2020年04月18日
繰り返し使う、長く使う
新型コロナウイルスの影響で「使い捨てマスク」が手に入らない状況が続いている
そんな中、最近よく見かけるようになったのがマスクを手作りしている人達。使い捨てマスクが手に入らないからのようだけど、洗って繰り返し使えるものを作れる事の方が人間が進化した姿なのだと思う。
自分も使い捨てを使っていたけど、簡単だからと安いからだと捨てたゴミの行方もちゃんとわかってないままのものを使うより、洗って繰り返してできるだけ長く使えるものを選んだ
同じものを繰り返しできるだけ長く使う、そういうものを作る、日本人は元々そういう民族。
自分も出来るところから本当に少しずつだけど、使い捨てからこちらに切り替えていきたいと思う
最近読んだ本で浴衣の一生というものがある
母親が縫った浴衣を子どもに着せる、子どもが大きくなると肩上げとか腰上げとかいう縫い上げていた部分をほどき長くして調節する。さらに大きくなると下の子に着せる、次々と着られた浴衣はつくろいのあとが目立ったり擦り切れたりして外で着られなくなる、外で着られなくなると寝巻きになる。ここまで着た浴衣は布が柔らかくなって寝巻きに最適だそうだ。寝巻きとして着続け、更に布地が弱って柔らかくなると赤ちゃんのおむつになる。幼い子どもの肌には使い古した木綿がちょうど良いらしい。おむつとしても使い古された浴衣は雑巾になる、雑巾としての寿命はいくらもない。そうして最後の最後ボロボロになった古浴衣は昔は当たり前だったかまどや風呂釜の燃やす燃料となった。
この時燃料となった古浴衣は木綿の原料である二酸化炭素と水に戻るという
使い捨ては簡単だ。安いから躊躇なく捨てられる。服を一度着ただけで捨てる人はまずいない。しかし果たして金額の問題なのだろうか。簡単にものを捨てる事が人間の進化した姿なのだろうか
ひとつの面倒臭いを、ひとつの簡単を、たったひとつの手間にするだけで日本中で換算したら相当変わるのではないだろうか。物事は全て一人からしか始められないけど、一人からしか二人や三人にする事はできない。浴衣の一生に見る日本人のつつましく丁寧な暮らしぶりを、今この状況だからこそ見習って行動に移していけたらと思う
使い捨て文化からまた繰り返し文化へ方向転換する時期が今来ているのかもしれない
記事@ヤマトウズメ
写真提供@フリー素材ぱくたそ
この記事は日本のすゝめにも載せています
-
no image
-
no image
-
no image