯れ葉剤の後遺症で苦痛を訴える人は2万人を超える。「醜悪な戦争」だった。

 ケネディ大統領が国防長官に抜てきしたロバート・マクナマラは、ベトナム軍事介入を推進、拡大し、戦争を正当化することに全力を尽くした人物だ。彼は1995年に出した回顧録『ベトナム戦争の悲劇と教訓』でこのように書いた。「私たちは誤ったし、残酷に間違えた。私たちは次世代に、なぜこうした過ちを犯したかを説明する宿題を抱えている」。韓国ではまだこのような発言は見当たらない。民間人虐殺があったということさえ、公式的には認めていない。ベトナム戦争を「自由世界守護のための戦争」として残さなければならないためだ。朴槿恵(パク・クネ)をろうそく市民の力で監獄に送った今日も、ベトナム戦争に関する限り、朴正煕(パク・チョンヒ)精神は依然として強く生きている。

 実際、ベトナム参戦の最高の受恵者は朴正煕であった。1975年4月30日、ベトナムが統一された日の3週間前、韓国では人民革命党再建委事件で8人が処刑された。維新体制は強固で、緊急措置違反者は拷問を受け投獄された。ベトナム戦争が真っ最中だった68年1月21日、北朝鮮は朴正煕を除去する目的でキム・シンジョら特殊部隊員を送った。北ベトナムが68年1月のテト(旧正月)攻勢に合わせて戦線を拡張する目的であったかは定かでないが、「1・21事態」はむしろ朴正煕体制を一層強力にする契機になった。住民登録法施行、予備軍創設、高校と大学での教練実施で国民統制、学園兵営化が着々と実現された。

 「戦争は愛の敵です!」 2000年からクアンナム省など民間人虐殺地域を中心に医療支援活動を繰り広げた「ベトナム平和医療連帯」のソン・ピルギョン院長(歯科医)は『なぜホーチミンなのか』で、ベトナムの国民詩人タインタオの話を紹介している。「当時、ほとんどの男たちは高等学校を卒業する年齢の17〜18歳になれば入隊したが、生存率は10%にもならず、異性に会うこともできないままに散華した」という。しかし、朴正煕にはすべての戦争(中日戦争、第2次大戦、朝鮮戦争)が彼の欲望実現のためのチャンスであった。ベトナム戦争も同じだった。第2次大戦で崩壊した日本が、朝鮮戦争特需で再建の機会を得たように、ベトナム戦争特需とその後の中東建設景気で、朴正煕は「豊かな暮らしをしてみよう!」というスローガンの中に財物を盛り込むことができた。韓国と北朝鮮の経済と生活の水準は、70年代を過ぎて逆転し、朴正煕は終身大統領になるつもりだった。

 他人の不幸のおかげで肥えた暮らしを享受することになり傲慢になれば、その不幸にほおかむりをしていたくなる。日本が「慰安婦」問題の解決にほおかむりしているように、私たちも日本に要求する真実と正義の鏡としてのベトナム民間人虐殺を凝視しようとしていないのはそのためだ。政府レベルの謝罪は、2001年金大中大統領の「不幸な戦争に参加して、不本意にベトナム人に苦痛を与えたことについて申し訳なく考える」という発言に留まっている。1985年、終戦40周年をむかえてドイツのワイツゼッカー大統領はこう言った。「もう新しい世代が政治的責任を負えるまでに成長しました。私たちの若者が、40年前に起きたことに責任があるわけではありません。しかし、それによって起きることに対しては彼らにも責任があります…私たちは記憶を大事に保管することが、なぜそれほど重要かを若者たちが理解できるように助けなければなりません」

