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2018年08月01日

空の巻 第13帖

我が勝手に解釈してお話しして、Θの名汚さんようにしてくれよ、曇りた心で伝えると、曇りて来るくらいわかりおろうがな、神示通りに説けと申してあろうが、忘れてならんぞ。履物(はきもの)も今に変わって来るぞ、元に返すには元の元のキの混じり気のない身魂と入れ替えせねばならんのぢゃ、✓が違っているから世界中輪になっても成就せん道理わかるであろうがな、一度申したことはいつまでも守る身魂でないと、途中でグレングレンと変わるようでは御用つとまらんぞ、人力屋、酒屋、料理屋、芸妓屋、娼妓、無く致すぞ、世潰すもとざぞ、菓子、饅頭も要らんぞ、煙草もクセぞ、善き世になりたら別の酒、煙草、菓子、饅頭出来るぞ、勝手に造ってよいのざぞ、それ商売にはさせんぞ。
旧五月五日からの礼拝の仕方書き知らすぞ。
朝は大神様には一拝、二拝、三拝、八拍手。ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら、へ(繰り返し)、ひふみゆらゆら、へ、へ。 ひふみ祝詞のりてから、「御三体の大神様弥栄(やさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ、天(あめ)の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませ、地(くに)の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませ」八拍手。「御三体の大神様」七回のれよ。終わりて大神様のキ頂けよ、八拍手一拝二拝三拝せよ。夜は同じようにして、ひふみ祝詞の代わりに
いろは祝詞のれよ。三五七に切りて、手打ちながら、ひふみ祝詞と同じようにのりて結構ぞ。
昼は大地に祈れよ、黙祷せよ、時により所によりてしばし黙祷せよ。お土の息頂けよ、出来れば裸足(はだし)になってお土の上に立ちて目をつむりて足にて息せよ、一回、二回、三回せよ。
神々様には二拝四拍手。「ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら、へ、ひふみゆらゆら、へ、へ」唱え、天(あめ)の数歌(かずうた)三回唱え、「神々様弥栄ましませ弥栄ましませ」とのりて四拍手せよ。誓いは時によりてよきにせよ。
霊(たま)の宮には一拝二拍手、天の数歌一回、「弥栄ましませ弥栄ましませ」二拍手一拝、でよいぞ、ひふみゆらゆら要らんぞ、誓いはその時々によりてよきにせよ。各々の先祖さんには今までの祝詞でよいぞ。
当分これで変わらんから、印刷してよくわかるようにして、皆の者に分けて取らせよ、弥栄に拝みまつれよ。
三月三日、ひつ九のΘ、しるす。


この神示を勝手に解釈して話すと神の名を汚すそうです。曇った心で伝えると、神示も曇って来るそうです。私も神示通りに説いているつもりですが、間違っていることも多いと思います。誠に申し訳ございません。

履物とは、神の履物。つまり神の憑依されている身魂のことでしょう。最終最後、元に返すには、元の元のキの混じり気のない身魂と入れ替える必要があるそうです。

元の元のキの混じり気のない身魂でない限り、世界中輪になっても成就することはないそうです。これは国際連合で証明されています。

神が一度言ったことをいつまでも守り続ける身魂でないと、御用はつとまらないそうです。

人力屋、酒屋、料理屋、芸妓屋、娼妓、菓子、饅頭、煙草も無くすそうです。酒、煙草、菓子、饅頭は別のものが出来るようなので良いとして、タクシー、居酒屋、レストランが無くなるのは痛いですね。(笑)

旧五月五日(昭和22年)は昭和22年6月23日です。
日本国憲法が5月3日に施行され、いよいよ戦後日本の基礎が固まりだした頃です。

礼拝の仕方
大神様
 朝   @一拝、二拝、三拝、八拍手
     Aひふみゆらゆら 6回
     Bひふみ祝詞
     C御三体の大神様弥栄ましませ弥栄ましませ
      天(あめ)の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませ
      地(くに)の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませ
     D八拍手
     E御三体の大神様 7回
     Fキ頂き、八拍手一拝二拝三拝
 
 昼   @大地に祈り、黙祷
     Aお土の息頂く(出来れば裸足で土の上に立ち目をつむり、足にて、一回、二回、三回息する)

 夜   @一拝、二拝、三拝、八拍手
     Aひふみゆらゆら 6回
     Bいろは祝詞(三五七調で)
     C御三体の大神様弥栄ましませ弥栄ましませ
      天(あめ)の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませ
      地(くに)の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませ
     D八拍手
     E御三体の大神様 7回
     Fキ頂き、八拍手一拝二拝三拝

神々様  @二拝四拍手
     Aひふみゆらゆら 6回
     B天の数歌 3回
     C神々様弥栄ましませ弥栄ましませ
     D四拍手

霊の宮  @一拝二拍手
     A天の数歌 1回
     B弥栄ましませ弥栄ましませ
     C二拍手一拝



天の数歌 一二三四五六七八九十百千万(ひとふたみよいつむゅななやここのたりももちよろづ)



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2018年08月02日

空の巻 第14帖

御光の輝く御代となりにけり、嬉し嬉しの岩戸明けたり。あなさやけ、三千年の夜は明けて、人、Θとなる秋(とき)は来にけり。日月の大神、キリスト大神、釈迦大神、マホメット大神、黒住大神、天理大神、金光大神、大本大神、老子大神、孔子大神、すべて十柱の大神は、光の大神として斎(いつ)き祀り結構致しくれよ、富士晴れるぞ、岩戸開けるぞ。御神名書かすぞ、ひかりの教会祝詞は、ひかりの大神、弥栄ましませ弥栄ましませ、ひかりの大神守り給え、幸(さきは)え給えと申せよ。弥栄弥栄(やさかいやさか)。
四月五日、ひつ九Θ。
十柱揃たら祀れと申してあろうが、わかりたか。


十柱の大神は、「日月、キリスト、釈迦、マホメット、黒住、天理、金光、大本、老子、孔子」だったのですね。光の大神だそうです。以前、十柱の神として、「雨、風、岩、荒、地震、木、金、火、日の出、龍宮の乙姫」が出てまいりましたが、この神々との関係は不明です。

ひかりの教会の祝詞
「ひかりの大神、弥栄(やさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ、ひかりの大神守り給え、幸(さきは)え給え」


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2018年08月03日

青葉の巻 第1帖

乙姫(おとひめ)会には別にΘ祀らいでもよいぞ、光の大Θ様斎(いつ)き祀り結構致しくれよ、皆に乙姫様の分け御霊(わけみたま)授け取らすぞ。お守り授け取らすぞ、光の大Θ様の信者には、御神名下げて取らせよ、役員には御神石祀りくれよ、光の大Θ様の日々の御給仕には十(とう)のカワラケにて供えまつれよ。
役員七つに分けよ、大道師、権大道師、中道師、権中道師、小道師、権小道師、参道の七段階ぞ、中道師から上はΘ人共ざぞ。
世界の民の会は三千世界に拝み合うのざぞ、何事もΘ祀り第一ざと申してあろうがな。大き器持ちて御座れよ、小さい心では見当とれんことになるのざぞ。ミタマ、慢心、取り違い、ポキンぞ。ミタマ何時でも変わるのざぞ。
次々に偉い人出て来るから、神示よく読んでグングン行って進めよ、行う所Θ現われるぞ、光の道弥栄ぞ、為せば成るのざぞ、人民どんどん行わなならんのざぞ、弥栄ざぞ。この神示からは、ひかり教会から世に出せよ、この巻「青葉の巻」。前の巻は「空の巻」とせよ。天明ご苦労。
四月二十六日、ひつ九のか三。


