受験シーズンには多くの人が合格を祈願しにお詣りに訪れたり、正月の書き初めを奉納したりする『天満宮』
そこに祀られている神様が『菅原道真』です
『学問の神様』として日本全国に知れ渡り、信仰を集める菅原道真。その道真が『学問の神様』と言われる所以をご存知の方も多いと思いますが、今回はあまり知られていない『超難関の試験に合格していた』という話しをひとつ取り上げたいと思います
祖父である清公(きよただ)は、唐へ留学して文章博士となり学問によって公卿(くぎょう)となった人物であり、父である是善(これよし)も同じく文章博士となり当時の学問の世界で最も高い地位をしめた人物だった
このような家柄に生まれた道真は11-12歳の時には立派な漢詩を作るようになる。そして、それまでの最年少の十八歳で文章生(今の大学生)となり、文章生二十人の中から選ばれた二人として得業生(今の大学院生)に進みました。得業生(とくぎょうせい)は秀才と呼ばれ、最高の国家試験を受ける資格が与えられます
道真は二十六歳の時にこの国家試験である『方略試(ほうりゃくし)』に挑み見事合格
この『方略試』こそが百七十年ほどの間に数十人しか合格者がいないという非常に難しい試験だったのです
その後、菅原道真は三十三歳で祖父や父に続き『文章博士』となり、それからは政治家としても順調な出世をしていきました
菅原道真といえば『学問の神様』ということはよく知っていても、その背景や歴史を知ると様々な要素が絡まってそうなっていったという事がよくわかってきます。それにしても百七十年間に数十人しか合格者がいないなんて、桁違い過ぎて比べるものがちょっと思いつきません
その他
・菅原道真が何故天神様といわれるのか?
・小倉百人一首にも歌が残される歌人としての菅原道真
など『菅原道真』についてはまた別のタイトルで投稿をしていきたいと思います