 苦痛の深さに応じて他者の苦痛に共感できるのか、昨年9月、1300回水曜集会でキム・ボクトン、キル・ウォンオクの二人のハルモニ(おばあさん)は「…韓国の軍人により私たちのような被害にあったベトナムの女性たちに、韓国国民として心より謝罪します」というメッセージを伝えた。韓ベ平和財団(kovietpeace.org)は、大統領府の前で韓国政府の謝罪を求める1人デモとともに「万万万キャンペーン」を行っている。“万”日の戦争(ベトナム戦争)、“万”人の犠牲、“万”人の連帯…。4月にはベトナム戦争民間人虐殺に関する「市民平和法廷」も開く計画だ。ぜひ多くの市民が“万”人の隊列に参加されんことを…。

ホン・セファ・ジャンバルジャン銀行長、“素朴な自由人”代表

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
[寄稿]ベトナム戦争民間人虐殺事件、市民法廷国家賠償 ・特別法制定へ
登録:2017-04-09 20:36 修正:2017-04-10 06:10
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民主弁護士会の「ベトナム訴訟」
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1968年2月12日、韓国軍海兵第2旅団1大隊1中隊員たちがフォンニイ・フォンニャット村で行った後発見された遺体を米軍兵士が収拾している。当時村に進入した米軍上兵ボンが撮影したものだ=資料写真//ハンギョレ新聞社
 妄言に明け暮れる日本の政治家たちに「“慰安婦”という戦争犯罪を忘れるな」と私たちは言うが、実際、忘れないということは難しい事だ。記憶しなければならない事が自分の行なったむごたらしい事なら一層そうである。暗い過去から顔を背けないためには意識的な努力が必要だ。ドイツの首都ベルリンの真ん中には2711個の「ヨーロッパで虐殺されたユダヤ人記念碑」が立っていて、ベルリン市民は毎日その碑と向い合う。 戦犯国家ドイツが忘れないために傾ける努力である。
 ベトナム戦争期の韓国軍による民間人虐殺問題が韓国社会で公論化されてから18年近くになる。被害者の痛切な叫びが伝えられ、駐越米軍監察部の報告書など多くの証拠も確認されたが、大韓民国政府は依然として知らぬ存ぜぬで押し通している。当然謝罪も賠償もなかった。そのような中で、私たちは私たちの共同体が行なったむごたらしい事を忘れつつある。 恥ずかしい事だ。
 「民主社会のための弁護士会」(民弁)所属の弁護士たちは韓ベ平和財団と一緒に、ベトナム戦争民間人虐殺問題を扱う市民法廷を準備している。加害国の法律家が虐殺を忘れないために努力する方式だ。告白するならば、これは2000年に日本東京で開かれた女性国際戦犯法廷を重要なロ−ルモデルとしている。 日本軍「慰安婦」という戦争犯罪責任を問う市民法廷が加害国の首都東京で開かれ、この時の日本の法律家たちの努力は至大なものだった。私たちが後ろ指をさしている日本社会が18年前に行った事を、私たちは今ようやく始めている。
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ダナン博物館に展示されているフォンニイ・フォンニャット事件の生存者。1975年頃撮った写真だという説明が付いている=資料写真//ハンギョレ新聞社
ベトナム民間人被害者が原告として登場
「被告大韓民国」を相手取った訴訟につなげる
2018年はフォンニイ・フォンニャット虐殺50周年
日本が 18年前やった事を今ようやく開始
 市民法廷は国家賠償訴訟の形態で成される予定だ。ベトナム戦争当時韓国の軍人が交戦相手ではないベトナム民間人を不法に殺したり負傷させたりしたならば、大韓民国政府は当然、軍人(公務員)の行なった不法行為の責任を負わねばならない。即ち、この市民法廷はベトナム戦争民間人虐殺の被害者が原告、大韓民国が被告になって、加害国の首都ソウルで大韓民国の責任を問う法廷だ。
 市民法廷はその名の通り市民が作る仮想の法廷だ。市民法廷で判決が下されたからといって何らかの司法的効力を持つわけでもない。それで「出来レースの演劇だ」とけなす人もいるだろう。しかし今回の市民法廷は違う。市民法廷以後に大韓民国を被告とする実際の国家賠償訴訟を提起する予定であり、市民法廷で使われた訴状と証拠はそのまま裁判所に提出する訴訟資料となろう。国防省が虐殺事実を否認し続けている状況で、韓国軍による民間人虐殺の有無について司法の判断を初めて求めるのだ。もし大韓民国の裁判所が虐殺事実を認める判決を下すならば、もはや韓国政府は公式的真相調査をこれ以上避けることはできなくなる。
 このような市民法廷及び国家賠償訴訟は、究極的には特別法制定に進むべきだと考える。被害者が個別に提起する訴訟は、少なくとも5千名以上の被害者がいると推定されるこの問題の解決策にはなり得ない。韓国がまず「ベトナム戦争期の民間人犠牲事件等に関する真相糾明特別法」を国会で可決して責任ある公式機構を作り、この機構がベトナム政府と協力して民間人虐殺に対する公正な調査を進める方式を想像してみる。以後、両国政府の承認した共同報告書発刊と韓国の国家指導者の謝罪、法的賠償と進んでいかなければならない。私たちは日本とは異なるべきではないか。