乙姫会、ひかり教会、いろんな集団(まどい)が出て来ますが、現在では雲散霧消してしまっているようです。私としては、その経緯について興味はありませんし、調べるつもりもありません。人間が作るものが滅びるのはごく自然なことです。その集団に属した方々の心の中に残り続けているのなら、それで結構なことだと思います。

確かに戦後「偉い人」が続々出て来ました。現在の日本はその遺産で食っているようなものですね。しかし、世は二代目、三代目となり、プチブルが行き渡り、閉塞した社会になっております。光の道、新しき日の出を待ち望んでおります。



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2018年08月04日

青葉の巻 第2帖

玉串として自分の肉体の清い所、供え奉れよ、髪を切って息吹きて祓いて紙に包んで供え祀れよ、玉串は自分捧げるのざと申してあろうがな。お供えの始めは△(ム)とせよ、△は∇(ウ)ざぞ、誠のキ供えるのざぞ、餅(かがみ)は三つ重ねよ、天地人一体ざと申してあろうがな。御神前ばかり清めても、マコト成就せんぞ、家の中皆御神前ぞ、国中皆御神前ざぞ、わかりたか。
夜寝る前に守護神の弥栄ほめよ、至らざる自分悔いよ、修業出来た信者の守りのΘ、道場に祀れよ、万霊道場に祀れよ、役員の守りのΘは本部に祀れよ、ΘΘ様本部に祀れよ。外国とは幽界のことぞ、外国と手握るとは幽界と手握ることざぞよ。
五月十二日、ひつ九のか三。


玉串は「神の依代(よりしろ)」を表すものですから、髪の毛を依代として神に捧げることは理にかなっているような気がします(以前、タレントの方が神社に行くと髪の毛一本を抜いて捧げるとおっしゃってました。なるほどという感じです)。紙を△の形にして供えよということでしょうか。

鏡餅は三段にせよということです。天地人だそうです。鏡餅は蛇がとぐろを巻いている姿だといわれています。また、餅はユダヤ教の新年過越(すぎこし)祭のパンに符合するとの説もあります。

神前ばかり清めるのでなく、家の中、国の中も清める必要があるそうです。

夜寝る前は、守護神の弥栄を誉め、至らない自分を悔いなさいということです。

外国と手握るとは幽界と手握ることだそうです。しかし、国際社会で生きるためには、外国と手を握ることはとても大切なことです。もっとも、手を握る相手を間違えたり、手の握り方を間違えたりすれば「幽界と手握る」ことになるでしょう。下つ巻 第22帖には、「アイガギ ✓〇Θ コノカギハ イシヤト シカ テ ニギルコトゾ」ともあります。時と場合によっては、幽界と手を握ることも必要なのでしょう。



参考
下つ巻 第22帖 
原文
二三三二二 ✓〇Θ 二五五五二一二二六一 一二三二八一四五 三二三四四五二 二二九三二五四 五三五

対訳
二三三二二(月満つぞ富士)✓〇Θ二(神身魂に)五五五二一二二六一(真中奥に一つ不死結ぶ人)一二三二八(ひふみには)一四五三(始め死出ずぞ)二三四四五二(月満つ夜死後に)二二九三二五四(不死ことごとく道に出ずる世)五三五(真中道出ず)

ひふみ 
月満つぞ富士神身魂に、真中奥に一つ不死結ぶ人。ひふみには、始め死出ずぞ、月満つ夜死後に、不死ことごとく道に出ずる世。真中道出ず。

どうして「アイガギ ✓〇Θ コノカギハ イシヤト シカ テ ニギルコトゾ」となるのかは不明ですが、書籍の記載を尊重しました。


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2018年08月05日

青葉の巻 第3帖

ひかり教の教旨書き知らすぞ、人民のその時、所に通用するようにして説いて知らせよ。
教旨
天地不二、神人合一。天(あめ)は地(つち)なり、地(つち)は天(あめ)なり、不二なり、天地(あめつち)なり、神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。
神、幽、現を通じ、過、現、未を一貫して神と人との大和合、霊界と現界との大和合をなし、現、幽、神、一体大和楽の光の国実現を以て教旨とせよ。
次に信者の実践のこと書き知らすぞ。
三大実践主義
 弥栄実践
 祓(はらい)実践
 Θ(まつり)実践    Θはマツリぞ。
大宇宙の弥栄生成化育は寸時も休むことなく進められているのざぞ、弥栄がΘの御意志ざぞ、Θの働きざぞ、弥栄は実践ざぞ。人としてはその刹那々々に弥栄を思い、弥栄を実践して行かねばならんのざぞ。
宇宙のすべてはΘとなっているのざぞ、どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、ことごと中心に統一されて、まつろうているのざぞ。マツリせる者を善と言う、それに反する者を悪と言うのざぞ、人々のことごとマツリ合わすはもとより、神、幽、現の大和実践して行かねばならんのざぞ。
天地(あめつち)の大祓いと呼応して、国の潔斎(けっさい)、人の潔斎、祓い清めせねばならんのざぞ、与えられた使命を果たすには、潔斎せねばならんのざぞ。省(かえり)みる、恥じる、悔ゆる、畏る、悟る、の五つのはたらきを正しく発揮して、禊(みそ)ぎ祓いを実践せねばならんのであるぞ。役員よきにして、今の世によきように説いて聞かして、まず七七・四十九人、三百四十三人、二千四百一人の信者早うつくれよ、信者は光ぞ、それが出来たら足場出来るのざぞ。産土のΘ様祀れ、(信者出来たら、国魂の神様祀れよ、)次に大国魂のΘ様祀れよ、世光り来るぞ、
五月十二日、ひつ九のか三。


教旨は簡単に言うと「天地一つ、神人なり。神、幽、現、過去、未来の大和合、光の国実現」でしょうか。歴史も全て現在に統合されて神人が新たな「光の国」を生み出すということです。

信者は「三大実践主義」です。「@弥栄実践 A祓実践 Bマツリ実践」です。
@弥栄実践は、「刹那々々に弥栄を思い、弥栄を実践して行く」ということです
A祓実践は、「省みる、恥じる、悔ゆる、畏る、悟る、の五つの働きを正しく発揮し、禊ぎ祓いを実践する」ということです。
Bマツリ実践は、「人々はもとより、神、幽、現の大和(マツリ合わす)を実践して行く」ということです。マツリする者を善と言い、それに反する者を悪と言うそうです。簡単に言うと「仲良く溶け合えれば善、できなければ悪」ということでしょう。

まず七七・四十九人、三百四十三人(49x7)、二千四百一人(343x7)の信者を早く作れということです。まるで、ねずみ講のようですね。(笑)

産土の神様、国魂の神様、次に大国魂の神様祀れということです。国魂、大国魂といえば、やはり出雲の神々ですね。

しかし、ひかり教といえば、十柱の大神「日月、キリスト、釈迦、マホメット、黒住、天理、金光、大本、老子、孔子」のはずなのですが。(汗)


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2018年08月06日

青葉の巻 第4帖

三千年の富士は晴れたり、岩戸あけたり、実地ざぞ、やり直し出来んのざぞ。早う足場つくれと申してあろうがな、三千の足場つくったらΘの光出ると申してあろうが、足場つくれよ、足場は足場ぞ。足場なくては何も出来ん道理、人間にもわかろうがな、何より足場第一ざぞ、世界の民の会、二人でやれよ、一人でしてはならんぞ、くどう気つけあろうがな。あなさやけ、あなすがすがし、
六月十日、ひつくかみ。


足場が何度も使われて強調されています。三千の足場は49x7x7=2401人のことでしょうが、終戦後のことでもありましたし、なかなか揃わなかったのでしょう。人間は追い詰められないと行動に移すことが出来ない生き物ですからね。三千は「道」、道の足場。現在は、インターネットの普及もあり、「日月神示」が多くの人に知れ渡っているので、「隠れ信者」の方も沢山いらっしゃるでしょうね。かくいう私もその一人ですが、集団(まどい)を作る気持はさらさらありません。ご興味があれば、どうぞご覧くださいというスタンスでご紹介させて頂いております。


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2018年08月07日

青葉の巻 第5帖

仕事、嘉事(よごと)と申してあろうが、仕事マツリざぞ、自分の仕事おろそかならんのざぞ、仕事せよ、仕事仕えまつれと申してあろうが、ひかり教会本部、元へ移してもよいぞ、天明表へ出てもよいぞ。いよいよぞ、皆に早う伝えてくれよ、マツリ結構。
七月三十一日、一二Θ。


仕事第一は既に繰り返し述べられていますね。

いよいよとのことですが、3年後の昭和25年6月に朝鮮戦争が勃発していますので、このことでしょうか。未だに継続している長い戦争です。しかも、米露、米中の代理戦争の側面もあり、民主主義と共産主義との戦いでもあります。


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2018年08月08日

青葉の巻 第6帖

へんな人が表に出るぞ、出たら気つけよ。この道開くにはマコトぢゃ、マコトとは嘉(よ)事ぢゃ、仕事ぢゃ、まつりぢゃ、あなないぢゃ、〆松ぢゃ、むすびぢゃ。分け隔ては人間心、何が何だかわからんうちに
時節めぐりて元に返るぞ、Θに分け隔てなし、皆一様にするぞ、お蔭やるぞ、病治してやるぞ、小さいこと、大きいこと、皆それぞれに御役勇んで仕えまつれよ、分け隔てと言うことなく、一致和合してΘに仕えまつれよ、和合せねばマコトのお蔭ないぞ。まず自分と自分と和合せよ、それが和合の第一歩、アメツチ心ぢゃぞ。すべてはそこから生まれ来るものざぞ。八月ぐらぐら。
八月二日、ひつ九Θ。


「へんな人」が世界中に沢山出て来ていますね。気を付けましょう。

〆松は、七五三松、注連(しめ)松、つまり、門松のことです。松はマツルでもあります。マツリで結びです。門松は、竹が目立っていますが、実はその名の通り、松が主役だそうです。

分け隔ては人間心だそうです。一致和合して神に仕えまつることによって、マコトのお蔭が出て来るそうです。

「まず自分と自分と和合せよ、それが和合の第一歩、アメツチ心ぢゃぞ」というのは、エヴァンゲリオン風に言えば、自分と他人の間の「ATフィールド(絶対不可侵領域)」だけでなく、自分の心の中にある善の自分と悪の自分の「ATフィールド」を取り除き、自分を反省し、許し、和合一致することにより、まつり合わせることがアメツチ心の第一歩となるということでしょう。

エヴァンゲリオンの世界観って、日月神示に共通するところがあるので、ついつい触れてしまいました。LCL(生命のスープ)は〇(身)にあたるようです。大きな違いは✓(魂)の使い方が逆になっているらしいことでしょうか。魂はATフィールドを発生させるために必要なもののようです。従って「人類補完計画」の目的は一旦、魂を抜いてLCL=「知恵の実」に戻し(ATフィールドを無くす)、その後、魂=「生命の実」を補完することのようです。

日月神示では、それぞれの〇(身)に、マコトの魂を入れて「人類補完」の目的が達成されます(それによりATフィールドが無くなります)。さらに、それぞれのΘ(神身魂)を和合することによって「大和(だいわ)」が達成されます。身は補完的に役割を変え半霊半物質のものに変化します。

「八月ぐらぐら。」
今、その八月かもしれません。自然災害、戦争にご注意を。


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2018年08月09日

青葉の巻 第7帖

嫌なことは我が血筋に致さすなり、他人傷つけてはならんなり、ひふみにも二十渦右巻き小.jpg(ふとまに)五十渦右巻き小.jpg(いすら)、いろはにも二十渦右巻き小.jpg五十渦右巻き小.jpg、よく心得なされよ。何彼(なにか)のこと、ひふみ、いろはでやり変えるのぢゃ、時節めぐりて上も下も花咲くのぢゃぞ。誰によらず改心せなならんぞ、この方さえ改心致したお蔭で今度の御働き出来るのぢゃ、同じこと二度繰り返す仕組ざぞ、このことよく肚に入れておいて下されよ。同じこと二度。この神示Θと十の神示。
八月二日、一二Θ。


「フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、〇九十の誠であるぞ、合せて二十二、富士であるぞ」(至恩之巻 第2帖)
同じこと二度繰り返す仕組ということなのでしょうか。鏡合わせなのでしょう。
表と裏を和していけば、十が11個となります。合計110。5^2 + 6^2 + 7^2でもあります。二乗とはいえ、5・6・7(ミロク)が登場しました。

「イシもの言うぞと申してありたが、イセにはモノ言うイシがあると昔から知らしてあろうがな、五のイシがモノ言うのであるぞ、開けば五十となり、五百となり、五千となる。握れば元の五となる、五本の指のように一と四であるぞ、この方を五千の山に祀れと申してあろうが、これがイチラ(五千連)ぞ、五十連(イツラ)ぞ、わかりたか、五十連世に出るぞ。」(扶桑之巻 第1帖)
イシは一四なので五だそうです。手を握るとグー(石)ですが、開くと親指と四本の五本です。1本が10に分かれ50になり、さらに10に分かれ500、5000となるということです。10進法なんですね。
イシもの言うというには、「全てお見通しだぞ」という意味だと考えています。孫悟空とお釈迦様の手のひらの話のようなものです(どこまで行っても逃げ出せない)。
因みに、伊勢の志摩市磯部町恵利原にある鸚鵡岩(おうむいわ)は、「その石にむかって声や音を発すると、オウムのようにその声や音のまねをするとされる」そうです。

さて、富士五湖が気になります。よく見ると五本の指(指先)のような形をしています(石ではありませんけどね)。山中湖が親指、河口湖が人差し指、西湖が中指、精進湖が薬指、本栖湖が小指です。神様が握って押さえつけられているのでしょうか。(笑)

この神示Θと十の神示ということですから、同じこと二度、つまり、日本で起こったことは世界で起こり、世界で起こったことは日本で起こるというような意味でしょうか。



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2018年08月10日

青葉の巻 第8帖

時節には従って下されよ、逆らわず、後の立つよう致されよ、後のやり方、神示で知らしてあろうがな。国々所々によって同じ集団(まどい)いくらでもつくりあるのぢゃ、いずれも我折って一つに集まる仕組ぢゃ、天狗禁物、いずれもそれぞれに尊い仕組ぞ、またとない集団(つどい)ざぞ。神の心告げる手だても各々違うのぢゃ、心大きく早う洗濯致されよ、囚(とら)われるなよ、囚われると悪となるぞ。
いったん治まるなれど、後はコンニャクぢゃ、わからん仕組、わからなならんのぢゃぞ、悪とは我れ善しのこと。
八月二日、ひつ九Θ。


時節が到来したら、逆らわず、神に全てをゆだねて従うほか道はないそうです。但し、七x七x七x七=2401+599=3000人程度の集団で「後の立つよう致されよ」ということのようです。このような「我の無い」集団を、各国、いろんな場所に作り、それぞれに神の心の指示を受けなさいということです。

日本だからとか、日本人だからとか、差別意識を持って狭い思いに「囚われ」ず、世界の「善」の人々が一つに集まり、新しい世界を作り上げる担い手になることが求められているようです。