イム・ジェソン弁護士//ハンギョレ新聞社
 市民法廷で扱う虐殺のうちの一つがフォンニイ・フォンニャット事件だ。1968年 2月12日朝、韓国軍青龍部隊(海兵第2旅団)がフォンニイ・フォンニャット村で 74人を殺した事件。大部分が女性と子供だった。この18年間、韓国市民社会は「ごめんなさい、ベトナム」の運動を進める中でフォンニイ・フォンニャット村の生存者と持続的に交流をしながら関連の証拠も確保してきた。フォンニイ・フォンニャット虐殺の生存者を原告とする訴状には、このような18年間の運動が盛り込まれるだろう。
 2018年はフォンニイ・フォンニャット虐殺50周年になる年だ。その歳月の間、フォンニイ・フォンニャット村の人々は同じ日の同じ時間に家々が法事を行なってきた。50回目の法事の席には、市民法廷判決文をベトナム語に翻訳してお渡ししたいと思っている。これが私たちが忘れないための方式だと、その方たちに頭を下げて申し上げたい。
イム・ジェソン弁護士(民主社会のための弁護士会・韓ベ平和財団理事)
※韓ベ平和財団後援口座: KB国民銀行 878901-00-009326 韓ベ平和財団(お問い合わせ : +82-2-2295-2016) 
(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
韓国語原文入力: 2017-04-07 22:10
http://www.hani.co.kr/arti/international/asiapacific/789838.html
訳A.K
[寄稿]「ベトナムピエタ」像の除幕によせて
登録:2017-04-25 08:47 修正:2017-04-25 11:18
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韓ベ平和財団はベトナム戦終戦42周年を迎える今月26日、済州江汀村の聖フランシスコの平和センターに、ベトナム戦争当時韓国軍による民間人虐殺の犠牲となった母親と赤ちゃんたちの魂を慰めるために製作された「ベトナムピエタ」銅像を建てる=韓ベ平和財団提供//ハンギョレ新聞社
 名前を呼びます。
ボ・ザイン(Vo Danh)
漢字語では無名氏、韓国語ではアムゲ(なにがし)。
ボ・ザイン
名前でない名前を呼びます。
 ベトナム中部のそこ、ユイタンで。そこ、ユイチンで。そこ、ビンホアで。そこ、ジエンニエンで。そこ、フォックビンで。そしてそこ、ハミで…。生まれたばかりでまだ名前も授からないまま死んでいった、多くの赤ちゃんたちの名前は“ボ・ザイン”です。
 ベトナムピエタの母は、この無名の赤ちゃんたちを胸に抱き、子守唄を歌います。
 生きていれば数えきれないほど歌ってあげた子守唄を、短すぎる生涯の最期にも歌ってあげられなかった子守唄を、もう苦痛のない世界で深く美しく眠りなさいと、眠れ、眠れと子守唄を歌います。だから「ベトナムピエタ」のベトナム語の名前は「最後の子守唄」(Loi ru cuoi cung)です。
 ベトナムピエタは、巨大な歴史の渦の中で咲き落ちた多くの命に捧げる慰撫であり、ばらばらになったそのちっぽけな肉体に対する記念碑であり、死んだ者のための生ける者の哀悼であり、数年、数十年、いや、もしかしたら数百年たっても癒えない傷を治癒しようとする鎮魂曲です。
 ベトナムピエタはまた、国家暴力によって無念にも犠牲になりながら、最後まで国家が責任を負わない命に対する、そして韓国政府がまだきちんと伝えていない「ベトナム民間人」に対する謝罪の碑にならなければなりません。それが今日私たちが、自分で一度も大きく呼吸することもできず、自分の声を一度もちゃんと吐き出せずに消えて行った数多くの存在を、この場に呼ぶ理由です。
 悲しみが別の悲しみに問うことが平和です。痛みが他の痛みに差し出す手が平和です。2017年4月26日、「韓ベ平和財団」は、平和の島済州、世界平和の一線の江汀(カンジョン)村にベトナムピエタを建てます。「ベトナムピエタ」が江汀に宿り、江汀が「ベトナムピエタ」を抱くこの場が、まさに平和です。「わたし」の哀悼と「あなた」の哀悼が出会い、完全に悲しみを見送る場に、初めて咲くものが平和です。
そうして
再び、名前を呼びます。
韓国軍の銃刀に殺戮された数千、数万のベトナムの英霊たちよ、
日本軍の軍靴に踏みにじられた20万の花よ、
3万の済州の風よ、
光州(クァンジュ)の5月の花の雨よ、
ついに済州に着けず星になったセウォル号の子どもたちよ…
この世のすべての悲しみが流れこみ
ここ、済州で。ここ、江汀で。ここ、クロンビで
春の花として咲くだろう
ああ、平和よ!
※ベトナムピエタの銅像建立後援:KB国民銀行878901-00-009326 韓ベ平和財団(問い合わせ82-2-2295-2016)
ク・スジョン 韓ベ平和財団常任理事(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/792050.html
韓国語原文入力:2017-04-24 19:03
訳M.C(1280字)