それで、一旦は治まるそうですが、やはり、その後泥海となり、その泥海の中から「混じりけのない善」の魂だけが、神人一体となり救い出されるということなのでしょう。




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2018年08月11日

青葉の巻 第9帖

苦労致さねばマコトわからんなり、人民という者は苦に弱いから、中々にお蔭のやりようないぞよ、欲出すから、心曇るから、我れ善しになるから、なかなかに改心出来んなり、難しいぞよ。欲さっぱり捨てて下されよ、欲出るとわからなくなるぞ。大地のΘの声、誰も知るまいがな、黙って静かに祀りて清めて、育てているのざぞ、何もかも大地にかえるのざぞ、親の懐(ふところ)にかえるのざぞ。次々に不思議出て来るぞ、不思議なくなりたらΘの国、ミロクの国となるのぢゃ。
八月三日、ひつ九か三。


苦労をして、欲を出さないで、我れ善しの心を捨てれば、神のお蔭が出て来るようです。

全ては大地に生まれ、親である大地の懐にかえるそうです。

これから、次々に「不思議」なことが出て来るそうです。不思議でなくなったら、神の国、ミロクの国になったということのようです。



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2018年08月12日

青葉の巻 第10帖

善きΘには善き御用、悪きΘには悪き御用、自分で自分がつとめ上げるのぢゃ、人になんと言われても腹の立つようでは御用難しいぞ、腹の立つのは慢心からぢゃと申してあろうがな。仕組途中でグレンと変わり、カラリと変わる仕組してあるのぢゃ、そこに一厘の仕組、火水(かみ)の仕組、富士と鳴門の仕組、結構々々大切致してあるのぢゃ。仕組変わり変わりて人民にはわからんなり、善き世と致すのぢゃ、いくら智あっても人間心では出来ん仕組ぞ、智捨ててΘにすがりて来ねばわからん仕組ぢゃ、と言うて人間世界は人間の智いるのぢゃ、智でない智をΘが与えるぞ、Θ人共にと申してあろうがな、つとめ上げたら他にない結構な御用。
八月三日、ひつ九Θ。


善神には善神の、悪神には悪神の御用があるそうです。それぞれがつとめ上げよということです。「人になんと言われても腹の立つようでは御用難しいぞ、腹の立つのは慢心からぢゃと申してあろうがな」これは難しい
ですよね。だって、腹が立つ時は腹が立ちますもん。(笑)

仕組は途中でグレンと変わり、カラリと変わるそうです。その前に何か「腹が立つ」ことがあるのでしょうね。腹を立てると「悪」の側に引き込まれてしまうのでしょう。気を付けないと。

それから「一厘の仕組」「火水の仕組」「富士と鳴門の仕組」のフルコースです。いくら知恵があっても分からないので神にすがるしかありませんが、人間世界は人間の智いるので、「智でない智」を神が与えてくださるそうです。単なる知識とか知恵でない、叡智、大叡智なのでしょう。



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2018年08月13日

青葉の巻 第11帖

世界一目に見えるとは、世界一度に見える心に鏡磨いて掃除せよということぢゃ、掃除結構ぞ。
善と悪と取り違い申してあろうがな、悪も善もないと申してあろうがな、和すが善ざぞ、乱すが悪ざぞ、働くには乱すこともあるぞ、働かねば育てては行けんなり、気ゆるんだらすぐ後戻りとなるぞ、坂に車のたとえぞと申してあろうがな、苦しむ時は苦しめよ、苦の花咲くぞ。世は七度の大変わり、変わる代かけて変わらぬは、マコト一つの木(こ)の花ぞ、木の花咲くは二三(ふみ)の山、富士はΘ山、Θ住む所、やがて世界の真ん中ぞ、
八月三日、ひつ九のΘ。


世界一度に見える心に鏡磨いて掃除すれば、世界が一目に見えるようになるとのことです。千里眼ですね。「石もの言う」は全て見透かすことですから、世界中の全てのことが手に取るように分かることになるのでしょう。

和すことが、最終目標の善ということで、その坂道を上る途中で、乱す悪があり、悪を和してこそさらなる坂道を上り続けることが出来るということでしょう。

世は七度の大変わり、苦しむ時は苦しんで苦の花を咲かせるのが、「マコト一つの木の花」だそうです。木の花が咲くのは二三(ふみ)の山、つまり神示に咲くのでしょう。あるいは「踏みつけられた」所に咲くのかもしれません。

富士(二二)は神の山、神の住む所で、やがて世界の真ん中になる場所だそうです。



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2018年08月14日

青葉の巻 第12帖

御神示通りにすれば、Θの言うこと聞けば、Θが護るから、人民の目からは危ないように見えるなれど、やがては結構になるのざぞ、疑うから途中からガラリと変わるのざぞ。せっかく縁ありて来た人民ぢゃ、Θはお蔭やりたくてうずうずざぞ、手を出せばすぐ取れるのに何故手を出さんのぢゃ、大き器持ちて来んのぢゃ。
神示聞きて居るとミタマ太るぞ、ミタマ磨けるぞ。下にいて働けよ、下で土台となれよ。ここは初めて来た人には見当とれんようになっているのぢゃ、人の悪口この方聞きとうないぞ、ましてΘの悪口。
八月の四日、ひつ九のΘ。


神示通りに、神の言う通りにすれば、人の目からは危なく見えることでも、やがては結構になるように神が護るということです。大きな器で、危なく見えることでも手を出せば、すぐ取れるそうです。

神示を聞いているとミタマが太り、磨けるそうです。人の下で働いて、他人の土台になりなさいということです。

人の悪口は禁物です。まして、神の悪口などもっての外だそうです。


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2018年08月15日

青葉の巻 第13帖

同じ名のΘ二つあると申してあろう、同じ悪にもまた二つあるのぢゃ、このこと神界の火水(ひみつ)ぞ、このことわかると仕組段々解けて来るのざぞ、鍵ざぞ。七人に伝えと申してあろう、始めの七人大切ざぞ、今度はしくじられんのざぞ、Θの仕組間違いないなれど、人民しくじると、しくじった人民可哀想なから、くどう申しつけてあるのざぞ、よう分けて聞きとりてせっかくの縁(えにし)と時を外すでないぞ、世界中のことざから、いくらでも代え身魂、代わりの集団(まどい)つくりてあるのざぞ。尊い身魂、尊い血筋、忘れるでないぞ。型は気の毒ながらこの中から。
八月四日、一二Θ。


同じ名の神が二柱あるのは、善と悪、鏡合わせと思っていました。ところが、「同じ悪にもまた二つあるのぢゃ」ということです。これは「神界の火水(ひみつ)」ということなので、火の働きをする悪神と水の働きをする悪神の二柱ということでしょうか。「鍵(カギ)」だそうです。

善の神が「和魂」と「幸魂」、悪の神が「荒魂」と「奇魂」かと思ってもおりましたが、「神界の秘密」なのでどうやらそう簡単なことではないようです。

おそらく悪の中にも「悪の悪」と「悪の善」があるのでしょう。この悪の中の「善」が鍵を握っているということだと思われます。

始めの七人は何度も出て来ましたね。十神のうちの「雨、風、地震、岩、荒、木、金」に対応するミタマのことです。

「せっかくの縁と時を外すでないぞ、世界中のことざから、いくらでも代え身魂、代わりの集団つくりてあるのざぞ。尊い身魂、尊い血筋、忘れるでないぞ。」ということですが、既に代替わりしてしまいました。代わりの身魂、集団は作ってあるのでしょうか。

「型は気の毒ながらこの中から。」という意味ですが、これは神によって集められた岡本天明氏のお仲間の中から「型」を出す御役を出しますよということでしょう。気の毒なのは塗炭の苦しみがあるからなのでしょう。



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2018年08月16日

青葉の巻 第14帖

今の世は頭と尻尾ばかり、肝腎の胴体ないから力出ないぞ。従う所へは従わなならんのざぞ、と申してあろう、時節に従って負けて勝つのざぞ、負けが勝ちぞ、わかりたか。お詫びすれば誰によらん、許してよき方にまわしてやるぞ、口先ばかりでなく心からのお詫び、結構致しくれよ。
騙した岩戸からは騙した神お出でましぞ、と申してくどう知らしてあろうがな、騙して無理に引っ張り出して
無理するのが無理ぞと申すのぞ、無理は闇となるのざぞ、それで嘘の世、闇の世となって、続いてこの世の苦しみとなって来たのざぞ、こうなることはこの世の始めからわかっていての仕組、心配せずに、この方に任せおけ任せおけ。
八月四日、一二Θ。


現在の世の中の人は、頭でっかちの頑固者か、逃げ足の速い卑怯者ばかりで、肝心の腹の座った胴体が無いということでしょう。

従う所へ従い、時節に従い一旦は負けるが、負けて勝つ、そして最後に勝つのだぞということです。口先ばかりでなく心からのお詫びをすれば、許して良い方に回すということです。

騙した岩戸からは騙した神(天照大御神)が現れて、嘘の世、闇の世となり、この世の苦しみとなって来たのだそうです。これも、「この世の始めからわかっていての仕組」なので、心配はいらないそうです。

悪の世は済んだので、マコトの世、光の世が待っているようです。



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2018年08月17日

青葉の巻 第15帖

世の立て替えと申すのは、ミタマの立て替えざから取り違えせんよう致されよ、ミタマとは身と魂であるぞ、今の学ある人民、身ばかりで立て替えするつもりでいるから、魂がわからんから、いくら焦っても汗流しても立て替え出来んのざぞ。天地の秋(とき)来ていることは大方の人民にはわかっておりて、さあ立て替えぢゃと申しても、肝腎の魂がわからんから成就せんのざぞ、神示読んで魂早う掃除せよ、世界から見るから日本が日本ぞ、もう一つ上の世界から見れば世界は日本ぞ、Θ国ざぞ、今までは大地の先祖の大Θ様の血筋を落としてしもうて、途中からの代わりの神でありたから、まぜこぜしたから世が乱れに乱れてしもうたのぢゃぞ、知らしてあろうがな、よく納得してくれよ、人民も皆その通りになっているのぢゃ。
八月四日、一二Θ。


世の立て替えは身と魂の立て替えです。戦争や征服による民族浄化では身は立て替わっても魂は立て替えることができません。肝腎の魂が分からないと世の立て替えは成就しないそうです。

世界から見るから日本は日本であって、もう一つ上の世界から見れば世界は日本だそうです。つまり、神から見れば、日本も外国も無い、全てが日本だそうです。

今までは大地の先祖の大神様の血筋を落としてしまい、途中からの代わりの神の支配となって世の中が乱れに乱れたそうです。

大地の先祖の大神様は国之常立大神のことですが、この血筋というのは何を指しているのでしょう。こと日本のことと限定すれば、これまでも述べたように可能性としては2つあります。

一つは縄文人の血筋、これは日本人が過去に和合をなしながら、一方で弾圧して来た歴史を併せ持つことを忘れてはなりません。もう一つは大陸からの炎帝神農の流れをくむ血筋です。「まぜこぜしたから世が乱れに乱れてしもうた」ということなのですが、どちらが本来あるべき血筋なのでしょう。

この炎帝神農子孫説は富士文献によるものです。そして、稲の遺伝子がその可能性を後押ししています(長江流域と日本にしか存在しない稲の遺伝子)。可能性ではありますが、稲は大陸から日本に伝わったのではなく、日本から大陸に伝わったと仮定すればすっきりします。縄文人の血筋と炎帝神農の血筋が同一になるからです。

まぜこぜしたのは、その後中国や朝鮮半島から伝わった人間の遺伝子(ハプログループO)となります。

真相は分かりませんが、確かに「人民も皆その通りになっているのぢゃ」という「混ぜこぜ」の状態となっております。



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2018年08月18日

青葉の巻 第16帖

日の大Θ様は日の御働き、月の大Θ様は月の御働き、日の大Θ様も世の末となって来て御神力うすくなりなされているのざぞ、日の大神様も二つ、三つ、自分一人の力では何事もこれからは成就せんぞ、心得なされよ、神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、やらねばならん、戦は碁、将棋くらいの戦で済むのぢゃぞ、人民の心次第、行い次第で空まで変わると申してあろうがな、この道理よく心得なさりて、Θの申すことわからいでも、無理と思うとも貫きて下されよ、それがマコトぢゃ。
八月五日、ひつ九のか三。


日の大神様も二つ、三つ、ということですが、高皇産霊神、伊邪那岐神、撞賢木向津媛(天照大御神)、天照大神(饒速日尊)などが考えられます。世の末となって来て御神力が薄くなってこられているようです。

神示を理解して改心出来れば、大難は小難となり、戦は碁、将棋くらいの戦で済むそうです。ぜひ、そうあって欲しいものです。人民の心次第、行い次第で空まで変わるそうです。

神の言われることが分からなくても、無理と思っても、改心を貫き通すことが「マコト」だそうです。



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2018年08月19日

青葉の巻 第17帖

悪く言われるとメグリ取ってもらえるぞ、悪く言うとメグリつくるのぢゃ。今度の立て替えは人間知恵の立て替えとは大分違う大層ざぞ、見当とれんのざぞ、日のΘばかりでは世は持ちては行かんなり。月のΘばかりでもならず、そこで月のΘ、日のΘが御一体となりなされるなり、Θ☽(日月)の神と現われなさるなり。「みろく様」が日月の大神様なり、日月の大神様が「みろく」の大神様なり、地の御先祖様、国の御先祖様と御一体となりなされて大日月の大神様と現われなさるなり、旧九月八日からは大日月の大神様と拝(おろが)みまつれよ。
八月五日、一二Θ。


悪く言われるとメグリ取ってもらえるそうです。日月神示は、磨けたら磨けた分だけの読み方が出来るそうですので、ご意見も沢山あることでしょう。もっとも、磨けた方が悪口を言われるはずがないとは思いますが。

みろく様は神皇産霊神だったので、どうやら高皇産霊神と御一体となり、日月の大神様と現われるそうです。さらに、地の御先祖、国の御先祖(国之常立大神、須佐鳴大神)と御一体となり、大日月の大神様となられるようです。「旧九月八日の仕組」です。


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2018年08月20日

青葉の巻 第18帖

改心とは阿呆(あほう)になることざぞ、世界中の阿呆中々ぢゃ、中々に阿呆にはなれまいがな。世界中の人民に言って聞かして改心さすのではキリがないから大変を致さなならんのざぞ。難しいこと申しているが、平とう説かねばわからんぞ、世界の説教をよく聞いてくれよ、天の教え、地の導き、よく耳澄まして聞きとれよ、Θの心段々わかって来るぞ。この者は見込みないとなったらもの言わんぞ、もの聞けんようになったら、神示嫌になったらその守護神可哀想になるのざぞ、見込みなくなればΘは何も申さんのざぞ、今のうちに神示肚に入れよ。
八月五日、ひつ九のΘ。


世間の常識にとらわれず愚かと言われてもマコトを追究することが「改心」だそうです。世界中の人々に伝えるには平たく説く必要があるそうです。

世界の説教、天の教え、地の導き、に共通するものに注意を払えということです。

例えば、
@神への尊敬と崇拝
A他人への愛情と和合
B自分がしてもらいたいことを他人にもする
C無私と奉仕の気持ち
D今、現在を大切にする
E反省、悔い改め
F物質的な物への執着をやめる
G生き物、植物などへの愛情
などでしょうか