「ベトナム戦争に対する省察なしに真の先進国になれるのか?」
登録:2017-06-28 22:22 修正:2017-06-29 07:15
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「韓国軍のベトナム民間人虐殺」問題解決要求記者会見で 
ベトナム人留学生が自ら作成した手紙を朗読 
「韓国が反省するならば、真の先進国になりうる」
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28日午後、ソウル鍾路区の政府総合庁舎前で開かれた「韓国とベトナムの歴史問題の正しい解決を求める記者会見」でド・ウンオク・ルイェンさん(40)が手紙を朗読している=チェ・ソヨン教育研修生//ハンギョレ新聞社
 熱い日差しが照りつけた午後3時。ソウル鍾路区(チョンノグ)の政府総合庁舎前でベトナム人留学生ド・ウンオク・ルイェンさん(40)の声が響いた。韓国軍によるベトナム民間人虐殺問題の正しい解決を求めて開かれた今回の記者会見で、ルイェンさんは韓国人に送る手紙をゆっくりと朗読し始めた。「韓国に暮らし、韓国が日本を絶えず恨んでいることを知りました。いかなる目的であれ、他国に行って人を殺したら反省するのが当然なのに、日本政府はそうはしないようで、私もやはり怒りました…韓国の軍人によってベトナムの多くの民間人が生命を失ったことを反省するならば、韓国は真の先進国になることができると思います」。ルイェンさんは手紙を書いた理由を尋ねる質問に「ベトナム参戦軍人から『私もベトナム戦参戦軍人だ。将来、ベトナムに行ってハングルとテコンドーを教えたい』という話を聞きましたが、その時(ベトナム虐殺)犠牲者を思い出して、心があまりに痛み、手紙を書かなければならないと考えました」と説明した。
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韓国とベトナムの歴史問題の解決のための青少年市民団体「ベトナム・フレンズ」の会員の一人が28日午後、政府ソウル庁舎の前で開かれた記者会見でベトナム戦争当時の韓国軍の民間人虐殺被害者を慰労するシンボル「ベトナムピエタ像」を持っている=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社
 韓国ベトナム平和財団、アジア平和人権連帯など50あまりの市民社会団体は、この日「正しい大韓民国はベトナム戦争に対する省察から」という主題の記者会見で、韓国軍によるベトナム民間人虐殺に対して韓国政府が真相究明をはじめ責任ある姿を見せなければならないと要求した。記者会見文を代表で朗読したベトナム参戦軍人出身のミョンジン僧侶(72年、猛虎部隊派兵)は「韓国とベトナムが国交正常化して以来、ベトナムは『過去を閉ざして未来に行こう』という立場を堅持し、多様な交流を続けてきたが、韓国ベトナム国交正常化25年を迎え、初めて両国家間の歴史問題が水面上に浮上している」と明らかにした。
 これに先立って文在寅(ムン・ジェイン)大統領が今月6日、顕忠日の追悼式で「ベトナム戦争に参戦した勇士の献身と犠牲を基に祖国の経済が生き返った」と発言すると、ベトナム外交部は6日後の12日(現地時間)に公式論評を出して「ベトナム国民の心を傷つけ、両国の友好協力関係に否定的な影響を与える発言と行動を慎むことを要請する」と明らかにした。韓国ベトナム平和財団をはじめとする団体は、これに対して「過去の民主政権時期に、植民支配と独裁政権下で起きた反民主的、反倫理的事件に対する真実を明らかにするために多様な過去事委員会が作られた」として「文在寅政府もやはりこれ以上遅くならないうちに韓国軍のベトナム民間人虐殺問題に対して国家次元の真相究明に乗り出すことを要求する」と明らかにした。
ファン・クムビ記者、チェ・ソヨン教育研修生 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/800642.html
韓国語原文入力:2017-06-28 18:05
訳J.S(1430字)