日月神示では、

青葉の巻 第3帖 に 「@弥栄実践 A祓実践 Bマツリ実践」とあります。
@弥栄実践は、「刹那々々に弥栄を思い、弥栄を実践して行く」ということです
A祓実践は、「省みる、恥じる、悔ゆる、畏る、悟る、の五つの働きを正しく発揮し、禊ぎ祓いを実践する」ということです。
Bマツリ実践は、「人々はもとより、神、幽、現の大和(マツリ合わす)を実践して行く」ということです。マツリする者を善と言い、それに反する者を悪と言うそうです。簡単に言うと「仲良く溶け合えれば善、できなければ悪」ということでしょう。


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2018年08月21日

青葉の巻 第19帖

この度の岩戸開きに御用に立つ身魂ばかり選り抜きて集めて行さして御用に使うのであるから、他の教会とは天地の違いであるぞ、今度は人民の心の底まで改めて一々始末せねばならんなり、誰によらん、今までのような贅沢(ぜいたく)やめて下されよ。せねばするよう、せなならんなり、世界のハラワタ腐りきっているのであるから、いよいよを致さねばならんなり、いよいよをすれば人民いよいよとなるから、Θがくどう気つけているのざぞ。
ここへは善と悪とどんな身魂も引き寄せてコネ廻し、練り直す所であるから、ちとも気緩(ゆる)しならん所であるぞ。ここの仕組は天の仕組と地の仕組と、神となり仏となり、結び、Θと和し、〇と現れ動き、鳴り成りてマコトの世「ミロク」の世と致して、この世をΘの国と致す仕組ぢゃ。
今までは天のΘばかり尊んで上ばかり見ていたから、今度は地は地のΘの世と致すのぢゃ、天のΘは地ではお手伝いざと申してあろうが、下見て暮らせ、足元に気つけと申してあろうが、皆地のΘ尊び斉(いつ)き祀りて
弥栄ましませ。天の教えばかりではならず、地の教えばかりでもならず、今まではどちらかであったから、時が来なかったから、マコトがマコトとならず、いずれも片輪(かたわ)となっていたのざぞ、片輪悪ぞ、今度は上下揃うて、夫婦和して、天と地と御三体祀りてあなないて、末代の生きた教えと光り輝くのざぞ。
八月九日、ひつ九のか三。


今の世界の人々ははらわたが腐りきっているそうです。厳しいですね。とにかく贅沢はやめなさいということです。

善と悪とどんな身魂も引き寄せてコネ廻し、練り直し、マコトの世「ミロク」の世にして、この世を神の国とするそうです。

人々は天の神様ばかり尊んで上ばかり見ていたが、これからの地上は「地の神の世」とするそうです。下見て暮らせ、足元に気つけろということです。

今までは、天の教え、地の教え、どちらかの片輪の状態でした。これからは、上下、夫婦和して、天と地の御三体祀りあなないて、天の教え、地の教え、いずれも尊び、末代の生きた教えと光り輝くそうです。


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2018年08月22日

青葉の巻 第20帖

己(おのれ)の心見よ、戦まだまだであろうが、違う心があるから違うものが生まれて違うことになる道理わからんのかなあ。世界のいよいよのメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組近づいたぞ。人民は早合点、我れ善しで神示読むから、皆心が出てしもうて、マコト知らしたこと毒とならんよう気つけおくぞ。薬飲んで毒死せんように気つけよ。今は世間では何事もわからんから、疑うのも無理ないなれど、Θの仕組は何事もキチリキチリと間違いないのざぞ。宗教連合会も世界連合も破れてしまうと申してあろうがな、つくったΘや、Θの許しなきものは皆メチャクチャぢゃ、三千世界に手握る時と知らずに、他の世界、元の世界を知らんからそうなるのぢゃぞ。火火の世界、火火の人、水水の世界、水水の人と交通出来るのぢゃ、人と言っても人間ではないぞ、人神(ひとかみ)ざぞ、手握って三千世界天晴れぢゃ、この道、神の道ぢゃ、光の道ぢゃ、教えぢゃ、悪と悪と、善と善と、悪と善と、善と悪と、握る手持ちて御座れよ、心持ちて御座れよ、びっくり嬉し箱あくぞ。
八月十日、ひつ九Θ。


違う心があるから違うものが生まれて違うことになる。これは、個人においても、国家、世界においても同様のようです。世界のメグリは現実に出て来ています。国際連合も国際宗教もメチャクチャになるそうで、実際に国際連合は機能せず、世界中で宗教戦争が起きています。

九月八日の九の仕組は、ミロク様と天地和合の大日月大神様の登場による「終わりであり、始まり」ですが、九の陽と八の陰の極みの意味でもあるようです。また、九月九日重陽の節句(菊の節句)の1日前。菊の文字に着目している方もいらっしゃいました。つまり、米の字、八十八は頭八、尾八のヤマタのオロチだそうです。悪の仕組完成の1日前ということのようです。なるほどと感心させられましたが、単純に米=アメリカ一極支配1歩手前の終了ともとれそうです。「三千世界に手握る時と知らずに、他の世界、元の世界を知らんからそうなるのぢゃ」そうです。

火火の世界、火火の人は「日の霊人」、水水の世界、水水の人は「月の霊人」でしょうか。「人神(ひとかみ)ざぞ、手握って三千世界天晴れぢゃ」ということです。

悪と悪と、善と善と、悪と善と、善と悪と、手を握る気持ちでいてくださいということです。



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2018年08月23日

青葉の巻 第21帖

Θが引き寄せるからと申して懐手(ふところで)していては道は広まらんぞ、弥栄とは次々に限りなく喜びを増やして養って行くことざぞ、喜びとはお互いに仲よくすることぞ、喜びは生きものぞ、形あるものぞ、色あるものぞ、声あるものぞ、わかりたか。教会つくると申しても今までのような教会ではならんぞ、今までの教会も元はよいのであるぞ、いずれも取次役員がワヤに致したのぢゃ、Θの心から離れて人間心となったからぢゃ。Θの動きは、アヤワ㋳㋻ざと申してあろうが、それをヤワ㋳㋻となし、ワ㋳㋻と致し、㋳㋻となし、㋻㋳にしてわからんことに致したのぢゃ、タマなくなってその上に、上下、下引っくり返っていると申してあろうがな、わかりたか。
八月十一日、ひつ九のΘ。


お互いに仲よくし次々に限りなく喜びを増やして養って行くことが「弥栄」だそうです。ただ、本稿では、無理矢理、私の考え方を他人に押し付けることはいたしません。判断されるのはあくまでも読者の皆さんです。ただ、日月神示の内容は難解で、なかなか理解できるものではないので、その手掛かりを提示しているに過ぎません。そうご理解ください。

今のキリスト教、仏教を始め世界の宗教は、キリストや仏陀の言葉をそのまま伝えたものは皆無です。ローマ教会や仏教界において、後日編纂され解釈が加えられたものばかりです。残念ながら、この日月神示にしても、原本は神からの啓示であったものを人間の手を加えて「ひふみ」にしたものですから、似たようなものかもしれません。ただ、神示が降ろされてそれほどの月日が経過していないので、そこまでの改変は加えられていないものと信じています。

神の動きは、本来、アヤワ㋳㋻だそうです。ア(魂)が抜け落ちヤワ㋳㋻となり、ヤ(日)が抜け落ちワ㋳㋻となり、さらにワ(月)が抜け落ち㋳㋻となり、最後に㋳と㋻が引っ繰り返って㋻㋳になって、「わからんことに致した」そうです。

ご神名にすると、
ア 国之常立大神
ヤ 伊邪那岐神
ワ 伊邪那美神
㋳ 須佐鳴大神
㋻ 天照大御神

と、いうことでしょう。


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2018年08月24日

青葉の巻 第22帖

己の知ではわからん、大Θ様とはアベコベのこと考えていては逆さばかりぢゃ、神示よく読んでマコトの仕組仕え奉れよ。壁に耳あり、天井に目あり、道は一筋と申してあろう、人民というものはアレコレとたくさん目に見せては迷うものぢゃから、一つずつ目にもの見せて目標(めあて)作って、それで引っ張ってやりて下されよ、一度にたくさん見せたり教えたりしては迷い生むばかりぢゃ、役員殿気つけてくれよ。
この道開けてくると敵がだんだん多くなって来るぞ、敵結構ぞ、敵尊べよ、敵に親切せよ、いずれもΘの働きぞ、敵も御役、悪も御役ぞ、敵増えて来ると力出て来るぞ、Θの仕組一切。
八月十一日、ひつ九Θ。


神示をよく読んでマコトの仕組を理解せよということです。道は一筋、神は何でもお見通しということです。

この道は、開けてくると敵がだんだん多くなって来るそうです。「敵尊べよ、敵に親切せよ、敵も御役、悪も御役ぞ、敵増えて来ると力出て来るぞ」ということですが、なかなか大変なことでしょうね。

岡本天明氏の至恩郷にも、大勢の宗教関係者が押し寄せて来て、大変だったということですし。人には、「なくて七癖、あって四十八癖」と云われるようにいろんな癖がありますからね。

ある意味、修験者は良いですよね。自分との戦いですから。日月神示は、難しい教えです。(笑)



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2018年08月25日

青葉の巻 第23帖

かねて見してある弥栄祈願せよ、やさかきがん、やさかきがん、やさかきがん、やさ火き火ん、やさ水き水ん、火と水の御恩、弥栄きがん、弥栄のまつりぞ、弥栄まつりの秘訣火水(ひみつ)は知らしてあろう。神示よく読めよ。これからの神示は「ひふみ」と申せよ。弥栄、弥栄。
二六五日日一二五七三二八一六七一二三〇〇〇日一三三 三一六六六 七二六八五二一 七六六六三三〇〇〇八〇二八八一三三 五二日八二六一二三八八 五五日日百千一二 一二三四五六七八九十卍。
青葉の巻、これまで。
八月の十二日、ひつ九のΘしるす。


弥栄祈願。火と水の仕組、永遠に。ひふみとは、火風水でもあります。

後半部対訳
二六五日日(月結び出でし日)一二五七三二八(日月真中成り満つには) 一六七(日結び成る) 一二三〇〇〇日一三三(一二三〇〇〇日始めざぞ) 三一六六六(満つ初め六六六) 七二六八五二一七(七に結ぶは真中に始め成る) 六六六三三(六六六ざぞ) 〇〇〇八〇二八八一三三(〇〇〇は〇に弥栄える始めざぞ) 五二日八二六(真中に日開き月結ぶ)一二三八八(一二三弥栄) 五五日日(真中出でし日) 百千一二(ももち始めに) 一二三四五六七八九十卍(ひふみよいむなやここのたりよろず)。

平文
月結び出でし日、日月真中成り満つには、日結び成る。一二三〇〇〇(身魂)日始めざぞ。満つ初め六六六。七に結ぶは真中に始め成る六六六ざぞ。〇〇〇は〇に弥栄始めざぞ。真中に日開き月結ぶ、一二三弥栄。真中出でし日、ももち始めに、ひふみよいむなやここのたりよろず。



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2018年08月26日

海の巻 第1帖

海の巻、書きしらすぞ、五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、皆始めは結構であったが、だんだんと時経(ふ)るに従って、役員が集まってワヤに致したのぢゃ、気の毒ぞ、Θの名汚しておるぞ。
大日月と現われたら、何かのこと厳しくなって来て、立て替えの守護と立て直しの守護にまわるから、その覚悟よいか。間違った心で信心すれば、信心せんより、も一つ厳しくえらいことが満ち始め、満つようになるぞ。
今にここの悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、悪口言われ出したら結構近づいたのざと申してあろう、悪口は悪の白旗ざぞ。飛んで来て上にとまっている小鳥、風吹くたびにビクビクぢゃ、大嵐の来ん前にねぐらに帰って下されよ、大嵐目の前。
ここはまず苦労、その苦労に勝ちたら、己に克ちたら魂磨けるぞ、だんだんと楽になって嬉し嬉しとなるぞ、結構な仕組、知らしたら邪魔入るなり、知らさんのでわからんなり、心で取りてくれよ、世界の民の会、為せば成る、為さねば後悔ぞ。
八月十三日、一二Θ。


五つに咲いた桜花とは神道、五つに咲いた梅の花は仏教のことだと思われます。最初のうちは良かったものを、時間が経つとともに、いずれも人間がダメにしてしまったということでしょう。

大日月大神が出現すれば、立て替え、立て直しの守護となって、「間違った心で信心すれば、信心せんより、も一つ厳しくえらいこと」になるそうです。

日月神示の悪口が言われ出したら、いよいよの立て替えということです。悪口は悪の白旗、風吹くたびにビクビクもの。大嵐は目の前だそうです。

日月神示で重要なことは「まず苦労」その苦労に勝ちたら、「己に克ちたら」魂磨けるそうです。そうすれば、「だんだんと楽になって嬉し嬉しとなるぞ」とのことです。

「世界の民の会、為せば成る、為さねば後悔ぞ。」



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2018年08月27日

海の巻 第2帖

権小道師から上はΘの帖面につくのであるぞ、参道は仮ぞ。合わせて四十九、替え身魂六。参道は仮ざからそのつもり結構ぞ。一帖、三十帖、二帖、二十九帖というふうに読み直して下されよ、三十帖一切として、上下混ぜ混ぜにして、上下引っくり返して読み直してくれよ。火の守護から水の守護に変わっているのであるから、水の蔭には火、火の蔭には水ぞ、このこと忘れるなよ。この中には化物いるのざぞ、化物に化かされんように、お蔭落とさんように致し下されよ。Θくどう気つけおくぞ。
八月十と四日、ひつ九のΘ。


青葉の巻 第1帖で「大道師、権大道師、中道師、権中道師、小道師、権道師、参道の七段階ぞ、中道師から上はΘ人共ざぞ」という文章がありました。七x七=四十九というのは分かっていましたが、参道を除き、六段階、代表一、替え身魂六、六x七=四十二が中核ということが新たに分かりました。参道の七は予備なのでしょう。

この六段階x各五帖=三十帖を一区切となぞらえた上で、上下混ぜ混ぜ、上下引っくり返して、神示を何度も読み直してくださいということです。

時代は、火の守護から水の守護に変わっているということで、月の大神様のご守護となったようですが、その蔭には火の守護、日の大神様のご守護もあることを忘れるなよということでしょう。

そして「この中には化物いるのざぞ、化物に化かされんように、お蔭落とさんように致し下されよ」という意味ですが、
「世界から化物出るぞ、この中にも化物出るぞ、よく見分けてくれよ、取り違い禁物ぞ。この神示よく見ていると、いざという時には役に立つぞ、肝腎の時に肝腎が成るぞ」(空の巻 第10帖)、
「下のΘが上のΘの名を語って来ることあるぞ、それが見分けられんようでは取り違いとなるぞ」(海の巻 第8帖)
「何もわからん無茶苦茶者が、偉そうな名のΘ憑かりして、何も知らん人民をたぶらかしているが、今に尻尾出して来るぞ、尻尾つかまらんうちに改心してΘの道に従って来いよ」(海の巻 第11帖)
「悪神憑かりたなれば自分では偉い神様がうつりていると信じ込むものぞ。可哀想なれどもそれも己の天狗からぞ。取り違いからぞ」(黄金の巻 第57帖)
「夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言」(星座之巻 第18帖)
「高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ」(龍音之巻 第5帖)
「奇跡を求めたり、我れ善しのおかげを求めたり、下級な動物の容れ物となっているから、囚われているから、騙されるのぢゃ、・・・早う目覚めよ」(紫金之巻 第3帖)