「ベトナム虐殺被害者のための市民法廷」が第一歩を踏み出す
登録:2017-06-24 04:35 修正:2017-06-24 23:49
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民弁弁護士6人、初の現地調査 
フォンニィ・フォンニャット村の生存者の証言聞く 
韓ベ平和財団と7月に準備委員会構成し 
来年4月、ソウルか済州で「市民法廷」開く 
「政府に対する国家賠償訴訟を推進」

今月3日、民主社会のための弁護士会所属の弁護士らがベトナム、クァンナム省のフォンニィ村のグエン・ティル・オンさん(78・右)の家を訪問し、1968年の虐殺に対する証言を聞いている=ベトナム戦争時韓国軍による民間人虐殺の真相究明に向けたタスクフォース提供//ハンギョレ新聞社
 「(韓国軍が)、叔母を殺害してから、皆村を去りましたか?」
 「叔母を(ナイフで)突き刺し、遺体を燃やして、家にも全部火をつけてから村を去りました。兄は這って、私は歩いて、やっとのことで隣の家に逃げました」
 今月3日午前、ベトナム・ダナン市に位置したあるホテルの会議室で、グエン・ティ・タンさん(57)は、韓国弁護士たちの質問に答えながら、50年以上前の出来事を振り返った。白い紙の上に韓国軍から逃れようと隠れていた防空壕や家の位置などを描きながら、当時の状況を詳細に説明したタンさんは、証言の途中、苦しそうに俯きいて、何度もため息をついていた。3時間以上に渡り証言を続けたタンさんは、インタビューの最後、「ベトナム戦争に参戦した韓国軍たちがこの事件を否定するのを見て、どう思ったのか」という弁護士の質問に、すすり泣きながらこう答えた。「軍人たちに謝罪してもらえると思っていました。謝罪してもらったら、訊いてみたいことも多かったです。私の家族は皆幼い子どもだったが、どうして銃で殺したのかと。しかし、その機会さえありませんでした」
 民主社会のための弁護士会(民弁)の「ベトナム戦争時韓国軍による民間人虐殺の真相究明に向けたタスクフォース」(TF)所属の弁護士6人が、今月2〜7日、ベトナム民間人虐殺の現地調査を進めた。「ハンギョレ21」が1999年に行った最初の報道で民間人虐殺問題が公論化されて以来、加害国である韓国の弁護士たちが現地で集団調査を行ったのは今回が初めてだ。民弁は、ベトナム被害者たちが大韓民国政府に対し、虐殺の責任を問う国家賠償訴訟を準備しているが、実際の訴訟に先立ち、模擬訴訟の「市民法廷」を企画している。市民法廷を通じて大韓民国政府の責任を明らかにし、その勢いに乗って実際の訴訟に乗り出す計画だ。民弁の弁護士たちは、ベトナム戦争当時、韓国軍の虐殺が集中的に行われたクアンナム省のフォンニィ・フォンニャット村とハミ村を訪れ、訴訟に必要な生存者たちの虐殺当時の具体的な証言と資料を集めた。