などとも出て来ます。

いよいよが近づくと、悪の活動も激しくなったり、「へんな人が表に出る」(青葉の巻 第6帖)だったり、何かと騒がしくなるのでしょう。

この場合、大事なのは「この神示よく見る」ことです。そうすれば、騙されることなくお蔭落とさないで済むそうです。


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2018年08月28日

海の巻 第3帖

今までは神様も別れ別れで勝手にしていたのであるから、Θ様の申されたことにも間違いとなることあったのぢゃ、今でもΘ様は嘘を申さんのであるが、和合なく離れ離れであったから、自分の目で届くグルリは、自分の力の中ではマコトであっても、広い世界へ出すと間違ったことになっていたのぢゃ、Θのお示しが違うたと申してそのΘ様を悪く申すでないぞ、今の上に立つ人も同様ざぞ、心得なされよ。今度はいよいよ一致和合して、大Θ様の仕組結構が相わかりて来て、大日月のΘとなりなされて現われなさるのぢゃ。わかりたか。雨結構、風結構、岩結構、荒結構、地震結構。
八月十四日、ひつ九のか三。


神様は嘘はつかれないのですが、神様でも「自分の目で届くグルリは、自分の力の中ではマコトであっても、広い世界へ出すと間違ったことになっていたのぢゃ」ということです。いわんや人間をや、というところでしょう。

「今度はいよいよ一致和合して、大Θ様の仕組結構が相わかりて来て、大日月のΘとなりなされて現われなさるのぢゃ。わかりたか。雨結構、風結構、岩結構、荒結構、地震結構。」
ということです。

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2018年08月29日

海の巻 第4帖

出てきてからまた同じようなこと繰り返すぞ、今度は魂抜けているからグニャグニャぞ、グニャグニャ細工しか出来んぞ、それに迷うでないぞ。神示が肚に入って血になると、何が起こって来ても結構であるが、始めのうちは、ちょっとのことで迷いの雲が出て、悪の虜(とりこ)となって苦しむぞ。悪は無いのであるが、無い悪を人民の心から生むのざぞ、悪の虜となって苦しむが見えているから、苦も結構なれど、いらん苦はいらんぞ、神示よく読んで苦を楽とせよ、楽は喜びぞ、苦の動くが楽ぞ、楽は喜びぞ、光ぞ、Θ人共のまつりぞ、楽で岩戸が開けるぞ、苦しんで開く岩戸はマコトの岩戸でないぞ。
八月十四日、ひつくのか三。


出てきてからとは、いよいよとなった時のことでしょう。「また同じようなこと繰り返すぞ、今度は魂抜けているからグニャグニャぞ」というのは、また戦争のようなことが繰り返されるのでしょう。八月十四日の神示ですからねえ。今度は、魂が無いのでグニャグニャ細工になるそうです。「それに迷うでないぞ」という言葉は後の文脈に係るものでしょう。前後の(、)と(。)の位置が違うようです。

神示が肚に入って血になると、何が起こって来ても迷いはないが、そうでないと、「ちょっとのことで迷いの雲が出て、悪の虜となって苦しむ」そうです。

悪はもともと無く、無い悪を人民の心が生み出し、迷いとなり、その悪の虜となって苦しむそうです。

苦自体は結構なことだけど、悪の虜となっての苦は必要ないそうです。神示を読めば、迷って苦しむ必要もなく、苦を楽に変えることで、楽という喜びに変わり、光になるそうです。

楽で岩戸が開けるそうです。苦しんで開く岩戸はマコトの岩戸ではないそうです。
簡単に言えば「神示を読む」ことで、楽に「マコトの岩戸」が開けるということです。


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2018年08月30日

海の巻 第5帖

今日までの御教えは、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来るという、これが悪魔の御教えぞ、この御教えに人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願いしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪はますます増えるのみ、悪殺すてふそのことが、悪そのものと知らざるや、Θの心は弥栄ぞ、本来悪も善もなし、ただ御光の栄ゆのみ、八股大蛇も金毛も、邪鬼も皆それ生けるΘ、Θの光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、あななう所に御力の、輝く時ぞ来たるなり、善いさかえば悪なるぞ、善悪不二と言いながら、悪と善とを区別して、導く教えぞ悪なるぞ、ただ御光のその中に、喜び迎え善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪は無し、世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、ただ御光に生きよかし、生まれ赤児となりなりて、光のΘの説き給う、(マコトの道を進めかし、)マコトの道に弥栄ませ。
八月十五日、Θのひつ九のΘしるす。
岩戸明けたる今日ぞ目出度し、次の岩戸早う開けてよ。


この神示は昭和22年8月15日に降ろされたもので、終戦後の丁度2年目のこととなります。ここに、はっきり「岩戸」の一つが開いていることが示されています。

その終戦の日に、ちなんだものでしょうか、戦争や殺戮がいかに神のご意思に反したものかが述べられています。

まとめると、
@今日までの「悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来るという」、これが悪魔の教え。
Aこの悪魔の教え「悪殺す、ことが正しきこと」にすっかりだまされた人民の愚かさ。
B三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の平和を求め願ってきたが、それははかなき水の泡。
C悪を、殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪はますます増えるのみ。
D悪を殺すというそのことが、悪そのものと知らないのか。
E神の心は弥栄で、本来悪も善もなし。
F八股大蛇も金毛も、邪鬼も皆それ生きる神。神の光の生んだもの。
G悪も善も抱き、あななう所に御力の輝く時が来るのである。
H善といえど争えば悪となる。
I善悪は無いと言いながら、悪と善とを区別して、導く教えは悪である。
Jただ御光の中に喜びを迎え、善もなく悪もないのが天国。皆一筋の大神の働きにより悪は無し。
K世界一家の大業は、地上だけではどうにもならない。三千世界が大和して、ただ御光に生きるべし。
L生まれ赤児の心になってマコトの道を進んでください。

と、なります。

次の岩戸からは、なかなか開けるのは難しいです。封印の鍵は解けました。後は開けるだけです。それとも闇の世を続けますか。

封印の鍵
@日向(天津神)と出雲(国津神)の和合
A本当の天照大神(饒速日尊)の認識
B須佐鳴大神の再評価
C仏教から神道中心(仏教他の宗教も祀り結構。順序大事)への回帰
および
富士と鳴門の仕組(星座之巻 第2帖)

「太祝詞のりのり祈らば岩戸ひらけん」(紫金之巻 第7帖)
「千引岩今ぞあけたり爽し富士はも。・・・光は中からぢゃ、岩戸は中から開かれるのぢゃ」(紫金之巻 第8帖)



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2018年08月31日

海の巻 第6帖

いくら利巧でも今までの人間心ではΘの仕組はわからんぞ、帰るに帰れず、他を探しても根本のマコトを伝える所はなし、泣く泣くつらい思いをせなならんぞ、くどう気つけているのざぞ、慢心取り違いの鼻高さん、路頭に立たねばならんぞ。日月の世、結構な一(はじめ)の道生まれたものぢゃ、この日月に生まれた仕事は皆よくなるぞ、この神示よく読んでくれたら、何を申さんでも何を聞かんでも良いことになるのであるぞ、戦(いくさ)や天災では人の心は直らんと申してあろうが、今までのどんなやり方でも人の心は直らんぞ、心得なされよ、
八月二十三日、一二Θ。


いくら利巧な人でも今までの人間心では神の仕組は分からないそうです。日月神示以外、どこにも「根本のマコトを伝える」所はないそうです。慢心取り違いの鼻高さんは、路頭に立たねばならんそうです。

戦争や天災、今までのどんなやり方でも人の心は直らない、ただ、この神示をよく読むことで結構な日月の道で良くなるそうです。



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