 3日、弁護士たちはフォンニィ・フォンニャット村虐殺の生存者であるグエン・ティ・タンさんを訪れた。ダナンから南に25キロメートル離れたフォン二ィ・フォンニャット村は1968年2月12日、青龍部隊第1大隊1中隊によって老人、子供、女性など74人が虐殺されたところだ。当時、8歳だったタンさんも叔母や姉、弟など家族5人を失った。タンさんは「韓国軍が村に来た当時、防空壕に隠れていた。軍人らは防空壕から出てくる子供たちを庭に並べさせて、銃を撃った」と話した。弁護士たちはタンさんの供述の信憑性を高めるため、これまでの証言のなかで具体化させる必要がある部分を集中的に訊いた。実際の法廷で韓国軍の虐殺(違法行為)を立証するためには、被害者たちの細密な証言が必要だからだ。当時、負傷を着たタンさんと共にヘリコプターに乗って病院に同行したグエン・ティル・オンさん(78)は「タンは意識を失って倒れており、大量の血を流していた」と証言した。

今月4日、民主社会のための弁護士会所属の弁護士らがベトナムのクアナム省のハミ村にあるチュオン・ティ・トゥさん(79・左から二番目)の家に訪れ1968年ハミ村虐殺当時の証言を聞いている=ベトナム戦争時韓国軍の民間人虐殺の真相究明に向けたタスクフォース提供//ハンギョレ新聞社
 4〜5日にはハミ村を訪れ、虐殺当時の家族5人を失ったグエン・コ・イさん(72)をはじめ、生存者4人の証言を聞いた。ハミ村は1968年2月22日、青龍部隊(海兵第2旅団)によって民間人虐殺被害が行われたところだ。TFのイム・ジェソン弁護士は「民間人虐殺事件の中で、フォンニィ・フォンニャト村は相対的に多くの証拠が確保されており、供述を具体化することに重点を置いた。ハミ村の場合は十分な調査が行われておらず、1次証言の確に注力した」とし、「究極的な目標が国家賠償訴訟人だけに、韓国の裁判所が虐殺の事実を認められるほどの供述や証拠の収集を目標にしている」と説明した。
 民弁TFと韓ベ平和財団は今年7月に市民法定準備委員会を設立し、ベトナム戦終戦記念43周年になる2018年4月に、ソウルまたは済州(チェジュ)でベトナム民間人虐殺被害者たちを原告とした市民法廷を開く予定だ。第二次世界大戦当時、日本の女性の性奴隷動員の責任を問うため、2000年12月に日本の東京で開かれた女性国際戦犯法廷からアイディアを得た。イム弁護士は「1999年の最初の報道以来18年間、韓国政府は被害者たちに対していかなる努力もしなかった」とし、「国家賠償訴訟を通じて1人でも被害事実が認められれば、政府が責任を持って乗り出さざるを得なくなるだろう」と見通した。
ファン・クンビ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/799956.html
韓国語原文入力:2017-06-23 04:59
訳H.J(2377字)
posted by koko at 13:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 人権
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